はてなキーワード: もつとは
単に困ってる人を放って置けないのか、助けて優越感に浸りたいのか、自分の存在を肯定するためなのかはわからないが、ネットで人助けをしてる。
別に大々的にやっているわけじゃないので目についた人しか助けていないけど。
利息とかもつけないで本当に貸すだけ。
お金が必要な理由はコロナで収入が減ったとか、転職する間の生活費とか、病院代とか。
老若男女問わず貸してきた。
遠慮がないのがシングルマザー。毎回毎回コロナが、子供が、クリスマスが、色々理由をつけてお金を借りる。
次の子供手当が入ったら、岸田のお金が入ったら返すって言うだけで返済されたことがない。
しかも連絡もしてこない。
一人につき50万以上貸してる。酷い話だ。
それに比べてハゲはいい。確かに、だらしない人もいる。でもハゲはいつでも誠意があった。
ギャンブルで貸したお金を溶かしたハゲもいた。でも泣きながら謝られたから許せた。
今ではそのハゲはギャンブル依存症の治療をして障害者雇用で正社員で働いてるらしい。
なんで急にこんな愚痴書いてるかというと、この前若い女に病院代ってことでお金を貸したら酒ばっか買って病院行ってなかったらしい。
「一人じゃ外に出られないなら連れて行くから一緒に行こう」って言ったら「うるせえブサイクじじい!」って言われて泣きそうになった。
なんで自分は1日1食でもやしにマヨネーズかけて食べてる中、お金借りてる方がピザ食べて酒飲んでるんだ。
と毎回思うのに、それでも困っている人を見ると手を貸してしまう。
ドラマは女性が見るのに対し、アニメは男性が見る。映画はカップルが見る。演劇は女性が見る。
原作組が見るだけでは原作ファン以上に市場が広がらないので、顧客層に合わせて改変する。
セクシー田中さんに関しては、ドラマの視聴者からは9,10話以外はそれなりに好評だったのだから、おかしいのは原作者。
↑を1、2作にすれば結構削減出来るだろうに
毎期一応チェックはしてるものの、多すぎて全く見る気がせず。もう何年も視聴作品ゼロだ
チェックしたものを「少なくとも数話、判断つかなければ10数話」見ないといけないと思うと心が折れるんだ
だからって世評を参考にして視聴作品を決めるのはつまらないし(見てないやつで「すごく面白い」と話題になっているとかならいいが)
モテることを目的に女性と接するのをやめようという話だと思う。モテることが目的で、女性との会話が単なる手段となっていることを問題視しているのだと思う。
だから、手段として扱うのをやめようというアドバイスだと思う。モテるとかを抜きにして、会話を純粋に楽しめばいいのだろう。もっと言えば、モテようとすることをやめるべきだというアドバイスだろう。
まず、「人間扱いするべき」とアドバイスする人と「モテたい」と考える人は恋愛の価値観が違う。
「人間扱い」勢は同性・異性関係なく、人生のパートナーが欲しいと思っており、恋愛においてもその価値観が表れている。
「モテたい」勢は人生を楽しむ手段として恋愛を考えているか、中高の多感な時期にモテることがカッコいいという価値観を周りの環境から学んで、とりあえず「モテる」ことがいいことだという価値観。
だから、「人間扱い」勢は性別関係なく、パートナーが欲しいと思っている(性別によってパートナーの呼び方が親友、恋人と変わる)が「モテたい」勢は”異性”に好かれており、”同性”にモテてることを尊敬されたいと思っているので話が平行線になる。
そして、「人間扱い」勢はモテたいわけではないので、”パートナーの作り方”として人間扱いすることを勧めている。「人間扱い」勢にとって、モテることは意味がなく、上っ面だけのおべっかを言い合う関係で、本音を言い合う関係ではないと考えている。と、思う。
だから、”モテよう”とすることをやめて人間関係を豊かにすることから始めればいいのではないかというアドバイスになる。アドバイス自体がふんわりと「人間扱いすればいい」となっており、核心部分がなく、同性と同じように異性と接すればいいと本当に考えているからだと思われる。
『核心部分を誰も教えてくれないからこちらはどうしていいか分からない。
何でそこ隠すんだよ。俺たちが一番知りたいのはそこなんだよ
発達障害女子漫画で理解ある彼くんが前触れも説明もなく一コマで生えてくるようなことなんでするんだよ。』
と思うのも無理もない。モテる方法を聞いているのに、モテるよりも人生のパートナーを作るほうがいいよ、そのためには「人間扱い」するのがいいよと言ってくるからである。
ちなみに、僕はモテたことのない、今まで恋人もいない男子大学生である。そもそも、大学に友人はいない。母との会話を除いて、週に原稿用紙1枚分でも他人と話せば会話した方である。そんな自分としては、モテることより友達を作り人間関係を豊かにする方が大事だと思う。モテるテクニックで恋人を作っても意味あるのか?と思う。
そもそも友達がいない自分のアドバイスとしては、文系と理系の会話のように男女の会話を捉えるようにするのがいいと思う。
「人間扱い」するべきというアドバイスは”性差を特別視するな”と言い換えることが出来る。女性相手だから『発達障害女子漫画の理解ある彼くん』みたいに接する必要はない。”女子”だから荷物もってあげるとか、道路側に立ってあげるとか、奢ってあげるとかする必要はないし、会話を女子に合わせてあげる必要はない。男友達と同じように接すればいい。男友達でも、荷物が重そうだったら持つことはあるだろう。それは、何かを”してあげる”わけではなく、そういう助け合う関係だからである。
とはいえ、女子と男子では会話の内容は異なる。だから、女子相手にいつもとは違う接し方をついしてしまう。しかし、人によって会話の内容が異なるのは当たり前で、性差が特別なわけではない。女子だから砂糖菓子みたいな会話をしているわけではないし、男子の自分には理解が出来ないわけではない。そもそも、友達の少ない自分からしたら、他人の言っていることはほとんど理解できない。
服が好きな友人の話は一切意味が分からないし、友達何人かと服屋に行ってもつまらない。そもそも、趣味や好きなものが違えば会話は難しい。そして、女子は趣味や好きなものが違う場合が多い。そういう場合に、”女子”だからと性差を意識した会話をすれば下心があるように思われるのだろう。だから、文系と理系との会話だと思えばいい。自分は文系だが、理系の友人とは考え方や知識が違うなと思うことがある。それは、その人のバックグラウンドとしている文化が異なるだけで、大きな違いがあるわけではない。文系の自分としては、理系の人のような考え方は出来ないし、知識があるわけではないので、専門的な話はついていけない。同じように女子のような考え方は出来ないし、女子と同じような知識があるわけではないので、女子の専門的な話はついていけない。けれども、理系の友達と楽しく会話出来ないわけではない。考え方や知識に差があっても同じように女子と会話が出来るはずである。それが出来ないなら、考え方や知識の差が少ない同じ趣味の女子と会話すればいい。
俺はそういう感性ゼロなのでマジ気が知れない。60年近い人生、自分が好きなものだけを消費してきた。スーパーカーブームも完全無視したし。まあ友達がいなかったからそんなのしなくていいから楽ではあったが。言っとくけどあまのじゃくとは違うよ。たまたま世間と自分の興味が一致してヒット作を見ることも当然ある。『のだめカンタービレ』とか。要は「周囲とは無関係・独立」ということ。でも実際「他人と話をあわせるために好きでもない面白くもないアニメ等を見る」ってどういう感覚なんだろう。マジまったく想像つかないのでその心理がちょっと知りたい、とは思うかな。まあわざわざ調べたり研究したりするほどではないが。そういう連中が「スクールカースト」とかいう愚にもつかんタワゴトほざくんだろうね。
ブコメでちょっと勘違いしてる人がいるみたいなので追記。これはべつにアラ還の今だから思うことじゃなくて、小学生のときからそうだったの。「スーパーカーブームも完全無視」ってところ読み飛ばしたのかな。俺は 1966年生まれなのでブームは小学校高学年くらい。同年代の人ならわかると思うけど、けっこう凄いブームだったよ。でも車に興味なかったので完全無視。
ねえ聞いて。
子どもがゴールデンウィーク明けから体調崩して、1週間くらい看病した。そのあとから背中がだるい。もうしばらく続いている。頭(首)を後ろに倒すと痛いから、頚椎の問題かな?とは思ってる。
疲れからか、身体もずっとダルくて。ご飯が作れない時もあった。レトルトありがたい。
子どもは小学校1年。帰宅するとそのへんにランドセルを放り出すし、給食セットも出さない。帽子はぶん投げてテーブルの下。
私、片付ける気力がない。
私は帰宅したらノンストップで、お風呂洗ってお湯を張り、ご飯の準備をする。
お風呂とご飯が終わったら、寝かしつける。寝落ちすることも多い。しかし洗い物が残ってしまう。時間がある時は寝かしつけ前にやるんだけどね。
寝落ちした時は夫がやってくれることもあるが、毎回ではない。
私は双極性障害で。でも躁はあんまり目立たなくて、鬱の期間が長い。今回はもう2年くらい鬱だ。
パートで仕事をしている。いろいろと薬を試しているが、なかなか合う薬がない。
私が鬱だという点で、夫には負担をさせているのかもしれない。
今日は部屋が片付いていないことについて、夫から注意を受けた。この前もランドセルが放り投げてあったことに対して、「ちゃんと片付けて!息子が片付けられない子どもになっちゃうじゃない」と言われた。
今日、子どもの上着がなくて「見つからない」と言ったら、一緒に探してくれるんじゃなくて「妻がいつも同じところに片付けずにその辺に置くから無くなるんだ」とまくしたてられた。
探しても探しても見つからなかったら、「最後に見たのはいつ!?」「いつもはどこに置いてるの!?」と強い口調で言われた。
私はパニック。
実際、子どもは学校に忘れてくることもあるので、2着3着、用意しておかないとダメだね。
そのあとも行き違いがあって、私はもう疲れ果ててしまった。
責め立てられて、大声で泣いた。
夫は近寄りもせずに、「俺だってつらくないとでも思ってるのか!!!」と叫んだ。
そうか、夫もつらいんだなとは思った。
その後、買い物があったので私は1人で買い物に向かい、なんとか落ち着いたけど、2時間くらいかかった。今も本当の意味では落ち着いていない。
しんどい。
しんどいんだよね。どうしたらいいのかな。
夫は「息子のことは怒らずに叱るように」というのに、息子の前で私のことをキツく注意する。かなり高圧的に感じる。
高圧的で怖いので、やめてほしい。前は声を荒げることなんてなかったのに、ここ何年かで急激に増えた。
実母の前でもキツく叱責するので、母が心配していた。
私はもう、どうしたらいいのかわからない。
聞いてくれてありがとう。
子供の頃から姉が怖かった。いろいろと小間使いのように要求をしてくる。いうことを聞かないとすねて怒るし、いつもわたしが悪いような言い方で責めてくる。あれをもってこい、これをよこせ、洗濯物をたため。要求を全て飲まなければ、キレられる。だから要求を飲む以外の選択肢を取ることは許されない。私はこの人と一生付き合っていかなくてはならないのかと、怯えていた。自分にとって最も年齢の近い女性のモデルケースであるところの姉という存在。それは怖くて理不尽で理解し難いものであった。
今、私は女性(というか他人)を理解できない。基本的に言われた要求を全て飲まなければキレられるという強迫観念がある。だから好き放題言われ、言うことを聞き、そしてナメられる。これまではヘラヘラしていればよかったが、最近は年齢とともにある程度リーダーシップを求められており、女性に限らず他人に言うとを聞かせたり自分の主張をしたりしなければならなくなってきた。これはとてもつらいことだ。どうせわたしか言うことなど誰も聞かないし、相手の言う事を聞かなければキレられるか嫌われる(と自分は思っている)のだ。
どうすればこのトラウマを克服できるのだろう。姉と話し合ってみるしかないのだろうか。子供の頃と変わらず理不尽でキレやすい姉と。。
わかんなくないですか、なんも
どんな順番で何をすれば良いのか?どこを触れば良いのか?自分の行為は相手にどの程度嫌悪され、あるいは受け入れられているのか?
一般的にどの程度興奮しており、どの程度理性が飛んでて、どの程度合理性や計画性を保っているのか?
まるでわからん
そんなことを考えてました。今日。嬢がフニャフニャのアレを頑張って咥えてる間に
そりゃ興奮するものも興奮できんわ
最初に性行為への苦手感を感じたのは20の時で、それもソープだった
今日と同じく、挿れても全然興奮できず、結局手で出すもんだけ出させてもらい、特に気持ちが良いみたいな感想はなかった
それ以降、挿れても折れたり、そもそも勃たなかったり、1回だけイけたこともあったり、手ですらイけなかったりしながら、今や20代が終わろうとしてる
ただでさえ苦手な行為に、精力の減退が重なり、いよいよ危機感が強い
自分なりに性交に成功した時との違いを分析してみて、まず受け身な状態なのが良くないのかなと思う
1回だけ中でイけた時だけは自分のペースで興奮して腰を振っており、それ以外は騎乗位だったから。尤も1分足らずでイったのを成功と言うかはわからないが
ちなみに嬢の見た目は多分関係ない。なぜならその時の女の子は僕の1.1倍ほどの身長と1.5倍ほどの体重をもつボストロ・・・まあいいや
あと、普段の自慰行為で、映像や声よりシチュエーションで興奮するかでオカズを選んでいるもの良くないんだろうなあと思う。特に非現実・非日常的なシチュエーションのものは
ていうかそれを今日の嬢に指摘された。ASMRを聞いて声でシコれるようになれとアドバイスされました。がんばります
性行為がすべてじゃないという意見は大いにわかるけど、自尊心的なやつにめちゃくちゃ大きい影響があるのは間違いないので、目をそらすべきじゃないと考えてる
仮に、もし、万が一なにかの間違いで女の子と仲良くなった時に、そのような甲斐性が無いのは駄目だとか
友人などとの付き合いで風俗に行くときに場を冷めさせたくないとか
そもそも、あらゆる動物が生まれながらに知っている性行為というものを自分だけ知らないという孤独が苦痛であるとか、理由は色々あるが
以上
この文章は、同じ境遇の弱者男性に寄り添ったり、自分より下を探している弱者女性にとってのコメディエンターテイメントになったり、強者男性女性にとっての感動ポルノになったりすることを想定して書かれました
偽善と思われても行動しようってなるし、
人に助けられるような状況を避けて、迷惑かけないようにすると革新的なことやイノベーションは起こらない
困った時誰かが心配したり助けてくれるって思った方がいろんなことに挑戦できる
先週土曜日のホーム戦、対福岡にあっさりと負けて今季の黒星はいくつになったのでしょうか。わかりません。数えておりません。三節が終わったあたりから順位表も見ていない。降格の危機にあることと、今の首位くらいしかわからない。
開幕前、現在の首位を降格筆頭候補に挙げていた人たちは何を思うのか。
理由は監督です。別に黒田監督が悪いわけではない。ただ嫌いなだけ。黒田監督に似た人が。小学生のときの担任と黒田監督が激似で、本当に本当に、視界にいれることが無理。
その担任はメタクソに贔屓をするクソだった。気に入った生徒にはニコニコして何をしても叱らなかったけど、気に入らない子に対しては冷徹そのものだった。どちらかといえば自分は気に入られていたほうで、ひどいことをされたりはしなかったのだが、あまりにひどい贔屓っぷりが気持ち悪くて仕方なかった。
贔屓クソ野郎が贔屓するのは、比較的勉強のできる子や、明るくてクラスの中心になる子、可愛い子。それは女子ばかりだった。学年で一番可愛いような子が同じクラスにいたのだけど、その子と仲良くしていたある男子に、いきなり冷たくあたりはじめたときには本気で引いた。可愛い女子には媚びへつらうと言ってもいいくらいに猫なで声になるのに、女の子と仲良くした男子や、大人しめの男子、勉強出来ない子にはあからさまに冷たかった。これ、小学二年生のときの話だよ。そんな、右も左もわかんない年齢の子どもに、明らかなエコヒイキしてたんだよ。本当に最悪な担任だった。そして学年の主任だった。
黒田監督は何も悪くない。悪くないのはわかっているけれど。でも、黒田監督を初めて見たとき、あれは何年だったか忘れたけど、高校サッカー選手権の中継で。
は????あいつ今高校サッカーの監督してんの????と一瞬にして吐き気を覚えた。
まったくの別人だとわかってもだめだった。生理的に無理だった。脳が拒否する。青森山田サッカー部の試合は見られない。
でも入れ違いのような形で昇格できた。やったね。
やったね。と思ったのに、あれよあれよと快進撃で黒田監督が一年目で昇格を決めた。
あ、今の首位には、テクニカルコーチがこっちから行ってます。結果に結びついているようで何よりです。いや、何より悲しい気持ちなのだけれども。
テクニカルコーチを持っていかれたからこっちが~とかそれだけではないのも重々承知しています。
ああ、別に、移籍したことをここでごちゃごちゃ言いたいのでもないです、それは本人が決めたことだし、そういう人だったということで。この話は終わりです。
話を戻して
重要ピースが抜けたとしても開幕前ならそこへの対応はしておくべきなわけですね
てか今のテクニカルコーチが云々と言いたいわけではな・・・・・くもないけど
アルベルさんが残してくれたものを食いつないでいくにせよ、そこに今の監督・コーチ陣がプラスして研鑽して結果に出せていけるのか、いけそうなのか、がちょっと期待が持てなくなってきている現状ということです。
ここ数試合の有り様は如何ともし難く希望もなにも持てなくなってきている。
なまじ、攻撃の形ができてしまっているだけに、惜しいシーンが手の中をすり抜けていき、気がつけば先制され、失点を重ね、最後の最後になんとか一矢を報いて終わる。
ボールを保持するのもパスを重ねているのも、一体何を目的としているのか。ボールキープもパス成功率も、それが目的ではない。ボール保持もパスもゴールに繋げるための手段でしかない。その基本的な部分を見失っているとも思わないけれど、ボールを受けてからの判断が遅い、悪いケースが多すぎる。
それは勝ちから遠ざかっているための消極的さや焦りからなのか、パスを繋げることに意識が行き過ぎているからなのか。でもパスを受けても、対峙する相手やスペースも見えてないのになんでその判断になる?ってのも多い。
パスを繋いで組み立てていくのは生命線のはずだけど、今シーズン開幕してから逆にその生命線を自ら断ちにいっている気がする。最終ラインでボール回すところをプレスされて狙われてというのを何回見たか。
と、まぁ、不満を書き出せばきりがないのでやめます。
2003年11月23日の初昇格を決めたあの日から、J2降格を経験し、再度の昇格を果たし、石にかじりつき辛酸を嘗め耐え難きを耐え忍び難きを忍び、やっと手が届きそうだった、ひとつ上の段の「縁」。
上りきれるかはわからない。でも、やっと、そこへ、手を指を掛けられるかも、と
ずっと壁しかなかった視界に、乗り越えた先の風景が、少しでも遠くにでも見えるのかも、と
そんな前途の拓きを抱いて迎えた今シーズンだったわけです。
でも、黒田監督が率いる昇格クラブは、あっさりとその「縁」に、手どころか足を乗せた。いや、飛び越えていった。あれだけ羨望し焦がれた「段」を、「縁」を、それはもう軽々と。
大宮が無敗記録を作ったとき思ったのは、うちはそういう記録めいたものには程遠いなということと、そういう意識もないなということだった。
たぶん悔しいんだろうとは思います。悔しい、勝てなくて弱くて悔しい。なんでこんなに弱くなってしまったんだ。
嫉妬とは、自分が努力していない・しても勝てないと理解している・理解しているのに認めたくないという心理が働き、自分よりも優れている人に対して抱く感情。
J1昇格を成し遂げてくれて、アルベル監督のサッカーを継承してきた松橋監督に対し、監督交代とかそういうことを少しでもつぶやくと
結果を出さなければならない立場にいて、結果が出ていないなら、厳しい目を向けられるのは仕方ないし。タヒねとか誹謗中傷や罵倒は論外ですが。
反町監督がいたころ、当人が苦言していた「俺を肩たたきする人がいない(クビと決断する人がいない)」という状況は好ましくはないと思いますね。感謝と、現場としての結果からの判断は、やはり切り離して考える必要がある。
札幌や京都みたいに、クラブも何らかのアクションを起こしてもいいんじゃないですかね。残留を最優先とする戦い方へ切り替えなければならない時機は過ぎたんじゃないかなあ。
去年までのうちなら、首位だろうがなんだろうが臆することもなかったし、むしろ「勝てるっしょ」と思えたのだろうけれども
すみません、この状態で「首位食ったるで!」と思えない自分は弱いです。強気をくじき、とか、中位力、とか、そんなのを拠り所にできる心の余裕がない。チームを、監督を、選手たちを、信じていないわけじゃない。信じていても、「でも」が出てくる、それは自分の心が弱いだけ。弱いのは私の心です。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/002615620030226004.htm
次に、東京集中は自然に起こっているんだ、これは経済の流れであると言う人がおりますが、これは全く間違いでございます。
戦後、昭和十六年体制、あるいは一九四〇年体制と言われる中で、官僚が猛烈な勢いで東京一極集中を無理やり進めてまいりました。
そのやり方というのは、まず、産業、経済の中枢管理機能を全部東京に移す。
そのために、全国的な産業団体の事務局は東京都に置かなければならない、二十三区に置かなければならないという指導を徹底しました。
だから、もともと大阪にありました繊維業界の団体も、強引に、あの日米繊維交渉のときに無理やり東京に移しました。
十年かけて移しました。名古屋にありました陶磁器工業会も移しました。京都にあった伝統産業振興会も東京に移しました。
団体が東京に移りますと、団体の長になるような大企業の社長は、何々工業会の団体長になりますと週に三回ぐらい東京に呼び出される仕掛けになっていますから、地方に本社を置いていられない。
二番目は、情報発信機能を、世界じゅうで類例がなく、日本だけが東京一極集中いたしました。
例えば、印刷関係で申しますと、元売を東京一極に集中しております。
今これがまた問題になっておりますけれども、東京にしか日販とかトーハンとかいう元売会社はございません。
したがって、関西で出版していたエコノミストやPHPは発行が一日おくれる。
大阪で印刷した本を川一つ挟んだ尼崎で売るためにも、必ず東京へ持ってこなけりゃならなくなっております。
これは非常に強い犠牲でございます。したがって、雑誌の場合は締め切りが一日早くなる。
これで東京以外で雑誌をつくることができなくなりまして、全部東京へ無理やり移しました。
これは国土政策懇談会でも何回も問題になりましたが、政府、官僚の方は頑固に譲りません。
香川県や長野県でも元売をつくろうという動きがありましたけれども、ことごとくつぶされてしまいました。
また、電波につきましては、世界に類例のないキー局システムをつくって、キー局は東京にしか許されていない。
そして、キー局でないと全国番組編成権がございませんから、すべて東京都スルーの情報しか流れないようになっています。
だから、特定目的の施設、例えば歌舞伎座でありますとか格闘技専門体育館でありますとかいうのは、補助金の関係で東京にしかつくれないようになっています。
これで歌舞伎役者は全員東京に住むようになって、関西歌舞伎は一人もいなくなりました。
あるいはプロレス団体も、東北地方にみちのくプロレス、大阪に大阪プロレスがあるだけで、四十団体はことごとく東京に集められました。
さらに、最近は、BS放送七局を全部東京にしか許可しないという制度になっています。
こういった官僚の強引な、コストを無視した集中制度によって東京に集まっている、このことも重要なことだと思っております。
https://www5.cao.go.jp/99/e/kgiji/19990531chiiki.html
ここにも記述してありますが、日本の地域政策は、昭和初め、昭和16年ごろの決定がございまして、日本全体を有機型地域構造にするというような決定がございました。
有機型というのは、人間の体のようにするということです。人間の体であれば頭は1つだということで、全国の頭脳機能を1つに集める。それは首都東京でなければいけない。
頭脳機能というのは、産業・経済の中枢管理機能と、情報発信機能と、文化創造活動である、こう定めました。
そして、各地に地方中核都市をつくりまして、北海道なら札幌、東北6県なら仙台、中国なら広島とする。
ここは地方限りの頭脳機能をもつ。各県限りのものは、県庁所在地に置くという、段階的なヒエラルキーをつくりました。
そして、すべての文化創造活動、情報発信機能、産業・経済の中枢管理機能を東京に集めることにする。その手法として様々なことがとられました。
例えば、産業・経済の中枢管理機能を東京に集めるためには、各産業別、職業別に全国団体を作り、この全国団体の本部事務局は東京都に置かせるという政策をとりました。
私が通産省に入りました1960年代は、まさにこの政策を継続し、強化する真っ最中でございました。
この方針に反して地方に、東京以外に、全国団体の本部があると、一日も早く東京へ来なければいけない。
その対象になりましたのが、大阪にありました繊維業界、名古屋にありました陶磁器業界の2つでございまして、繊維業界については再三圧力をかけておりましたけれども、なかなか成功しませんでした。
ところが、うまい具合に68年に、あの日米繊維交渉、これを折衝するにあたって、まずアメリカと折衝する前の条件は、紡績協会が、各種団体が東京に本部を移すことだ、こういう話をいたしました。
当時の局長室に、「敵は米国にあらず、大阪なり」という有名な看板を掲げられて、新聞にも出たことがあります。
いろいろ折衝したのですが、なかなか職員も大勢おられてそう簡単にいきませんで、日本繊維工業連合会という屋上屋の団体をつくりました。
銀行協会などもずっと東京にあったのですが、銀行協会長は東京にある銀行からしか出さないということがずっと続いて、三和と住友はダメということになっておりました。
それが、70何年でしたか、本社機能を東京に移すことを条件に、まず住友銀行、次いで三和銀行が会長銀行になりました。
今、実際に起こっていることだ
どう考えても、東京から卒業して地方に帰るタイミングというか仕組が必要だ
一人の時に得られた自由は失われ、ストレスで消耗し続けることになる
適切なタイミングで地方に下り、家庭を持つようにしなければ少子化は止まらない