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2020-07-16

玄倉川水難事故災害記録を読んだ

これは備忘録みたいなものなので無駄に長いし、文章もろくに推敲してないです。個人ブログでやれって話なんだけど、そういえばお盆も来月に近付いたな……と思ったら、公開される形式にしてみようかなとか気まぐれを起こしました。

 はてブロ初めて使うので、粗相があったらすいません。

 今日仕事役所に行ったんだけど、上司が知り合いに挨拶するとかいうから行政資料センターみたいなところで時間を潰して待つことにした。

 資格試験の願書とか、コロナ関係補助金申請書とか並んでるとこの奥に、背の高い本棚がズラーッと並んでて、所狭しとファイルやら冊子やらが詰め込んである工事単価表とか、議会議事録とか、「へ~」って思うけど別に手に取りたいとは思えないものが沢山あって、これを管理する仕事ってつまらなさそうだなとかちょっと失礼なこと考えたりしてた。

 防災関係の棚のところに行って、ふと、そういえばうちのアパートって災害時どんな感じになるのかなと気になり避難マップを探した。最近雨凄いし、こわいなって。で、その書棚をふらふら探してたら、大きめのファイルがいくつも並んだ段の端っこに、古ぼけた薄い冊子を見つけた。ファイルが割と新品っぽかったから、余計にそのボロさが際立って見えた。それが、玄倉川水難事故の記録資料だった。

 昨年、台風19号だったか、あるいは全然違う日の豪雨だったかで、やっぱり神奈川の西の方のどこかの川で事故があったと思う。そのときツイッターのTLが一斉にこの事故のことを呟いてたから、一度wiki事故記事を読んでみたことがある。読んでるうちに、こどものテレビワイドショーでそういうニュースを見たことがあるような……と淡い記憶も蘇ってきたし、流れでnaverまとめとか読んで(9月にサ終するそうで、残念だ)、「うわ~」って野次馬してた。だから馴染みがあるといったら変だけど、身近というか、ちょっと知識がある?みたいな変な自負みたいのがあって、興味本位で手に取った。

 あんセンセーショナル事故の記録を、こんなとこにぽんと置いてあるんだ、という意外性みたいのもあったな。テレビ人間が濁流に飲み込まれる様子が生放送されるなんて、いまでは報道倫理的に考えられない事態だと思う。役所みたいなおカタい組織って、そういう刺激の強すぎるものは人目に晒したがらないというか、それこそ情報公開請求?とかしないと出してくれないのかなって勝手に思ってたんだよね。それが閲覧スペースに普通に置いてあったのが意外だった。

 冊子には、事故現場がどんな地域だとか、上流にあったダム概要だとかwikiにも掲載されてるような内容が、役所らしい淡々としたかたちで記録されてた。そういうのが続いて、ある頁からは、事故発生から遺体収容までの数日間役所のどの部署が何時何分何をしていて、どことどんな連携をした、みたいなことがズラズラズラーッと書き連ねてある。

 これが、すごい細かい警察消防ダム管理者と危機対策本部河川課?と~って、ほんとに登場人物ならぬ登場組織が山ほどある。その分単位の行動記録の随所随所に、更に細かい文字記録がある。元々防災部的なとこには実働機関がなかったか地域にある出張所が活躍したとか、ダムの放流を止める止めないの決断にはどんな意思決定があったのか、とか。

 本当にモノを知らなくて恥ずかしいけど、さら~っとwiki流し読みしたときは、「人が取り残されてるのにどうしてダムの水放流しちゃったんだろ」とか「危ないんだったら警察沢山向かわせて実力行使避難させればよかったのに」とか思ってたんだよね。でも、「放流を停止してダム決壊した場合は川下にある小田原市全域に人的被害が見込まれた」「河川私的利用を制限する根拠法令がなかった」みたいに全部全部理由があって、なんていうかそのことに凄くハッとした。

 自分みたいな素人が考えることを、縦割り行政揶揄されるほどまで業務を細分化してる役所役人が考えないわけないんだよな。ダムを止めてやれないか、って検討するだろうし、危ないか避難させられないだろうか、って考えたんだと思う。当時現場に詰めてた人達はみんな、いま自分安易に考えたようなことは当然検討した上で、「他の何万人もの市民危険さらから駄目だ」「根拠法令のない私権制限は出来ない」って結論付けたんだろうな。

 なんていうか、ほんとにこまごまと書いてあるんだよね。すごく淡々としてるんだよ。役所文書から事実の羅列ばっかりなんだけど、気付いたら熱心に読み込んでしまった。温度のない明朝体の退屈な文字列だと思ってたんだけど、読んでるうちに、自分たちがDQNって言ってた犠牲者たちのことを、この関係者たちは必死で助けようとしたんだな、ってことがわかってきた。

 ワイドショーでは「地元の人が何回も注意した」とか、「お盆悲劇!」みたいな視聴者情緒を煽るというか、沢山の人が亡くなったことをネタにしてるような報道ばかりで(その犠牲者たちの言動ゴシップ的に取り上げられやす属性だったのは、そうかもしれないが)、自分も昨年SNSで見た「DQNの川流れ」という揶揄を苦笑しつつも受け入れてしまっていた。いま考えてもあの犠牲者たちの行動が善良な市民のものだったとは思わないけど、でもそういう愚かなレジャー客のことも、これだけ沢山の人が助けようとしてくれたんだなと謎の感慨みたいなものが湧いた。

 なるほど、これは玄倉川水難事故犠牲者を出してしまった悔しさ(?)をバネに、次回以降の災害対応に活かすための引継ぎ資料的なものなのかな~と思いながら、ぱらぱら捲っていった。

 その最後に、当時レスキューに参加した消防関係者の寄稿みたいなものがあった。実際、テレビの中で土砂降りの中ロープを引いて河岸に待機していた、消防署の職員たちの手記だった。

 目の前で四人が流された直後に、救命出来なかったという絶望に包まれたまま別の事故現場へ移動したことを書く方もいたし、世間から「なぜ助けられなかったのか」とバッシングを受けたことについて所感を綴った方もいた。実際にその瞬間、荒れ狂う河川敷で業務従事していた救助隊員たちの声というのは、非常に生々しく、重たかった。かれらが一様に、助けられなかったことを心底残念がっているというのが、伝わってきた。

 一歳の子もの遺体けが何日も見つからず、ひたすら川を捜索していた隊員の方が、「初日オムツが二つ水面に浮いていたのを思い出して」、向かった場所の川底から、水の冷たさを訴えるような真っ白い肌をした赤ん坊遺体が引き上げられたとき咄嗟に川に飛び込んで泳いで行き、毛布で赤ん坊を抱き上げに行った、という記述を読んだとき、気が付いたら泣いてしまっていた。

 玄倉川水難事故、本当に愚かな事故だなという所感はいまでも変わらない。あの悲劇を避けるための分岐点は幾らでもあったのに、その場にいた大人たちはまったくそ選択をしようとしなかった。犠牲者たちが悪いのだから死んで当然、というネット意見も、割と共感する。傲慢な”DQN”のために、一億円以上の公費が投入されているし、その現場に駆け付けた関係者たちは、やはり苦い記憶としてこの事故を一生忘れられないのだと思う。まったくもって酷い事故だ。

 だけど、そういうやばいやつらのことも、必死に助けようとした人たちがいて、同じようなことが起こったときちゃんと助けられるように備えないとと準備している組織がいるんだなと思ったら、日本ってまだまだ捨てたもんじゃいかなという気がした。

 実際災害が起きたら、また「どうして助けられなかったんだ」って思うようなことって起こるだろうし、こんな記事書いてても自分自分家族被害を受けたら「どうして助けてくれなかったんだ」って言っちゃうと思うけど。でも、ああい事件事故最前線にいる人たちが、皆が皆怠慢で、冷淡で、他人に無関心ってことは絶対にないなと思った。それって、すごく幸福なことだと思う。

 来月はお盆があり、連休がある。コロナで外出自粛だけど、GoToもあるから、割とレジャー検討してる人も多いんじゃないだろうか。自分感染症について何の知見もないから「出掛けちゃいけないと思う」とか言えないけど、この記事を読んだ人がいたら、「事故に気を付けよう」「天気予報とか災害情報とかチェックしよう」みたいに思ってくれたらいいな、と思った。

 
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