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はてなキーワード: 振袖とは

2024-01-08

成人式を楽しめるのって恵まれ環境の奴だけだよな

・すでに家を出て一人暮らしのため地元住民票がない

・女で振袖を準備できる財力がない

実家住みでも転勤族のため地元で影が薄い

・長年地元に住んでても同級生に会いたくない

新成人成人式に行かない選択をできない事情がある(親に強要される)

など

どれかひとつでも当てはまるとアウトじゃない?

自分の時は女で知らん土地成人式スーツで行く事になり

ほんとうに嫌な想いをした

新成人今日バイトやらで成人式行かない奴

その選択は間違っていない

下手に行くとこの季節になるごとに嫌な思い出が蘇る

(今は18で成人式やるとこも多いだろうから

嫌な思いする人も減ったかもしれないけど)

スーパースターを唄って。

とんでもなくくらったので衝動的に2巻買った

明日、もう今日成人式なのにまだ話したいこと吐き出さないといけないことがありすぎてブルーライトあびながら文字ぽちぽち

あと2時間後には起きて振袖きてありがたいことに中高の友達写真を撮る最高だねーとか言って

雪人やメイジ境遇にはどうしたって共感はできない

けど、この世界を嫌いになりたくなくて音楽聴いて、この世界に言いたいことありすぎて文字を連ねる気持ちには、痛いくら共感してしま

そんなあっさい共感はいらないだろうか

でも私はもーう確実にくらってしまってこんな時間まで繰り返し読んでる

普段ロックしか聴かないのにnujabes聴いちゃったりして

話変わるけど、陰謀論等信じてる人間はどんな音楽聴くのだろうか

銀杏リスナーで反ワク派やったらちょっと笑えるよなあ

いいんだもうそんなこと

私はしがない学生だが、スーパースターを唄って。に共感できる感覚を持ってるから

くらっちゃった人いたらさ、好きな音楽でも書いてってほしいな

2023-03-29

anond:20230328164307

とりわけ今回はルーツに関する髪型なんだし、まさかこれが否定されるとは思いもしなかった。校則は勿論、はてブコメントでも。

成人式でチョンマゲかよみたいなことを言ってたが、逆に日本人がチョンマゲして何が悪いんだよ(俺はしないが)

女性振袖否定するか?しないだろ?

マジで今回意味不明だった

2023-03-17

大学卒業式なんだな

袴姿の女性が多い

でも袴よりやっぱり振袖の方がキレイだな

2023-01-18

[] そのごひゃくよんじゅうろく

ロドリゲーッス

 

本日日本において初観音都バスの日、118番の日、振袖火事の日となっております

118番は海洋での事件の時に掛ける番号なのだそうで、いわゆる『海の110番』なのだそうです。

それから振袖火事の日とは明暦の大火が由来になっており、なんでも振袖を供養する為に火をつけたらそれが風に乗って江戸木造建築に火が付いて信じられないぐらいボウボウ燃えたという説があるそうです。

なんか自分説明が日に日に適当になっているようで申し訳ないですが、詳細は各々で調べて判断しましょう。良ければ。

流石に幕府自分達で火を付けた説まであるのは触りきれないです。

 

ということで本日は【危険物取り扱い注意よいか】でいきたいと思います

危険物取り扱い注意よいか危険物取り扱い注意ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-01-09

振袖の袖って

なんで振らなきゃいけないの?

振るためについてるの?

ついてたから振るの?

どっちなんだ?

2023-01-08

二浪成人の日で負けを知る。

二浪している。

親族医者がいること、プライドけが高い最悪な性格のせいで、大した頭も努力の才能もないのにズルズルと医学部浪人している。

今日地元成人式があった。中高の同窓会最近行われている。

なんとか自分に、「私は他の人と違って粘り強く夢を追いかけているんだ、髪を派手に染めて一升瓶抱えて会場にいるやつとは違うんだ」と言い聞かせていたが、なんだか空虚だ。二浪ならそんな思いも抱えぬままに勉強するべきだし、なんならこんなダイアリーを書いていること自体間違っている。

昼頃、朝から荒れていた私を見かねて母親が昼ご飯外食しよう、と誘ってくれた。が、行こうとしている店は、成人式の会場前の道を通るしか行き方がない。

耐えようと思った。ここで耐えられなければ二浪が廃る、ほどでは無いが、私は母に向かって調子よく、今から土砂降りになってみんなの晴れ着がドロドロになればいいんだ、などと悪態をついていた。

車に乗り込む。走り出してすぐの角を曲がった。

幼なじみのAがいた。華やかな振袖は可愛らしい彼女雰囲気とよく合っている。祖父母に囲まれて家の前で写真を撮られていた。

Aの母親こちらに気づく。満面の笑みで、私と私の母親に手を振った。

負けていた。

Aは近所の友達である。と言ってもしばらくは会っていない。中学受験をして中高一貫へ進学したAは、私がその高校編入するまで連絡も取っていなかった。

高校編入したとき、Aはほぼ不登校になっていた。

中高一貫あるある(?)だそうなのだが、目標を失って燃え尽きてしまう子がたまにいるらしい。小さい頃から公文やら英検やら言われて育っていた彼女なので少し納得する。

その時、私は実のところ優越感を抱いていた。あまり勉強にとやかく言われることなく育ち、その地域なら一番くらいの中高一貫編入できたので、教育ママとして有名だったAの母親に一矢報いてやった気持ちだった。何度か私の母親がAの母親から嫌味を言われていたこともあり、さらに誇らしかった。

高校に入った私は、如何にその誇りが井の中の蛙だったことを知ることになる。初めて赤点を取り、どこが分からいかからなくなる状況を知った。授業は何を言っているのか分からない、個別指導の塾に行っても何を聞けばいいのか分からないし、まずどこから勉強すればいいのかも分からない。あれよあれよと時は過ぎ、進級ギリギリを掠めながら卒業し、なんとか現役で出願できた国立薬学部は落ちた。

Aはと言うとどこかの専門学校に受かったが、また精神的に不安定になり引きこもっている、というのを又聞きで聞いていた。

そのAが、私よりも誇らしげな顔で、笑顔で晴れ着を着ていた。時間的に今から会場へ向かうのだろう。

私が全て悪い。それぐらい分かっている。ただ、最後に持っていた、持っていたかったプライドをぶっ壊されて今でも戸惑っている。私が保ちたかったものとはなんなのだろう。去年医学部に落ちた時もこれほどまでに『負けた』とは思わなかったのに。

結局自分が悪くて惨めなのだ、という事実直視出来なくて辛いのだろうか。だとしたら、私はなんて弱くて愚かなのだろう。

Aの前を通ったあと成人式会場の前を通ると、某リベンジャーズみたいな髪型と服の新成人が拳を突き上げ笑っていた。中学高校の同期たちも少し見えた。

惨めだ。

2022-11-13

小中の同級生にインスタのフォローを外されていた話

先に断っておくと、彼女とは親しくはない。中学卒業して以来、きちんと会話をしたことはない。フォローを外されていたのを確認して私も彼女フォローをすぐに外した。その程度の関係性だ。



彼女と私は同じ日に生まれた。私たちは同じ町内に実家があった。にもかかわらず全く違う人生を歩んでいることが面白かった。もしかすると見下している気持ちもあったのかもしれない。だからフォロー許可したし、こちらもフォローしていた。


彼女は生まれからずっとこの土地にいた。小学校には保育園からの幼馴染がたくさんいた。父親仕事は詳しく知らないが、母親歯科で働いていると聞いたことがある。近所では有名なヤンキー両親だった。彼女の親は自分の親の家の敷地内に家を建てており(彼女は積○ハウスで家を建てたと自慢していた)、祖父母、おじおば、いとこたちに囲まれ生活していた。

一方の私は転勤族小学校に上がると同時にこの土地引っ越してきた。幼馴染などはおらず、親戚も県内はいなかった。父はブルーカラーホワイトカラーの間のような仕事をしていて(一応大企業の子会社で働いていた)、母は専業主婦だった。


私は小学校あいだ、標準語であったこと、母親が働いていなかったことを理由いじめられた。喋り方が気持ち悪いと言われた。祖父母百貨店で買ってもらったランドセル足跡をつけられ、水をかけられた。ピンポンダッシュをされた。遊ぶときはいつもみんなに置いて行かれた。

同じ誕生日彼女の方がこの土地ではスタンダードだった。彼女の周りには人がたくさんいて、私はひとりだった。近所に住んでいたため、下校のときは本当に惨めだった。みんなで楽しそうに学童に向かう中、私はひとりで家に帰っていた。


中学校に入ってから転機が訪れた。私は定期考査で学年1位を取りまくった。部活動でも表彰された。学級委員生徒会も推薦された。先生からも生徒からも期待され、信頼されていたのを実感できた。常に私は同級生に、私の親は同級生の親に羨ましがられた。認められた、シンプルいじめられなくなった。

一方彼女は成績が芳しくなく、態度も良くなかったため、常に先生たちから怒られていた記憶がある。部活動にも入っていなかったため、小学生のころほど大きなグループ形成できていなかった。

最終的に私は地元で最も偏差値が高かった私立高校に成績優秀者の奨学金で進学した(公立はみんなが行くから嫌だった)。彼女偏差値が30くらいの私立高校に専願で行った。


高校時代の話は割愛しよう。私はうつ病を拗らせたが無事に卒業して、地元大学に進学した。彼女がこの間どうしていたのかは知らない。


大学に入って少しした頃、彼女からインスタグラムフォローされた。

彼女は当時キャバ嬢をしていて、ヤンキーたちとつるんでいる生活毎日投稿されていた。金髪だった。しばらくすると彼氏と付き合い始め、1ヶ月記念、2ヶ月記念、3ヶ月記念……と刻み始めた。

私もちょうど同じ頃、初めて彼氏ができたが、記念日など投稿しなかった(この彼氏とは3年目で別れた)。彼女は何ヶ月記念かに入籍して、数ヶ月後に出産した(子供妊娠週数?も細かく刻んで投稿していた)。

ちなみに成人式ときにはボテ腹振袖を着ていて、やはり妊婦であることを自慢げに投稿していた。私は成人式には行かなかった。

出産後も子供月齢ごとに投稿していた(ストーリー毎日)。この頃から飽きてきて特に注視していなかった。


フォローを外されたことに気がつく数ヶ月前、私は就活で使い終わったリクルートスーツを近所のクリーニング店に出しに行った。そこにいたのだ、彼女が。店員として働いていた。着いてきていた私の母が先に気がついた。

「あら○○ちゃん?」

私は言われるまで気がつかなかった。ふくよかになっていておばさんかと思ったのだ。

かたやパートで働く主婦、かたや結婚どころか彼氏もいない、就活ストレスガリガリに痩せた学生ニート

てっきり結婚して違う地域に住んでいるかと思ったが、親子三世代ここに住み続けていることにも驚いた。

私は地元ではそこそこの企業総合職として内定をもらったので、バリバリ働くつもりではいる。結婚は……できる気がしないので、子供部屋おばさんまっしぐらである

同じ誕生日、同じ地域に住み、同じ空気感の中生きてきた人間人生がここまで違うのか。

私は彼女と目を合わせた。お互い話すことはなかった。私は母に物を託して先に家に帰った。


それから数ヶ月後、インスタグラムフォローを外されていたことに気がついた。いつから外されていたのかは分からない。クリーニング屋の一件の前かもしれない。私はそのまま彼女フォローを外した。たぶんもう互いの人生が交わることはない。

2022-11-12

anond:20221112072819

そうでもない。(袖とかけたジョークみたいになった)

半袖、振袖などの決まった名詞以外で袖を意識したことがなく、

たまにあっても「顔を洗って袖が濡れた」という、袖=裾が意識づくような使い方しかしたことがないせいだと思う。

2022-10-11

anond:20221011062819

年金個人情報流出」 ←20年くらい前の話だよねこれ。

そんで原因は派遣だよりの人海戦術だったからだよね(しか人海戦術の中で中国人やとってたせいで田中さんタナカとデンチュウの二通り登録したという例があった)。

から変数を決めて人より正確なコンピューターにあつかわせてよってことだよね。

ミスがあったかカイゼンしようとしたら「ミスがまた起こるからカイゼンしないでくれ」って増田で主張してるの、バカなの。アホなの。

だって住民票だの登記簿だのでセキュリティぼろぼろだから勝手成人式振袖だの持ち家売れだのDM送って来るだろが。アホくさ。

2022-08-17

anond:20220817144135

着物とよばれる和装のなかの1つに振袖があります

一応振袖は未婚の人が着るものと言われています

詰襟(つめえり)とは洋服形態のうち、首元までボタンホックあるいはその他の方法で閉めて着用するタイプの襟をいいます

学生服詰襟であることが多いですが、海上自衛隊の夏服も詰襟です。

着物振袖って別物?

学生服詰襟って別物?

スーツ背広って別物?

2022-06-28

anond:20220628004654

成人式振袖別に着たくなかったけど親の希望で着たの思い出した

それは親の金だったからいいけど、結婚式に興味ないのにメインでお金払わされるタイプの男はそりゃあ嫌だろなと思うわ しかもそういうカップルって結婚後もそんな感じの関係が続くだろうから自分だったら絶対やってられない

2022-06-01

架空人妻日記

架空OL日記ってあるじゃないですか、バカリズムさんの。銀行勤めのOLの日常を赤裸々に綴ったすべて嘘の日記っていうわりとヤバめの発想の。

映画を見たんだよね、主演、バカリズムさんだった。やばいよね発想が。企画立案からプラン実行まで隅から隅まですべてやばいんだけどこれが面白いんだな。いるいる!てなる。OLの日常知らんけど。

いーなーわたしも、そういうの、そういうのやりたい!て思って。やっぱ人生現実一本だと正直キツいんだわ。まじで。長すぎない?人生。そんでもってしんど過ぎない?ていうか、労働時間長くない?給料、少なくない?なんかもう楽しくパロディみたく生きていたい。

で、ハッと気が付いたんだわ。

わたし人妻ならなりきれる気がする。

自慢じゃないんだけど、というかまじどこをどういう角度で切り取っても自慢になり得ないんだけど、高校大学時代あだ名が「人妻」だった。

さすがに社会に出てからはそんなトンチキなことを言ってくる非常識人には巡り合わず、なんなら24バリバリ職場でいっちゃん歳下なのでみんなにでへでへ可愛がりしてもらってた。のだけど。

こないだ数ヶ月振りに再開した会社の同期から言われました。開口一番。

未亡人感が増したね」と。

待て、夫よ。いつ死んだ。

ていうかい結婚した。

わたしの知らぬ間にわたし結婚団地暮らし夫の帰りを待ちながら昼下がりに宅配業者を誘惑したり義父と密会したりしていつのまにか夫が死んでた。

なんでなのかな。

なんでなんだろ。

そんなに幸、薄そうかな。

成人式振袖着た写真を見せたら色んな人に「喪主極妻」って言われたんだよね。岩下志麻弟子入り志願だわ。あんたら覚悟しいや!

しわかった、今からお前らの欲望を全部受け止めてやる。人妻団地未亡人枠として腹を括った悲しき24独身バリバリ労働者扶養はしてもされてもいないし、なんなら夫どころか彼女彼氏もおりません。

人妻ってでも、言ったらわたしの母上も人妻な訳で。でも、人妻ってそういうことじゃないんよね。ファンタジーなんよ。人妻は。

リアルガチ人妻仕事に家庭に忙しいスーパー現代女性なわけですが、ファンタジー人妻ファンタジーから。夢を見させてくれる存在から

所帯持ち感とかゼロエプロンは白。髪は黒。夫という連れ合いはいるけれどもいつもどこか頼りなげ。何処の馬の骨とも知らない野郎に連れてかれそう。押しに弱い。流し目が得意。儚さの中に漂うエロス。判子を押したあとの上目遣いでノックアウト。そのまま家主のいない部屋へと雪崩れ込み…………

で、、できそ〜〜〜〜!!!人妻、なれそ〜〜〜〜〜!!!!!!

架空人妻日記、来夏公開!

2022-03-12

なんで男子って

成人式卒業式

結婚式スーツで済むんだろう

女は

振袖とか袴とかドレス

レンタルしても高い

金がない

かといって着なきゃ着ないで

周りから浮きまくる

とにかく金がない

2022-01-18

大学の期末レポート

成人式に出た際に、性の存在をいやというほど感じさせられた。

女は振袖を身にまとい、男はスーツや袴で自身を着飾って、恋愛感情を匂わせる。

飲み会に行けば、話はもっぱら恋愛だ。お前は誰と交友があるんだ、お前は誰が可愛いとおもってるんだ。地元という存在陰鬱に縛られた檻のようなものだろう。完成された社会は檻のように私たちを閉じ込める。檻の中で感情が乱反射して男女を引き合わせる。

されど、私はジェンダーレスだ。女性乳房を見た際に、どちらかといえば気持ち悪さを感じる。それでも、飲みの席では笑顔恋愛の話や女性の好みを話し合う。

その場での「エロい」話は求められる話だから

行為に対して私は疎い。「エロい」話への私の興味は限りなく薄い。江戸時代の性行為の話が事象として、ただただ淡々と私の頭に写ってゆく。江戸時代言葉フェラチオの詳細が再生されてゆく。江戸時代エロ時代と言った渾身のギャグ課題に追われながら私は真顔で聞いている。江戸時代人間エクスタシーへの探求を学びながら、ジェンダーレスな私は10回も男性絶頂を迎えれば疲れてしまうと、無関係雑談を思い返していた。

Gスポット男根を押し入れると聞いても興奮の一つも覚えない事をどうにかしてほしい。

僧侶だって水を流すのに、小便しか流せない私をどうにかしてほしい。

願えど願えど、だだの日本史として、興味の一環に興奮を感じる。

教授はてな絶対見てそうだけど、何書いているか自分でも疑っている。でも講義内容なんだ許してくれ。

2022-01-17

大嫌いな父を見殺しにしてしまった話

私は父が大嫌いでした。

末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族旅行に行ったのもベビーカー東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。

誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りアンパンマンケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコ競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。

そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテル厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。

なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉サポートも無く、余裕がないか我慢するしかないと言われ続けました。

そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立二次募集も落ちました。父から私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)

そして在学中のバイト代は完全母管理バイト代自身お小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。

やってきました修学旅行私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。

ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いかお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。

その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。

なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。

今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています

30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。

父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。

最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生

何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。

あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。

母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。

人生ままならないですがこれからも頑張るぞ!

2022-01-10

大嫌いな父を見殺しにしてしまった話

私は父が大嫌いでした。

末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族旅行に行ったのもベビーカー東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。

誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りアンパンマンケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコ競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。

そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテル厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。

なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉サポートも無く、余裕がないか我慢するしかないと言われ続けました。

そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立二次募集も落ちました。父から私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)

そして在学中のバイト代は完全母管理バイト代自身お小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。

やってきました修学旅行私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。

ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いかお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。

その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。

なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。

今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています

30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。

父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。

最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生

何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。

あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。

母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。

人生ままならないですがこれからも頑張るぞ!

もう10年以上経つけど成人式の思い出

私は振袖とか探すのも着るのもめんどくさくて

前撮りはおろかリクスー着て行くつもりで居た

春先ぐらいに母や母方の祖父母や当時小学生の従姉妹まで総出で「頼むから振袖を着てくれ」とお願いしてきた

本当めんどくさいか

お盆に母の実家に行った際、母が使った振袖を出してもらい中身も見ずに即決

そしたら増田の気が変わる前に早く一式揃えようと言われて

居合わせた親戚皆でゾロゾロ呉服屋に行って適当時代に合った小物を買った

呉服屋で試しに着付ける時点でもうダルかった

母が「この子ホント前撮りも嫌がるんですよ〜」とポロッと言ったら呉服屋の人が併設スタジオ写真を撮ってくれた

一度で済んでとても楽でよかった

もしかして普通キラキラ女子ファッションショーの如く着まくってから決めるもんなのだろうか

そういうキラキラ系の友達いないか分からんけど

バイタリティあるよなみんな


当日も美容院の予約は早朝だし眠い寒いしめんどくさくて仕方なかった

美容院着付けてる時、左の袖の内側に醤油か何かこぼしたような長いシミあるの気付いて一人でワロタ

母…何やってんだ

感想としてはセットした頭が重いし

化粧はぶっちゃけ自分でやった時の方がマシな顔だな…って思ったし(失礼)

歩くの大変だし

何より生理の時期に当たらなくて本当に幸運だったと思う

あんなの着て何度もトイレ行くのは地獄

久しぶりの友達と会うのはまあまあ楽しかったが

今後は衣装を着る系のパーティの類には極力参加しないようにしようと心に誓った

マジで向いてなさすぎる

でもカラオケの受付で店員に「僕ハタチの時仕事成人式行けなかったんですよー僕の分まで楽しんでくださいね!」と言われたのは

あれから何かとよく思い出す

何事もなく成人式に出られた事には一応感謝している

成人式の夜、ネットおっぱい晒している。

成人式が終わった今夜、実家の自室で一人、夜を過ごしている。

私の実家がある地域では、成人の日の前日、日曜に成人式が開かれる。それなりにこだわって選んだ振袖と、それなりに調べて決めたヘアスタイルで、成人式に出た。コロナとはいえ、それなりに盛り上がったように思う。二次会飲み会は“自粛”の名の下に日付が変わるくらいまでで終わった。友達同士で三次会に繰り出すグループもあったけれど、私は優等生、つまり「クソつまらない真面目グループ」の人間だったので、二次会で帰ってきた。

「クソつまらない真面目グループ」の面々は、都会暮らしをして垢抜けてる子も、高校デビュー大学デビューを済ませ少し派手になっている子もいたけれど、「地元」の中ではまったくかたなしで、おしゃれにしているはずの着物姿の向こうに、当時の地味な彼女等の姿がオーバーラップしてみえた。たぶん、「それなり」のよそおいはできていたはずの私の向こうにも、耳の下で馬鹿みたいに量の多い髪を箒みたいに括っていたダサい芋女が映っていただろう。

いじめられるほどの哀れさも、いじられキャラに躍り出るような強さもなかった私は、同じ中学出身者が誰も受けない高校を受けた。真面目グループのひっそりしたマウントの取り合いにも疲れたから、誰にも相談しなかった。高校ではそこそこのポジションで、なんとか過ごし切ることができた。でも、何か満たされなかった。都内に住むためだけに受けた滑り止めの滑り止めの大学に進学しても、やっぱり満たされない。

満たされなさの理由に気がついたのは、オンライン塾講師面接を受けていたときのことだ。面接官とは名ばかりのヘラヘラした先輩講師からかけられた「ところで◯◯大ってことは、◯◯サークルあるでしょ?俺、そこのOBなんだよ〜、立ち上げからやってさ〜。楽しいから入りなよ笑」という言葉きっかけだった。面接だしニコニコしておくか、と思った私は、ひたすら「そうですか、いやあ私どうにも出不精で」と断る方法に話を進めつつ相槌を打った。その後しばらく話してようやく、私を「アルバイト志望の学生」ではなく「ヤれそうな女」として話している、と気がついた。「てか結構おっぱい大きいよね笑 やべ、セクハラだよね笑」とまで言われてからだったが。

私はそこで、目の覚める思いがした。そうか、私がかけられたかった言葉はこれなのか、と。電車通学をしていた高校生の頃は、何度か痴漢あい電車を変えたりしていた。痴漢にあうのはムカつく以上に怖いので、ひたすら恐怖と戦っていた。「性的な目で見られる」ことは不快なことで、恐ろしいこと、だったはずだ。それなのに、私はどこかでカースト上位のちやほやされるために生きているような同級生には憧れていた。服装検査で引っ掛かる以上のメイクと、校則禁止されたリュックを背負って、彼氏の話ばかりしている子たち。私はといえば、高二の冬に一度彼氏ができたけど、たった一度キスしただけで別れてしまった。それからは、ダサい人間に落ちないように過ごしただけだ。

私はそれまで、満たされなさの理由を、「彼氏が欲しいから」だと思っていた。周りに自慢できる、顔が良くて優しい素敵な彼氏がいたら、それはそれで満たされるだろう。でも、現実問題そこまで高望みできない。だから青天の霹靂だった。「てか結構おっぱい大きいよね笑」そうだ、私は、おっぱいが、大きいんだ。そして、おっぱいは、手っ取り早いセックス代替だ。そこにあるだけで、(そこそこの数の男性は)ニヤニヤした目つきを私だけに向けてくれる。

アンダー75のGカップGカップなんて、ネット世界では、有象無象に近い、どうでもいいサイズだと思う。それに加えて、アンダー75は正直デブだ。運動部に入ろうと思ったことすらない私は、我ながら締まりのない体をしている。でも、自撮りならおっぱいだけ写せばいい。もっとびっくりするほど大きいおっぱい女の子や、アニメキャラみたいなスタイルのいい女の子自撮りをアップしているけれど、おっぱいだけを撮影している限り、それでも私(のおっぱい)を褒めてくれるのだ。ダルダルにふにゃけた体だってぽっちゃりです、と言ってネットにあげれば、「ぽっちゃり好きです」なんて褒め言葉が飛んでくる。みんな私を承認欲求を満たすために気軽に乳を晒すバカな女、としてちやほやしてくれる。

私はおっぱい晒しながら、今も(リアル男性対象とした)処女であり続けている。私の膣に挿入されたことがあるのは、ひとり暮らしを始めてからAmazonで取り寄せたピンクローターとスティックローター、そして無数のポスカくらいのものだ。別に大事に取っておきたいわけなんかではなくて、小心者なだけだ。根っこは今も、「クソつまらない真面目グループ」の半端者だ。死ぬセックスはしたいけれど、危険を冒す勇気はない。ネットで知り合った男性は、みんな私をナマで犯し、中出しして、要らない子供を産ませようとしていると思う。それか、ホテルで私に薬を飲ませ、刺し殺すかも。

から、私はネットおっぱい晒す成人式でさもそれなりの大学生活を送っているかのような話をした飲み屋トイレ撮影したおっぱいを、晒すオナニーだってそこそこ気持ちいいし、何より安全だ。これまで「それなり」で生きてきた私にとっては、いろんな人におっぱいを褒められて、ローターを挿れて、AVで喘ぎ声を聴きながらイくことができているだけでほぼほぼセックスだ。

顔を晒して叩かれたら立ち直れないから、晒すのはおっぱいだけ。でも、みなさん私をちやほやしてくれる。いつかちやほやされなくなる日までに、処女を捨ててめくるめくセックスライフ享受できるようになればいいんだけど。そうは言っても、そのための努力より、手軽に得られる「えっちだね」「ペロペロしたい」なんて言葉の方が、やっぱり手軽だ。安全セックスが手軽に得られるようになればいいのに、そんなことを思いながら、成人式の夜を終えようとしている。名前も朧げなかつてのクラスメイトのおちんちんには、やっぱりとうとう縁がなかったみたいだ。

2021-12-13

結婚式にお呼ばれしたので振袖を着て行きたい

私の振袖は帯と合わせて総額がけっこうする

花嫁ウェディングドレスより絶対高い

でも見せびらかしたいので着ていきます

結婚式振袖着て行ってオッケーの文化があってよかった

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