はてなキーワード: 日本風とは
カレーはさまざまなバリエーションがありますが、基本的なカレーの作り方を説明します。以下は、日本風のカレーの例です。
【材料】(4人分)
にんじん:1本(薄切り)
カレールー:カレーパウダーを使用するか、市販のカレールーを使用する
サラダ油:大さじ2
しょうゆ:大さじ2
みりん:大さじ1
好みで塩:少々
【手順】
鍋にサラダ油を熱し、みじん切りにした玉ねぎを炒めます。透明になるまで炒め続けます。
玉ねぎが透明になったら、肉を加えて炒め、肉の色が変わるまで調理します。
だしを加え、煮立たせたらアクを取りながら、中火にして野菜を加えます。
カレールーを加え、よく混ぜながら中火でとろみがつくまで煮込みます。
好みで塩を加え、味を調整します。
具材が柔らかく、味がなじんだら完成です。
好みによって、カレー粉やスパイスを追加したり、具材を変えたりすることができます。お好みのトッピングを加えて、ご飯と一緒にお召し上がりください。
色々と思うことがあったので書きなぐってる。超久しぶりの増田なので、読みにくかったらごめんなさい。
小中の頃からパソコンでインターネットに入り浸ってきた。まぁそれなりにサブカルにどっぷりだったほうだと思う。あの頃からパソコンを触っていたおかげで、今ではWeb系IT企業でエンジニアをやっている。
初めてインターネットに触れた頃、2ちゃんねる全盛期、おもしろフラッシュ倉庫全盛期というような感じだった。
いいタイミングでインターネットをはじめられたと思う。本当に朝から晩までCeleronのクソPCで「ネットサーフィン」をしていた。あの頃の自分が居たから、今の自分がいると思っている。
話を本題に移すのだが、あの頃のインターネットをやっているやつは、みんなネトウヨだったと思う。
社会的にもややこしい時代だった気がする。中韓ではしょっちゅう反日デモが起こって、その度に国旗が燃やされてたし、その一方で日韓ワールドカップがあったり韓流が流行ったりと、何かと「そういった話題」に事足りなかった。
この当時から、中韓、特に韓国に対する不信感が根強くついた。「みんなビジネスで日本と付き合っていて、実は腹の中では日本のことが嫌いなんじゃないか」と。韓流とか言って日本に稼ぎに来ているのに、一方で日本国旗を燃やしている様を見て、ネトウヨ中学生はそのように感じた。
割と反韓感情を持っていたし、表立って日常生活では見せなかったが韓流等は毛嫌いしていた。親は韓流にハマることはなかったので、幸いにも生活に支障は出ることはなかった。全部なにかのパクリだと思っていたし、付け入られると良くないことが起こると思っていた。多分人生の中で一番ネトウヨしていたと思う。
ある程度大きくなって、そんなことは一概には言えないことが分かってきた。中共はおかしいが、中国人自体は別に全員がおかしいわけではない。おかしくないやつもいる。韓国人だって、全員日本が嫌いで国旗を燃やすわけではない。
もう少し大きくなって進学していくと、大学だったり大学院には中国人留学生、韓国人留学生が居た。彼らは皆良いやつだった。
しかしながら、魂に刻まれた何かがやっぱり心をざわつかせた。そこまで具体的に強い思いは無いがなんとなく障壁を抱いていた。そんなこんなで手放しに心を許せるような関係になることはなかった。
同僚にはちらほら中韓にルーツを持った人がいる。日本国籍を取った人もいれば、就業ビザで働く人もいる。バックグラウンドは様々なので価値観は色々だが、少なくとも悪い人たちではない。
中にはどっぷりなオタクも居て、私よりもエロゲに詳しいやつもいる。面白い。
それでもなお、なんだかちょっとしこりがあるんだ。心の底に疼くネトウヨ精神が壁を作ろうとする。若干コミュニケーションがぎこちなくなってしまうというような感じだ。
大陸系のコンテンツもほぼ消費してこなかった。「たまに良いエロ同人を描く人がいるな」くらいな感じしか触れてこなかった。向こう発のサブカルは若干避けていたところがあった。
初めは大陸ソシャゲの一つだと思っていた。何なら相変わらずなネトウヨ精神で、大陸ソシャゲに対して良いイメージは持っていなかった。パクりか、品のない(金!女!暴力!的な)日本語の怪しいゲームしか無いと思っていた。
でも思ったより流行った。Twitterには大量に画像が流れてきた。「金ばら撒いて、絵師に描かせるんじゃないか?」…失礼ながらそんな風にも思っていた。
しばらくたった日。そう去年の今頃、ブルアカのストーリーが山場を迎えていることを知った。
「最終編」なるものが始まったことと、アニメ化が決定したことを知った。たまに見るVTuber(名取さなさん)のプレイ動画を見て、なかなかしっかりとしたストーリーがあることが垣間見えた。
正直、エロゲもびっくりなえっちなキャラデザのキャラばかりだったので、エロに全振りしたゲームだと思っていた。実はそうじゃないらしい。
少し調べてみると、ミツキヨさんが音楽を担当していることを知った。同人音楽を聴く中で、前から知っていたコンポーザーだった。驚くことに彼は韓国人だったらしい。全然知らなかった。
ちょうど仕事が一段落して少し時間ができた時だった。「最近サブカル趣味ができていないし、何かやりたいな」そんな風に思っていた。
自分が理性的な人間だとは思っていたので、良くわからない魂に刻まれたネトウヨ感情で食わず嫌いをするのも良くないと思っていた。まぁ自称中庸なわけだし。
なんとなく自分の琴線に触れる要素があるかもしれないと思った。そんなこんなでブルアカを始めることにした。
やってみて、正直びっくりした。本当にスタッフがみんな韓国人なのか?と。
日本のアニメ、ゲーム(エロゲも含めた)、ラノベ等々に影響された重厚なストーリー。それでいて、どことなく新鮮なストーリー展開。
ミリタリーと青春とRPGが、絶妙なバランスで成り立っていることにびっくりした。このトンチキなキャラデザで。
ただただ圧巻された。正直猿真似でしょ?と思っていた自分の浅はかさを恥らしく思った。
日本のオタク文化を、幼少期から浴びて成長した生粋のオタクじゃないと、こんな物作り出せない…と感じた。そしてそういったオタクは1人だけではなく、組織を作れるほどにいるらしく、かつ彼らの価値観は高いレベルで共有されている。ただただ驚きを感じた。日本でも、こんな素晴らしいアウトプットを出せるチームを作ることは難しいだろう。日本と同等かそれ以上に濃いオタクがたくさんいることを強く感じた。
思えばまさに彼らは「海外のおまいら」であり「オタク外人ニキ」なのだ。ネトウヨが大好きな概念じゃないか。
そしてそんな彼らは「韓国を舞台にしたソシャゲ」ではなく「日本(カルチャー)を舞台にしたソシャゲ」を作ると言う選択をしている。グローバル展開をする上で、それの方が都合が良いからだ。なぜなら日本風サブカルなコンテキストは、すでに彼ら同士で共有済みなため、それを基盤にした方が受け入れられやすいからだ。
私の世代はまだまだ「オタク」に風当たりが強かった世代だ。中学の頃の嫌な思い出はいくつもある。未だに「オタク」を自称することに抵抗感がある。日本ですらこんなに受け入れられなかったのに、海の向こうにこんなにも仲間が居るということに、ただただ驚きを感じた。
それに気が付き、初めて彼らと打ち解けられた気がした。まぁ私が勝手に打ち解けて勝手に自己解決しているだけなのだが。
今ではブルアカ内の「ちょっと古臭いキャラクター名」も、「若干日本語がおかしい背景画」も、愛おしく感じる。これが日本のサブカルが世界に羽ばたいていった証拠なんだと。猿真似などではなく、真に価値観を共有したオタクたちが韓国にもいっぱい居て、そんな彼らが最高のコンテンツを作っているのだと。
そんな感情の変化のおかげで、初めて韓国人の同僚とも腹を割って話せるようになった。
向こうは気がついてないと思うが、私の中でのわだかまりはなくなった。大変喜ばしい。
大陸コンテンツに対しても特に嫌悪感を感じなくなった。一気に楽しめるコンテンツの幅が広がった気分だ。
長話になったが、そんなこんなでブルアカには本当に感謝している。
ブルアカのお陰で、私の楽しめるコンテンツの幅、そして交友関係の可能性が一気に広がった。
どうしてこんな話を書こうと思ったかというと、今日少しイベントがあったからだ。
そう、ちょうどブルアカ3周年のリアルイベントがあったのだ。2周年の際に発表された情報がきっかけで、私はブルアカを始めたので、初のイベント参加だった。
そんな中でTwitterにつぶやいた投稿が少しバズった。なんてことはないイベントの様子を伝えるツイートだったのだが、それなりに拡散した。
するとクソリプが飛んできた。自称ネトウヨな人からだった。荒唐無稽な言いがかりで論理展開をし、ブルアカを貶めるような内容だった。
多分彼からしたら「気がついてほしい!目覚めてほしい!」みたいな気持ちで送ってきたのだろう。多分議論しても無駄だと思ったので、そっとブロックした。
ふとその時に感じたのだ。「逆だったかもしれねェ…」って。
価値観なんて人それぞれだし、正直何が良いかなんてわからない。しかしながら見ず知らずの人に突然食って掛かって、その人の好きなコンテンツを貶したうえで啓蒙をするというのは、なかなかに感じが悪いし、それを実行しようと思うのはあまり健全な精神状態ではないだろうと思う。彼自信もあんまり楽しくないんじゃないかな?もっと楽しい道があるんじゃないかな?と勝手に感じた。
彼にも、何かきっかけになるようなコンテンツとの出会いがあると良いな…そんな気持ちになったので、こんな増田を書いた。
おしまい。
「arabiki」という単語は肉を粗く挽いた日本風のソーセージを指すものとして流通しているらしい。
だが粗挽きソーセージブーム、というかその後のソーセージ売り場の潮流を変えたシャウエッセンは
本場ドイツ風ソーセージというイメージで売り出されていたはずである。
まあこれはあくまで広報戦略の話で、ご飯のおかずになるように味を調整したと
開発者が語っている記事を読んだ記憶もあるが、とにかく我々は、いや、私は
それまでの滑らかな舌触りのウィンナーと比べてゴロゴロがっしりした肉の歯触りにゲルマン魂を感じ取ったのである。
しかし考えてみれば、本場であればこそ細挽きから粗挽き、加工の仕方等も多岐にわたり
肉の挽き方一つでドイツ風などとまとめることはできないのかもしれない。
いや個人の自由ではあるんだがどうしてご飯にかけないのか気になる
ご飯に合わないからって意見は良く見るんだけど基本的にはカレーとかハヤシライスと大差ないように思う
よくよく聞けばパンがよく合うというけどパンが合うならご飯も合うと思わないかな
日本のお米ってコシヒカリが主流かつ源流で欧米や東南アジアで主流のコメは基本的にはカリフォルニア米とかタイ米のようなパサつく硬さのお米で
水分を十分に含んでモチモチとした食感のコシヒカリに対してパサついたお米はどろっとしたシチュー類に合わないんだろうね
例えばインドのカレーといえば日本風カレーのどろっとしたルゥじゃなくてサラサラしてる。それはお米に合わせた調理法が確立されててそれが美味しいと見られてるためだね
その地域ごとの特色が表れてる分恐らく日本風のカレーは海外のお米には合わないと思われる。お米に対してカレーのルゥが主張し過ぎてるからね。
日本のコメにインドカレーが合わないのはむしろ当然なんだろう。それに合ったお米じゃないから。
同様にシチューも日本人の好みに合わせたルゥだから(日本のコシヒカリを源流とした)ご飯にしっくり来る
テンプレのようにシチューはご飯に合わないと拒否してる人も日本のコシヒカリ類ならどんな日本発シチューにも合うように出来てるから
今年に入ってからクソ忙しかった仕事の方が一段落したので、1週間ほど休暇をとって台湾に行ってきた。
コロナで3年の間、旅行もままならなくなって、今年に入って落ち着いてからも国内旅行に留まっていた。
いい歳した独り身のおっさんなので「海外旅行なんぞしてる場合か」という気持ちもあったし、国内旅行も高松、郡上八幡、秩父と行って十分楽しめたので、億劫な準備が必要な海外旅行までする必要あるのかと思ったけど、コロナの間で英語学習を初めて、2年半でフィリピン人講師とも多少の日常会話はできるようになったし、今行かないともう海外に出なくなるかもしれないなと思ったので、思い切って行くことにした。
結果的には予想外のやらかしでトラブったりもしたけど、行って良かった。
旅程は 羽田→台北→高雄(2泊)→台北(2泊)→上海→(トランジット)→成田 4泊5日。
台湾にいってまず気づいたのが、街でマスクをしている人の多さ。
日本でも欧米に比べてコロナの封じ込めが比較的上手くいったため、自然免疫の形成が遅れたという話があったが、日本以上にコロナを封じ込めた台湾では、まだコロナは過去の話にはなってないようだった。
台湾新幹線は旅行者向けの乗り放題パスというのを発行していて、特定の3日を1万円あまりで乗り放題になる。
台北駅から高雄の最寄りの左英駅は片道で7,000円あまりかかるので、往復するならすでにこちらの方が安い。
このパスには大いに助けられた。
地下鉄やバスもタッチで乗れるし、コンビニなどでも決済できるので非常に便利だ。
台湾はコンビニ飯も十分美味いし、暑いのでとにかく良くお茶を飲む。
台湾の旅行者は6割以上は台北に行くと思うけど、高雄は非常に近代的な台北とは別の良さがある。
台北でもときどきそうなのだけど、飼い犬でもリードに繋ぐ習慣がないらしく、首輪のない犬がおじさんやおばさんの横で寝そべってたり、道をトコトコ歩いていたりする。
高雄では駁二芸術特区という倉庫街を改装したアート特区にいった。
ここは芸術がいまいちわからない人でもちょっと行ってみた方がいい。
街のゴチャゴチャしたノイズの中ではなく、青い空と遠くに山を望む景観の中に建つ巨大なロボや工事現場の作業員のオブジェは異様な存在感がある。
オブジェ系はわからなかったんだけど、あれは「どこにあるか」も重要なのだと思った。
莊記六合海產粥という屋台が夜市の入り口にあるのだが、入り口だから観光客向けで本当にいい店は中に入って探した方がいいということもなく、素直にここで食べるのが正解らしい。
海鮮粥(ハイシェンジョー)、またはシーフードポリッジといえば出てくる。
中にはエビ、イカ、牡蠣、蛤、虱目魚(サバヒー・日本ではあまり食べられてない魚で、火を通すとマグロをあっさりさせたような味と食感がある)などがゴロゴロと入って、生姜の効いた旨味たっぷりのお粥を食べられた。
旅の後半には新幹線で台北に戻ったのだが、台北のホテルにチェックインした後で、財布をおとしてしまったことに気づき、寒気がした。
ホテルの人に問い合わせると、高雄でよった丹丹バーガーに財布があることがすぐにわかり、翌日新幹線でもうひと往復することに。
結構なエマージェンシーシチュエーションだけど、英語をやっていて良かった。
トラブルで2往復を強いられた台北・高雄間だけど、車窓から見る台湾の緑の山や青い空、田園風景は圧倒的なものがある。
台北に戻ってからは、台北中心街から片道30分ほどの北投温泉に向かい、日本の銭湯風の瀧乃湯浴室に行った。
銭湯風とはいっても、別府の公衆浴場のように、脱衣所と浴室に扉がなく半分繋がっているようなワイルドな作りで、中も簡単な洗い場と浴室が2つだけ。
その温度設定もぬる湯が43℃、熱湯が46℃というパンチのあるもので、地元のおっちゃんが水筒を持ち込んで茹で上がっていた。
北投には日本風家屋の温泉博物館や、別府の地獄谷のように源泉が湧き出す地熱谷などもあり、思いのほか楽しめた。
水着があれば公衆露天風呂なども入れるので、(銭湯風は全裸の日本スタイル)持っていくといいと思う。
台北の夕食は寧夏夜市の圓環邊蚵仔煎で、牡蠣オムレツと蛤のスープをいただいた。
コロナで夜市の飲食業はかなりの危機の陥ったと聞く台湾だったけど、寧夏夜市はまっすぐ歩けないほどの大混雑で、圓環邊蚵仔煎は6年前より行列が長くなっていた。
外食文化の台湾では、特に若い人たちは夜市で連んで夕食を取る。
11月でも暖かい夜のストリートでテーブルを囲んで食事をしている風景は、自然とは違う人の営みの美しさがある。
台湾は街を歩いていても自分達の島に対する愛着のようなものが感じられて、その空気が気持ちいい。
ホテルの人がトラブルにも真面目に対応してくれたり、財布の中に一切手がつけられずにもどってきたりと人もいい。
中国本土を悪くいう意図は持ってないのだが、トランジットで寄った上海で入国審査の異様な厳重さと非効率性を見ていると、社会に不信感に立脚した緊張感が感じられ、悪く言えばユルい、よく言えば人々を信頼している台湾の空気が心地よく感じられた。
財布の件で余計なひと往復があったので、いくつかの予定を諦めざるを得なかったので、もう一度行きたい。
日本経済って「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」コピペみたいになってない?
ナチスが共産主義者を連れさった[5]とき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。
日本風に言うと
非正規社員の待遇が問題になったとき、私は声をあげなかった。私は非正規社員ではなかったから。
昔の人がリーマンショックの時などで自己責任論を推し進めたら日本の技術力や労働意欲が向上し競争原理が働き日本が良くなると信じた結果が日本社会の停滞では。
自分のお気持ちや感想を述べるのが非論理的だ、というのはちょっと間違っている。そもそも論理的というのは文章がつながっている状態を指していて、米国型の文章構造はピラミッドストラクチャーを持つ(ミントのピラミッド原則)。これは科学技術論文で広く採用されている方法だ。ちなみに日本風、フランス風の論理は違うということが示されており、論理的とは単に慣れであり、文化に依存する(*1)。構造さえできてれいば、その内容がお気持ちだろうが、料理の手順だろうが、交渉だろうが、論理的な文章になる。
感想を述べるにしても論理構造を作ることができるし、それを通じて論理的文章を書くことができる。たとえばアメリカの教育で用いられている4square writingは、中央に例えば「おばあちゃんが大好き」と書いて、その理由となる事柄を3つのマス目に書く。「話が面白い」「お菓子をくれる」「においが好き」とか。そして最後のマス目に「だからおばあちゃんが好きです」と結論を書く。話題が一貫しており、列挙された情報に基づいて結論が誘導されており、論理的となる。
これはハンバーガー構造や5段落エッセイとも呼ばれていて、主張、根拠1、根拠2、根拠3、言い換えた結論、という段落構成を学ぶことにステップアップしていく。高校生のころにはこの構造を極めて小論文(エッセイ)を書くのが卒業要件だったりもする。イシューに対する議論だったり、ディベートを通じて強い根拠を上げる訓練をしたり、モノポリーで遊びながら交渉術を学ぶことになる。口述でも文章でも、5段落構造がしっかりと植え付けられる。
なので、大学に入った段階で構造的な文章を書く経験が豊富である。そこで初めて感想(感情)から切り離して情報を伝えるテクニカルライティングによる訓練がはじまる。事実などの根拠の提示、一般常識や前提条件を論拠ととして組み合わせて新たな意見を述べる(トゥールミンモデルなど)、自己批判で主張のリミテーションを掛ける、といった論述の基礎も覚える。
なので感情から切り離すことや事実と意見を分けるというのは、論理的な文章のうち研ぎ澄まされた金字塔ではあるものの、最初から取り組むべき課題ではない。取り組むべきは、話題がつながって構造を作る文章を書くことにある。
最初の話題の読書感想文テンプレも、段落内では「なぜなら」でつながりを持たせてはいるものの、全体をつなぐ構造がないことが問題だと思う。3つの段落の情報がバラバラのままである。そこが問題なのであって、感想文を書くこと自体に問題があるわけではない。論理的な構造を作る訓練になっていないことが心配である。
私は卒論修論博論を指導する立場の人だけど、増田の言う通り悲惨な文章ばかりを目にして実質リライトすることになる。その問題はお気持ち文章だからではなく、論理的な構造がないことに原因があると感じている。といつつ自分は人一倍文章を書くのが苦手で、いまだに多くの本を読んで訓練を続けているし、これまでの指導者に苦労を掛けてきたと思うので、恩返しのつもりで学生さんたちに指導をしているよ。
https://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2006_06/fea_watanabe_01.html
I see that among men all things depend upon three wants and desires, of which the end is virtue, if they are rightly led by them, or the opposite if wrongly. Now these are eating and drinking, which begin at birth—every animal has a natural desire for them, and is violently excited, and rebels against him who says that he must not satisfy all his pleasures and appetites, and get rid of all the corresponding pains—and the third and greatest and sharpest want and desire breaks out last, and is the fire of sexual lust, which kindles in men every species of wantonness and madness.
私は、人間のあいだではすべてのことが三つの欲望に依拠していると見ています。それらは、正しく導かれれば徳であり、誤って導かれればその反対となります。まずは「食欲」と「飲欲」であり、これらは生まれたときから始まります。あらゆる動物が自然とその二つの欲望を備え、激しく興奮させられ、己の快楽や食欲を満たしてはいけないと言う者に逆らい、付随する苦痛からは逃れようとします。そして第三の、最も強く鋭い欲望が、最後に噴き出します。それは人々のあらゆる種類の淫気と狂気を燃え上がらせる「性欲」の炎です。
今のところこれが最古である。さすが西洋哲学の祖。「食」と「飲」が分かれているのが特徴。プラトンの著作は明治時代に翻訳されていて日本人にも知られていたと思われる。
欲界三欲
(一)飲食欲,即凡夫於種種美味之飲食,多生貪愛之心。(二)睡眠欲,即凡夫之心多暗塞,耽著於睡眠而不能勤修道業。(三)淫欲,即一切男女由互相之貪染,而起造諸種欲事。
欲界三欲
1. 飲食欲、すなわち凡夫はさまざまな美味の飲食において、多くは貪愛な心を生む。2. 睡眠欲、すなわち凡夫の心は暗く塞がり、惰眠に耽って修業に励むことができない。3. 淫欲、すなわちすべての男女は互いに貪欲に染まり、それがさまざまな欲事の原因となる。
『翻訳名義集』は中国・南宋時代に編纂された仏教系の書物。もちろん日本にも伝わっている。というかこの組み合わせが現在のスタンダードである。
いにしへの人三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡の欲なり。
『養生訓』は江戸時代の大ベストセラー。貝原益軒は儒学者だが、この組み合わせは仏教の「三欲」と同じなので、「いにしへの人」というのは僧侶のことなのか。三欲を「抑えるべきもの」と捉えているのも仏教的である。「睡眠を減らすと健康になる」みたいなことも言っている。
『歌学提要』は幕末の歌人・香川景樹の理論をその弟子の内山真弓がまとめたものだという。
人間の根源の欲望を、食欲・性欲・表現欲に三大別して言うそのことは、江戸末期の巨匠香川景樹以来、歌界ではならいとなっている。
ということで「食欲」「性欲」「表現欲」を表しているらしい。
これはイギリス科学振興協会の当時の会長であったライアン・プレイフェアのスピーチが翻訳されたもののようだ。原文を当たると「かつての錬金術師は黄金・健康・不死のために賢者の石を研究していた」…みたいな内容だったらしい。
they hoped to attain the three sensuous conditions of human enjoyment -- gold, health, and immortality.
村上専精は僧侶だが仏教の「三欲」とは異なるのか。「生存欲」は戦時中の文章で「日本人は三大欲求の生存欲を抑えて国家に殉じるからすごい!」というふうに使われているのを見かけて面白かった。
人間の三大慾望たる衣食住
個人的に「衣食住」は欲望というより「基本的なもの」「必要なもの」というニュアンスで捉えていたのだが、井原西鶴の『世間胸算用』でも「分際相応に人間衣食住の三つの楽の外なし」と書かれているそうなので、あながち「欲望」的な捉え方でも間違いではないのか。似たようなパターンだと三大欲求を「福・禄・寿」に割り当てることもある。
美術評論家が三大欲求に「美欲」を入れるのは、歌人が「言語表現欲」を入れるのと似通っているか。
明治以降は経済発展もあってか「金銭欲(利欲・財欲)」や「名誉欲(出世欲)」を挙げることがかなり多い気がする。
もとはアメリカで1948年に刊行された小説だが、原文だと「three main pastimes」なので「三大娯楽」かな。
といった記述がある。
食欲、性欲、排泄欲の根源的意味に比べたら、人間の他の欲望である出世欲とか名誉欲とか権力欲とか支配欲とか金欲とか知識欲など、それこそ屁以下の価値しかない。
いわゆる「生理的欲求」のひとつとして食欲や睡眠欲と並べて語られる「排泄欲」だが、「三大欲求」として挙げられていることは少ない印象を受ける。ただ「性欲(射精欲)」を排泄欲の一種とみなすこともあるようだ。
本来、仲間と一緒にいたい、集団の中で自分の安定した位置を占めたいという欲求――集団欲は、食欲、性欲と並んで三大欲と言われる程のものである。
この「集団欲」を三大欲求とみなすのは戦後にかなり広まった感じがする。近年の書籍でも睡眠欲に代えて集団欲が挙がることがあるようだ。
貞潔・清貧・従順の修道三誓願は人間共通の三大欲求(肉欲・所有欲・支配欲)にかかわるものとして、生涯の一大試練と誘惑になりうる。
これはつまりカトリックの修道士が守る三誓願の対義語となるような欲望(貞潔↔肉欲 清貧↔所有欲 従順↔支配欲)を「三大欲求」と見なしているらしい。カトリックのあいだでポピュラーな解釈なのかは知らないが、三誓願そのものは3世紀末くらいまで遡るらしいので、当時からそうした発想があったとしたら面白い。
現在の一般的な認識。「金銭欲」「名誉欲」「集団欲」あたりを含めて「諸説あり」と言われていてもおかしくなかったと思うが、最終的にほとんど「食欲・睡眠欲・性欲」で固定されてしまったのは面白い現象である。
歴史はよく分からんけど、日本のカレーが3次創作なのはまあそんな感じがする。たぶんクラーク博士の時代に欧風カレーが渡ってきて家庭料理化したのが2次創作で、さらにインド側を参考にしたのかスープカレーやらが出てきて既に定着していた日本アレンジ欧風カレーと結合して今の日本風スパイスカレーになってる感じはする。
3次創作と言ったときには神保町のエチオピアなんかの感じが代表的と言えるんじゃないかという印象。同じく神保町のボンディは2次創作時点の代表格なイメージ。知らんけども。
普通の(=欧風)カレーと、南インド風と言うべきなのか、日本風スパイスカレーとは別の食べ物だよねって思う。
欧風カレーは小麦粉やバターが入ってるわけで、こってり濃厚な味になる。スパイスカレーはもっとあっさりしていてスープに近い。タマネギの炒め方も欧風の方がしっかりやる気がする(普通の主婦の家庭料理カレーではタマネギの形がしっかり残ってる程度の炒め方だったりするけど、あれは欧風でなくても論外だと思う)。
コーヒーの深煎りと浅煎りみたいなもんで、どっちがいいかは好みの問題でしかない。俺は深煎りが苦手で浅煎りが好きだけど、浅煎りコーヒーとか酸っぱくてマズいだろと言う人とは分かりあうのは難しく好みの問題ですねとしか言いようがない。強いて言えば、主役がメイラード反応によるコクになるか、素材の香りになるかの違いじゃないか。
俺は割と香り主体が好きなんだよね。コーヒーもそうだし、日本酒なんかもキレのある辛口より複雑な吟醸香のある甘口の方が好み。
マウスを超奮発して超新調してみたの。
超マウス!
マウスっていっても
とっとこハム太郎のハム太郎の方のマウスというかつまりそのハムスターの方ではなく、
入力デバイスの方の電子端末に接続して繋ぐと言っても過言ではない物理的に線が有るわけでは無いので
でもさ
とっとこハム太郎はそれでハムスターを代表して背負ってるわけなのよね。
ハム界のスター!つまりいい美味しいハムを使ったハム界のスタータマゴサンド!つったら私見逃さないわ!
でもそう言うタマゴの言い方をすると、
言葉の意味のスターがタマゴにかかった印象になってタマゴがスター級の美味しいやつのタマゴってならない?
となるってーと
ハムって多すぎるわー。
私タマゴ増やして欲しい!
だったら
スターがハムにかかっているからハムは美味しい良いやつ食材を使ってる印象になるけど
もしかしたら
これハムがスター型になってないやんけ!って超絶クレーム来たら面倒くさくない?
映画の『クレーマークレーマー』が超絶クレーマーの話の観るに堪えない心苦しいストーリーと思っていたら
普通にクレーマーって苗字の意味で日本風に言うと「鈴木さん鈴木さん」みたいな意味になるって感じらしいわよ。
でもよくよく考えたら通常デフォルトでハム型のスターってあるかしら?
違う違う
そんなハム見たことないし輪切りにしたらスターの形になる食材はちくわぶしかないとこの世の中にはそれしか無いと思うのよね。
光り輝くのは。
だから結局どう言ったらいいのかしらよく分からなくなってきたけど、
シンプルにもうさ、
今風の誰かに語りかけるような題名のタイトルの商品名がよくない?
それだとグイグイに尖ってなくて、
優しくて美味しそうな印象で上品な感じするじゃない!
決めたわ!
「美味しいハムとタマゴを使ったサンドイッチ」って名前付けて売ったら
スター級の美味しいハム界のスターハムを惜しげも無く使った美味しいサンドイッチですよってアピールできるわよね。
これでいくわ!
まあ話し戻すけど、
何の話しだっけ?
そうよそう!
違う違う超マウスの話し!
でね
その超奮発した超マウス!
以前使っていたマウスが激おこスティックファイヤーマウスエディション!で
マウスホイールを下にくりっと回しているのに上にスクロールするとか流石にそれはなくない?
もう私は激おこスティックファイヤーマウスエディション!の怒りに燃えるまま燃え上がらせて気が付いたらガンダムまでとは言わないけど、
その燃え上がった気持ちを値段にしたらちょうど超奮発したぐらいだったところかも知れないわ。
貯まっていたポインツは使ったけれども。
流石にマウスホイールを下に回したらちゃんと下に画面が滑らかにスクロールする
以前のかなり使い込んでくたびれてきたマウスとはやっぱり畳の部屋とワイシャツとマウスは新しい方がいいわよね!って
それを立証するかのタニコーの如く!
あとは長年使ってみての耐久性がもちこたえられるかの勝負だわ。
安くて使えるマウスは長い期間使っているとくたびれてくるのかしら?
でもそれ最初からなんかホイールの感触があんまり好きではなかったので、
ついには下にホイール回したら上に行くとかあり得ないストレスがマウンテンのように文字通りなその山のような山脈に向かってヤッホー!って叫んだのよ!
もー!
イライラすると思わない?
いやこれ設定がそうなっているわけではないのよ、
予め言っておくけれど、
そうなると募る思いがいや募るイライラが激おこスティックファイヤーマウスエディション!になるのよ。
でもさすがに新しい良いマウスはちゃんとリッチなホイールで下に回したらちゃんと下にスクロールするので
思わずニッコリよ!
マウスだけは某SM嬢がいいと薦めるものが最強に強まって良いと思っていた時代が私にもあった中島みゆきさんの四時台の歌のようにそう思っていたのよ。
だけど思っていたけどそのマウスが絶版販売終了してしまったので、
マウスジプシーでマウスを探し求めている旅に出ていたところがやっと安堵の地にアンド良いマウスに出会える旅の訪れがまるで春が同時に来たかのように終着地点へ来たのかも知れないわ。
多分今までパソコンの用品で一番買ったものはマウスかも知れない。
256個とかそれ以上の片手でカウントできる収まらない32個以上な感じで私も同時にマウスのホイールを下に回しても上にスクロールするぐらいにイラッとする怒りが収まらないぐらいと同等に
そのぐらいの数はマウス買ってると思うわ。
そんで何が困るかってーと
マウスが先ほども言った私が案内したマウス卸通り横町のように、
マウスが販売終了してしまったときのマウスの旅に出るための準備がまだできていないのにジプシーになるって事なのよ。
それが困るわー。
もう迷いっぷり半端ないほどのジプシーさ加減が炸裂してしまって全然手に馴染まなくてこれは流石に買うのを間違えちゃった令和入ってからの一番のテヘペロ案件であることには変わりないぐらい窓から投げ捨てて放り投げたわ、
ちなみに、
マウスジプシーって自分の手に馴染むマウスがまだ見つかってなくて、
色々なマウスを試して使っているマウスに彷徨っているマウスの旅人のことよ。
でね、
某SM嬢の激推しオススメして気に入っていたマウスは一般では売ってなくて法人用のでは売っていて今それに気付いて、
私が今回買ったマウスより少し安いぐらいで、
そっちの方某SM嬢がオススメする方がよかったんじゃね?って思ったけど、
実際のクリックするボタンがクリックしまくりまくりまくりすてぃーだとだんだん感度とか部品の感触が悪くなって、
ホイールよりもそっちのボタンの方の出来栄えがくたびれてきたら消耗してしまって、
使いにくくなることを思いだしたわ!
いや指が折れるまで!指が折れるまで!使いまくりまくりすてぃーで頑張って使い倒してみるわ。
マウスやキーボードはワンツーフィニッシュ行くぐらいの頻度で消耗しない?
やっぱり手に触れて入力したりするデバイスは消耗しがちガチで思うわ。
もちろん惜しげも無くクリック、
私の使用に耐えうる耐久性があるマウスだと嬉しいな!ってこれからの耐久戦に向けてやるしかないわね。
新しい新生活に向けてスタートを切って始める新鮮なフレッシャーズな人たちへ
私のオススメする春のマウス特集いかがでしたか?系ブログのようにいかがでしたか?って聞いちゃうようには言わないこともないこともないけど、
誰か開催して欲しいわ!
うふふ。
ツナロールね。
昨日買っておいて食べずに力尽きてしまっていて今朝の朝ご飯に持ち越した分ね。
私海苔巻き好きなのよね。
炭酸レモンウォーラーにグレープフルーツと今日は白いグレープフルーツ。
今回は果汁を搾って炭酸で割った感じのライトなグレープフルーツのフレーバーが楽しめるわよ。
やっぱり少しずつ暖かくなってきたけど、
まあ体調を崩さないように気を付けて。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ここ最近話題になった、特に時間をかけずともキーワードをいくつか指定するだけでそれなりに見られる絵が自動生成できるってやつ
海外では特に保守的な層から規制論が上がってる(けど、ほとんど無視されてる)っぽい
向こうは日本の美少女キャラに抵抗感を覚える人というのは日本以上に相当いて、そういう人達が
「このままでは全世界のアニメが日本風の絵柄で埋め尽くされてしまう」
「ディズニーが『萌え』に侵略されるのも時間の問題。これは絶対に阻止しなければならない」
みたいな事をしきりに騒いでる
これ実は20年くらい前にも同じようなことが言われていて、日本の漫画やアニメがP2Pファイル共有ソフトや海賊版で海外に大量に出回った時も言われてた事なんだよね
当時も「これは21世紀の静かなる文化侵略だ」と散々な言われようだったけど、結局ろくに取り締まられる事もないまま、そういった非合法な海賊版コンテンツをこっそり楽しんできた層が順当に20年歳をとって社会で一定の地位につき始めた頃に、日本の各社が合法なビジネスとして世界に打って出て「収穫」に勤しんでいるのが現状なわけで
アメリカ南部の超保守的な家庭の子供が日本の漫画やアニメにハマってしまってBLとか百合とかいったジャンルに嫌悪感を示さなくなった、みたいな「被害報告」があがってたりするの、日本人としては何とも微妙な気持ちになる