はてなキーワード: 科学者とは
理研の石井先生の論文に疑義があると匿名のタレコミがあったという話ですが、
http://d.hatena.ne.jp/warbler/20140424/1398320093
このタレコミになんとかアイツの論文の穴をみつけてやろうという悪意を感じるわけです。
愉快犯がやっているのか、小保方フォロワーの仕業なのかは知りませんけれど。
自分は生命科学系の研究現場を10年くらいうろうろしていますが、今回見つかったような画像の切り貼りは古い論文を探せばいくらでも見つかります。
コントラストを操作してバンドの見栄えをよくすることだって、それがなぜ悪いのかが広く知られるようになる前は、オートラの焼き加減を調整するのと
同じような気楽さでやっている人たちがたくさんいたはずです。
(こういうことを書くと「研究の場でそんなことはありえない!自分の周りでは絶対ありえない!」と言いたがるひとたちがたくさん湧いてくることも
知っていますが、そういうのは安全な場所から正論を吐いて気持ちよくなりたいだけのひとたちだと自分は思います。もちろん今は画像データの取り扱いに
ついて慎重になるべきだということは誰もが知っていますが、かつてPCが急速に普及して学生でも誰でも簡単に画像加工が出来るようになったはじめの頃、
その当時は今とはまた状況が違っただろうという話です)
というわけで、論文コピペを日々熱心に探されている人たちはそれぞれ信念を持ってやっているのだとは思いますが、そのコピペが結果を欺こうとするコピペなのか、
そうではないのかをきちんと見極めてやってほしい。確かに画像を切り貼りすることはまったく良くないことなのですが、過去に遡ってこんな風にアラ探しをされて
重大なねつ造と無知ゆえの過ちを区別せずに、ねつ造疑惑だ!と声高にやられると、これは社会に対してほとんど悪影響しか与えないような気がするわけです。
実際、今回の件で、今後論文不正調査に科学者が極めて関与しにくい状況を作り出してしまっています。どう考えても良いことではありません。
そのことに対してどう責任をとるのか、と言っても仕方ないのかもしれないけれど、こんな悪意のあるタレコミを世に出す前に、もうちょっと内容について
吟味するなりこれが社会に与える影響について想像するなりできなかったものかと思います。特にこのサイエンスライターの人は、わざわざ博士の肩書を
ポジショントークじゃん。研究職がポジショントークするようになったらおしまい。
研究職には、ただひたすら、この世の真理が知りたいから研究する。利益なんかどうでもいい。(だれか金に興味が有る奴が勝手に考えろ)
というマッド・サイエンティストみたいなタイプか
どっちかでいいだろ。
将来何の役に立つか知らないけれど、役に立つはずだから研究しますって意味がわからん。
それならまだ、研究が大好き!ってほうが、よほど深く研究するだろうから、結果として役に立つだろ。
誰が言ったかが重要って話にするとな。有名になったら終わりで、精進しなくなるだろ。
昔は能力の有る科学者だったのかもしれないが、いまじゃすっかり政治家で研究所内の政治闘争に明け暮れている。
みたいな話は御免被りたい。
せっかく若い頃は能力があったのに、政治闘争に明け暮れるうちに、すっかりスキルセットは古くなっていて
結局、研究所が予算製で、研究で稼がない。そうなれば、研究やめて権力闘争するわなぁ。
外部の人間ですらデーターがおかしいって指摘できるのに、直属の上司がデーターの不正に気づかないくらい腕が錆びついてるんだろ。
相当な人間が、科学者から政治家に転職していて腕が鈍ってる。そんな国にしちゃいかん。
悪意のあるなし以前に、腕が鈍った人を多数出した事実をみなきゃいかん。
SFをもっと楽しむための科学ノンフィクションはこれだ! http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20140417/1397744529 を受けて10冊選んでみました。
「『現実とはなにか』という認識が変わっていく」ような本はありません。
ヨーロッパにおける完全言語を求める歴史を扱った『完全言語の探求』と多くのプログラミング言語設計者へのインタビューをまとめた『言語設計者たちが考えること』は、あまり読者が重なっていない気がしますが、円城塔をきっかけにして両方読んでみるのもいいのではないでしょうか。
「つぎの著者につづく」(『オブ・ザ・ベースボール』収録)の冒頭で語られるエピソードが『完全言語の探求』から引いたものであることは単行本収録時に追加された注で明示されていますし、「道化師の蝶」に出てくる無活用ラテン語についても『探求』で触れられています。
一方『言語設計者たちが考えること』については、読書メーターで「小説を書く人も読むと良い」(2010年12月10日)とコメントしていて、『本の雑誌』の連載でも取り上げています(2011年11月「言葉を作る人たち」)。また『本の雑誌』の連載では『言語設計者たち』以外にも時々プログラミング言語や言語処理についての本が取り上げられています。
最近連載のはじまった「プロローグ」(『文學界』掲載)も今のところ、より望ましい文字の扱いや処理についての話をしているので、いささか強引な解釈ですが『完全言語の探求』『言語設計者たちが考えること』と繋がっている小説です。
ロシア語作家として出発しアメリカ亡命後に英語作家に転身したナボコフは、自分自身の書いた文章を別の言語に翻訳する「自己翻訳」を相当数おこなっていますが、それを主題とした評論書です。
円城塔本人も語っていますが、「道化師の蝶」ではナボコフがモチーフとして使われています。友幸友幸が「希代の多言語作家」であることもナボコフへの参照のひとつでしょう(若島正は『乱視読者の新冒険』のなかでナボコフを「稀代の多言語作家」と形容しています)。その希代の多言語作家の「わたし」とそれを翻訳する「わたし」が重なるようで重ならない「道化師の蝶」の筋立てにも、同じ作品について作者と翻訳者の両方の役割を演じたナボコフの影が見出せます。また「道化師の蝶」の姉妹編といえる「松ノ枝の記」での、相互翻訳・相互創作する2人の作家という設定も「自己翻訳」の変奏と見ることができるでしょう。こうした創作と翻訳の交錯する2編を再読する上でも、この評論書が良い補助線になるのでは。
読書メーターのコメントは「素晴らしい」(2011年4月28日)。
最初期に書かれた『Self-Reference ENGINE』や「オブ・ザ・ベースボール」「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」(『虚構機関』収録)などに顕著ですが、円城塔の小説には、掌編の積み重ね(積み重ならず?)によって全体の物語が作られるという構造がよく現れます。これは辞典を順番に読んでいく感覚とちょっと似ているかもしれません。『数学入門辞典』を読んでいると、たとえあまり数学に詳しくなくても、円城塔の小説に対してしばしば言われる「よく分からないけど面白い」という感覚を味わえると思います。ただし、円城塔の小説に出てくる数学用語がこの辞書に出てくるなどと期待してはいけません。
「一家に一冊」だそうです。 https://twitter.com/rikoushonotana/status/402707462370758656/photo/1
円城塔の小説には数学者やそれに準ずる人が多く登場しますが、『史談』は数学者を語った本として真っ先に名前のあがる定番の名著です。著者は類体論を確立したことあるいは解析概論の著者として知られる高木貞治。かの谷山豊はこの本を読んで数学者を志したそうです。
数学部分については河田敬義『ガウスの楕円関数論 高木貞治先生著"近世数学史談"より』という講義録があるくらいには難しいので適当に飛ばしましょう。
『考える人』2009年夏号 特集「日本の科学者100人100冊」で円城塔が選んでいたのが高木貞治とこの本でした。
ムーンシャイン現象は、『超弦領域』収録の「ムーンシャイン」の題材で、他に「ガーベジコレクション」(『後藤さんのこと』収録)にも単語だけですがモンスター群とコンウェイが出てきます(コンウェイは「烏有此譚」の注にも言及あり)。作品内に数学的ホラ話といった雰囲気がしばしばあらわれる円城塔にとって「怪物的戯言(モンスタラス・ムーンシャイン)」はいかにもな題材かもしれません。
ムーンシャインを扱った一般向けの本というとたぶん最初に『シンメトリーとモンスター』が挙がるのですが翻訳が読みにくいし『シンメトリーの地図帳』にはあまり説明がなかった気がするので、この『群論』を挙げます。
数学の専門書ですが、第4章「有限単純群の分類/Monsterとmoonshine」は読み物風の書き方になっています。ただし詳しい説明なしでどんどん話が進んでいくところも多く、きちんと理解するのは無理です(無理でした)。
第4章を書いている原田耕一郎はモンスター群の誕生にも関わりが深い人で、多くの文章でモンスターとムーンシャインについて触れているので、雑誌などを探せば難度的にもっと易しい文章が見つかるかもしれません。
円城塔の小説には「オブ・ザ・ベースボール」のように確率についての言及もよく見られます。『数学セミナー』『数学のたのしみ』『科学』等で高橋陽一郎が書いた確率論についての諸入門解説記事、は探すのが面倒だと思われるので、もっと入手しやすいこの本を。
確率微分方程式で有名な伊藤清のエッセイ集です。「確率」より「数学者」の項に置くのがふさわしい本ですが確率の本として挙げます。
読書メーターのコメントは「素晴らしい」(2010年10月24日)。
やはり専門が力学系ということもあり、力学系関連もしばしば登場します。
本のタイトルを見て「力学系と力学は違う」と指摘されそうですが、副題は「カオスと安定性をめぐる人物史」。力学系の歴史に関する本です。実のところどんな内容だったか覚えていないのですが、「いわゆるこの方程式に関するそれらの性質について」(単行本未収録)で引用文献に挙がっているから大丈夫でしょう。
『Nova 1』収録の「Beaver Weaver」をはじめ、ロジック(数学基礎論)関連も円城塔の小説に頻出する素材です。
とりわけ計算可能性、ランダム性、busy beaver、コルモゴロフ複雑性……とあげてみると、まずはチャイティンの諸作が思い浮かびますが、あれはむやみに勧めていいタイプの本なのかちょっと疑問なので避けます。読書メーターでは、最近出た『ダーウィンを数学で証明する』に対して「 チャイティンのチャイティンによるチャイティンのためのいつものチャイティン」(2014年3月20日)とコメントしています。
これという本が思い浮かばなかったので、いくらかためらいながらもこの本を挙げました。『メタマジック・ゲーム』か、あるいはヒネリも何もなく『ゲーデル・エッシャー・バッハ』でよかったのかもしれません。ただ『ゲーデル・エッシャー・バッハ』だけを読んでもほぼまちがいなく不完全性定理は理解できないということはもっと周知されるべきじゃないかと思います。
円城塔はこの本について「すごかった。(但し、かなりハード。)」(2011年3月27日)とコメントし、『本の雑誌』でも取り上げています(2012年10月「ゲーデルさんごめんなさい」)。
初心者向きの本ではありませんが、不完全性定理について一席ぶつ前に読んでおくといいでしょう。
『天体力学のパイオニアたち』が上下巻なので、以上で10冊になります。
別にノンフィクションを読まなくてもフィクションを楽しむことはできますが、ノンフィクションを読むことによって得られるフィクションの楽しみというのもまた楽しいんじゃないでしょうか。
追記: 小谷元子編『数学者が読んでいる本ってどんな本』に寄稿している13人のうちのひとりが円城塔なので、そちらも参照してみるとよいと思います。リストに挙げられている約50冊の本のうち半分くらいがノンフィクションです。上に挙げた本とかぶっていたのは『数学入門辞典』『天体力学のパイオニアたち』『ゲーデルの定理 利用と誤用の不完全ガイド』でした。また、はてブのコメントで言及のあったイエイツ『記憶術』もリストに入ってました。
オレは5行で読む気が失せた。まあ、そもそも内容に興味ない人向けには書いてないってのもあるんだろーな。
読みやすくするならとりあえず、
・ネットスラングを当たり前のように使わない。必要な言葉まで削らない。
・文章に( )をなるべく使わない。日本語でも時制は意識する。
くらいのことはしろ、と思ったよ。
(例)
(原文)
僕の病名をピタリと当てたナースさんに、学生・浪人生の頃に研究所の手伝いをし、多分野の科学に精通した科学者さんの二人に次のような質問をぶつけた。「ネットで言う、かまってちゃんが【境界性パーソナリティ障害(通称ボーダー)】というれっきとした精神疾患だと聞いたけど、どうなの?」
↓
(改訂)
僕の病名をピタリと当てたことのあるナースさんと、学生・浪人生の頃から研究所の手伝いをして多分野の科学に精通しているという科学者さんの二人に、次のような質問をぶつけた。「ネットの世界でよく言う『かまってちゃん』は、いわゆるボーダーつまり【境界性パーソナリティ障害】であって、れっきとした精神疾患なんだ、という話を聞いたんだけど、本当にそうなの?」
突拍子もないことには 誰も文句を言ってない。
つまり、科学者は突拍子もないことはみんな褒めてるんだぜ?勘違いするなよ。
みんな結果を待ってるんだから。
それ以前に、すわノーベル賞か!?って話になったら小学校の頃のポエムが話題になるような国民性で
理学が発達するわけ無かろ。
STAP細胞が有るかな無いか、という0か1かの科学者としてはどうでもいいことに国民の興味が集中している。
STAP細胞がありえないなんて、どうでもいいことをわざわざ証明したい科学者はいない。
あってもなくても、どっちでもいいんだよ。
問題は、STAP細胞の生成メカニズムを解明できるのかどうかで、解明できないならあっても意味が無い。
どうやったらSTAP細胞を作れるのか?には興味があっても。 STAP細胞なんて存在しないんだ!(またはするんだ!)みたいな話には興味が無いだろ。
まあ、自爆テロに巻き込まれないように、と言うのは不可能だけど。
今回の件に関しては、笹井さんはもっと活躍出来る可能性が大きくあるので、
ここらで野依さんが全責任取って辞める、的なパフォーマンスで世間を納得させるのが一番良いと思うんだけどね。
科学者の中ではこの内容きちんと吟味すればそりゃ騙されても仕方ないだろ、と言う話になるし、笹井さんの信用が一気に落ちる、ということもそれ程なかろうし。
科学コミュニティーとしてきちんと責任取って改善していかなくてはいけない、という点では、
博士号、ってのは1つの資格な訳で、雇う側は少なくとも「早稲田の博士号」というものは全面的に信頼しているので。
それを発行した責任は取らなきゃいけないし、実際、論文自体も博士号に値しないものが見つかってるわけだし。
その辺、一番改革を進めなきゃいけないところだけど、他の大学ではそういう授業を取り入れる、とか色々変化があって少しは今回の件も意味あったかな、と言う感もあるが、
データも見てるし、その内容自体には疑いようが無い、と思ってやってたのは事実だろ?
でも、そんなの、実際に一緒に研究を進めて来て信頼した、とは全く別のもの。
実際、今回の捏造も全く見つけられなかったわけだし、一緒に議論とかはしてないのは明白。
それを「信頼」するというのは、自分の所の助教とかを信頼する、ってのとはまた別の次元の話。
他の教授とかで実績ある人を信頼する、とかそう言う話。
今回も彼女自身というよりは、バカンティとか若山さんとかを見て信頼してた感じでしょ。
そうなんだけど、今回はその辺の吟味をしっかりしてないのが明らかになったわけでしょ?
Nature側の査読者も騙されたように、出てきたデータだけ見たら今回の捏造は見つけるのは不可能なわけで。
ただ、実際に実験を行ってたら画像なんてあの1つではなくて山ほどあるわけで(200回成功したとか馬鹿みたいなことを言ってるのが事実だとしたら。。。)
それらを全部とは言わなくても週一ミーティングみたいので議論してれば流石に全く別のところから持ってきた画像を論文で使う、
なんてことを見抜けないわけが無いわけで。
だから、今回、笹井さんと小保方さんの関係は、少なくとも同一ラボの共同実験者、と言う形ではなくて、
小保方さんは小保方さんのラボ持ちで、そこで実験や議論等は全て行い完結、笹井さんは別のラボの共同実験者として出てきたデータだけを見せられて
そこで吟味をするだけ、と言う状況。
それでOKを出すには、「信頼」関係がない限り不可能。中で捏造されたらわからないんだから。
で、そこを信頼するのに、あんなのをいきなり信頼するなんてことは無いわけで、実際笹井さんも会見で若山さんとかの名前を出してたわけで。
一部に信頼しているデータがあると会見で言っていたぞ。
科学者としての教育を受けてないから人だからって、持ってくるデータを信頼するかどうかは別。
逆にどんな一流研究者のデータでも批判的に吟味するのが科学者。偽造じゃなくてもアーティファクト、ノンスペは日常的にでる。
シンプルだけど本質的で良い質問です。まず双極性障害には1型と2型があります。簡単に言うと激しいのが1型、そうでないのが2型。
1型は怒りっぽくなるので対人トラブルを抱えやすいです。これは悪いことですね。また「過剰に」ポジティブになり、自分に「過剰な」自信をもちます。これは良い事のように聞こえますがそうではないです。
僕が知っているヒトだと、絶対勝てる!といって1000万借金して競馬に突っ込んだ、とか。俺なら当選する!といって突然選挙に立候補しようとして家族を困らせた、とか。いろいろ。ヒヨコ300匹買ってきたとか訳分からんのもあったなあ。
2型は1型ほど激しくはないですが色々困る事はあります。怒りっぽくなるのもそうだし、観念奔逸といって色んなアイデアが頭を駆け巡って訳分からん状態、とかなります。集中困難にもなります。
悪い事ばかりかというとそうでもなくて、ググると分かりますが躁病の天才というのは沢山います。躁状態の時に科学的研究や芸術的創作をすると良い結果がでる事があるようです。双極性障害のヒトの方が芸術家や科学者になる確率も一般人より高いという報告があります。また双極性障害の患者郡はIQが健常人より高いという報告があります。唯一の「頭の良くなる」病気なのです。
躁状態は良い事もありますが、最大の問題は「躁がきたら次に必ず鬱がくる」ということでしょうか。あと躁状態と鬱状態が一人の人間に同居するのでアイデンティティの確率が難しいというのもあります。今日と明日でくるくる人格の変わる友人とは付き合いにくいでしょう?
実際に科学者の中で決まることなので、言ってることがおかしければおかしい、で終わるよ。
実際問題、どういう経緯でどうして彼があの立場になったか、と言うのはよくわかったじゃない。
まあ、予想通りというか、そうか、と。
単にあんなどうしようもない人をユニットリーダーとかにしてしまって、
しかも論文を見たら素人バリ。こんなんじゃNature通るわけ無いだろ糞が、
ということで仕方なく書き直し。
相手は1000万もらってるユニットリーダーだというのに。
まあ、そこまではわかる、というか大体想像通り。
それ以外の部分でも、結局、名前は載せたけど、論文の書き直しについて主に加担して、
実験に関してはほとんどまともに議論してないことはよくわかったわけで。
まあ、「ユニットリーダー」なんだから、それ以上上の人間と細かく議論する必要は本来ないし、
そのユニット内できっちりやるものだけど、そのトップが捏造女じゃどうしようもないわな。
ただ、それを選んだのは理研で、その選考に少なくとも関わってるわけで、
彼の、自分は悪くない、と逃げようとする必死な姿には皆がっかりしたでしょう。
科学者側では誰も、浮気がバレた夫見たくうまく言い逃れたな、なんて思ってないし
きちんと責任だけ認めておけば良かったのに、と思ってるよ。
馬鹿なお前らは、小保方女の涙は可愛いから許す、で、浮気夫の言い訳みたいな笹井は許さん、とか
言い出してるんだろうけどね。
「捏造」と言う言葉が、悪意を持って人を騙してやろう、とかそういうことなんだ、と言う事に論点を持ってってる
まあ、悪意はあってずさんな捏造なのは現場知ってる人なら直ぐに分かることだけど、
これを彼女は既に認めていて、彼女のいいわけではそれが悪いこととは知らなかった、と言う。
ただこれは、人殺した後に人を殺してはいけないとは知らなかった、と同じレベル。
法律論的にも、そこに気持ち的な「悪意」があろうがなかろうが、意図した結果の行動であり、
それにより人が被害を被れば、それは「悪意」と見なす。
会見では馬鹿な弁護士が世論を味方に付けるためにこの「悪意」について詭弁を振るってたが余りにバカらしい。
この一点において、彼女は何も言い訳できずに解雇されるに十分な理由がある。
もう一方の画像の取り違えについては、マトモな研究者なら誰もがアホか、と思うような言い訳をしてるけど、
ま、論文に投稿するにあたって、「パワーポインタに載ってる絵を取ってきて使う」なんてことは万が一にもないわけだが、
それを多分あの馬鹿な弁護士は論文ってものを何も知らないからそんなバカな言い訳を彼女と一緒に考えだしたんだろう。あれはさすがに笑ったけど。
いずれにしろ、あのようなずさんなミスをする時点で博士号の資格を剥奪するに十分な理由にもなるので、
「意図的」でないとしたら、科学者としてやりたいなら大学レベルからもう一回きちんと勉強しなおしてこなくちゃ行けないレベル。
いやらしい言い方だよホント。
芸能人や職人や手品師とは違って、清廉潔白な者だけが科学者を名乗れます、
とでも言いたいのだろうか。
博士号を授与されて科学者として理研に雇用されてた以上、彼女は科学者でしょう。
科学者街道ど真ん中のキャリアパスを歩んできた科学者じゃんか。
嘘と捏造にまみれ、実力を伴わない分相応な地位を得た科学者であって、
それ以上でもそれ以下でもない。
科学者コミュニティは当事者としてしっかり小保方&理研問題を受け止めないと。
何他人事みたいな顔してるんだよ。
「原子力村」って言ってる時はやらかしてるのは政治家達なわけで。
おかしなことがあればすぐに科学者側から文句が出るくらいなわけで。
科学者自身が不正をしたらもう誰も何も信じられなくなるわけで。
民意の中から擁護論が出ていることについて、科学界の人間がやっきになって否定的な言論を繰り返している。
何様なのかなと思う。
研究費にも科学者の育成にも国民から徴収された膨大な税金が投入されている。
http://d.hatena.ne.jp/kagura-may/20140412/p1?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
親父ころがしが上手い女だ。世論は同情的で、会見は成功だろう。
自分は、アレを見て騙される人のレベルを疑うが、完全にあれは同情を誘うための演出がなされていたと理解している。
「前途ある優秀な研究者の未来を潰すな」という意見があるが、研究者として見た時には一番やってはいけない捏造や不正をやっているので、研究者としては学生からやり直さない限り未来はない。そして、博士論文での剽窃を見ると、優秀な研究者であるとはとても思えないのだ。