はてなキーワード: ファンタジーとは
最初のテレビシリーズ放送のとき、スルーしてた。それは主役のヴァイオレットちゃんの格好にある。
メイド服のような(のちに違うと理解するが)衣装で、丁寧語。忠誠的なキャラクター(これも大きな勘違い)。
宣伝時点でオタクの人形のような、そんなイメージを持っていた。
評判を聞き京アニとも知り(絵柄でピンとこなかった)実際見てみると、これが違ったのだ。
まず世界観はファンタジーだった。どこかにあるかもしれない国。
でも魔法もないし、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者も出てこない。
単に作りこまれた、イメージとしては中世ヨーロッパの世界が舞台だ。
ドールというのも、文字が普及しきっていない世界でタイプライターを打つ人を、自動手記人形と呼んだ…という設定のもとでの単語だった。
主人公は元少女兵だ。この辺が本当にファンタジーなのだが、元ってところがポイントだ。今は、ただの郵便局の人。刺客も居ない。
ビジュアルでハガレン並みの義手が出てくるのでこれで戦うのかと思いきや、タイプライターを打つだけだ。
話は1話完結で、入っていきやすい。もちろん、順にみていくと味わい深い主人公の成長が感じられる。
お涙頂戴ともいえる内容かもしれない。人の恋愛や、家族愛、生死がなにかを知り、戦地で自分が何をしたかを理解していく。
そして愛を知っていき、戦地で死闘の中別れ、愛をくれていた「少佐」を思う。
ラブストーリーというと、シリーズ全体を通して言う言葉ではないかもしれない。愛の話だ。
テレビ版で、その話は綺麗に締まって満足感を得ることができるだろう。
しかし、その後の劇場版でテレビシリーズではほんのわずかな短い時間しか見てこなかったのだと、衝撃を受けた。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは劇場版を持って完結する。
劇場版こそがこのタイトルにふさわしい。つまり、映画を見ないとこの作品は語れない。
そんな映画になっている。このクオリティでシリーズものを劇場版にしたこと自体が本当に希少だと感じているし、
今後この映画が基準になるとすれば相当な覚悟を持って、アニメ映画を作らなくてはならなくなる…かもしれない。
見たことが無い人、そしてテレビ版だけを見ていた人。もしくは劇場版が初見になる人。
要するに、見なきゃ損ってことだ。
アニメ化してもイメージが違うことがあるのに、ドラマ化なんかまんまやったっておかしいだけじゃん
ファンタジーじゃない人間ドラマ的なのを書いている漫画だとドラマ化して欲しいって意見みかけるけど
ドラマ的に上手く処理されてりゃ良いけど
必要あるのか謎のオリジナル要素に外見すら寄せない役者で作られるドラマ見たい?
漫画好きな人が他メディア展開希望するのが不思議でしょうがない
ドラマ化するなら漫画をそのままやって欲しいけど、漫画的表現で成り立ってる部分があるから
でもキャラクターの外見すら沿ってないのはどうなんだ?ともなる
最初にも書いたけど原作の漫画好きな人がこれを人間が演じたドラマが見たいという感情になるのが、自分には理解が難しい
ただドラマ化などの企画はそういう立場の人間が動かすものでもないから
子供の出産予定日もだいぶ近づいてきて、共に過ごすための環境も整え始めていよいよという感じになってきたし、奥さんの日常生活にもちょっとずつ制約が入るようになってきた。流石に夜の営みどころではない感じになってきた。よくある産前産後の性生活に対するスタンスの違いからくるセックスレスみたいな話ではない。思った以上に母体っていろんな変化があると知るとそれどころじゃないなともいうのが素直なところ。自分の中でも、奥さんのことはとても大好きだけどセックス自体が優先度の高い場所からちょっとずつフェードアウトしていて、これまでの人生になかった感覚なので不思議な感じだ。他方、そんな事情とは無関係に湧くものは湧くわけで、そこは奥さんの目を盗んで空吹かしをする。明確にしてるわけじゃないけど多分向こうも知ってることだろうと思う。風俗は世が世なら迷っていたか言われるとよくわからない。新コロが風俗業界にどれだけ蔓延しているのかはよく知らないが、ほぼ完全に在宅勤務となり、外せない飲みだの会食だのが入ることも殆ど無くなった今では、行為のできるような店の並ぶ街の近辺に足を運ぶことすら不自然になってしまった。(通勤してた頃だったら定期券圏内から少し足を伸ばせば…)浮気だ不倫だも、もともと上手に恋愛ができるわけでも引き合いが多くて困るわけでもないから、多分縁遠い話だろう。不倫相手に掛かるメンテナンスコストを払うなら趣味に費やしたいし、絶対にミスできないマルチタスクを完遂する自信はない。そんな折のコロナ禍で、人と会う機会も9割以上減ったため、迷うこともないし疑われることもない。ただ、最近好きなAVのパターンは性的合意がある寝取りのやつだ。かつて気になってた人が同棲、もしくは新婚生活を送ってる部屋で、パートナー不在の数日間にヤリまくっちゃうやつは、そんな都合良い展開ありえないでしょうという点まで含めて「AVはファンタジー」だなぁと思いながらアクセルを踏んでいる。このAVのフォーマットが好きなのは、おそらく過去の略奪恋愛が最高に気持ちよかったからなんだと思う。学生時代の友人と社会人になってから、彼氏の海外赴任につけ込んで一気に既成事実を作る方から攻め込んで、それこそAVにあるような、それまで2人が生活してた部屋にお邪魔してベッドをギコギコさせてた記憶を味わって思うのは、自分の人生で知る限りは最高の媚薬は、背徳感だということだ。とか書いてみると「セックス自体が優先度の高い場所からちょっとずつフェードアウト」とか書いてるけど全然そんなことなくない?と言われそうだな… なんというか、性欲はあるんだけどセックスは別に、という。大学生の頃にこんな感じで強がってたなとか思い出す。そういえば、大豪邸に住んでるわけでもないから子供と奥さんとで寝室はひとつなわけで、産後にどこでコトを遂行するのかという問題が気になった。先輩たちはどうしてるのかとても気になる。
ファンタジーとかSFに出てくる超技術の古代文明の兵器がさ、明らかにオーバーパワーだったりデカすぎたりするわけですよ
人間同士の戦争とか、当時いた敵との戦闘に使うにしては威力が高すぎるとか、守りが過剰すぎるとか、あるいは兵器の数が多すぎるとか
そしてフレーバーテキストとして「彼らは何と戦っていたのだろうか」「過剰にも見えるこの防衛は、いったい何を想定してのものだったのだろうか」みたいな一文が出てくるの
サイコーじゃない?おれそういうのすげえ好きなんだよな
この前Twitterでバズってたデマでさ、「不気味の谷を恐れるのは人間だけ→かつての人間は"同族によく似ているが微妙に違うもの"を恐れる必要があった?」ってのがあって、近いバイブスを感じた
「かつての文明がなにか得体の知れないものに怯えていた」っていう設定好きすぎるよう
具体的に何だったのか描かないほうがむしろ想像力を刺激されてイイ感じ ってことは、製作者側としては適当に要素をぶん投げとくだけでいいわけだからコスパも優れてるじゃない
どんどんやってほしいんだよな
ディズニー長編アニメで何が好き? と問われたら挙げるくらいに『ムーラン』(1998年)が好きだった。
『ムーラン』は中国の伝承をもとにした話だ。老いた父に代わり男装して従軍し武功を立てるも地位は断り故郷に戻る。最も古いのは詩と言われ、民謡、戯曲、小説の題材になっている。
時代によってどこに力を入れて語られるかは変わってくる。女で軍功を立てる力強さを描くのか、家族への孝行を尊ぶものなのか、国への奉仕を宣伝するものか。
ディズニーでのアニメ映画化にあたっては女性の自己実現という方向で物語はまとめられている。
主人公のムーランは、女は家でおしとやかにしているべきという風潮になじめない。老いた父を助けるため男装して代わりに従軍することになるが男ほどの力はない。しかし彼女自身の強みである知恵と機転を武器に自分を信じ、自分らしいあり方、誇りを見つけるのだ。
挿入歌『リフレクション』が名曲だ。映画のわりと最初のほうに歌われる曲で、含む意味が全編に影響してくる。家の名誉のためには仲人に気に入られて良い家に嫁がなければならない。でも失敗してしまった、という状況を受けて「水鏡に映った着飾った自分は知らない人に見える。ありのままの自分の心はごまかせないけれど、本当の私はいつか映るのだろうか?」と吐露する。
その後男装して(=別ベクトルで自分を偽って)活躍するわけだが女であることがバレてしまう。で、色々あって男だとか女だとか求められる役割だとかじゃなく、自分であることがいいよね! って結論に至るのだ。
さて、ディズニーのヒロイン像というのは時代によって移り変わる。おしとやかに待っていれば幸せ(王子様)が訪れる初期ヒロイン、自我がありパワフルながらやはり幸せはヒーローが運んでくる中期ヒロイン、恋愛から解放された最近のヒロイン。
ムーランは時代的には中期ヒロインに位置づけられる。とはいえロマンス要素は淡い。アジアが舞台で自己実現が主題という点が特筆すべきところだろう。
その頃のディズニーの非コーカソイドを取り扱った映画というのはエキゾチシズムあふれると言うかアメリカ解釈エスニック世界と言うか、なかなか文化描写が大味である。ご多分に漏れず『ムーラン』も西洋的なアジアであんまり正確ではない。突然念仏唱え出す登場人物が居るようなステレオタイプなオリエンタリズムである。また、男装のために長い髪をカットするシーンが山場のひとつだが、断髪して覚悟を示すことはとても西洋的な描写だ。古代アジアの人々は男女問わず長髪だからね。
それでも20世紀末にアジアが描かれたことは画期的で、東洋西洋の狭間で自分のあり方を考えていたアジア系アメリカ人二世三世に特に刺さったと聞く。また、脚本にはアジア系アメリカ人の女性が居た。そのあたりを思うにターゲットは西洋社会であったのだろう。
さて、そんな『ムーラン』が20年の時を超えて実写化されると言う。わくわくした。あの、魔法使いでもなんでもない同じ人間なのに圧倒的な力を持つかたき役、シャン・ユーの大軍勢が雪原に現れる絶望的なシーンが実写の迫力で見られるのか。ハリウッドに中国の方も増えただろうからオリエンタリズムの産物じゃなくてきちんと考証がなされた中国描写になるんだろうな。最近のディズニー映画のように現代の価値観を反映させるだろうから「異民族は悪、侵略者、だから防衛しなければならない」なんて単純な物語化じゃなく厚みを持って描かれるんだろうな。(アニメだと時代も場所もぼかされて相手はフン族という言及のみ。原典だとムーランは漢民族じゃなくて鮮卑の人っぽいし、北魏 vs 突厥 の戦争って遊牧民同士の戦いでつまり互いに侵略し合っていたってことだと思っている)アナ雪1でサーミの文化盗用と言われ、アナ雪2でサーミの監修を入れて文化盗用にならぬよう注意を払い、作中で植民地支配を彷彿とさせる歴史を描き、過去の過ちを直視し「今できる正しいことをしよう」と歌わせるディズニーだ。期待も高まるというもの。
そんな価値観も変わる時代の中にあっても輝く、自分らしく誇りを見つけるという変わらないメッセージ。名曲の数々、コミカルな相棒キャラクターであるドラゴンのムーシューと幸運のコオロギのクリキーのコンビ――彼らも「自分を偽っている」キャラだ。ムーランの物語は彼女だけではなく、ほかのキャラも自分を信じて自己実現する物語なのだ!――厳しくもきちんと実力は認めて義に厚く格好いいシャン隊長とムーランのほのかなロマンス。男装しているムーランに人間的に惹かれているっていうのがいいんだよねー。ああ、楽しみだなあ!
※ アニメ版と実写版の差異、未見のためニュース等で分かる部分のみ
うおおおい。やりたいこととやっていることとターゲットがちぐはぐで全方位損だよ。東西どちらにもいい顔をしようとして大失敗では。誰が嬉しいんだこれ。
いやね、きっと通常の劇場公開をしていたらふらっと見てしまっていたと思う。事前情報仕入れず見るタイプなので。公開延期で配信も加入しないと見られないと言うので時間ができてしまって調べたらさあ、ねえ。心情的にこれはもう見られない。
アニメ版が中国本土であまり評判が良くなかったというのは聞いたことがある。自分探しをするヒロイン、自立したヒロインというのが儒教感覚としてはそぐわないらしい。だからってアニメ版の主題であった自己実現を切り捨てて家のため国のため「孝」「忠」の話にするか? [追記] トラバで教えて貰ったが、アニメ版は中国本土でも人気だったそうだ。確かにレビューサイトの点も高かった。自分は欧米メディアの記事から人気がなかったのだと思いこんでいたが誤りだったようだ。失礼しました。えっ、じゃあディズニーはどこを向いて脚本変更を決定したんだ?
アニメ版のファンなんぞ知らん、商業的には大きなパイである14億人+全世界の中国ルーツの方々がターゲットなんだ! と言い切ってくれるならまだ理解できた。でも中華圏の評判も悪くてさ。聞こえてくるのは「孝」「忠」はこんなんじゃねーよとか伝統的な任侠精神を西洋騎士道のテンプレートに雑にはめ込みやがってとかムーランをフォースっぽい謎の不自然なパワーを持つ西洋的スーパーヒーローにしたなとかドラゴンのキャラの代わりに鳳凰がシンボルになったが鳳凰が象徴するのは古式ゆかしい女性性だぞフェニックスと混ぜてねーかとか『カンフー・パンダ』のほうが中国の伝承や比喩を尊重しているぞとか、そんな感想ばかりである。
中国をターゲットに完全シリアスな『花木蘭』実写化がしたかったらアニメの看板は控えめに、スタッフ陣にもアジア勢を揃えて時代考証風俗考証手厚く入れて中華圏を唸らせてくれよ……。
新疆ウイグル自治区でのロケってのもさ……。「異民族、それもモンゴルあたりで活動した今のトルコにも繋がると言われる実在の民族を排除するために戦う」ストーリー自体センシティブで取扱注意なのに、文化が異なるが故に現在進行形で人権侵害が行われている新疆ウイグル自治区をわざわざロケ地に選ぶとは。映画撮影のためにディズニーは人権侵害に目をつぶり「新疆ウイグル自治区は海外のクルーが来られるような安全で風光明媚なところで海外で言われているようなことなど行われていませんよ」という中国の宣伝に乗ったのだと言われても否定できないだろう。
ディズニーとしては MeToo を受けてストーリーは変更するが民族浄化は容認するみたいな基準なのか?
自分は今まで作品と作者・出演者は別と考えてきていた。役者が不倫していたり薬物をやっていたりしても作品の価値が貶められることはないし配信停止にすべきではない。また、過去の作品で今の基準だとアウトなものがあることも認識している。奴隷制を肯定的に描いている『風と共に去りぬ』、子役を薬漬けにして演技させていた『オズの魔法使い』などなど。それらも配信停止にすべきではないと考える。描写については注意書きを添え、新たに作る時は現代の倫理観をもとにし、新規であえて描写する時は「あえて」である説明を加えれば良いと。
とすると、俳優の発言は個人の思想と割り切れても現在進行形の人権侵害は了承できないな。俳優はアメリカ国籍とは言え中国本土の方だから一族も本土に居るだろうし当局の意に反する発言をしたら命が危ないのだろうけれど、ディズニーはウイグルの件を全く知らなかったとは言えないだろう。
ディズニーがどのような声明を出すのか、出さないのか。注目している。
[追記]
誤字を修正。
また、中国国内の反応を知りたくてデータを確認してみた。ご参考までに。
9/15昼時点の豆瓣(中国の代表的なレビューサイト)のスコア
作品名 | 公開年 | スコア (10点満点) | 最頻値 (最大星5つ) | スコアの母数 |
---|---|---|---|---|
実写版ムーラン | 2020 | 4.9 | 星2つ | 約16万人 |
アニメ版ムーラン | 1998 | 7.8 | 星4つ | 約20万人 |
実写版美女と野獣 | 2017 | 7.2 | 星3つ | 約32万人 |
アニメ版美女と野獣 | 1991 | 8.5 | 星4つ | 約14万人 |
実写版アラジン | 2019 | 7.5 | 星4つ | 約26万人 |
アニメ版アラジン | 1992 | 8.2 | 星4つ | 約6万人 |
ヴィッキー・チャオ主演版ムーラン | 2009 | 6.2 | 星3つ | 約9万人 |
アニメ版ムーランは意外と[追記] トラバで教えて貰ったが「意外と」ではなかった中国でも健闘していたようだ。レビューも楽しく読んだ。翻訳ソフトありがとう。
実写版ムーランは当初スコア4.7だったが、星3をつける人が増えて4.9まであがってきた。とは言え他のディズニー作品と比べると極めて低く、ここから他作品ほどスコアを上げるのは難しそう。
一番下のヴィッキー・チャオ主演版はディズニー関係ない中国発の歴史映画。そう、既にシリアスな実写映画は存在するのだ。
ランキング | 作品名 | 公開日 | 初週興行収入 | 累計興行収入 | 猫眼口コミ (10点満点) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 八佰 | 2020/8/21 | 約6.4億元 | 約26.9億元 | 9.2 |
2 | 実写版ムーラン | 2020/9/11 | 約1.6億元 | 約1.8億元 | 7.5 |
3 | TENET テネット | 2020/9/4 | 約2.1億元 | 約3.6億元 | 8.3 |
6 | かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ | 2020/9/11 | 約0.03億元 | 約0.03億元 | 8.0 |
日中戦争を描いた超大作『八佰』と比較するのは酷として、興行収入面は大コケしなかったといったところだろうか? 有識者の見解を聞きたい。 [追記] トラバより 少なくとも口コミ的には大コケの大コケだと思う
とのこと。『アベンジャーズ:エンドゲーム』が初週約22.3億元、『アナと雪の女王2』が初週約3.8億元ということを考えると厳しい結果になりそうだ。
[再追記]
同じ作品を見ていいな、好きだなと思っていたことが分かって嬉しい。コメントでアニメ版が好きと表明して下さった方々もありがとう。
https://togetter.com/li/1591362
ネタバレ有
上記のページに載っている話は単行本の1話目の話のようなので、物語はこれから進んでいくのだろうけど。
途中までの展開や絵柄は好みだっただけに残念。自分には合わなかった。
夏はあまりパッとしなかった反動で秋は良さげなアニメが多すぎてチェックしきれないゾ
SFだろうがファンタジーだろうが時代劇だろうが、それが作られた時代の価値観を反映するのも
20世紀後半に作ったものが現代からすると古臭く見えるのもごく普通