某宗教を抜けることにした。新興宗教に分類されるっぽい、それなりの信者数もいて政党もあるっぽい、すこぶる評判のよろしくない宗教。生まれた時から入れられていたが、割と小さいころから違和感を持っていた。少し大きくなって評判の悪さを知り、自分の判断は間違ってなかったと胸をなでおろした。(なんだか後ろめたい安心感ではあったけど。)
でも、親が信じているものをどうして信じられないんだろう、自分は冷たいのかという疑問はずっと持ってる。(ちなみに親は信じてはいるが他人に積極的に活動を勧めたりはしない)子供なんてはじめは親の世界観の中で生きているのに、なぜ自分は小さいころからその宗教に疑問を持ったんだろうってことも謎。当時、同年代の某宗教の集まりでは割とみな真面目に活動していた気がする(疑った子は集まりに来ていなかっただけかもしれないが)。本をよく読んでいたから、本で自分なりの世界観ができたんだろうという結論に落ち着いてはいるけど。親に認めてもらいたくて、小さいころから必死で信じようとしたって人もいるのに。自分が親になったら何かわかるだろうか。
結婚を考えている人に「いくら信じてないと言っても、そういう環境で生まれ育ったら、知らない間にそういう考えのようなものは染み込んでいるんじゃないか」と言われた。そんなことはその家に生まれた自分自身が一番思ってる。多分望まない環境(宗教に限らず)に生まれた人はみなそう思ってるし、本人が一番それを恐れている。だからって某宗教の悪口を言ったら負けな気がする。全力で悪口でも言ったら胸をなでおろしただろうか。
よく知らない人ほど、悪口を言うことで安全地帯に逃げる。疑われたくなければ真っ先にその宗教の悪口を言えばいい。多分ホモフォビアと同じようなもの。悪口を言う人は、何も知らない一般人というより、投票とかの被害に遭ったか、さもなくば親戚なんかにいるのかもね。それともライバル新興宗教?しかし何だろうな、某宗教を語っている場に居合わせる時の、信じてないにもかかわらず踏み絵か魔女狩りに遭ってるような後ろめたさは。
子供のころから「自分はどの宗教も信じないな」と思っていたから抜けるのはいいのだけど、正直抜け方が分からない。けじめをつけたいし、あの宗教のお墓に入れられるのも嫌なのでちゃんと抜けたいけど、昔の知り合いに会うかもしれないと思うと憂鬱。何よりも痕跡が残らないかとひやひやしてる。そういう意味ではやっぱり悪口を言う人と変わらないのかもしれない。相手も心配性だから多分それを心配してる。(でもってちょっと自分がその宗教に逆戻りするんじゃないかと心配されている気もする。なんだかな。)
以前抜けようと思ったけど、その時は親を否定することをあえてやるのかと思うとできなかった。結婚時に相手の宗教に乗り換えるか、親がいなくなった後でやめるのが穏便だと思った。信じてないのはまる分かりなので、引き延ばすのに意味があるのかって感じでもあったけど。その後一人暮らしで宗教に関連する話からは縁遠くなっていたけど、向き合う機会が戻ってきた。今度はきっちり無宗教になろう。
あーそういえば「信じてないなら抜けないのはなんで」とも聞かれたなあ。。
あーそういえば「信じてないなら抜けないのはなんで」とも聞かれたなあ。。
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