はてなキーワード: 憂鬱とは
http://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2015/150317/index.html
興味深く読ませてもらった。
ゲハ方面では「弱者連合乙」「任天堂オワタ」という雑音しか聞こえてこないが、今回の業務・資本提携について少し書いてみたい(長文乱文お許しを)。
まずはっきりしていることはDeNAも任天堂も、これが唯一の選択肢だったということだ。
DeNAは凄まじい利益率と成長率で一気に階段を駆け上がってきた。それはもちろん、ガチャを中心としたソーシャルゲームの稼ぎが凄まじかったからだ。そしてスマホシフトの波に乗れず低迷している。野球や陸上チームを買ってきたのを含め、怪しげなIT企業から公器へと衣替えしたいという意欲が強く、ゲームの穴を埋める新事業も衣食住やDNA解析といった「なんか格好いい」ものが多かった(もちろんマンガボックスやSHOWROOM、ハッカドールなどもあったが)。結果、ソシャゲのような抜群の利益率を叩き出せるわけもなく、V字回復など夢のまた夢、という状況。
数年前ならM&Aで有望なデベロッパを囲い込むことだってできただろう。実際に海外を中心に複数の開発会社を手中に収めているしピーター・モリニューなんかとも一緒にやっている。しかしモバゲーというプラットフォームビジネスが立ち行かなくなり、ガンホーが、コロプラが、mixiが、(gumiが、)DeNAが足元にも及ばないような大ヒットアプリを生み出し、ベンチャーでも100万DLや月数億円の収益が期待できる現状、DeNAが買えるデベロッパは出涸らしぐらいしか残されていないのだった。さらにいえば、ヒットを出した会社が次もヒットを出せるとは限らない(出せてないように見える、つまり技術力や企画・開発力ではないところでヒットが生み出されている、つまり運次第?という不透明さがある)のもM&Aが進まない理由だろう。
守安社長も決算発表などで度々言及しているが、FFRKでようやく月ウン億規模のアプリを手に入れることができたのは明るい兆しと言えるのかも知れない。しかし怪盗ロワイヤル以降、オリジナルタイトルの大ヒットを出せていないことからわかるように、DeNAの企業体質的に「ゲーム単体の面白さ」で勝負できないのは明白だ。
じゃあ有力IPを排他的に使えるとしたら・・・?イコール任天堂と組む理由になる。
任天堂はネットワーク、スマホ戦略で完全に出遅れた。この差は単独では取り戻せないところまできている。いや、任天堂としては決してそうでは無い、深慮遠謀の果てがこのような状況なのかも知れないが、市場はそう受け取らない。
220億でDeNAの株10%を取得できるのは任天堂にとって大きなメリットだ。低迷してるとはいえ毎年巨額の黒字を計上し、任天堂の決算にも大きく貢献するに違いない。少なくとも数年は時間稼ぎができるはずだ。今回の提携が「結果的に」うまくいかなかったとしても。
任天堂にとって問題は、やはりブランド力、ブランドイメージだ。ゲハ的な煽りは意に介さなくても良いだろうが、ガチャ・廃課金・過激な露出表現といったダーティなイメージは任天堂としても避けたいところ。もちろんDeNAが開発する任天堂IPスマホゲームからそのような要素は排除されるに違いない。そして利益もそれなりに落ち着くに違いない。
実際どうするのだろう。合弁の開発子会社を作るのだろうか。BNDeNAという名前を出さずともわかるように、基本的にはうまくいかない形だ。秋葉原あたりに拠点を構えるのだろうか。DeNAからスター開発者が、任天堂からはそこそこの開発者が、宮本氏なんかは当然関わらず、東京制作部の著名スタッフがインタビューと評価会にだけ顔を出す。クオリティに納得せず、ブランドイメージが毀損されることに過敏に反応し、いつまでたってもリリースできない、出たゲームは全然課金が捗らない。やがて子会社は一定の役割を果たしたので発展的解消。こんな風になりはしないか。
DeNA的にはFFRKよりも厳しめのレベニュー割合を甘んじて受け入れつつ、半端ないクオリティチェックをくぐり抜け、とにかく早く任天堂IPのゲームをリリースしたいところだ。会員制サービスプラットホームという話もある。これは月額課金制だろうか。安定した収益を上げたいという意味では良い施策だろう。しかし新たなゲームプラットホームになるとすれば、Yahoo!モバゲー、mixiモバゲーの二の舞ではないか。もう従来のモバゲーはぶっ壊していいということだろうか。それぐらい収益寄与が衰えているのか(任天堂と組むことでバンダイナムコ他有力IPとの関係性が変わるのも不安要素だ)。
そして、これも大切なことだがDeNA創業メンバーにとってこれは歴史的な出来事だ。もうこれでExitして良いのではないか。巨大企業を作り上げ、球団を買い、任天堂と資本提携する。日本においてソフトバンク、楽天ぐらいしか比較例が無いレベルの「成功体験」だ。あとは死ぬまで講演会と著書出版をしていればいい。さすがである。
個人的には任天堂にうまいように使われて最終的に捨てられる(吸収される)と思うんだがどうだろう。いやしかしDeNAからゲームを除いた事業だけでベイスターズを支えられるとは思えないし、任天堂がベイスターズを支える義理はないだろうし、それだけが心配だ。今年はAクラスが狙えるんだから、あまり外野で騒ぎになってほしくないなあ、と思うのだ。憂鬱だ。
隠しに隠してきた2年間。
部屋を一緒に出ることも無ければ、電車に一緒に乗ることもない。
休日も街には出かけない。
心配症な自分は郊外や隣県にいても、どことなく周囲を気にしていた。
休日に何するのか、という話で大した話もできず苦しかったなぁ。
それもこれも、今日で終わり。
当然上司やチームリーダーには伝えているが、(おそらく)職場の大半の人は知らないだろう。
みんなどう思うんだろう。
気に留めない人もいるだろう。むしろそっちの方が多いかも。
でも、結婚を機にどちらかが異動になることは決まっていて、それで迷惑被る人は必ずいる。
どう思うだろう。
もちろん周りにどう思われても仕方ないし、それでも今の相手と結婚する道を選んだ。
半身まひだそうだ
電話も使えない状態になった今では無理だが
罰を加える事にした
食べるのをやめる
これまで空腹で食べていたが
変化がおなかがすいた感じも奪っていった
そこにいるのがオニでも
それを放り出す状態におちたなら
罰は必要だろう
それでも危害は生じるのだから
私はもう
生きている価値を持たない
自分でそう感じる
私はもう人間ではないのだ
人間ではないのだ
ひとつ、書いておけることがある
だれか、第三者が同席して話をきいてくれないと
私のケースのような酷い事がおきる
私が市役所に願い出たのは
私と親が一緒にいる場所で話を聞いてほしいという事だった
話をきいてもらった後
「相談して、一緒に話を聞いてもらえる」と紙にかいておいたら」
私は株に使い込まれた金を
数千万の金を
普通に考えられる人に、それは判定されなければならない
院長先生はそう言った
それは震災の直前
まだ、いろいろなことを覚えていられた頃
オニになった親が半身不随になる前の話
お願いだ
親であっただれかが死にかけている事を
ニュースで病状を報じられる誰かのように
何年も何年も放置しないでほしい
親を呼びつけて対策をさせる事には
何も意味はなかったのだという事を
はっきり理解してほしい
酷い状態は二度と覆られない
私はもう生きている価値がない
.
神聖かまってちゃんの「23歳の夏休み」という曲を今年度通じて聞いていた。
特に今年度の夏休み(といっても実際に取得できたのは10月だったが)では何をするにもその曲を口ずさんでいた。
「23歳に〜なっちまったと〜」の部分は特に自分のお気に入りで、それこそシャワー浴びるときなんかは近所迷惑顧みず大声で歌っていたのだが
もう23歳どころじゃない、24歳なんですね。九十九里浜に叫んでる場合ではない。
きっと来年の25歳になるときにはまさしく「アラサー」であり、今日どころの憂鬱感、切なさではないのだろうけど
いや嘘だ。あのときは楽しくなかった。
終日「今日は自分の誕生日だ」ということを意識しながらも塾講のバイトをこなし
やっと終ったものの特に予定もなく、ファミマでファミチキを買って帰った。
確かあのときは前年の反省を踏まえて、自分で誕生日会を開いた。
星飛雄馬の誕生日会のようになってしまうことも危惧したが、案外自分には人望があったらしくそこそこの人数が集まった。
あれは楽しかった。3日後に震災が起きなければ更に良かったのだが。
地方大だったので、東京に単身赴任してる親父のところに赴き、就活のアドバイスを貰う体で飯をおごってもらった。
確かジョイフルのステーキだったと思う。あのときは就活のことで頭がいっぱいだったが、何故か誕生日だけは意識しながら行動していた。
一緒に旅行した友人から海外サイズのコンドームを貰った記憶がある。多分部屋を探せば未開封のまま出てくるだろう。
何故未開封かというと、使う機会がそもそもないというのもあるし、かなり嬉しかったからだというのもある。
もしかしたら両親以外から誕生日プレゼントを貰う体験が初めてだったからかもしれない。
何かがあった気がするけれど。
働き初めてから一年が早い。メイド・イン・ヘブンのようだ。
体感寿命の折り返しはいつだったか。そろそろ折り返し地点のような気もする。
学生時代の記憶は光り輝いているが、働き始めてからはそもそも記憶がそんなにない。
今日は合コンだった。もちろん合コンの面子には誕生日であることは伝えていない。
そんなことを言っても生暖かい「おめでとう」を言われるだけだ。
いや、嘘です。言いました。そして事実生暖かい「おめでとう」を頂いた。
俺は何がして欲しかったんだろう。
帰りの電車の中で推定40代のオッサンがミスチルの「Tomorrow Never knows」を聞いていた。
少なくとも一定の社会地位を得ている(ように見える)お前より、俺の方がよっぽどTomorrow Never Knowsだよと思った。
我ながら理不尽な思いだが、思ってしまったものはしようがない。
そして来年は25歳だ。
http://anond.hatelabo.jp/20150305021937
増田と同じく就活で憂鬱になり、自分で言っていることなのに自信を持てなくなって、
それからしばらくして完全に開き直り、オルタナティヴな就職活動をしたり、
会いたい人に会いまくりやりたいことをやりまくった結果、就職せずとも飯を食べていけることになった。
そんな立場から言えば、増田の持っている悩みは至極まっとうなもの。
ブコメで「仕事できなさそう」とかいう誹謗中傷が飛んでいるけど、その人らは増田のことなんて全く理解できていない。
もしくはとってもつまらない大人たちだ。話を聞いてもいいけど、絶対に聞き入れちゃいけない。
もし増田が本当に(ガチで)現在の状況が不満で、どうにかこうにかしたいと思っているなら、
ガチで一度連絡してみてほしい。何かしら力になれるはずだ。
ただ愚痴を聞くこともできるし、具体的な解決案を提案することも、そのための機会を作ることもできると思う。
信用できないなら、いい。
しょせん増田、ありふれた匿名カキコミのうちの一つに過ぎないからだ。
信用しろって言えば言うほど怪しい。
ただ、何もしないよりは絶対に行動すべきだ。
自分を良く見せることを恥ずかしいと思ってしまうし、夢を語ることもできない。
就活は茶番だと啖呵を切ってみても、就活に反抗して自分で起業するだけの気概もなければ、反抗心をむき出しにして面接の場で本音を語るだけの勇気もない。けれど反抗心をなかったことにして適当に茶番にのっかる自分を許すことも出来ず、中途半端な人間が出来上がり、そんな風しか生きられない自分が、しんどい。
私は仕事を通した自己実現なんて求めていないし、社会を良くするというような使命感も持ち合わせていない。仕事に求めるのは、自分一人の生計が立てられて、1ヶ月に1回ぐらいお寿司とか焼肉とかおいしいものが食べられて、1年に1回ぐらい国内旅行(18きっぷでかまわない)に行けるぐらいのお金を稼げて、休日には家でゆっくり読書とネットサーフィンができる時間があって、こころと身体の健康を損なわないこと、である。
だから、志望理由を聞かれたって、上記が満たせそうだからということしか言えないし、他の企業でもいいんじゃないのって言われたら、そうですねとしか返せない。10年後のビジョンを聞かれても、幸せ(私の感じる)に暮らせてればなんでもいいですと言いたくなる。でもやっぱりそれじゃあ通らないのもわかっているから、ちゃんと、まともに、業界研究をして企業研究をして自分の適正に合った志望の職種を考えて…ってのをやらなきゃいけないとも思うのだけど、(条件を満たすところであれば)どこでもいいと思っているから、やる気になれない。数十社も受けなきゃいけない中で上位数社以外に志望理由なんてあるわけねーよばーか、一度も働いたことの無い学生に当社でどのようなことがしたいですかと聞かれても言えるわけねーよばーか、学生に企業研究を求めるのは企業側の教育の放棄なんじゃねーのばーかと心の中で噛み付いて就活から目をそらす自分を肯定してみても、冷静な部分の自分が、そうはいっても企業からしたら志望理由ややりたいことを言える子を採りたいと思うのは当然だよねって心の脛をコツコツと蹴りあげてくる。痛い。
人並みに仕事はできると思う。勉強することは好きだし、真面目(というか不真面目になれない臆病者)だし、なんだかんだ要領もいい方だと思う。知らない人と明るく気さくに話さなければいけないような、営業のような(ステレオタイプだろうか)仕事には向いていないと思うけれど、自分が傷つきやすい分、自分に関わる人には優しくできると思うし、そうありたいといつでも思っている。規範意識が高すぎるところはあるけれど、その分時間は必ず守るし、約束を違えることもしない。就活が自分をアピールする場だとわかっていても、自分の美点を語ることを恥ずかしいと思ってしまうような融通のきかなさはあるけれど、その分謙虚に仕事ができると思う。
私にできないのは、自分をアピールすることと仕事に関する夢を語ることだ。仕事をするにあたっての素質、みたいなものは、まあ人並みにはあるんじゃないかと思うけれど、この2つができないことは、どうやら就活の場では致命的らしい。適当に何かでっち上げてしゃべることをよしとしなければ、フリーターや一般職になることだってプライドが許さない、そんな自分がもうどうしようもなくて、なかなかしんどい。ばかだなあ、適当にやっとけばいいのにって、そう自分でも思うけど、やっぱりできないのだ。
現実的で内向的で悲観的な人間が、社会で自分が必要とされているという実感を得るのは、難しいみたい。せめて私だけは、そういう人たちに理解と承認を与えられるようになろう、というのが今のところの私のよすがである。
http://gigazine.net/news/20140213-fixed-vs-growth-brain/
「固定された思考態度」は根本に「自分をよく見せたい」という欲求があるため、失敗する可能性がある挑戦を避けたがります。
障害にぶつかった時のあきらめも早く、努力は実を結ばないと考えがちです。
批判に対し、例えそれが有用なものであってもネガティブな意見であればフィードバックを無視してしまい、他人の成功に脅威を感じます。
そして自分の能力を出し切ることができず、早い段階で能力の伸びが頭打ちの状態へと移行してしまいます。
一方「成長する思考態度」はまず「学びたい」という欲求から始まるため、挑戦を喜んで受け止め、逆境にぶち当たっても粘り強く堪えます。
努力は熟達への通過点と考え、批判から学び、他人の成功からも学んだりインスピレーションを受けたりするという流れ。
根本にあるのが「学びたい」という考えのため、全てを雪だるま式に吸収し、高い成功レベルへと到達できるというわけです。
・・ここまで引用・・
成長したいと思う分野内においては色々見るし吸収するけど
それ以外(つまり全く興味がない分野)にはほんっとうに手を出さない
昔は色々やってみたような気もするけど
唯一出来る分野、向いてる分野があって
それだけは続けてるんだけど
それはもう始めてやったときから今までずっととにかく「好き」なことだった
自分の感覚にフィットするというか、これが向いてる、私の才能はこれだっていう感じがずっとある。
今でもそう
好きなので続く。
やり続けてると辛いこともあるけど、それすらも楽しいというか
他の興味の持てない分野はやり始めたときの違和感、どうしても楽しいと思えないもやっとした感覚、
疎外感、劣等感などが強すぎて続けるに至らない。
好きなら徹底してやれる
嫌い/興味がないことは出来ない
それって私の中では「いいこと」なんだよ
興味があるものにだけエネルギー注げることって素晴らしいと思うんだけど
視野が狭いって人から助言されてから「そういうことなの?」って疑問を感じだした
それでも現時点だと、好きなこと以外のことに労力割きたいとは全く思えなくて
初恋は失敗に終わった。
告白まではしたのだが緊張と感情の高まりから電話口で嗚咽してしまい考えてみればそんなのでうまくいくはずがなかった。
好きな人が居た。
その人は既に結婚をしている人だった。無邪気で素直で好奇心がたくさんあって、そんな好奇心の一つでわたしとお付き合いをしてくれたのだけど、やっぱり最後は愛する人のもとへ戻っていってしまった。
片思いの人がいる。
凛とした人でものごとを決めるときに迷いがない。視線はいつもまっすぐを見つめていてわたしなんかを見ていないことを知っていた。
結婚をした。
お見合いで出会い半年後には式を挙げた。こどもが二人生まれて人には順調で幸せな生活を送っていると言われているしそういうふうに振舞っている。
成長とともに子どもが相手に似ていく姿を見ているとわたしは本当にあの人を愛しているのだろうかという疑問が同時に大きくなっていくことがわかった。
もう子供の将来は転がり始めてしまった。今さら相手が好きだろうが嫌いだろうが、子どもを不幸にしないためにこの人と生きていくしかないのだ。
相手はわたしのことを愛してくれているのだろうか。わたしを抱きながら他の人を思っているのではないだろうか。
浮気とか不倫をしたいわけではない。つい最近まで目の前にある幸せは本物だと信じて疑わなかったのだから。
ただ、わたしが心から望む愛は結局手に入れることはできなかった。気がつけばわたしの身の回りにあるものはわたしがほしいと思っていたものによく似た別のものだったのだ。
外は空ばっかりが高くて澄んだ空気をこれでもかというほど押し付けてくる。
http://anond.hatelabo.jp/20150105120342
「今年も頑張ろう」と書いてから1ヶ月と少し経ったけれど、ものの見事に頑張れなくなってしまっている。
その後、あれよあれよという間に発作的な動悸・吐き気・眩暈・頭痛といった症状が起こる場面と頻度が駅、電車内、スーパーなど日常の中に増えていった。
視界内に10人ぐらいが入る、人通りの多い道を歩くとそれだけで生唾を飲み込みながら歩いてすぐヘトヘトになるようになってしまったし、
テレビで海外の市場の映像が映ったりしただけでチャンネルを変えないと不調が起きるようになってしまった。
それでも騙し騙し日常を送っていたのだけれど、段々と体が常に重怠く感じるようになってきて、
喉の奥に石が詰まったような不快感と、動悸、倦怠感がやってきて体が思うように動かなくなった。
家を出ることができず、会社もかなり休みがちになってしまっていて、周囲に迷惑をかけてしまっている。
今までは多少憂鬱なことがあってたまに逃避したりしても、じきに甘えていてはいけないと無理やり動くことができていたのだけれど、
今回はやればできると思っていたことを実際やろうとしてもどうしてもできないということがあってショックが大きい。
他に自分で感じる変化としては、ただ風呂に入ったり着替えたりするだけのことに取り掛かるのに、
結構な時間をかけて心の準備が必要になってしまったというのと、
以前は楽しんでいたようなことがどうも楽しめない、身が入らないようになってしまったことも気になる。
ネットで、うつ、パニック、対人恐怖、社会不安、みたいなセルフチェックをやってみると判で押したように、
「今すぐ病院に行け」と結果が出てしまうし(それ自体は割と以前からだったけれど)、
これほど仕事に穴を開けまくってしまっている以上、自分の状況を自己診断でしか説明できないというのは大変に不誠実であるなあと思ったので、
それとは別に、中学生の頃に塾の講師から親に、親から自分にという経路で、
「お前はADHDかもしれない、というか典型的な要素が合致しすぎているのでまず間違いなくADHDだと思う」
ということを言われて以来、自分が「ADHD的要素のある人間である」ということと、
「なので普通よりも一層注意深く、用意周到に、自分の衝動を抑制しながら生きなければ『普通』に見えない」
というのを信じてなるべく目立たないように、なるべく逸脱しないように気を付けて生きてきたのだけれど、
折角なのでそのあたりのこともはっきりさせたいと思い、成人の発達障害の診断もできますと標榜している病院を選んでみた。
初診予約を受け付けていない病院だったので実際に足を運ぶまで受診できるかわからないけれど、
これで少しでも状況が好転すればよいなあと思う。
いまタイで男に性転換する夢見た
あーいいな、これが“僕”の本当の体だ〜って、めちゃくちゃ嬉しかった。
金銭的なことを考えても無理があるのだがちょっと考えてみた
ちなみに私はアナルになにかぶっ刺した経験はないし、もし男になっても男好きじゃないからアナルに挿れてもらうことはないであろう。
だからアナルのことはわからない。気持ちいいのか悪いのかは。イメージとしては、ウンコが出たり入ったりする感覚をイメージしてる。
女性ホルモンって、肌も綺麗にしてくれるし攻撃性も抑えてくれるしハゲないし
でも私は女の体を与えられたが男性ホルモンが滾ってんだよな(笑)
剛毛は体質だろうけど未だにニキビなんかできるし脇毛生えるし眉毛濃いし
もうね、最悪。
いつも使う女子トイレの、洋式便座の手前にそいつは鎮座していた。
不意打ちもいいとこだよ。
踏んだ瞬間、ぬるっと滑り、強烈な悪臭がして
まさかと思って下を見たら右足のかかとでそいつを踏み潰していたのだった。
大急ぎで靴を脱ぎ、片足で立って掃除用の蛇口から水をジャバジャバ流してこれでもかと靴底を洗った。
石けんで3回、念入りに手を洗った。
そして「使用禁止」と赤文字で張り紙をした。
気持ち悪かったけど、やるしかなかった。
これ以上被害者を出さない、その一心で、そこまでは冷静だった私。
しかし、徐々にこみ上げてくるショックと気持ち悪さで、
フロアに戻ると涙が出てきた。
ああもう嫌だ。
和式ならまだわかる。
いやむしろ、どーやったらあそこに落とせるのか。
信じられない。
だまっているとあのグロテスクなシーンと右足の感触がフラッシュバックしてくる。
明日からしばらくは、身悶えしながら使用することになるだろう。
ああ汚い。
もうね、最悪。
いつも使う女子トイレの、洋式便座の手前にそいつは鎮座していた。
不意打ちもいいとこだよ。
踏んだ瞬間、ぬるっと滑り、強烈な悪臭がして
まさかと思って下を見たら右足のかかとでそいつを踏み潰していたのだった。
大急ぎで靴を脱ぎ、片足で立って掃除用の蛇口から水をジャバジャバ流してこれでもかと靴底を洗った。
石けんで3回、念入りに手を洗った。
そして「使用禁止」と赤文字で張り紙をした。
気持ち悪かったけど、やるしかなかった。
これ以上被害者を出さない、その一心で、そこまでは冷静だった私。
しかし、徐々にこみ上げてくるショックと気持ち悪さで、
フロアに戻ると涙が出てきた。
ああもう嫌だ。
和式ならまだわかる。
いやむしろ、どーやったらあそこに落とせるのか。
信じられない。
だまっているとあのグロテスクなシーンと右足の感触がフラッシュバックしてくる。
明日からしばらくは、身悶えしながら使用することになるだろう。
ああ汚い。
彼氏は35歳で初めての恋人(多分相手も)。付き合って半年経った頃、二人で泊りの旅行に行き、それっぽい雰囲気になったが、セックスへの余りの恐怖に、文字通り逃げ出した。抱きしめられそうになったら逃げ、しようかと言わせないように話題をそらした。それとなくやったつもりだが、したくないのは伝わってしまったと思う。
彼のことは今でも好きだ。結婚して子供を望むならこの彼にと思っているが、セックスしなきゃ夫婦になれない思うと、憂鬱。
元々身体を触られるの自体が苦手だ。親にも、なんだよ止めてよ、と思うし、同性にも居心地の悪さを感じる。触るのも苦手だ。
これじゃあいかん。まずは自分からひとに触って、自分のペースでスキンシップに慣れていきたい。その後に触られることに慣れる。そうすれば、自然と触れあうようになって怖くなくなるかも…?
と飲み会の席で女が言ってるのを聞いて一瞬カッとなりその後暗澹たる気持ちになった。
まずそんな言葉を臆面もなく口に出してしまうそいつの単純極まりない世界観にイラつくし、それが女だということにもイラつく。
立場上、部下に色々なことをしてもらわないといけないが、他人をコントロールする事に嫌悪感がある。
部下が勝手に動いたら動いたで、「こいついい加減にしろよ」と思うし、議論もする。
しかし、そういう時、ムカつきはするが、自分自身は正しい事に反しているという感覚はない。
気持ち悪くはない。
そこを、互いに折衝しながら進めるのが人間同士の在り方だと言うのが自分の世界観。
他人をコントロールして、自分の意思で動かす事に嫌悪感がある。
最悪なのが、管理職の皆さんが大好きな「意識を変える」「考え方を変える」という言葉だ。
行動は変えてもらわないと、いろいろ困る事がある。
憂鬱になりそうだけど、部下や後輩に「こいつ本気でクソだな」
と思われれても、行動さえ変えてくれればいい。
独身のときは53キロくらいだったのに結婚して食生活がしっかりしたら70キロに。
身長は176cmだから、独身のときは痩せ過ぎで結婚後の体重が標準に近いんだけど、健康診断でコレステロールとか尿酸値とかいつくかの項目が異常になった。
それまで健康診断はオールクリアだったからショックを受けて体重を減らすことに。
甘いコーヒーやコーラが好きだったけど、会社には水筒持参で緑茶や麦茶を飲むことにした。
大雑把に食事のカロリーは2000kくらいに。
それまで食べものカロリーどのくらいかなんて気にしたこともなかったから、ダイエットを始めたころはいちいち調べてたけど、慣れたら「これ食ったら700k。これ飲んだら100k」みたいに適当な数値で計算して食べる量を制限。
誤差とかかなりあるだろうけど気にしない。
体重も思い出したときに測るだけで、毎日測るとか面倒なことはしない。
運動もとくにしない。
それで体重は増えたり減ったりしてたけど一年後には60キロに。
(当時ネットで検索したら尿酸値は一度上昇したら下がらないと書かれていたので憂鬱になったけど、ダイエットしたら尿酸値も下がってた)
某宗教を抜けることにした。新興宗教に分類されるっぽい、それなりの信者数もいて政党もあるっぽい、すこぶる評判のよろしくない宗教。生まれた時から入れられていたが、割と小さいころから違和感を持っていた。少し大きくなって評判の悪さを知り、自分の判断は間違ってなかったと胸をなでおろした。(なんだか後ろめたい安心感ではあったけど。)
でも、親が信じているものをどうして信じられないんだろう、自分は冷たいのかという疑問はずっと持ってる。(ちなみに親は信じてはいるが他人に積極的に活動を勧めたりはしない)子供なんてはじめは親の世界観の中で生きているのに、なぜ自分は小さいころからその宗教に疑問を持ったんだろうってことも謎。当時、同年代の某宗教の集まりでは割とみな真面目に活動していた気がする(疑った子は集まりに来ていなかっただけかもしれないが)。本をよく読んでいたから、本で自分なりの世界観ができたんだろうという結論に落ち着いてはいるけど。親に認めてもらいたくて、小さいころから必死で信じようとしたって人もいるのに。自分が親になったら何かわかるだろうか。
結婚を考えている人に「いくら信じてないと言っても、そういう環境で生まれ育ったら、知らない間にそういう考えのようなものは染み込んでいるんじゃないか」と言われた。そんなことはその家に生まれた自分自身が一番思ってる。多分望まない環境(宗教に限らず)に生まれた人はみなそう思ってるし、本人が一番それを恐れている。だからって某宗教の悪口を言ったら負けな気がする。全力で悪口でも言ったら胸をなでおろしただろうか。
よく知らない人ほど、悪口を言うことで安全地帯に逃げる。疑われたくなければ真っ先にその宗教の悪口を言えばいい。多分ホモフォビアと同じようなもの。悪口を言う人は、何も知らない一般人というより、投票とかの被害に遭ったか、さもなくば親戚なんかにいるのかもね。それともライバル新興宗教?しかし何だろうな、某宗教を語っている場に居合わせる時の、信じてないにもかかわらず踏み絵か魔女狩りに遭ってるような後ろめたさは。
子供のころから「自分はどの宗教も信じないな」と思っていたから抜けるのはいいのだけど、正直抜け方が分からない。けじめをつけたいし、あの宗教のお墓に入れられるのも嫌なのでちゃんと抜けたいけど、昔の知り合いに会うかもしれないと思うと憂鬱。何よりも痕跡が残らないかとひやひやしてる。そういう意味ではやっぱり悪口を言う人と変わらないのかもしれない。相手も心配性だから多分それを心配してる。(でもってちょっと自分がその宗教に逆戻りするんじゃないかと心配されている気もする。なんだかな。)
以前抜けようと思ったけど、その時は親を否定することをあえてやるのかと思うとできなかった。結婚時に相手の宗教に乗り換えるか、親がいなくなった後でやめるのが穏便だと思った。信じてないのはまる分かりなので、引き延ばすのに意味があるのかって感じでもあったけど。その後一人暮らしで宗教に関連する話からは縁遠くなっていたけど、向き合う機会が戻ってきた。今度はきっちり無宗教になろう。