注意欠陥・多動性障害と言われているこの障害は、社会全体で見ても5%?くらいはいるらしい。(結構いるね)
ADHDというのは色々なタイプがいるが、自分は「注意欠陥」が強いタイプらしい。
自分のやってきた事を例でいうと、物忘れがものすごく激しくて、注意していても物は失くすし、やる事は忘れるし、部屋はうまれてから一度も片付いたことはないし、紙に用事を書けば紙ごと失くし、やりたくない事に注意を割くことが大の苦手で興味のない仕事はまったくやる気がでない。そして、それが努力してもなおらない。そんな感じだ。
薬ももらった。コンサータという奴だ。即効性があり、12時間程効くらしい。今の所効いてるんだか効いていないんだか、よくわからない。(目はしゃっきりする)
診断された事はいい。長年の疑問はすっきりだ。
それは親だ。
親はなんと理解を示してくれ、私が物を無くしたり忘れても「そういうもんだ」と許してくれるようになった。
「なった」という事は、診断前は違うという事だ。
小さいころからなくし物忘れ物先延ばし癖が全開だった事もあり、毎日3点のどれかで叱られていた。
筆記用具等は一瞬で消え去るし、なんなら筆箱ごと消え去る。
それを親に報告すると出てくるのが、「お前の努力不足/注意不足だ」という言葉だ。なくさない努力、なくさないように注意する努力が足りてないという事だ。
それに対し、「自分なりに努力している」「努力しているのになくなるのがなぜか自分でもわからない」といおうもんなら、「それはわからないんじゃなくて、わかろうとしていないんだ!努力不足だ!ふじこ」と無限ループだ。
まぁ、親はこんな感じで、「失くさないように一緒に気を付けよう」ではなく「失くしているのはお前の努力不足だ」という方向性だったので、「失くさないように他人(親)に頼る」という選択肢はすっかり消え失せ、「自分が努力していないから忘れる、自分の力で頑張らなければいけない」「自分のせいだ」とずっと思っていた。
そして努力の結果が結びつかない自分は、他人より劣る駄目な人間なのだと思っていた。
常に失敗していないか、間違えていないか、忘れていないか、他人の迷惑になっていないか、そして、怒られないか。
自分が忘れたせいで出来た穴を埋めなくちゃ、謝らなくちゃ、もう間違えたくない。
それで頭の中が一杯だった。
そしたらこれだ。
努力不足でも、だらしないクズ人間なのでもなく、自分は「そういうのが根本から苦手な人」のようだった。
私の特性を理解した親は、私が物を無くしたり忘れても「そういうもんだ」と許してくれるようになった
そして最近、「他人に頼れるようになれ」と言ってくる。自分が苦手な事を他人にわかってもらえという事だ。
それはもっともな意見だ。わかる。それに、理解してくれようとしている事は、世の中を見るに大変ラッキーだと自分でも思う。
でも、モヤモヤする。
「努力が足りてないから」と怒られ、しかし努力しても努力しても一向に直らずどうしていいかわからない私に、「わからないんじゃなくてわかろうとしないだけ」と言ったな。
それなのに今「努力不足なんじゃなくて、そういう物なんだよ!わからなくてもしょうがない!」と理解されても、なんだか、もう………無性に悲しい。
小さい頃の私の無念が、成仏できずにずっと胸の中でこだましている。理解してほしかった、もっと話を聞いてほしかった。どうしてかな?おかしいんじゃないか?と考えてほしかった。
親でさえ私の失敗を許してくれないのは、本当に、辛かった。
そして、その過去の気持ちを整理できないせいでもやもやしている、自分の器が小さすぎて反吐が出る。
昔の私にはさっさと成仏してもらって、今理解してもらえてラッキー!自分の特性が理解できてラッキー!前向きにいきよーぜ!そう思わなくてはいけないはずなのに、自分がちっちゃい奴すぎて、しにてぇ~ってなる。
あーあ。
まだ治る可能性はある、と信じていた親御さんが一番ショックだろうな 障害だから仕方ない、 という諦めの気持ち。ボケないと良いけど。