はてなキーワード: 意不とは
注意欠陥・多動性障害と言われているこの障害は、社会全体で見ても5%?くらいはいるらしい。(結構いるね)
ADHDというのは色々なタイプがいるが、自分は「注意欠陥」が強いタイプらしい。
自分のやってきた事を例でいうと、物忘れがものすごく激しくて、注意していても物は失くすし、やる事は忘れるし、部屋はうまれてから一度も片付いたことはないし、紙に用事を書けば紙ごと失くし、やりたくない事に注意を割くことが大の苦手で興味のない仕事はまったくやる気がでない。そして、それが努力してもなおらない。そんな感じだ。
薬ももらった。コンサータという奴だ。即効性があり、12時間程効くらしい。今の所効いてるんだか効いていないんだか、よくわからない。(目はしゃっきりする)
診断された事はいい。長年の疑問はすっきりだ。
それは親だ。
親はなんと理解を示してくれ、私が物を無くしたり忘れても「そういうもんだ」と許してくれるようになった。
「なった」という事は、診断前は違うという事だ。
小さいころからなくし物忘れ物先延ばし癖が全開だった事もあり、毎日3点のどれかで叱られていた。
筆記用具等は一瞬で消え去るし、なんなら筆箱ごと消え去る。
それを親に報告すると出てくるのが、「お前の努力不足/注意不足だ」という言葉だ。なくさない努力、なくさないように注意する努力が足りてないという事だ。
それに対し、「自分なりに努力している」「努力しているのになくなるのがなぜか自分でもわからない」といおうもんなら、「それはわからないんじゃなくて、わかろうとしていないんだ!努力不足だ!ふじこ」と無限ループだ。
まぁ、親はこんな感じで、「失くさないように一緒に気を付けよう」ではなく「失くしているのはお前の努力不足だ」という方向性だったので、「失くさないように他人(親)に頼る」という選択肢はすっかり消え失せ、「自分が努力していないから忘れる、自分の力で頑張らなければいけない」「自分のせいだ」とずっと思っていた。
そして努力の結果が結びつかない自分は、他人より劣る駄目な人間なのだと思っていた。
常に失敗していないか、間違えていないか、忘れていないか、他人の迷惑になっていないか、そして、怒られないか。
自分が忘れたせいで出来た穴を埋めなくちゃ、謝らなくちゃ、もう間違えたくない。
それで頭の中が一杯だった。
そしたらこれだ。
努力不足でも、だらしないクズ人間なのでもなく、自分は「そういうのが根本から苦手な人」のようだった。
私の特性を理解した親は、私が物を無くしたり忘れても「そういうもんだ」と許してくれるようになった
そして最近、「他人に頼れるようになれ」と言ってくる。自分が苦手な事を他人にわかってもらえという事だ。
それはもっともな意見だ。わかる。それに、理解してくれようとしている事は、世の中を見るに大変ラッキーだと自分でも思う。
でも、モヤモヤする。
「努力が足りてないから」と怒られ、しかし努力しても努力しても一向に直らずどうしていいかわからない私に、「わからないんじゃなくてわかろうとしないだけ」と言ったな。
それなのに今「努力不足なんじゃなくて、そういう物なんだよ!わからなくてもしょうがない!」と理解されても、なんだか、もう………無性に悲しい。
小さい頃の私の無念が、成仏できずにずっと胸の中でこだましている。理解してほしかった、もっと話を聞いてほしかった。どうしてかな?おかしいんじゃないか?と考えてほしかった。
親でさえ私の失敗を許してくれないのは、本当に、辛かった。
そして、その過去の気持ちを整理できないせいでもやもやしている、自分の器が小さすぎて反吐が出る。
昔の私にはさっさと成仏してもらって、今理解してもらえてラッキー!自分の特性が理解できてラッキー!前向きにいきよーぜ!そう思わなくてはいけないはずなのに、自分がちっちゃい奴すぎて、しにてぇ~ってなる。
あーあ。
『作者の姿勢とコミュニティによるツールの神格化が不便さに追い討ちを掛けている』
神格化ではなく、「諦め」。
自分以外の他人に対する尊厳を傷つけないように考えあぐねいた結果が、自分勝手に不便さの文句を言いたい本能を飲み込んで諦めたという、成れの果てだと思う。
作成者にしても、誰しも必ず大なり小なり知名度を広めたり、それで金銭が稼げることを夢見ると思うが、それ以上に利権問題が面倒なので、夢を見る事を諦めてる人が作成側の陣営に揃って居るか。
または自分の能力で作れる物が限られて当たり前なのだから、そこの所の問題を放置したままでも、文句を言わなかったり、それなりに使ってくれる人が多い界隈に投げ込むのは、当然の流れだと思う。
MMDは「自分にとって使いにくいものでも、他人とっては使いやすいもの」の考え。
それを作成者側も使い手側も同様に保ってきたから、精神的苦痛を作成者が受けない分だけ、金銭を求めない配布が可能だった。
二次創作関係はモデルで商売が出来ない場合が多い。もし金銭を取らなければならない程の負担が発生するのなら、最初からモデルすら作らない。
そしてMMDは「自分はこの分野は得意だが、あの分野は苦手」という部分を、Blender周りの環境よりも、さらに細分化して分担しているようなもの。
一貫して満遍なく操作する能力が有る、又はそういったマルチ的な思考が得意な人はBlender。
得意不得意にバラつきがある人は、作業ごとに自分の得意な分野だけ参加、または点的な長所を発揮しやすいMMDを選ぶ。
という様に、自分の特性とツールの特性が合致する使い分けをしているだけに過ぎないと思う。
Blenderで出来る事の方が人として凄いのだから、そこまでBlenderを愛するが故にMMDに正面切って苦言を言う位なら、周りの評価などに構わず、Blender布教の為の人柱として献身的に活動するべき。
仕事となれば、極力工数を減らした環境で一括して行うスキルが否応なく求められるが、趣味だけでやってる人間は工数の指定などないのだから、自由にやっていい。
それを自分がこうしたいから、そのソフトはダメだという事を言う、自分本位の人間の主張は本当の「大衆」の利益でなく、自分以外の財産を楽して得たい人間の、単なる身勝手な我儘しか考えられてないのが主体だと自覚を持った方が良い。
自分以外の誰かが望むことは、人それぞれだと言うこと。
人の財産を楽して得たい人が居れば、楽はしたいけれど他人の財産を奪う様な形では活動したくない人も居る。
その場合、人を傷つけない事を優先している人の主張に軍配が上がる。
意図的に他人を蔑ろにして誰かを傷つけに走れば、必ずそれは自分にも帰ってくる。筆者が言う人も、それで自分に返って来ただけの事。
そうならない人は、他人にちょっかいかける不名誉な行動で、自分にも傷が返って来るなんて馬鹿な茶番をする時間よりも、自分がやりたいことだけに注視したいから、そっちに手間を割かないだけ。
神格化とは全くの別物。
仕事では決められた枠で納品しなければ社会的に認められないが、趣味は社会的な土俵に無く許されることだから、操作規格が不揃いだろうとも、使い手側が文句を言えることだろうか。
本来なら文句を言われる必要の無い人間が、他人から「自分の為に、又は自分と同じ考えの集団にとって利益にならない物だから、自分達の利益になる様にしろ」という謂れの無い身勝手なケンカを吹っかけられては、嫌悪感を露にすることが当然の事ではないだろうか。
自分以外の世界の人間や生き物は自分を楽させる為に、生を受けて生きてる訳ではない。
不便は他人に補わせるという考えの人から「物だせやオラァ、アァン?」と来られれば「ふざけんなオラァ!」と返り討ちに遭うのは当然。
迫られた側が言葉で拒絶するだけで、画面向こうから手が飛んでこないだけ有難いと思う。
ましてMMDは趣味から発生して、現在進行形で仕事に疲れ果て、趣味オンリーという憩いを求める人の受け皿として支持されているのだから、商用の概念を持ち込もうとして弾かれたなら、それだけ仕事に疲れている人が多かっただけ。
ブラックな世の中に疲れて来る人達の憩いの場に、ブラックよろしく使い手側の利益優先の考えを持ち込めば、人が血走った目で睨んでくるのは、想像に容易い事だと思う。
という様に、拙宅は筆者とは異なる方向でMMD側が反発する理由の想像が付く。
もし仕事以外の趣味100%でやってる人間の主張なら、それは身勝手100%の不満でしか無い。
仕事もコミでやりたい人はアレコレと不満を言う事になる前に「仕事も込みで出来る環境を求める自分にとっての最適環境はMMDじゃ無いな」と。諦めの心を持てば良かったと思う。
すれば不満に思う気持ちも、わざわざ抱かなくて済んだろうに。
諦める他に道が無いなんて暴論だ、と思うなら「望めばなんだって叶う」という思い込みがあるから。
望めば何でも叶うのは正論。ただし、それを成す為に時間を掛けるのは自身であって、他人じゃない。
言いたいこと終わりです。存分に殴って下さい。
相手の感情に共感しにくさと、自分の感情の共感を求める度合いって比例するのかな?
ネットで色々見てると、たまにこの人は他者に共感するのが苦手なんだなって人が居る。
俺はそういう人は同じように自分の意見に共感は求めないし必要としない、つまり共感に価値を感じないと思っていたんだけど、
他者に共感するのは苦手でも、共感は欲してしまう人も居るのかな。居ないって事は無いだろうけど、多数派なのはどっちなんだろう。
俺は自分は共感しないのに他者に共感を求めるのは自分勝手だって長らく思っていたんだけど、
しないんじゃなくて出来ないならそれは誤解だしそういう人も居るって認識が必要だなと感じたりもする。
そういう人だと知れれば、少なくともそこに悪意が無いと思う事が出来る。
その内どこかで炎上しそうな案件ですが、軽い気持ちで購入してしまい引っかかって
下記の会社が「はずれなしのiPhone入り福袋1万円」や「はずれなしのswitchとPS4入り福袋」
(限定としていますが、実際には購入期限が毎日延長されています。)
twitter:https://twitter.com/officiaI_Drop
「スイッチやPS4が当たる」などのリツイートキャンペーンに応募したことは
当選すると送料をクレジットカードで請求されカードが不正利用される恐れがあるそうです。
https://togetter.com/li/1304995
私は元旦に福袋を軽い気持ちで注文をしたのですが、一向に連絡がなく、配送日を
カードで支払いをしたので不正利用されないかかなり不安な気持ちになっています。
サクラの購入者(BOT)にツイートさせたりするなど手口は巧妙です。
今もキャンペーンでフォロワーを増やし続けており、一見ではキャンペーンを
運営している真っ当な企業に見えるのでこのままだと被害者は増えていくと思います。
https://togetter.com/li/1288806
まず言っておくのは、家庭での家事・育児の分担の話は、各家庭の環境次第なので、共感を得るような文章を武器に一般化しようとするのは好きではない。
また、どのようはモチベーションかわからないが、特定個人を叱責したログを公開するのは基本的にやってはいけないことだと思う。
その上で「育児の責任は両親に均等にある」ということには大いに同意する。そのため「『手伝う』は間違い」という意見はある種正論のように感じる。ただし、冒頭に書いたように各家庭の環境によっては同意しかねる。
リンク先の主張は「育児の責任は両親に均等にある」ということと思う。それは本当にその通りなのだが、家庭における「責任」は育児だけではないことを忘れてはいけない。
「家庭生活を成立させるすべての活動における責任が、両親に均等にある」のである。それには、育児・家事・収入・周囲との関係性の構築・その他が挙げられる。
では、それらのすべての項目について、両親で均等に配分するべきなのだろうか。これは誰が決めることでもなく、各家庭で相談して決めればよいので「そうだ、均等にする」という家庭もあるかもしれない。
だが実際にすべてを均等にできることはないだろう。責任は均等にあるとしても、得意不得意や状況を加味してお互いにこなすタスクを分担しないと効率が悪く、回らないだろう。
そのため実際にやるタスクには偏りができてしまうわけだが、お互いに「責任を委譲」していることを忘れないようにしたい。相手への尊敬は忘れずに。
他のバランスを考慮せずに育児のみにフォーカスし局所的にタスクを均等化してしまい、かえって片方の負担が増えてしまう、というようなことが起きないよう祈るばかりである。
オリラジあっちゃんの記事に、憤りしか感じない。それはおそらく、自分が似たような行き違いを夫としているから。肝心なのは、中田さんは、福田さんの気持ちをわかろうとしたか?ということだと思う。
中田さんは、アレをした、コレをした、ということを言っているけど、じゃあなぜ妻がそうして欲しかったのか、わかろうとしたか?なぜ妻が子どもを先に拭いてくれと言ったのか。子どもが冷えてしまうことを心配していた母親心を、中田は理解したのだろうか。
中田さんの主張を見ていると、自分は我慢して、自分のやりたいことができていない!と仰せだけど、奥さんは?
「それぞれの夫の長所を伸ばしてほしい」
奥さんは?あんなに可愛くて素敵な奥さんの笑顔をどうして伸ばしてあげなかったの?あんなに可愛かった奥さんを、わがまま若手女優にしてしまったのは、誰?
奥さんは?奥さん、タバコは?お酒は?趣味は?オシャレは?仕事は?
当たり前だ。奥さんだって、子育てなんかしてるより、綺麗に着飾ってて面白いこと言って、みんなに素敵って言われる方が向いてるし楽しいに決まっている。
男性は、「やーめた!」で投げ出せる。
でも奥さんは?奥さんは子育てを投げ出せるの?子どもたちはどうするの?
本当に自分のことしか考えずに、わがままを言っているのは、誰?
「シッターを雇えばいい」
結論的にはそうかもしれない。でもね、奥さん んは、まず旦那さんにわかってほしかったんじゃない?自分のやりたいことぜーんぶ我慢して子育てしている自分の気持ちを。
同じ我慢をしろとは思っていない。ただ、わかってほしい。子育てのタスクの多さ、自分のことなんて考える余裕もない日々。追い詰められた気持ちを、分かって、助けてほしかったんじゃないかな。
どうやら、ここに男女の行き違いが生じるらしい。男性は「問題解決」、行動で解決したがる。妻がああ言うから、やった。言われた行動をとれば満足してもらえると考える。
でも女性は違う。女性が求めるのは、「感情の共有」。自分のかかえる悩みやフラストレーションを、とにかく「わかってほしい」。わかってほしいから訴える。
けれど、女性から何かを訴えられたとき、男性は「じゃあこうすればいいんでしょ」と行動をとる。あれもやった、これもやった、と主張しているあたり、中田さんもそれに当てはまるのではないかしら。
けれど、女性が本当にしてほしかったのは、「気持ちをわかってもらうこと」。いくら行動をとっても、気持ちをわかってもらえない、自分の本当にしてほしいことが解消されないから、エスカレートする。そして男性は、こんなにやっているのに!なんで!?となる。
うちの場合はそうだった。
もちろん、男性でも他者の気持ちを慮ることのできる人もいる。でも、男性の中には他者の気持ちに共感するということが本当に苦手な人もいる。それこそ、個々の得意不得意、の範囲であって、どちらがいい悪い、ということはない。
ただ、女性にとっては、出産・育児の大変さは、その向き不向きに関係なく、女性というだけで降ってくる。その人生の大変な時期に、パートナーである夫に寄り添ってほしい。ただそれだけのことなのだ。
そのあたりの男女の行き違いは、お互いに自覚することが欠落していると思うし、もう一つは、女性にとって出産・子育てというのがどれだけ大変で、どんなサポートが必要か?という社会全体の知識不足にあると思う。
ここまでボロクソに書いたが、実は中田さんの感じている事は間違いではない。自分の好きなことを我慢して、仕事も制限され、自分の向いてない家事育児をしなければならない。それはとても大変でつらいこと。
しかし、多くの女性はその困難を背負うことを「当たり前」とされているのだ。中田さんの奥さんもそう。中田さんが「やーめた!」と言った家事育児は誰が担うのか。間違いなく中田さんの奥さんだ。そこをどう考えるか。
「奥さんが作り上げたいい夫像を押し付けられる」と言っているが、自分はどうか。「子育ては女性のするもの」という「いい奥さん像」を無意識のうちに押し付けているのは中田さんのほうなのではないだろうか。
つまり、足りなかったのは「出産・育児が女性に与える負担」の知識。奥さんも中田さんも、ぼんやりと家事育児は女性がして当たり前、という前提があって疑わなかった。けれど実際蓋を開けてみたら趣味も仕事も我慢するばかりで育児って大変。
もうこれは日本社会全体がそういう空気だし、女性の出産・育児ということへの知識が足りなさすぎるのだ。本当はこんなに大変なことなのに、何の疑問もなく全部女性におっかぶせてきた。そこに問題があるのではないだろうか。
夫と妻、それぞれどの程度負担していくかは、各夫婦で落とし所は違うかもしれない。それで構わない。けれど、芸能人である中田さんが「いい夫やーめた」と声高に言うことで、それがモデルケースのように扱われることに怖さを感じる。
ちょっと待って、それでいいの?
きちんと奥さんと話し合って。納得した上で決めてほしい。
シッターを雇うにしても、奥さんの気持ちを聞いた上で「そんなに負担に感じているんだね。それならシッターを雇うのはどうだろう」と話し合うのと、「やーめた!そんなに不満なら稼いでくるからシッターでも雇えばいい!」と突き放されるのとでは全然違う。
イクメンがもてはやされ、男性の育児参加が進んできた時代、揺り戻しがくるのは仕方のないことだと思う。でもそれは、女性からしたら「やっと育児の大変さに気付いてくれたのか!」という段階。
そうなんだよ、仕事も趣味も酒もタバコも付き合いもぜーんぶ我慢して向き合わなきゃいけないんだよ。すごく辛いことなんだよ。
だからこそそこで、「やーめた」となってしまうのではなく、もう一歩踏み込んで、「この負担を減らすために、夫婦2人でどうやって協力していったらいいか」という視点に持っていける社会になってほしい。
そんな僕も色々な部分の男女差別が問題になることが正直よくわかっていない。理解できていない、ということに関しては女性活動家の方に申し訳ないと思っている。
だけど正直なところ、軍隊に女性も入れるべきだとか、女性専用車両はおかしいだとか、男女で役割や得意不得意があるのだから当然では?と思ってしまっている。
もちろん、実名ではそんなこといわないけど。
連中は自分の利益のためにのみ活動してる(≠社会正義)から、あなたも粛々と自分の利益や価値観を守ればいい。
LGBT差別は良くないだの、男女差別は良くないだの実名では言っているけど
本来なら、まずは差別意識が無くなっていくように勉強・理解していかなきゃダメなのかなと思うのだけど、
それをすっとばしていきなり「差別No!」という世の中になっている気がする。
自分が理解できない世の中になって困惑した人の不満(不安かもしれない)が溜まっていく。
でも、世間の目は怖いから匿名などで投稿する。ばれる。処刑される。
あまりうまく言えないけど、差別する側もされる側ももっとお互い歩み寄って理解する必要があると思う。
そんな僕も色々な部分の男女差別が問題になることが正直よくわかっていない。理解できていない、ということに関しては女性活動家の方に申し訳ないと思っている。
だけど正直なところ、軍隊に女性も入れるべきだとか、女性専用車両はおかしいだとか、男女で役割や得意不得意があるのだから当然では?と思ってしまっている。
もちろん、実名ではそんなこといわないけど。
答えはどっちも凄くない。
比較にならないからだ。この質問は「ネズミとリス、どっちの肉が美味しいか」と聞いてるものと同じくらい無意味である。
人間、もとい動物は本能的に闘争を求め、少しでも他者の上に立とうとする。とはいえ選んだ土台からはみ出し別の階級で勝負を吹っかけるのはゴリラでも猿でもしない。もし闘いたいならば学歴でマウントをとってやればいい。
文系と理系、何が違うのかっていえば学ぶ学問が違うだけだ。理系の方がちょっと難しい勉強をしているだけでどちらが良いか悪いかに繋がるはずが無い。
理系の学問が難しいということについては自分はこの意見を曲げるつもりは無い。
ただ文系が良く口にする「国のトップや偉い人は文系なんだ!」とは何か?それは文系が国のトップや偉い人になるための勉強をしたからであり、理系が口にする「将来が安定していて未来の役にたつのは理系だ!」というのも、理系がそのような勉強をしてきたからである。
そこに果たして優劣はあるのだろうか?
人間得意不得意があり、社会の一部となるにはその得意なものを利用していかなければならない。文系も理系も体育会系も美術系も人を楽しませる仕事も全て日本には「必要不可欠」なものである。(無論NEETは必要無い ) これを踏まえた上で文系と理系、どちらが凄いかと言えば、どちらも凄いで良いのではないだろうか。
みなさんこんばんわ。みんなだいすき()アイドル増田ーのお時間です。
本日実施されましたTHE IDOLM@STER PRODUCER MEETING 2018 What is TOP!(!は省略)にてアイドルマスターミリオンライブシアターデイズ(通称ミリシタ)への楽曲ToP!の追加が告知され、寸暇をおかず実装されました。
この楽曲の実装については、振り付け中にハイタッチや手をつなぐといった動作があることから、スペックの劣るスマホでの実現は難しいだろうと思われてきました。
しかし、今回その点を完全にクリアしてミリシタへの実装がなされ、多くのPが驚くこととなりました。
と同時に、アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ(通称デレステ)もプレイしているPには嫌な予感が走ります。
デレステでは数日前に凸凹スピードスターという新楽曲が実装されています。楽曲は素晴らしく、MVも実に凝っていて楽しいのですが、振り付け内でアイドルが向かい合って手でハートマークをつくるという箇所においてオリジナル歌唱メンバーでなければ手の位置がずれてしまうという一点においてアンチや対立厨の槍玉に挙げられていました。
そんな中、何かと比較されることの多いミリシタにおいてその点をきっちりクリアしてきたものが近いタイミングで実装されたわけですから、やはりと言うべきか対立煽りの格好のネタとして使われてしまうこととなりました。
デレステとミリシタの両方を真摯に追ってきた人間であれば、ミリシタは様々な3Dモーションを実現するために拡張性の高いシステム構築がなされている一方でデレステは背景やライティングといった映像全体でのクオリティアップへ注力されている、といった戦略の違い得意不得意の差と理解できるでしょう。
そうでなくても、用意には実装できない技術なのだろうと発想できる人間であれば、それを実現できたミリシタ開発スタッフへの称賛こそあれ、それを実装していないデレステ開発スタッフを非難するなど出来ようはずもないと私は思います。
さて、ここで話が飛びます。
私事ですがつい先日、録画溜めしていたアニメ、『宇宙よりも遠い場所』(通称よりもい)をイッキ見しました。
このアニメは様々な事情を抱えた高校生少女4人が紆余曲折を経て南極へと旅する青春アニメなのですが、その11話でこのような話がありました。
主人公たちが南極に到着し昭和基地で観測隊員とともに生活をおくる中、大晦日の広報企画として日本とのビデオ中継が実施されることとなり、主人公4人組のひとり三宅日向の同級生らが登場します。
この同級生らは日向がかつて通っていた高校の陸上部員なのですが、彼女らに裏切られたことに端を発し日向は高校を退学するに至っています。
そのような事があったにもかかわらず、(その同級生らは謝罪したいとのことではあったが)いけしゃあしゃあと「友達が南極へ言ったので自慢したい」と連絡をとってきた彼女らに日向はひどく憤慨します。と同時に彼女らを許せず憤る自分を「小さい人間」と自責します。
そんな日向を見て、中継放送実施の直前スタンバイしている同級生らにむかって小淵沢報瀬、玉木マリはこのように喝破します。
報瀬「はじまる前に一つだけ良いですか。悪いけど、三宅日向にもうかかわらないでくれませんか。あなた達は、日向が学校辞めて、辛くて苦しくて、あなた達のこと恨んでると思ってたかもしれない。毎日部活の事思い出して、泣いてると思ってたかもしれない。けど、けど……」
マリ「けど、そんなことないから!日向ちゃんは今、私達と最っ高に楽しくて、超充実した、そこにいたら絶対できないような旅をしてるの!」
対立煽りのネタにされてるんだろうなあと真っ先に思い、SNSやらまとめサイトやらに案の定ネタにされてるのわざわざ見に行って、勝手にイラついてるときにこの話を、このシーンをふと思い出しました。
やっぱり自分は「小さい人間」で、楽しんでる心の何処かで、ネット越しの悪意を無視できず無様にも自滅します。
でも、対立煽りなんぞで満足しているような、アンチ活動で悦に浸ってるような、そんな連中ではたどり着けない面白さへと歩いている、「そこにいたら絶対できないような旅をしてる」んだと。
誰かの役に立たなければ生きている価値など無いし。親や友達からそのままの自分で生きていてよい、と示されたこともなし。
ネットで同じ心境の徒を探そうと思えば、そこに延々と説教が続いている。生への肯定感を持てなかったのは大人なら自分の責任だと。知るか。親の育て方100%だろ。
得意不得意は相対的に決まる、そりゃそうだ。しかし身内や職場に限ってもあらゆる部門での上位互換がいる。私は戦争になった時のための弾除けにしかならぬ。
こういう風に精神衛生が悪い時に機関車トーマスを見ると最高にイライラする。
控えめに言っても無能な機関車達が「役に立つ仕事をしたいんだ!」などとほざく。自分の姿、しかも無能なのに自己肯定感だけ持っている自分の姿を見せられているようで。
ドラゴン桜の英語の上達方法についてのまとめが盛り上がってたのでちょっと思い出した
入社数年目で海外案件を担当することになって(単に人が居なかったからで英語が得意不得意は関係なかった)
当たり前だが作成する資料や現地で打ち合わせするのは全部英語でひたすら英語漬けの毎日だった
案件を始めたばかりの時は読み書きはともかく一切話せなかったのがなんとか向こうで生活できるレベルにはなった
スタート時に3ヶ月ほど英会話にも通ったのだがそれ以上に毎日必要に迫られて英語に触れるのが大きかったと思う
今は道を尋ねられても英語で説明どころかその意図さえ聞き取れず理解できないと思われる
当時受けたTOEICはリスニングが過去最高点でそれ以降は下がる一方だった
日常生活でも仕事でも英語を使わない状態で話せるようになるというのは至難の業だと思う
でも今のところ生きる上で特に困ることはない