はてなキーワード: ファミレスとは
東京には文化があるらしい。美術館や博物館、企画展、立派な図書館、大型書店、映画館、百貨店、各種イベントの開催。
おれは絵には興味がない。
科博と東博には上野散策ついでにたまに行く。展示物への関心というよりは、博物館の空気を吸うのが楽しい。ボーッと突っ立ったりフラフラ歩き回り続けても許される、異常者にならない空間なら別に博物館でなくたっていいかもしれない。
欲しい本があればネットで買う。そもそもあんまり本は読まない。
映画は割と観るけれど、イオンシネマでもやってるような、どこでも観られるようなビッグタイトルや話題作ばかりだ。ミニシアターで観たのは『音楽』と『のんのんびより ばけーしょん』だけ。
百貨店に行って買い物をする事はない。普通のもんを買うならわざわざプロパーで買う事もない。限定品とかを追うほど金が余ってはいない。屋上でボーッとするのは好きだ。バカだから高い所が好きなのかもしれない。服は試着せずにネットでサイズ詳細の数字を見て買う。
イベントにも縁がない。ライブとか行ってみたいな〜とは思うけど、音楽を聴くだけならスタジオ盤でいいんじゃねとか、密集した人の群れが嫌だとか、色々理由をつけて行かない。
東京とは言っても23区ではないので、都下は東京じゃねえみたいな人からはグチグチ言われるかもしれない。ガチ田舎の人からも東京は東京だろと、角が立つかもしれない。
何にしても、トーキョートーキョーと騒ぎ立てられるものの正体はなんなのか、おれはあまりピンとこない。挙げられる代表例を体験していないのだから当然だ。文化資本が云々みたいな、無自覚に享受してるものはあるかもしれない。
おれの生活の文化レベルが低いのだろうか。出費として無視できないほど頻繁に、また珍しい本を買い、かつ美術館と博物館に足繁く通い、かつマイナーな映画まで網羅し、かつイベントへの参加も欠かさないという人はどれだけいるだろうか。どれか一つ、あるいはいくつかを満たすなら、別に東京ではなくても良い気もする。
違うと言えば違う。
四方を見渡しても山がある。スーパーまで遠い。駅前徒歩1分でも土地はタダ同然。
でもAmazonが届かないことはない。イオンシネマもある。話題作は観られる。イベントがあれば山を隔てて真隣の東京へ行けばいい。毎週毎日ライブやら何なやらへ行くわけでもあるまいし。
無性にバーキンが食べたくなった時には困る。ベッドタウンほどではないにしても家が建っている場所は割と集中していて、夜中に絶叫出来るような場所は近くにはないかもしれない。
祖母は近所のゴシップに熱心だ。中野の育ちだと言うので、田舎の問題なのか世代の問題なのかは謎だ。何にしても無視すればいい。ムラの習慣に付き合わないと村八分を食らうガチ田舎もあるかもしれないが、そればかりでもないはず。勝手な想像に過ぎないけれど。
長期的に住んだ事は無いから、もっと詳しい事情はあるかもしれない。給料安いとか。
おれはあまりトーキョーを感じる事はないけれど、唯一実感するのが散歩している時だ。
都心を歩くと楽しい。文化を感じるとか、そういう事ではない。理屈抜きにしてただただ歩いていて楽しい。
単に慣れない街を歩いているからか。武蔵境や国分寺辺りを歩いていても30分かそこらで飽きる。うっかり中心市街から外れれば延々と続く住宅街か、車のディーラーやファミレス、コンビニがセーブポイントのように点在する国道が繰り返される。無間地獄だ。
日野を歩き回るのは中々楽しかったけど、それは夕闇通り探検隊補正が多分にある。この聖地巡礼もまた東京の文化とやらの一つなのかもしれない。
都心を歩いていると、なんとなく町ごとの雰囲気というか、特色のようなものを感じる。フラフラと歩いて景色の移り変わりを楽しんで、そして景色が移り変わり続けて尚も駅前のように華やかな景色がずっと続く。
神田と上野の間辺りを歩いてると、特にそう思う。市ヶ谷の神田川?沿いも、聖橋の辺りとかすごくトーキョーだな〜って思う。それが文化かどうかは分からないし興味もないけれど、歩いてるとなんだか楽しい。
文化がちがーうって書いてるけどおんなじだよね。何も違わないわ。
「性的に見ようとする視線と「あくまで体のパーツであって授乳は隠すものでもない生活の一部」という当事者の視点の戦いなので、海外がこうだから……と安直に取り入れられない。時間がかかると思う。」
まあそうですね、と思うんですが、ウーマンエキサイト記事の「授乳室が増設、完備されることは素晴らしいことですが、逆にそちらに追いやられ、ますます外での制限が増えてしまうのではないかということが心配なのです。」も当事者の視点ですよね。なんで今回だけこっちの視点一色になってるのかは気になる。
なぜか同じことを言いながら反論調になってるけど、結局のところ好きな場所で好きなように授乳したい、でもやらしい視線を向ける人がいるってのが元々ある中で(これは場所を選べば授乳ケープでなんとかなりはする、人気のいない場所でカーテンだけとかは無理)、女性すら人前でやるなって人が出てきて(たぶんこの人も抑圧されてだんだろう)ファミレスの座席で授乳するのも難しくなってきた。女性ですら排斥しようとするなら授乳する場所ないじゃん!授乳室増やして!ってのが流れなんじゃないのかなあ
そんな人は地域の図書館や貸し自習室、ファミレスやネカフェなどを使うことが多いだろう。
だが最も勧めたいのが大学図書館だ。
地域住人なら無料ないし格安で利用できることが多いし、卒業生もたいてい入ることができる。
もしくは科目等履修生や通信制大学なら入学しても大して費用はかからない。
また、土日だとたいてい空いているし、元気のよろしいお子様もいらっしゃらないので快適この上ない。
ついでに本も地域の図書館にないものが読めるし、利用頻度が低いので綺麗なことが多い。
混んだら嫌なので教えたくない気持ちもあるが、この情報を知っている優越感を味わいたいので増田に書く。
読んだ人は知るだけ知って来ないようにしてほしい。
コンビニ利用時のポイントが多いので加入してみたのだが(現在7%)、現状、いまひとつ使いづらい。
コンビニやファミレスは7%つくけど、他は基本0.5%なのでヨドバシの1%に負ける。
コンビニはちょくちょく使うので、コンビニやファミレス利用だけで構わないと思ってたのだが、その結果、nanacoカードがいざというとき使えなくなったのが地味に痛い。
自販機とか、ちょっとしたときnanacoが便利だったのだと気づく。
クレジットカードがいくらタッチ決済になったからといって、明細が出てこない自販機まで普及するのは遥か先だろう。というか利用額のチェックできなくてヤバそう。
仕事的に深夜に昼に自動車移動しまくるし、自販機もコンビニもどっちも使いたいので、
コンビニでしか使わないカードというのは思ったより不便というか、元から使ってるカードと入れ替えられず、持ち歩く枚数が1枚増えることになっている。
私はカードゲームは全くやらないが、アニメやゲーム等の分野のライトなオタクであり、オタク友達もある程度いる。
そんな私が先日買い物に行くとどうやらその商業施設内のカードショップが催事場的な場所でカードゲームの大会を行っていたらしく、多くのカードゲーマーが集まっていた。
カードゲーマーの知り合いはいないがネット上ではよく「カードゲーマーは臭い」というのが話題になっているのは知っている。
カードショップが風呂に入ってくるように掲示したり、カードゲーマーがファミレスに集まって周りから臭いに苦情みたいな話はネット上に生息していれば誰でも見聞きしたことがあるだろう。
なので近くを通った時には「なんとなくここだけ空気がよどんでる気がする」みたいには感じたが、まぁそういう先入観があるからかもしれないし、あれだけの人数(大半が男)が集まってればカードゲーマーでなくてもそういう物なのかもしれない。
むしろ、臭いよりもそこにいたカードゲーマーたちに対しては別の違和感を覚えた。
前述の通り私はアニメやゲーム系が好きなオタクはそれなりに見てきていると思っている。アニメ系のショップに行ったり、アニメのライブイベントに参加したり、もしくはコミケで友人のサークルの売り子をしたりしてきたので「アニオタ」の一般的なイメージは出来上がっている。
対してカードゲーマーも一種のオタクだと思うのだが、しかしその催事場に集まっていた人たちはどうも私の知るアニオタとは雰囲気が違うように感じたのだ。
何が違うのか。失礼を承知で一言で言ってしまえば・・・カードゲーマーは、大きくなった中学生にしか見えなかったのだ。それもいわゆる陰キャの中学生である。決してサッカー部や野球部ではない。
私は別にカードゲーム自体に対して偏見は無い。ボードゲーム類(いわゆるドイツゲーム)は好きでよく遊んでいるし、カードゲームもそういう面からは面白いんだろうなとは思っている。
だがそのカードゲームで遊んでいる人たちが、どうもなんか「大人」に見えなかったのだ。
まず服装に対してそう思った。
例えばよく分からないプリントがされたTシャツを着ている人がかなり多い。あんまり良い大人がそういうの着なくない?というファッションなのだ。
カードゲーマーが臭いのは風呂に入らないからではなく服を洗わないからだ、なんて言われたりするが、もしかして中学生の頃に買ってもらった服を延々と着続けているのではないだろうか。
次に髪型。
これもまたなんか子供っぽい髪型が多いように思う。なんというか密度が高くてもっさりしていて、床屋で長さだけ短くしてもらって何か月か放置してぼさぼさ、髪質もガサガサだったりべったりしているような感じである。
社会で働いていれば、オシャレに興味がない人だとしても定期的に美容室である程度整えるのが普通じゃないのかなと思うのだが、多分彼らはそんなことさえ興味がないのかもしれない。
さらに・・・これこそ差別的な発言かもしれないが正直思ったのは、カードゲーマーは顔つきが幼いのだ。いや、締まりがない顔と言ったらよいだろうか。
口が半開きで、はっきりとした表情が無い。無表情か、なんか薄笑いのような感じ。表情筋が鍛えられていないのか、笑顔にしてもとてもぎこちなく感じる。
子供の頃の大人しく目立たなかった男子たちってそんな顔をしていたなと思うが、大人になったら中々そういう人たちってあまり見ないように思っていた。ただ単に生息している場所が違っただけなのだろうか。
この辺りのことは「カードゲーマー オタク」なんかで画像検索してもらえれば私の言っていることが伝わるんじゃないかと思う。
よく分からないプリントT、野暮ったい髪型、締まりのない顔・・・そういう写真が沢山出てくる。
正直言ってしまえば、彼らには「社会性」が感じられない。普通に社会に出て普通に働いていればそうはならなくない?と思うのだ。時間が中学卒業時点で止まっているんじゃないだろうか。
どうしてカードゲーム界隈がそういう人たちばかりなのかはよく分からない。もともとそういう人たちがカードゲームにハマりやすいのか、カードゲームにハマった結果その界隈に染まっていってそうなったのか、もしくは「普通」の人たちはカードゲームに出会っても私と同じように違和感を覚えてその中に入って行こうと思わないということなのか。
なんにせよ「濃縮」された空間であることはひしひしと感じたし、ボードゲーム好きとしてカードゲームにも興味を持ってはいたもののその中に入って行こうとは思えなかった。私だって別にオシャレしているわけでもないただのアニオタではあるが、それでも社会人として働いている私がいるべき場所ではないと感じた。
あれは正直「風呂に入る」とか「洗った服を着る」とかの問題ではないと思う。それは対症療法としては必要かもしれないけど、カードゲーマーたちの中身からガラッと変わらないといつまでもネット上では「カードゲーマーは」と言われるだろうなと思う。
アニオタたちは昔に比べて大きく変わった。20年ほど前は秋葉原に行けば「いかにも」なオタクばかりであったが、今は秋葉原に行ってもそういう人たちを見ることは殆ど無い。アニメ系のショップも、イベントも、コミケでさえも、社会に出て違和感がない「普通」の人たちが多い。
これは紆余曲折合ってアニメという物が市民権を得てきたからだろうなと思うが、カードゲームの場合は狭い閉じた世界なのでこのままずっと変化がないのかもしれない。せっかく面白いゲームだったとしても、カードゲーマーがあれでは中々広まることはないだろうなというのが今回の感想である。別に彼らからしたら仲間内で楽しめればOKで広める必要もないのだろうが。
ファミレスを享受せよってゲームやって深夜のファミレスに行きたくなった
でもバイト終わりに行くと帰る頃には電車なくなる時間になるから2kmを徒歩で帰らないといけない
いつもは行かないファミレスになんとなく行った。
料理が美味しいわけじゃないのは分かっていたが、それ以上にピーピー喚くガキが多い。
ファミリーと名がつくだけあってそう言う場所なのだ。そこに行って不快に感じる自分が110%悪い。
もうちょっとまともな飯を食わせた方が良いのではないだろうか。食育なんぞ知ったことではない層が来ているのだろうか。
第一子。実感はまだない。
先日、妻とどんな子に育ってほしいか話し合った。
そこで共通していたのは「ちょっとした校則違反をするような子ども」だった。
けど、スカートの丈を少し短くしたり(今どきはあまりいないだろうが)、先生に内緒で学校で友達と漫画の貸し借りをしたり、入ってはいけない屋上に部活の先輩から受け継がれた鍵で侵入して友人と夕日を見たりしてほしい。
ほんの少しだけ色がつくようなリップクリームを塗ってみたり、小学生のときは友達と学区外まで自転車で探検したり、合唱コンクールの打ち上げを子どもだけでファミレスでやってほしい。(最後のやつは何ヶ月か前に増田で見た)
自分たちが学生の頃を思い出しても、ちょっとした校則違反をしていたやつの方が要領がよくて、その後の人生も上手くやっている。
「校則なんて破っていい」なんて子どもには口が裂けても言わない。
だけどさ...
親ってみんな、ちょっとぐらい校則違反をするような子どもになって欲しいと思っているんじゃないのか?
昔、三者面談のときに先生が「まぁでも増田くんは大丈夫ですよ」と苦笑いしながら言った。
何度かしょうもない校則違反をしたことを母親に報告しながらそう言った。(確か立入禁止になっている旧教室がある棟をクラスの友人たちと探検したのがバレたとか制服の着方がとかなんとか)
いや、考えるまでもない。
だって一度も校則違反をしないようなやつの方が明らかにヤバいのは誰が見たって分かるもん。
そういうわけで、結論はこうだ。
親としては校則違反をしてはいけないと子どもに言い聞かせる。だけど子どもはちょっとした校則違反をする。叱る。
叱るけど本当はまんざらじゃない。
普及する前は、
「人の温もりがなくなる」とか「問題やクレームが増えそう」とか言われていましたが、
むしろ配膳ロボットにみんな癒されて、みんな配膳ロボットに協力的な気がする。
(通ってたら避けてあげたり、隣のお客さんが料理の到着に気づいていなかったら声かけてあげたり、ご苦労さんと言って食事を受け取ったり)
なぜロボットに癒されて協力してあげるのか🤔
「できなさ」
なのかなと思った。「配膳しかできない」なりに頑張ってると見えるからなのかな。
「恥ずかしい言葉」は、その単語の発音を恥ずかしいもの、卑猥なもの、人前で言ってはいけないもの、として、社会みんなでその恥ずかしさを維持しているのた。
子供の時は、辞書の「セックス」のページを開くのも躊躇われ、中学になると「Sex」が丸で囲われた。
中1までは「勃起してんの?」と大声で言う女子がいた。保健の第二次性徴期の単語は割り切った。これを静液と言う。
大学の時はパソコン通信の東京がらくた工房で、JONなるハンドルが「スマンコ」と謝罪しながら何かを言い切る、言わばマントラを作り出し、僕は驚愕した。後に「スキャット マンコ JON」を一度だけ名乗り、その一度が僕の中では今でも続いている。
閑話休題。時は流れて、20代後半のときは2ちゃんのおかげで「マソコ」や「チソコ」と女子も言いやすくなった。ネットスラングの体で言うのだ。「私のマソコも濡れて来ましたよ」。
大阪の女の子は、「その、東京で言う『ま』からの言葉は別に言えるしそうでもないんですけど、同じものの大阪て言う言葉かあって、わかりますよね?、そっちの方は、もう、本当に恥ずかしくてひゃあってなる。その、名前の意味じゃなくて、その行為をすることの意味にもなっていて」「どんなふうにいうんですか?」「えっ、その。。お、おめこしようや。。とか」「へえー」。
その時17歳の女の子は「どこが気持ちいいのかなー?」「え、言えない://」「私のおまんこ見てくださいって言って」「言えない、恥ずかしくて」だったけど、22歳になって見た目も大人びたその子に「今はもうまんこって言えるの?」と聞いたら、「大人になったからってまんこなんて言えませんよ、今言っちゃいましたけどね」と少し早口で言い切った。
時に、さっきまではそんな感じじゃなかったのに、エッチのときに「ペニスが、あなたのペニスが!」と、声に出すことによってより性的興奮を高めたいんだけど、いつも言ってない単語だからちんちんともちんぽとも言えなくて、英語ならハイソ風だしおかしくもないだろうとペニスと言う女性。ピロートークのとき、「まんこ気持ち良かった」「(うんうん)」「私のまんこがって言って」「わた、しの、おまんこ、が。なんか恥ずかしい」。ワイが女性の股間を触りながら、「おちんちん大好き」とリピートアフターミーすると、女性はワイのちんこを触ってきながら、「僕はけいこ、私本名けいこって言うんだけど、僕はけいこの全てにメロメロですって言って」「僕はけいこの全てにメロメロです。顔も身体も気持ち良くてエロいまんこも、髪型も物静かな性格だけどエロくて女の子っぽいところとか、」「本当に?すごく褒めてくれて嬉しい。んーっちゅばっ。キスしちゃった」「僕もお返しに、ちゅっ」「なにかして欲しいことある?なんでもしてあげたい」「ではー、ではー、」。
今、朝の京浜東北線の中で書いてるけど、強姦魔も通勤途中の女性を襲ったら、成功率は下がるだろうな。女性も会社に遅れることが問題で、前向きに抵抗または回避するだろうな。徹夜明けで平日の朝の町に出たとき、いつも考えてた。
さっき、隣の若い女子が明らかにワイの体に頭を寄せて寝ようとしてた。直に伝わる体温が熱くて艶かしかった。結果としてもたれかかるんじゃなくて、最初から狙いを定めることもあるんだな。
一晩せっくす3回した女子が、朝食でファミレスに行って料理を半分こしたり間接キスしたり「ノーパンノーストだからスースーする」とテーブルの下でスカートを扇いだり、結局また昼からホテルになんだけと、部屋に入ってすぐに鏡に向かって化粧直しをして、「すぐ用意するからちょっと待っててくださいね」と髪を縛って。なんの用意かな。
彼女を気取りたいからそうするのだ。多分料理とか作りたいだろうな。私だけの君になって欲しいよだろうな。大事にされたいんだろうな。真剣にずっとそう考えててほしいんだろうな。僕が今までとは違う人生に連れていってくれ、、、
「私のお尻って可愛くない?」と見ると、大きな丸いお尻があった。「可愛くて、後ろから目で追っちゃうような」と適当に言って、触ってキスをすると、「私と結婚したい?」と普通に言った。「結婚したら毎日会えるの?」「セックスは週に2回かなー。でも最初は毎日しちゃうよね。そしたら妊娠もして、もう一人産めるかなー。今日、多分大丈夫な日だから、生でしてみる?ナマって下品に言っちゃった。避妊具着けないで中で射精してみる?」「赤ちゃんできちゃう。。」「その話をしてんの」
学園祭が終わった夜、部活の同級生4人でオールをしようということになりカラオケか雀荘か漫喫に行く流れでまとまったのだが(今は知らないが、当時は詰襟のままでも平気で入れてくれる所は新宿渋谷池袋あたりの繁華街まで足を運べば必ずあった)、1年生の後輩が自分も付いて行きたいと言い出した。
「お前は家に帰れ」と皆で説得したけれど、どうしても一緒に行きたいとテコでも動かなかった。結局、「学園祭の日だから特別に親の許可が出てるんです」の一言で仕方なく後輩も仲間に入れることにした。
翌朝、俺は母親に叩き起され、顔を真っ赤にした父親から今までの人生で一番迫力のある説教を喰らい、挙句ビンタまで御見舞された。
後輩の母親が俺の家へ「嫌がってるうちの子を無理矢理朝まで連れ回すとは何事か」と猛抗議の電話を寄越したのだ。
週明け、早速俺は昼休みに後輩のところへ行き
「お前とはもう絶対に遊ばないけど、お前んとこの母親に会わせろ。学校休んででも時間合わせるし家まで行ってもいいから絶対に会わせろ。クソすぎて納得いかねえ」
と申し入れたところ、
その日の夕飯時にやはり我が家に電話がかかってきて(母親は1時間ぐらい受話器を手にしたまま謝り倒していた)、「お母さんもう死にたいよ」と泣かれた。
この時まだ父親は帰ってきていなかったが、まもなく自分に訪れる未来を想像したらおっかなくなり、大急ぎで貯金箱の金を全部財布に入れて家を飛び出し、携帯の電源を切り、わざわざバスに乗って、少し遠めのファミレスに避難しそのままそこで夜を明かした。
午前7時台の東海道線に乗り終点の沼津駅で降りてずーっとプラプラしていた(沼津東?高校の近くの海岸が絶句するほど綺麗だった)。
昼過ぎ頃、恐る恐る携帯の電源を入れて着信履歴をチェックしてみると、確か妹から3回くらい、同級生たちから20回くらい、学校から5回くらい、家からは本当に数えれないくらいの着信があった。
いよいよ観念した俺はそのまま東海道線に再び乗って学校に行くことにした。家に帰る勇気はとてもじゃないけどなかった。
夕方頃に職員室に顔を出すと、たまたま担任がいたのでそのまま別室に連れていかれた。
「いや全然。それよりおうちの人みんな物凄く心配してるから絶対に今日そのまま帰れよ。お父さんもお母さんも怒らないから絶対にそのまま家帰れよ」
「わかりました。ていうか先生、学園祭のあとのこと知ってます?」
「はい。……でも俺、〇〇の母親にまだ死ぬほどムカついてるし頭パーだと思ってますけどね」
「もういいからそういうことを言うな」
結局、担任の言う通り俺は家に帰っても母親父親のどちらからも全く怒られなかった。
翌日、学校では「親と揉めて家出」という行為を周りから死ぬほどからかわれたが、そのまま何事も無かったかのように学校生活に戻り、部活にも復帰した。
後輩との関係も元通りに……ということは全くなく、結局俺は卒業まで彼と一言も口を聞かなかった。視界に入るのも嫌だったので部活辞めて欲しいくらいだった。
産まれてから数ヶ月しか経ってないのに早速、自分の内面的変化を感じていて「親になるとこうも意識を変えられてしまうのか」と驚かされる。
当時のことを親になった者として改めて考えてみたのだが……
やはりどうしても謝り倒して涙を流して俺を叱責した母親、引っぱたいた父親の気持ちが全く分からないし、
我が子の無謬性を疑わずにひたすら怒り狂って抗議に抗議を重ねた後輩の母親の気持ちも全く分からない。
もしも将来、俺の子供が学園祭のあの日の俺と同じことをしたとしても、損をしないよういくつか忠告はするけど絶対に怒りはしない。
後輩と同じことをしたとしたら再三再四
「無理矢理連れ回されたなら向こうの親御さんと話をする。その前に確認するけど、嘘はついてない?あと、何となく断り辛くて不本意ながらついて行ったとかは100%自分の責任で無理矢理には当てはまらない。思い出してみて?本当に無理矢理連れて行かれたの?」
好みじゃないから行きませんけど、マックもファミレスもご飯を食べるところです
そしてファミレスで働いていました。
小さなの子様連れも気軽に来ていただいてよいのですが、騒ぐ我が子を言葉だけで注意する親の大半が
「だって小さな子供なんだから。こっちも大変なの。小さい子がいたら外食しちゃいけないの?仕方ないじゃない。こっちも精一杯なのよ。わかってよ。子供を持つ親のことも、小さな子供は騒ぐということもわかってよ」
なスタンスの方が多いです。でもそういう人って確実に自己中心です。
なぜなら、。ファミレスは小さなお子様連れもいますが、食事をされている他の方もいます。ようは「食事をする公共の場」です。
「我が身大変だから周りは我慢しろ」と遠回しに言って周囲への配慮がないんです。
ファミレスで働いていると「いい子」「うるさい子」ではなくその「親」の在り方が子供の行動につながっていることが良くわかります。
おもちゃコーナーにて。触るのはいいです。でもその後車などは床に置いて遊びだしたり(売りもんですよ・・・)、触ったおもちゃは適当な場所に戻す。本来「ダメよ!そんなところで遊んじゃ」と床に商品を置くことを咎めますがそれをしない、子供が出して適当に戻すのをきちんと元の場所に戻してくださる保護者の方のお子さんは、その後の食事の行動も違います。
そんなこんなで・・・・「おとなしい子はいい子」だとは思いません。保護者の方がきちんとファミレスは公共の場。公共の場での行動をきちんとされているんです。途中飽きて泣くお子さんがいるときも対応が分かれますよ。
とりあえず席を立って「済みません。荷物をあづけますので子供を外であやしてきていいですか?」と外に出られる方。
逆に「はいはい・・・あらあら静かにしようね」と騒ぎ続ける子をそのままの親。
いろんな方に来ていただいて、食事を召し上がっていただくのがファミレスです。
「食事をするところ」でいろんな方が「食事を楽しまれる場所」です。
「自分さえよければ」と思うことで周囲を思えないのは残念ですね。
我が家は今3歳と1歳がいます。外食はしません。やはり周囲に迷惑をかけるだろうことが予想されますから。
ではなく
「周囲に嫌な思いをさせるのが嫌」なんです。
子供は数年すれば、外食先でもきちんと食事ができるようになります。
自分自身も子供とともに外食を楽しみたいのであれば、子供が楽しんで外食できるまで考えることも「親としての躾・教育」だと思いますよ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11147943106
女で逆の立場です。
私は食事への興味が薄め、彼氏はかなり食事が好きでこだわりもあるタイプです。
逆の立場の人間がどういったことを考えているのか、彼氏とどう折り合いをつけているのかを一例として書きます。
長いですけどすいません。
私は1人の時はあまりちゃんとしたご飯は食べません。生野菜を齧ったり、シリアルを食べたりしてます。
なんとなく体感で「そろそろ普通のご飯食べた方がいいかな…」って思った時や、気が向いた時に外食したり、お弁当買ったり、自分で料理を作ったりします。
ただ1人の食事となると「面倒」な気持ちが勝つので適当に済ませてしまいます。
食事の内容を考えたり決めたりすることを「手間」「労力」だと考えてるので、基本的にやりたくないです。
自分が何食べたいか分かってる時はそれに従えばいいんですけど、基本的には無いというか分からないので考えるのめんどくさいし適当、決まったもの食べればいいやって感じです。
毎食ちゃんと美味しいもの、違うものを食べたいと思ってるそうです。
食べること自体も好きだし、何を食べるか考えたり店を調べたりするのも好きみたいです。
あんまり食べたくない気分だけど彼氏に付き合って食べてる時も正直ありますが、苦ではない程度です。
本当に食べたくない時は「今は食べたくない」と言うようにしてます。
「付き合わせてしまってるのでは…」と不安ならば、「本当に食べたくない時は言ってね」と伝えたら良いと思います。
彼氏は食べたいけど私は食べたくない時は、外だったら彼氏は食事、私はお茶するだけにできる場所(カフェやファミレス)に入ったり、毎回話し合って決めます。
常に毎食食べたいものが同じ人間っていないと思うので、程度は違えど毎回話して決めるしかないものだと思います。
1人だと碌な食事しないので彼氏に助けられてると感じる部分もあります。
色んなものが食べられるし、人と一緒に食事することは好きなので。
そんなに毎日毎食何が食べたいか分からないので、提案してもらえたり決めてもらえるのはありがたいです。
「何食べる?」って聞かれると、もう何食べるか考えなきゃいけないのか…考えるの怠いな…勝手に決めてほしい…って思う時もありますけど、私の意見を聞いてくれること自体はありがたいなと思います。
食へのこだわりってグラデーションだと思うので、こだわり度が離れていればいるほど共同生活はしづらくなるかと思います。
彼氏さんは全く食事が嫌いという訳ではないようだし、一緒の食事は楽しいと言ってるならそれを信じてあげれば良いんではないでしょうか?
不安に思うのは、彼氏さんの言うことを信じられてないからですよね?多分。
私みたいに食事に付き合わされることを割と助かってると感じてる人間もいるので、彼氏さんから不満言われたりしてないなら良くない?と私は思いました。
何を不安に思ってるのかいまいちよく分からないんですけど、自分でもそこがはっきり言語化できてないならちゃんと考えた方がいいと思います。
ただ彼氏さんが不満を言えてない可能性も0ではないのでそこは対話してください。
極端に決定的に食への方針が違う場合付き合い続けるのは難しいとは思いますが、本当にお互いストレスになるくらい折り合いがつかないのかは、食事について色々話し合ったりして判断するべきだと思います。
ライトなものはファミレスや飲食店・ショッピングモールの動物園化
深刻なのは下記かなぁ
https://anond.hatelabo.jp/20230909223552#
発達障害って遺伝しやすいというのと、(故人なのでエピソードだけ聞いた医者によると)おそらく発達障害の父にDVされてきた母が「父親は発達障害だった」「叔父は〇〇みたいなところがあるから発達障害」「義父も〇〇なところが発達障害」「全員発達障害だから父の異常性に気づかなかったんだ」と何でもかんでも発達障害扱いするようになり本当に嫌だ
言われれば確かにそういう感じするけど、医者でもない人が自分がそう感じたからってなんでも発達障害扱いするのはおかしいだろ
少なくとも思うのはいいけど、病気とかセンシティブな内容だし事実かどうかも分からないことを言葉にしちゃいけないよ。って諭しても納得しない
ファミレスで「あいつもこいつも発達障害だ」と熱弁する母を諭さねばならない虚しさよ
その影響か、SNSで「子供がイヤイヤ期で〜」みたいな投稿に「私もこういうことあったらしいです!発達障害です」とか「うちの子もこんな時期ありました、ADHDでした。納得するまで抱きしめてあげてください」とかリプするやつらも気になるようになってしまった
でもよくよく考えると他人の子供に「お前の子供発達障害かもね!?」って無邪気に言い放つのヤバすぎだろ
それがわからないのが発達障害だと言われたらそれまでなんだけど、医者でもなんでもない現代社会で生きづらいだけの素人が「それ発達障害かも…」とか神妙な顔で言い出すのはおかしいと思わないのか…
仲の良いとても大好きな友達から、妊娠したという報告があった。
嬉しいと思う反面、どこか遠くに行ってしまう感じがして寂しくなった。
私は彼氏なし独身のため、前からその子とのライフステージは違っていたけれど、子供が産まれるということでそれが明らかになったような気がした。
前みたいにファミレスで夜中までおしゃべりしたりすることはもうないのかなと寂しくなる自分がいて、大人げなくて嫌になった。
彼氏いないし、結婚もしていない自分がこれからの彼女に友達として寄り添ってあげることは難しい気がしてきた。(別に寄り添わなくても旦那さんがいるから良いんだけどね。)
こうやって、友達って減っていくんだろうなって思った。
はぁ、婚活しなきゃね。