はてなキーワード: 連休とは
お金のために働くだけだと、毎日自分に言い聞かせてパソコンに向かう。
クリエイター業で働いて、顧客から依頼されたものを製造するだけの仕事。
モチベーションは常に低空飛行で、2〜3年に1,2度興味ある分野の案件があったりするくらいだ。
思えば、社会は8割は面白くない仕事で回っているのかもしれない。
好きが仕事になるってかなり幸福に見えるかもしれないが好きなものの中にも嫌なコトって必ずあって、仕事にすると実際嫌いがほとんどで。
大人は大変なんだな、と嘆きながら生きている。
私の親は日本での学がなく、満足な読み書きもできず、1人は少ししか日本語を話せない。
したがって、就ける職が絞られる。実際父親は派遣の工員をしていて、母はレーンでの作業員をしている。給料はびっくりするほど低い。
残業は、命を削って得るもので、母は毎日4時間ほど残業をしてやっと23,4万得られるらしい。体は、ボロボロだ。
(これは年老いてきた近年で、景気がマシだった頃は30万前後だったと聞いている。とはいえ、基本給は約5万下がった程度だと聞いている。)
私は幸いなことに奨学金で専門学校へ進学できたが、入学金を自力で用意できず銀行に借りた。
就職活動の時は、親の給料以上必ず稼ぎ、好きなことで生きていくぞと輝いていた。
青かった。どこまでも青二才だった。
ほんとうに私はどこまでも幸運で、勉強ができて資格もあって、それなりのコミュニケーション能力と、底抜けの明るさが持ち味だったので一部上場企業に就職先に選べた。
問題はその後だった。
奨学金の返済で月に2万は搾取される。家賃・光熱費・ペットの養育費...エトセトラエトセトラ。給料は良かったが、高い物価と遊ぶ場合は必ず金をかける必要がある都会で心細かった。
会社は残業代のない年俸制、軍隊研修をなんとか乗り越え、胃痛を抱えながら配属先が決まった。優秀だ優秀だと持ち上げられ、しかし知らないことはたくさんあるので失敗すればそんなことも知らないでやっていたのか、と驚かれる。秒数億円が動くのシステムを保守。1コマンドでサーバを停止させてしまうような仕事だった。先輩6人に囲まれていたが年齢が一番近い人でも8歳ほど違った。
教育らしい教育は、同じ時期に入った中途の人がしてくれた。もちろん中途の人も仕事を絶賛覚え中だった。
能動的に学ばなければいけない、止まることは許されない、間違いも許されない、私は優秀だ、社内の情勢が見えてきたら、政治にも巻き込まれたりして不要な人間関係の悩みも受けた。
親元からかなり離れ都会で精神も削れる所まで削れ、土日は酒浸り、酒がないと眠れなくなっていた。23時前後の帰宅時は24hスーパーに寄って、枝豆やウィンナーと酒を買い、それが夕食だった。就寝前に風呂に入る時間はとらず、睡眠に充てた。
気がつけば、ドアノブに手を触れただけで泣き崩れるようになっていた。その日は会社を休んだ。
翌日、出社した。
会社にいたくなくて、立ち食いそば屋でギリギリまでご飯を食べた。そこに、同期がいた。残業代出ないのつらいよなーとか、またみんなで飲みにでも行きたいなーとか他愛無い会話をした。
入社して半年以上、気がつけば11月。親から電話がきた。LINE通話じゃなく、電話だった。LINEは長いことスルーしていた。
しんどいなら、帰っておいで
はっきりと覚えている。
1ヶ月後、年をまたぐ前には実家に帰っていた。
実家に帰って真っ先にしたことは、禁煙。その後、お酒を控えるようにした。
胃痛は、消えていた。
この業種自体は好きだったし、早く働いて自分の金が欲しかった。
小さな会社だった。ここも教育は行き届いていなかったが、自由はあった。
自分の思う最強のシステムを作ることが許されていたし、管理も自分に全て任されていたので、やりたいことを全てやった。
案件は人数で割れないほどきていたし、毎週レベルでシステム製造の見積もりを作成していた。忙しさは最初の会社の8割くらいという感じだろうか。
私は全て乗り切った。小さな問題は起こしても大きな問題は何一つ起こさなかったどころか、火消役としてあちこちの案件に引っ張りだこだった。
問題はそれを誰も評価してくれないことだった。同僚は自分を評価していたが、それが上に伝わることはなかった。全然なかった。
あるいは、伝わっていたが無視されたのかもしれない。
私の額面給料は21万円だった。リーダをしていた人でさえ32万だった(給料明細を見せ合いっこした)
3人のメンバーを抱えてリーダーをするようになっていたし、新人教育も私だけが力を入れていた。全ての質問に根強く答え、新人の空いた時間にする課題を出したりもした。
会社のPCの注文や備品管理、整理、不便な部分のヒアリングと解決を何度も繰り返した。
ひどい低賃金で結局、3年弱働いてやめた。
こうして、晴れてフリーランスになったのだ。
付き合う会社、仕事は選べるし、自分のペースで自分の責任で、自分のやりたいことができる。評価はお金で返ってくる。
私にはすごくあっていた。
幸にしてコネもいくつかあったし、コネがコネを呼び、仕事には事欠かなかった。15〜20日程度働いて、月35万前後稼いでいた。
未払金80万。私は血の気が引く音が聞こえた。
いろいろを経て借金をせずになんとか過ごしたが、安定を欲して、
また正社員になろうと思った。
完全在宅で働けて、受注系の開発で、評価制度が分かりやすい会社が良かった。
履歴書・職務経歴書を登録していたサイトから、全て叶った会社からオファーをもらった。
残業は月に30時間ある月もあるが、お金が出るからやる気がすごかった。
残業を減らそうと色々なフローに案を出した。新参者がいろいろ言っているなと思われただろうが、ここら辺は上司への根回しやあんの提出の仕方でなんとかなった。
しかもこれが、評価をされた。入社して半年後の査定で給料が上がった。3万も上がった。
開発業務自体は大して興味なかった分野が割り振られたが、会社のフォローが手厚く、やりたくないがやり切れている謎だった。
ストレスはあるが胃痛がするほどではない。正常範囲なのか、自分が慣れてしまったのかはわからない。
やりたくない仕事だけど、金払いがいい。
この仕事なら、続けられる気がした。
何故だろうと不思議だった。
社会人5年目位程度の若造の言うことを真摯に聞いてくれるからだろうか。
困っていることを部門全体で解決してくれようと動いてくれるからだろうか。
金払いがいいからだろうか。
わからないけれど、基本的に社内に敵がいないことも大きかった。
仕事終わりや休みの日の精神はとても安らいでいた。少し愚痴を話しておしまいだった。
面白くないけど、しんどくない。
やりたくないことだけど、その中でやりたいことを見つけられる実施できる。
疲れたり、めんどくさい時だってあるけど、評価とその結果のお金で返ってくる。
私は今幸せなんだなと実感した。
面白くなくたって、自分や自分の周りの人の負荷になっていなければきっとそれでいいんだ。
やりたくない仕事だからこそお金をもらってやっているのかもしれない。
さあ、もうすぐ連休だ。
どんなにヒッキーな生活しててもコロナにかかる人はかかる。一か八かの世界じゃん。
こんな世界で好きなことをガッツリ自粛して生きる世界はもう嫌だ。
コロナにかかってタヒる人が、無理に生きているからこの高齢化社会の結果だろ?
それで結局若者が抑圧される。
もう嫌なんだよなぁ・・・。
GoToキャンペーンも感染が落ち着いてるエリアはどんどんやってよ。
さっさとコロナウィルスばらまいて、いい感じに人口のバランス整えてくださいよ。
観光業界がやばいのは本当に事実なんだ。今潰してしまったら、失われた10年どころじゃない騒ぎになる。
医療崩壊?すればいいさ。医療は他の業界に比べて、崩壊した後の立ち直りが比較的早い。
一回崩壊して焼け野原になればいいんだよ。医療従事者もどんどん辞めて、条件がいいところに転職すればいい。他の業種に比べて潰しが効く。
コロナウィルスは風邪っていうキャッチフレーズがあったけど、みんながみんな助かるっていう考え方自体、もう無理なんじゃないか?
GOTOもそう、何しても批判が上がる。そういうのを見てるのが本当に疲れた。
旅行代理店が悪だって?ああいう中抜きは必要なんだよ。日本全国の宿が全部AirBになっていいの?極論そういう話。
全ての旅館の経営者がITに強いわけじゃないし、電話で対応できるわけじゃない。
正直これを機に、あまりにも前時代的な宿は多少潰れてもいいとは思うが、それに伴う雇用等は別に考えなきゃいけない。
その辺も含めてその辺のめんどくさいところを全部代理店が肩代わりしてくれてんだよ。
「距離」
すいません、離れてください!
距離とってください!
離れてください!
すいません!離れてください!
あのさ、
知らなかったんだけど、
行ったら現地で気付いてなんたるちゃー!って感じよ。
嵐山でやってるはずだった鬼滅の刃スタンプラリーもとうの昔に終わっていたという、
下調べもあったもんじゃないわ。
私はそうやって京都への思いを長谷さんと馳せ参じながらあとにするのでした。
しかたないわね。
帰りのこだまでビールでも飲みながらアタックチャンスして帰るわ!
でもさ、
各地イベントは中止しているところは多いんじゃないかしら?って思うし、
それならそれでETC1000円走りたい放題をまた復活させて欲しいし
そうなったら、
自由気ままに一人でブラッとと言う感じではGOTOできないキャンペーンの参加条件が厳しくて、
お一人様にはやっぱり冷たい世の中でもあるはずではないと思うので、
それが私の決意表明。
表明するだけならしていいんだかんね!って思いつつ、
どこも混み混みになっちゃうのかな?と
予想だにできないほどの人混み。
50年に1度の人混みかも知れないし、
本当に予想だにできないと思うわ。
この連休に惑わされている感じ。
今年特例の祝日移動したオセロ方式で挟んだらそこも連休!って設定は私のスマホのカレンダーには搭載されていないようで、
思わず今日がお休み祝日だと思ってた人がいるんじゃないかしら?
きっと騙された人多数よ!
まったくだわ。
うふふ。
健康には良いかもしれないけど私あんまり全粒粉のパンって好きじゃない時代の真っ最中なのよ。
すっきりんこよ!
空いたスペースに水出しルイボスティーウォーラーのボトルをいれてこしらえることができたの。
美味しいわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
読んでて悲しくなってきたので書く。
確かにひとさまの作品を好き勝手にこねくり回して勝手な恋愛模様を繰り広げたあげくにエロ本にされるという事態が常態化してるのは変だと思う。
ファンフィクションだとしても、巨大な利益が出ているとか、それで成り立つ産業があるなんてちょっと変な感じもする。
でも二次創作にもすごい楽しいものもいっぱいあって、それこそゲームの四コマ漫画化みたいなのとか、そういうのだって二次創作だよね。
あと私がもう10年以上ずっと追い掛けている神は(さいわいなことに神は名前を変えないしアカウントを見失ったのも1回だけだ)カップリングと呼ばれるものを直接的には書かないめちゃくちゃエモエモのエモすぎる長編小説を書く人で、時々ジャンルの中堅になったり、ひっそり島中にいらしたりしながらずっと私には神だ。
なんかそういう二次創作が今はないみたいに語られて、ジャンルはカップリングじゃないと会話もなりたたないみたいなのをちょっと思ってた所だったので、よけいに悲しくなったんだと思う。
そうじゃない二次創作あるよ。大好きだよ。楽しいよ。カップリングじゃなくても、もう一つのあったかもしれないアナザーストーリーを読ませてくれる世界だから私は二次創作好きなんだよ。
なんかそういうのもあるんだと言っておきたかった。
神は気さくで感想をとても喜んでくださるかただから、次の連休にがっつりお手紙を書こうと思ってる。
エロとか恋愛模様じゃない二次創作も増えて、二次創作っていうものがちゃんと原作者にも還元されるもっと発展的な世界になったらいいなと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20200713184901
服はいつどこで買ったか覚えてないものが多いですがほとんど母に選んでもらったものでそれを何年も着ています
学生時代はぼっち気味で今も交友関係のあるような人は一人もおらず、オタクと言ってもいわゆる無産なのでネット関係で知り合うような友達もいません
(絵も描けないためお絵かき感覚でメイクを楽しむということもできません)
今までの職場は親くらいの年齢の人が多かったけど異動した先で同い年くらいの人が増えて
「ちゃんとした大人のお姉さん」が私より一つ年下なことにショックを受けたり私だけ眉毛と髪モサモサで顔も服も小汚なくてブスなのが恥ずかしくなってきた時に32歳腐女子増田を見てこれはどうにかしなければと……
今の服はうまく言えないけど悪い意味で子どもっぽい、もしくはもっと上の年代の人みたいな格好のような感じがする
母はあんたはまだ若いから大丈夫って言い張ってるけどたぶんおかしいと思う
今時小学生の方がもっと大人の女っぽい格好をしていると思うのでちゃんとした大人の格好を知りたいと思った
いつもつけている時計は好きなキャラのコラボウォッチで、もしこれをダサいとか安っぽいとか言われても は?いや推しなんで絶対に外しませ~んと堂々と言えるけど
服については何も分からず仕方なく着ているもので「好きな服装を貶された」とか「一人だけ好きな服の趣味が周りと違うのを悩んでいる」とかではないです
普段着ている服は好きな服ではないし好きな服というものがないので……
・駅の中にあるローリーズファーム
・しまむら
数年前は古着屋があったけど潰れました
ユニクロは1時間以上かかるけどがんばったら行けるかも、GUはもっと遠いので難しい
母親と一緒にしまむらにいる時は息が苦しくて胸が詰まって早く立ち去りたい気持ちでいっぱいだったけど今回初めて一人で行ってみたら苦しさはなくてとにかく「わっかんねえなあ……」という感じだった
初めてマネキンの着ているものをまじまじと見て参考にしようとしたけど
Mサイズは入らない、Lサイズはものによってはきつい、デブ用の服コーナーがあったけどそっちは4Lとか極端すぎてサイズの合う服を見つけるのが難しかった
出勤する時に履いてるズボンの中でめちゃくちゃ色褪せてるのが一本あったから似たようなのを買って
ガウチョ?でいいのか……?スカートとズボンの中間みたいなのも一本買った
スカートを一切履かないのでいきなりスカートは勇気がいるから……
イオンはブラジャーと靴下と子ども服とパジャマとおばあちゃん向けって感じでなんか違ったので化粧品コーナーで化粧品とトリートメントを買いました
化粧品は今までも持っているのは持っているのですが母が買ったものやほとんど使っていないからあげると言われたものばかりなのでこっそり捨てようと思います
来週の連休に合わせて田舎にある実家へ帰省しようと思ってたんだ。
俺は尾美先生と同じ認識で、要は3密でどんちゃん騒ぎしなければ大丈夫って感じだと思ってるんだよ。
ただ田舎の両親がテレビのワイドショーで日々報道される無駄に恐怖心を煽る都心の感染者数増加のニュースを見て不安がっている。
俺としては死ぬまでに後何回会えるか分からない親に会いたいし孫にも会わせたい。
俺も両親も酒は飲まないし大丈夫だと思ってるんだけど、これって甘い考えなの?
これは備忘録みたいなものなので無駄に長いし、文章もろくに推敲してないです。個人ブログでやれって話なんだけど、そういえばお盆も来月に近付いたな……と思ったら、公開される形式にしてみようかなとか気まぐれを起こしました。
今日仕事で役所に行ったんだけど、上司が知り合いに挨拶するとかいうから、行政資料センターみたいなところで時間を潰して待つことにした。
資格試験の願書とか、コロナ関係の補助金の申請書とか並んでるとこの奥に、背の高い本棚がズラーッと並んでて、所狭しとファイルやら冊子やらが詰め込んである。工事単価表とか、議会の議事録とか、「へ~」って思うけど別に手に取りたいとは思えないものが沢山あって、これを管理する仕事ってつまらなさそうだなとかちょっと失礼なこと考えたりしてた。
防災関係の棚のところに行って、ふと、そういえばうちのアパートって災害時どんな感じになるのかなと気になり避難マップを探した。最近雨凄いし、こわいなって。で、その書棚をふらふら探してたら、大きめのファイルがいくつも並んだ段の端っこに、古ぼけた薄い冊子を見つけた。ファイルが割と新品っぽかったから、余計にそのボロさが際立って見えた。それが、玄倉川水難事故の記録資料だった。
昨年、台風19号だったか、あるいは全然違う日の豪雨だったかで、やっぱり神奈川の西の方のどこかの川で事故があったと思う。そのときツイッターのTLが一斉にこの事故のことを呟いてたから、一度wikiで事故の記事を読んでみたことがある。読んでるうちに、こどもの頃テレビのワイドショーでそういうニュースを見たことがあるような……と淡い記憶も蘇ってきたし、流れでnaverまとめとか読んで(9月にサ終するそうで、残念だ)、「うわ~」って野次馬してた。だから馴染みがあるといったら変だけど、身近というか、ちょっと知識がある?みたいな変な自負みたいのがあって、興味本位で手に取った。
あんなセンセーショナルな事故の記録を、こんなとこにぽんと置いてあるんだ、という意外性みたいのもあったな。テレビで人間が濁流に飲み込まれる様子が生放送されるなんて、いまでは報道倫理的に考えられない事態だと思う。役所みたいなおカタい組織って、そういう刺激の強すぎるものは人目に晒したがらないというか、それこそ情報公開請求?とかしないと出してくれないのかなって勝手に思ってたんだよね。それが閲覧スペースに普通に置いてあったのが意外だった。
冊子には、事故現場がどんな地域だとか、上流にあったダムの概要だとかwikiにも掲載されてるような内容が、役所らしい淡々としたかたちで記録されてた。そういうのが続いて、ある頁からは、事故発生から遺体収容までの数日間役所のどの部署が何時何分何をしていて、どことどんな連携をした、みたいなことがズラズラズラーッと書き連ねてある。
これが、すごい細かい。警察と消防とダム管理者と危機対策本部と河川課?と~って、ほんとに登場人物ならぬ登場組織が山ほどある。その分単位の行動記録の随所随所に、更に細かい文字記録がある。元々防災部的なとこには実働機関がなかったから地域にある出張所が活躍したとか、ダムの放流を止める止めないの決断にはどんな意思決定があったのか、とか。
本当にモノを知らなくて恥ずかしいけど、さら~っとwiki流し読みしたときは、「人が取り残されてるのにどうしてダムの水放流しちゃったんだろ」とか「危ないんだったら警察沢山向かわせて実力行使で避難させればよかったのに」とか思ってたんだよね。でも、「放流を停止してダムが決壊した場合は川下にある小田原市全域に人的被害が見込まれた」「河川の私的利用を制限する根拠法令がなかった」みたいに全部全部理由があって、なんていうかそのことに凄くハッとした。
自分みたいな素人が考えることを、縦割り行政と揶揄されるほどまで業務を細分化してる役所の役人が考えないわけないんだよな。ダムを止めてやれないか、って検討するだろうし、危ないから避難させられないだろうか、って考えたんだと思う。当時現場に詰めてた人達はみんな、いま自分が安易に考えたようなことは当然検討した上で、「他の何万人もの市民を危険にさらすから駄目だ」「根拠法令のない私権制限は出来ない」って結論付けたんだろうな。
なんていうか、ほんとにこまごまと書いてあるんだよね。すごく淡々としてるんだよ。役所の文書だから事実の羅列ばっかりなんだけど、気付いたら熱心に読み込んでしまった。温度のない明朝体の退屈な文字列だと思ってたんだけど、読んでるうちに、自分たちがDQNって言ってた犠牲者たちのことを、この関係者たちは必死で助けようとしたんだな、ってことがわかってきた。
ワイドショーでは「地元の人が何回も注意した」とか、「お盆の悲劇!」みたいな視聴者の情緒を煽るというか、沢山の人が亡くなったことをネタにしてるような報道ばかりで(その犠牲者たちの言動がゴシップ的に取り上げられやすい属性だったのは、そうかもしれないが)、自分も昨年SNSで見た「DQNの川流れ」という揶揄を苦笑しつつも受け入れてしまっていた。いま考えてもあの犠牲者たちの行動が善良な市民のものだったとは思わないけど、でもそういう愚かなレジャー客のことも、これだけ沢山の人が助けようとしてくれたんだなと謎の感慨みたいなものが湧いた。
なるほど、これは玄倉川水難事故で犠牲者を出してしまった悔しさ(?)をバネに、次回以降の災害時対応に活かすための引継ぎ資料的なものなのかな~と思いながら、ぱらぱら捲っていった。
その最後に、当時レスキューに参加した消防関係者の寄稿みたいなものがあった。実際、テレビの中で土砂降りの中ロープを引いて河岸に待機していた、消防署の職員たちの手記だった。
目の前で四人が流された直後に、救命出来なかったという絶望に包まれたまま別の事故現場へ移動したことを書く方もいたし、世間から「なぜ助けられなかったのか」とバッシングを受けたことについて所感を綴った方もいた。実際にその瞬間、荒れ狂う河川敷で業務に従事していた救助隊員たちの声というのは、非常に生々しく、重たかった。かれらが一様に、助けられなかったことを心底残念がっているというのが、伝わってきた。
一歳の子どもの遺体だけが何日も見つからず、ひたすら川を捜索していた隊員の方が、「初日にオムツが二つ水面に浮いていたのを思い出して」、向かった場所の川底から、水の冷たさを訴えるような真っ白い肌をした赤ん坊の遺体が引き上げられたとき、咄嗟に川に飛び込んで泳いで行き、毛布で赤ん坊を抱き上げに行った、という記述を読んだとき、気が付いたら泣いてしまっていた。
玄倉川水難事故、本当に愚かな事故だなという所感はいまでも変わらない。あの悲劇を避けるための分岐点は幾らでもあったのに、その場にいた大人たちはまったくその選択をしようとしなかった。犠牲者たちが悪いのだから死んで当然、というネットの意見も、割と共感する。傲慢な”DQN”のために、一億円以上の公費が投入されているし、その現場に駆け付けた関係者たちは、やはり苦い記憶としてこの事故を一生忘れられないのだと思う。まったくもって酷い事故だ。
だけど、そういうやばいやつらのことも、必死に助けようとした人たちがいて、同じようなことが起こったときちゃんと助けられるように備えないとと準備している組織がいるんだなと思ったら、日本ってまだまだ捨てたもんじゃないかなという気がした。
実際災害が起きたら、また「どうして助けられなかったんだ」って思うようなことって起こるだろうし、こんな記事書いてても自分や自分の家族が被害を受けたら「どうして助けてくれなかったんだ」って言っちゃうと思うけど。でも、ああいう事件事故の最前線にいる人たちが、皆が皆怠慢で、冷淡で、他人に無関心ってことは絶対にないなと思った。それって、すごく幸福なことだと思う。
来月はお盆があり、連休がある。コロナで外出自粛だけど、GoToもあるから、割とレジャーを検討してる人も多いんじゃないだろうか。自分は感染症について何の知見もないから「出掛けちゃいけないと思う」とか言えないけど、この記事を読んだ人がいたら、「事故に気を付けよう」「天気予報とか災害情報とかチェックしよう」みたいに思ってくれたらいいな、と思った。