はてなキーワード: 科学者とは
なぜ小保方は博士号を取得できたのか
博士号って単に後期課程修了って事だぞ?
偉大な業績を讃えられたわけでも何でもない。
社会人1年目ってのとかわらない
科学者1年目
おそらく、”国に博士を量産しなければならい” とだけしかいわれなかったから、”学位の品質を下げて量産した” 結果だろ。
言われたことを最も効率よくやるとこうなる。っていう指示出しがいかに難しいかという見本だったんじゃね?
これを言うと、今度はXXしながらXXしながらXXしながらXXしながら みたいな 到底達成できないようなオーダーが出そうだけどな。
そういう事じゃない。
それ以外については今後明らかになるね。
小保方氏が、(世間一般の考える定義でも法的な定義でもどっちでもいいけど)「悪意」のあるなしにかかわらず論文執筆でやらかしたことで、研究者コミュニティで生きていく道はすでに閉ざされてるんだから、これ以上糾弾したって仕方がないのに、小保方氏を執拗に叩くブコメを投じるバカがいる。
こういう奴はまったくこの件を理解していない。
悪意はないなんて弁明はまさに嘘くさいけど、未熟で何にも考えずにやらかしちゃった感じ、もしくは、あーこの人には何を行ってもムダっぽいな、というのが会見で伝わってきたのはわかるはずだ。
仮に悪意があっても証明しようが無いんだから、世間のオッサン、オバサンの同情がオマケについてきたって彼女の責任ではないのだ。
理研に一方的に捏造した極悪人のレッテル貼られたんだから、不服ぐらい申し立てても構わんだろ。犯罪者じゃないんだし。
いくらあざとく見えたとしても、ゴメンナサイしてるんだから、これ以上ブツブツお前が文句言ったってしかたないだろうが。
研究者サイドもな、小保方一人を悪者にしたって仕方ないことはわかってんの。
知りたいのは、ES細胞を若山先生に渡したのか、と、笹井氏がこの件を釈明するのかという点なんだよ。
インテリぶって科学者寄りの立ち位置にいると勘違いしてるのはお前だけだということに早く気づくべき。
■ 追記でブコメに返信
誠実だろうがなんだろうが、うだつの上がらないポスドクとしての身分に忸怩たるものがあるとすれば、それは自分の責任だ。小保方の所業に憤るのは勝手だが、それによって自分が幸せになるわけでもないのだし。
小保方さんの件。
一般へのアンケート等で擁護論が広がっていることに批判が出ているが、そもそもアンケート結果を批判する時点で何かおかしいことを認識すべき。
科学ムラの住人は「プロトコールが守られていないものは信用できない」「再現ができないものは意味がない」といったコメントを出している。
そのような四角四面の論理が、国民目線で理解を得られると本当に思っているのか?もしそう思っているとしたら余りにも人の心情を理解していない。
そもそも日本という国は永きにわたり人情の国である。批判ばかりの科学者の出す100のデータよりも、「STAP細胞はあります」という誠心誠意の言葉の方がよっぽど信頼できる。
それがなぜ科学ムラの面々には理解できないのかと思う。歌舞伎や文楽といった日本の伝統を一度でも学んだことがあるのだろうか。
国民感覚の乖離という点では、法曹ムラへの不信による裁判員制度の導入を思い出す。科学界にも、国民感覚の導入が必要な時期かもしれない。
医者:次の方、どうぞ。
医者:どんな症状なんだい?
患者:最近、ずっとある事ばかり考えて何も手につかないんです。
医者:ほう、ある事?
患者:はい、TVなどでも話題になってるあのOさんの事件についてです。
医者:なら何故Oさんの事件についてそんなに気になるのだい?
患者:はい。なんというか、衝撃だったんです。あの衝撃的なねつ造に加え、
髪をバッチリと巻き巻きにして、涙を流す為にあえてマスカラをつけないで登場した記者会見、
そして嘘の上にさらに嘘を重ねられる、自動車のタイヤよりもはるかに分厚い強靭な心臓。
どれをとっても僕には衝撃的過ぎたんです!
患者:ダメなんです。世の中の見てはいけない部分を見た気がして。
僕はこの先、人生をまともに生きられる自信がなくなったのです。
医者:それは少し考えすぎだよ。
患者:いえ先生、僕が言ってるのはそこだけじゃないんです。もっと本質的なところにも関わってくるんです。
例えば、あの彼女の会見によって、僕のまわりに彼女を擁護する人がたくさんいたんです。
たまたま同じクラスの女の子にその話をしたら、何て言ったと思います?
「みんなで彼女を責めて、いじめみたいだったね。S細胞があるのかわからないのに、何であんなに責められるんだろう」って!
僕は信じられませんでした!同じ知性を持つ人類として、信じられなかったんです。
嘘を見抜けない同じクラスの子もそうですし、嘘の上に嘘を塗り重ねる行為でも肯定されうる、この社会全体に!
医者:確かに我々医師から見ても、彼女は「科学的」じゃないと感じたよ。
でも、そのクラスの女の子の感想も、ある種の人道的な意見のひとつなんじゃないかな?
患者:いえ先生、お言葉ですがこれは違うんです。これは「浮気がばれた芸能人」の謝罪会見じゃないんです!
科学者の記者会見だったのに、「S細胞はとくにかくある」、「不勉強と不注意が原因」、「具体例は出さない」など、
ありえない会見だったんです!
そして、明らかに嘘をついている。成功回数200回ですよ、200回!
TVの中ではその嘘を誰も「嘘だね」とはっきりと言えない空気が流れている。それを言わせない空気が社会には流れているんです。
「100%の嘘だと証明できない事に対して嘘だと思うのは禁ずる」って社会が言ってるんです。
証明されない限り、それは嘘ではない悪魔の証明がそこには含まれているんです。
そして、嘘を常習的についている人間は、世の性善説を利用して「悪魔の証明が必要な嘘」をついて世を渡っていくんです!
これから社会に出なきゃならないのに、あんな人間を相手に仕事をするなんて、僕には到底できない。
まだ家に引きこもっていた方がましだと思うようになったんです!
医者:きみは少し嘘に対して潔癖なところがあるのかもしれないね。
こう考えてごらん?
もしかしたらOさんの頭の中では本当に200回の成功を見たのかもしれない。
細胞の数が200個だったのを、間違えて200回と言っただけかもしれない。
でも、違うんです。僕には「わかる」んです。
Oさんは間違いなく常習的に嘘をついており、それで世を渡ってきた。
性善説な世の中をいいことに、「証明の難しい嘘」をついて勝ち抜いてきた。
そもそも、あの受け答えを見ていると、僕みたいなFラン大学生でも常識でわかる「やってはいけない不正」を、不勉強で知らなかったわけがないんです!
知らずにねつ造をするわけないんですよ!上司の教育の問題とか、そもそもそういうチャチな次元の問題じゃないんです!
「科学のルールを知らなかった彼女の責任じゃない」などと、茶番な台詞を言ってる世の中に吐き気がするんですッ!
教育不足のせいで不正が起こった?いえ、違います!環境のせいではない、この女は生まれついての悪だッ!
医者:こら!何てことを言うんだ!決めつけはよくないよ。真実なんて、誰にもわからないからさ。
きみの思い込みのせいで、誰かを傷つけるかもしれない。
患者:わかります。先生から見たら僕も誰かを傷つける「悪」になるかもしれないんですよね。
ただ、この世の中は、あまりに生きにくいことがこの事件でわかったんです。
医者:きみが少し疲れているのかもしれないね。今3回生?なら就職活動中なのかい?
患者:はい、時期的にはそうです。ただこの事件で全然はかどっていないのですが。
医者:ふむ、無理をしない程度にやりなさい。おくすりを出しておくから、これを飲んでがんばりなさい。
患者:ありがとうございます。言いたいことを吐き出したら、少しスッキリしました。
医者:さぁ、これを飲むんだ。今すぐに!ほれ!
患者:あ・・・なんだか・・・カラダが・・・ほてってきちゃった・・・
とっても熱い・・・
あらヤダ、僕・・・いや、わたし・・・あたし、どうしたのかしら☆
医者:ほら、鏡を見てごらん
患者:!!! あたし、あたし・・・この顔・・・まさか・・・あたしは・・・
医者:そう、きみはS細胞を飲んで、今日からO氏32号となった!31号は記者会見で体力を使い果たした。これからは32号のきみが跡を継ぐのだ!
患者:あたしっ!あたしはあたしになったッ!こうしてはいられないわっ、早く「新しいノート」を作らなきゃっ☆
医者:見事だ、Oよ。4、5冊のノートが完成したら、これから徹底的にR研やマスコミたちと戦うぞ!
fin.
STAP細胞なんてもう話題にもしたくなかったのに、テレビを見ていた妻が質問するわけよ。
「STAP細胞ってなに?」
「再生医療に使える万能細胞っていうのがすごいというのはわかる?」
「わかる」
「聞いたことはある」
「ES細胞は受精卵を使わなくちゃいけないという点で人の生命とは、という倫理に関わるのでノーベル賞は取れなかったけれど、iPS細胞はそれがないからあっという間に山中教授がノーベル賞を取った、そのすごさはわかる?」
「わかる」
「で、iPSには遺伝子をいくつか導入しなければならず、それによる癌化の懸念などの問題があることと、作成の効率を上げる事などの問題をクリアすべくみな必死になっているわけです。熾烈な戦いだよ。ここまで良いかな?」
「はい」
「ところが簡単に、すごい確率で万能細胞が出来て、しかも遺伝子導入をしなくていいんだよ!って発表したら、インパクトあるよね?」
「すごいよね」
「ところがまず論文に使っている写真が偽物だと直ちに指摘した人がいた。しかも誰も追試が成功しない。どうも怪しい。少なくとも一番の売りである『簡単な』は崩れちゃったわけだなあ」
「もうすごくなくなっちゃったのか」
「それでも真摯に他の科学者がどこからその万能細胞が来たの?って考えたんだけど、少なくともリンパ球が万能細胞に戻ったわけではないよねっていうのはわかったわけ」
「うーん、わかんない」
「そうなんだよな、この辺からわかんないよな。でもこの方法ではストレスで若返ることはない、というのはわかったわけ」
「えーー」
「それでもその細胞からマウスが出来たんだから、万能細胞なんだよ。だからそれは脾臓にある万能細胞なのかなーって好意的に考える人もいたのさ」
「うーん、わかんない」
「そうだよな、わかんないよな。でもさあ、そのもとの細胞が違うマウスの細胞らしいって情報が出てきてからは、『やらかしたな』っていう状態になってきた」
「うーん、わかんない」
「オッケー、君が悪いんじゃない。テレビの人もコメンテーターも、君がうーんわかんない、って言ったぐらいのところからわかってないから」
「そうなんだ、でもなぜあなたがテレビに対しても怒ってるのかはなんとなくわかった」
「そう、でも一般の人はどうして僕らが怒ってるかわかんないでしょ。それに世の中には沢山いい加減な連中もいそうだなって落胆したし。少なくともテレビは見たくないっていうこと。ごめんね」
頭が悪くてはっきり言われないとわからないんだね。同情するよ。
STAP細胞が存在すると思ってる科学者なんて一人もいねーよ。
(追記)
社会人としてみな当然のようにやってることだぞ
さっさと仕事に戻って再度認められればいいだけだろが
どんなに謝ろうと涙見せようと言い繕おうと
「疑われたら負け」なんだよ、「疑いようのない現実」が出てこない限り
科学者が科学以外の手段で自分の立場を改善・維持しようとしている態度が
まったく気に食わん
「STAP細胞はあります!」とか言って泣いてんじゃねーよバカ
「これがSTAP細胞です!」って言って持って来いよ
今回の件はもうどうでもいいんだよ、次に本当に結果が出せるならな
その努力が無理ってんなら「全部うそでした」って言って田舎帰れ
もしオボがやるき出すなら、理研も再実験くらいのチャンスはくれてやれ
こんなんをリーダーにした責任があるんだからな、偉そうにしてねーで現在の己の立場を考えろ
むしろ本当に「STAPは論文の方法では無理」ということを証明させてから
規定に沿った償いでもなんでもさせりゃいい
なんで科学以外のところで闘おうとしてるんだこいつらは
アホか
注目の会見が予定されているが、個人的に注目している点が2点
STAP細胞で話題になった時は、ばっちり化粧してひらひらの服装、その上割烹着というわけだが、あれは完全に作り上げていたものだろう。
状況から見て、無難なのはスーツ姿だと思うが、果たして明日はどちらか。ひらひらの格好で来るならば完全にマスコミを手玉に取ろうとしてると思われるが、どうか。
状況から見て泣かずに済むとは思えないので、泣き方が「わざと」か「我慢しても泣いてしまう」のどちらかによるが、どうか。
ひらひらの格好で見え見えの涙流されるとなぁ... と思うが、一般的にはそれがウケるかも知れないがバッシングは強まるか。
一度裏切られたという思いがあるから次はそれほど擁護されないような気がする。
精神的に不安定で入院したのが本当であれば、会見などしない方が良いと思うのだが。
万全であっても耐えられない相当なプレッシャーがあるのではと思う。
会見で泣き崩れ... とか、科学者の態度じゃなくてワイドショーの素材でしかない。
STAP細胞は本当なら素晴らしいと思うが、論文不正に関しては悪意がなくて間違ったとしても程度が悪過ぎる。また、Nature論文だけでなく博士論文でも剽窃をしているとなれば、そもそも博士の資格がなく理研でのユニットリーダーという待遇も与えられるべきではなかったわけで、完全に研究者としては詰んでる。もう一度学位取得からやり直して素晴らしい研究をする可能性がゼロだとは言わないが、理研で研究を続けたいというのはいくらなんでも無理ではないか。学位論文の妥当性は学位を授与した大学が判断すべきだが、まああれも汚点だわな。
折からトルメキアの王都トラスから戦線の崩壊に業を煮やしたヴ王がシュワに向けて自ら出陣していた。彼もまた墓所を狙っていたのである。敗走した生き残りの兄皇子たちもまた、国境警備を命じられたものの、ヴ王の目を盗んでシュワに向かう。そして偶然ナウシカは兄皇子たちの斥候部隊と遭遇する。嬉々として彼らを撃滅する巨神兵を制止したナウシカは、彼を立派な人になるようにさとし、エフタル語で無垢を意味するオーマと名づける。
名を与えられた巨神兵は急速に知能を発達させ、自らを調停者と称する。ナウシカは巨神兵についての伝承に疑問を抱く。巨神兵とは単なる兵器ではなかったのではないだろうか?
一方難民終結地は一瞬即発の危機状態にあった。クシャナによる、ナウシカを追ってシュワに行く為の船を貸してほしい、との要請が火種になり皇帝と僧会という重石がとれ権力の真空状態にあった土鬼難民の間に、侵略者トルメキア軍への憎悪がクシャナを標的として再燃する。クシャナももはやかつてのような攻撃性は失ったものの、自体を平和的に打開する手を打つでもなく、「所詮血塗られた道か・・・」と呆然とすべての終わりを待っているだけであり、
チャルカもまた圧制者たる僧会への民衆の憎悪をなだめるのに手一杯で後手に回ってしまう。しかしユパがクシャナを殺到する兵の刃から身を持って庇ったその瞬間、マニの僧正の霊が彼の体を借りて再臨し、人々の憎悪は打ち消され、衝突は回避される。「そなたには王道こそふさわしい」と言い残しユパは死に、「友達になろう」と差し出されたチククの手をようやくクシャナはとる。
ナウシカとオーマは兄皇子たちの艦隊に合流するが、ナウシカの身体はオーマの発する「毒の光」によって衰弱しきっていた。テレパシーで伝わったユパとほぼ同時に、彼女の旅にずっと同伴してきたキツネリスのテトも死に、テトを埋葬する為ナウシカはオーマとともに艦隊を離れる。ナウシカを逃がすまいとする兄皇子たちはオーマの「裁定」により艦隊から引き離され、身一つでナウシカに伴わなければならなくなる。
テトを埋葬するために降りたオアシスでナウシカは奇妙な牧人に救われ、彼の庭園の館で治療を受ける。彼女の身体はみるみる回復し、とうに滅びたはずの動植物をヒドラの農夫が世話するこの館で、彼女はくつろぐと同時に記憶をなくしていく。しかし同じように記憶をなくし、かつての権力への妄執から解き放たれて別人のようになった兄皇子たちの奏でる、「火の七日間」以前の古典音楽の調べが呼び覚ました「青き清浄の地」のイメージとともに、彼女は忘却から醒め脱出をはかるが、牧人に制止される。
目覚めた彼女は牧人のテレパシーによる誘惑をもはや受け付けず、牧人に真実を語ることを求める。しかし牧人は、二百年ほど前にこの庭を訪れた「そなたに良く似た少年」のことを語る。彼はやがて人類を救いたいと書き置いて、ヒドラを連れて脱出し、初代神聖皇帝になった。「そなたのしようとしていることはもうなんども人間が繰り返してきたことなんだよ」。
くじけそうになるナウシカのもとにセルムがテレパシーで救援に駆けつける。しかし、牧人もまた一種のヒドラであることを指摘するセルムの前でも、彼(彼女)の奏然たる様は揺らぐことはなく、逆にセルムを問い詰める。「青き清浄の地」に今の人間は適応できずに死んでしまう。そのことを森の人は知っておきながら何故それを希望と偽るのか、と。
しかし、問答をきっかけにナウシカは一気に自体の真相に肉薄する。実は「腐海」の地球環境浄化機能は、自然にできたものではなく人為の所産である。そして腐海の周辺の汚染された環境に対する人間の耐性もまた、人為的な改良の所産である。つまり産業文明末期、「火の七日間」の前後に巨大な地球環境復元プロジェクトが組まれ、そのために「腐海」という人工の生態系が創造され、プロジェクトの期間中、「腐海」が副産物として生成する毒物に耐えて生延びていけるように人間も改造されたのだと。
そしてこの庭は復元された環境の中に開放されるべきものたち、農作物や家畜、文学や芸術を保存したタイムカプセルのようなものなのだと。
「この庭にあるもの以外に次の世に伝える価値のあるものを人間は造れなかったのだ・・・」つぶやく牧人にナウシカは「何故墓所には伝えるに値しない技が遺され死の影を吐き出しているのですか?」と問う。答えない牧人に「沈黙もまた答えです」と言い放ち、牧人ももはや彼女を止めようとせず、「そなたのためにこの庭はいつも開けておこう」と別れを告げる。そしてナウシカは館を脱出し、ガンシップで追ってきた風の谷の従者たち、蟲使いの若者たちと合流する。すでにオーマは、病んだ彼女を置いて一人シュワに出発していた。ナウシカたちはシュワに急行する。
シュワにはすでにヴ王の軍勢が到着し、制圧を完了していたが、墓所の門は閉ざされたままあらゆる攻撃を跳ね返し、逆に激しく反撃してくる。そこに到着したオーマは裁定を申し入れ、墓所に対して門を開くように通告し攻撃を加える。これにさしもの墓所も損壊するが、反撃でオーマは傷つき倒れ、シュワの市街ともどもヴ王の軍も全滅する。辛くも生き残ったヴ王とその忠実な道化の前に、門は其の新しい王を迎えるためついに開かれる。
ヴ王に遅れてナウシカも到着し、ともに墓所最深部、主の前に立つ。主はその表面に旧世界の知を記した古文字を浮かび上がらせた巨大な肉塊である。そこから人々(浄化計画を設計した旧世界の科学者達?)の幻影が立ち現れ、「腐海の尽きる日」「青き清浄の地」の復活を予告し、其の準備として用意された技術の貯蔵庫である墓所を守るように要請する。しかしナウシカはそれを拒絶し、「真実をかたれっ」と迫る。
幻影はかき消え主は新たに道化の口を通し、お前は人類を滅ぼそうとするのか、と責めるが、ナウシカは未来と引き換えに現在を犠牲するプロジェクトをあくまで拒絶、かろうじて生きていたオーマを呼び出し、主を攻撃させて破壊する。断末魔の主の反撃からナウシカを庇ったのはヴ王であった。オーマは母の名を呼びながら絶命し、その死を哀しむナウシカはオーマとともに解体する墓所の中に沈もうとするところをアスベルに救われて脱出する。
救出されたヴ王はクシャナに看取られ、彼女に王位とトルメキア再建の責務を託して死ぬ。クシャナは「わたしは王にはならぬ すでに新しい王を持っている だが帰ろう!! 王道を開くために」と、ユパとヴ王の遺志に従うことを決意する。
ナウシカは青き衣のものとして民衆の歓呼に迎えらる。彼女は自分の知りえた真実については黙して語らず、人々を欺き続けることに決める。ただ秘密をセルム、森の人とのみ分け合って。
後日談としてナウシカはその後土鬼の地にとどまり、チククの成人まで風の谷にもどらなかったこと、また一説には森の人の元に去ったとも伝えられていること、そして後に「トルメキア中興の祖」とたたえられたクシャナは生涯王位につかず代王にとどまり、以後トルメキアは「王を持たぬ国」になったこと、が記されてこの長い物語は終わる。
STAP細胞の問題が表に出てきた頃、ネット上でも私の周囲でもあのユニットリーダーが「自殺するのではないか」と心配する声が出ていた。私自身もそう思ったことは確かだ。
だが、よく考えるとこれはおかしい。例えばもしユニットリーダーが若い女でなく、例えば禿げた中年の冴えないおっさんだったら、果たしてそんな懸念を抱いただろうか。
おそらくそういう声は少なかっただろう。私自身、論文の是非や捏造の有無には関心を持っただろうが、著者が自殺するかどうかについてまで考えが行き届いたかどうかは怪しい。
そう考えるとやはり世の中は若い女には甘いのだと思う。自殺の心配をしてもらえるだけマシなのだ。
もしかしたら生物としての本能がそうさせているのかもしれない。若い女と中年の男を比べた場合、子孫を残すうえでの貢献度が高いのは前者だ。だから前者は守らなければならない。でも後者は別に大して重要ではない。いくらでも代わりはいる。私自身を含め、そんなことを無意識に考える人が多いのではなかろうか。
で、この問題について「科学者」と呼ばれている人物が以下のようなツイートをしていた。
実にあたまの悪いツイートであり、できれば学者とか研究者とか名乗るのは止めて欲しいと思ったくらいなんだが、一方で「生物であるヒト」の発する意見としてはもしかしたらこれがごく普通の感想なのかもしれない。
ユニットリーダーが件の研究分野で研究者として受け入れられることはもうないと思うが、世間一般で同情を集める余地はまだまだ残っているんだろう。
STAP細胞の不正論文の件とHSPプログラムコンテスト2013の窓の杜賞が盗作だった件は似ている
何故、不正な論文を提出してしまったのだろうか?何故、盗作をしてしまったのだろうか?このように倫理観というものが欠如している場合、特に科学者にはなって欲しくないし賞賛もされて欲しくない。
科学の分野では倫理観の欠如の様を広く広報してほしくない。不正な科学的知見を広めることはその知識を取り入れる人すべてに嘘をつくことなる。嘘も方便?いいや、そこでそのことわざが出る所が倫理観の欠如の元なのだ。文脈の破綻を自らで見つけられないのは何かしらの訓練が足りないのだ。
学校で習う主要5課目は高校、大学受験の金科玉条である。しかし、学校生活をする上で身につけていくある種の倫理観を養う体験、もしくは倫理観について自ら考えることを疎かにされていた場合このような事が起こるのではないだろうか?日本で必要なおおよその倫理観はすでに結論が出ている。結論を出すまでの過程は自ら見つけていかないと自らの倫理観というのは実感できない。しかも今この日本社会では個性や考え方の違いというような言い訳で「社会人」「人間として正しい姿」の像がブレているようでならない。むしろ、「正直者はバカを見る」というように倫理的な言動に準じている人を目に見える形で社会的に高く評価したりサポートしてこなかったツケをこれからも払わせられるのではないかと感じている。
とある地域の学校では成績さえ良ければ何をしてもよいというような風潮がある。「何をしてもよい」は生徒によって非倫理的行動(公共施設での迷惑行為、影での不良行為、他害行為、犯罪行為など)すらも受容されると解釈され実際に非倫理的行動を行い多くの人に迷惑をかけ、傷つけ、場合によっては取り返しの付かないこともしている。マスメディアに取り上げられる段階になってようやく教育者がアタフタして取り繕うのだ。滑稽でならない、そして教育者もなっていない。それによって被害を受けた際、往々にして当事者達は何かと理由をつけて問題をうやむやにし責任を取らないし実際に取れない。非倫理的行為は他者の貴重な時間を奪い、場合によっては被害者が苦痛を負うということを当事者は理解できてないというのを感じる。むしろ、理解していても「自らの利益の為には他害も厭わない」と見受けられることが多々ある。これこそが倫理観の欠如なのだ。
本来、こういった不正をわざわざ起こすのはやはり「賞賛」及び「賞賛に付随する多くの付加価値」が人を不正に駆り立てるのだ。私はこのような振る舞いを『倫理観の欠如した利己行為』として認知している。かならず学校、会社、友人、親類の中でこういった行動を日常的に繰り返す人達がいるのではないだろうか?私はいろんなことろで見てきている。第一印象が良くても、成績が良くても、会社での評価が高くても、社会での評判が良くても、こういった行為を行う人物は目に見える形でシグナルを発している。これらのシグナルは裁判で使われる証拠となるような確かなものとは言いがたい。人によっては妄想だとか不確かなものだとか思われるだろう。だが確実にその人が発している中にあるのだ。そういう人に注意しこれらの人に関わらないようにしていきたいし、願わくばそういう人は倫理観を身につけて欲しいと思っている。
『三つ子の魂百まで』という”ことわざ”があるが、私は今まで自らの意志と訓練でどうにか修正できると思っていた。しかし、私の人生経験の中そのような人は皆無だった。だから倫理観の無い人に倫理観を語っても身につけることは困難を極めるのではないだろうか?私はそう思う。
蛇足だが、この件で旧石器捏造事件((http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6))とサイコパス((http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%B3%AA))が浮かんだ。
そして、これらの「倫理観の欠如した利己行為」を行う者の助けになるような事を行うのはどうにもこうにも納得がいかないのである。虫唾が走るのである。だからその者からは離れたいのである。インターネット上の非倫理的で無慈悲な制裁もいけ好かないが、かといって該当する行為を許容する事も出来ない。なんともむず痒い思いがする。
最近たまたま見たアニメでそれらをテーマにしたものがあった。ハマトラの10話~12話にかけてである。敵役が言葉で色々と説明してくれているので作品としては興ざめだが、逆に問題点を凝縮して映像として見せてくれているのでとてもわかりやすい。今の時代に訴えるべき内容がある良い脚本だった。
「このサンプル数では疫学的に影響は見られない」という表現を見たときに、「もっと多くサンプルを取れば疫学的に影響が見られるんでしょう?どうせやってないんでしょう?」というのを感じ取った。些細なことだけど、これがものすごく嫌。動物実験のくだりもだけど、この人の発言からは科学者蔑視を感じる。
いや、100mSvの根拠が原爆被爆者調査だってのはこの手の話では前提でしょう。サンプル増やせないのは承知で生身の人間での調査の限界ってことで言ってると思う。
低線量被曝については原発労働者を対象としたもっと大規模な調査があって、100mSv以下でも有意差出たって論文はある。数十mSv単位だっけな。でもまだ定説にはなってない。
その先を疫学的に調べて閾値見つけるのは現時点では難しいってことは、飯田氏も計量経済学で専門的に統計やってる人だからわかってると思う。
中西氏の動物実験の話は、安全科学では閾値が想定できる毒性でも動物実験で毒性が出たら人間への影響は安全係数かけて(100倍とか)安全側に寄せて規制するから、安全科学の専門家としては当然の物言いだと思う。
僕は二人とも「放射線防護の基準としてLNTを採用する」って意味では支持してるとは思う。そして、今現在の公衆衛生上の問題として放射線防護の話をする際には、閾値仮説を持ち出すべきでない、と考えてると思う。
この意味では自分も支持するし、元記事のこの点について問題にするつもりは全くない。
科学者や放射線の専門家が「100ミリシーベルト以下では影響が見られない」と言うと、しきい値ありモデルを語っているように聞こえるのだけど、それはおそらく「疫学的には影響が見られない」と言っているんだ、という立場なんでしょう。でもそう考えるのなら、「このサンプル数では疫学的に影響は見られない」と言ってほしいんです。
「このサンプル数では疫学的に影響は見られない」という表現を見たときに、「もっと多くサンプルを取れば疫学的に影響が見られるんでしょう?どうせやってないんでしょう?」というのを感じ取った。些細なことだけど、これがものすごく嫌。動物実験のくだりもだけど、この人の発言からは科学者蔑視を感じる。
科学は「あるべき」論を欲しない。それが求めるのはただ「である」の集大成であって、科学が科学者に「あるべき」姿を望んだことなぞ金輪際ない。「あるべき」姿を求める行為は常に人と社会の関わりの間でのみ起こりうる現象であり、すなわちそれを求めるのは科学でなくて社会なのであるからして、まるで科学そのものの原理として、「あるべき」姿のごとき、ともすれば宗教のタブー・律法のようなものが存在するかのような議論は、極めて非科学的と断ずる他ない。
ノバルティス社の臨床試験データ偽装は何が問題だったのか。言うまでもなく、効果の不確かな薬品をそうでないと偽って売り出そうとした商業的な詐欺の片棒をかついだことであり、すなわち社会的行為としての罪であって、決して科学として「あるべき」姿を犯したからでも、タブーを破って神の怒りを買ったからでもない。科学はいついかなるときもその「あるべき」姿を自ら求めることはなく、従って「あるべき」ように見える科学のあり方に反したことそのものが罪になることなどあり得ない。
論文の剽窃もまた、何故か当たり前の様に科学そのもののルールに反した行為のように語られているが、実際のところそれの何が問題であるのかと言うと、単に労働市場の競争原理にもとる行為であるからに他ならない。誰が誰を剽窃し功績を偽ろうと、それは科学の「である」ことの積み重ねそのものには何の直接的な影響もないし、それを利用するものにとって、正しい知識が誰から得られたものであるのかを気にする意味はない。ただ、金銭や名誉という社会的なインセンティブが人間としての科学者に間接的な影響をもたらすのみである。
不思議な現象は、科学哲学の立場からこれらの「あるべき」論を押しつける風潮のあることである。しかし、科学哲学は科学がどう「である」かを論じるものであって、科学がどうで「あるべき」かを論じるものではない。哲学に出来るのは、それが「科学と呼べるのかどうか」を「哲学の外」(主に科学の現場)から持って来た観察を元にすりあわせることだけであって、「哲学の中」で決まった「あるべき」論を元に「これは科学」「これは科学でない」と勝手に現場の事象を振り分ける様になってしまっては、宗教原理をもとにありとあらゆる森羅万象を解釈する妄信と何ら変わらなくなってしまう。
科学論文の不正、捏造が批判されるべきでないなどとは言わない。言うはずがない。しかし、このように本当のところ何が問題であるのかは社会的行為として誰が誰に罪を負うのかを個別の事例として見なければはっきりとは言いがたいものであって、それが「科学」であるが故に「いかなる瑕疵も許されない」、「たった一つの不正が信頼を揺るがす」などとヒステリックに騒ぐのは、ナイーブと言うか原理主義的と言うか、非常に危うい日本人の知的状況を浮き彫りにするだけのものに見える。科学をもって「信頼を損ねる」などと、信じるか信じないかの問題にしようとしてしまう勢力を前にして、「科学も所詮現代の宗教」とシニカルに眺めていれば良い状況とは、自分にはとても思えない。
専門性の高い分野だから、「博士」だとか「nature」だとかを信用して、成果を信じてしまうのはある程度仕方がないだろう。
その分野にとっては多くの人間が素人だ。だからそう報道されれば額面どおり受け取るのが素人ってもんだ。別に悪い意味じゃなく。
だが問題なのは、STAP小保方の業績をダシにして、自分の思想信条や社会思想に敷衍させようとする言明があったことだ。これは明らかに時期尚早だった。
例えば若年層の研究職への就業の問題。女性の就業(それも科学者として)の問題。日本人が世界で活躍することについて。細かい点で言えば、STAP自身のいでたちやヘアメイクなどについて。
もともと議論されそうな話題なうえに、その本体の評価が180度変わってしまったことで大変ややこしいことになってしまった。
そして180度評価が変わったことで、その業績をダシにして評価していた思想信条や社会思想への個々人の意見のあり方も見えにくくややこしくなってしまった。
如上の動きはまさに時期尚早で、素人ならば言明をグッと控えるべきところだった。
いろんな人間が気軽につぶやいたり言明できる時代だからこそ、グッと控えるべきところだった。
いろんな人間が気軽につぶやいたり言明できる時代だからこそ(意見言いたくなっちゃうけど)、脊髄反射しないようにグッとこらえる部分もあった方が良い。
そして様々な分野に素人たる私たちは、知りたいと思うこと、興味を持ったことに対しただブクマしコメし悦に入るのでなく、腰を据えて学ぶ姿勢も持たなくてはならないだろう。
気軽につぶやいたり言明できる時代だからこそ、ある程度勉強して発言しなきゃならないし、勉強の成果として知識だけでなく行間も読めなきゃいけないし、リテラシーも持たなくてはならないし、自重すべき箇所も知らなくてはならない。
STAPの一件からそんなことを考えさせられる。
君の日本語がおかしいだけ、これまでの有限回の試行結果ならただの割合
試行回数が多ければ確率の代替として扱ってもまず問題は起きないってだけ
あくまでただの代替品だよ、確率そのものじゃない。実用的な数字なら「確率」と呼んでも文句はつきませんけれども。
probability how likely sth is to happen / a ratio showing the chances that a particular thing will happen
とまあこのとおり。数学の本でもどこの辞書でも百科事典でもなんでもいいけど、
何を調べても「起こる割合」「現れる割合」となっているはずで、「起こった割合」なんて書いてるものは基地外の著作以外どこにもないと思うよ。
確率っていうのはこれからのこと、あるいは過去から未来まで全てを見た上、あるいはそれを仮定した上での話
試行が多ければ割合がそれの実用的な代替品として使えるってだけなのに、割合を確率そのものと勘違いしちゃったお馬鹿さんがキミ
コインを2回投げて表裏が出たことを、誤差表示つけようが何%ですなんて書くのもただのバカだよ。
この誤差の部分がまともな数字になるぐらいの試行で初めて「確率」と称するんだよ。
統計的に判断する確率ってのは有限の時間しか持たない人間の実用のためのものゆえ、実用にならない値は確率としては扱いません。
でだ、本筋を書けば、そもそも5回やって1回だけ成功した、とかなら、そう書けよ、って話。
「有限回の試行における全体に対する比率」と「無限回試行したときに比率が近づいていく値」は全然別物
何回やったか知らないけど、沢山やったらたまたま出来たものがありました、なんてのは意味が無い、って話。
そこ、あんたは同意してるんだけどね、すでに、「割合」とか言う言葉出して上手く逃げて。
最初のあんたの主張とは変わるんだけどねw
僕はそれに科学的な意味があるなんて最初から一言もいってないんだけどねw君が勝手に勘違いして発狂しただけ。
「奇跡が起こったら捏造が再現されちゃうかもしれない(そして捏造科学者がまかり間違って地位を得ちゃうかもしれない)」というのは
君、何と戦ってるの?
捏造論文出した人が科学者として正しいなんてだーれも言ってないんですよ。
「実験系の論文で捏造とか追証実験あるから無駄だわ」に対して同意してるだけなんですよ、「もしかしたら奇跡があるかもしれないじゃないか」ってのは
奇跡が起こる可能性を示して反論してるんじゃなくて、非現実の象徴として奇跡を持ちだして同意してるの
「分かんないし、なんか再現できないけど、出来たってことにして発表するわwww」
ああ、お前、確率の何たるかも分かってないのか。ごめんごめん、もうそこまで馬鹿だと話にならんわ。
えーっと、だから何?
それ、だから、最初に出した人、捏造ね?科学者として100%失格。
良く分からんけど出来たっぽいから論文出しとけwwwってなにそれ?科学じぇねーよ、アホかお前。
そもそも、最初の論文では、その"特別"をやってないわけだから、後から成功した人が条件をきちんと示せば、その「特別」があったから、ということになる。
が、それは最初の論文との差異になり、きちんと議論しなくてはならない。
何度も何度も他の研究者も含め検証し、最終的に、どこかで、最初の論文は嘘だった、と切り捨てるところに至らないといけない。
これは本当に無駄だし、とてもむずかしい話。
どこかで最初の論文の人が認めればいいけど、認めない限り、ものすごい混乱が存在し続ける。
もし、最初の論文で、この様な環境で100回やって何故か1回だけ出来た。その後再現出来てない。ときちんと書いてあれば、それはそれで科学として意味がある。
その最初の論文の時に、あり得る「可能性」の範囲内での条件の変更なら、その条件がたまたま起こっていたのでは?という検証が出来る。
そういのが科学。
「分かんないし、なんか再現できないけど、出来たってことにして発表するわwww」っていうのは科学じゃない。馬鹿はひっこんどけ。
うーん、やっぱり馬鹿なのかな?
一回だけ行った事象からでもその事象の起こる確率を誤差をつけて出せますが?
勿論、一回しか行わなかったら0も1も同じ確率で意味は無い、と別の問題はあるけども。
でも、それがまさにその話。
って、それ、何が嬉しいの?
それ、再現できなかったらなんら科学じゃないじゃん。
仮に、本当に何か新しいものが出来てたとしても、再現できないのであれば、逆にその1回の時に何か特別な事をしたはず、と考えるんのが当たり前。
それを無視してずーっと同じことしてたらたまたま一回出来ましたー再現できないけど新発見です♪
なんて誰が認める???
本当に同じような事をやっても稀にしか起こらない、というものであれば、それこそなんとか再現させて、確率は低いがそのようなことが起こる可能性がある、ということをはっきりさせないといけない。
データなんてのは結局はただの数字だし、「たまたま」そのような形になることはいくらでもある。
それを再現も出来ずに科学だなんて、どこの馬鹿が言う?お前だけだね。
「全て」というには、「何が分かってないか」も含めてだ。
分かってない部分についてはその分誤差を入れる。当たり前だ、その誤差を正しく見積もることがそもそも科学者としての第一歩と言っても過言ではない。
それは既に書いてるが?この様な状況でやってみたら出来た、というのは貴重な情報。
それを共有して皆で検証して行き、理解する、というのは科学として正しい。
だがしかし、今回の様に、何も理解できてない上に、実は誰も再現できません、なんていうものは、発表まではしていいが、
そんなものが論文として通って、結果として残ったら、大問題だ。
「論文」になってる以上、ある程度確実性を見込めるし、他の研究者も試して追試し、それをさらに発展させようと本気で考える。
さらに、それが正しい、というのがある程度前提で動けるので、それなりに予算を割ける。
今回の物がホントに出来ないものかどうか知らないが、少なくとも、今のところ誰も成功してない。
その追試を行うのに一体いくらかかってるのか?人件費もふくめれすごい額。