「オフ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: オフとは

2014-04-13

オフェってなに?

カフェ経営の基礎知識 http://www.fehemp.net/

ってサイトの冒頭「オフェを経営する~」って、どんな間違いだよwww

2014-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20140410135155

元増田です。

ぶくまでいろいろ意見もらったようなので返信っていうかそんな感じで。

・「重くない」って意見

クライアント使うと重くないのか。使ったことないんでわからなかったよ。教えてくれてありがとうちょっといろいろあさってみる。

・「黒いRTはクライアントフィルタリングすればいいだろ」って意見

これもクライアントつかったことなかったんでわかんなかった。黒いRTがなくなればどれだけ快適か。トライしてみるよ。ありがとう

・「黒いか?」って意見

ちょっとだけ具体的にいうと「○○の農民人殺しだ」とか「○○の人間子供を産めない」系の話。マイノリティ差別とかそれ関係もある。もちろん元のRTも見るのもいやな感じなんだがそれに反論する系のツイやRTも怒りに満ち満ちてて黒くて、もう見るのもいやな感じ。RTオフにすればいいかっていうと、9割くらいは有益なRT飛ばしてくれる人たちだからオフにもできないしリムーブする気にもなれないっていう悩みを抱えていた(「高々ネットでこんな悩むこともないよなあ。でもなあ」って、悩むこと自体悩みっていうか)

こんな感じかなあ。

あと会話に使うかっていったら、やっぱりあんまり使う気になれないなあ。

これは自分がちゃっとになれてなくて、あんまり長い時間会話するのが苦手、ちょっと挨拶する程度の方が気持ちがほこっとなるクラスタからだと思う。わざと時間おいて返事するって操作すればいいんだろうけど、同時間にいるのに無視するってのがどうしてもできないんだよね。性格の問題かな。

2014-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20140410133008

バカとハサミは使い様。高卒が向いてる仕事はたくさんある。

高卒は文句もいわずルーティンをこなす力はすごい。

私たちにはできない(精神的に)頭をオフにする力って重要だと思った。

2014-04-01

これはどうなんだろ。

20代 喪男。今までにろくに恋愛経験もない。

最近SNSオフ会で知り合った人が気になっている。

共通の音楽という枠で集まった人たちのオフ

昔の自分だったら好きでもまず参加とかはしなかっただろう。

というのも散々人間関係に苦労してきた経緯があるので、自分が行って大丈夫かなとか馴染めるかなとか物怖じしてしまって中々できなかった。

前提に人見知り激しい。内気があるんですが。

このままじゃいけないなーと思って去年始め位からアクティブに活動してきた。

それによって、新たな収穫があったのもまた事実である

さておき、気になる人の話。

俺はプロフィールにざっくりと職種を書いている。事前情報があったほうが突っかかりやすいだろうと思って。

だが、俺の職種はマイナーではないが今までに携わっている人にあったことがない。

当日はかなりの人数がいたのだが色々あって彼女としゃべることができた。

その中でわかったのが、なんと元同業者だった。それにより業界話もしたりして盛り上がった。

俺の悪いクセでもあるんだが、初対面でも懐ける人がいるとその人に関しては心オープンになる。

んでお開き。その後はSNS交流を深めている。次に会うのが4回目になる。

もちろん、その他大勢で。

ここでも何もないのだろう。いざ本人を前にすると怖くて何もできないんです。

まぁ要は自分勝手に親近感持っていいなーって思っているだけなんです。

告白した所でFoされるのがオチでしょう。こうやって密かに思ってる気持ち悪い男です。

2014-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20140325171538

無理。新宿都庁移転してくれて少しはマシになったけど。

偉い人達東京信仰というか見栄というかを捨ててくれない限り

本社東京にある会社が多くて、しかもそういう会社に限ってオフで合わないといけないし話が長いし打ち合わせ回数も多い。

まだまだデジタルデバイド世代が中心なんだよ。

そのために小さい会社東京に対してアクセスがいい場所オフィスを置かざるをえない。

 

大きな会社にとって打ち合わせコストは0円なんだよ。

あと20年ぐらいは、ムリだろうな。

2014-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20140322043114

リアルに死のうと思っていたのは、2010年1月、実家に帰るのがこわくて、オフィルの高層階、寮の近くの団地、探してさまよった。実家の近くの大学の高い塔に登って地面との距離、衝突時の衝撃を目測した。

上野まで来て、遠くまでいこうとして、頭が朦朧とした。昔住んでいた日暮里の近くから舎人ライナーに乗り、ホームセンターで、サンポール硫黄を買おうか、ロープを買おうか、非定形で死のうか、定形で死のうか。

ドアノブにロープを引っ掛けて、吊るのは簡単だった。2chのスレを見て、探していた。自殺の値段をジュンク堂で汗を垂らして立ち読みした。バスのりばまで来て、高いビル、人の迷惑にならない場所を探した。

今は死なない。死なない。親に生きてほしい。姉に生きてほしい。俺も俺じゃないだれかとして生きてほしい。ダラダラいきたい。しっかりいきたい。

死ぬことをしていないから、あの時必死に止めてくれた、入院する親に対して何かできるかもしれない。

死ぬことをしていないから、あの時殴られた姉の子供に会えるかもしれない。

俺は恵まれれているのかもしれない。人生は辛い。

かなり、持道具をそろえないと、やっていけない状態に否が応でも追い込まれる。

でも、やっぱり死なないでほしい。日本社会はえらい辛いから。。。

本当にやっていくのは辛いんだけど。俺に相談してくれ。

http://anond.hatelabo.jp/20140322050206

基本は1つのデスクトップに1つのアプリ

トラックパッドの三本指スワイプデスクトップ切り替え・ウインドウ切り替え。

これがMacOSX操作方針なのでトラックパッドは必須マウスは使えない。

アニメーションなんかは設定である程度はオフにできるけど、

たとえばジニーアクションは「ウィンドウがどこに収まったか」を強調するためのものなので、

けっしてオサレだけではないのだよ。

あと、Winで「これがないと作業できない」というアプリがあるのなら、それはもうWinを使うしかない。

Macの中で「Winときと同じ仕事」をしているなら、そりゃWinでやった方がいいのは当然だ。

それはOSの出来とは関係のない、どこの世界でも共通の、仕方のないことだよ。

「こういう仕事が来たらこアプリでこう処理してこの形式で相手に送る」っていう無意識ルーチンは、

OSごとに個別に作りあげる必要がある。

2014-03-19

艦これキモいと言うけれど

世の中のMMOの方がよっぽどキモいと思うのは自分だけだろうか。


MMOというのは要するに、半年で最低1000時間以上はやり込む廃人達が、ユーザの中心的人物として居座り俺TUEEEEしまくるゲームであって、運営はそれを止めるどころか、そういう上客の意見ばかり取り入れてアップデートを繰り返すという流れが常態化しているわけで(まあお得意様を贔屓するのは当たり前だけど)。

というか廃人普通プレイヤーとの格差が生まれない、あるいは生まれにくいゲームなんて聞いたことがない。


それに比べたら艦これはほぼオフゲに近いし、ブラゲやソシャゲとしても他のユーザとの競争を煽られないというオリジナリティもあるし、そこら辺のMMOなんかより遙かに良くできてると思うのだが。

2014-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20140314152032

日経平均はこの3日で900円近くも落ちているのに為替は2円も円高になっていない。アメ株だってその期間トータルで

それほど大きな下げにはなっていない。ウクライナ情勢と中国経済危機リスクオフだけではとてもとても無理。

http://anond.hatelabo.jp/20140314152032

ウクライナ情勢と中国経済危機さらECB総裁ちょっと牽制気味なこと言った事によるリスクオフ方向へのシフトなら

昨日のアメ株や今も動いているダウ先物が下がっているはず。円高って言ったって今日は30銭も強くなっていない。とても

500円に迫る下げを説明できないよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140314150739

ベア全く関係ない。

ウクライナ情勢と中国経済危機さらECB総裁ちょっと牽制気味なこと言った事によるリスクオフ方向へのシフトによる世界的な株安。

リスクオフで円が買われるからその影響がでかいだけ。

あと、ばかみたいに上げたんだから動きやすいだけ。

2014-03-08

伊藤計劃キリストを超えた。わけあるか。くたばれ。

<hopelessness>

これは、どうにもならない。

</hopelessness>

伊藤計劃は偉大な作家だ。

少なくともある程度本を読む人間にとって、彼の代表作、評価、 その死後の受賞歴を長たらしく記す必要がない程度には。どうしようもなく。

それゆえに、ある種の人にはその逝去を悼まれる死者として、またある種の人には越え難い壁として、

そしてある種の人々には華々しい装飾品として扱われる。

更に法人からSF業界に新しい息を吹き込む新鋭として、 また広告塔として。素材として。贄としてだ。

彼の最大の幸福早川書房との出会いである

小松左京賞を逃した『虐殺器官』が早川書房へと持ち込まれ、ハヤカワJコレクションとして発刊される。

本作の評価、また出版のうえでの編集者との出会い等がなければ『ハーモニー』が生まれることはなかっただろう。

彼の死後、同社より、関連書籍の刊行が相次いだ。 『伊藤計劃記録』をはじめとして、ブログ及び個人ページに書きためていた映画評、

同人雑誌への寄稿が次々と出版され、多くの読者たちの手に渡った。

『記録』の主な素材は短編小説のほか、彼のブログに重ねられた書き捨ての文章である。その時既に彼の文章は死者の書物として上書きされていた。

だが、それらの文はインターネット上といえ、確かに人に見せるために彼自身の手により発信されたものだ。公開できるものとして。自らの分身として。

豚はその皮を食い破り、腸を捕まえる。裂け目から沸きだした臓物の汁の一滴まで啜り続ける。 その餌を与えたのもやはり同じ、早川書房である

文庫化を機にベストセラーとなった『虐殺器官』には、解説という名の追悼文が録されている。

近しい知人のみに公開されたmixi日記に連ねられた彼のことばが、共有される感動の実話として金を集めていく。

豚たちにとってそれは飲み込まれるのを待つだけのコンテンツ喪失という名の欲望を満たすために在るただの肉でしかない。

彼の最大の不幸もまた同社との出会いであった。

現在ブックファースト新宿店では「伊藤計劃を超えろ!フェア」が実施である

新宿駅から西口方面に足を運んでみれば、きらびやかなポップ体の横断幕がきみを出迎えてくれる。

並んでいるものを見れば何ということはない、ただの新人博覧会だ。

ただの博覧会であるからこそ、彼の名を据える必要がどこにあるのだろうと考える。

それは書店を出て左手に曲がれば見える、マクドナルドの壁に張られた新作商品広告

プリンタ限界まで引き延ばされた少女たちの、血色の粘膜をめいっぱいに広げ、バーガーかぶりつこうとする笑顔と何も変わりはしない。

意味など最初からない。それは羽虫たちを惹き寄せるだけのためのただの明かりだ。

...そんな「人間意識」だけが死んで、自分のように振舞う要素だけが

言うなれば魂なきコンテンツけが生き延びてゆく。

これこそまさに、煉獄というやつなのではないか。

「From the Nothng, With Love.」(『The Indifference Engine』(ハヤカワ文庫JA)) P.254

伊藤計劃はこれからコンテンツとして生き続ける。言及は絶えず続き、没後の節目を迎えるたびこのような商業作戦は行われ続けるだろう。

「彼の本が」ではない。「彼が」でもない。そこに掲げられるのはもはや彼ですらない、幻想としての"伊藤計劃"だ。

"それ"は新刊をさばくための道具だ。士気を煽るための墓標だ。いつでも痛みを味わえる、簡単で都合のいい薄っぺらい擦り傷だ。

またはただの便利な、ブログツイートの空白を「かんがえさせられましたにっき」で埋めるための装置だ。

伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、

あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。

虐殺文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、

ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。

彼らにとっての社会はそこで閉じている。「知っている」「考えている」ところを「他人に見せる」ことで完結している。

から少しでも話が小難しくなればWikipediaさえも読み通せはしない。

参考文献などページ数の無駄しかないと思っている。

ただ彼を善く語ることで自分を見せることしか考えていない読書人を殺せ。

売れる本を売れるときに金に換えるためだけに存在するキャンペーン書店を焼き倒せ。

故人をコンテンツフォロワーを増やし、友達にくだらない話をすることばかりしか頭にないソーシャルクソ野郎を排除しろ

創作物に死の匂いを振りかけて、クソ野郎のための新しい餌の在処を振りまくクソ書房はおとなしく無個性ライトノベルでも出していればいい。

死者の日記帳よりよっぽど健全だ。

派手な色彩の建物はまかりならん、と誰が法律で定めたわけでもないというのに、そこに広がっているのはひたすらに薄味で、

何の個性もなく、それゆえに心乱すこともない街だった。

どこまでも、ひたすらに、河の両岸を果てしなく。

彼らの漬かった沼を満たす泥は金だ。あるいは承認の欲望だ。

社会的であらねばならないこと。そのポージングが直結する意識下、無意識下のスタンドプレイ同調圧力強要

彼が稚拙ともいえる比喩で、『ハーモニー』の作中、あからさまに批難したのはこのやさしさの窒息ではなかったか

取り合う手と手に首を締められるその苦しさではなかったか

虐殺器官』に描かれた偽りの平和主義破壊に、お前は何も思うところは無いのか。

自分が何を読んだのか、何に心を動かされたのか、少しでも彼の書いたもののことを思うなら、WiFi電波オフにしてもう一度考えてほしい。

墓の上のワルツを今すぐにやめろ。

目障りでやかましいステップを停止しろ

お前は何ひとつ自分の頭で考えちゃいない。

彼は神ではない。

彼は救世主ではない。

お前を輝かせるための装飾品ではない。

お前はお姫様ではない。

ただの惨めで愚かな豚だ。

歌って踊るだけのこの世の屑だ。

臭い口を閉じろ。

キーボードを叩き割れ。生きる資格など無い。

彼が評価されるべき理由は「死んだから」ではない。

生きて、素晴らしい小説を書いたからだ。

ブックファースト新宿店様ではただいま「伊藤計劃を超えろ!」フェアを開催中です!

藤井太洋さんも含めた次世代SF作家代表作がドバーッと網羅されています! 必見です! http://pic.twitter.com/soYpfhPPDn

恥じろ。 醜い。

2014-02-25

フィギュアとか好きでも嫌いでもないんだが、久々にテレビを見て首をかしげざるを得なかった。

なんでたかだか六位入賞で「よくやった!」とか大騒ぎしてるんだ?

国の代表として出場した五輪で、失敗したのは選手本人だろ?

それを、「前の失敗を完璧な演技で巻き返した」だの、「自己ベスト」だの、そんなに褒められるような事なのか?

巻き返してないよな。メダル圏内まで巻き返せたら評価に値するけど。6位では。

金でも銀でも銅でも、メダル持って帰らない事には五輪の実績とは胸張って言いづらいし、そうなればただの自己満足に過ぎない。

二度目の挑戦でスコア上げた奴も他競技にも一杯いる。五輪舞台自己ベスト更新してる奴は他にも沢山いる。

なぜあの選手一人を取り上げてもてはやす

チャンネルを変えても変えてもやっている内容がまったく変わらないのは、見ていて怖かった。

流れに乗ってばかりいないで、もう少し違う視点でも番組を構成してくれよ。

それと、6位が凄いとかそういう流れを作るな。凄くないから

世界大会というなら、ここ一番でも失敗しない人間をこそ出場させるべきだし、森元総理失言あながち外れているとも思えない。

人選ミス選考委員の責任になったりしないのか?

まおちゃん6位おめでとう!失敗に挫けず頑張った!」とか、人気選手だろうが何だろうが、昔だったらメディアからでも投げかけられる言葉は違ってたよな。

一体いつからこの国はこんな甘い社会になったんだ?



13時間後 追記

まさかブクマ200超。

前のエントリといいこのエントリといい、釣るつもりもなくただ単に思った事を書いただけでこのブクマ数とは。

河岸を変えれば釣果も変わるとは言うが、いやはやそれにしてもまあ。釣り神様でもついてるんかな?

ともあれ、絶対的評価では世界六位は確かに凄いけど、相対的評価ではそこいらを世界一位や二位や三位がメダル持ってうろうろしてるわけだし(選手村)、まったく凄くないわけだが。

素直にそれを認めようとしないメディアは、やっぱりあれかねえ。一種のドラマストーリーというよりも、むしろ信仰を築き上げたいのかねえ。

仕事では信仰を守る側だからオフでは信仰破壊したくてたまらない。

というわけで釣り主でした。http://d.hatena.ne.jp/oramuda/20140218

2014-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20140224111036

まあ、日本語編集なんてする機会それ程ないだろうから。。。

でも、日本語も割りと賢く単語単位で動いてくれるよ?

漢字とかで判断してるんだと思うけど。

あと、モード切替時に一々日本語入力をオン・オフしなくちゃいけないのも不満。

(解消するプラグインあるらしいけど、標準では付いてない)

まあ、これは確かにあるけど。

プラグインでやる、というより、GVimならIMEと直接連携出来てなんとか出来るような派生版があったりするけど、

そうでない場合は外部のキーマップソフト連携、っていうのでちょっとメンドイな。

まあ、それは他のエディタでも同じことあるんだけどね。そこまで使いこなしてないだけで。

http://anond.hatelabo.jp/20140222185627

vim英語圏テキストエディタなので日本語編集には不向き。

英語単語がスペースで区切られているから、単語単位での編集コマンドが生きてくるけど、

日本語にはスペース区切りの習慣は無い。

あと、モード切替時に一々日本語入力をオン・オフしなくちゃいけないのも不満。

(解消するプラグインあるらしいけど、標準では付いてない)

2014-02-16

つながりが欲しいコミュニケーション嫌い

人との関わりは欲しいとは思うけど、SNSがどうも好きになれない。

オンでもオフでも自分からしかけることは苦手だし、話題も続かないことが多いけど、それでも人と話すことは嫌いじゃない。

だけど、別に他人から監視されているわけでもないのに監視されてるかのように妄想してしまう。

mixiも少しやってはみたがどうもなじめなくて2週間ぐらいで使うのをやめてしまった。

そのせいかfacebookは始めてみようとすら思わない。

Skypeアカウントも持ってはいるけど、「今そこにいる」というのを相手に知られなく無いからもうずっと起動していない。

それと似たような理由で、最近ゲーム機によくある、友達オンラインになったことを通知する機能すら鬱陶しく感じる。

LINEもほぼ同じ理由ですぐやめた。

Twitterは唯一だらだら続いてはいるけど、たいしたことも書いていないから注目もされない。

それなのに、書き込むとき位置情報だとかパーソナリティに関することは徹底的にぼかす。

位置情報をロギングするサービスとかよくあるけど、そんな余計なことなどして欲しくない。

結局のところ自意識過剰で、自分のことを知られるのが嫌なだけなのかもしれない。

それでも人とのつながりが欲しい、気のあう仲間が欲しいとはよく思う。

これはただの我が侭なんだろうか。

2014-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20140215213827

俺はふぁぼをもらってオフに呼ばれてセックスしたりしなかったりで満足感を得てるタイプなのでそういうのはわからん

2014-02-12

形而上学絵画麻枝准の『恋心』



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E7%B5%B5%E7%94%BB

 形而上学絵画というものがある。

 詳しくはwikipediaでも参照にしてもらいたいのだが、要するに、ごく普通風景を描いているように見えて、実際にはその風景現実には存在することの有り得ない、といったそういう絵のことである

 例えば、人々の足元に落ちる影の向きがそれぞれバラバラだったり、あるいは、走っている機関車煙突から延びる煙が、風に靡くことなく真っ直ぐ立ち上っていたり。

 そういう絵画のことである


 因みに「形而上絵画」において有名な作家と言えば、イタリア人のジョルジュ・デ・キリコがいる。

 ググって形而上絵画を探してみようとしたところ、中々見つからなかったので、彼の有名な一枚である『通りの神秘と憂愁』を例として貼っておくことにする。

http://blog-imgs-45-origin.fc2.com/c/a/r/carcosa/chirico.gif



 ところで、僕は大手ギャルゲーメーカーの『key』のドンである麻枝准の曲が好きである


 特にその中でも、彼がごく初期に書いた『恋心』という曲が好きである

 十年近く前に、ipodで繰り返しこの曲を聞いていたことを思い出す。

 時には、学校へ向かう途中に口ずさんだりもした。

 そして、この曲を聴いている時に、いつも僕が思い浮かべるのは、一本の木が植わった起伏のある平原である

 日差しは、まるで雨の日の朝に部屋へと差し込む時のように、薄い青色をしている。

 平原には一本の木を除いては、構造物と言えるようなものは全くなく、一切が見渡せるようになっているのだが、その地平線のいずれの場所を眺めても、例えば太陽とかそういったような光源は見当たらない。それでも、空と平原は一様に、薄ぼんやりとした青色に照らされている。


 先日、久々にこの『恋心』を聴いてみていた。

 iphoneを購入したのを機に、ipodに代わるデジタルプレイヤーとして、試しに昔好きだった曲を掛けてみていたのだ。

 すると、かつて僕が聞いていたのと同じように、例の、あの青褪めた、薄ぼんやりとした風景が浮かんでくることになる。

 僕は、その風景に懐かしさを感じながらに、十年前聞いていた当時よりも、ずっと克明に風景を思い出しつつあった。

 Liaの透明で素朴な歌声が、次のような歌詞を歌っていた。


 どんな君を好きでいたか、もう思い出せない。

 楡の木陰に隠れて、僕を呼んでいた


 僕はその歌詞に耳を澄ませながらに、ふと、何か不自然なことに思い当たったような気がしていた。

 自分が思い浮かべている風景に関して、何か、おかしな点があるように思えたのだ。

 そして、その不自然な点、というのに、僕はすぐに思い至ることができた。

 つまり360度全てを見渡せる平原において、光源の一つも見当たらないのに、空や地面が一様に同じ程度に明るい、なんていう光景は、実際のところ有り得ないということである

 僕は、その瞬間、自分意識が真っ暗になっていくのを感じた。

 キッチンに立って、サラダを作るためのお湯を沸かしながらに、暫く、僕は意識の空白に立ち竦んでいた。


 その暗闇から回復したのは、そう時間を経てもいない時のことだったと思う。

 僕の耳元には、イヤホン越しに、変わらずその透明な歌声が響き続けていた。

 彼女は歌い続けていた。

 僕は耳を澄ませていた。


 僕はその歌詞ぼんやりと耳を澄ませながらに、一つのことに思い至っていた。

 そう、僕が十年前に思い浮かべていた景色は、きっと、本当には存在し得ない景色なのだな、ということにだ。


 そして、暫くの後に、僕はひとまず気を取り直して、もう完全に煮立っていた鍋の、電磁調理器のスイッチオフにしていた。









 どこまでも続いてゆく、悲しい景色、君と、笑っていた

 いつまでも傍にいるよ、夢の中で、君と笑っていた

                                 麻枝准 - 『恋心』

http://www.youtube.com/watch?v=De_svyVs8jI

2014-02-08

歴史サークルとか剣術道場とか

http://anond.hatelabo.jp/20140207213329

オタク系の興味が高じて剣術を始めるって人が割といるらしい。

アニメとかゲームとかで剣振り回してたりするじゃない。ああいうのを自分でもやりたくて剣術を始める人がいるそうだ。

ほかには歴史系のイベントとかメイド喫茶オフなんかに出没する人が多いと思うし結婚相談所に登録している人もいる。

http://anond.hatelabo.jp/20140207170245

確かに、合コンには行かないですねぇ。

異業種交流会も行ったことはないです。

勉強会は少しアリます投資関係Unityとか、、技術系の勉強会は知らない人には厳しいですね。

インドア趣味でも、同人誌即売会とか、ドール服の即売会とかは行きます

でも、多分、いきなり出会ってもまともに話せないので、

趣味の合いそうなブログを探して、相手のことを良く知ってからコメントして、

個人オフみたいなカタチで出会うのがいいんじゃないかなぁと思います。。

2014-02-05

http://japan.cnet.com/news/service/35043481/

ここ1年くらいFlash使うサイトを利用した覚えないからFlashオフにしてみた。ブックマークしてるサイトを30分くらい巡回した結果。

よかったこと


こまったこと


ほとんどのサイトでやっぱり影響なかった。ももクロきじゃなかったら全く影響ないレベル。そういえば、syntax highlightをきかせたサンプルコードを掲載してるブログ等をflashなしで見るとアラート的なのが出たかも。あれうざいからそういうサイトがあったらFlashをまたオンにするかも。とりあえずFlashオフにしてもそれほど困らないことがわかった。

2014-01-28

理想現実

成人とアラサーの間で学士入学大学生彼氏無しでオタク腐女子。付け加えれば処女

スペックだけ書いたら「わーお素晴らしい事故物件だね!」と自画自賛できる状況。

考えてみれば母親は私の年齢の時点で既に父親と同棲状態にあり、数年後には私が産まれている頃だ。

周囲の社会人の友人たちはそれぞれ婚活に手を付け始めたり同棲したりと、着実に「結婚」の二文字へと歩みだしている。

今の状況を整理して、「世の中にはこんな面倒くさいやつもいるんから未婚女性の皆さん安心してね」というエールにしたいと思う。


予め言っておけば、私は喪女ではない。

初めての彼氏中学生の時に出来た。

頭の回転も早く、オタクとしてもジャンル被りをしていたために会話は弾み非常に有意義時間を過ごしていたと思う。

その当時の私といえば某週刊漫画誌に連載していた超人しか居ないテニスマンガの有名カップリング同人を描き始めた頃で、男が絡み合っている絵を描いては友人たちとニヤニヤして楽しんでいた。

そんな時でも彼氏はいたのだ。今思えば不思議でならないが、田舎の小さいコミュニティに男女がいればこういうことも起きたのかもしれない。

別れたのは別々の高校に進学することが主な原因で友人にもそう説明したが、実はもっと大きな理由があった。

お互い高校にも受かり(このずっと前から別々の高校に行くことはお互い知っていた。お互いの学力レベル的に地元男女共学は余りにも下過ぎたためだ)、これでしばらく穏やかにデートできるねーと校内のとある場所で2人っきりで話した。

その時、まあ簡単にいえばセックスしないかと言われたのだ。

私は断り、更に相手を殴り、そしてそのまま家路についた。

卒業も迫った時に初めてのセックス少女漫画だとよくある話だ。少女向けエロ漫画だともっと日常茶飯事だろう。

別に私もそういうエロ漫画を読んだことがなかったということでもないし、そもそも男が男の尻に突っ込んでいる絵を描いてあまつさえ売っていた人間だ。

何で殴りまでして逃げたのかというと、私にとってセックスというもの二次元であり、美しい人達がするものであると固く信じていたからだ。そして責任を持った大人がするものだ、ということも頭に叩きこまれていた。

前者は恐らく少女漫画が原因だと思う。当時は小学生向け雑誌ですら(ガッツリ行為は抜きの)ベッドシーンが描かれていたのだ。そして時代的にBL美少年たちがお互いを求め合うのが大多数。

そんな綺羅びやかな世界を見続けた後に風呂に入る。鏡に写るのは長くもない太い足と、がっちりした肩と、くびれはあるが出っ張りも目立つ腹と、凡庸かつ確実に美しくもない顔。

唯一漫画と同じなのは胸だけだった。それだけは未だに人並み以上にはあるのだが、それも私の現状の悪化の一因となる。

とにかく、美しい世界で繰り広げられる行為自分に照らし合わせることがどうしても私には出来なかった。喘ぎ声だってあんな可愛いものではなく怪物の鳴き声のようだろうきっと。苦悶の表情は相手を萎えさせるだろう確実に。

そんな人間セックスなんてものをしていいのだろうか?おまけに相手は大好きな人だ。そんな人にそんな姿を見られて嬉しい訳がない。

これが断った理由だ。

後者母親から教育が原因だ。

そもそも当時から今まで、私は自分彼氏がいたという話を一度もしたことがない。

というのも、中学、いや小学校高学年ぐらいか。それぐらいからこういう話を私に言い聞かせ続けた。

恋愛大学生になったらしなさい。人生を決めるのは大学なんだから、それまでは男にうつつを抜かしていたら、その時は幸せかもしれないけど将来幸せになれない」

(「じゃあオタク趣味はどうなんだよ」、と思う方もいるかもしれないが、母はその昔某星座守護に持つバトル漫画BL本を出しておられたお方で、「オタクは家に籠もるからよろしい。いつでも勉強できる」という考えだった)

ということで初めての彼氏が出来たという嬉しさを自宅に帰るたびに忘れることが日課となった。

そして昔から性教育も、モロな話をする訳ではないが学校で話が出た頃から教えてくれていた。

女の子の身体は大切にしなきゃいけない」「妊娠リスクを頭に入れておかなきゃいけない」「一番大変な目に合うのは女の子から、相手はちゃんとした人を選びなさい」

極真っ当だ。今でもその通りだと思っている。

からこそ、私は彼氏を殴った。

私は高校生になる前の、未来が拓けるところまで辿り着いていない「大切な身体」。

お互いまだ若く、「リスク」を受け入れられる環境ではない。

そんな私を「大変な目に合わせる」のか、この男は。

彼が私にいつものようにキスをし、それで終わるのかと思いきや教室で押し倒した時の一瞬でこの考えが頭の中を駆け巡った。

次の日、彼は私に殴った理由を尋ね、上記の回答をすると「こんな面倒な奴とは思わなかった。別に1回ぐらいいいだろ」と言ったので今度は引っ叩き、そのまま別れた。


ここからしばらく私の人生彼氏は登場しない。何故なら女子高に行ってしまたからだ。

次に現れるのは最初の、現役での大学進学の時である

初めて自分用のパソコンを買ってもらい、案の定ずぶずぶと深みに嵌った私は案の定とある掲示板オフ板に嵌ってしまう。

オフに来るようなのは大体男ばっかりだったが、萌えアニメにもブヒブヒ(当時は萌豚なんて言葉も無かったが)言うような両刀に育ってしまったために、むしろ普段つるむ腐女子たちの時と同じぐらい楽しく会話ができた。

私が出入りしていたのは新規歓迎なオフスレメンバーの流動も多く、知り合った人が顔を見せなくなったりなんてことは日常茶飯事だった。

それでもやはり数名のベテランもおり、そういう人と一緒の時は盛り上げ方も上手く楽しい時間を過ごせた。

そんなベテランが居た時のオフで知り合ったのが次の彼氏だ。

最初経験で気軽に男に近付いてはいけない、そして2chで何度か手痛い失敗をした経験からネットで知り合った人間個人情報を気安く教えてはいけない、とオフ初心者の割にはガードが固めではあったと思う。

なので勿論最初はただ楽しく話をするだけの相手止まりだった。

しかしその後、活動時間が似ていたのか何度かオフで遭遇し、そのたびに会話が盛り上がり、遂にメアド交換もし、直接会うことも多くなっていった。

同い年で大学も近い。講義後に待ち合わせてお互いの大学学食で一緒に御飯、なんていうリア充のようなことだってした。

何度目かのデート(もうそういうものだっただろう)で、「これ」と小箱を渡された。

開けると指輪。そして小さな紙に“結婚を前提にお付き合いしてください”の手書きの文字。

こんな映画みたいなことが自分に起きるのか、とその時は思わず泣いてしまったのを覚えている。

最初ネットで知り合い、「あのアニメエロ同人、あのジャンルとあのジャンルの有名サークルが出すらしいから手分けして並ぼうぜ!」と3日目を一緒に戦い抜き、

「お前のBLを受け入れるから代わりに百合を受け入れろ」と互いに譲歩し合い、

「ああ、この人とだったらたとえ老人になっても今期のアニメはどれがブヒれるか語り合え続けるだろうなあ」といつしか思うようになっていた。

ここまで見ればハッピーエンドだ。勿論そうは終わらない。

またしても私の頭が邪魔をした。


いいだろう。彼を生涯の伴侶としよう。私は幸せに一生を過ごすのだ。

…本当に?

薄々目を瞑っては来たのだが、彼と私は趣味以外が全くと言っていいほど噛み合っていなかった。

彼は喫煙者。私は嫌煙者。

バイトで溜まったお金フィギュアゲームになり、依存レベルではないが幾らかは馬に消えた。対する私は大のギャンブル嫌い。

ドラマ映画も糞、アニメが至高の文化」と公言する彼に対し、そこそこドラマ映画も見る私。

記念日に一緒にちょっと高い店で食事をすると、彼はいつも肘をつきナイフフォークの順番を気にせず使い、店員にはタメ口で話す。有難いことに食事のマナーは教えこまれて育ったために、それがいつも気になって仕方なかった。

そこでまた頭の中で考えが巡る。

「私は大切なこの体を、趣味時間を一緒に過ごすのが楽しいはいえ、それ以外何にも私と合っちゃいない人に預けてもいいのだろうか?」

「この先彼からホテルなり何なり誘われた際に、処女を捧げてもいいのだろうか?」

やはり頭に浮かぶのは性の問題だ。

その頃から既にネット上では処女が一番、それ以外はビッチで貶すべきである」という不文律が出来上がっていた。

その考えと今までの教育合致したために私の頭は両者を受け入れ組み合わせ、「結婚する相手じゃなきゃセックスしちゃいけない。もし別れでもしたら次に付き合ってくれる男性が居なくなってしまう」と考えるようになった。

その条件ならば彼はしても良い相手になる。だが上記の不満点を考えれば、彼とこれから先一緒に暮らすことなど到底出来ない。

何となく一緒に遊びには行くけど、という曖昧関係のままだったためにお互い手を繋ぐぐらいのことしかしていなかったのがある意味では幸いだった。

一度悪い結末を脳内で描けばもう元には戻れない。

私は一気に冷め、数日後指輪を返し「ちょっとこれ以上は無理」と別れを告げた。

理由を訊かれたが誤魔化した。本当にいい人なのだ趣味以外の部分を除けば。だから傷つけるようなことは言いたくなかった。


この2回の経験で私は、いかに自分が面倒くさく、幼少の教育人生の根幹に染み付いて離れず、そして妥協ができない理想主義者であることを思い知った。

この世に完璧王子様なんて居ない。そんなことは少女革命ウテナでとうの昔に学んでいる。

それでも私は出来るだけ理想的な人と添い遂げることを夢見てしまう。

でもきっと本当は、駄目なところすら受け入れるというのが本当の恋愛というものであり、結婚というものなんだろう。

実際私だって他の人から見れば完璧ではないのだ。そんなことは毎日風呂場で鏡を見るたびに思い知っている。

そんな私が誰かを否定できるような立場にいるはずもないのだ、最初から

それにネット世界意見を全て鵜呑みにしているのも悪いのだろう。

世の中の人間が全て非処女を嫌うわけでもないのだろうきっと。再婚する人だっているんだから

だとしても少なくとも非処女ビッチと蔑む人は確かに存在し、そして私は他人から蔑まれる側に自ら望んで行きたいと思うほどマゾでもない訳だ。

それを知ってしまうと更に私は守りを固めなければいけない、と思ってしまう。

この後も数人、現実世界ネット世界出会った男性と付き合いもしたが、凝り固まった私の頭のフィルターに全員引っかかっては消えていった。

成長してそれなりに化粧も覚えたり社会に出たりするも、結局顔は未だに凡庸で身体も残念。ただし胸だけはあったためにそれに引っかかる男性の多いことも知ることが出来た。

こうして更に私の脳内メモ記述が増える。「胸が目立たない服を着た時に残念そうな顔をした男からは即刻逃げろ」。


そして、今だ。

振り返ってみれば、もう今更どうしたらいいのか逆に分からなくなってしまった。

私はただ、この先ずっと一緒にいても良い人となら付き合いたいし結婚したいし、処女じゃなくなってもいい。

しろビッチにでもならなければこの理想主義も治りはしないのではないか。

こんな重たい考えの人間なんて誰だってお断りだろう。私だってこんな自分が嫌だ。

誰かの素敵な伴侶になれる人を私なんかの相手で時間を使わせるよりは、私が一人で生きていったほうが世の中のためにはなりそうである

幸せなことにオタクとして、腐女子としてはずっと楽しい毎日を過ごして来られている。知り合えた友人も多いし、有明に本を出す側になってもう長くなってきた。

自分を大切にして幸せに生きる」、ということだったら私はちゃんとやり遂げられている。だから、このままでいいのかもしれない。

「年を取ったらどうするの」とか、「病気の時はどうするの」とか、一人でいることに限界が生じる未来は確実に来るだろう。

その時までに私が理想を諦めるか、理想がやってくるか、今はまだ結論を保留にしておきたい。

2014-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20140126033936

設定でオフにしてないかぎり、ちゃんとメールも飛ぶはず。

レポートトラックバックのお知らせなんかも一緒にメールされてくるので、たいていオフにしちゃうんだと思うけど。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん