はてなキーワード: 歓待とは
安倍辞任で左から右まで、ヤフコメからブコメまで大荒れだけど、
個人的に一番謎なのが「安倍信者のメリットって何なのか」ってこと。
アベノミクスで株価が上がったことは、安倍政権の数少ない功績のうちのひとつだけど、
結局トリクルダウンは起きなかったわけで、給料は上がるどころかむしろ減りつづけ、
さりとて、アベノミクスで増えた企業の内部留保を還元するような政策も行われず、アベノミクスの恩恵を一般市民はほとんど受けてない。
なのに、なぜ安倍信者はアベノミクスの成果を誇らしげに語るんだろうか。
アベノミクスで景気が上向いた時期に新卒採用を受けて、内定をもらって入社した人たちが安倍信者になるのは、百歩譲って理解できるが。
アメリカと仲良くしたから牛肉がさらに安くなって、毎日おいしいステーキが食べられるようになったとかはないわけで。
せいぜい、日本のパスポートは世界一の信用度でビザなしで行ける国が最多!世界から尊敬され愛される美しい国日本!といった、
一昔前からテレビやネットで流行ってる日本すごい言説だったり、
ネトウヨ最大の敵である中国と韓国に強硬な対応をするから、やだ…安倍ちゃんかっこいい…濡れちゃう❤️みたいな感じで愛国心と自尊心を満たすオナニーが捗る8年だっただけなのではないか。
「地球儀を俯瞰する外交」とかいう大層なキャッチフレーズついてるけど、
そりゃ、笑顔でわざわざこっちから会いに行って、援助の名目で金ばらまきゃ相手も歓待してぬれるでしょう。
北朝鮮の拉致問題も全く進展してないし、総書記と会えてすらいない。
悲願のはずの憲法改正も成し遂げられず、
二度の増税で景気を失速させ、
トランプがアメリカで支持される理由は、納得はできないけど理解はできる。
この国は、そもそも今まで蚊帳の外に置かれていたあなたたちのものだ、
偉大なアメリカを共に作ろう!
と呼びかけて彼らに寄り添ったから、その層の熱狂的な支持を受けて大統領に上り詰めた。
おかげで、アメリカは大変なことになり続けているけど。
安倍信者は、自らの敵の敵が安倍晋三だから支持している、という程度にしかメリットが思いつかない。
何かを敵にしたくて、社会的に敵にしやすい中韓とマスコミを敵認定して、
その敵が安倍政権だから安倍政権に与してる、ということしか信者のメリットがわたしには想像できない。
もっというと、安倍信者の属性(年代、居住地、性別、顔の良し悪し、年収とか)が全く想像できない。
いわゆるチー牛的な一昔前のオタク系ひきこもりネトウヨなのか、
あるいは会社でも家庭でも居場所がなくて政治に目覚めちゃったおじさんたちなのか、
はたまた全く今までとは異なる層が支えていたのか、
ほんとうにわからない。
本当に虚しい。この7年半はいったい何だったのか。
安倍首相が公約を実現したなら、俺みたいに総裁選のときから一貫して安倍に反対していた者には残念なことだが、安倍支持者にとっては喜ぶべき結果であろう。
あるいは政治の舵取りに失敗しとにもかくにも何も影響力を発揮できずに辞めたというなら、支持者には残念かもしれないが俺のような反安倍派には喜ばしいことのはずだった。
実際には、何も公約を成し遂げず、それどころか状況を悪化させ、そして日本の、わが国の統治機構を壊すだけ壊して終わった。
憲法は改正されなかった。日本の官僚機構は、民主党政権のとき以上にズタズタに破壊された。日本の経済は上向かなかった。むしろ失速した。スタグフレーションが加速している。拉致被害者も戻ってこなかった。憎むべき独裁国家に拉致された同胞を奪還できなかった。北方領土交渉にも失敗した。現状維持すらままならず、ロシア世論を硬化させ、ロシア政府をより頑なな側に押しやるだけの日露交渉だった。トランプとは上手くやっていた? どこが? 大統領に就任する前から会いに行き、何度も歓待しゴルフにも付き合っておきながら、結局トランプはわが国の国防の根幹たる日米同盟への懐疑的な姿勢を捨てなかった!
いや、まあ、トランプはアメリカ基準でも常軌を逸した大統領だし、上手く付き合えないこと自体は安倍の責任ではないにせよ、途中で軌道修正しようとは思わなかったのだろうか? なぜ、トランプがいくら歓待し阿っても決して日本に融和的な姿勢なんて採るはずがないことすら理解できなかったのだろうか?
彼は影響力を、日本を良くすることに使おうとしなかった。これは、俺の思うような日本にならなかったという意味ではない。もし俺の持つ理念と異なっていたとしても、彼が己の理念に従って日本を導き、それなりの結果を残したのであれば――そう、日本を「美しい国」にしたのであれば、気に食わないけど信念はあるやつだ、という評価をしていただろう。ひょっとしたら、俺はあいつには投票してないがあいつは俺のプライムミニスターだよ、と言っていたかもしれない。
そのかわり、彼は自分の影響力を、徹頭徹尾自分とその身内のために使った。森友、加計、桜を見る会。ひとつひとつは小さな問題だ。けれどその小さな事件を隠蔽するために――つまり「ごめんなさい」と言いたくないがために、国家の統治機構をメチャメチャにした。公文書を改竄し、破棄し、隠蔽した。検察官の定年を違法に延長した。憲法に背いて国会を開こうとしなかった。そして党の規定を変更してまで、自民党総裁の任期を延ばした。
異なる思想信条の持ち主が寄り集まって、議会で討論したり、選挙で舌鋒鋭く相手を批判したり、ときには汚い言葉で罵り合ったりするのが民主国家の政治の姿だ。どんな政策を推進するのかは思想信条によって異なり、それを選挙や議会で争っているのだから、政権が変われば政策が変わるのは当然だろう。問題は、そもそもの民主政治の基盤となる制度を掘り崩していることだ。それは超党派で擁護されあるいは改革されるべきものなのに、彼は自分の利益のために――自分の虚栄心のためにそれをぶち壊したのだ。
そしてコロナ禍。毎日のように防災服を着た官房長官が記者会見し、市民から「寝ろ」と言われていた9年前を、総理大臣が避難所を訪れ、被災者から呼び止められて立ち止まっていたころを、あの日本史に残る災害の日々を思い出す。今、この世界史に残る災害の日々において、総理大臣が記者会見にも国会にも姿を見せず、官邸で働き詰めになっているわけでも国内各地を視察してまわっているわけでもなく、ただ私邸に引っ込んで表に出てこないだけなんていう状況が、こんなにも長続きするなんて思ってもみなかった。まさか未曾有のコロナ禍のなかで、気にしていたのが感染状況でも経済の復活でもなく自分の連続在任記録だったなんて。
民主党政権のただなかにいるときは、これは悪夢だと思っていた。今でもそれは変わらない。彼らはあまりにも下手くそで、内輪もめばかりしていて、行政の混乱を招いた。あの時代は悪夢の民主党政権と呼ぶにふさわしい。
プチ炎上した一回目の動画はただ単に噛み合ってないだけのお笑い動画に思えた。
しかし、二度目の朝倉と塩田のコラボはひどいというほかなかった。
朝倉はいつもの朝倉節で本気か嘘かもわかりにくい舐めプドッキリから入った。
後半の塩田の動画は大量の特典と豪華な肉を用意して朝倉を歓待する、というへりくだりようだった。
しかも、肉の前後には朝倉に合気道の秘伝技を伝授し、祖父の塩田剛三と縁を持つ刃牙の作者、板垣恵介を紹介するという接待ぶりだ。
問題は舐めプの朝倉ではなく、腰が引けまくっている塩田の方だ。
彼は朝倉に対して、敵にも愛を、という本質から外れた愛を語った。
当たり前だが実践派で路上の伝説の朝倉がそんなふやけた言説を聞くはずもない。
愛がどうのこうのはまともにやりあった矢地と朝倉が言うぶんには問題がない。
祖父の塩田剛三なら一度手合わせしてわからせてやろう、程度はかましたはずだ。
あの動画を見て少なからず直感的に意見した人がいて、見ていてギスギスヒヤヒヤすると述べていた。
自分もほぼ同意見だ。他にもこれは愛ではなく媚だと述べている人もいたが、賛同しか感じない。
朝倉は歓待に関わらず終始会話が進んでいなかったし、相手動画の撮れ高をあげていたことがむしろ印象的だった。
そして動画の内容は殆どスタッフ佐々木くんが撮る未来チーム風の動画に仕上がっていた。
もはや塩田そっちのけで、自分たちが滑ってはならないという雰囲気すらある。
実際塩田はノリがうまくつかめず、場を静かにするばかりだった。
何でも本心の朝倉からすれば塩田は最も理解から遠い人間だろう。
塩田将大は祖父の塩田剛三を何度も出して口先で勝負しようとするみっともなさ、刃牙の作者である板垣恵介という先人の縁を使おうとする情けなさなど、見どころがまるでなかったと言ってもいい。
朝倉兄弟の動画は見ているものを暴力的な不安にさらして再生数を稼いでいる部分が多少ある。
例えば煙草のポイ捨てを注意する弟、朝倉海の動画はビジュアルから怖いニーチャンが出てくるし、それにプロの海が素人を怪我させないかと不安にさせる(前田日明すらあの動画は選手生命に関わるかも、と不安だったらしい)。
未来が地元で焼肉食っているだけの動画でも、冗談めかしつつ同級生に真顔で凄んだりする。
正直面白みはなく、怖い以外のなにもんでもない。
あのトークも軽快な武井壮がかなり緊張気味で対談していたことからも、彼のプレッシャーの「嫌な感じ」がわかろうというものだ。
お笑い芸人コラボも持ち味を殺された人のほうが圧倒的に多い。なんとか乗り越えたのはいじられ芸のパンサー尾形くらいだ。
そんな朝倉未来でも瓜田純士には丁寧に接する。理由は簡単で、瓜田が愚連隊の頃、モノホンの筋者とケツモチ交流があった過去を持つからだ(ただし、朝倉は現役不良時代にヤクザ事務所に乗り込んでいる。瓜田にビビっているわけではない)。
瓜田独自の文章の才や人を見抜く才能もあり、また朝倉が不良の世界で生き抜いていたこともあってのことだろう。
ともあれ、塩田が自分から頼み込んでへりくだる意味はなかった。
それなら他の武術系の人たちとコラボしたほうが塩田にとってメリットがあったはずだ。
一時間ガッツリ見てしまっただるさもあったし、一時間ヒヤヒヤしたという心臓への悪さもあってとても印象に残ってしまった。
動画コメントもほとんど当たり障りのないものばかりだった点も気になった。
不穏な空気を率直に書いた人のほうが素直だと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20200402213732
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200402213732
これに関して、ちょっと細かすぎな感はあるものの一般常識に近いことばかりだろうに、「マナー講師」がどうの元増田のスペック叩きブコメで溢れて挙げ句コロナなのに外出自粛しないのかとの不謹慎厨まで大挙して正直呆れてるよ。
もっとも元増田さんほどの気配りならこれ位のはてな村人の発狂ぶり想定済みでフェイクを混ぜ混ぜしつつ書いたのだろうが、あまりに見てらんないから元増田じゃないワイ(婚活あがり)が元増田に代わって忠告してあげるよ。
女に恋愛面で痛いところを疲れた男性特有の「男女逆なら云々かんぬん」厨がわいてたので言っとくけど、やる気のある婚活女子ならこの程度のこと言われなくても自己研鑽してるのばっかりだし第一具体的で的確な恋愛アドバイスに対してストレスを感じない人がほとんど。「俺に異性パートナーが居ない正しい理由」を必死こいて自己暗示してるこじらせ男と違って危機感あるから真摯にアドバイス聞くよ。仮に男女逆で炎上するとしたらその男性論者のコミュニケスキルが低すぎるのに嘘ついて見栄貼ってたのがバレたというシンプルな理由だけだよ。
■基本的に「男らしさ」にこだわるのはやめろ! 男を見せるのは告白とプロポーズの瞬間だけでいい
君たちが「女難しい」「女めんどくせえ」って言ってストレス訴えてる項目は、性別を隔てなければ逆にうまくいくような事ばかりなのね。
「何を言ってもセクハラ扱いされてしまう!もう俺何も言えない!」とか嘆くオッサンが口にしてるのは「服とか髪型とかメイクが決まってるね」「男(俺)への媚び方が上手いね」とかそんなん。そうじゃなくて!仕事の有能さを認めるとか性別関係ない概念なら問題ないのに、男と女の関係性を不意打ちで押し付けてくるからキモがられるの!
実はこれ婚活でもある程度同じ事が言える。男と女の関係性だからいいだろ?と思う人がいるかも知れないが、初回のお見合いとデート複数回くらいでは相手を恋愛対象の異性として意識する女性はほとんど居ない。
仮交際と名がついていてもまだまだまだまだ「複数いる競合取引先の一つ」。だから当分は取引先の接待か就職面接、もしくは殿に己を売り込む木下藤吉郎の感覚で挑みましょう。例えばプロフィール写真(履歴書写真)詐欺にならないよう同じ外見・服装で臨む。待ち合わせは必ず相手よりも先に到着し余裕があれば手土産を持参する。プロフィールを読み込んで積極的に質問して御社(相手女性)への関心度を示す。手当り次第に誰でも的流れ作業で選んだのではなくその人だけの固有の理由があると伝える。自慢にならない程度に具体的な資産と家事経験をアピール(資格アピと同じ)。去り際も丁寧さとフレッシュさを忘れず。そして爽やかな笑顔。本当に就活面接と同じだよ。
元カノも女友だちも居ないコミュ障男が下手に「相手が女性でオレが男性であること」を意識しすぎた言動に走ると軽いセクハラやマウンティングになるのがオチだよ。頭保守的な男性ならなおのこと。まずは「男と女」ではなく「取引先対取引先」を意識すれば外さないよ。
最初は「この人なら自分に関心を持ってくれてるしもう一度会ってもいいかな」位のささやかな信頼だけど、告白やプロポーズイベントで勇気を持ってハッキリ「好きです。付き合ってください」と伝えればその時から初めて異性としてドキドキしてくれる。男だ女だはそこからで充分。だから焦らず段階を踏もう。
婚活女子は危機感があるから大体この努力を自然にこなせてるけど(中には女性の自分から告白するけど男を立てるため9割がた先に伝えて最後の決定的な一言だけ男に言わせるという駆け引きを使うツワモノまでいる)、内気と非モテをこじらせた男性にこれを言うと男は欲望の対象の女をジャッジする側という性役割を捨てたくないようで「女に試される側になるのは男として屈辱的でイヤ」と不満顔をする。はてなでリベラルぶって元増田を叩く社会人男子の本音も結局のところこの男性優位主義だろう。そのくせ好意をストレートに告白する実行動の伴う“男らしさ”は照れを言い訳にして忌避するというから始末が悪い。
とにかく「女に媚びずとも、オレの男性的魅力を見せつければ女は惚れる」という考えは男のプライド的には心地良い言説だけど間違ってるからすごく危険だよ。増田の知るケースでは、お見合いの席で美人相手に渾身の男性的価値アピールのつもりで過去何人の女と付き合ってきたかというモテるオレ自慢を始めた最悪のイキリ浮かれチンポがいたよ。キモハゲデブだったから一瞬で悲しい嘘だとバレてたよ。
複数検索して読み比べてもらえればわかるけど、商業の結婚相談所ブログというものは概ね男性には同情的で振られてもあなたは悪くないよと全肯定してくれる心地よい事ばかり書き、女性にはガチンコのボクシング竹原やラーメン塾ばりの超スパルタマッチョな事ばかり書く傾向が強い。
男性の方が女性と比較してコミュニケーションスキルが低いうえに、結婚すれば共働き夫婦であっても男性側に合わせざるを得ない場合が多いので現実問題破局原因は男性都合にある事が多いのだが(家事育児の分担とか同居問題とか40過ぎから子供を望むとか)アマチュアの結婚恋愛ブログでは超あるあるの現象が商業の結婚相談所ブログでは何故かきれいサッパリ消去されている不思議。顧客のセンシティブなライフスタイルに干渉しない主義なのかと思えば、女性側にはその辺の問題にもズケズケ口を出して「賢い貴女が妥協してあげて男性を操縦しましょう」と説教するからよくわからない。あと仲人Tブログで何度か出てきてるけど「婚活してるくせにそもそも結婚する気がない男子」も現実に結構存在するけどお咎めなし扱いなのは最早理不尽だよね。そのせいで本気で努力した女子会員が振られても「男にはタイミングがあるんだよ。これは仕方ないんだよ」と男性擁護してたのはもう結婚相談所員として無茶苦茶だよね。
やはり「歓待すべき顧客は男性」「結婚とは男性に選んでいただくもの」「女性はスパルタでも怒らないからいいが、男性は繊細なので厳しく言うとキレられて炎上してしまう」という不文律が結婚相談所界隈には根強く存在していると思われる。
プラスしてどの相談所もだいたい男性の方が高く料金が設定されているので、モテずにだらだら長く在籍してくれる勘違い男というのは格好の金づるなのだ。
仲人Tの記事も婚活女性話と婚活男性話が9:1くらい。会員数が男女同数と考えると明らかに恣意的な偏りである。男性会員が婚活即終了する金持ち聖人イケメンばかりでもあるまいし、改善すべき点もドラマも女性より多い位だろうに。となるとやっぱり基本スタイルは(オタク)男性が読んで気持ちよくなるための読み物なんですよね。自らの現実と向き合わざるを得ない男性婚活物語はウケが悪い。己の立場や現実を棚上げできる婚活女性が見世物だから観客席から叩いたり応援したりできて楽しいんであって。一方、女性読者はどれだけ厳しくしても勝手についてきてくれるからほっとくスタイル。なんだか少年ジャンプ編集部みたいだね。
仲人Tブログはしばしば婚活女のエゴを叩きたい男達に利用される。ブコメでも散見されたがプロの忖度屋の彼女を引き合いに出し「仲人Tと比べてクソ」と言えばいい。
元増田を叩く男達も仲人Tブログならオタクネタに詳しい女というコンテンツを楽しみながら「婚活のリアル」を知ったつもりになれる。
だけど、それは仲人Tさんが上客になってくれるはてなのこじらせ勘違い繊細逆ギレ男のプライドに寄り添って水面下でフルパワーの媚びを発揮してくれたおかげです。それを当然と思って勘違いを温存していたら忖度してくれない女性相手にやらかす危険性が高いと思うよ?
だから女性がその手の情報に触れることは有益だろうけど、男性は書籍化されたアマチュア女性の婚活体験記コミックでも読んでた方がためになるよ。何も忖度されてない素の声だから。
オススメは『100回お見合いしたヲタ女子の婚活記』。10年近く前の婚活体験記だけど現在にも通じる婚活男性のあるあるが多分一番リアルに凝縮されてるよ。仲人Tよりアヤメさんの方が遥かに信頼がおけるアドバイザーだと思うよ。
漫画描きの女性が描いた婚活本は記憶にある限りどれもどちらかと言えば高収入の共働き希望キャリア婚活女子視点だから、共働き希望の婚活男子はじっくりねっとり彼女達の選んだ男の特徴を観察分析すべき。非モテ男が婚活女叩きの盾に利用する「高年収のイケメン」が実は結構高い頻度で嫌われて振られてるよ。オタク男子の幻想に寄り添う仲人Tブログでは高収入イケメンは絶対勝利確定演出だけどね。振られた高収入男性のどこが共働き女性に嫌がられたのか?仕事も婚活も全力で主体的で収入もある「男らしい」彼女達とピッタリの相性を発揮する男性の性質はどうか? 内気で行動しないけど女に媚びたくなくて主導権も渡したくない男性はよーーーく自身と作中のパートナー男性を比較するといいよ。
元増田の受け売りだけどこれはガチ。女子は漠然と男子が結婚に消極的なモラトリアム体質であることを察してるから、決断と行動の早い人はそれだけであらゆるスペック不足を補うアドバンテージを得られるよ。それは女子からの告白にとっても同じ事。
「お互い仲良くなるまでじっくり様子見」とか言ってると真剣度が薄いという見方に繋がるし、ライバルにかっさらわれるよ。
ただしあくまでゴールは入籍なので、告白された側はあぐらをかいて油断しないこと。入籍直前までは見極めタイムは続いてる事をくれぐれも忘れず、告白直後から距離を詰めすぎてセクハラモラハラとかやらかさないように、ラストスパートのつもりで紳士淑女を演ろう。
真剣交際に行く段階まで行くとお互いが結婚後の生活を見据えて意図的に素の自分を混ぜてくる。
それは当然の流れだけど油断して「ありのままの自分」を全力露出してドン引かれたり、男女問わず自称真面目で優しい(笑)非モテに多い「コミュ強の相手がさり気なく気遣って二人の会話が続く空気を終始作ってくれていた事に気づこうとせず、相手をやれやれと下に見ながら優しく冷静な参謀タイプの自分に酔うコミュ障受動的ダメ人間」が大体ここで自爆するよ。実態は優しくなんかないのに相手の接待のおかげで己のキャラを気持ちよく勘違いさせてもらってた人が、己の自己認識と相手の素のギャップに直面して壊れる。
通常仮交際の間で見極める人が多いかも知れないけど、私見として好意を伝えてからが相手の一番肝心な所が露呈するタイミングだと思ってる。
見極めの基準は収入や居住地などもあって一概に言えないけど、個人的には最低一度はデートの店探しから予約まで段取りをしてくれる事かな。
好ましくて大事にしたい相手ならどうすれば喜んでくれるかあれこれ想像したりして段取り自体を楽しめるはずだし、ここで「失敗したらどうしよう」とか自分の保身感情で一杯になる人は一見真面目に見えても本質的に自分だけが可愛い人なんだと思う。
それは他人ではなく、他人からみた自分の評価だけ守りたいという脆弱な自己愛だよ。
というか「オレの選んだ店がオレが嫌われたらどうしよう」ばかり大げさに心配するのは繊細通り越して相手女性の人格を信用しない無礼でゲスな被害妄想だよ。
本人は思慮深さだと美化して勘違いしてても他人にはカンタンに見抜かれるよ。
少なくとも私はデートの段取りで不安なんか感じた事一度もないよ。
●1、相手の避けている食べ物を聞き出してそれを避けた店をるるぶや食べログや過去の婚活デート経験を参照に何店かピックアップ。車を使わないデートなら駅近に絞る。車を使うなら居酒屋・バーは避ける。デートのメインイベントは料理ではなくあくまで会話なので互いの声が聞き取れるよう店内がうるさすぎない所にする
(迷惑な酔っぱらい爺や泣きわめく乳幼児が出没しやすい激安居酒屋チェーンやマックや安ファミレス以外の大体の店は大丈夫だけど。個室がベター)。
●2、LINEで各店舗のURLを貼ってどこがピンと来たか聞く。もし相手が別の候補の店を提案したらそれも含めて相談する。
●3、日時と店を決めたら予約電話を入れる。席だけ予約してメニューは当日その場で決める形式が無難。
必ず候補は相手が選べるように複数伝えて相手と相談しましょう(勿論ぼかさず相手がネットで検索して把握できるように店名と住所も教える事)。万一のアクシデントを想定して予約は取ろう。徒歩なのに交通機関から離れすぎてるとかトンチンカンな場所はお互い大変だからやめよう(待ち合わせ駅から徒歩5分以内が目安)。つか普通に友人同士の会合でもこれ位はするよね?「サプライズ主義」は独り善がりで自信のない提案者の逃げだと思うよ。
デートで大事なのは9割が予約するまでの報連相だと思うよ。極論デート当日はおまけに近い。
もしこの流れを無意識的に避ける人がいるなら、それはテク以前に人間との対話拒否や幻想の女性像恐怖を極限までこじらせている症状で婚活以外の相談を受けた方がいいと思う。
先にこちらから段取りした後で次はあなたもと水を向けても「僕はそういうの苦手なタイプだから。行きたい所を言えば合わせますよ」で断る受け身っ子はお断りするよ。
■追記
ブコメへの返信ってわけじゃないけど、長文化したからカットした部分をやっぱり載せとくよ
「男女の性役割固定を否定するなら男が婚活のメシや茶をオゴる風潮はおかしい!」と思う男性も居るだろう。増田個人は割り勘派かつ共働きだし、それについては同感だよ。
でもね、同い年か歳上女性を結婚対象にして申し込んだ男性だけがそれを言いなさいって感じだよ。個人的に同年代とギリ言えるのは3歳差まで。
婚活やキャバ等の異性性を扱うサービスにおいては男の過半数が扱いやすい従順さと己の老体を棚上げした美的価値を求めてかなーーーーり歳下の女に走るよね?5歳~10歳以上とかザラ。小学1年生と中学生の年齢差、下手すりゃ0歳児と社会人レベルの年齢差だったり。お相手がそこまで歳下だったら女でも流石に自然とおごりますよ。共働き希望の妙齢の社会人女性は男女問わず後輩たちには毎回おごってるし、おごる側だと不満を口外するどころか感じることさえ恥ずかしいと思うよ。優位な立場が欲しくて5歳差以上歳下で自分より低収入と目星を付けたで若い女しか目に入らないおっさんが偉ぶるコストをケチるのはハッキリ言って恥知らずもいいとこ。
婚活市場的には5歳以上歳下というのは男にとっての高望みラインだよ。8歳下とか10歳下に申し込むアラフォーアラフィフ男性は、年収800万円以上の男に限るとかのたまう平均顔の30代女をもう馬鹿に出来ないレベル。
特に計画のない一人旅だった。言葉が全く通じない国で10日間生活することに、当初あまり自信はなかった。
これを書いている現在、日韓関係は非常に悪く、韓国では不買運動や反日デモが繰り広げられていると広く報道されている。そんななか韓国へ身1つで滞在することに不安がなかったと言えば嘘になる。宿は民泊の一室を貸し切り、宿での洗濯、炊事などは全て自分ですることとなった(洗濯機や洗剤、エアコンの表記が全てハングルで、使い方が全く分からなかったのには苦労させられた)。
私が宿を取ったのはソウルの中でもとりわけ観光地化が進んでいる場所らしい。だからか、表通りのほとんどの店のメニューには英語表記や中国語、そして(時々間違っている)日本語表記があった。先に「不買運動」と書いたが、たこ焼き屋、ラーメン屋、日本風のそば、うどんチェーン店などが結構な割合で存在し、そしてそれなりに繁盛していた。「たこ焼き」「居酒屋」などと日本語で染め抜かれた赤ちょうちんが沢山ぶら下がっていた。
日本産ビールの韓国への輸出がゼロになったという報道がなされていたが、コンビニには普通に日本産のビールが置いてあった(消費期限を確認しなかったのが悔やまれる)。他にも様々な日本製品が売られていた。だがそれらは基本的に値段が高く、不買を叫べばそりゃ売れなくなるわな、というのが正直な感想だった。話によると確かに日本製の売り場は狭くなったようだ。とは言え見た限り完全に排除しているわけではなさそうだった。
表通りとは逆に、ちょっと路地を入っていくと一気に「外国人お断り」的な外見のお店が増える。別に外国人を拒否しているわけではなく、そもそも現地の客しか来ないから言葉が通じない、それだけだろう。地下鉄で数駅離れたエリアでは、韓国語以外ほとんど通じないというお店がたくさんあった。
しかしそういったお店でも私は歓待を受けることがあった。私のつたない韓国語(うろ覚え&カタカナで言っている)を察し、「あなたは日本人ではないですか?」というような質問を何度も受けた(「日本人」がかろうじて聞き取れるだけで、本当は何を言っているのか正確には分かっていない)。カタコトの日本語で挨拶をしてくれる人もいれば、ゼスチャーを交えて日本には縁があることを一生懸命説明してくれる人もいた。年配の方にそういう傾向が見られたが、若い店員さんでも私が日本人であることに理解を示す人は多かった。
繰り返すようだが私は韓国語が分からない。だが店内に響くように片言の「アリガトウ」を叫んでくれる人たちを見るにあたり、少なくとも韓国では「あいつは親日分子だ」と咎められ石を投げられることはないのだということは理解した。
これは日本の状況とほぼ合致していると思う。韓国人だというだけで露骨に罵倒したり店を追い出すような人は稀だろう。「韓国のドラマ観てましたよ」とか「音楽聴いていますよ」とか何とか歓迎しようとするのではないだろうか。カタコトでも日本語を使えば親近感を覚えるのではないだろうか。私は出国前「日本人お断り」という張り紙や路上で国旗を燃やしプラカードを持って反日を叫ぶ人を恐れていたがそれは杞憂だった(これは逆も同じらしい。日本では嫌韓ムード一色だと思われている)。日本の番組を見て「日本人はそうでもないのに、なぜそこまで嫌われなきゃならないんだ」と思う人もいるだろう。それを理由に隣国を嫌うという矛盾すら生じている。実のところ私も一時そう思っていた。そういった我々の感情はそっくり同じように隣国に届けられ、そして日本人を嫌う人が増える。実にくだらない負の連鎖だ。
もちろん隣国にも極端な反日家はたくさんいるのだろう(私も嫌なことが一切なかったとは言わない)。だが日本にも極端な嫌韓家がたくさんいて嫌韓本が書店に並んでいる。ただその「一部」が切り取られ、お互いの国で報道され、お互いの国民の間でさえ誤解が進んでいっているのは悲しいことだ。
本当はもっと書きたいことが沢山あるのだが、今回はあえて日韓関係に話題を絞った。だがそれだけではなかった。当初の杞憂とは裏腹に実に楽しく、驚きも多く、充実した10日間だった。機会があれば別に記したいと思う。
見たい。こんな感じのやつあったら教えてください。
辺境の小さな村に仕える女騎士は闇夜に蔓延る盗賊やならず者から村を守ることで村人から慕われていた。天下一と言われる女騎士の剣術で村に平和がもたらされていたが、代わりに課した条件があった。
なんと、それは年頃のショタを女騎士に差し出すことだった。年に一度、村人たちが楽しみに待つ収穫祭の夜に犠牲者は決められる。
饗宴が最高潮に達したころ、女騎士はテーブルを見渡し千鳥足で一人の少年に歩みよると半ば強引に肩を掴み奥の部屋へと連れ去った。ろうそくの炎で照らされた少年の顔は蒼白になると同時に、テーブルに残された人々の顔には安堵の色が広がる。
このあと、三日三晩繰り広げられた驚きの行為とは...
第二章「正義の鉄槌」
女騎士のショタを求める欲望は初めのうちは祭りのときだけだったが次第にエスカレートしていった。その噂は「辺境のショタ喰女騎士」として皇帝に耳に入るほどになっていたので、皇帝は一人の密偵を村に派遣し現状の調査を命じた。後に皇帝の大失策として語り継がれるこの密偵はショタだったのだ。旅人に扮して辺境の村に向かった少年密偵は、女騎士の館で歓待を受ける。ギラギラとした欲望のまなざしを向けられながら夕食を共にしたすぐ後、隣室で村の少年が四肢を押さえつけられ凌辱されているのを目撃してしまう。噂は本当だったのだと確信した密偵は急いで駆け出し、全力の逃走劇を繰り広げる。しかし、百戦錬磨の経験値と鍛え上げられた強靭な肉体を持つ女騎士からは逃れられず捕まってしまう。
後日、皇帝に出された報告書にはたった一言だけ「女騎士は優しくもてなしてくれました。」と書かれるのみだった。少年密偵を呼び出し問いただしても、頬を赤く染めながら同じ言葉を繰り返すのみであった。
いったい、彼の受けた女騎士からの深くて熱い「もてなし」の真相とは...
肉欲の限りをつくした女騎士の行動もついに白日の下にさらされ、騎士としての身分をはく奪され失意のままその一生を終えると思えた。しかし、その国に並ぶものはいないと言われた剣術の腕が彼女を救った。彼女は名前と容姿を変えて剣術の師範として皇帝に仕官したのであった。女騎士としてではなく一人の女として第二の人生を始めた彼女は狂い始める。なんと、皇帝はショタだったのである。ショタ皇帝に身体を密着させての剣術指導を重ねていくうちに自らの欲望を抑えきれなくなった彼女は...
おっとこれは知らんかった、さんきゅ。
NHKラジオの歓待する文学で紹介されてたハンガンの小説良かったよ。
https://m.youtube.com/watch?v=ERUflUmD-Wo&list=PLcDQ8jIr_y9f7thIe---3LIZABI5eAiHN&index=17&t=0s
創世記第19章
ソドムとゴモラは滅ぼされることになった。なんでそうなったかって?ロトに関係ないから省略した第15章~第18章の間に、神がそう決めたのだ。ちなみにゴモラも街の名前だ。
神はソドムに二人の天使を遣わした。ソドムの門で彼らを見つけたロトは、彼らを神の使いと察してひれ伏し、彼らを自分の家に招き入れて歓待した。しかし夜になると、ソドムの街のあらゆるところから老いも若きも住民の男たちがぞろぞろ出てきて、ロトの家を取り囲む。戸口に出てきたロトにソドムの男たちは言った。
「今夜お前んとこに来たあの野郎共、出して俺らに会わせろや。そしたら俺ら、あの野郎共を知る(意味深)からよ」
これにロトはこう返した。
「私には、まだ男を知らない(意味深)娘が二人おります。娘たちをあなた方に差し出しますので、どうかあの方々には何もしないでください」
だがソドムの男達は女よりも男の方が好みだったのか、「よそ者のくせに生意気なんだよ!」とロトの申し出を断ってロトの家の扉を破ろうとした。
だが、二人の天使はあっさりロトを救出しソドムの男達を撃退。そして、ロトに「これからソドム滅ぼすんで。身内とか居るなら一緒に逃げた方がいいよ?」と告げた。これを聞いてロトは、娘たちをめとる婿たちに一緒に逃げるように誘いに行った。しかし、彼らはロトの言葉を信じなかった。
朝になって天使たちは、「早く逃げないとお前たちも巻き込まれるよ」と急かすが、ロトはまごついている。仕方なく天使たちは、ロト、その妻、二人の娘の手を引いてソドムの街から逃げ出させた。その時天使は「振り返って見てはならない」と言った。
そして神は、ソドムとゴモラの街に硫黄と火の雨を降らせ、これらの街の全ての建物、住民を滅ぼした。
ロトと二人の娘は助かった。だが、ロトの妻は天使の忠告を守らずにその光景を振り返って見てしまい、塩の柱と化してしまった。
ロトは小さな町に逃げ込んだのだが、その町に住むことを恐れるようになり(何が怖かったのかは聖書にも記されていない)、町から出て二人の娘とともに洞窟に住むようになった。
その洞窟での生活の中で、ある日二人の娘の内の姉が妹にこう言った。
「この洞窟にはお父さんしか居ません。こんな洞窟には他の男が訪ねてくることはありません。じゃあ仕方がないからお父さんを酔い潰して、それからお父さんと寝ましょう。そうすればお父さんの種(意味深)を授かるでしょう」
二人はこの恐ろしい計画を実行。一晩目の姉の時にも、二晩目の妹の時にも、ロトは完全に意識を失っており気付かなかった。そして二人の娘は父親の息子を孕み、出産した。
『くるみ割り人形と秘密の王国』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けであります。
すごいぞなんと150点。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんで、なんかもっとお金出したい感じはあるんだけど、この映画の場合グッズとかサントラとかそっち方向にはいかない、いけない、やばい。
この映画を公共向けにレビューするとジャスト95点くらいなのははっきりしていて(いや辛く採点すれば80くらいか?)残りの+50くらいは何かといえば完全に性癖の話なのですよ。いつもそうだけど、今回はそれにもまして(主に後半)全く当てにならないレビューであることを告白しなければならないです。何がやばい特殊性癖なのかについて最初に語ると話が混乱するので、後ほど詳細を述べます。
物語はストームボール一家がクリスマスの準備をしているところから始まります。でも主人公でありミドルティーンの次女であるクララ(演マッケンジー・フォイ)は浮かない顔。他の一家もなんだかギクシャクしている。それも無理のない話で、どうやらストームボール一家の母親は、このクリスマスの直前に死んでしまったようなのですね。
家族を失った喪失の中でもストームボール一家は伝統であるところのクリスマスをしようとしている。ヴィクトリア朝の話だから、親族の大規模なパーティーに出ようとかあるのだけれど、母親を失った悲しみからそれらを拒否して引きこもりたい主人公のクララと、このような状況だからこそ普段通りに日常に過ごさなきゃならないと考える父親の間には、感情的な亀裂があるというところから物語は始まるわけです。
そういう意味で言えば、これは大事な家族を失った喪失から回復する話です。同じテーマを扱った今年の映画でいえば『若おかみは小学生!』なんかがあります。普遍的なものなので他にもいくつもあるでしょう。
そういう普遍的なテーマだったんで、料理の作法にも定番(セオリー)みたいなものはあるわけですが、まずそのセオリーそのものはきちんとこなしていた。そういう意味で脚本は及第点。
また、同じテーマをこなしながらも独自性のある切り口も感じられました。この項目はその独自性についての感想です。
この種の「喪失と再生」の作品において、「去ってしまった人から過去において贈られた自分に対する愛情を再認識する」というエピソードは非常に重要なセオリーポイントになります。
それは例えば前述の『若おかみは小学生!』においても「私たちは娘であるあなたを愛していたよ」「その愛は永遠だよ」というようなメッセージは存在していて、それが主人公に受け取られることで回復の契機になりました。
いってしまえばこの「親からの愛情」ってのは遺産なわけですよね。だからこのテーマは遺産継承に関するテーマだと考えることもできます。
でもこのテーマには隠された問題点もあって、それは「親子間の関係を遺産を残すもの/受け取るもの、というような一方通行の、上位者の秘密に下位者が気づくだけという、そういう物語として描いていいの?」というものです。この問題告発って自分は今まで意識したことがなくて、『くるみ割り人形と秘密の王国』で始めて気が付きました。
例えば先程から比較している『若おかみは小学生!』においてこの問題提起はないんですね。それはなぜかといえば、『若おかみは小学生!』の主人公おっこはタイトル通り小学生で、これから自分の世界を確立していく存在だからです。重要なのは遺産が(つまりは死んだ両親からの愛情が)「あった」事であって、それにさえ気づけばおっこのここから先のミッションは回復だけなわけです。
しかし『くるみ割り人形と秘密の王国』の主人公クララはミドルティーンであり、もうすでに自分なりの自意識も世界観も作り上げつつある存在です。
次女のクララには、上には憧れつつも素直に従うことができない長女がいて、下には一緒に遊んで面倒を見てやる長男(小学生低学年くらい?)がいます。弟の面倒を見ながらも、女性的な完成度と貫禄では長女に勝てない次女。おしゃれは苦手でちょっと理系(工学系)な変わり者な主人公。
彼女はそういう意味で「母親を失って狂乱するほど悲しむ幼子」ではない。悲しいし落ち込んでいるし、日常を取り繕おうとする父親に反発をするけれど、だからといってそれを破壊しようというほどのパニックにはならない。自分自身の力でこの悲しみを乗り越えようとしている、まだ若いけど自立を目指す女性なわけです。
そんな彼女は、通り一遍な意味では「死んだ母親から愛情があった」ことはわかっています。世間一般でそういう慰めの言葉はよく聞くし、自分が母に愛されていなかったという疑いはない。
でも、じゃあ、その「愛情」って具体的にはなんなんだろう? もちろん日常でのさりげないやり取りや、スキンシップや、無言での加護やら、ありとあらゆるものがその候補なわけですが、それらは要するに伝われば伝わるし伝わらないわけです。過去のシーンとしては無数にあるそれを、クララはまだ自分の中で結晶化できていない。そこにクララの戦いはあるわけです。
この物語ではその愛情を暗示するキーワードとして母親の残した「大事なものは全て中にある」という言葉があります。
クララは亡き母からのプレゼントエッグの中に残されたこの言葉を追いかけて冒険の旅に出るわけですが、この言葉の意味は最終的には「私(母)がいなくなった世界においてあなた(主人公クララ)が前を向いて生きていくための大事なものはすべてあなたの中に残してきた」です。
大事なものは、様々な教えであり、生きていく知恵でもあり、もちろんつながりや愛情や人格そのものでもあり、大げさに言うならば「母親(家族)と過ごした時間のすべて」なわけです。
そしてこのキーワードが示すのは、それだけにとどまらないんですよね。
この言葉は「nを残してきた」「nが私(母)の愛情である」という指定ではないわけです。だからこそ逆に「何が残されていたと認識するかは、娘であるクララが選んで受け取りなさい」という信頼であるわけです。
愛情は遺産なわけですが、それは決して贈る/受け取るという一方的な関係ではない。この物語における「気づき」はそういうステージのテーマとして描写されている。それはやはり一味変わった、深い踏み込みだったと思います。
一方、作中において「遺産」はもうひとつの意味でもあらわれます。クララの母は幼いころ「秘密の王国」を発見してその民に慕われた女王でもあったのです。わお。ですから、遺産は女王位。クララは本作のメインの冒険である「秘密の王国への迷い込みそこで戦うこと」をとおして、この「女王位の継承」という問題へ巻き込まれてゆきます。
でもこの問題も前述の「母の愛情をいかに受け取るか」とワンセット、同じ物語の両面なのです。
クララは「女王が去ってしまって荒廃が始まった秘密の国」で大歓迎を受けると同時に、その危機においては「お前なんかは女王の代替品にすぎない」ともいわれてしまいます。「女王の位」をうけとった娘クララは、ただ単にそれを受け取った段階では「無力な模造品」にすぎないという弾劾です。
クララの母でもあり前女王でもあるマリーが幼いころ発見して作り上げた秘密の王国とそこに住む住民たちは、マリーに生み出されて育てられたという意味では、クララと同じく「マリーの子供」でもあるわけです。表面上は老人に見えても年上に見えても異形に見えたとしても、その意味では全てクララの兄弟姉妹に等しい。その彼らが、母マリーがなくなって、道を失い、うろたえ、クララに剣を向けさえする。
その混乱はマリーの残した女王位をただ受け取るという、つまりは遺産を残す上位者、受け取る下位者というだけの状態では、収拾されないわけです。
つまり、これもまた、「継承というのは一方的な贈与関係ではない」というテーマに接続されているわけです。
作中で、母との回想シーンの中で、クララは母から「あなたは姉に憧れているけれど、あなたにはあなた独自の世界があって物事をあなただけの見方で見ることができる。そこがあなたの魅力なのよ」と励まされます。
クララはクララなりに世界を見ることができる。それは父母や周辺環境のコピーとして自意識を確立していくしかない幼子ではなく、ミドルティーンとしてすでに自分の世界があるこの物語のクララでしか描けなかった切り口です。
母からは無限の贈り物を残されたけれど、その中のどれを受け取るか――母の残した教えや愛情のうちどれを「クララという自分自身のコアとして据えるか」というのは、クララの側の自由であり、その選択によって自らの存在を定めるわけです。
その自由の幅が良かった。
この物語の中で、クララは「秘密の王国」での旅と冒険を通して、そういった自分自身の内面と出会い、悲しみを癒やすわけですけれど、でも実はこの度ってなくても良かったんですよね。作中でも途中でリタイヤして現実世界に帰る選択肢が示されるシーンが有ることからも分かる通り、それはありなわけです。途中で帰るどころか、実は、出かけなくても良い。
クララはもうすでに自分自身を確立しつつあるミドルティーンで、この作品の冒険なんかを経なくても、時間さえかければ悲しみから立ち直っていたと思います。父親との間にギクシャクした感情は少し残ったかもしれないけれど、それすらも時間の流れでおそらく解消できた。
そこがとても良かった。
幻想郷への旅が必要不可欠であり、この冒険行がなければクララが破滅していたのだとすれば、クララは神が(母が)操る遺産相続の操り人形なわけですが、そうではなくクララは旅をやめる自由がある中でそれを続行し、自分で選んだわけです。
母から与えられたすべての教えや愛情の中から、姉と同じように「おしゃれで社交的な自分」ではなく、「機械いじりが好きでとびっきりの発明家である自分」を選んで継承した。同じように「秘密の王国で歓待されるだけの女王」ではなく「みんなのために調和を取り戻そうと戦う女王」も選んだ。選ぶという行為によって、ただ与えられる下位の存在ではなく、継承というテーマにおいて贈り主である上位存在と対等の関係であることを示したのです。
この辺はもはや登録商標とも言って良い「ディズニープリンセス」というワードの「プリンセス」にたいして、一定の回答を出そうと本作が挑んだ結果でもあると思います。
王位とか王権(そして愛情を)先代から送られ継承した存在が、プリンセスである。
でもそれは逆説的に、「プリンセスとは手渡されはしたものの、その手渡されたものをまだ十全には使いこなせないし、自覚もはっきりとはできていない、運命や自分自身と戦いの最中にある存在だ」という主張でもあると思うのです。
そういう踏み込みのある本作は、テーマから見ても脚本の構造から見てもかなりの出来でした。
――まあ、もっとも、ここまで脚本を褒めては来たんですけれど、その表現としての台詞回しがどうにも垢抜けない感じで、紋切り型なところも多くて正直言えばそこは今ひとつです。取ってつけた感じがある。
てなわけで、構造面ではキラリと光る部分はあるけれど、80〜95点くらいですかね、これは。という感想になるのでした。
文字数がオーバーしたので後編 https://anond.hatelabo.jp/20181201181722 に続きます。
の、心理が謎。誘われてもないのになんで来たがるのだろうか。
Aは自分と違って交際範囲が広く、自分の知らない知人友人も多いのでそれは別にいい。
結婚後に新居に遊びに行かせてもらい(A夫婦で歓待してくれた)、
その後も一度、A夫婦と一緒に呑む機会があった。
(その時も、そもそもはAとの二人での呑み会の途中にA夫から連絡が入り、
「ごめん、旦那が来たがってるけどいい?」ということで合流してきたのだが)
その2回の印象では、「旦那さんは悪い人ではないんだけど、自分とは相性が合わないな」だった。
自分の感覚からは「え、それ本人の前で言う?」って事をずけずけと言う人で、
それを冗談として流して笑える人もいるんだろうけど、自分にしてみるとちょっとデリカシーがないなと思うタイプの人だった。
(Aはそれを笑える人なのだろう、鷹揚で包容力のある人だから)
だから、Aとは今後も付き合っていきたいけれども、旦那さんとはもう必要最低限でいいやと思った。
付き合いと言っても、お互いにいい歳で仕事もあるし、住んでる場所も近くはないし、
Aは家庭を持ったのだからそちら優先になってしまうのも仕方ないので、
リアルの付き合いとしては年に1・2回、一緒に呑むくらいのことしかないのだが(Aと旅行ももう行けないだろう)。
その後。Aと呑み会の予定を組む時には、『旦那が途中から来られない日』を選ぶことになった。
自分がなにかAに言ったわけではないが、長年の友人故に、自分がAと二人だけで呑みたいと思っていることを察してくれたのだろう。
『この曜日だと旦那が参加してきちゃうだろうから、別の日がいいよね』と自分から言ってくれるようになった。
それはありがたいし、どちらにも配慮してくれているとわかっているのだけれども、
わざわざそういう日を選ばなくとも『同性だけで呑みたいから合流はなしで』と旦那に言えばいいだけのことなのでは…とも思う。
それを旦那に言えない(言わない)理由が今ひとつわからない。旦那はそれだけで傷つくようなナイーブ侍なのだろうか。
それとも言っても理解してもらえないのか、言っても強引に参加してしまうような人なのだろうか。
余計な波風は可能な限り立てたくないというのもわかるのでAの対応に不満があるわけでもないのだけれど、
そもそもA旦那は、サークルの呑み会みたいな交流がメインのオープンな呑み会ならともかく、
長年の付き合いの同性の友人同志が年に一回ほどサシでしみじみと近況報告がてら旧交を温めるような呑みの席(女子会)に何故参加したがるのだろう。
自分が逆の立場ならば、おいでよと誘われたとしても行かないだろう。互いに気を遣って気疲れすることがわかっている(それなりに楽しめたとしても)。
異性がいては話しにくいこともあるだろうし、長年の付き合いならばその当人同志にしかわからない話題も多い。
あまりにその心理が謎なので検索してみたが、同じような、『旦那が必ず呑み会についてくる』というトピックはあるが、
『旦那が何故ついてくるのか』については、はっきりとした答えが見つからなかった。
1。妻の友人がどんな人間なのか、交友関係を知りたい。妻の友人に挨拶しておきたい →初回はわかるしそれは否定しない。しかし2回も会ったしもういいんじゃない?
2。自分が参加すれば場が盛り上がると思っている →そういう人なら最初から呼ばれる。それでもこのパターンでは遠慮して欲しいけれど
3。独占欲が強くて常に妻を監視していたい →それならAは旦那が参加できない日には呑み会ができないはずなので、この場合は当てはまらない気がする
4。妻と呑みたい →そちらは毎日機会があるんだから年に1・2回くらい奥さん貸して下さい
5。気を遣われて話題の中心にいたい(仮想モテ状態を楽しみたい) →もっと人数のいる女子会ならまだしも…これは女性のほうがありえそう
6。呑み会が好きで、呑みの席には種類問わずに可能な限り参加したいし、しても良いものだと思っている →これかなあ
7。実は私と呑みたい →それは絶対にない
本人に聞けないしAにも聞けないし、自分の周りにはA旦那のようなタイプの人がいない(同性でもいない)ので、どうにもやっぱりその心理がわからない。
あーあ。次にAと呑めるのいつだろう。
残りの人生で、あと何回Aと呑めるのかな。
某新聞社から電話。一度も聞いたことのない声の推定30~40くらいの女性記者。新人ではないが恐らく新任。
神社は営利団体ではない。お祭りのチラシなど作った覚えもなければ報道に提供した試しもない。
神主様「当社では祭典のチラシなどはこれまでに作ったことはございませんが・・・報道の方からも初めて聞くお申し出ですが」
女性様「そうですか、じゃあ祭典の詳細を教えてください」
神主様「(そうですかじゃねーよ前任者からの引継ぎとか一切何もないのかよこいつ)ホームページに詳細に記載しておりますので、そちらをご覧ください」
神主様「(今まさに電話してきた用件の為に忙しいんだが、まあ質問もあるのかもしれないし仕方ないか)はい、どうぞ」
女性様「○○時○○祭、○○時○○祭、、、以上でよろしいですか」
神主様「(ホームページに書いてある内容ただ読み上げただけで質問一切なしかよ)ええ」
女性様「ホームページの内容を印刷できないんですがどうすればよろしいですか?」
神主様「・・・。(神社はパソコン教室じゃねーんだよ、わざわざ文字を画像処理して表示でもしてるるわけじゃねーんだから普通にコピペできんだろ、ていうか取材相手に訊くなよそんな事)そちらのパソコンの事となりますと、ちょっと・・・当社ではお答えできかねますが」
女性様「ああ、コピーしてメモ帳に張り付ければ・・・。(独り言) 質問は以上となります」
神主様「報道の方にはホームページにて祭典情報をご覧頂いております、今後、詳細につきましてはどうぞそちらをご参照下さい、また質問等ございましたらご随意に」
電話してきたのはそれほど大きい報道機関でもないから仕方ないのかもしれないが。ここまで酷いのは流石にちょっと珍しい。
ただ、取材を申し込んでくるメディアって、一見物腰は丁寧で丁重だったりしても、こういう「ホラホラ天下に名高き報道機関の弊社様が有難くもタダで報道してやろうって言うんだから、恐れ多くもありがたがって土下座して感涙にむせび泣きながら歓待して見せろやコラ」みたいな態度が透けて見えることはままある。
営利企業相手だったらその態度でも通じるかもしれないが、非営利団体相手では不快さしか与えない。
報道機関はあくまでも世の中の色々な事を人々の耳目に届けるのが仕事であって、広告力やメディアの影響力を武器に脅しつけるがごとく取材対象に対して尊大で雑な態度を取るのが社会的役割というわけではない。
ま、こんなのは単純に、力を持つ事を自覚して振る舞う人間や集団の宿命的性格、と呼ぶべきものでしかないのかも知れないが。
おお俗世こわいこわい。
地域社会が学校の「味方」になるか「敵」になるかは、学校をスムーズに運用できるかどうかの非常に重要なファクターになる。そして人間は知らないもの、馴染みのないものを「敵」と見なす傾向があるんだ。
学校が地域社会と一切の関わりを絶ち、子供とその保護者だけを相手にしたとしよう。そうすると学校から出る全ての音は、周辺住民にとって「騒音」にかわる。たちどころにクレームの山が学校に押し寄せる。休み時間に子供を校庭で遊ばせることもできなくなる。子供たちが学校の行き帰りにしゃべっているだけで、町のどこかに自転車を止めただけで学校に文句がくるようになる。あらゆる問題が地域から降りかかってきて、学校が全然まともに運営できなくなる。
じゃあどうするのか。
地域の老人やら商店街の重鎮やらを運動会などの行事に来賓としてまねいて歓待し、卒業式にはOBの地方議員をまねいて祝辞の一つももらう。地域の祭りに子供たちを学校代表として参加させて歌でもうたわせ、自治会の新年会にはPTA会長が出席して顔を売っておく。
こういう普段からの根回しにより、地域社会が学校の「味方」になるんだ。そうすることで地域からのつまらないクレームは激減する。多少あっても、自治会長やら商店街やらが取りなしてくれるようになる。
我々は経済効果に変えるためにやるわけではないので、そこは絶対に踏み外さないようにしましょう、と。「コンテンツには必ず終わりが来るので、コンテンツにばかり寄りかかっていると、なくなった途端また元に戻っちゃう。次に皆さんがやったほうが良いことは、いま来てくれているお客さんに“大洗のファン”になってもらうことですよ」
我々はそんなおこがましいことを考えていませんでしたと。我々は面白い作品を作るための努力はできるけれど、それ以上のことはできません。(ヒットする約束を)先物取引のように、舞台となる町との交渉材料には使えません。
「我々も町には必要以上に甘えません。だから町の皆さんも我々に必要以上に甘えないでください」と。どちらかがどちらかに甘え始めた途端に、関係はきっと不健全になります。
ロイヤリティーは当然必要ですが、MGについては大洗だけではなく――ケース・バイ・ケースですが――ガルパンに関しては商品化にあたってMGをいただいたことはほとんどないですね大きな企業以外は、商工会で版権の利用申請受付と利用状況をまとめてレポートし、それを元にバンダイビジュアルさんから商工会へ請求が届き、商工会がお支払いする、という流れ
大洗に行って、実際に商品を手に取ってみるとわかりますが、ほとんどロイヤリティーが乗っていないような金額で商品が販売されています。最近は大晦日にガルパンファンが、磯前神社で初日の出を見ようということで夜明かしをするんですね。年末の海のそばだからものすごく寒い。そうしたらウスヤさんは朝の5時まで店を開けてくださったんです。ファンが暖まれるようにって。串カツも売るんですが、一緒に甘酒を振る舞っちゃう。それ、下手をすると赤字でしょ、と。でもそれをやる人たちなんですよ。誰から頼まれるでもなく、自分たちでやり始める。そういうことをしてくれる町だからこそ、「ガルパンがきっかけだけど、大洗が好きで、どこそこの商店のおばちゃんに会いに来ました」って、ファンが手土産持っていく
大洗って、もともと観光地で、ホスピタリティーが高く、年間を通じてイベントが多いんです。いろんな仕掛けをしてお客さんを誘引する努力をしてきた町なので、ガルパン1つに町の命運を委ねる気はない おカネ・経済効果を度外視してみんなでガルパン面白いねって言ってくれる町だから、ファンが安心して来られる。そもそも大洗は、まちおこしなんてする必要がないレベルの有名観光地でしょ。おカネにならなくてもファンを歓待するというのは、目の前の利益じゃなくて、町や店を好きになってもらうほうが先……といった商売人ならではの嗅覚が働いている
年季が入っているオタクって――わたしもそうですが――いわゆる偏見に晒されながら生きてきたので、自分たちがどういう風に見られがちか、よくわかっています。せっかく町の人たちがよろこんでくれているのに自分たちが間違った行動をして、それを台無しにしてはいけない、という認識の人がすごく多いのです。
たまに、コンサルタントから送られてくる企画書を見るんですけれど『うーん』って。過去事例を並べて「あなたの町もこうすれば……」という内容で、言い方は悪いけれどお手軽過ぎというか『考えてないでしょ』って思っちゃうんですよね。―― あなたたち、6年間毎月のように通って、面倒事もモデレートしながらやっていけるんですかっていう。町の人たちを中心に作って盛り上げていく形でないかぎりは、たぶんうまくいかないんじゃないかなあ……。
輪廻のラグランジェの話はそこまでだ。