はてなキーワード: デモとは
星野智幸氏の『言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル』(ttps://digital.asahi.com/articles/ASS8V026WS8VUPQJ006M.html)が話題である。その主張の要点は、以下の通りである。
最初これを読んで思ったことは「何を今さら」である。欧米における近年のリベラル派の度を越した正義依存問題は、ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(Social justice warrior)やバラモン左翼といった批判や自省の中で、多かれ少なかれ言及されてきことである。それにも関わらず星野氏が、さも苦悩の末に新しい認識に至ったかのような筆致でリベラル派の正義依存を問題提起していることに、正直驚いた。
しかしさらに驚いたのは、リベラル派からの反応である。星野氏が何を問題視しているのか、全く分かっていないようなのだ。
ttps://x.com/kentarotakahash/status/1828424826039738677
ちなみに、貴方の言う「カルト的に「正義」に依存し個を捨てる」というのは、実際にはどういう行為を指しているんですか? まあ、個人の判断よりカルトの熱狂に飲み込まれるなんてことはよくありますが、それが「正義」と何の関係が?
ttps://x.com/hiranok/status/1828581602613666289
僕は星野さんは友人だと思っていますが、敢えて書きます。星野さん自身の言動はその通りだったとして、だからと言って、「リベラルな思想は疑う余地のない正しさを備えていて、そのような考え方をする自分には否定されない尊厳がある、とリベラル層は思いたいのだ」云々の雑な話をどうして出来るんですか? それがリベラルの大多数ですか? 自分だけは、例外的で思慮深い真のリベラルであるかのように話されていますが、内容は、昨今のリベラル批判の大波にスッポリ呑み込まれて、その尻馬に乗っているだけじゃないですか。リベラルの弱体化が歴史的にも危機的なこの時に。自分の政治的発言が「消費」されていると感じるなら、「消費」されない言葉を工夫すればいいじゃないですか。瀬戸内さんだって林京子さんだって大江さんだって、みんなやってきたことでしょう。自分は、小説があるから、もう政治的発言は止めた、でいいでしょうけど、他の人たちはどうなるんですか? しっかりしてください。
このリベラル派の反応を見て、「何を今さら」という認識を改めた。星野氏がリベラル界隈の空気にどっぷり浸かっている中で、リベラル派の正義依存問題を認識するに至るのは大変な知的苦痛を伴うことであり、それは意義深いことではないか、と。
星野氏の論考には具体例がほとんどないので、リベラル派は問題提起の要点を理解できないのかもしれない。そこで、あくまで自分の理解に基づくものであり星野氏の真意と完全には一致しない可能性はあるが、「リベラル派の正義依存」問題の具体例を補完してみたい。
ネット上の反応をざっと見ると、高橋、平野両氏の先の引用のように、リベラル派の批判は次の二点に集約されるように思われる。
2. 仮に正義依存問題の具体例があるとしてもそれはリベラル派の特定の個人又は集団の問題であり、広くリベラル派一般の問題としていいのか
リベラル派の正義依存問題の最も分かりやすい具体例は、草津町長性犯罪虚偽告発事件(ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%B2%A9%E4%BF%A1%E5%BF%A0)において町長を糾弾したフェミニスト達であろう。この事件は、新井祥子町議(当時)が黒岩信忠町長から性犯罪を受けた、という虚偽の告発をした件である。以下、吉峯耕平氏のTogetterまとめを引用しつつ説明する。
ttps://togetter.com/li/1973629
新井氏は2015/1/8に町長室のソファーに座っている時に、黒岩氏に机との間に押し倒された、と証言した。しかし、実際の町長室を見ると机とソファーの間が狭すぎて押し倒すスペースが無い。これに対して新井氏は「当時は机とソファーの配置が全く違った。新井議員が記者会見をやった後、町長が証拠隠滅のために模様替えをやった」と反論したが、実際には模様替えは行われておらず、この反論も虚偽であった。
ttps://togetter.com/li/1973629?page=2
それにも関わらず、例えばフェミニストの北原みのり氏は新井氏の証言を信用した。当初は北原氏も信憑性を疑っていたようだが、三井マリ子氏の「現代の魔女狩りだ」という発言に感化されたようである。最終的に北原氏が証言を信用した理由は、被害者は沈黙せざるを得ず「ミソジニー社会」では女性の言葉は軽視されるという一般論と、新井氏が知的だったという印象論、この二つのみである。
ttps://togetter.com/li/2278947
北原氏の変遷はまさに、「『正義』に依存するために個人であることを捨てて」証言の信憑性を精査しなかった具体例であろう。
北原氏は「町長が性犯罪を実行した」と事実摘示してはいない点に留意する必要はあるが、恣意的な切り取りと印象操作をしている。例えば、2020年12月1日の町議会において、湯本議員は①模様替えが虚言であること、②新井が現場の録音の一部を公開したことを指摘し、新井氏の告発の信憑性が低いことを説明している。
ttps://x.com/kyoshimine/status/1737202101842059771
しかし、新井氏はこのことに触れず、以下のように印象操作を行った。
ttps://x.com/kyoshimine/status/1737210416521220255
ttps://dot.asahi.com/articles/-/13943?page=2
その様子はこのコラムでも記したが、傍聴席には高齢男性たちが並び、新井氏にむかって「うそつき」「(あんな女とは)犬でもしない」など激しい言葉で罵っていた。それは議会というより、新井氏が裁かれる現場のようだった。
その後、新井氏は名誉毀損と虚偽告訴の罪で在宅起訴されたが、この期に及んでも北原氏は次のように言う。
ttps://togetter.com/li/2278947?page=4
ttps://dot.asahi.com/articles/-/13943?page=3
SNSでは、支援者やこの件についての記事を書いた者への謝罪を求めるような声もあがっているが、支援者たちに謝罪を求めるのは間違いだ。支援者は被害者を選ばない。少なくとも私は、フラワーデモを通して、被害者は選ばないと決めた。
「リベラルな思想は疑う余地のない正しさを備えていて、そのような考え方をする自分には否定されない尊厳がある」という星野氏の指摘は、一連の言動をする北原氏の動機を上手く説明しているように思われる。
吉峯耕平氏のTogetterまとめを読むと、北原氏の他にも多くのリベラル派が上記の虚偽告発事件に際して正義依存問題というべき糾弾をしている(ttps://togetter.com/li/2283797)。しかし平野啓一郎氏が疑問視するように、正義依存問題はリベラルの大多数に当てはまるものなのだろうか。確かに上記糾弾に参加していないリベラル派も多い。
自分の理解ではやはり、正義依存問題はリベラル派一般に当てはまる事象だと思う。その根拠は、リベラル派の中で上記の町長糾弾者を批判した人が皆無に近いからである。
日本にリベラル派は何人存在するだろうか。立憲民主党の支持率が5%、有権者総数が1億人程度いるので、500万人が立憲民主党の支持者であり、少なく見積もってもその1割の50万人は意識的なリベラル派であろう。少なく見積もってもリベラル派は50万人もいるのに、件の草津糾弾問題を批判した人は何人いるのか。この内のさらに1割の5万人が糾弾に参加した人を批判していれば大きな話題になっているはずだが、実際にはそうはなっていない。
「『正義』に依存するために個人であることを捨てている」、要するにリベラル派は党派的な動機で、糾弾に加担した同じリベラル派への批判を避けたのではないか、このように疑われる状況なのである。
それでもなお正義依存問題はリベラル派一般には当てはまらないと反論したいのであれば、件の糾弾者達を批判したリベラル派を5万人挙げろとは言わないが、まずは5人程度は挙げる所から始めるべきだろう。
はちゅうvsオードリー、福永活也vs高橋雄一郎、ネオフラワーデモvs仲岡しゅん先生、暇空茜vsコラボとか知らんのか
どれも名誉毀損から損害賠償に発展し、仲岡しゅん先生なんか84万円、コラボは三桁万円の損害賠償がみとめられ、仲岡しゅん先生は動産執行で回収し、ネオフラワーデモにクアラウドファンディングによる賠償金の回収に協力してるんやで
愛国心で燃える俺の血が、左翼の涙で冷めるなんてさ。まさか月が西から昇るみたいなもんだぜ。でもな、あれは雨の日だったんだ。傘が右に傾いてて、俺の魂は左に流されちまった。
憲法改正のプラカード持って街宣してたら、反戦デモの列にぶつかっちまってさ。そしたらよ、目の前にいたパヨクの女の子が「平和」って叫んでる最中に、俺の口に吸い込まれちまったんだ。
舌の上で、右と左がグルグル回って、もう訳分かんねぇ。頭ん中で君が代が流れてるのに、体は国際歌のリズムで踊っちまってる。
靴下は右足が日の丸、左足が日教組旗柄。もう何が何だか分かんねぇよ。でもさ、不思議と心地良いんだぜ。
ミッドコアの踊り子です。
分身からの攻撃は苦手な人がいそうだな~という感じ 実際に事故が多い つらい
床壊れるところ、Nやってるときは「零式になったらヤバそうだなあ」と思ってたけどパンチかアッパーかの初見殺し以外は難しいところ何もなかった
暗闇の雲が再来しなくてよかった
結局綺麗な解法も見つからないままでウケている。
たまにはこういうのがあってもいいのかくらいの難易度ではあるか 近接可哀想だなあと思った
ギミック単体で見るとどれも2層にしては難易度高いけど、ランダム要素がロール別だから処理覚えればすぐできるようになっててバランスいい
気合で避けるところ以外は
今後これ増やして欲しいな
H1さんは踊り子が居たら4ショック距離減衰ペア頭割りの時動けたら動いてあげてください 頼みます
ミスりやすいところとバーストタイミングがズレてるから立て直しやすかったり、バーストのタイミング木人になってくれたり、ずっと優しくて助かる
画面端に移動すること以外は完璧
久しぶりに前後半繋がってる4層、おじさんには若干のつらさがある
前半は早々にランダム要素の処理固定化解法が出回ってくれたおかげで難易度が格段に下がった気がする
日出が判断!判断!判断!でキツいのは言わずもがな、最後の剣の舞も判断+狭安置でみんな疲れてきてミスりやすいのが怖い
後半、DPSチェックが緩い以外はあまり簡単な要素ない気がする
程良さ いいね
零式は難易度これくらいにして、DPSチェックだけもうちょっと絞ってくれたら丁度いいんじゃないかなあ
次も楽しみ
同じく表現の自由を大切にしている立場として、一部の人たちが「表現の自由戦士」と呼ばれることに疑問を感じていました。
どうして、同じ目標を持っているはずの人たちが互いに対立しなければならないのか、と考えていたのです。
これは「仲良くしろ」という意味ではなく、意見の違いが生まれること自体が不思議であり、少し愚かに感じていました。
しかし、夏のコミケでの盛り上がりを見て、私の考えが少し変わりました。
特に、コミケ会場近くで行われたヴィーガンデモに対する批判を見て、その気持ちが強まりました。
これまでもデモに対する批判は見かけていましたが、今回の批判は少し違いました。
”サークル申し込みして、なぜ人はヴィーガンになるべきなのかの本を出せ!自然完全配慮のコスプレをして歩け!”
https://togetter.com/li/2416923
この状況を見て、私は確かに一理あると感じる一方で、なぜコミケでやることを強制されなければならないのだろうか?と疑問に思いました。
その瞬間、色々な考えが解けていくような感覚を覚え、「エウレカ!」と腑に落ちる瞬間を感じました。
批判をしていた人が普段から表現の自由を主張しているかは分かりませんが、この瞬間、「表現の自由戦士」という言葉が持つ意味が少し理解できたように思いました。
自分が慣れ親しんだ領域では表現の自由を大切にするが、それ以外の主張や方法に対しては無意識に排除してしまう感覚。
それが、「表現の自由戦士」と揶揄される人たちに特徴的な傾向として捉えられているかもしれない、と感じたのです。
一度そういう概念を取り込んでしまうと急に過去の諸々が輪郭を帯びてリンクしてきます。その後、他のまとめを読むと、
グロいものを見せるな、警察に通報した、公共の場だというのがわからないのかといった非難が出ているのを見かけました。
https://togetter.com/li/2416758
これが一般的な意見なのかどうかは分かりませんが、これを読んで、どうしても「宇崎ちゃん」献血ポスターに向けられた非難を思い出さざるを得ませんでした。
「宇崎ちゃん」献血ポスターに対しても、公共の場における表現についての批判があったことを思い返しました。
ヴィーガンデモでの批判と「宇崎ちゃん」献血ポスターへの批判は、表現に対する反応という点で似ていると感じました。
こうして考えが巡る中で、
「嫌なものを見させられない権利」を主張して宇崎ちゃんとか叩いた人たちはコミケでのヴィーガンぽい連中の行為を批判してくれるのだろうか
https://togetter.com/li/2417081
というまとめが作られていることに気づきました。
なるほど、こうやって自分の主張ではなく他人の主張に対するカウンターというスタンスになるのですね。
これらの思考の流れの中で、私は何か重要なことに気づいてしまったような感覚を覚えました。しかし、同時にその気づきが少し怖くも感じられました。
ネットで真実とか、Qアノンとか神真都Q会とか、あるいはそれに近いのかもしれないと考えると背筋が寒くなります。
最後に、これはあくまで私の気づきを共有したものであり、ヴィーガンが正しいとか、批判者が間違っているとか、そういうことを主張したいわけではありません。また、「コミケでやれ」という意見がネタやノリであったことも理解しています。
デモぐらいやれるでしょ
いいか、なぜ今すぐX/Twitterのアカウントを消すべきなのかって話を今から俺が分かりやすく説明してやる。
こんなことわざわざ言わなくても理解してるやつらはもうとっくにXアカウントを消している。
Xアカウントを使っていまだにTLを見ているやつらよ、お前らはこれから先に起こりうる犯罪に加担していると自覚しろ。
そもそもXを地獄のような今の状況に加速させたのはイーロンがインプレッションに価値を与えたせいだ。
そのせいでインプレゾンビとかいう金に群がる害虫どもがXに集結してる。
ここまで言っても分からんやつらよ、インプレゾンビが減らないのはお前らがいつまでもそこでTLを見てるからなんだよ。
お前らはアカウントを持ってるだけでインプレゾンビを増やす手伝いをしてるんだ。
お前らがアカウントを消せばインプレゾンビどもに金が入らなくなりあいつらも別の場所に金を探しにいく。
「でも企業や公式の情報がー」とか言ってるデモデモダッテ野郎、その発言はお前が自己中心的な考えの社会悪だと自己紹介してるようなもんなんだぞ。
Xのアカウントを消した賢いやつらはこう考えてるんだ。
大勢がXアカウントを消して大勢が他の場所に移ればその移った場所に公式アカウントも来る。
逆に言えばXを全員でボイコットしないといつまでたっても公式は動かない。
インプレゾンビと同じで沢山の人が見る場所で発信しないと意味ないだろ。
どんなに馬鹿でも国民は国民、馬鹿が集まってる場所にも声かけはしないといけない。
いつまで経ってもお前らが動かないから企業も公式も動けないんだよ。
先陣を切る人間がいないとこういう自己中で考える能力のないやつらも動かない。
だから本人たちも身を切って不便を承知で新興SNSを開拓してるんだよ。
他のSNSでも同じことが起こるだろうと思うやつもいると思うが、例えばBlueskyにはモデレーションリストという仕組みがあり、スパムや業者を集めたリストを作り一括でブロック/ミュートしたり、それをユーザー間で共有することも出来る。
自分の不快な人物をモデレーションリストに入れ公開して大勢でブロックを促すようなクズもいるが、そういう問題も含めX以外のSNSは少なくとも現存する問題に取り組む姿勢を見せている。
昨今のイーロン周りのニュースを見ていて、奴にXを改善する気持ちがあるとは思えないだろ。
SNSをやめることが出来ない人間はせめて使うツールくらいは先に希望のある選択をしてくれよ。
あいつらは存在するだけで必要な情報に辿り着くのを阻害するだけでなく、スパムやデマを全方向に拡散していく。
「自分はそんなデマに乗らないし」と思っている馬鹿どもよ、だからお前は馬鹿なのだ。
慌てて消そうとするもその一瞬のリポストをフォロワーが一瞬でリポストしたら?
そのリポストされたデマを見た教養のない人間がその情報を鵜呑みにして死んだら、それはお前のせいなんだよ、お前が人を殺すんだ。
震災で沢山の知り合いが死んだ。
生まれたばかりの赤ん坊ひとりを残して夫婦共々死んでしまった同級生もいる。
震災のデマや風評被害で俺も周りもみんな精神を蝕まれ、今もなお精神科で治療を続けている。
幸せな生活を送るやつらには、家や故郷を失うだけでなく、Xを使い続けるやつらのせいで心を壊し、生き延びた命を自ら消しにいく人間の想像なんて出来ないのだろうな。
Xを使い続けるやつらよ。
お前らに人の心があるのなら今すぐXのアカウントを全て消してくれ。
お前らの「最新情報を知りたい」という自己中心的な欲のせいで死んだ人間、そしてこれから起こる南海トラフ地震でのデマや風評被害によって死ぬであろう人間がお前らの大切な人である可能性をどうか考えてくれ。
コミケでヴィーガンが屠殺の写真を参加者に掲示し「その画像により吐き気を催した」という話
・ひょーげんのじゆー
・これは許容しなくてはならない
・目をそらす自由がある
・嫌なら見なけりゃ良い
滑稽だよね
これ、大阪の雀魂バニーポスターとか、エルフ先生の小水POPを「表現の自由」って場所に仕舞ってしまったから
もう何がどうなろうとそう言うしかなくなった人らが観測できるよ
本来は適当(ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと)にお気持ちで調整してさ
ゲームや書籍がやってる自主規制とかで世間様とすり合わせしてさ
法規制って話が盛り上がらないようにしてるわけじゃん
でも、一部の不心得者が、その枠を抜け出してヤラカシた時にさ
ひょーげんのじゆーって
この言及者の滑稽なところは、法を犯してるわけじゃないとか言い出しちゃうところでさ
お前それ言ったら、相手が法規制のロビー活動するだけなんだぞってのが解ってないのよね
で、相手が法規制に動くと、ひょーげんきせー、って大喜びなんだけどさ
いやいやお前らが言ったんだろ?
「法を犯してない」って
ほな、法で縛りまひょってなるだけやん
表現テロやりたい放題で、法規制されてないならナンデモアリな場にしたいわけ?
絶対に、自分の身辺に不快な表現が出たら文句を言うだろう、かっっっるい言動のアカウントがさ
なぜ女性差別をめぐる論争はたびたび炎上するのか。性問題の解決に取り組んでいるホワイトハンズ代表理事の坂爪真吾氏は、「多くの問題は、原因をジェンダーに還元するだけでは解けない。しかし『ツイフェミ』と呼ばれる動きは、すべてをジェンダーに還元するため、『被害者/加害者』という二元論に陥っている」
ここ最近、「ツイッターフェミニズム」(ツイフェミ)と呼ばれる動きが一部で広がっている。一見すると、ツイフェミはミサンドリー(男性嫌悪)によって突き動かされているように思える。だが、ツイフェミ=ミサンドリストという理解は、決して正確ではない。
ツイフェミの言動が過激化する背景には、「男が許せない」という怒りに加えて、もう一つの大きな怒りが存在する。
ツイフェミが攻撃するのは、女性嫌悪に満ちた男性だけではない。女性嫌悪に染まっておらず、フェミニズムに対して理解を示すリベラルな男性たちもまた、彼女たちの攻撃対象になる。女性への性暴力に反対するデモやイベントに来た男性に対して、主催者が「男性の方もこんなに来てくださった」「賛同してくださる素敵な男性もいらっしゃった」と感謝の意を述べると、「少しでもまともな男に出会った時に感謝する癖は見直すべき」「被災者がボランティアの接待をさせられているのと一緒だ」といった批判が飛び交う。
フェミニズムから派生した学問であり、男性に対して「男らしさの呪縛を解き、女性とお互いを尊重する対等な関係を築こう」という視点から啓発活動を行っている男性学も、一部のツイフェミからは「男性がフェミニズムの言葉を簒奪して自己弁護をしているだけ」と、親の仇かたきのごとく敵視されている。
なぜ彼女たちは、女性を搾取するヤクザやホスト、DV夫といった「明らかな敵」ではなく、「明らかな味方」=自分の身近にいる、フェミニズムに理解を示すリベラル男子たちを執拗に叩くのだろうか。
最大の理由は「自分たちの攻撃が最も通じる相手だから」である。「何でも斬れる刀」としてのフェミニズムは、基本的に近距離戦でしか使えない。フェミニズムの理論は独特の言い回しや専門用語に満ちているので、使い道を間違えると、同じ文脈や言説空間を共有している人(=フェミニスト!)にしか届かなくなる。
そのため、フェミニズムに親和的なリベラル男子は、ツイフェミの言葉を理解・共有できてしまうがゆえに、最もツイフェミからの被害に遭いやすい。
2020年4月22日、馳浩元文部科学大臣を含めた国会議員らが、一般社団法人Colaboが虐待や性暴力で居場所を失った少女たちのために運営しているカフェを視察した際、10代の少女に対するセクハラ行為があったとして、同法人代表の仁藤夢乃(@colabo_yumeno)は、参加した議員ら全員に文書で謝罪することを求めた。
この事件はツイフェミの間で大規模な炎上を巻き起こし、安倍晋三首相は同月29日の参院予算委員会で、馳元文部科学相を厳重注意する意向を示した。
女性支援に取り組んでいる男性の政治家や社会起業家、ジェンダー平等を目指した政策提言や署名キャンペーンを行う男性の社会活動家やジャーナリストは、ツイフェミにとって格好のターゲットだ。
彼らの言動や事業の一部を恣意的に切り取って、「差別に無自覚」「儲け主義」「自己顕示欲を満たすために、女性を利用している」といったレッテルを貼って炎上させる。
燃え盛るタイムラインを眺めながら、「コスト優先で人権感覚のない人たちの運動って、やはりこういうことだよね」「化けの皮が剥がれたよね」とうなずき合うことが、彼女たちにとって至福の時間になる。
しかし、ツイフェミが最も激しく攻撃するのは、女性差別に無自覚な男性でもなければ、リベラル男子でもない。フェミニズムそのものである。
ツイフェミが抱く「フェミニズムが許せない」という怒りは、「男が許せない」という怒りと同様、あるいはそれ以上に激しく燃え上がる傾向がある。
著名なフェミニストによる記事がウェブ上でアップされると、待ってましたとばかりに、すぐに発言の一部を切り取ってSNS上で拡散させ、「この発言は、○○への明らかな差別だ!」「こんな人がフェミニストと名乗るなんて、絶対に許せない」と一気に怒りをヒートアップさせる。
普段は「女性はこうあるべき」という性規範を否定的に捉えているにもかかわらず、「フェミニストはこうあるべき」という規範にがんじがらめになってしまい、その規範から1ミリでもはみ出した言動をする人が許せなくなる。
ポルノや性産業を批判しない者は、フェミニストではない。女性の客体化を批判しない者は、フェミニストではない。男性の性的なまなざしに迎合する者は、フェミニストではない。性暴力被害者の声に共感しない者は、フェミニストではない……などなど。
そして、「誰が本当のフェミニストか」という問い=「何でも斬れる刀」の正当な使用権や相続権をめぐって、フェミニスト同士で壮絶な斬り合いを演じるようになる。