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はてなキーワード: ラブライバーとは

2017-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20170321214825

猜疑心が強すぎるのでは。そういう乱れた場もあるのかもしれないが、

おそらく実際としては、現役コスプレの子たちの言っているような健全な場の方がはるかに多いのだと思う。

往々にして、外部の風評というのは特別醜悪な部分だけ抜き出し、誇張され、時に捏造されたものなので、

それをベースに現役の子たちに聞くと、その聞き方によっては自分たちを愚弄していると捉えられ、頑なに反発されるのは当たり前のことだ。それを隠蔽と受け止めてしまったのでは。

というより、そのコスプレイヤーたちもあなた友達だったくらいだから、概ねあなたと同じくらいの知性や倫理観世界で生きてきた人だ。あなたの憂慮するような事に遭遇したなら辞めていたはず。

続けているということはそういう乱れた層の人間とは遭遇していないか、したとしても距離を置いて、真っ当にやっているのだろうと汲んであげ、配慮した上で訊いてほしかった。

 

このような、内側の人と外側の人との乖離を、私も別の件で感じたことがある。

私自身、ラブライブという作品ファンで、その作品性に、キャラクターたちの関係性に、演じる人たちの熱意に、心動かされ感動することしきりだった。今も作品を大切に思っているし、ファンも大半は悪い人ではないと思っている。

なにしろ内容が、多様性を尊び、拙さにも寛容で、思いやりにあふれた優しい世界観でありながらパワフルなベンチャー精神鼓舞するような内容だからだ。

けれども、偏見の目でみられやす美少女ものかつアイドルものでもある。大ヒットしファンを大量に抱える中で、やはり外部の人からは「気持ち悪い」と思われる部分が、ことあるごとに抜き出され続けてきた。

全身にキャラバッチをつけた人や特攻服を来た人が徒党を組んで街を闊歩しているだとか、ファン聖地甘味処で騒いだだとか、あるいは殺人事件を犯した学生ファンだったとか。

そういう悪評に繋がりそうなことを、ネット暇人たちは目ざとくみつけてきて、そのたびに作品ファン呼称であった「ラブライバー」は、ネット上においては蔑称として認知されていった。

実際にそれ単体で迷惑を掛けているとは言い難い「痛ファッション」などについては、私自はいい歳のおっさんでありグッズ収集欲も見せびらかし欲もないとはいえ、

まりに叩かれるのが不憫で擁護していたりもした。もっと暖かい目で見られるくらいでいいとは思うのだが、やはり外部の人は弾圧対象にしたいくら気持ち悪がるものだ。

ネットを見ていると、非ファンの人が触れる情報は、そういう「ラブライバー」を揶揄するものばかりだから、「あの作品クズキモオタヤンキーの集まりなんだな」という印象になってしまっているだろう。

けれども、私が街や劇場などで目にし、触れてきたファン若者たちは、平均的な若者たちと大差なく、基本的礼儀正しく、親切で、真っ当なバランス感覚を持っている人が多かった(あとカップルが多すぎ)。

その乖離は、私が運良くファンの一員として内側に居たからこそ気づけたようなもの

もし2013年のあの時、偶然スクフェスDLせず、ネットに篭ってゆるいアニオタを続けていたら、ラブライバーにいい印象は持っていなかったと思う。

それほどまでに、「理解しがたい奴ら」への「嫌悪感」は容易に人の心へ侵入してくるものだと言うこと。

2ちゃんファンが集う板でも、「前は『ラブライバーwww』って見下してたけど…」という人はよく見かける。

けれどもそうした人は、ラブライバーdisで溢れているメジャーまとめブログコメ欄などには行かなくなるし、可視化されない。

結果として、他人醜態を嘲る卑小な感性の人々の持論ばかりが、ネットの総意になりやすい。

 

同じようなことは、もちろん他作品でもある。○国嫌悪だとか、著名な人、政治家芸能人経営者への態度でも起こりうる。

そういえば私はその前に、堀江貴文さんに関しても同じことを経験していた。

彼がなぜ罪に問われたのかについて興味をもって、ニートで暇はいくらでもあったので、日本司法経済についてWebコラムや本を読み漁った。

いろんな方面有識者の彼に対する見方総合した結果、彼は過剰に批判されていると私は判断した。

そして、むしろ彼の才能や考え方は尊敬に値するものが多いと感じてファンになった。もともと自分思想傾向が彼同様リバタリアンに近かったせいもあるだろう。

もちろん世間感覚とは真逆だ。いつまで経っても彼を「でも犯罪者でしょ」と思考停止して評する人が多いのは、息苦しいがどうしようもない。

ただ、彼が他と違うのは、今でも著名な大学に招かるなど、風評と切り離して是々非々評価する人たちからは求められていること。

彼に限らず、歯に衣着せぬ物言いをする人は、どうしたって悪印象を持たれ、する事なす事マイナス補正が掛けられる。

それでもやってる事が保守的職人キャラなら好かれることもあるが、破壊的急進的な行動様式の持ち主であれば、多くの日本人は嫌う。

でもそういう人も必要だし、正しく評価されるべきだ。

私は「叩かれまくっている人から良さを汲み取れるオレカッコイフェチ」になっているのかもしれない。

ほかにも、極論ばかりと叩かれる池田信夫だが、氏のブログ普通に勉強になることが多い。感化されて『資本主義自由』や丸山真男を読むようになったり。

一種中二病と笑わば笑え、それでも「安易に悪意に染まらない」心という得難いタレントを得たと自分では思っている。

 

話を戻すと、増田が難儀なのはコスプレ世界踏み込みそうなのが彼女だと言う所。

これが自分自身であれば、まだ傷つくのを恐れず飛び込んできちんと判断してやろう、という良い選択肢があるのだが、そうは行かない分、慎重になるのは分かる。

もし、増田があげた彼女のくだりが虚構で、コスプレへの嫌悪感を表明するための方便だったとしたら、この下衆がと罵倒してやりたい所だが、本当にそういう事なら、提案がある。

彼氏彼女の仲なのだから、二人そろってコスプレに参戦してみたらどうか。

彼女を守りつつ虫除けもできるし、彼女にとってもその方が嬉しいし楽しめるだろう。

コスプレ元ネタ作品を一緒に鑑賞する機会などもつくれるし、一石三鳥だ。

それをせずに、彼女コスプレ醜悪な部分ばかり語って忌避するように仕向けるのも手としてはある。

それも彼女保守的性格ならいいが、そうでなければ「了見の狭い男」と取られる可能性もある。

わざわざコスプレしている友人に裏を取りに行こうとしたあたり、後者を恐れているんじゃないかと思う。

それが頓挫した今、残された道はやぱり「二人一緒に」しかないのではと思う。

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170316022502#tb

俺はラブライバーだったけど、ファンが原因で離れたなぁ

視聴者参加型企画から尚更

「こんな民度の低い、キャラdisり合ってる連中の意見を聞いて作品を作ってるのか」

アニメ理想論のすべてが茶番染みてきて耐えられなくなった

2017-02-01

Twitterアイマスアイコンから見るP分類分け

春香正義感強い、自治厨(ののワさんアイコンサイコパスキチガイ率高い)

千早政治宗教社会問題ツイート多すぎ togetterコメ欄にも頻繁に登場

美希→目立ちたがり屋 ライブ暴れた自慢やラブライバー叩きが趣味

 真→ツイート面白くない

雪歩→初老から高齢 特殊性癖持ち

あずささん→同じく年齢層高い たまに上げる部屋や手の写真が恐ろしく汚いことが多い

双海姉妹常識派 

律子→エアディス大好き たまに空リプ攻撃的なツイートを連投して不穏な空気

 響→空気読めない FFからクソリプ多い

貴音→おっぱい好き エロRTトップ

伊織アイコンかわいい

2017-01-01

神田明神ラブライバー

今年の年明けは神田明神初詣をしてきた。なんで神田明神かというと、なんとなくである

ラブライブは観ていないが神田明神ラブライバー聖地であるとは知っていたので、ラブライバーだらけの新年になるんだろうかなどと思っていたが、見るからラブライバーだとわかる若者は少なかった。

ちなみに、見るからラブライバーだとわかる若者ラブライブキャラプリントされたポンチョやひざ掛けを体に巻いていた。

流石にあれだけ人が多いと、オタクあくまでも少数派だということなのか、それとも皆紳士なのか、どちらかなのだと思っていた。

が、神田明神でお参りをした帰り、男坂のほうから帰ったのだが、そこにラブライブグッズの直販をやっているコーナーがあった。しかし、コミケのごとく並んでいるというほどでもない。

紳士であったというわけではなく、単純に少なかったという線の方が正しそうだ。

2016-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20161225140254

うそ

ライトな女ヲタでもラブライブ好きな女の子は多い

 

あざとさに過敏な人は性別関係ないのかもしれない

 

ぶりっ子女が好きな男、ぶりっ子女が嫌いな女

ぶりっ子女が好きな女、ぶりっ子女が嫌いな男

カッコつけ男に対しても同じ感じ

 

でもラブライバー(女)を見てると思うんだけど

こういうのはやりすぎるくらいのほうがハマる人はハマるみたいなんだよな

から俺みたいにキモい!とかいうやつは無視したほうが正解だ(これはヲタ産業全般か、クサヤが旨いのに似てるな)

2016-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20160926212801

ラブライブアニメ1作目からヤンキー文脈だった。

雑誌時代にあった少女性はほとんど残っていない。

また、ラブライブ脚本には辻褄がない。全てが崩壊している。演出もやたらダサい

勢い任せで空回りしてる様子やダサさがヤンキーを思わせる内容だ。

そういえばヤンキーは女にモテるらしい。

ラブライブ女性人気も結構高いらしいが(ラブライバー調べ)、ヤンキー作品からなのだろうか。

ラップの内容はキモ声のキモラップが聞こえてきたらと思うと怖くて聞けないので聞いてない。文章にするかボーカロイドか何かつかって再録音してほしい。

だがこのツイートから内容を推測しても、やっぱりラブライバーもといラブライブ信者って頭おかしいなって感想を持ちそうになった。でも多分この人たちはギャグを言っているだけなのだ


アニメなどに対して「中身のないテンプレ批判をするオタク」は確かにたくさんいるが、この人たちの大好きな「ラブライブ!」「ラブライブ!サンシャイン!!」といったアニメシリーズ脚本演出批判のされ方は中身のないものではないし、テンプレ批判ばかりでもない。また、テンプレ批判であっても、そのテンプレ批判に未だもってまともに反論したファンがいないためテンプレ化してしまったようなものが多い。

特にGOD OTK」つまりGOD公野櫻子(ラブライブ!シリーズ原案)のオタクによる批判となると、必然的に、適当な外部の盲目アンチではなく、ラブライブ!ファンまたは元ファンという立場からの、中身を込めた思い入れ論理を用いた批判になるわけであり、中身のないテンプレ批判にはならないことが多くなる。


実際に、こういうアニメラブライブ肯定的ラブライバーたちがそういう作品内容批判に対して反論してるのを見たことがない。

反論に見せかけて、ただ「批判してる奴はクソだ」とか「批判してるお前みたいなことを言う奴はファン失格」「俺の方がファンとして偉いから正しい」みたいな的外れの話を振りかざすだけである

「○○の描写は××のシーンなどから考えて▲▲だからその批判は間違ってる」のような形ではないため、批判内容に対する反論をしようという気が全く感じられないのだ。

それこそ「あれの面白さを理解できない奴はダメ死ね」と批判者に対して「超絶上から目線の中身のないテンプレ批判をするオタク」になってしまうだけなのである


元々「中身のないテンプレ絶賛をするオタク」が多いことで散々叩かれてきたのがこの人たちラブライバーなわけであることは、様々な所で語られてきた。某劇場版批判でもそのようなことについて言及されていた。

実際、この人たちやその界隈もちょっとツイート履歴を見る限り批判を見ると謎の立場を盾にした中身のないテンプレ擁護や、作品批判者に対する「超絶上から目線の中身のないテンプレ批判をするオタク」そのもの典型であるため、体を張った自虐ネタギャグになっているのである


まとめると、この人たちが言いたいのは「自分にとって気に入らないこと言う奴の話は全部“超絶上から目線の中身のないテンプレ批判”扱いして叩いてやるぜ」ということであり、

「超絶上から目線の中身のないテンプレ批判」というのはむしろ彼らのお家芸で、↑の姿勢がまさにその自分達が誰かに貼りつけてやりたがってるレッテルの姿そのものであるところが面白いのだ。

2016-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20161122023244

元増田記事消えてしまったが、結局あれはそういう出来なのか。

pixivで元となる二次創作序文だけ読めるので、それは読んだんだが文章を読ませる力はあるように思えたし、グロテスク描写がある割に読みやすくも感じた。

元ネタ小説オマージュ、借用のおかげの部分もあるのかもしれないが。


一方で、その二次創作題材となるアニメキャラクター自体矛盾の塊、魅力の無さの権化みたいなキャラクターばかりが出てくるアニメ作品からSFと絡めてあの作品二次創作を行うとしたら、その設定の矛盾点やキャラの魅力のなさへの皮肉と絡めて書くことができたら唸る作品が生まれたかもしれないと思った。

オマージュ、というよりパクリを用いているといえばその二次創作題材となるアニメ盗作問題炎上した。未だに誰も反省の弁を口にしていない近年でも最悪のシリーズ作品だった。

からその点も含め、皮肉を込めた作品にできていたら、二次創作の名作になったかもしれない。

まあざっと読んでも、エログロSFおもしろおかしく混ぜてみても結局は単純にその出来の悪いアニメ作品キャラクターへの盲目マンセー百合パロディみたいなノリで終始しそうな気配がぷんぷんしたからどうにかして読んで見たいなんて気は起きなかった。

元がファンアンソロジー本への寄稿小説からそんなもの載せられるわけがないのだろう。

その序文だけ読んでも察する所はあったが作者のTwitterや読者の感想を眺めてみるとやはりアニメラブライブの影響を受けての礼賛的なテーマが込められているものなのだろう。だから残念ながら面白そうとは思えない。

それと、それらを見ていたら、やはり「君の名は。」「紫色のクオリア」に似ている的な言及が見られた。

自分は「紫色のクオリア」は超絶名作だと思っているが、それを先に知っているだけに「君の名は。」がストーリーや設定的に陳腐に感じられ、かといってもちろん萌えアニメキャラアニメ的な軽薄な派手なキャラ付けも弱いし、TSネタも使い古された薄味のものばかり、恋愛エンタメ性すら弱いため、なかなかにまらなく感じた。

まあ駄作ではないのだろうが、名作とはどう頑張っても呼べない。欠点が多く長所がそこらへんの深夜アニメと比べても少ないレベルであるが、不快になる作品ではなかったから人の好みや気分によっては良作と呼べるのかもしれない、という程度の感想だ。

ラブライブ!が好きな連中には「君の名は。」も絶賛できる輩が多い印象がある。どちらも辻褄がスカスカで、かといって爆発力的なエンタメ性や萌えなどがあるともいえない。強いて言うとラブライブ場合ライブシーンや楽曲君の名は場合は美麗作画で誤魔化しにかかっているがまともに見ていたら満足感に到底結びつかない。変な薬か宗教に浸かるでもしない限りは。

実際自分君の名は。を見た時に自分ラブライブのことを思い出した。この辻褄の矛盾が気になる構成、辻褄云々を吹っ飛ばしてくれるエンタメ的なシーンを用意できない構成、それで誤魔化した気になってるのかと突っ込みたくなるふざけてキチガイダンスしだしたような寒い演出。そんなことに目をつぶりながら見続けても結局陳腐な話でサービスもなく終わり何もカタルシスが残らない作品。まあ君の名はそこまでは酷くないが、方向性としてはそういう面で似ていたし、あれが世間で人気だという点も含めて、こういうものこそが広くいいものだと思われる認識が広まるのは日本世界文化にとって危機的状況だと感じた。

人間科学技術や知能の発展というのは人間歴史が続く限りは永遠に続いていくと思われがちだがある時をピークに衰退に転じるという予測もある。手塚治虫の「火の鳥」でもそんな話があったように記憶するが、もしかしたら映像芸術文化芸術表現力や認識力において人間は既に衰退に転じてきたのではないか…なんて思えてきている。


恐らく序盤のシーンを超えていくと、上記の作品に似たエッセンスを用いた流れがやってくるのだろう。そうなると二番三番煎じかつ、元ネタアイドルしかもあのクソアイドルアニメということで説得力には期待ができない。

結局あの作品の大半を占める百合なら何でも喜ぶタイプオタク、ラなら何でも喜ぶタイプオタクが読まないと賛美するという方向に思考が結びつかない、ラブライブ二次創作に相応しい作品なのだろう…。

アイドルになれるとかアイドル概念がどうとか言っているが…三次元アイドルとは違って、理想を実現させられるはずの二次元アイドルという概念三次元現実やその事情と絡め貶めた設定を用いた、アンチ二次元アイドル権化であるラブライブ!、そしてアンチ二次元アイドル権化であるアニメ版矢澤にこ元ネタになっている点で作者や読者のアイドルという概念の捉え方や理想(のアイドル)の捉え方にも期待が出来ないどころか絶望的な不安しか感じられない。

百合は素晴らしいということを否定はしないが、結局のところ百合マンセーラブライブマンセーナントカSFマンセーを行う道具として片手間で作られたラブライブらしくラブライバーらしい小説が元なんだろうなあ…と想像を働かせてしまうのだった。


これに限らず、なんかの受賞作品といってもその賞自体価値審査自体価値が危ういなんてのは珍しい話でない。

必ずまともな審査員しかいないコンテストなんて殆どどこにもない。ノーベル賞アカデミー賞ですら賛否両論は珍しくない。

からまともじゃなくていいなんてことではないが、どうしようもない人がどうしようもない作品を作っても何かが間違うと高く評価されるなんてこともあるかもしれないのだ。

今はピコ太郎の「PPAP」が流行している。しょうもないとまでは言わないが、素晴らしい含蓄がある歌詞画期的で流麗な音楽に感動した…なんて到底言えないものだ。

しかし、どんな歌詞を込めてどんな演奏力ある楽器隊や歌唱力あるボーカルを擁して作られた他の殆ど日本音楽よりも今は世界的に流行評価されてしまっているのが現状だ。

から、その最後最初のなんとかみたいな駄作小説が賞をとれてしまうこと、ラブライブかい駄作アニメが売れたり賞をとれてしまことなども含め、そういうのを見てると、ワンチャンどころでないチャンスが実は世の中誰の目の前にも転がってるのではないかと思う。

しかするとラブライブやこの小説はそんなことを言いたかったのだろうかと思ってみてもやっぱり評価する気にはならない。

2016-11-10

カゲプロ映画について所感を述べる

もろもろで再投稿

カゲロウプロジェクト』が好きです。すごく好きで、だから映画が公開されると聞いた時はとても嬉しくて、前売りも買って、初日に見に行きました。だから、あの作品をどう捉えればいいのか分からないんです。捉えたくないと言うのもあるのかも知れなくて、あれから何日たっても消化しきれずにいます。「駄作だった」の一言で割りきれないんです。認めたくないんです。いままで好きだったことを、否定したくないんです。そういう話です。

前提として。カゲロウプロジェクトというのは(知っている人も多いだろうけれど)所謂メディアミックス型のコンテンツで、楽曲小説漫画アニメ、それぞれが同じ夏の日を繰り返すルートの一つとして機能していますストーリーとしては「目にまつわる能力」を持った少年少女たちが、繰り返される夏の日の謎とその能力について迫っていく~という感じです。ハルヒエンドレスエイトの設定が細かい感じ、と捉えると分かりやすいです。

小説なんかが発売される前、楽曲しかなかった頃。作者の「じん」さんの手によって投稿された楽曲群の一つ(コノハ世界事情、というボーカロイド曲)にドはまりしました。中学二年生のなんともアレな感性にあの熱い中二的世界観ががっちりはまったというか。それまでろくに曲を聞いたことの無かった私にとって、あのニコニコ動画という友達の知らない場所の、ボーカロイドという大人は知らない「特別」なコンテンツはすごく心を惹きました。それぞれのルート共通点、明らかになる事実から徐々に全容を割り出す謎解きの感覚個性豊かなキャラクター。今も好きです。初めて買ったCDも、初めて手を出した二次創作も、初めて買った同人誌も全部カゲプロです。アルバムは何百回も繰り返し聞いて、カラオケに行けば必ず一曲は歌いますSNSカゲプロを語り合うために始めました。青春全部捧げました。服の趣味パーカージーンズに固まったのも影響受けてます。それぐらい大好きで、多分相当にこじらせてます。私は、そういう人間です。

(勿論、パーカー着てる奴を蹴り飛ばしたりとか絡んでくるとかデマかよく分からない厨とか呼ばれるそういう輩と私は違います(同じに見えるだろうけれど)。ああいう輩のせいで普通に好きな人たちまでひとくくりにされることがすごく嫌でした。)

ある日、アニメ化情報が明らかになりました。制作会社シャフトでした。西尾維新さんも好きな私はアホみたいに舞い上がりました。あの大好きなカゲプロキャラクターガハラさんと同じシャフ度を!シャフ度をかましてくれる!放送まで毎週1人ずつ公開されていくキャスト、この子の声は誰だろう、とワクワクしながら同じく好きな友人と語り合いました。

そうして始まったアニメ。私は「どうして、こんなにつまらないんだろう」と首をかしげることになりました。

面白くないんです。なんというか、脚本が無理矢理な感じがして、うまく没入できない。ぎこちないというか、詰め込みすぎているというか、無闇に前衛的な表現をして失敗しているように思えました。画面前で、何度もいたたまれなくなりました。これをみている一般の人たちのことを考えると胃がいたくなりました。しかツイッターに流れてくる意見肯定ばかりだったから(フォローしてる人がクラスタしかいないんだから当たり前)、私は、己の認識を疑うばかりで、それにうまく返せなかったと思います

まりにも無茶が過ぎる脚本構成で作られたこのアニメを、エンディングから考えるに恐らく最後の繰り返し=トゥルーエンドルートになったこのアニメ公式と認めたくなかったです。でも、否定したくもありませんでした。

いやにあら探しばかりしてしま性格だった事をすごく恨みました。ダメだった、という意見を口にすることが自分のせいで憚られるばかりで、盲目になれたらきっと幸せだったのかなと思います。拗らせていたはずなのに、結局私はその程度にしか好きになれていなかったと、そんな風に思いました。だって好きなもの否定したくないんです。大好きで大好きで大好きだっていい続けて二年たって、もうこの頃には私にとってカゲプロ大好きということは義務でした。というか、なんで嫌いって言わなきゃいけないんですか?という感じです。『カゲプロ大好きであることが私』、みたいな。

暫く経ってからまとめサイト嘲笑記事をみて、ああ、私の感性は間違ってないんだと思う反面、けれど大好きなコンテンツおもちゃにされていることにすごい不快感を覚えました。否定したくないし、否定されたくもありませんでした。それが事実なんだとわかっていても。

勿論、良いことも一杯ありました。主人公のシンタローは寺島さん、その相方のエネは阿澄さんが声をつけてくれたし、彼らが動くところをみられました。新しい曲も作られて(dazeというめっちゃかっこいい曲、EDボーカルはじんさんがよく使うボカロIAの人が!)、楽曲アレンジ版ではアニソン歌手LiSAさんが歌ってくれたり。

でも、やっぱり私はアニメが、カゲプロに自ら汚点のレッテルを貼ったように思えたアニメが嫌いでした。だから子供ながらに、アニメDVDを買わないことを唯一の反抗としました(それ以外の関連商品は全部買ってました。ここで一旦、カゲプロに関する私の収集癖が止まったのでそれは良かったです)。

アニメの後、それまでバカみたいに追いかけていたのが多少我に返ったのか、カゲプロに対する熱は冷めていました。逆にラブライブめっちゃハマりました。曲からハマったカゲプロと同じようにハマりました。クラスでもスクフェス(アプリゲーム)が流行っていて、カゲプロは、時折ちょこちょこ入るカゲプロ漫画情報確認、発売する小説を読む程度でした。カゲプロクラスタじゃなくて絶好調ラブライバーでした。まきちゃん

じんさんは自分音楽活動に絶好調のようでした。私が好きなのはカゲロウプロジェクトを作ってるじんさんなので、さっぱり興味もわきませんでした。それ以外ほぼ何の動きもない期間が二年くらい続いて、今年。

長らく音沙汰の無かった小説新刊が出て、舞台となる夏にはいつもよりこったイベント(ニコ生)があって、そこでアニメ二期と映画化が発表された時、久しぶりに己の中の炎が燃え上がるのを感じました。ああやっぱり私はカゲロウプロジェクトが好きだったんだ!と、その時何処か安堵しました。じんさんはカゲプロを忘れていなかった。わくわくが止まらなくて、嬉しくて嬉しくて。ものすごくテンションが上がりました。皆とうらぶあんスタの話しかしてなかったのに、またカゲプロの話をしていて、その光景によくわからないけどありがとうって思いました。

映画の公開は11月作画監督を、カゲロウプロジェクト全体のキャラクター担当している「しづ」さんが務めると知りました。個人的には、しづさんの実力は文句のつけようがないと言っても過言ではないくらい、全てにおいて長けていると思いますシャフトの絵は私はそうでもなかったけれど、否定的な人も多かったので、今度こそ、ととても期待が持てました。

私はこの時点で、映画にたいして「カゲロウプロジェクト面白い作品」ではなく「カゲロウプロジェクト違和感を持たない作品」を求めていました。エンターテイメント性ではなく、普遍性をお願いしたかったんです。「最高の作品」じゃなくていい、「いろいろ言いたいことはあるけど、でも良かったと言える作品」が見たかったんです。変なギミックも要らない、無駄な挑戦も要らない、普通の、贔屓目にみられる人なら躊躇いなく面白かったと言えるような。

公開前に投稿された主題歌は控えめに言って最高でした。もう高ぶりが止まらなくて、ヘビロテしまくりました。若干判明していた作画20分という短さへの不安が瞬間吹き飛びました。これ、いけんじゃないか……?アニメを忘れさせてくれるような、そういう存在になってくれるんじゃないか、と僅かながらに期待して。

容赦なく希望を踏み潰されました。なんだあれ。今でも言葉がないです。あんクオリティーに1900円とか詐欺じゃねえか。意味のわからないストーリーメアリースーじみた超展開、観客を置いてきぼりにする視点変更、ファンであることが前提だとしてもあまりにも置いてきぼりな紹介。無駄4DXぶれる作画、絵すらないエンディング。たった二十分すら安定させて持たせられない。かくかくしたキャラクター絵はシャフトの方が数倍増しだと思わざるを得ません。(詳しくはねばーまとめとかとぅぎゃったーとかに物好きがまとめてると思うのでそれを)

一番嫌なのは、それなりを払って、期待して、好きなのに。それなのに、そんな否定的言葉しかでないことです。認めたくないです。好きなんです。どんなものでもよかったって受け入れたいのに。周りの皆は絶賛しまくりで、私だけがおかしいみたいで、まるで二年半前のアニメ放送時の再現のようでした。

広げすぎた風呂敷は畳むことが出来るんでしょうか。アニメ二期もこのクオリティーなんでしょうか。日にちが経つにつれ不安ばかりが増していきます。なんで私は自分の好きなものが落ちぶれる様をみなくちゃいけないんだ、と変な怒りすらわきそうで、でも、嫌いになれないんです。きっとどんなひどいものを見せられても、イヤになったってキライにはなれないと思います。それくらい好きなんです。今だって好きになりたいと思っています批判された所を否定したくて、でも否定できないことが一番悔しいです。辛いです

これからも好きでいたい。でも、好きでいることで幸せになれないのなら、私はなんで好きになってしまったんでしょう。もし、むやみに話を広げすぎて謎すら解明されないまま終わってしまったなら、私が追いかけてきた意味はどうなってしまうんでしょう。今、そう思わせるだけのものがそこにはあるんです。昔は、期待ばかりあったはずなのに。

そんなに金が欲しいんですか?雑で手軽なコンテンツで大量に搾取できればなんでもいいんですか?ふざけるな、といえるような偉い立場じゃないことは分かってます。でも、少しくらい、良いもの提供してくれたっていいじゃないですか。

良かったって言わせてください。好きで良かったって言わせてくださいよ、お願いだから

辛いのでFGOやります。以上です。

2016-11-07

カゲプロ映画について所感を述べる

カゲロウプロジェクト』が好きです。すごく好きで、だから映画が公開されると聞いた時はとても嬉しくて、前売りも買って、初日に見に行きました。だから、あの作品をどう捉えればいいのか分からないんです。捉えたくないと言うのもあるのかも知れなくて、あれから何日たっても消化しきれずにいます。「駄作だった」の一言で割りきれないんです。認めたくないんです。いままで好きだったことを、否定したくないんです。そういう話です。

前提として。カゲロウプロジェクトというのは(知っている人も多いだろうけれど)所謂メディアミックス型のコンテンツで、楽曲小説漫画アニメ、それぞれが同じ夏の日を繰り返すルートの一つとして機能していますストーリーとしては「目にまつわる能力」を持った少年少女たちが、繰り返される夏の日の謎とその能力について迫っていく~という感じです。ハルヒエンドレスエイトの設定が細かい感じ、と捉えると分かりやすいです。

小説なんかが発売される前、楽曲しかなかった頃。作者の「じん」さんの手によって投稿された楽曲群の一つ(コノハ世界事情、というボーカロイド曲)にドはまりしました。中学二年生のなんともアレな感性にあの熱い中二的世界観ががっちりはまったというか。それまでろくに曲を聞いたことの無かった私にとって、あのニコニコ動画という友達の知らない場所の、ボーカロイドという大人は知らない「特別」なコンテンツはすごく心を惹きました。それぞれのルート共通点、明らかになる事実から徐々に全容を割り出す謎解きの感覚個性豊かなキャラクター。今も好きです。初めて買ったCDも、初めて手を出した二次創作も、初めて買った同人誌も全部カゲプロです。アルバムは何百回も繰り返し聞いて、カラオケに行けば必ず一曲は歌いますSNSカゲプロを語り合うために始めました。青春全部捧げました。服の趣味パーカージーンズに固まったのも影響受けてます。それぐらい大好きで、多分相当にこじらせてます。私は、そういう人間です。

(勿論、パーカー着てる奴を蹴り飛ばしたりとか絡んでくるとかデマかよく分からない厨とか呼ばれるそういう輩と私は違います(同じに見えるだろうけれど)。ああいう輩のせいで普通に好きな人たちまでひとくくりにされることがすごく嫌でした。)

ある日、アニメ化情報が明らかになりました。制作会社シャフトでした。西尾維新さんも好きな私はアホみたいに舞い上がりました。あの大好きなカゲプロキャラクターガハラさんと同じシャフ度を!シャフ度をかましてくれる!放送まで毎週1人ずつ公開されていくキャスト、この子の声は誰だろう、とワクワクしながら同じく好きな友人と語り合いました。

そうして始まったアニメ。私は「どうして、こんなにつまらないんだろう」と首をかしげることになりました。

面白くないんです。なんというか、脚本が無理矢理な感じがして、うまく没入できない。ぎこちないというか、詰め込みすぎているというか、無闇に前衛的な表現をして失敗しているように思えました。画面前で、何度もいたたまれなくなりました。これをみている一般の人たちのことを考えると胃がいたくなりました。しかツイッターに流れてくる意見肯定ばかりだったから(フォローしてる人がクラスタしかいないんだから当たり前)、私は、己の認識を疑うばかりで、それにうまく返せなかったと思います

まりにも無茶が過ぎる脚本構成で作られたこのアニメを、エンディングから考えるに恐らく最後の繰り返し=トゥルーエンドルートになったこのアニメ公式と認めたくなかったです。でも、否定したくもありませんでした。

いやにあら探しばかりしてしま性格だった事をすごく恨みました。ダメだった、という意見を口にすることが自分のせいで憚られるばかりで、盲目になれたらきっと幸せだったのかなと思います。拗らせていたはずなのに、結局私はその程度にしか好きになれていなかったと、そんな風に思いました。だって好きなもの否定したくないんです。大好きで大好きで大好きだっていい続けて二年たって、もうこの頃には私にとってカゲプロ大好きということは義務でした。というか、なんで嫌いって言わなきゃいけないんですか?という感じです。『カゲプロ大好きであることが私』、みたいな。

暫く経ってからまとめサイト嘲笑記事をみて、ああ、私の感性は間違ってないんだと思う反面、けれど大好きなコンテンツおもちゃにされていることにすごい不快感を覚えました。否定したくないし、否定されたくもありませんでした。それが事実なんだとわかっていても。

勿論、良いことも一杯ありました。主人公のシンタローは寺島さん、その相方のエネは阿澄さんが声をつけてくれたし、彼らが動くところをみられました。新しい曲も作られて(dazeというめっちゃかっこいい曲、EDボーカルはじんさんがよく使うボカロIAの人が!)、楽曲アレンジ版ではアニソン歌手LiSAさんが歌ってくれたり。

でも、やっぱり私はアニメが、カゲプロに自ら汚点のレッテルを貼ったように思えたアニメが嫌いでした。だから子供ながらに、アニメDVDを買わないことを唯一の反抗としました(それ以外の関連商品は全部買ってました。ここで一旦、カゲプロに関する私の収集癖が止まったのでそれは良かったです)。

アニメの後、それまでバカみたいに追いかけていたのが多少我に返ったのか、カゲプロに対する熱は冷めていました。逆にラブライブめっちゃハマりました。曲からハマったカゲプロと同じようにハマりました。クラスでもスクフェス(アプリゲーム)が流行っていて、カゲプロは、時折ちょこちょこ入るカゲプロ漫画情報確認、発売する小説を読む程度でした。カゲプロクラスタじゃなくて絶好調ラブライバーでした。まきちゃん

じんさんは自分音楽活動に絶好調のようでした。私が好きなのはカゲロウプロジェクトを作ってるじんさんなので、さっぱり興味もわきませんでした。それ以外ほぼ何の動きもない期間が二年くらい続いて、今年。

長らく音沙汰の無かった小説新刊が出て、舞台となる夏にはいつもよりこったイベント(ニコ生)があって、そこでアニメ二期と映画化が発表された時、久しぶりに己の中の炎が燃え上がるのを感じました。ああやっぱり私はカゲロウプロジェクトが好きだったんだ!と、その時何処か安堵しました。じんさんはカゲプロを忘れていなかった。わくわくが止まらなくて、嬉しくて嬉しくて。ものすごくテンションが上がりました。皆とうらぶあんスタの話しかしてなかったのに、またカゲプロの話をしていて、その光景によくわからないけどありがとうって思いました。

映画の公開は11月作画監督を、カゲロウプロジェクト全体のキャラクター担当している「しづ」さんが務めると知りました。個人的には、しづさんの実力は文句のつけようがないと言っても過言ではないくらい、全てにおいて長けていると思いますシャフトの絵は私はそうでもなかったけれど、否定的な人も多かったので、今度こそ、ととても期待が持てました。

私はこの時点で、映画にたいして「カゲロウプロジェクト面白い作品」ではなく「カゲロウプロジェクト違和感を持たない作品」を求めていました。エンターテイメント性ではなく、普遍性をお願いしたかったんです。「最高の作品」じゃなくていい、「いろいろ言いたいことはあるけど、でも良かったと言える作品」が見たかったんです。変なギミックも要らない、無駄な挑戦も要らない、普通の、贔屓目にみられる人なら躊躇いなく面白かったと言えるような。

公開前に投稿された主題歌は控えめに言って最高でした。もう高ぶりが止まらなくて、ヘビロテしまくりました。若干判明していた作画20分という短さへの不安が瞬間吹き飛びました。これ、いけんじゃないか……?アニメを忘れさせてくれるような、そういう存在になってくれるんじゃないか、と僅かながらに期待して。

容赦なく希望を踏み潰されました。なんだあれ。今でも言葉がないです。あんクオリティーに1900円とか詐欺じゃねえか。意味のわからないストーリーメアリースーじみた超展開、観客を置いてきぼりにする視点変更、ファンであることが前提だとしてもあまりにも置いてきぼりな紹介。無駄4DXぶれる作画、絵すらないエンディング。たった二十分すら安定させて持たせられない。かくかくしたキャラクター絵はシャフトの方が数倍増しだと思わざるを得ません。(詳しくはねばーまとめとかとぅぎゃったーとかに物好きがまとめてると思うのでそれを)

一番嫌なのは、それなりを払って、期待して、好きなのに。それなのに、そんな否定的言葉しかでないことです。認めたくないです。好きなんです。どんなものでもよかったって受け入れたいのに。周りの皆は絶賛しまくりで、私だけがおかしいみたいで、まるで二年半前のアニメ放送時の再現のようでした。

広げすぎた風呂敷は畳むことが出来るんでしょうか。アニメ二期もこのクオリティーなんでしょうか。日にちが経つにつれ不安ばかりが増していきます。なんで私は自分の好きなものが落ちぶれる様をみなくちゃいけないんだ、と変な怒りすらわきそうで、でも、嫌いになれないんです。きっとどんなひどいものを見せられても、イヤになったってキライにはなれないと思います。それくらい好きなんです。今だって好きになりたいと思っています批判された所を否定したくて、でも否定できないことが一番悔しいです。辛いです

これからも好きでいたい。でも、好きでいることで幸せになれないのなら、私はなんで好きになってしまったんでしょう。もし、むやみに話を広げすぎて謎すら解明されないまま終わってしまったなら、私が追いかけてきた意味はどうなってしまうんでしょう。今、そう思わせるだけのものがそこにはあるんです。昔は、期待ばかりあったはずなのに。

そんなに金が欲しいんですか?雑で手軽なコンテンツで大量に搾取できればなんでもいいんですか?ふざけるな、といえるような偉い立場じゃないことは分かってます。でも、少しくらい、良いもの提供してくれたっていいじゃないですか。

良かったって言わせてください。好きで良かったって言わせてくださいよ、お願いだから

辛いのでFGOやります。以上です。

2016-10-20

義兄夫婦が嫌い

自分たちのためならなんでも犠牲にする義兄夫婦にとにかく腹が立つ。

  • 義兄が旦那の進路を決めやがった

無茶苦茶過去の話になるけど、旦那高卒就職かというとき

まともな職についてもらわないと俺の進路に支障が出るからちゃんと考えてくれ。と言ったらしい。

旦那の夢は別にあったのに。

このエピソード聞いてから義兄のことが大嫌いになった。

一番上が高校1年男、真ん中が小学校4年生女、一番下が小学校2年生男。

出張がある仕事についているので学童にお迎えができないときに車で片道2時間かかるこちらに頼んでくる。

一番上の子が小さいときは義姉実家ほとんど頼りっきりだったが、義姉の父親入院してからこちらにもしわ寄せがきた。

一番上の子は通学に1時間以上、バイトもしてるのでお迎え要員に使えない。中学までは頼ってたんだろう。

旦那母親が一人で行ければいいんだけど、目の手術をして車の運転ができない。

どんだけ急いで出て行ったのか知らないけど、家の中のことがおろそかな状態で出ていくのでイライラする。

猫が2匹いるのに誤飲しそうなゴミをそのままにしていたり、

PS4コントローラー(7000円)をコタツの上に出しっぱなしにして

ゲロぶっかけられてて動かなくなったらどうするんだクソがと思った。

ゲロをする猫には罪がないが、高級品をそのままにしておく旦那意味からない。

それ壊れたら金出すの私なんだけど。これについてはゲロ写真つきで次からやるなと釘さした。

  • 義兄が関西に出向になった。

ざまぁと思ったら単身赴任ではなく義姉もついていくという。

すでに向こうに一軒家を借りているらしい。今の家よりは狭いが。

問題は一番上の子高校大学エレベーターでいける私学に通わせているので

義姉実家旦那実家のどちらかに預けるという(なぜかここが決定事項)

他にも選択肢があるのにどちらか選べと上の子に聞く。

の子希望旦那実家らしい。理由電車の乗り換えが少ないからだろうけど

それをはいそうですかと受け入れられるのか?孫とはい他人だし重度のラブライバーだし

まりで預かったの小学生の時以来だよ?義母にとっての孫は綺麗な男の子で終わってる。

PS4オーバーウォッチやってる高校生じゃないし、

ラノベニセコイ二次元にドはまりしてる姿なんて知りやしない。

ましてや義兄というリミッター(ガミガミ言うタイプ教育パパ(笑)

が完全に外れたらどうなるかわかりゃしない。

義母も年だし、パワーもないので預かれないとなったらこちらに来るのは目に見えてる。

私は子どもが嫌いだ、マジで。ましてや大嫌いな義兄の子ども。

想像するだけで虫唾が走る

子どもに罪はないと言うけれど、バイト代を好きなように使って自分の持ち物でない家で

好き勝手されるかと思うと割とマジで事故とかおきねーかなと思う。

  • こういう未来が見える

エスカレーターはい勉強ができなければ大学に入れないのが現実

学校禁止されてるバイト三昧で成績が落ちた彼は大学に入れず、そのまま引きこもりに。

関西にすっかり定住した義兄夫婦は何をしようともしない。ほったらかし。

義母の手に余って我が家押し付けられる。そして義兄がこういうのだ。

まともな職につかせるために、まずは旦那に働けと。

2016-09-28

結局のところ新田恵海

もうラブライバーから許されたの?

永久戦犯なの?

2016-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20160926212801

作品描写上、あの世界のスクールアイドルは、女性ファンが憧れて、女性ファンが目指す物だから現実世界ラブライバーがどんなにヤンキーっぽかろうと、作品上の影響は皆無という気が。そのへんは、ウェイクアップガールズとは全然違う。

2016-09-26

マイルドヤンキー物語ラブライブ

私は常々不思議だった。何故ラブライバーヤンキーのような外見の人が多いのかと。

確かにアイドルライブには昔から「○○命」と刺繍を金糸で入れた特攻服に身を包んだ、近寄りがたい方々がいたがラブライバーはそのはるか上を行く。

全身に缶バッジをつけジョジョの奇妙な冒険第7部SBRに出てくるタスクACT4を思わせるような非人間的外観をした怪物がうようよいるのだ。

その溢れ出した自己顕示欲IQの低さはもはやヤンキーと呼ぶ他無い。

何故だ。

何故ラブライバーはこんなにもヤンキーなのだ



しかラブライブサンシャインを見終わりその疑問は氷解した。

ラブライブという物語それ自体マイルドヤンキー文脈に沿っていたのだ。

母校という地元(いばしょ)を守るため、チームメイトという仲間達(マブダチ)と、全国の頂点(テッペン)を目指す。

その根底に流れるものROOKIESスクール ウォーズ といったヤンキースポ根もの血脈だ。

主人公達の大部分が全くの素人であるという部分も上記の作品共通している。

そしてそれはラブライブサンシャインでいよいよその色を濃くしていく。

まず舞台田舎である。これはマイルドヤンキーの生息地として適切だ。

そして主人公達は地元民の期待を背負っている。この結束感こそがマイルドヤンキー魂の生まれる土壌だ。

その結束感ゆえ彼女らは大会ルールを叩き壊し、自分たち地元自分たちが盛り上がるためのパフォーマンスに興じる。

そう、彼女らは自分たちが内輪で盛り上がりかつ自分たち存在を知らしめんためにルールという檻を叩き割るのだ。

ここにラブライブヤンキー文学集大成を迎えたといえる。

一作目のラブライブは、この現代社会の中で自分たち存在を認めさせる方法としてラブライブ健全にのし上がるという方法を取った。

しかし二作目にしてついに、ラブライブルールという枠組みに囚われず自分たちの信じる道、自分たちがこの一瞬を輝ければ周りの迷惑も今後のアイドル活動すらも投げ捨てる道を選んだのだ。

最終回にこの話を持ってきたということは、制作側は視聴者にこの姿をロックだと感動して欲しかったのであろうことがわかる。

そうでないのならもっと前にこの話をやり、ルールを破るのは流石に駄目だと反省させる物語の作り方をするはずである

だが、これに感動できるのはヤンキーだけだ。

心をヤンキーにしなければルール無用大会荒らしで涙など流せはしない。

それならば結論は1つだ。ラブライブ最初からヤンキーによるヤンキーのためのマイルドヤンキーアニメだったのだ。

そう考えれば、あらゆる疑問の答えが出る。

2016-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20160919110339

迷惑行為なら空気云々じゃないだろ

俺はお前みたいな日本後苦手な奴が曖昧論理で何かを規制しようとすること全般に反対だ

撮り鉄レイヤー亀子死ねと思ってるが(ラブライバー迷惑行為っていうのはどんなのか全くしらんので保留)

空気が読めないオタクをどう粛清するか

撮り鉄だのラブライバーだのレイヤーカメコだの。こいつらはどうやって粛清しようか。

他人迷惑をかけない」という、社会生活における基本原理理解できていない。

同族集団では自浄作用は期待できない。公安の介入は反発を招くだけだ。

たとえばサークルクラッシャーの投入はどうだろう。鉄アイドルカメコアイドル変態紳士ルサンチマン起点の内ゲバによるブーム終焉オタク集団はこれによわい。

まじ瓦解してくれないかなぁ。

2016-08-15

ラブライバー賛歌

ラブライブとはファンの素晴らしさだけが支えている作品

ただ単純に本来そういう設定や立ち位置ではないキャラクター作品を、適当かつ雑に悪意をもって弄くり回され扱われるのを見ただけでも、キャラクター作品に対する愛が最低限あるファンなら、怒りを抱いたり、疑問を抱いたりして作品企画真剣に向き合おうとするか、とても見続けることに耐えられなくなり、そこから去ってしま可能性が出てくるでしょう。

さらに、それだけには留まらず、そんな内容に扱われた原因として無関係作品盗作オマージュをしたいからという、従来の作品内容やファンに対しての真摯さにおいて致命的に欠けた動機が関わっていることまで明らかになった場合は、もはや愛のあるファンであれば二重三重四重に怒りや疑問が生まれて当然でしょう。

ところが、ラブライバーという人種の愛は作品内容やキャラへ向かっていないため、それを無視して許せるのです。

彼らの愛は主に、その作品企画を好きだと言う自分達や、イベントに出演する声優達などと一緒にワイワイと騒ぐ自分達のことに向かっています

まり相手犯罪者であろうと作品自体評価のしようがない前代未聞の駄作だろうと怒ることはしないし、悪いことをしても、悪いことをした奴を怒る奴こそ悪いと言ってのけることができる、とても素晴らしい人達なのです。そのような狂気的な仁義こそがラブライバー真骨頂ともいえます

また、ラブライバーは、作品批判したり、疑問視したりする者に対して、「変化や悪い所を受け入れられないものは器が小さい」とか、「無理矢理でも納得して捉えてあげるのがファンのあり方である」、とか、「結婚したら急に態度が変わり怒り出す夫だ」とか批判者のことを勢いだけで言いたい放題に批判することができます。(批判することはいけないのに自分批判してるじゃないか、というのは突っ込まないで下さい。死んでしまます。)

当然、論理倫理は全くもって狂ってしまっているかもしれません。およそ並以上の人間には理解できない、理解してはならない理論を堂々と用いているともいえますしかし、そこが潔くて格好良いのです。

仮に批判する者の器が小さいとしても、批判する者を受け入れられない彼らも彼らの基準でいえば器が小さく、似たような物ではないか…なんて突っ込もうなら彼らは無視を決め込むこともできます

また、作品内容の価値ファンの器の大きさで決まりしませんし、内容についての言及であるのに内容への直接的言及はせずにファンである態度とか器とかを持ち出す時だけ積極的になるあたりを見ていると、彼らのファンとしての器や作品内容を受容する器の大きさがいかほどか推測がついてしまうのですが、そこに彼らは多分気付いていないので格好良いのです。

また、無理矢理納得して愛するのがファンのあり方なのだとしたら、全ての作品を愛する必要が生まれます。内容がどうであれ、なんであれ無理矢理納得するべきなのですから

ただ、そうなると彼らはラブライブという業界においてごくごく一部に過ぎない作品時間を割いていて大丈夫なのかという疑問が生まれます

彼らは愛する作品の条件を問わずに、ラブライブファン役を担当することを割り振られてしまったので信者をやり続けている存在なのでしょうか。もしそうだとしたらとても立派に役を演じきっていますしかし、その場合に彼らは作品内容を好きだといえるのかは分かりませんが役を演じることに価値があるからいいのです。

結局の所、作品を好きな自分演出し続ける彼らという仕事人生き様評価することはできても、作品内容自体を高く評価する理由特にそこから見出せないため、彼らがどんなに自称ファンとしての器の大きさを誇示して作品内容を褒めてもらおうと頑張っても、作品内容自体価値上下しません。でも頑張るから彼らは素晴らしいのです。

また、作品内容の悪化劣化を嘆く者に対して、「結婚したら急に妻を怒り出す夫のようだ」とか、「自分ばかり大事ですぐに家族を見捨てる奴だ」とか言ってしまえるラブライバーはやはり、とっても立派な夫や妻になれる人達であり、何があっても必ず家族以外の誰もを救える立派な人達なようで格好良いです。

まりラブライバー配偶者にできれば何をしても許してもらえるから安心です。ラブライバーの子に生まれたら何をしても許してもらえるから安心です。

まさかラブライブとその声優スタッフのことは許すが、自分の子配偶者なら話が別だなんて言わないはずです。

子供や、配偶者犯罪浮気をした程度で怒ったり離婚を考えるなんて器が小さい、いい受け取り方を考えなきゃならない、とラブライバーなら批判するでしょう。

何があってもどうにかして納得する方法を探してくれる。論理おかしくても気にせず、納得できたつもりの自分に酔う今が最高なのですから

アニメ版ラブライブの内容自体はどうか分かりませんが、このようなラブライバーという立派で素晴らしい人達を沢山生み出したことがアニメ版ラブライブ!という作品シリーズ企画において唯一にして最大の成果であり、作品価値保証する要素だといえるでしょう。

2016-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20160806025355

シンプルだが、プリパララブライブ作品性の違いを言い表している。

ラブライブプリパラプリティーリズムライブ演出担当した京極尚彦監督担当していることから、とりあえずラブライブ肯定的に捉える要素をあることないこと紐付けして論じたいラブライバー京極尚彦は菱田イズムを継承していて~ラブライブ尊い~みたいなことを言ってるが、そんなことは無い。むしろ反面教師にしているというくらいに長所を捨て去った作品作り。

特に分かりやすいのは、この増田記事のような、作品におけるキャラクター扱いの妙の差。

話数が大幅に違うので単純比較はできないにせよ、ラブライブも元々はスクールアイドルという誰でもアイドルになれる要素を謳ってる作品だったし、映画ではそのことを主題にしたりもした。しかし内容はそれに追い着いていなかったどころか、追い着こうとする気すらないような体たらく

実際、そんなラブライブ失望したオタクプリパラに救いを見出していくパターンも多い。


ただ、ラブライブは従来的な意味キモオタに媚びた作品ではない。

従来のタイプキモオタラブライブみたいな面白みも萌えも何もない何の工夫もない欺瞞の塊みたいな作品にはあまり引っかからないし、ラブライブターゲットにしていない(できていない)。

ラブライブは新型のキモオタを生み出し、それに受けたといえる。連中は似非ヤンキー似非オタク

ヤンキーみたいな薄っぺらい格好付けをするのが好きだがオタク趣味オタク趣味だがオタクというほど作品内容について語ることができない。稀に語る奴もいるがもっともらしく語ってるふり(格好付け)であって妥当性は皆無。

適当スタッフ名だの専門用語だのをぺらぺらくっちゃべって最後尊いとかよさみたいなことを言っておけば連中の中ではわかりてわかりてとチヤホヤされるので満足できる連中。

辻褄が大間違いでも表向きいい話っぽければ満足する。

他人のことは好みだけで偉そうに叩くが、自分自分の好きな作品のこととなると悪いことをしていても盲目的に擁護するしかできない。

仲間が自業自得炎上逮捕などされた際に何の根拠もなく「○○は悪くない」「良い奴だから」と言って擁護するヤンキーDQNのようである

2016-08-07

我々は経済効果に変えるためにやるわけではないので、そこは絶対に踏み外さないようにしましょう、と。「コンテンツには必ず終わりが来るので、コンテンツにばかり寄りかかっていると、なくなった途端また元に戻っちゃう。次に皆さんがやったほうが良いことは、いま来てくれているお客さんに“大洗ファン”になってもらうことですよ」


我々はそんなおこがましいことを考えていませんでしたと。我々は面白い作品を作るための努力はできるけれど、それ以上のことはできません。(ヒットする約束を)先物取引のように、舞台となる町との交渉材料には使えません。



「我々も町には必要以上に甘えません。だから町の皆さんも我々に必要以上に甘えないでください」と。どちらかがどちらかに甘え始めた途端に、関係はきっと不健全になります



ロイヤリティーは当然必要ですが、MGについては大洗だけではなく――ケース・バイ・ケースですが――ガルパンに関しては商品化にあたってMGをいただいたことはほとんどないですね大きな企業以外は、商工会版権の利用申請受付と利用状況をまとめてレポートし、それを元にバンダイビジュアルさんから商工会請求が届き、商工会がお支払いする、という流れ



大洗に行って、実際に商品を手に取ってみるとわかりますが、ほとんどロイヤリティーが乗っていないような金額商品販売されています最近大晦日ガルパンファンが、磯前神社初日の出を見ようということで夜明かしをするんですね。年末の海のそばだからものすごく寒い。そうしたらウスヤさんは朝の5時まで店を開けてくださったんです。ファンが暖まれるようにって。串カツも売るんですが、一緒に甘酒を振る舞っちゃう。それ、下手をすると赤字でしょ、と。でもそれをやる人たちなんですよ。誰からまれるでもなく、自分たちでやり始める。そういうことをしてくれる町だからこそ、「ガルパンきっかけだけど、大洗が好きで、どこそこの商店のおばちゃんに会いに来ました」って、ファン手土産持っていく



大洗って、もともと観光地で、ホスピタリティーが高く、年間を通じてイベントが多いんです。いろんな仕掛けをしてお客さんを誘引する努力をしてきた町なので、ガルパン1つに町の命運を委ねる気はない おカネ・経済効果度外視してみんなでガルパン面白いねって言ってくれる町だからファン安心して来られる。そもそも大洗は、まちおこしなんてする必要がないレベルの有名観光地でしょ。おカネにならなくてもファン歓待するというのは、目の前の利益じゃなくて、町や店を好きになってもらうほうが先……といった商売人ならではの嗅覚が働いている




年季が入っているオタクって――わたしもそうですが――いわゆる偏見に晒されながら生きてきたので、自分たちがどういう風に見られがちか、よくわかっています。せっかく町の人たちがよろこんでくれているのに自分たちが間違った行動をして、それを台無しにしてはいけない、という認識の人がすごく多いのです。

ラブライバーポケモンGOやってるDQNは×んでほしい





たまに、コンサルタントから送られてくる企画書を見るんですけれど『うーん』って。過去事例を並べて「あなたの町もこうすれば……」という内容で、言い方は悪いけれどお手軽過ぎというか『考えてないでしょ』って思っちゃうんですよね。―― あなたたち、6年間毎月のように通って、面倒事もモデレートしながらやっていけるんですかっていう。町の人たちを中心に作って盛り上げていく形でないかぎりは、たぶんうまくいかないんじゃないかなあ……。




輪廻のラグランジェの話はそこまでだ。

2016-08-05

適当に近いものとして考える京極信者ラブライバーは多いが、京極イズムと菱田イズムは中身は全く違う。

演出的に近い所はあっても、総合的には全く違う。主にキャラクター描写物語の作り方など作品制作姿勢が違いすぎる。

オリジナル作品ではないのに盗作元ネタに合わせて書きやすくするためにキャラ陳腐でありきたりな形で変更してしま京極氏と、ほぼオリジナル作品でありながら、ありきたりな主人公キャラではつまらないと信念を持ってキャラクター像や当初の作品コンセプトを大事作品を作る菱田氏では全く違う。一緒にするのは失礼にも程がある。

ラブライブ!劇場版駄作といわれない時が来るならば、この世に駄作が何一つとして存在しない世界になっているのであろう。

2016-07-31

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①への回答(補足・雑感)

http://anond.hatelabo.jp/20160413011057

まだ見てくれているか・・・?①について補足すると言って時間が経ってしまいましたね。遅くなってしまいゴメンなさい。

ラブライブ!論争の流れは下記のページにまとめました。興味のある方はご覧ください。

http://kato19.blogspot.jp/2016/04/lovelive-hihan.html#nagare

正直なところ『逃げていた』っていうのはあります(笑)やっぱり大好きな作品を納得いかない理由でけなされるのはストレスが溜まるものですからね。でも、ずっと小骨が引っかかっているような気分でいましたので何度か読んでは感じたことを書き留めてまとめました。

絶賛派は多数派か?

改めて増田氏の①を読んで気づかされた事があります。それは

既に多少批判派が増えてもうんざりするほど思考停止の絶賛派のファンであふれかえっている状態で何故絶賛派は未見の人がアニメラブライブ批判派になることについてそこまで敏感になり、怖がる態度を見せるのかという部分が気になりました。

これは今だから思うのですが、当時の自分感覚としては、本当に怖いというか危機感を持っていたんですよね。増田氏とは観測範囲が違うのかもしれませんが、今も当時も増田氏が言うほど絶賛派が多いとは思いません(あくま劇場版についてです)。検索では完全否定派のブログも目立ちますし、完全否定ではないですが批判的な内容のブログも少なくないと思いますしかし当時は絶賛派の感想がひと段落した後も、ときおり注目されるのは否定的な言説で・・・このままだとアニメ史において駄作として記録されるかもしれないという危機感はありました。(増田氏は正反対に絶賛で記録されるのが許せなかったのでしょうが・・・)つまりお互い同じような危機感を持っていたのかもしれません。とはいえ、増田氏のような原作派(初期作品群派)は確かに少数でしたので『多勢に無勢』感というのはあったのでしょう。私としては大勢いる批判派の一派という感覚で十把一絡げにしてしまったところはあります。そのあたりは認識不足でした。

とありますが、自分記事投稿したのも最近の間に留まる話ですし、そんなに熱心な批判派が存在するような心当たりがないのですが…。

おっしゃる通り、ネガティブ派を単なるアンチも含めて大雑把に捉えていたことは反省しています。個人としてある程度継続的批判意見提供していたのは、おりあそ氏(ともう一人いたのですが失念)ぐらいかもしれませんね。とはいえ、当時は肌感覚として否定的イメージで塗りつぶされる恐れを感じていました。(増田氏にとってはアニメ版によって初期作品の設定などが塗りつぶされるという恐れがあったわけで・・・サンシャインが放映されている現在ではその感覚さらに強くしているのかもしれませんね。)ただ私が増田氏に強く反応したのは、明らかに誤解している点(絶賛派はウソをついている)を否定たかたからです。

2期のパクリ疑惑について

強調されている『海外ドラマパクリ疑惑』について真偽の検証はしていません。しかし仮に盗用されていたとして『だから駄作』なのでしょうかね?当該作品は未見ですが有名作品だとすれば、それに似ていると言うことは逆に面白いということの証左になってしまます海外ドラマファンなら白けるのもわからなくはないですが、見ていない人にとっては『だから駄作だ』といわれても、それこそ内容と関係ないじゃん?と感じるわけです。『よく似た脚本海外ドラマがあってそちらはもっと面白いよ』と言われて『じゃあそちらも見てみるか』ということがあっても、『よく似た脚本海外ドラマがあってそちらはもっと面白い。だからこのアニメ面白くない』といわれても、それは別の問題です。



ラブライブが好きなら検証する義務があるのでしょうか?視聴者にそんな義務があるはずもありません。問題があるとすれば製作側の問題で、面白いと感じたファンが何か対応する話ではないはずです。なぜ増田氏がそこに拘泥するのか?それはやはり、自分の愛する初期作品が『盗作』などという行為に汚されたという『怒り』や『不快感』なわけでしょう。原点が初期作品群であり、アニメ1期から強い否定感情のある増田氏にとって、2期はもう内容云々の問題じゃないわけです。

ファンである状態を共有したいのか?

結局の所、絶賛派は作品内容の是非がどうであれ布教をしたい、ファンである状態を共有したいというのが強く、作品批判する人を減らしたいというのが最前面にきているのではという疑念が深まったような感があります

作品内容の是非がどうであれ布教をしたい』これは明らかに間違いです。繰り返しになって恐縮ですが、少なくとも自分は素直に素晴らしい出来だと感動したのですから。ただ、そう思わない人がいたとしてその人の感覚が間違っているとは言いません。しか自分にとっては間違いなく真実なわけですよ。『ファンである状態を共有したい』ここが増田氏の論理の最も疑問な点ですが、これは私たち絶賛派よりもむしろ中間的な層』(劇場版はついていけなかったけどイベントの一環として楽しんだ層)にいる可能性はあると思います増田氏はそういう中間層も絶賛派に加えているのかもしれません。だから絶賛派である自分は、ラブライブ!ファンの中でも多数派ではない感覚があるのかもしれませんね。繰り返しになりますが『ファンでありたいために駄作を傑作と思い込もうとしている』などということはありえません。本当に傑作だと思っているのですから。具体的な点は以前ブログに書いた通りです。その感動が甘い・幼稚だというならともかく、嘘をついていると言うニュアンスになると間違っているとしか言いようがないです。

作品批判する人を減らしたいのか?

作品批判する人を減らしたい』これは当たらずも遠からずです。最初に書いた通り、批判派はこの作品を『駄作』として後世に伝えようとしているように見えたのです。絶賛派が一通り感想をあげた後、上塗りするよいうに駄作レッテルを貼っていく。劇場版を見ていない多くの人は分かりやすレッテルに影響されます。はっきり言って劇場版は『難解な作品』です。なんの準備もなく初見で見れば理解不能です。それだけに、今後のアニメファンに誤解した歴史が伝わって欲しくなかったのです。増田氏の言うような歴史、つまり『絶賛している人も本心では駄作だと思っていたのにラブライバーでありたいがために絶賛していた』などという明らかに間違った認識が広まらないようにしたかったのです。もちろん発言自由ですがら、私としてはきちんと反論を公開しておく事でバランスを取りたかったのです。

以下細かい反論

批判派の体験感情は全て妄想から目を覚まそうと訴えかけても

いや、そこまでは言ってないのですが・・・面白くないなら(嫌いなら)仕方ないですよ。でも絶賛派をおかしい人呼ばわりすることに反論しているわけです。盗作問題面白いと思う感情は別。目をそらしていると言われればそうなのかもしれませんが、絶賛したファンに『直視して反省せよ』というのでしょうか?まあ、本音を言えば私は劇場版の絶賛派でTV2期の心理的ウエイトは低いのが正直な所でもありますけどね。それよりも、増田の本当の目的は『初期作品擁護』であって、そのためにアニメ版の粗探しをしているのは明白なわけです。だから私は増田氏が本当の目的である『初期作品の良さを広める活動』に徹するべきだと主張したのです。

結局その作品ラブライブでなければいけないほどの理由というのが見えて来ません。

 初期作品を愛する増田から見て、ある意味『乗っ取ってしまったような形』になったことは申し訳ないなぁとおもいつつも、アニメ版が初期設定と連動していない問題と、アニメ版評価特に劇場版)は別にしてもらいたいなぁと思います。そうは言っても感情的に割り切れないとは思いますが、私はアニメ作品としてのラブライブであり、劇場版はその流れの到達点として捉えているので。

先の記事でも書いているように絶賛派が評価している表現法や演出などそれ自体については殆ど否定していません。

その点については正直ホッとしているのですが、そこが論点にならないとすると、結局は譲れない根本問題になってしまますね。増田氏の言うとおり、私はたしかに初期作品群の『ラブライブ!』を全くと言っていいほど考慮していません。しかしそれを『蔑視につながっている』は飛躍のしすぎでしょう。差別はされている方が感じることだとは思いますが、申し訳ないが蔑むような気持ちはありません。無視すること自体蔑視であるというなら仕方ありませんが・・・。ですから私は、増田氏は思うところをポジティブアピールして欲しいと主張していたのです。



あと、レストランの喩えは恣意的すぎるように思います。『この例えにおいては料理の種類や味というのが作品物語性やキャラクター』っていうのもいくらでも言い換え可能です。1歩譲って小説ならともかく『アニメ作品』においてどれが一番重要かなんて切り分けることに意味を感じません。特に劇場版においては、多少整合性に疑問があったとしても適当に補完できる程度の問題なわけで・・・まあ、また堂々巡りになってしまますが。増田氏のこだわりは残念ながら理解できません。

最後

 結局のところ『お互い理解できない』で終わってしまうのは仕方ないのですが・・・もし後世の人がこれを読んだとして、これだけの極端な絶賛と批判がある作品だった事は知って欲しいかもしれません。とても一言では片付けられない・・・色んな思いが乗っかった作品(群)でした。

2016-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20160701172732

内容もアレだけど、散々個人の意見なんで~と主張してきたくせに最後最後プロデューサー云々語るのがイラッとする。

個人の意見っつーんなら周りを巻き込むなよ。てめぇが勝手理想アイマス像を作り上げて、勝手モバマス失望し、勝手自分を「プロデューサー」じゃなくなったと思い込んだだけだろうが。

そもそもご大層に語ってるけど「プロデューサー」ってのはアイマスファン総称にすぎん。ラブライバーとか王国民とかローランとかそういうのと同じ。原作においてプレイヤープロデューサーと呼ばれてたからじゃあアイマスファンのことは「プロデューサー」って呼ぼうぜってなっただけでそれ以上の意味は無い。

後付で色々プロデューサーたるものなんて語ったりするのも単にファン活動を楽しむために言ってるだけであり、ゲームやってるやってないは関係ないし特定の押しキャラがいるいないとかも関係ない。CD買っただけだろうとアニメにはまっただけだろうと、なんならキャラが好きでイラスト描いただけだろうとアイマスが好きでファンになったのならすべからくプロデューサー」だ。

べらべらと自論でアイマス批判しておきながら自分の「プロデューサー」像を押し付けんな。

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