はてなキーワード: ノートパソコンとは
今でもたまに思い出す。
心の整理のために綴る。
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ある年の12月31日、近所のお寺さんの年越しのお手伝いをしてから、1月1日の朝の電車に乗って実家に帰ることを予定していた。
両親にもそう伝えていた。
年越しの手伝いだったので深夜の2時ごろ自分の家に帰ってきた。
手伝ってくれたお礼としてお菓子をもらっていた。
昼頃には実家に着きたいと考えていたので、逆算して朝6時には家を出なければいけなかった。
これはもう寝れないなと考えた。
そしてまだ帰省の準備もしていなかった、すぐに手を付けた。
家中を引っ掻き回した。絶対にそんなとこから見つかるわけないとこまで引っ掻き回していた。
捜索のためというより、アレは物に当たっていただけなんだと思う。
パソコンを、ただ実家に持っていきたいだけなのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろうと考えてたことを覚えてる。
もちろん家中がぐちゃぐちゃになった。
深夜とかどうでもいいくらいめちゃくちゃに泣き騒いでたと思う。
途中でカバンが置いてる場所にも気が付いたけど、それで落ち着けたはずもなかった。
とにかく片付けをしなきゃいけないし、でも帰省の準備もしなきゃいけない、深夜まで働いていたからシャワーも浴びたい。
そんな色々なことを考えていたかどうかは覚えていないけど、でも気づいたら放心状態になっていた。
散らかったままの部屋で、なんかもう全部めんどうになって、布団を被って寝た。
実家には帰らなかった。
後で、心配させるようなことを言ってしまった自分の迂闊さには気付いた。
母が家に来ると言った。
こんな状態を見られて、母が心配しないわけがないと分かっていた。
来ないでと伝えることすら甘えてるみたいで嫌だった。
母は結局家に来た。
部屋の片付けはぜんぜん出来てなくて、ぐちゃぐちゃのままだった。
心配してもらいたいみたいで嫌だった。
母はやっぱり心配そうな顔をしていた。
なんで?って言われたし、どうしたの?って聞かれたし、いつから?って呟いていたのを聞いた。
全部に答えるのが億劫だったし、私はとにかくずっと泣いたり鼻水を出したりしていた。
そんな私の姿を見て、母も泣いてた。
やっぱりなって思った。
だから来ないでっていったじゃん!!って、心の中でめちゃくちゃキレてた。
何しに来たの?ってめっちゃ聞いた気がする。
鼻すすりながら。
何しに来たの?って聞いた。
母さんは私の部屋の掃除をしに来たの?って聞いた。
今でも嫌だと思う。
どうしたの?って聞かれて嫌だった。
どうしたのかどうかなんて、自分が知りたい。
色んなことが積み重なってこうなってるんだと思うけど、説明がぜんぶ面倒だったし、それを全部説明してもどうにもならないのは分かってた。
母は私の救世主ではなかった。
自分でもそれは分かっていたはずなのに、心配させるようなことを言ってしまった自分が嫌だった。
心配させたくてこんなふうになった訳ではなかった。
時間が経って少しだけ私も動けるようになってたと思う。あんまり覚えていない。
母の帰り際をよく覚えている。
頭の中で、ずっと大声で寂しい!寂しい!寂しい!という声が鳴っていた。
気が緩んでしまったら、すぐにでも泣き叫んでしまいそうな衝動だった。
けど母にも仕事がある。
私は結局寂しいとは言えなかった。行かないでとも言えなかった。
かわりに私は近くのバス停まで母を見送って、来てくれてありがとうみたいなことを伝えたと思う。
部屋に戻って、シンクに残った母が使ったコップを見て、また泣いたことを覚えている。
この日のことを覚えいている。
結局、私は一番に信頼する母にすら素直に何も言えないんだと痛切に思い知った。
自分のそういった性質をわかってるつもりが、分かってなかった。
この日のことを今でもたまに思い出して、泣きそうになる。
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私はレジ打ちのバイトをしていたのだが、人手が足りず希望の時間よりも少し早い時間にシフトに入ることが増えていた。
学校の研究に費やす必要のある時間を削り、バイトに足を運ぶ日々が続いていた。
そんな生活なのでもちろん、学校の研究がままならなくなってきた。
教授には「バイトが忙しくて」と(今考えるとあんまりな)言い訳をしていたが、「バイトも大変だろうけど、研究もちゃんとしようね」と言われた。
温厚な教授にそのように言われて、さすがにマズイと思ってバイトを辞めることを考え始めた。
一度母に相談して、「辞めるのはやめたら?」と答えられた、
そうかあと思っていた。
でも、そうだね、辞めていいんじゃない?って言葉が欲しかったんだと思う。
バイト先の店長に、来月のシフトは少し減らしてくださいと伝えた。
3~4日後のシフトの時に、「シフトは調整したけど、そういうことはもっと早く伝えてね」って言われた。
大学の教授からも、店長からもどちらからも封じられたような感覚があった。
ある日レジ打ちのバイト中、商品の袋詰の途中でお客様から「袋2つにまとめてくれます?」と注文された。
で、全然うまく袋に詰められない。
ウンウン唸って、最終的にすごい適当に詰めた気がする。
そんなんでいいのかよ、じゃあいちいち面倒な注文つけんなよ、って薄暗い気持ちがワッと湧いたことを覚えている。
めちゃくちゃに涙が浮かんだ。
でも、バイト中だし、なんなら今会計中のお客様は全く無関係だし、ぐるぐる考えれば考える程、手が震えていった。
急に全部めちゃくちゃな気分になって、その場にしゃがみ込んでしまった。
もう気付いたら涙が止まらなくて、前も見えないし、立ち上がれもしない。
でも「これでやっとバイトを辞められるな」って冷静に考えてる自分もいた。
バックヤードで社員さんと話をして、バイトを辞めたい意思を伝えた。
「なにか、悩みでもあるんじゃない?」と心配の言葉をもらった。
何もありません、と答えたらきっともっと心配されると分かった。
いいえ、とにかく研究が忙しくて。と答えた。
バイト先の先輩後輩、社員さんもパートさんも本当にみんな良い人だった。
ただただ私の心の問題だったと思ってる。
あんなに良い職場を離れたのは、すこし勿体なかった気が少ししている。
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本当に先に辞めるべきはこっちのバイトだった。
先輩から紹介された。
いつかレジ打ちのバイトを辞めて、こっちのバイトに専念できるようになったらいいなと思ったのだ。
(紹介された時期、「なんかうつっぽいな」という気持ちがあったので、なにか新しいことを始めて気を紛らわそうという思惑もあった気がする)
在宅でできるらしいし、きっと気軽にできる気がすると思っていた。
このバイトが最悪手だった。
もうあんまり詳しいことは説明がたいへん面倒になるくらい、今でもよく分からない職場だった。
簡単に説明すると、デザインの会社で、デザインを手伝う仕事だった。
最初、面接と聞いて、学校で話すのだろうと思っていたら車で隣の職場まで見学?することになった。
私は一体どのように雇われてるのか、まったく宙ぶらりんのままで、気付いたらたぶん私は働くことになっていた。
デザインの現場はそういうものなのかなと思って、とくに何も口出しはしなかった。
(今でもよく分かってないが、そういうものなんだろうか。
何もかも、今でも納得がいっていない。
何に従えばよかったのか今でも分からない。
なにも分からなくて、ただただ疲労した。
時給、800円くらいだったと思う。(これも聞かされてなかった)
ぜんぜんお金にならない。
なにが勉強だよ、ふざけやがってと今は怒ることができる。
もう遅いけど。
1月1日に母が来たあとのこと、自分でもこれはだめなやつだと自覚し始めて、この仕事もちゃんと辞めようと決意した。
契約書も交わしていないのだし、気軽に辞めてやった。
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あれは鬱だったんだろうな、と思う。
私はあの頃、「鬱にでもなってしまいたい」とよく考えていた。
精神科に言って、鬱ですよって診断書を貰えれば、なんか全部解決するんじゃないかなって思っていた。
近所の病院は人気で予約して1週間から3週間くらい期間が必要だったからだ。
基本的に昼間は元気に動けていた。
でも夜になると急に泣き出したりしていた。
たまに昼間も元気が出なくなって、布団をずっと被るだけの日があた。
寝て起きて泣いて寝てを繰り返す日があった。
あれは鬱だったんだろうな。
ずっと頭にモヤがかかっているような感覚がある。
集中力があった頃を思い出せなくなっている。
たぶん病気にかかっていたんだと思う。
もう元には戻れないんだと思う。
今、バイトは全部辞めて、お金が無いなりに楽しく過ごしている。
それでもたまに、色々なことを思い出して動けなくなる。
中学や高校にあった悲しいことまで思い出す、あれももしかしたら、鬱だったのかもしれない。
私はこれと、一生付き合わなければならないのかもしれない。
まあ古いノーパソだったから、一部のキーボードが効かなくなっちゃってね。
これが結構調子良くってさ、どこかに書き殴れる場所がないかと思って
あそうだ増田があるかと思って書いているんだが。
考えてみたら、思い起こしてみたらだね、
しばらく長文書くようなモードになってなかった理由のひとつとしては
こういう風にスラリスラリと書くことができなくなってたんだな。
「おいグーグル」とか「こら尻」とかですべてができるように
なってきてるわけで、カタカタカタカタかkたかたとこうやって文章書く機会も
ずいぶん減っていたなあと今更ながらに気がついているわけです。
キーボードの反応が悪うなっていくわけでござんして
反応が鈍くなるってことはそれだけニンゲンのバカ化が進んでいるってことよな
やっぱカタカタかたかたktktうるせえっていう古いキーボードの方が
なにか書いてるって気分になるよな
なにがいいたいかというと
新しいノーパソ買うのとか勘弁してほしいってことよな
いろんな機能つけるまえに水深100メートルでも使えるみたいな
外装をしっかりさせなさいとこういいたいわけですよ
おわり!!
(4/18追記)
今日見たらホッテントリ入りしていて驚いた。厳しい意見を含め、コメントはすべて読ませてもらいました。皆様ありがとうございました。
翌日落ち着いてから続きを書いたので、良ければ読んでください。
https://anond.hatelabo.jp/20180417154847
あと、ひとことだけ。泣いてからはもちろんデッキに移動したよ。移動前に隣に声をかけようとしたんだ。
耳栓がどれだけ優しい譲歩だったか、今は身に沁みています。本当にありがとう
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子供と二人で新幹線に乗った。予約した席は通路側で、窓側には先客がいた。若い女性だったのでほっとしつつ、会釈を交わして席についた。
出発後20分も経たないうちに子供が泣きだした。あやしながら、まずは隣に謝ろうとしたんだけど、彼女は無表情のままノートパソコンを閉じて耳栓をとりだした。話しかける隙がない。そして、こちらに目もくれずに耳栓をして寝る姿勢をとった。なんだかそれが、すごくショックだった。
みんなが子供を好きじゃないことは知ってるし、ベビーカーにあからさまに舌打ちされた時もあるけど、女性には比較的親切にされてきた。隣の人に文句を言われたわけでもないし、舌打ちもないし、嫌な顔さえされてない(多分)。何もなかった。その我関せずの態度が、何故かものすごく悲しくて涙が出そうだった。
彼女は悪くない。じゃあどうしてもらいたかったんだって、自分で考えてみたけど、「大丈夫ですよ」とか、あるいはニコッと笑ってくれるだけで良かったんだと思う。あの人にとっては、私も子供も「無」だった。私はいいけど、私の大切な子供も無、なんだ……と思って悲しくなったんだと思う。
彼女は耳栓をしたまま眠ったり、たまに起きてはスマホを触ったりしていた。降りる駅は一緒だった。
別の席に同僚?上司がいたらしく、駅のホームからは談笑しながら、一度も振り向かず歩いていった。すごく愛想が良く見えて、この100分の1でも私や子供に向けてくれなかったんだと思ってすごくみじめな気持ちになって、帰ってから片付けもせず匿名ダイアリーなんか書いてる。自分が悪いっていうか彼女は悪くない。っていうかわたしがメンタルヤバいってのは自覚があります。すみません
あぁ
カフェでノートパソコン広げて作業している人ってどんな作業してるの?今タリーズにいるんだけど、やたらパソコンで作業している人が多くて、そういう人が全員フリーランスで、家だと集中して仕事できない…というほどフリーランス人口が多いのか疑問だ。
だいたいフリーランスだろうが勤め人だろうが、何の資料も持たずにパソコンだけで仕事ができるとは思えない。私もそのスタイルに憧れて薄型ノートパソコンを物色したけど、どうせ職場から資料を持ち出すわけに行かないので、そんなにハイスペックな代物はいらないと思い、8インチのタブレットと外付けキーボードを購入した。
今キーボードをバッグから取り出して打ちはじめれば憧れのスタイルで仕事しているふりはできるけど、所詮匿名ダイアリーなのであまりカッコ付けて仕事してる振りをしても仕方ない。むしろさっきまで隣に座っていた人みたいにケータイの電池が危ういので、カフェで時間つぶしつつ充電してる…みたいな状況の方が分かりやすい。
営業マンとかで会社に戻りたくないから報告資料だけ外で仕上げてしまおう…みたいなのもまぁ分かる。カフェとかでパソコン使える環境が整ったからこういう人が増えたのか、本当は別の場所でやるべきことをカフェでやっているのか分からない。
おかげでカフェに長居する客が増えて、私みたいに飲み物と軽食をさくっと飲み食いして帰る客がなかなか入れないんだよ。店の側も客の回転が悪くなって損しないんだろうか。カフェで一所懸命パソコン作業やってる人は、本当に何をやっているのか教えてほしい。
既に原文を読んでいる人は読む必要はありません
騒動について詳しく知らないから知りたいという人向けの文章です
制作会社とゲームは関係ないと割り切れる人や騒動について詳しく知りたい人向けのものです
決して茶化していいものではないということを日本ユーザーに伝えるために記事を書きました
三行で読みたい人向けに簡単に書くと
シナリオ担当として採用されたAに対しシナリオモードのことを聞かされていなかった社員は必要ないと言い、社長はシナリオを書けと命じ続けました
結果ユーザーにはシナリオモードの実装をしないことを伝えられたのに自分には伝えられず給料泥棒扱いされたことに心が折れて退社
送別会の帰りに既婚者で子持ちの社長であるBによって帰り道を塞がれ不倫関係を求められたことが書かれています
ブログを書いた理由は先日の生放送でAが担当していたキャラクターに対しBの元恋人のような、という表現がされたことに対してのAの現状の告発です
Aの主張は今後生放送やその他を含む場所でAの名前をあげるのをやめてほしいというものです
この時点で嫌な予感がした方はここで読むのをやめてください
ここから先はブログを簡単に要約しながら和訳したものになります
まだ会社がAを含め7人しかいない2014年から2017年1月までの間Aは該当の会社に勤めていました
今回Aがブログを書いた理由は先日の生放送で該当Aの担当していたキャラクターに対しBの元恋人と揶揄された事に反論するためです
まだ7人しか会社に人が居ない頃にシナリオ担当として採用されたAに対し、Bは周囲の社員にその説明をせずシナリオを作れと命じました
社長のBにそう命令されたため、シナリオを書いていたAはその説明をする会議でシナリオは必要ないと周囲の社員から反対されました
それを繰り返されながらも良いシナリオを作るのがAの仕事だとBに言われシナリオを作り続けるAのことを周囲の社員は仕事をしていないとみなしました
Aは会社用のPCを与えられず個人のPCで2年間業務をこなしていたそうです
人数が少ないためシナリオ以外の雑務やイベントの物販、通販の管理などもAはやっていたそうです
ゲームがリリースされ、会社の規模が大きくなると共にAの席はなくなり、机がないので会議室で1日仕事をする日もあったそうです
提出するシナリオは全て却下され、会議は途中で中断され、机はなくなり、それでも社長であるBはシナリオを書けと命じます
そんな日々を繰り返すうちにうつ病になり会社のトイレで涙を流すことが増えたそうです
一度シナリオモードの実装の検討がされ、それに向けてAは立ち絵を表示してキャラクターが会話するアドベンチャー形式のものを提案した直後
Aには伝えずに公式生放送でシナリオモードの未実装をユーザーに伝えられました
シナリオモードを実装すると思っていた矢先に白紙にされ自分より先にユーザーに伝えられたことがショックだったと述べています
シナリオモードが未実装になった理由はローカライズ(多言語対応)のコストが高くなるためでした
それならば何故自分をシナリオ担当として雇ったのかと自問自答する日々だったそうです
その後Aは2016年10月に退職の意思を表示、1月に退社できました
Aの送別会の最後に既婚で子持ちのBが不倫関係をAに求め、逃げようとするAのコートを奪ったりドアを塞いだりしました
Bは生まれた娘をAのような人間に育てたいと語っていた人間だったためそういう行為をされるとは思ってもいなかったと語られています
それ以降転職しようにも職歴を書こうとするだけで思い出してしまうため書けず今に至るそうです
Aは会社を辞めた際に一度日記を書き、会社を辞めたけれどこの会社が作るゲームが成功することを祈っているという文章を綴っています
この話も先日の生放送でAの事をBの元恋人と言われなければゲームが終了するまで表に出すつもりはなかったそうです
社長であるBについての言及はB側の意見がないためAの主観的なものとなります
タイムラインの一部の情報のみを切り取ってAやBのことを面白半分でいじるのは不謹慎極まりない行為だと思っております
ゲームそのものとそれを制作している会社の人間がひどい人間であることは関係ありません
自分が課金したことによってこれらの行為に加担している人たちの給料になるのが嫌だという心理は当然わくと思います
この記事を読んだ人間がゲームをやめてしまうのは悲しいことだと思っています
これは筆者の主観ですが 本国の方が荒れているのは 向こうが日本以上に共感文化だからだと思っています
ですが だからといってそれを日本人が面白半分で取りざたするのもまたモラルを問われる行為であると思います
ただ 筆者はこの件に関して軽率に取りざたするのはやめてほしいと思っています
A自身もまた、この話に関しては触れずにそっとしておいてほしいと述べています
また この記事を書くことでもう一度この話が話題にのぼること自体も心苦しく思っています
どうか 最後まで読んだ人は拡散せずにこのままブラウザを閉じてください
最後に簡易翻訳機を通したAの原文訳を下記に記して終わりとします
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こんにちは、2014年度10月から2017年1月までにアークベアーズで働いていたGM彩です。
以前に書いた記事(http://gall.dcinside.com/board/view/?id=blacksurvival&no=277774)以降にすべてのことを整理して、
しかし、知人から2018年4月5日に行われた公式放送でGMに生かしオニムが「昔の恋人のような彩になったら良いだろう」という発言をされましたことと、
アークベアーズ内で複数の言葉が回っているという話を聞いて、この文を上げる決心をしました。
私はこれ以上のアークベアズ関連した仕事に私の名前が上がることを望んでいません。
会社で経験したことのために、うつ病とトラウマを得たからです。
1.
私は2014年10月アークベアーズに採用されました。ディレクターさんから私すべきことについての説明を聞いて、そのまま作業をしました。
そしてチームメンバーに私が作ったシナリオの説明をしていた中、発表が中断され 、「だからこれはなぜ必要があるのか?」という言葉を聞きました。
内部的にシナリオの計画や合意が全くない状態で、私を連れて来たということを、その時初めて知りました。その後も「シナリオをなぜ必要なるか」というツーの 反応が継続聞こえてきて、私は私でさえも、その答えを知らないまま黙々と作業をしなければならいました。また、「ゲームのような要素を追加してみるのはどうだろうか」とディレクター様の提案をしたとき、言葉により企画書にしてとみろいただき pptにして行きました。そして 、その企画書をレビューする過程でた従業員の方に 「なぜさせることもないことをしている」という言葉を聞いたことを覚えています。過ぎ去ったように言った言葉だ本人は忘れかもしれません。しかし、2年3ヶ月の間に、その言葉はずっと第頭の中に駆け巡った。 言葉あえて取り出さなくても、みんな、同様の考えをしてだろうという不安感が消え脂質んでした。 私のシナリオをはじめとする多くの企画をするたびに、「あれ、代替なぜしようというのですか?」「あの子あれ、またしようそうだね。他の仕事が多い」という考えをするつもりだろうか。
そんな気がしてとても辛かった、人と親しみも大変でした。
しかし、その言葉をされた二人を含めて、代表を除くすべての従業員の方々に悪感情はありません。
私を傷つける与えるためにした言葉ではないと思うし。概ね良い方であるということを、長い時間のように働いて知ってきたからです。
とにかく、私は 私の仕事に自信を持たないし、会社によく適応していないしました。 いつでも切らざるを得ないたい
コンピュータ支給を拒否して(小企業と資金がいろいろギリギリだと思いました)、2年の間に、個人のノートパソコンを持ち歩いて会社の仕事をしました。
いつでも残すことができるよう、机の上には何も置かないまま空置きました。
2.
私入射したときにアークベアーズは企画担当がディレクター様一人。アートを担当する方が二人。プログラマー三人。そして代表まで7人が会社の人員のすべてでした。
PVPモード以外のモードを開発する余力がなく、別の工数をかけずにシナリオを置くことができる方法を見つける必要がありました。
一度はチュートリアルに壮大を入れること。そして手紙やロビーのコメントを介して世界観を伝えることが最善でした。
また、GMレオン様が入射するまで会社に企画担当者は、ディレクター様と私はすべてのだったので... シナリオプロジェクトが暫定的に中断された期間中には、
続いて、他の計画と雑務をしてきました。 LogポリシーやUIの改善、戦闘時の処理の問題など、ゲーム内の企画から、
イベント検収やグッズ制作。販売店買物や包装などのゲームほか雑務まで。
広すぎると細かいことであるうえ、「シナリオのGM職を持っている人が担当していることだと見ることができないことだと、
私に何をしているかどうかが明らかにみても「シナリオGMがシナリオはない作っなぜあんなことをしているのか」音を聞くことがポンヘ明らかでした。
また、ユーザが「GM彩はシナリオもないし何をしているのか」と聞くたびにディレクター様も、ただ「GM彩さんはいろんなことをするのに忙しい」とだけ言って
確実に私は何をしていること、具体的に明らかにすることしたくないだ と思いました。
いろんなことをするのは楽しかったが、誰も知らずに、どこに行っても認められないことをしているという考えが続いました。
しかし、誰かがやるべきことであり、私が物事を熱心にすることにより、ゲームの発展に貢献することができると考えました。
しかし、やはり私はもともと引き受けた仕事(シナリオ)を継続していないためにについて。そしてこの会社に私は必要な理由について
確信を持たないたため 私の仕事に対する疑問と不安になりました。ディレクターの方に何度これに関連する話を取り出したが、
「よくしている」や「そんなプレッシャーは自分が打ち勝つことだ。会社はしてくれることができるものはない」という言葉を聞いたことを覚えています。
だからこれが普通だね。何とか自分で解決して勝たなければならな。する考えをしました。
アークベアーズはますます大きくなって、ますます多くの人々をかけました。人員を増やす過程で机が不足
空っぽの会議室に追い出され 、単独で 作業をしました。一人で部屋の中に埋め込まれている見て、私を除いて、オフィスの人々が
共にご飯を食べには、単独で残る時もしばしばありました。
しかし、その後ろには涙が多くなったことを見れば。 そして今、この記事を書きながらも涙が出るのを見ると、実際には大丈夫かとします。
多分その時から何かが間違っているということを直感したのかもしれません。
3.
そして、ある程度の時間が経って、一度触れたシナリオモードを再企画してみようという話が出ました。
私は恋愛シミュレーションゲームのようにキャラクタースタンディングが出て会話をするバージョンでは、簡単なカットシーンが出てきて、ビジュアルノベルのように
、テキストだけ浮かべて話を進めるのバージョン等... いくつかの企画したそのうちの1つのバージョンを採用してシナリオを書き始めました。
そのシナリオを作っていた渦中、カフェに上がってきたパッチノートを使用してシナリオモードが再びオプオジンことを知りました。
それまで私はどのような言質も聞いていないし、パッチが上がってきた次の出勤をしたら、「シナリオモードでは、空輸があまり含まれて伏せになった。
空輸はあまりかからないストーリーテリングをすることができる方法を見つけよう」という言葉を聞いたことた。
会社に通いながら一番大きく失望した瞬間ではないかと思います。
事実シナリオモードがなくなったことがこのような大きなことはありません。開発工数を減らすという言葉も当然できると思います。
しかし、中間過程を私に共有してくれず、ディレクター様と開発者の数人の相談だけですべてが決定され、その決定さえも
私に先に通知するのではなく、ユーザーに浮かべる通知を先に上げたのが、本当に傷がされました。
「この会社では、私何?」「私の役割は何ですか?」「私はどのように扱われているのですか?」...そんな思いがした瞬間に押しかけ頭が複雑でした。
初めて仕事を始めた時からずっとゲームと会社に愛情を持って最善を尽くして働いてきたのより衝撃を受けました。
その時から適切に仕事を進めていない。 何でもよく忘れてしまい、ぼんやりている時間が多くなり、
文字をよく読めないしセネ回の行を読んでいました。今もその以降退社直前までのものは、 記憶の中で退屈たように、よく思い出せません。
ただし頼まれた企画をか食べるか、ウェプトゥン作家様コンテを提供するのが遅くなったり。 データを誤って入力して、他のチームメンバーの方に申し訳ない感情が入っただけ覚えています。
第個人の心情が、とにかく。新しいコンテンツの追加が必要だった状況だったので、日誌や図鑑などを企画して、テキストを詰めました。
後で他の社員の方からプログラマ分の一人が「GM彩さんがあるかのようなものも、必ずしなければならと言い張っ
開発したところ、ユーザーは誰もいないならない」という言葉をしたことを聞きました。
私未熟してみると、開発者の方々に手が多く行ったことも、いろいろ足りないコンテンツを企画したことも知っています。
しかし、その代わりに仕事を引き受けて行うことができる人も、どのように作ればいいのか教えてくれる人もいませんでした。
方法は知らないのに、とにかくしなければならいました。私引き受けたすべてのものがそうでした。私はしなければならてすべきことをしただけです。
そしてそもそも、私はシナリオGMでした。シナリオGMがシナリオを入れてくれとお願いしたのが間違っているとは思わない。
シナリオが必要でない場合、あるいは持っていないとすれば。私を雇わないのが当たったと思います。
入社当初は与えられた仕事を一つずつして出て行く見てください。だからゲームをより硬くなって会社が大きくなる。
私が行くべき道を見つけることができないだろうか?私必ず必要な部分が生じないか?そんな希望がありました。
その考え一つで約2年余りの時間の間、会社を通ったとしても過言ではありません。
しかし、 その瞬間から、すべての信仰が消え、私自身と会社の疑問は確信に変わりました。
私はこのゲームをより良くすることができず、これ以上の成長可能性がありません。私が行ったことは、埋葬されるだろう...
そしてその時から、うつ病の症状が急激に激しくなり始めました。
4.
内臓がドキドキが感じられる。頭の中の血管が破裂しそうだ。胸がどきっと降り座ったときの、そのサハン気持ちが 24時間
一緒にしている気分だ。大嫌い。大嫌い。今、私が仕事をしなければジョトドゥェルだろうという事実を知るも何もする気力がかからない。
手が冷たく足冷たく泣きたい。ますます体になっていく感じだ。水分さえ抜けてしまえば本当に請求書になってしまいそうなので
、涙は首に戻ります。たまに太ももや目の下部のような部分が痙攣を起こす。
マックスむらいチャンネルといえば…不定期にやってくるタイトル詐欺!
例えば、「動画投稿を休止します」とか。現在は「【お知らせ】少しだけ動画投稿をお休みします!」というタイトルに変わってますね。なんでかな?
https://www.youtube.com/watch?v=9Cwijab0fTw
2018/04/01時点では、この動画のタイトルは「会社のノートパソコンを全部LG gramに変えます!!」というものです。
「ほー、そんなに凄いパソコンなのか。全部買い換えるのか。」と思いました。見てみました。
動画の最後の方でしれっと「変えねーよ!」と言って終わりでした。
いや、なんでだよ
お前が”動画のタイトルにするほどに強く”宣言したことだろ。なんでやらねーんだよ?
そしてなんでやらねーのにタイトルにしたんだよ?意味わかんねーよ。
俺がLGの人間なら「買えよ」ってキレると思うのだが。
詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」
詩織「愛海ちゃんと前のお仕事で一緒だった晴ちゃんがついてきて…… ブースにまで入ってきたんだけど…… どうしたの?」
晴「しんじらんねー!」
愛海「誤解なんだよお…… 本当にただただ誤解なんだよお……」
晴「お前なにしてたか言えよ。正直に言えよ」
愛海「ほんとに…… 誤解なんです…… 何もしてません……」
晴「いえっつうの」
愛海「もおおおおお!!!! 楽屋で仕事してただけだよ!!! 何してたっていうのさ!!!!!」
愛海「だから! 楽屋で! ノートパソコンで! 資料の映像見てただけだってば!!!!!」
詩織「……普通じゃない。振り付け覚えたりでしょ。晴ちゃんも見るでしょ」
晴「雫とくるみと里美がきわどい服装で体操してるやつだぞ! なんの参考にすんだよ!!!!」
愛海「推薦文! 帯の推薦文書くお仕事なの!!! お山の伝道師棟方愛海推薦なの!!!」
晴「じゃあ周りに散らばった湿ったティッシュは!!!! なんなんだよ!!! 俺らのライブの楽屋で!!! 乳をぷるんぷるんさせた映像見ながら!!! なにしてたんだよ!」
愛海「花粉症なの!!!! 鼻かんだだけで何もしてないから!!!!」
晴「はあ? なんでだよ! 楽屋でこんなことする方がどうかしてるだろ!」
詩織「……いや、しないでしょ」
晴「だろお!」
詩織「そうじゃなくて…… そういう行為をしたと勘違いしないでしょ……
きわどい映像とティッシュを見ただけで…… すぐそれって…… 思春期にも程があるわよ……」
晴「……え?」
愛海「そうだよ!」
晴「いやいやいやいやいやいや! だ、だって、女のエロい格好の映像見てティッシュ使って、明らかだろ! 兄貴とか毎日してるんだぞ!!!」
詩織「……」
愛海「……」
晴「……あれ?」
詩織「……恥ずかしい子」
晴「……だ、だって」
詩織「……そもそもなによ。なにと勘違いしたか言って見なさいよ……」
晴「い、いや、だから、その……」
愛海「いえいえー!」
晴「その…… なんだ…… あ、あそこを……」
詩織「にやにや」
愛海「にやにや」
詩織「……というわけで、ゲストが来てるのでコーナーを一緒にやりましょう」
晴「もういい! 帰る!」
愛海「まあ、してたんだけどね」
詩織「……そりゃねえ」
漏らして絶望してる人を慰めるのは良い
しかし漏らすのは当たり前とか、漏らすのは怖くないとか、フリーお漏らしみたいな風潮はよろしくない
いたずらに皆の括約筋を緩めることになってはならない
「漏らしちゃいましたえへへ」ではない
不断の努力により括約筋を締め、便所と共に在り、不漏らしの世界を目指すべきである
ついこの間のことだ
確定申告のため税務署に行ったため生活リズムが崩れ、思わぬところで急な便意が来たとき
我がオアシス、セブンイレブン(トイレ2つ)に立ち寄った所見かけたのは死刑宣告の張り紙
曰く「利用者のマナーが悪いので予告通りトイレは使わせません!!」とのこと
ご丁寧にバリケードまで用意してある
私はやり場のない怒りと、詰んでしまったことに対する絶望で足は竦み顔は歪んだが、そこで諦めなかった
全力疾走で5分先にはローソンがあるし、8分先には駅がある。駅の向こうには電器屋、地下には本屋がある。電器屋には3階と5階にトイレがあるが個室は1箇所なので・・・いや今は早朝だからきっと電器屋は空いてないし、ローソンは小さいからそもそもトイレがなかったはずで・・・
ノートパソコンが入った重い荷物を置いていこうか少し迷った、がやめた
定期的にジムで走り込みをしていてよかった
結果、やはりローソンにはトイレがなかったが駅のトイレに間に合った
通勤ラッシュがギリギリ終わっていて、個室が空いていたのは僥倖である
私はJRとキレイなトイレに感謝し、入場料を払って駅を後にするのだった
(もちろんその後は第二波を睨んで慎重なルート取りをした)
漏らしすととは、そのくらいやって、それでもダメなときに悔しさの涙とともに漏らすべきなのだ
私はそう信じている
「欲しいスペック(もしくは機種)」と「実際問題としてこのぐらいで間に合うスペック(機種)」って違うことがある。私はよくカフェでパソコン広げて仕事(?)している人が羨ましくて、家電量販店行っては薄型のノートパソコンを見ていたけど、実際には仕事の資料を持ち出してカフェで仕事することなんかできないし、薄型のモバイルノートパソコンって同じスペックのデスクトップパソコンより高いことが多いので、結局8インチのタブレットと外付けキーボードを買った。
一眼レフで写真を撮るので、店ではハイスペックのノートパソコンを勧められることが多かったんだけど、実際問題は気に入った写真を1~2枚Wi-Fiでカメラからタブレットに飛ばしてSNSにアップする程度。長文といえばせいぜいここの匿名ダイアリーで雑文を書くぐらい。外付けキーボードも使ったり使わなかったりで、ただ単にタブレットは大画面で文字や写真が見やすくて便利という結論。10万を超えるようなハイスペックパソコンは要らなかった。
まぁiPadを買う前にじっくり考えてみて。お金に余裕があれば、「スペック的には必要ないけどカッコいいから買った」もありだしね。
※中古品は除く
※単体の「パソコン」として売られているものに限る(PCパーツやベアボーンキットのような半完成品は除く)
※日本国内で店頭販売されているものに限る(ネット通販や海外輸入品は除く)
ドスパラのスティックPCが現状もっとも安い(税抜き14,800円)と思われる
ASUS VivoBook E203NA(実勢価格25,000円前後)が現状もっとも安いと思われる
もしくはドン・キホーテのオリジナルノートパソコン、あるいは2in1パソコン(いずれも税抜き19,800円)だが、これらは在庫限りとなっているため確実に購入できる保証はない