はてなキーワード: 振袖とは
私が中学生の頃、一緒にオタクしてた仲良しの同級生がいた。彼女とは一緒にイベントに行ったし、毎日一緒に帰ったりとにかく仲が良かった。
でも、中3時に私が学校に行くのが辛くなって休みがちになり、進学先も同じ中学の人がいないところに行くことにした。あまりに辛くて中学の最後らへんは記憶も残ってない。
中学を卒業する時ら辺になると、彼女は好きだったアイドルには飽きて新たに読モの界隈に移ったので、卒業の後には完全に疎遠になった。私はその後も緩くであるがオタクを続けた。彼女は結構飽き性だったし、界隈を移動しながらオタクをしていたんだろうなと思っていた。
20歳になった時、私は成人式に出なかった。祖母に振袖姿を見せたかったが、中学時代にいい思い出はなかったから出るのはやめた。インスタで地元の成人式の投稿を見ると、仲良しだった彼女の姿はなかった。私と同じく成人式には出なかったそうだ。
ふと、彼女の現在の生活が気になったので、インスタのアカウントを特定し、鍵がかかっていなかったので覗いてみた。
彼女のインスタには「お客さんがボーナスくれた♡(総額70万くらいの札束写真)」「私の担当は優しい♡(高そうな酒)」「今日のメイク上手くいった♡(明らかに地雷系の目元)」のような内容が投稿されていた。疎遠になった5年間のことは深くは知らないけど、ホストにハマって昼職を辞めて夜職を始めて暮らしていることが容易に想像できた。
彼女は気質がオタクだからオタク自体は辞められないと思っていたけれど、「そっちに行っちゃったか〜」と悲しい気持ちになった。
その後も観察しようと思ったんだけど、捨て垢(私)にインスタを監視されていることに気づいたのかアカウントは消えてしまい、彼女の現在の生活を知る術はない。
大きな窓から差し込む日光で目が覚めた。曇っていても海はどこか明るさを帯びている。
振袖姿の卒業生達を見送りながら朝食をとり、自転車で散歩する。海が見えるだけでどこか心も穏やかになる。ここで法人営業したいだなんて軽口をたたいたのはきっと無意味な時間さえも自然と共にさえあれば甘美なものになるのではないかと思ったからだ。
友人から近況報告とも自慢とも取れるLINEを受け取りながらピラフを食べ、海沿いからは少し離れた道を進む。遠くに住む親戚の子どもみたいに、ちょっと離れただけで街は急に顔つきを変える。アップダウンに太ももがヒーヒー言っているが、新たな表情に魅せられるままにペダルを漕ぐ。初見が印象深い街に家を買えば、後悔の度合いは少ないんじゃないか、なんてことを思った。
夕方家の近くまで帰ってきたら雨が降り始めていた。日当たりのやや悪い築50年近くの賃貸マンションの一室で、自然豊かな土地のマンション購入を思い立ったのはそんな日だった。
中学で部活と趣味が同じだったので、高校は違うところに進学したけどツイッターの鍵垢で仲良くやっていた友達がいた。地元のお祭りには高校3年間毎年行ったし、大学の合格発表の時間は映画に行って一緒に結果を見た。
でもその女の進学先が当時遠距離で付き合っていた彼氏と同じで、彼氏のサークルに入るという。新歓に行って〜〜さんに奢られてきたとか平気で言う。お前らの新刊行事のせいでこっちは電話してもらえなくて夜な夜な泣いてるのに、大して好意を持っていないお前が飯を食うな。思い出しても腹が立つ。
夏頃に気づいたら女はTwitterアカウントを消していた
で、女の垢消しの翌年に成人式もあるしと思ってインスタのリア垢をとって中学高校の友達にざっとフォロリクを送った。ただの垢消しだと思ってたからその女にもフォロリクしたのに一向に承認されない。中学高校あんだけ仲良くしたのに何だったんだよと思ってまた腹が立つ。共通の友人のストーリーにその女がメンションされたタイミングでもう一回フォロリクを送り直したら、今度はブロックされた。は????私が何したって言うんだ????????
中学で一番仲良かったと思ってたから顔合わせるのが気まずくて成人式には行かなかった。中学の別の友達のインスタには私以外の部活のメンバーで振袖着てニコニコ写真撮ったのがあげられてて、意地でもいいねはしなかった。
コロナの影響で成人式が中止、延期になったという話をよく耳にしました。
成人式というのは一生の中で一度しかない大切な式典です。本人はともかくその親御さんたちも、自分の愛する子供が晴れて成人となる日に、これまでの成長を噛み締め、凛々しいスーツ姿や華麗な振袖姿に、目に涙を浮かべるでしょう。
成人式に限らず、去年、今年はコロナによって多くのイベントや行事が中止になりました。その中には再開催可能なイベントもありますが、成人式のようなイベントは、その年に参加するから意味を持ちます。たまたまコロナという不運に見舞われ、普通なら開催するはずだった行事に参加できない人たちのために、なにかできないだろうかという想いから、今回「バーチャル成人式」を開催いたしました。
緊張感をバーチャルへ
バーチャル空間でのイベントの多くは、エンターテイメント性が高く、またお祭りのようなもののため、楽しいが緊張感のないものになることが多いです。
成人式は、区長様の挨拶から始まり、緊張感のある中、式典が進んでいきます。バーチャル空間におけるイベントの醍醐味は、バーチャルならではの「はちゃめちゃ感」が割合として大きくしめますが、そのはちゃめちゃ感を残しつつ、同時に、緊張感のあるイベントが開けないか、ということを考え進めておりました。
法律やルールのないバーチャル空間だからこそ、緊張感をあえて作る。
バーチャル成人式は、主催者WekENDの挨拶に始まり、来賓者の祝辞、バーチャル新成人の言葉など、それぞれが真面目なスピーチを壇上で決められた時間の中行い、無秩序さの中に規律というものを組み込んだ新しいイベントとして成功いたしました。また、司会進行に声優を起用したことも効果的でした。趣味で開いてるイベントとしてではなく、プロがしっかり準備して運営したイベントとして、参加者の態度が他のイベントと比べより真面目だった点も、我々バーチャル成人式の特徴と言えるでしょう。
全員がそれぞれ好きなアバターで、自由に離着席もできれば、飽きたらログアウトできてしまう空間で、スピーチの間は誰1人として会話をせずに、登壇者に耳を傾け、「起立、礼、着席」もバーチャル空間で行う。最後までログアウトする人は、1人もいませんでした。
ルールのない自由な空間に、あえて制限をかけ緊張感を作ることで、イベント全体を引き締め、より強力に参加者の記憶に残るイベントとして理想のバーチャル成人式を主催できました。
式が終わったあとの交流会では、
「このような取り組みは素晴らしいと思います」
という声も聞くことができ、バーチャル成人式を開いた意義を再確認できたことも印象的です。
終わったあとの雑談会は、2時間以上も続き、それだけ初対面の人たちが、他の人たちと障壁なくコミュニケーションが取れる理由として、共通の貴重な体験をしたということが挙げられるでしょう。イベント体験を踏まえ、
「私も、こういうことしてみたいんですよね」
という意見を救いあげることができ、今後WekENDはよりクリエーターにとっての場の提供としても機能していきそうです。
バーチャル成人式を行った理由は、成人式に参加できなかった人たちのためのだけでなく、社会に対してもメッセージを発信するところにもあります。バーチャルとリアルは対立して存在するものではなく、バーチャル世界は、「リアル」の世界として存在しているということ。その中で、バーチャル空間がリアル空間を拡張している感覚に近いです。VRAR的概念とも言い換えれるでしょう。
リアルで行えないことを今回のようにバーチャルで行い、それをリアルの体験として強力に記憶に残るものにする。またバーチャルで作り出せない熱狂をリアルがバーチャルを拡張する。そのように「リアル」と「バーチャル」が別のものではなく、隣り合わせたものとして存在しているんだ、ということをもっと世に、社会に示していくその一歩として、バーチャル成人式は大きな足跡を残したと思います。
自粛したら誰に感謝されるの?みたいな内容のものを読んで、自分の自粛に対する考えをまとめようと思う。
いや、自粛の大事さは分かっているよ。自分だってコロナにかかるのは怖い。それに自分がかかるだけならまだしも、一緒に住んでいる親に自分がうつしてしまうこともとっても怖いよ。怖いからこそ、この一年ほとんど家にいた。最近だと家から出るのはバイトくらい。大学だって今年二回しか行けなかったよ。たまーに友達と会ったりもしたけど、それでも会った回数を数えるには両の手で足りる。ディズニーも行ってない、ライブも行ってない。人が集まりそうな場所は極力回避して生きてきた。辛かったし、ストレスも溜まったけど、今ここで少し我慢すればきっと元通りに戻ると思ってた。それに医療関係者の悲痛な声もツイッターで見てたから、遊びたくなる気持ちを必死に抑えてた。
でもさ、一年くらいたつけどコロナの感染者って減らないよね。毎日ニュースでは「最多」って言葉を見る。減るどころか増えてるのよ。
でも、そりゃそうだよね。だってみんな遊んでるもん。インスタのストーリーを見ると、楽しそうな投稿で溢れかえっている。ディズニーに行っただの、恋人と旅行に行っただの、数人で飲み会してるだの…。それ見てると、アレ、私が可笑しいのかなって思っちゃう。
私はいっぱいいっぱい我慢してるよ。やりたいこと、行きたいところ、会いたい人、全部我慢してるよ。でも、他のみんなは遊んでるんだね。遊んでる投稿いっぱい見るのに、それでもコロナかかった友達って一人しか見たことないから、やっぱり自粛している私が可笑しいのかな。
みんな遊んでる…。いいな…。私も遊びに行ってもいいかな…、いや万が一かかって親にうつしたら嫌だな。ああ、でも遊びたいな。でもやっぱりコロナは怖い…。
「若者は家にいろ。」「馬鹿な若者が出歩かなければコロナは収まる」「意識が高いからパーティーしても感染しない。感染するのは若者だけ。」
老人はこんなことを言うんだよ?若者だけが悪いの?確かに遊んでる友達多いけど、正直老人も同じじゃない?国の偉い人もたくさん集まって会食してたよね。ニュースで見たよ。菅さんなんか年間で140回会食したって見た。デヴィ夫人はこの前90人くらい集まる大きなパーティー開いたんでしょ?すごいね。
若い、年寄り、関係ないよ。私がいくら我慢したところで、結局人と会って遊びまわっているあなたたちがいる限り私の我慢は報われない。
こんなに何もかも我慢しているのに。振袖着るのも我慢したのに。私の頑張りって意味ないじゃん。頑張ってるのに「若者は家に」なんて言われ続けてさ。
もうさ、我慢して家にいる私がばかみたいじゃん。遊びに誘われても断ってる私が可笑しいみたいじゃん。
私は、少し遊びを我慢すればきっとコロナは収束すると思ってた。でも、実際どう?減ってる?ねえ、あと私はどれくらい我慢したらいいの?
私が間違ってるの?私が変?心配性なだけ???誰も私のこの我慢は望んでない?
結局私が我慢しても、コロナ感染患者は増えてる。人は遊びまわっている。医療は徐々に崩壊していっている。私はあとどれくらい我慢して、人に会う時も後ろめたい気持ちを抱えていなきゃいけないの?
再三いうけど自粛の大切さは分かっているよ。わかってるつもり。でもさ、もう正直辛いんだよ。先が見えないのにずっと我慢を強いられること、そして我慢している私の横で、遊んでパーティー開いてる人達を見ることは。
[追記]
成人式に行かなかった。
田舎の鄙びた土地だったので、県外のそこそこの大学に行ったのはごく一握り。自分はその選ばれし一握りの人間なのだという謎の自負心があった。貧乏家庭だったので振袖代が勿体無いと思った。見知ったしみったれた公民館的なところで市長のジジイの話聞くために綺麗なおべべきて集合するのもなんか滑稽な気がした。
でも本当は、インキャで小中の友達が少なかったので、成人式の場でボッチになるのが怖かったのが一番の理由だったのだけど。
下宿先の市からも成人式の招待ハガキ来たけど、なんとなく、その市出身の人たちに遠慮して行かなかった。
でも今にして思えば、とりあえず行っておけば良かったかもしれない。しみったれた公民館に行くのも、小中の同級生と会うのも、あれが人生最後だった可能性が高いし。まあ行かなくてもよかったけど。
内容については、言いたいことは分かるし、概ね同意。
ただ、「振袖を成人式でしか着ないものと刷り込みをしたのが、呉服業界なら、そこから改めよ」という話は、少し疑問。
そもそも、「着物が売れないから、せめて単価の高い振袖が年に数着売れればいい」という発想で、「成人式という晴れの日で振袖を着よう」というプロモーションが打たれたのではないか。
「礼服だから、シーンに合ってればいいんだよー」と言われても、そもそも成人式でもなければ振袖なんて着ないのである。
(全ては着付けのめんどくささのせい)
まあ、頼みの綱である成人式が来年も無事開催できるか分からない今、業界が変わらなきゃいけないことは事実だ。
がんばれーーー。
5人中私ともう1人は振袖を着てた。
よく晴れて気持ちが良かった。
何か眺めのいいビルの、大きい窓際のベンチで休んでた。
いざオタトークを始めようという時に友達の1人(私服)が、めっちゃ話しかけてくるタイプのナンパに捕まってしまった。
私は結婚してるしナンパに興味ないな…話しかけられるのも面倒だな…でも私以外の子は結婚してないし彼氏もいないはずだし、ナンパが出合いにつながるかもだからな…嫌がってる様子も無いし、勝手に追い払うのはお節介かな…
と考えて「ちょっと私トイレ行きたいから行ってくるね」と1人トイレに立った。
トイレの個室で初めて、着物での用のたしかたを知らないことに気づいた。
裾を持ち上げたりしてなんとか用をたしたけど、着物がぐちゃぐちゃになってしまった。
冷や汗で化粧もドロドロになってしまった。
その日の私は化粧ポーチを忘れていた。
個室から出て手を洗いにいくと、友達がピシッとした着物で化粧直しをしていた。
友達に「ごめん。着物が崩れちゃった。直して…」と頼むと鮮やかな手つきで直してくれた。
お礼を言うと「メイクも直してあげるよ」と言われたので、お言葉に甘えることにした。
誰に話す気にもならないが、溜め込んでるよりは書き捨てたほうがまだしも供養になるかもしれない。
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非情と思われようと、もう関わり合いになりたくない。
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そいつは、もう何年も拒食症かなんかなのか、骨と皮だけのガリガリで、
死相が出てるというか、もう長くないだろうなって思ってた。
余りの痩せ方に周りが心配してなにか食べろと進めても、水の一滴すら口にしなかった。
ウチの親がそいつを指して「あれじゃきっとセイリも来てないと思うわ」
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しかし、私とそいつが小学校の間ずっとベッタリの親友だったのは、
同じグループの子からぽっちゃりだから、ポチャみたいなニックネームで呼ばれていた。
でも、別にそんなに太ってたわけでもなかったように思う。
それより、真っ黒でまっすぐでツヤツヤの長い髪をしていて、
綺麗で羨ましくて、もうやめてと言われるまでしつこく触らせてもらったような記憶がある。
さらさらと指から髪が流れていく感触がどうしようもなく心を惹きつけて離さなかった。
私は、天パだったし髪を伸ばしたことがなかった。
小学校も中学校も、ずっと短髪だった。髪が肩にかかったことは一度もない。
私の母親は「子供の髪は短いものなの」という絶対のルールを持っていて、
泣こうが喚こうが逃げようが、最後には床屋の椅子に座らせられた。
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三年生になる前には短髪になっていた。
どうして切っちゃったのと惜しがって何度も聞いたけど、
小学校でも中学校でも、そいつはもうずっと同じ短さに髪を揃えていた。
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髪型だけじゃなくて、そいつは成人式にもチェックのスーツみたいな服を着ていた。
周りじゅう華やかな振袖だらけのなかで。
誰も表立って虐めたり笑ったりはしなかったけど、
なんだか異様というかヒソヒソはしていた気がする。
でも、あれはそういうのじゃなかったと思う。
皆はそう思ったかもしれないけど。
私とそいつは、母親による女性性の抑圧、を受けていたんだと思う。
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私はまだ生きている。髪を伸ばし、好きな服を選ぶ。
私の母は矛盾した信条というか、娘の髪を結うことは一度たりともなかったが、
ピアノを習わせたり、フランス人形を買い与えたり、籐家具を与えたりした。
別にいらない、嫌だと言ったけど、母自身が子供のころ欲しかったものなんだってさ。
あ、ピアノは祖母が孫娘に買いたいというから、じゃあ習わせようってことだったのかな。
まあ、ウチはその程度だったけど、
ウチと違って、どこもかしこもさっぱりと片付いていた。
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GジャンにGパンという恰好だった気がする。バイクとサッカー観戦と甲斐バンドだかが趣味だと言っていた。
毎週少年ジャンプの話をしていたような気がする。
家にない本や図書館の児童書以外の本を読むようになったのは、そいつが教えてくれたからだ。星新一とか筒井康隆とか。
私の母は、皮肉な作風、ひねくれた作風が嫌だと言ったけど、本を取り上げたりはしなかった。
母の回りくどい意向を汲まないと、「あんたは可愛げがない、態度がかわいくない、子供は素直じゃなきゃ」とかは、よく言われたが。
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そういう子は、少年ジャンプじゃなくて、りぼんやなかよしを読んでいた。
ぬいぐるみをたくさんもっていて、男性アイドルや流行りの歌の話をした。
その子たちは髪型をしょっちゅう変えていて、かわいい髪飾りを持っていた。
遊びで私の髪を梳いて、結ってくれた。
その子たちのことが嫌いではなかったけれど、
ずっと一緒にいると、多分私は羨ましくて辛かった。
私と同じに、ずっと髪を短く切られていて、スカートを持っていないそいつと一緒にいるとラクだった。
母親に疑問や不満を抱かなくて済んだ。
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そいつは、成績も良く、イラストもかわいらしかった。中学からは疎遠になったので伝え聞きだが、
旧帝大に行ったらしい。マイナー学部だったらしいが。ググッたら、そいつのホームページがまだ残っている。
今だったらピクシブやってたんだろうが、当時はあれが流行りだったものだ。
日記もあるが、悩みや病気、内面に関することは何も書かれていない。
中学から疎遠になったし、高校は別だったので、その頃のことは知らないけど。
後ろ姿を見た時、「ずいぶん髪のきれいなおばあさんがいるな・・・?」と思った。
ぶかぶかよれよれのメンズのウインドブレーカーか何かを着ていて、
息子の服を頓着なく着ちゃう系のおばさんっぽかったのか。
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成人式のスーツもそうだけど、ほんとにメンズの服しか持ってなかったのかな。
小柄だったけど、デブとかブスってことはなかったと思う。
髪質も恵まれてるし、手入れすればそれなりに映えた容貌だったはずだ。
でも、そういえば、
我が娘の不器量さを嘲笑ったっけな。
「お前は顔がでかいねえww」みたいな。
その時の、居心地の悪い気持ちはよく覚えている。
私の隣で、私の友人が、私をダシに、実の親に貶められている。
いや、地獄かよ。
しどろもどろになにかフォローをしたような気もする。
私のほうがずっと成績が悪いですし、とか。
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その経緯から、ずっと抑圧や自己否定が鬱陶しく付きまとっているが、
流行りの服を買うこともできたし、趣味や私生活に口出しされることもなかった。
周囲の友人から学んで少しづつ、女性らしく装うことを覚えていった。
オタク気質は生来のもので変わらなかったが、脱・喪女はそれなりに出来た。
そいつは多分、そうではなかった。
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昨今の性の多様化からすると、そいつの髪型、服装、趣味嗜好はそれほど奇異なものでもない。
髪を短くし、メンズの服を着て、ミリタリーやバイクやサッカーを愛していたなら、
それはそれで良かった。
でも、そいつは多分そうではなかった。
生来の女らしさを抑圧され、取り上げられ、
そしてそれが自分だと思い込まされていた。
コンフリクトがあって、それが体に出た。
病名は知らないが、拒食でなければああはならないって気もする。
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そういえば携帯のアドレスや番号の交換をいつしたのか記憶にないが、
就職先のイベントを新聞か何かで見たと、そいつは私に会いにきた。
私としては、髪を切られ続け男子のような恰好をしていた時代の記憶ごとまとめて、
折角小奇麗になることを覚えたのだ。
陽キャグループに入ってしまえば、陰キャ時代の友人は格下であり、
プライベートで会いなおしたりはしなかった。
それても痩せこけてしまって遊びに繰り出す体力はなかったのか、節度を持って訪れ、帰ってくれた。
いや、水の一滴も口にできないんだから、食事や飲みに誘われるはずもなかったのか。
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しかし、一度ならず数回ほどそいつはイベントに客としてやってきた。
ヒマだったので話をしたが、内容はほぼ覚えていない。
ああ、人混みでぶつかられてコケて顔ぶつけて、総入れ歯になった話だけは、
もう回復不能の分水嶺越えちゃってるな、もう死ぬんだろうな、と思ってしまった。
しかし、そんな話をそいつは世間話、笑い話のトーンで話した。ような気がする。
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私になにかを聞いて欲しくて訪れていたのかもしれないが、
私が迷惑そうにしていたから切り出せなかったのかもしれないし、
物知りで成績優秀者だったプライドが邪魔をして切り出せなかったのかもしれないし、
同伴していた母親や、周りの人間が気になって突っ込んだ話ができなかったのかもしれない。
しかし、そいつが自分の日記にさえ書けないことを人に相談できたかというと、できなかったかもな。
藁にも縋る思いだったかもしれないが、
疎遠になった旧交を温めに来るより、「毒になる親」系の本でも買ってみて
カウンセリングとか行けたら、生き残る道があったかもしれない。
というか、そいつは自分が病んでいる原因が母親だと疑ったことがあっただろうか?
気がつきたくないまま、気がつかないまま、体力が落ち、考える力もなくして死んだのだろうか。
いや、そういえば鬼電がかかってきたから訃報と決めつけているが、
フツーに峠を越して生きてるのかもしれないな。
もう、それを知りたいとも思わないのだが。
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既に超長文だけど、続きもあって御免。
レベル要素のあるゲームは推奨レベルを5くらい上回るまでひたすらレベリングするタイプのオタクなので、地道に敵を殴りつつレベリングをしておりました。
前回 https://anond.hatelabo.jp/20201116185603
前々回https://anond.hatelabo.jp/haoiro/20201116
といっても私は持久力がないので、上半身をメインでやると1回30分くらいしかできないのだけど、前よりはあごが上がらなくなってきたし、二の腕の振袖が筋肉に変わってきた実感がある。
右腕にしかなかった力こぶが左でも出来、右の力こぶはさらに膨らんで、バイオの敵キャラみたいになってきた。ボタン連打で避けてほしい。
握力はそんなに変化せず。やっぱりグリッパーとか使ったほうがいいのかな。握力は右27左25と、成人女性の平均と大差ないレベルだ。
どうせ鍛えるんなら花山薫ちゃんレベルは無理でも、空き缶素手で潰せるくらいは欲しい。現時点で、足で挟めば潰せるから、頑張れば手でもいけるはず。
体重の変化はあまりなかった。まあもともと、下半身だけならレスラー並みに鍛えているからだと思うが。2、300gの変動は誤差なのであまり気にしない。
体脂肪率は若干下がった。腕に蓄えられてたらしい1%が消えたので、その分胸に回したいものだ。まな板はつらい。
あと、ジョイコンの充電がマッハでなくなるので充電器を探したんだけども、近所の電気屋には純正品がなかった。背に腹は代えられないので購入。
たぶん大丈夫だとは思うけど、やっぱ公式以外のとこからかうのはちょっと怖い小心者である。
腕に筋肉がついてきたおかげか、腕立て伏せもこれまでは20回1セットだったのが、3セットまでできるようになった。
コロナのせいでジムから足が遠のいちゃってるけども、落ち着いたら力試しにベンチプレスに挑みたいものである。
それと、前回、前々回にコメントをくださった人たち、ありがとうございます。
・なんでそんな足ばっか鍛えてんの
元々は自転車以外は全然運動しないインドア派だったんだけど、ダンベル何キロ持てる?にハマって筋トレに目覚める。
そのうち家トレだけじゃ物足りなくなって市営ジムに行ったところ、レッグプレス(足の力だけでウエイトを持ち上げるやつ)だけがたまたま空いてたので、やってみる。
その時の記録は130キロくらいだったと思う。20回持ち上げ終わって次に行こうと立ち上がったところ、順番待ちしていたらしい人に普段から鍛えてるんですかと聞かれて、初めてですと言うと、初心者で100キロ超えるのはやべぇよと褒められる。
自分に足筋の才能があると知った私は、それから足をメインに鍛え始める。今は体重の3倍、160までいけるようになった。
・何言ってるかわからんけど楽しそう、私も遊んだら用語とかわかるかな?