2018-06-03

あれは鬱だったんだろうな

今でもたまに思い出す。

心の整理のために綴る。

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大学入学を機に一人暮らしを始めた。

ある年の12月31日、近所のお寺さんの年越しのお手伝いをしてから1月1日の朝の電車に乗って実家に帰ることを予定していた。

両親にもそう伝えていた。

年越しの手伝いだったので深夜の2時ごろ自分の家に帰ってきた。

手伝ってくれたお礼としてお菓子をもらっていた。

昼頃には実家に着きたいと考えていたので、逆算して朝6時には家を出なければいけなかった。

これはもう寝れないなと考えた。

そしてまだ帰省の準備もしていなかった、すぐに手を付けた。

ノートパソコンを持ち運ぶための、カバンが見つからなかった。

残っていた仕事をするために、パソコン絶対必要だった。

家中を引っ掻き回した。絶対にそんなとこから見つかるわけないとこまで引っ掻き回していた。

捜索のためというより、アレは物に当たっていただけなんだと思う。

パソコンを、ただ実家に持っていきたいだけなのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろうと考えてたことを覚えてる。

もちろん家中がぐちゃぐちゃになった。

深夜とかどうでもいいくらいめちゃくちゃに泣き騒いでたと思う。

途中でカバンが置いてる場所にも気が付いたけど、それで落ち着けたはずもなかった。

とにかく片付けをしなきゃいけないし、でも帰省の準備もしなきゃいけない、深夜まで働いていたかシャワーも浴びたい。

そんな色々なことを考えていたかどうかは覚えていないけど、でも気づいたら放心状態になっていた。

散らかったままの部屋で、なんかもう全部めんどうになって、布団を被って寝た。

実家には帰らなかった。

1月1日の昼頃に、母から連絡がきた。

このあたりはあんまり覚えていないけど、

後で、心配させるようなことを言ってしまった自分の迂闊さには気付いた。

母が家に来ると言った。

来ないでほしかった、理由はいろいろあった。

こんな状態を見られて、母が心配しないわけがないと分かっていた。

来ないでと伝えることすら甘えてるみたいで嫌だった。

母は結局家に来た。

部屋の片付けはぜんぜん出来てなくて、ぐちゃぐちゃのままだった。

心配してもらいたいみたいで嫌だった。

母はやっぱり心配そうな顔をしていた。

なんで?って言われたし、どうしたの?って聞かれたし、いつから?って呟いていたのを聞いた。

全部に答えるのが億劫だったし、私はとにかくずっと泣いたり鼻水を出したりしていた。

そんな私の姿を見て、母も泣いてた。

やっぱりなって思った。

から来ないでっていったじゃん!!って、心の中でめちゃくちゃキレてた。

何しに来たの?ってめっちゃ聞いた気がする。

心配たから来たって言われた、それでも何で?って思った。

それから、おもむろに私の部屋を掃除しだした。

鼻すすりながら。

何しに来たの?って聞いた。

母さんは私の部屋の掃除をしに来たの?って聞いた。

心配されるって分かっていて、母を迎え入れた自分が嫌だった。

今でも嫌だと思う。

どうしたの?って聞かれて嫌だった。

どうしたのかどうかなんて、自分が知りたい。

色んなことが積み重なってこうなってるんだと思うけど、説明がぜんぶ面倒だったし、それを全部説明してもどうにもならないのは分かってた。

母は私の救世主ではなかった。

自分でもそれは分かっていたはずなのに、心配させるようなことを言ってしまった自分が嫌だった。

心配させたくてこんなふうになった訳ではなかった。

母は少しの間だけ滞在していたと思う。あんまり覚えていない。

時間が経って少しだけ私も動けるようになってたと思う。あんまり覚えていない。

レンタルしていたDVDを一緒に見た気がする。

母の帰り際をよく覚えている。

人生でも、あれほどに「寂しい!」と思ったことはない。

頭の中で、ずっと大声で寂しい!寂しい!寂しい!という声が鳴っていた。

気が緩んでしまったら、すぐにでも泣き叫んでしまいそうな衝動だった。

けど母にも仕事がある。

私は結局寂しいとは言えなかった。行かないでとも言えなかった。

かわりに私は近くのバス停まで母を見送って、来てくれてありがとうみたいなことを伝えたと思う。

部屋に戻って、シンクに残った母が使ったコップを見て、また泣いたことを覚えている。

この日のことを覚えいている。

結局、私は一番に信頼する母にすら素直に何も言えないんだと痛切に思い知った。

自分のそういった性質をわかってるつもりが、分かってなかった。

この日のことを今でもたまに思い出して、泣きそうになる。

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その日こそピークだったが、それ以前にもずっと前兆はあった。

私はレジ打ちのバイトをしていたのだが、人手が足りず希望時間よりも少し早い時間シフトに入ることが増えていた。

学校研究に費やす必要のある時間を削り、バイトに足を運ぶ日々が続いていた。

そんな生活なのでもちろん、学校研究がままならなくなってきた。

教授には「バイトが忙しくて」と(今考えるとあんまりな)言い訳をしていたが、「バイトも大変だろうけど、研究ちゃんとしようね」と言われた。

温厚な教授にそのように言われて、さすがにマズイと思ってバイトを辞めることを考え始めた。

一度母に相談して、「辞めるのはやめたら?」と答えられた、

そうかあと思っていた。

1ヶ月の収入が無くなるのは確かにキツイ

でも、そうだね、辞めていいんじゃない?って言葉が欲しかったんだと思う。

バイト先の店長に、来月のシフトは少し減らしてくださいと伝えた。

学校研究が大変になってきたので、と理由も伝えた。

3~4日後のシフトの時に、「シフトは調整したけど、そういうことはもっと早く伝えてね」って言われた。

なぜかその言葉にめちゃくちゃ悲しくなったことを覚えている。

大学教授からも、店長からもどちらからも封じられたような感覚があった。

ある日レジ打ちのバイト中、商品の袋詰の途中でお客様から「袋2つにまとめてくれます?」と注文された。

ミニ鉢のようなものだったことを覚えている。

10個くらいあって、ミニ鉢の他にも普通商品もあった。

で、全然うまく袋に詰められない。

ウンウン唸って、最終的にすごい適当に詰めた気がする。

すみませんって謝りながら、会計をした。

そのお客様笑顔のままで袋を手にとって去っていった。

そんなんでいいのかよ、じゃあいちいち面倒な注文つけんなよ、って薄暗い気持ちがワッと湧いたことを覚えている。

めちゃくちゃに涙が浮かんだ。

でも、バイト中だし、なんなら今会計中のお客様は全く無関係だし、ぐるぐる考えれば考える程、手が震えていった。

さっきのお客様から3人目くらいのお客様会計の途中で、急に

急に全部めちゃくちゃな気分になって、その場にしゃがみ込んでしまった。

もう気付いたら涙が止まらなくて、前も見えないし、立ち上がれもしない。

パートさんが社員さんを呼んでくれた。

でも「これでやっとバイトを辞められるな」って冷静に考えてる自分もいた。

バックヤード社員さんと話をして、バイトを辞めたい意思を伝えた。

別の日に、店長と話す機会ももらった。

「なにか、悩みでもあるんじゃない?」と心配言葉をもらった。

何もありません、と答えたらきっともっと心配されると分かった。

いいえ、とにかく研究が忙しくて。と答えた。

12月の末にレジ打ちのバイトは辞めることができた。

バイト先の先輩後輩、社員さんもパートさんも本当にみんな良い人だった。

ただただ私の心の問題だったと思ってる。

あんなに良い職場を離れたのは、すこし勿体なかった気が少ししている。

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本当に先に辞めるべきはこっちのバイトだった。

レジ打ちのバイトの他に、もう一つバイトをしていた。

先輩から紹介された。

自分研究を活かせるような業種だと思って、快く受けた。

いつかレジ打ちのバイトを辞めて、こっちのバイトに専念できるようになったらいいなと思ったのだ。

(紹介された時期、「なんかうつっぽいな」という気持ちがあったので、なにか新しいことを始めて気を紛らわそうという思惑もあった気がする)

在宅でできるらしいし、きっと気軽にできる気がすると思っていた。

このバイトが最悪手だった。

もうあんまり詳しいことは説明がたいへん面倒になるくらい、今でもよく分からない職場だった。

簡単説明すると、デザイン会社で、デザインを手伝う仕事だった。

最初面接と聞いて、学校で話すのだろうと思っていたら車で隣の職場まで見学?することになった。

履歴書などの提出もなく、契約書を交わしたりもしなかった。

私は一体どのように雇われてるのか、まったく宙ぶらりんのままで、気付いたらたぶん私は働くことになっていた。

デザインの現場はそういうものなのかなと思って、とくに何も口出しはしなかった。

(今でもよく分かってないが、そういうものなんだろうか。

だとしたらすごく不安業界だなと思う。)

ある工場ロゴを作って欲しい、と言われた。

何もかも、今でも納得がいっていない。

何に従えばよかったのか今でも分からない。

なにも分からなくて、ただただ疲労した。

在宅なので自分で働いた時間計算して、作業報告書を送った。

時給、800円くらいだったと思う。(これも聞かされてなかった)

ぜんぜんお金にならない。

あなた勉強にもなると思うから

なにが勉強だよ、ふざけやがってと今は怒ることができる。

もう遅いけど。

1月1日に母が来たあとのこと、自分でもこれはだめなやつだと自覚し始めて、この仕事ちゃんと辞めようと決意した。

たぶん1月中旬頃、電話メールで辞める旨を伝えた。

契約書も交わしていないのだし、気軽に辞めてやった。

上司からLINEが来たが、今でも未読状態だ。

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あれは鬱だったんだろうな、と思う。

私はあの頃、「鬱にでもなってしまいたい」とよく考えていた。

病気と診断されてしまえば、楽になる気がした。

精神科に言って、鬱ですよって診断書を貰えれば、なんか全部解決するんじゃないかなって思っていた。

ちなみに結局のところ、精神科心療内科には行けなかった。

近所の病院は人気で予約して1週間から3週間くらい期間が必要だったからだ。

基本的に昼間は元気に動けていた。

でも夜になると急に泣き出したりしていた。

たまに昼間も元気が出なくなって、布団をずっと被るだけの日があた。

寝て起きて泣いて寝てを繰り返す日があった。

あれは鬱だったんだろうな。

ずっと頭にモヤがかかっているような感覚がある。

集中力があった頃を思い出せなくなっている。

たぶん病気にかかっていたんだと思う。

もう元には戻れないんだと思う。

今、バイトは全部辞めて、お金が無いなりに楽しく過ごしている。

それでもたまに、色々なことを思い出して動けなくなる。

中学高校にあった悲しいことまで思い出す、あれももしかしたら、鬱だったのかもしれない。

私はこれと、一生付き合わなければならないのかもしれない。

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