はてなキーワード: 性役割とは
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
大学時代から6年付き合っている彼氏に、僕と結婚したいのならおしっこを飲ませたり浴びさせたりして欲しいと言われた。デート中に脚が疲れて二人で入った、ターミナル駅のマクドナルドでのことだった。
彼いわく、私と結婚して、これから一生私以外の人と性的関係をもてなくなるとして、私が拒否したら一生おしっこプレイが望めなくなる、それは嫌だと。
私をオナニーのオカズに使うこともあり、そのときの想像の内容は私に顔面におしっこを浴びせられながら飲むことばかりであると。
学生時代に私におしっこ飲ませてと言ったが冗談と受け取られたらしく笑いながら断られたことがあって、それがとてもショックだったと。(私は全く覚えていない)
26歳になり、友人の結婚も増えた。彼が結婚についてどう考えているか気になり、それとなく話を振ってみた結果がこれだった。予想外の方向のディープさに、リアクションが取れなかった。この困惑をどう表現していいかわからず、表情筋が停止した。
そして確か、「そうなんだ」とか答えた。
帰りの電車の中で不意に、たしかお互い社会人2年生くらいだった頃、(彼の前で彼の合意のもと)彼の携帯を借りて代理でメールを打ったときに、予測変換の「お」の一番最初に「おしっこ」が出てきて、「おしっこ」という幼児的な単語選びと彼のキャラの間にギャップを感じてそのままおしっこと入れてみたところ、次の予測に「ドリンクバー」が出てきたことを思い出した。今の今まで完全に忘れていた。
おしっこドリンクバー。どういうことなんだろうか。彼は何を思ってこの単語を入力したんだろうか。当時の私は「何これ?」と一瞬思った程度で、すぐに「おしっこドリンクバー」を消し、彼に打つよう言われたメールの内容を普通に打ち、そのまま忘れた。
彼氏の告白を受けた今は流すことなどできず、真剣に考えてしまう。彼氏の願望なんだろうか。「烏龍茶」「爽健美茶」「ジンジャーエール」「カルピス」などと書いてあるところに、「佐々木希」「石原さとみ」「堀北真希」「新垣結衣」とか書いてあって、紙コップを置いてボタンを押すと彼女たちの尿が出るシステムなんだろうか。そこで突然笑えてきた。急に来たので噴いてしまった。今日の夕方の下り急行電車の中で銀のポールを掴みながら「グギュッ、フッ、フククッ」と突然不気味に笑った20代の女を見た人が居たらそれは私かもしれない。
家に着いてから、夕食も食べずにずっと、結婚と尿について考えている。彼の顔面に尿を浴びせている新妻の私を想像する。彼の望むことかもしれないが、すごく心苦しい。彼の尊厳を踏みにじっている気がする。何回か実行したら、満足してくれるのだろうか。それとも定期的に要求され続けるんだろうか。3日に一度とかは、相当つらい。週1でも結構つらい。月1なら…。いや、ずっとやってると慣れるんだろうか。夫の顔に尿をかけることに慣れた私…。両親の顔が浮かぶ…。あああ…。
私がそれを断ったとして、私たちが破局したとして、その後私は結婚できるのだろうか。彼以上にしっくり来る人はあらわれるのだろうか。そんな人に私は選ばれるのだろうか。一生結婚できないのは、いやだ。焦るのも、いやだ。それに彼のことは好きだ。元々私から好きになって私から告白した。それまで受身だった私が積極的になったのは初めてのことだった。それまでの恋のようにそれとなく好意を伝えても全然伝わらないので、死ぬ思いをして告白した。付き合い始めたあと、彼にゲイの噂があったことを知った。結果としてゲイでは無かったけど。
そこまでしたのに、6年付き合ったのに、終わってしまうのか。それはいやだ。別れたくない。結婚するなら彼としたい。というか何なんだあの男は。彼女から妻にする条件が、おしっこか。力が抜ける。なんでこんなのを好きになったんだろう。私は結局、「おしっこを顔にかけてあげてもいいから結婚してください」というようなことを言わなきゃいけないんだろうか。結婚って何なんだろう。想像していた結婚と違う。おしっこがどうのと言いながら逆プロポーズは嫌だ。彼からの言葉が欲しい。おしっこOKのあとでいいから。でも期待できるのかな。彼は男性の性役割的なものを無視しているから。普段はそれでいいんだけど、でも、プロポーズまでそうなるのは…。
男らしさ女らしさみたいなのは失礼な意識
自ら求めたりするのも遅れていると
それで大人になった現在、
メディアの記事で「女の子として扱って欲しい」みたいな女の声を聞くと
本当にガッカリするしイライラと謎の怒りが湧いてくる
実際に接する女も
なんかそういう「女として」とか、
求められることが事実あるわけですよ
親しくなってくるほどそういう面を出してくる気がする
そのたび「お前の本性もそれか!」みたいな、
なんなの?それ?
っていう
今日テレビ見てたら上戸彩が「ガツガツした野獣のような、守ってくれそうなタイプがいい」と言ってました
公共の電波で!
こうも前近代的な!
反動的思想を垂れ流してて、誰も咎めてないんです
なにそれ?男に守ってもらうとか
21世紀にありなのそんな幼児的な願望
でまたイライラする
わかってますよ
フェミニストとそういうこと言ってる女が違う集団だという言い分は
はいはい
そこでさあ
たまーにでいい、アリバイ作り程度でいいから
そうすれば自分が子供の頃から刷り込まれてきたフェミニズム価値観を信じ続けられるし
遅れたアホ女を見たときのイライラが減ずる気がするんだ
お金を稼いでる男だと思うと、嫌なことが多少あっても許せるってことだと思うんだ。
上から目線の言葉を連発したり、家事を一切しなかったり、育児を一切しなかったり、妻が病気したとき何もしないで遊んでたり、浮気したり。
それでも高収入だと思うと、しょうがないかと思える。
この人のおかげで分不相応の豊かな暮らしが出来てるんだし…と思って我慢できる。
でもその男が低収入だと、なんで低収入の男にこんな思いさせられなきゃいけないの?となる。
低収入の人に上から目線で説教されたくない、低収入なのに家事分担すらしないって何様なの、低収入なのに育児すら手伝わないってどういうこと、低収入なら妻が病気したときくらい看病してよ、低収入のくせに浮気ってなんなの慰謝料払えるの?
なんで夫は低収入の仕事だけやってればいいのに、私は仕事と家事と育児と夫が病気したりしたときの世話、全部やってあげなきゃいけないの?
これはもう憎しみに近いよ。
男性目線で理解しづらいなら、妻のルックスで考えるとわかりやすいと思う。
美人若妻にちょっと生意気なこと言われても耐えられるけど、ブス妻に言われたらぶん殴りたくなる。
美人若妻が家事をさぼってもまあ仕方ないかと思えるけど、ブス妻がさぼってたら家から蹴りだしたくなる。
そういう気持ちだから。ぶん殴ったり蹴りだしたくなる対象だから。低収入なのに怠惰で上から目線な夫って。
夫が低収入でも、家事が一通りできたり子供好きだったりする夫婦はうまくいってる。平等に家事分担をして、平等におもいやって、平等に稼いで。性役割を超えた、あたらしくて安定した夫婦像だと思う。
でも低収入のくせに「古き良き昭和の妻」像を求める夫だと、絶対にその夫婦はうまくいかない。奥さんは爆発寸前になってる。「子供が巣立ったらすぐにでも捨ててやる」って思ってる。
「男から女への性欲なら何を言ってもいいということはない」という日記が興味深かったので自分なりに考察してみるテスト。
こういう考え方をする人が多いのは、多分「エロは男のナワバリ」という時代が長かったからではないかと。
腐女子は「俺たち男だけで気楽にやっていた空間に、突如入り込んできてナワバリを荒らす不届き者」として
男性ファンに散々叩かれてきた結果、自己のふるまいに気をつけるようになったんだろう。
要するに新人イビリの結果ですな。
逆に男性が女のナワバリに踏み込んでひどい目に遭うこともあるわけだし、
「腐女子が男キャラをどうこうするのはダメだけどヒロインならおk」という風潮が生まれた原因は、
女性が男性より気遣いができるからではなく、単に女性が二次エロという分野において新規参入者だったからだと思われる。
さらにもう一ついえば、男性が「他者から性的欲望の対象として扱われること」に不慣れなのも原因だと思う。
女性は現実に男性からセクハラを受けたり、巷に溢れかえっている男性向けのエロい商品を見かけたりすることによって、
「女性は男性にとって性的欲望の対象なのだ」ということを嫌でも自覚する。
また、女性は成長に従い、少々のセクハラはスルーするスキルを身につけていく。
今でこそ「セクハラ」という言葉が知られるようになったけれども、
依然セクハラ行為をする男性は多いので、それにいちいち反応していてはスムーズに社会生活を営むことができないのだ。
女性は男性からセクハラを受けても(それがあまりにひどいものでなければ)、
心の中で「死ね、氏ねじゃなくて死ね」と思いつつも、表面上は「やだー」とかなんとか言ってにこやかにかわす。
セクハラによるストレスは、女同士で「セクハラ魔人」などのあだ名をつけ、陰口を言い合うことによって発散する。
これができない女性は、たとえ正しいことを言っていたとしても「自意識過剰」「KY」などといった烙印を押されてしまう。
こうした日々の受難により、女性は男性から性的欲望の対象として扱われることを不愉快には思うものの、
「男ってやつは、ほんとスケベでしょーもねーな」という諦めと、
いちいち男性向けのエロ表現にぶち切れたりしない忍耐力を獲得しているのだ(ただし、いたいけな若いお嬢さんは例外である)。
一方、男性が受けるセクハラは「男なんだから○○しろ」系の性役割を押し付けられるものが中心で、
女性から直接性欲を向けられることは少ない(金銭欲や物欲を向けられることはよくあるが)。
「女ってしょーもねーな」と流すことができず、自分のことは棚に上げて思わずマジ切れしてしまうのじゃなかろうか。
そうであるならば、同じ考えの男子がいてもそのポジションに入れずに、成果主義から逃れマッタリとしたサラリーマン生活を送るすべを持たないというのは逆差別なんじゃないかなと思う今日この頃。
そうなる理由は何となくわかる。
他の女の子がお気楽な雑用係にある事で、最前線に立ちたい女性社員が仕事面で信用を得辛くなったり「お前も出来て当然」と余分な雑用を押し付けられたりする事があるように
同じ考えの男子を雑用係に置く事で、恐らく最前線に立ちたいであろう増田を含めた男性社員がそれと同じような不利を被る可能性があるからなんじゃないかな?
良くも悪くも性役割が固定していたから仕事が有利に働いていて男一枚岩で動けていたのに、その境界が無くなってしまいました。
女子社員と同じように男性も「雑用係予備軍」のレッテルを貼られながら、自分を何とか雑用係と差別化しながら仕事をする必要が発生します。
そうなると同性社員同士でのギスギスも確実に多くなるでしょう。職場にホモソーシャルな居心地の良さを見出していた人はそれを失う羽目になります。
マッチョフィルターにも頼れないので男も女も勝間和代みたくならなければ出世できません。
「うわぁ…そんなの嫌だよね」と増田自身もなるのでは?
生涯のパートナーと決めた配偶者を家庭面から支えるという、昔は女性の役割とされてきたものを、男性がやったっていい。逆に昔通り女性がやってもいい。お互いの仕事の忙しい時期にあわせて入れ換えたっていいだろう、可能なら。それは各々の夫婦間で話し合って選択すればいいだけのこと。いまだに「女性の犠牲」だとか言ってる方がよっぽど古い。80年代に帰れ。
なんでこれだけ男女平等を唱えられ続けてるというのに男性が「経済力無いから」ってフラられなきゃなんねーんだよ! 主夫スキルなら負けねえっつーの(いや俺のことじゃないぞ、俺のことじゃ)。
これらは、確かにごもっともなんだけどさ、でもこれって、男女が最初から同じ賃金であることが前提の話でない?
逆に、なんで今はそうなっていないか(女性の役割とされてきたものを、男性がやったっていいのになかなかそうならないか)といえば、結局男女で賃金格差があるからでしょ。
全く同じ状態だったらそりゃ容易に入れ替えもできるけれども、現実問題かなりの賃金格差(というか会社の管理職や政治家等の女性率の低さ?)がある以上、そりゃこうなるって話で。
そこんとこの理由を
とか、女性のせいにされても女性も困るわなあ。縛られたくなくても、社会がそう縛っているのだからどうしようもないのが女性の現状。この間成人式あったけど、あのとき新聞で、男女の仕事意識や結婚意識調査をやってたんだけど、「男性が稼ぐべきだと思うか?」って質問に「イエス」と答えた割合は、女性より男性の方が多かったのね。女性は半分切ってるんだけど、男性は(詳しいパーセンテージ忘れちゃったけど)とりあえず半分は超してた。
主夫についても、寧ろ心理的に受け入れ体性ととのってるのは女性の方だと思うんだよね。男性の方が、どちらかというとやけに自分で勝手に拘ってる印象(高学歴or高収入女は男性に受けないしね…。東大男の中には「絶対東大女とは結婚しない!」とか普通に言う人もいるし)。女性は寧ろ「主夫でもいんじゃね」派が男性より多いと思う。
でも、そう「思う」ことと、実際に「できるか否か」は、別の話。いくら女性がそういう気持ちでいたって(実際成人アンケートでは半分以上の女性がそう思っているけど)、男女で賃金格差もあるし、女性は子供とか産めばそれが相当に日本じゃ響く、そんな中では「好きな人を主夫にしたくても、現実できない」女性が多数なんだよ。それは余りに難しすぎて、ゆえに最初から考えもできない(つまり結局昔と同じ構造)女性も多いだろうと思う。誰しも20歳になってから野球選手になろうだなんて考えることすらしないように。
そこを「縛られてるから」と精神的な問題にされても困る。いくら精神がそうでも、現実がそれを阻む。
といっても、さっきは「寧ろ男性の方が縛られてるんじゃ」とといったけど、そんなのは私の主観といえば主観だし、そんな事言ってたらキリがない。結局大事なんは、どっちが古い意識を持ってるせいだからだ、って追及することじゃなくて、(というか、実際そのあたりははっきりと「誰がどういう意識を持っているのが原因」とかあるわけじゃなくて、男女の意識や、賃金格差、それらどれかが単一の原因なのではなく相互作用しているのだろうし)「じゃあどうするよ?」って具体的に制度を考えていくことじゃねーかと……。
最終的に制度をかなりととのえても(ただ表面的に整えるだけじゃ今と同じだけど)、今と変わらないとなったときに初めて男女の意識問題が出てくるのではないかと思う。意識がどうこういっても、意識があったってぶっちゃけどうしようもない。男は主夫やりたくてもそのくらい稼げる女がいないし、女は稼いで主夫持ちたくてもなかなかそのくらい稼げない。意識よりまず外側固めるっちゅーか。
あと今って微妙な時期だと思うんだよね。形だけ一応男女平等になってるけど、中身はっていうとところどころそうだったりそうじゃなかったりっていう(全くなされてないわけじゃないというところが厄介)。そういう中で、男女平等だからーつって「実はそうなっていない」ところにもそのパッチをあてちゃうと、結局かえって差別を固定化しちゃう、みたいなことにもなる。男性差別だ、女性優遇だ、いや、やっぱり女性差別の方が根強い、とかその辺の争いって結局そういう歪さから出てきてるんだと思うし。「建前」と「実践」がかなり食い違っていて、しかもその「食い違い度」がところどころで違うから、訴える人の視線で女性が優遇されてることになったり男性が優遇されてることになったりする。
「家庭に(家事はきっちり半分、的な)男女平等はもちこむな」といっても、それは家庭の外側で男女平等が実践されているのが前提の話だから。現実、どちらかが専業でーてな話になった場合、今の日本だったら結局賃金的にほぼ女性が専業ってことになるし、結局ほぼ昔の家庭と同じってところに戻ってしまう。下手こくとそのまま、結局古い男女観が押し付けられ固定化されることになるかもわからない。「とりあえずそれの固定化は留めよう」的な急遽あてたパッチが「家事きっちり分担」主張な気がする。今ってそういうタイプの主張は多いと思う。だから確かに、よく見るとおかしくないか、と思うんだけども、でもそれは現実にちょびっとずつ対応していく面である意味仕方ないところもあると思う。
あと個人的に家事は半分きっちりというのは、どうなったら家事が半分になったかというのが分からないから実現不可か否かもわからないけど、別に専業じゃなくても分担でいいとは思う。「家事」やるか否か、じゃなくて別に「食事」「掃除」とか分ければいいだけというか。一つの仕事っていうけど、「家事」が一つの仕事なんじゃなくて、「食事作り」とか「ゴミ出し」とかそういう一つ一つがそれぞれ一つの仕事なのでは。あと、「スプーンはそこじゃない!ジップロックちゃんと空気ぬけ!」とかも、単に事前に決めておけばいいだけのことだと思うし、そう大袈裟な話だろうか?と思う。家事は確かに大変だけど、分担なんて無理、というほどか?と。だって皆、一人で暮らしているときは家事と仕事を両立させているのだし。家事って、別に一人分が二人になったら、倍増するってわけじゃないのだし。
別に専業でもいいんだけど、どちらかというと普通の人は基本的に皆働いていたほうがいいように思う。一人で、とりあえず自分の生活支える経済力は誰しもが確保しておいたほうが。というのは、じゃないと、離婚し辛いのだよね。離婚を推進するわけじゃなくて、もう我慢ならない、となっても、極端な場合DVみたいな話になってもやすやすと離婚ができない。離婚したら食っていけないから。(現実にそういうところで悩んでる主婦・主夫はいるのだろうし)それは勿論、離婚をした後ブランクがある状態でも一人の生活を支える経済力はつけられる、セーフティネットみたいなものを作るというそっち側からのアプローチでまかなう事は可能だし、それが最終的には理想かもしれないけれど、現実今の日本では離婚したらその後の生活が危ういってのはあるわけで、そっちの側面からしたら専業は危険っちゃ危険。
とりあえず元増田の話に限って言うなら、
男が必死こいて働いてて、血反吐吐いて客に頭下げて、
少しずつ成長していっているって実感がある。。。
そんなとき、嫁さんって
これを古い性役割と断じる向きもあるようだが、俺はそうは思わない。男女入れ換えたって同じだと思うからだ。
その通り、男女入れ替えたって同じ……だからこそ、これは増田の嫁さんにも通じる話なんだよ。そこを増田側だけから言っているからあの増田は問題だったわけで。
仕事に本気で打ち込んでる相手を笑顔で応援できないどころか、心の問題だとか言いだして足をひっぱるような配偶者なんて邪魔なだけだろ。だったら結婚なんてしないほうがいいんじゃないのか。
それはまるまる増田本人にも返ってくる言葉となる。増田はじゃあ嫁さんを笑顔で応援したのか。自分は好きなだけ仕事をし、嫁さんに「完全分担はできない(だからお前がやって)」と嫁さんのキャリアをひっぱってはいないか。
無理してそうする必要はないんじゃないか、はいいけど、現実はそこでは終わらない。
「無理して分担する必要ないよね。どちらかがメインでやればいいよ。……で、じゃあそれ、どっちがやるの?」と。
無理して分担する必要はない、また増田自身もいっていたように「完全に半分なんて無理」、そうかもしれない。でも、「だから増田の奥さんが背負う」のはおかしくないかい?完全に半分なんて無理だから、増田がそれを背負う選択肢もあるわけだよ。
それでね。結局、「家事のメインはどちらかが担う、じゃないと無理」つっても、それもまた無理じゃないかなあと思うわけよ。共働きの家庭では。だってさ、どちらもメインなんて担いたくないでしょw家庭ごとに話し合って、なんていってもどっちもわざわざ自分ばかり苦労なんてしたくないわけで。で実際あの増田家は要するに、「分担なんて無理→だからどちらかがメインになるのは仕方ない」のその「仕方ない」を、勝手に奥さん(の同意をおそらく得ずなあなあなままに)に背負わせていたことに問題があったわけで。(心の問題っていうか要はそういうことなのだと思う)
結論を言う。全て男が悪い。
大人の男の癖に、最近、遊ぶこと覚えたよね?
昔なんか、20過ぎた男なんか人生捨ててた。
一生奴隷のように社会で働き続け、夜も帰ってきてるところを見ないぐらい
遅いのが当たり前だった。そういう覚悟を持ってた。
男に娯楽だ休息だなんてものは、必要ないの。
大の男が私らがするようなことしていいの?それ自体がおかしい。
コンサートとか、アイドルとか、テレビ番組に夢中になっていいのも、女性か少年少女だけ。
野太い男の声なんかがテレビで放送されたら不快でしかない。そんな人権ねーんだよ。
それから、女性が職を奪ってるのに主夫になれないと言う意見。これ、論外ね。
だから、男による保護と言う保険を持ちながら、社会進出にも挑戦でき、
その時一切女性差別なく採用され、気軽にいつやめても大丈夫なように
夫は常に総合職で働いてるのは当たり前のこと。
男が働いてないと、女性が仕事嫌になったときやめられなくなるでしょうが。
大体、男の癖に主夫なんかになれると思ってるその神経が終わってる。
男にそんな権利ねーんだよ。お前金玉ついてんの?
21世紀レベルの女性の幸せとは「働きたくなければ働かなくてもよく、
働きたければ働いてもよく、辛くなったらいつでもやめていい。
主婦と言っても、料理が出来ないといけない、裁縫が出来ないといけないなどと言う
女性差別を言われない」これ。その要求水準に男があわせないといけないだけのこと。
そんなことも分からんのかね。グダグダ言ってないでさっさと働けよニート。
働かない「男だけ」徴兵しろよ。女性は子供生む性だもんね。死ぬのは野郎だけでいい。
男の中にも売国奴と言うか、女に味方するまともな男がいるから、共闘できて助かる。
http://anond.hatelabo.jp/20081111035827
日本国内における性同一性障害への医療的アプローチの基準である、日本精神神経学会の「診断と治療のガイドライン」によれば、性同一性障害の診断は次のように行なわれる。
1. 生活歴の聴取
2. 性別違和感の実態を調査する。アメリカ精神医学会「精神疾患の分類と診断の手引き」第4版 (DSM IV) や 「疾病及び関連保健問題の国際統計分類」第10版 (ICD10) を参考としながら、以下のことを聴取する。
* 反対の性に対する強く持続的な一体感
* 反対の性役割
3. 身体的性別の判定
* 外性器の診察・検査
* 内性器の診察・検査
4. 除外診断
* 統合失調症などの精神障害によって、本来の性自認を否認したり、性別適合手術を求めたりするものではないこと。
* 文化的社会的理由による性役割の忌避や、もっぱら職業的利得を得るために反対の性別を求めるものではないこと。
5. 診断の確定
* 以上の点を総合して、身体的性別と性自認が一致しないことが明らかであれば、これを性同一性障害と診断する。
* 半陰陽、間性、性染色体異常などが認められるケースであっても、身体的性別と性自認が一致していない場合、これらを広く性同一性障害の一部として認める。
* 性同一性障害に十分な理解をもつ精神科医が診断にあたることが望ましい。2人の精神科医が一致して性同一性障害と診断することで診断は確定する。2人の精神科医の意見が一致しない場合は、さらに経験豊富な精神科医の診察結果を受けて改めて検討する。
診断を受ける段階で生活歴を聞かれて、女の子らしいことをしつづけてないと性同一性障害の診断をもらうことができないから。
(中には反動で過剰に女らしくしている人もいるが・・・)
いうものをつけるらしいです。
女は女らしく、男は男らしく、というやつ。
では、
男とはなんなのか?
女とはなんなのか?
なぜ男は男に見えるのか。
なぜ女は女に見えるのか。
顔か。
髪型か。
服装か。
装飾か。
一挙手一投足か。
なにが男を男としているのだろう。
なにが女を女としているのだろう。
それが何からきてるのかまったくわかりませんでした。
男の要素。が、あるから男なのか。
男の要素。が、ないから女なのか。
或いは
女の要素。が、あるから女なのか。
女の要素。が、ないから男なのか。
これら全てが要因なのか。
他の生物に目を向けてみると
こんな生物がいました。
>タウナギは他の魚に見られるような
>オス・メスの特徴が見られず、外形
>から雌雄の判別はできません。
>孵化後約3年ほどで体長が25〜30cmに
>なると生殖可能なメスとなります。
>更にその後、オスに性転換するのです。
つまり、生まれてすぐは性差はなく
生きていく過程で性役割も機能も
変化していくのです。
どうなっていたことでしょうか。
少なくとも古今にある性別による
大衆の認識はまるで違うものに
なっていたと思います。
少なくともこういう生物から学び取れることは
イッパンジンが思い込んでいる
「生まれながらにして持ったもの」みたいな
思うのですがどうでしょうか。
そして人間を見る上で性別なんてものは
根本的なものではないと思うのですがどうでしょうか。
2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・
樋口 康彦
大学生における準ひきこもり行動に関する考察 ―キャンパスの孤立者について―(富山国際大学・紀要2006年3月号)
http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf
http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html
健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会に適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。
筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生がリクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。
就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業の情報を集めています」と答える。
「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」
「はあ、危機感は感じますね…」
そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。
それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー、合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。
とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。
また心配した両親が一度、筆者と大学の就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。
しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイルの本質はひきこもりと何ら変わりはない。中学や高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会や映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。
ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。
ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点が矯正されたわけではないことである。就職活動、職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境に適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋なひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。
準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。
大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独な大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生の準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。
一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動や社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会不適応を起こす状態のこと。
通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。
■準ひきこもりのルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学・高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。
■大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想と現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビ、パソコン、コンピュータゲーム、漫画やアニメなど)を延々と楽しみ、自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋なひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。
■就職活動をうまく行えない。知らない会社に電話でアプローチしたり、OB・OG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。
■就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全な社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもりの大学生の全てが社会に適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。
ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。
■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもりは男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。
■社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。
■精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。
■孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがままの押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングやセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。
■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。
■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。
■レポートや卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。
■無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動やアルバイトの類はしていないし、体育大会や大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。
■アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもりの大学生よりはましである。
■人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。
■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもりの学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。
■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的なひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。
■孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通の大学生に見えるためである。
■若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。
■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。
■青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもりの学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。
■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。
■過保護で、親が甘い。子どもに不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。
■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。
■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。
今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもりに不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。
それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。
最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイト、ボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。
筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場の生産現場、農業、造園業関係の仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係の仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業に就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動、職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。
将来、社会に適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会に適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。
ある程度調べてる話だと思ってた
ごめんね
除外要項に
とあるよ.
身体的な違和がないのであれば,主たる理由は文化的社会的理由以外にないと思うんだけど,
そうでもないのかな.
ガイドラインにそんなこと書いてないよ。あなたこそガイドラインを読んだほうがいい。
あと、元増田にいきなりガイドラインなんて言っても何のことか分からないだろう。
ガイドラインというのこのこと
http://www.jspn.or.jp/04opinion/2006_02_20pdf/guideline-no3.pdf
ここでは診断の基準として専ら、「身体的性別とジェンダー・アイデンティティが一致しないこと」と
p11に書かれている通り
(3)反対の性役割を求める
日常生活のなかでも反対の性別として行動する、あるいは行動しようとする。しぐさや身のこなし・
性役割についても言与されている。
私の個人的な感想だが、純粋に身体に違和感を持つということは稀なのではないかと思う。
元増田のいうとおりそれは、
ということだと思う。
性同一性障害者が望みの性別の身体的な特徴を望むのはあくまで、
その反対性に対する知識がモデルとして存在していてそれに近づこうとするためである。
たとえば、MtFなら、女性のようなやわらかな体、女性器を望むのは
女性がそのような身体的な特徴をもっているという知識があるからである。
そうでないというのならば、性転換手術が完全に肉体を反対性に変えることができない以上、
なんの解決も与えないことになる。
あくまで手術は反対性に対する外見的な近似を与え、その性役割で生活することを
サポートするだけのことである。
知り合った頃、自分のことをトランスジェンダーだと言っていた気がする。
それはTG ( TransGender )ではないです。
TransVestism(いわゆる異性装者)のうち、フェティシズム的服装倒錯症といわれるものです。
これは、性的な興奮を目的として異性装をするもので、異性としての自分を確立するため異性装をする、両性役割服装倒錯症とは区別されています。
私は、そのような男性は、女性を所有したと錯覚することを目的としているのではないかと考えています。
求める女性像に合致した女性を求めているものの、女性とそのような関係になることができなかったり、そもそも、求める女性像に合致した女性が存在しない男性が、その女性を自分が演じることで、そのような女性を自分が所有したと感じ、満足感や性的興奮を得るタイプなのではないでしょうか。
個人的には、そういう理想の中の女になりたいだけ(正確には所有したいだけ)の男性が、自分の心は女性だと抜かすことで、一般の層が"GIDの人間はそういう性的な目的のために性移行などを考えている"という認識を持ってしまうことが、許せません。
つかいっこめの理由のために、お弁当以前に家事全部ほぼやってるんだけどね父が。
で、大学でお弁当を広げてると、「自分で作ってるの?」→「いえ」→「お母さん?」→「父が作ってます」→「えーすごーい!」という流れになる。
ここから、上記の理由を説明することもあるしないこともある。
こんな時代でも、父親がお弁当を作ってると、珍しいし、偉いらしい。
こういうのって、永遠になくならないんじゃないかなーと思うわ。少なくとも私が生きてる間くらいは。
うちの場合、料理ができるとかじゃなくて、倒れた母親支えつつ、彼女の暴言暴挙もサラリとかわし、家中をやりくりしてる父親ができた人間だってことなんですがね。こんな人と結婚してえな。