はてなキーワード: 繁華街とは
https://anond.hatelabo.jp/20080819183454
これ書いたの俺。
これまでの経歴を書く、少し補足を入れつつね。
飲食と営業のバイト > やや専門性のある派遣社員 > 専門性のある派遣社員 > 独立開業 > 取引先に就職(数年) > フリーランス (今ココ)
売上ベースでは900万を超えるようになった。経費を引くと所得で800弱ってとこかな。
生まれも育ちも貧乏だったので金の使い道があんまりない。でも貧乏になる恐怖がすごいので、しっかり稼ぐ。もちろんお金で幸福は買えないが、お金は不要な不幸をはじいてくれるお守りだ。しかも効果は抜群。中流以上の人はわかんないかもしれないけど。
なんで11年ぶりに続編を書こうかと思ったかって、少し前に、増田で都会育ちと金持ちと貧乏といろいろの世界観の話がホテントリしてたので、俺も書きたくなったことがあるから。
俺はこのパターンに当てはめると「都会生まれ、都会育ちの、貧乏人」ということになる。ニュータイプ。
都会には結構貧乏人が多い。昔から都会には貧乏人が生息してきたんだが、田舎の人は(お金だけでなくて)情報的・文化的な格差があってこういう事実をあまり知らないのかも。
貧乏と一口に言ってもいろいろ。俺の場合は月末になるとおかずがなくて米だけになる程度の貧乏。下には下がいるので貧乏系のマウンティングは勘弁な。
公営住宅に住んでいた。一人親ではなく、両親がいた。家族に障害者はいなかった。つまり、稼ぎがすこぶる悪かったってことになる。
自分の貧乏を強く意識したのは、友達がみんな自転車を持っているのに自分だけなかったときとか。小学校3年くらいの時に始めて「学習机」をもらったときのこととか。その学習机が実は、人が不要になって捨てた女性用の鏡台だったこととか。相対性剥奪ってやつか。「不足している」というのをひしひしと味わい尽くした。
友達も貧乏人が多かった。俺は別々の2グループに属していたが、全体を見て公営団地に住む奴らが7割。一人親も7割くらい。大学に行ったのが2割(東京的には少ない)。公営団地に住んでいて(高卒後の進路として)大学に行った友達はいない。俺は今、放送大学で1学期2単位ずつとる一応の大学生だけど。
自分が「持たざるもの」ということは小学校低学年くらいによく理解できた。なので自分の誕生日プレゼントに欲しいもののリクエストをしない子になってしまった。両親が何が欲しいのかと問い詰めてくれたので、たいして欲しくもない安そうなものをねだったことを覚えている。父親は時代に取り残された職人だった。需要がなく、仕事がなかった。その分野以外のスキルはゼロのまま、学歴もないまま、何もないまま、仕事を辞めて家族を養うために肉体労働を始めた。当時はそんな父親をかっこ悪く思ったが、今思うとすげーかっこいい。泣けてくる。転職先で、体力もおぼつかないまま、若造にこき使われて、ストレスをためて酒を飲み過ぎて、一発逆転を狙ってギャンブルにはまった模様。あんまり笑わないでやってほしい。人は追い詰められると一発逆転を狙うようになる。
年頃になって周囲がおしゃれに目覚め始めたときはつらかった。みんなで服を買いに行って、俺だけ買わないとか。集団でゲーセンに通うようになっても、おれだけ2~3回やるのが精一杯とか(しかも、1プレイ50円のところだぜ!)。人のプレイとデモ画面ばかり見てた。だから強くもならないし、ワンコインの持続力は短かった。資本の力を思い知らされた。
話は若干それるが、田舎の人が「都会=金持ち」の偏見を持っていて困ることがある。変なところで、嫌みを言われたり、奇妙な目の敵にされることがある。そんな奴らの方が、金銭的な意味では俺より豊かな育ち方をしているのにだぜ。これには本当にまいる。
俺は専門学校に行くために高校時代はバイトに明け暮れた。父親の借金(ギャンブルで!)が発覚したときに、俺の貯金で返済しようかと思ったけど、母親がそれを止めてくれた。貧乏だったので、逆選抜バリバリ思考で、とくにかく早く働きたかった。だけど高卒で働くよりも手に職を付けたかった。でも専門学校を出て飛び込んだ業界は旧態依然としたレッドオーシャンで封建社会だったので続かなかった。すぐに仕事を辞めてモラトリアムに走った。大学に行ってる友達が遊んでばかりで悔しかったから、俺も遊び倒すことにした。夜の繁華街でもよく働いた。いわゆる「外こもり」みたいなこともやった。いろんなとこで死にかけた。
で、そのモラトリアムの延長線上で、自分のとある才能に気がついてしまった。ほんとラッキーだった。その才能を生かして派遣の仕事を得ようとした。しかし学歴がないので前提条件に入れなかった。しかたないのでその方面の資格を取った。短期間で、一発で、そこそこのレベルの資格が取れた。ちょう頑張ったけど、今思えば才能に恵まれていた(ちなみに、当時の自分は努力体験と成功体験をセットで味わったので、「スーパー自己責任論者」になってしまった。必死だっんだろうな。時代もそうだったので勘弁して欲しい。今思えば、才能が9割というベースに努力2割を足しただけの結果だと思ってる)。
まずは大卒じゃなくても雇ってくれる職場から始めた。そこで勉強してから転職した。経験者だったので、同じ方面の専門性の高い職にありついた。自分がホワイトカラーという分類に入っている奇跡に驚いた。だから頑張ったし、面接は特にはりきった。張り切ってスキルを並べて、受かった瞬間に有休消化を使ってそのスキルを学んだ(つまり、面接時に話したスキルは若干ハッタリ)。新しい職場でも良く働いた。勢い余って結婚してその勢いで独立した。ちなみにでき婚ではない。
そのまま専門の分野で経験を積んで自分の商売を確立した。時給にはできないけど、無理やり時給にするなら5~6千円はいくはず。1日だいたい6時間強働いて、月に75~80万くらいの売上で、家事の分担をがっつりやって、下の子の保育園の送りも迎えも全部俺がやって回るようになった(あ、計算があわないから時給はもっと高いっぽい)。
今でも金にはがめつい。金にならない仕事はしない。大人の言葉遣いながら、お金のことはまっさきにはっきりと、しっかり伝えて商売をしている。
日々の生活においてお金に困らないというのは本当にありがたい。でも下の子がねだるガチャガチャだけは絶対にやらない。自分で稼いで自分でやれといつも言ってる。くそくだらない(ように見える)ファミレスの入り口とかにあるあのガチャガチャ類を見ると、ゲーセンで惨めな思いをしていた昔の自分が思い出される。やらせてやりたいという気持ちと、なんだかわからない複雑な気持ちがせめぎあって、「大きくなって自分のお金でやるんだぞ」と言ってぎゅっとだっこして強制退場。
と、一気に書いてみて読み返してみたが、母親のことを書けてなかったな。人が生きる上でお金と愛情は不可欠。どっちか一個だけ欠けるとしたらお金。愛情は欠かせない。だけど普通に言って、両方必要。絶対必要。ない人がいるなら、それを補う世の中的な仕組みが必要。こないだ結婚記念日だった両親は今も健在。ありがたい。
繁華街を案内する係の人について行くといいぞ
ふだん関東で働いてるんだけど、このあいだ九州に出張した時に飲食店の列に割り込んできたおっさん注意したら「ハア?うるせーブス!」って言われて本当にびっくりした。
ブスとか言われるの初めてだったし、男の人に大声で怒鳴られるの単純に怖いし、そもそも割り込んできた方が悪いのになぜ?しかも100歩譲って私がブスだったとして、それとこれとは関係なくない?
「割り込みやめてください。あとブスは関係なくないですか、侮辱するのやめてください」って言ったらら今度は「うるせーブース、普通そんなこと言わねーだろキモいんだよブース、キッショ、あーキショい」とかさらに罵倒してきた。
このころにはあまりに理不尽に侮辱されるので顔が熱くなってきて涙が出そうになって、喉の奥もヒリヒリしてきて、すごく惨めな気持ちになっていた。なんでそんなこと言われないといけないんだ?注意した私が悪いんだろうか。若い女がおっさん注意することはそんなにいけないことなのか?
でも「ブスもキショいも関係ないです、割り込みをやめて欲しいだけです」って言ったら、「あーキモい、ブス、キモい、はいはい、だったら前に行けよブス!行けよ!!」と怒鳴られた。それで一回は前に回ったけど、その後も後ろからブツブツ「ブースキモいんだよブース、ここではこれが普通なんだよ。マナー学べよブス」とか言われ続けて、もうあまりにも悲しくて情けなくて、お腹すいてたけどもう列を離れてその場から逃げ出してしまった。
ここでは普通って、本当に九州ではこれが普通なの?絶対そんなことないと思うし、たまたまやばい奴に当たっちゃったんだと思う。でも出張中、その繁華街の近くに行くたびに嫌な気持ちになって辛くて悲しかった。どうするのが正解だったのか?割り込まれても黙ってうつむいてれば良かったの?
ついさっき早朝5時頃、日課のランニングしてたら帰り道にうずくまっている女性がいた。発見先は渋谷の繁華街から徒歩10分くらいの場所だからおそらく酔いつぶれたんだろうなとは思ったけど、人通りの無い道だし、まだ寒くて雨が振り始めたから気になった。とりあえず大丈夫か聞きながら肩を揺すってみたが反応が無い。ランニング中でスマホをもっていなかったので、近くの交番に行くことに。行ってみるとパトロール中で誰もいない。一旦帰宅することに。救急車呼ぶかどうか迷ったら電話する番号があるのはなんとなく覚えていたので検索して電話してみたが、電話が込み合ってるって言われて通じない。結局初めて119番したんだけど、やっぱり119番しか無い?他にいい方法あるなら教えて。
119番って結構決断を迫られるんだな。「うずくまっている人がいて、多分酔いつぶれだとは思うんだけど、寒いし雨降ってるからちょっと気になってる。どうしたらいいか。」って聞いたら、救急車は必要かどうか逆に聞かれて。まあでも仕方ないか。アルコールの社会的コストは半端ないな。自分も好きだけど。
風呂を出て、替えのパンツがないことに気付いたときにはもう遅かった。何日もためた下着はすべて、洗濯機の中で回っていた。
パンツがない。それはおれの35年の人生で初めてのことだった。潔癖症のおれは家の外はおろか、家の中でもパンツなしにズボンを履くなど堪えられない。舌打ちをした。コンビニに行けば買えるだろうが、どうせ朝になれば生乾きくらいにはなっているだろう。たった数時間のために金を無駄にするなど主義に反する。
運の悪いことに風呂に入る直前、レンタルDVDの返却期限が今日だったことに気付いてしまった。歩いて10分のところにあるその店舗に行くのが、今日はたまらなく億劫だった。なにせノーパンで外をうろつかなければならないのだ。下手をすれば逮捕されてもおかしくない。
何の因果で、と苛立ちながらいつものジーンズを履く。股間が擦れる初めての感触は思いの外悪くないが、ドアを開けた途端、ただ布一枚減っただけの股間は猛烈な寒気に晒される。さっきした小便の残りがいままた数滴流れ出たような気がする。何の因果で、とおれはまた呟く。
少し歩けばすぐ人通りの多い繁華街だ。いつもおれはこの道を無表情に歩く。会社からの行き帰りも、休日に遊びに出るときも、この道を通らないことはない。ときどき、歩いているおれを人はどんな目で見るだろうと思う。おまえの無表情は怖いから、笑顔でいた方がいい。会社の上司にそう言われたことがある。そのときは余計なお世話だと思ったが、あれから何年も経っているのにいまだに童貞を捨てていないということは、上司が正しかったということなのだろう。おれの無表情は怖すぎる。誰からも好かれることはない。頬や口角を上げたりして、どうにか柔和な表情になろうと努めもするのだが、気が付くとまたいつもの硬直した顔になる。
ふと感じた股間のあまりの寒さに、もしやチャックを閉め忘れたのではと不安になる。信号待ちのときに下を向き、たしかめてみるとちゃんと閉まっていた。安心すると同時に、パンツがないと股間がずいぶん盛り上がるのだなあ、と驚く。おれは決して自慢できるようなものは持っていないが、ジーンズに浮き出る形はまさにそのもので、これほどはっきり出ていたら他の人もおれがノーパンということに気付くんじゃないかとまた心配になり、周りを見回す。だが誰もおれの股間を凝視する奴などいない。
信号が青になり、人々が歩き始める。おれはつい笑ってしまった。おれはこの繁華街を、ノーパンで歩いているのだ。なのに誰もそれに気付かない。「選ばれてあることの恍惚と不安」という言葉がふと頭をよぎった。誰に選ばれているのかわからないが、おれは幸福だった。いつもはこわばった無表情で歩いているこの道で、おれは隠しようのないほどの笑顔を浮かべていた。それは傍から見れば単なる精神異常者か、卑猥なことを思い出しているエロ中年でしかなかったかもしれない。だがおれにはそのとき、ただの無関係な他人である通りすがりの人すら愛おしく思えた。何年も過ごしてきたこの徒歩10分の世界と、初めて調和できたような気がした。十代の頃から、心からの幸福を味わうのは愛する人と結ばれたときだろうと思っていた。だが違った。おれに必要なのは女の前でパンツを脱ぐことではなく、大衆の前でパンツを脱ぐことだったのだ。
DVDを返し、帰宅した。もちろんベランダのパンツは濡れたままだった。
ノーパンなんて考えられない。三十分前までのおれはそう思っていた。だがいまはもう、明日が朝から晴れることを願う気持ちはなくなっていた。
もしあなたが街で、電車の中で、それともオフィスの中で、場違いな笑顔を浮かべている中年男を目にしても、どうか不審には思わないでほしい。
銀座では望遠レンズを持った中年男性が女性の写真を撮っている。
夏場の薄着になる時期はほぼ毎週土日にいた。
女性と歩いているときに撮られたことがあり、隣の女性もわかっていた。
「あれ?私撮られてるよね?」と。
どうしてもというなら所轄に連絡してくれと言われて通報したが、注意はしたみたいだが基本的に毎週いた。
写真を撮っている中年男性も適当な写真を警察官に見せてやりすごしていたようだ。
あとはかなり昔だが109などのショッピングモールの入り口に小型犬をたくさん連れているグラサンのおじさんがいた。
これはあくまで予想だが、首輪に小型カメラをつけて盗撮していたはず。
あのおじさんがそうだという確証はないが、そういった類の映像が売っていたからほぼ間違いないと思う。
これも昔の話だが、109前でモデルのスナップを募集していると話しかけて写真を撮り、出会い系の広告に載せている会社もあった。
世の中怖い。
名古屋にすんでるワシにいわせれば
わりと高級そうなあんこの味はする。
豆臭くもなく皮もこしとってあり、色が半透明の上品な藤色に見える。いわゆる晒し餡だろう。
なめらかで、表面に3本の、川辺によせるさざ波を模した模様がついている。
味はアマすぎない。後味もアマすぎて口のなかが酸っぱくなったりしない。
なかの餅は、味は米の餅っぽいのに冷めてもねちっとしてやわらかい。
しかしこの餅がどうやらやわらかいままで長くは保たないらしく、
あんこのほうが賞味期限が長いからとあんこをかきとってあたらしい餅に乗せて賞味期限延長していたようだ。
今は各店まで冷凍便で運んで販売直前に秘伝の解凍をしているらしい。
(堂々と凍ったまま売ればいいんだが解凍方法は秘伝なのか絶対凍ったまま販売やってくれない)
つまり販売されているのは解凍後であって長持ちしないから買ったら早めに食べれば大丈夫であろう。
東海エリアではたとえば名古屋駅なら知ってるだけで3箇所の売り場がある。
しかし東海エリアはもともと、あんことか和スイーツにうるさい人がおおい。
小倉トーストなんてメじゃない。あんなものはシロノワールとか参画チョコパイと一緒です。
赤福もよいが、藤田屋の大あんまきとか、すやの栗きんとんのほうが好きという人も居るだろうと思う。
六花亭のなんとかの雫とかいうボンボンもおいしいし、史上最高の美味しさというわけではない。
おお、きみあのあんこのよさをわかってるね、
というメッセージを目からビームで出しながら渡しますからよろしく。
やわらかすぎてへらの上でちょっとべちょっとなっててもそのまま皿にのせてくれればいいからね。
繁華街の裏手に流れているドブと川の間みたいな溝に沿った道を歩いている
見上げると8階建てくらいのホテルの上のほうが何やら騒がしい
喧嘩しているような声
見てると上から車をポイポイ落としている
何やってんだと興味を持ってホテル内へ
横になってネタフリするけど何も起きない
ちくしょー失敗かと思って、もっかいねたふり
そしたらホテルの人がこれどうぞっつって、ハイチュウみたいなのをこっそり渡してきた
そこでピンときた
ああこれが幻覚薬みたいなもので、あそこで騒いでたやつらはこれを飲んでたんだって
自分もそれを飲む
部屋の中で後ろ向きで全裸で踊っている子どもがいて、ケツのあたりが赤かった
トマトをぶつけろ、というメッセージだとわかったので、そこらへんに落ちていたトマトをそいつのケツの割れ目めがけて必死に投げてぶつけた
トマトはケツにぶつかってべちゃってなって汁が垂れていた
よく考えたら、入社時に雇用条件が明示されず、雇用契約書とかそういった類の書類を一切書かずに業務が始まった時点で変だった。
入社してから2日目、ロクな引き継ぎやレクチャーもなく、右も左も分からない状態で現場へ投入された。
配属された課には、M先輩(30代、♀)とU課長(50代、♂)しかいなかった。自分を含めて3人だけの小さなチームだった。
2人は「わからないことがあれば聞いて」と言っていたが、いざ質問すれば「自分で考えろ」と突き放された。
仕方ないので自分なりに考えて努力したが、結局は先方にも迷惑をかけるような事態になった。
しかし、その場に及んでもM先輩もU課長も「自分の不始末は自分で処理しろ」というスタンスだったので俺の初プロジェクトは大炎上した。
後から知ったのだが、この時の仕事相手はM先輩とトラブルを起こしていた相手だった。
ざっくりと説明すれば、面倒な客をいきなり新人に与え、炎上を口実に関係を切る作戦だったようだ。
なんと、俺は汚れ役の大役を与えられたのだ。
その後も雑用を含めた業務がドンドンと転がり込み、知らない間に自分が担当になっている案件も増えた。
気づけば入社1ヶ月も過ぎる頃には、終電帰りが当たり前となっていた。比較的、楽なタイミングでも朝7時に自宅を出て、帰宅は深夜1時。オフィスで徹夜するのも当たり前になった。
そんな僕を尻目に、もっと忙しいはずのM先輩とU課長が定時上がりをしていたのが不思議だったが、この疑問は後に解消されることになる。
ある日、U課長が言ってきた。
「最近、君は夜遅くまで会社にいるね。別に仕事はココでしなくてもいいんだよ」
『そうか、持ち帰りでみんな仕事をしていたのか!』と純朴な俺は考えた。
この日から俺は業務に必要なファイルをクラウドに保存し、自宅のパソコンや個人のスマホでも会社メールを受信できるようにした。
帰宅しても仕事がついてくる。終電を気にせずに仕事ができるようになった。
電車内でもメールのやり取りができるので、通勤中も仕事と向き合うようになった。
で、この頃に知ったのだが、残業代が固定制だった。
何時間働いても給料は変わらない。毎月25日に決まった額が機械的に銀行口座に振り込まれるだけ。
また、次第に課内の人間関係ができてくると、U課長の遊びにも誘われるようなった。やったこともない釣りだ。
釣り人の朝は早い。なぜか新人の俺がクルマを運転して週末は深夜3時にU課長の自宅まで迎えに行った。
俺は釣り竿すら持っていなかったので、上司に竿を借りる代わりにクルマを出す、という一方的に決められた謎の交換条件だった。
そして船に乗って釣りをし、上司を送り届けて帰宅。帰ったら仕事の続きを深夜までやって、翌朝はU課長よりも早く出社していた。
こんな週末が雨が降ろうと関係なく、ほぼ隔週で訪れるようなった。
昨年11月下旬のある夜、普段は使わない駅まで行けば、まだ動いている別路線で帰れそうだったので夜道を歩いていた。
すると、駅近くの繁華街で車道の反対側をU課長が女性と腕を組みながら向かってくるのが視界に入った。
U課長は結婚してるし、高校生と中学生の子供がいたはず… 社内不倫。
そうか、2人が同じようなタイミングで定時退社するのはデートのためだったのね。
お互い気付かずに素通りすればよかったものの、よりによって目が合ってしまった。
目線をそらし、慌てて腕を解く2人。
俺は何も見てないフリをして歩みを止めず逃げるように歩き続けた。
翌日、3人は何事もなかったかのように仕事をするが、課内では誰も言葉を発さなかった。
俺は急にこの会社がアホらしく思えてきて、試用期間が終わると同時に辞める決心をした。
それから数日後、辞めると伝えた。U課長は焦ったのか、体質の関係でまったく飲めない俺を飲みに連れ回した。
「いけないとは思いつつ、部下の女性を愛してしまった。数年間、2人だけで頑張ってきたんだ。そういう関係にもなる」
「Mがトラブルになった相手から助けたかった。新人の君には初っ端から辛い思いをさせてしまった」
「新人が入ればMと過ごせる時間が増えると勘違いした。その結果、君に過大な業務を任せることになってしまった」
「20年近くも一緒にいると、女房をオンナとして見れないんだよ。向こうも私をオトコとして見れくれない。だが、まだ私はオトコでいたい」
こうして、初プロジェクトを担当させられた経緯や、部下との不倫関係、家庭不和などを告白された。
最後に、
「君が辞めるのは構わない。辞めた後には君はうちの会社とは赤の他人になるが、私やMは残る。だから、この話は社内の誰にも口外しないで欲しい」
とハイボールを片手に訴えてきた。
「あぁ、そうですか。じゃ、辞めるのを手伝ってください」
と俺は返し、ウーロン茶を飲み干した。
でも、雇用契約書がなかったくせに、退職に関する書類だけは書かされた。
また、詳しい退職理由を社内でペラペラと話されると困るのか、U課長は書類作成を理由に俺を定時まで役員室に軟禁した。
今はニートをしながら「必ず支給する」と約束されたはずの6ヶ月分の定期券代が振り込まれるのを待っている。
本当は年末までに入る予定だったんだけどな。
年が明けてからメールしてもシカトされているので7割がた諦めている。
労基署とかに行く労力すらもったいない。手切れ金みたいなもんだ。
箱入り娘だった嫁。
増田と結婚してから、性に結構開放的になり、性の会話や物事を興味津々に何事も貪欲に吸収するようになった。
それは決して尻軽になったという意味でなく、知的好奇心を満たしているという感覚なんだろうとおもう。
とある時には、キャバクラに私も行きたいと言いだし、キャバクラに夫婦で行き、嬢と嫁と増田の三人で飯食ったり買い物行ったりするぐらい仲良しになったり。
とある熟パブにも夫婦で行って、人生相談してたり一人で行ってカラオケで豪遊したりと、結構自由奔放に夜のお仕事の人たちと遊んだりしていた。元々コミュニケーション能力は高いのは知っていたがアグレシッブである。
そんな中、とある繁華街を通過する際におっパブがあり、ネオン輝く煌びやかで怪しい建物に興味津々になった嫁。
あれって、エッチなお店ぽいけど何するとこなの?と聞くので、正直に話すと
マジか!おっパブ行きたいんだけど、増田も一緒に行こう!女も行って平気だよね?そのかわりムラムラしても、女の子は襲っちゃダメだよと言い出す。