はてなキーワード: 反動とは
https://anond.hatelabo.jp/20170907021659
始めた頃は74キロだったのが、66~65キロをうろうろするようになった。
今の所特に無理もせず、大きな戻りもなく、順調に続けて順調に下がっていっている。
正直誰からも「痩せたね」と言われる事はないし、見た目に痩せた感じは全くない。
もしかして体重計がおかしいのか、私がいつも見ているこの数字は幻なのかと本気で考えたりもしたんだけど、この前あった会社での健康診断でちゃんと体重は落ちてた。
よかった。
飽き症なんだけど当初決めたふんわりとしたルール、
①無理はせず続ける事を第一に考える
③レコーディングする
①をまずルールとして設定したのは、昔きつめのダイエットをやって痩せたもののやめた途端思いきりリバウンドした事、ダイエット中にきつさに根を上げて成果が出るまで続けられなかった事があるからだ。
反動が起こらないような、また日常の延長線上にあるようなものにしようと思った。
また期間を限定してのダイエットは、「明日から」になりがちだし、結果が出なかった時の失敗感もすごい。
なので「無理せず」「とりあえず続ける」を一つ目のルールとした。
大きな戻りもなく、と上で書いたけども、小さな増減は結構ある。
でも続けているとそこから減っていくし、一週間前と比べず、一か月前と比べると確実に減っているので、気にしない事にした。
あとグラフ(カロリー管理のアプリを使っている)を見ると、一気に減る、停滞、少し増える、一気に減る、というサイクルが出来ているので、きっと自分が悪いのではなくそういうものなんだと。
ちなみに増え始めるのは月経の前で、一気に下がるのは月経後だ。
これは皆そうなのかな?それとも人それぞれなんだろうか。
月経前にはお通じが良くなるのでそれのせいもあるかもしれない。
あんなに憂鬱だった月のものが今はちょっと楽しみになっている。
無理をしない、で言ったら、カロリー制限以外の事は基本的に考えない。
制限内ならお菓子も食べるしラーメンも食べるしハンバーガーなんかも食べる。
飲み会では一応気にしつつもカロリー上限を超えても仕方ないと思うようにしてる。
塩分を取り過ぎた翌日は確実に体重が増えているので、塩分取りながら「明日は増えてそうだな~」と思うけど別に気にしない。
一日の摂取カロリーの上限だけを気にして、食べたいものを食べてる。
たまに馬鹿食いしたくなる時はある。
でも自担の美しさとあの時の居たたまれなさを思い出す事で簡単に我慢できるようになった。
あー、でも二つほど悩みがある。
一つ目はこれまで快便だったのが便秘気味になっている事だ。
正直これまで便秘で悩んだ事はなく、ダイエットと便秘が結びつかなかった。
大体のダイエットサプリの説明を見ると便通がどうのこうのって書いてあって「私快便で太ってるけどな?」と思ってたんだけど、単に私が快便だったのは過剰なカロリー摂取のためだったようだ。
便秘苦しいね。快便、下手したら下痢気味で生きてきた私には、この辛さがわからなかった。
お腹重い。あと便秘してると体重が減らない。出すと減る。出したい。出して減らしたい。
これかあと思った。世のダイエットサプリが訴えてた事は本当だったんだ。(サプリが効くかどうかはともかく)
ジャニーズにハマる前からとあるスポーツ観戦が趣味なんだけど、特に海外の選手を応援しているので、夜中に放送されるそれをリアタイするには睡眠時間を削らねばならず…。
仕事で日付超えてから帰宅しても一旦仮眠して3時に起きて観戦した日に体重計乗るとガツンと増えている。
最初は摂取カロリーをさらに抑えてみたり、便秘薬飲んだりして改善を図ろうとしてみたんだけど変わらないしなんでだろ?と思って自分の行動と照らし合わせてみたら、見事に観戦のために睡眠時間を削った日とかぶってた。
かといってリアタイ観戦はやめたくないので、できるだけ仮眠時間を取れるようにしよう、と思っている。(なかなかできていない)
自担が毎年やってる舞台が冬にあると仮定して、そこまでにあと2キロくらい痩せたいなあ。
自担、54キロなんだって。身長は私よりもあるのに。筋肉もあるのに。
8キロ痩せた私よりまだ11キロも軽いとか私どれだけ太ってるの。
道のりは遠い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASKBT7GGDKBTUTFK01F.html
そもそも民進党がもうボロボロだったという前提を忘れ去らないで欲しい。
お前らが好きだろうが嫌いだろうが細野は民進党のホープであり大物で、
有田芳生のような生粋の左派議員すら当初は前原の大胆な打開策に熱心な支持を表明してた。
これがなんで「無能で悪意のある右派の前原が1人で民進をぶっ壊した」みたいなまとめ方をされるんだよ。
まるでそいつ1人がすごい無能だったとか、悪意があったみたいに言うのは違うだろ。
何の話題にもならずに死んでいくところを
希望に合流という奇手のおかげで話題の中心に立っただけででもナイストライだったし
それの頓挫から立憲民主党に話題が移って、結果的には民進は生きた。
民進のままやってるより総体の議席なんか絶対増えてるのに、何で批判一色なんだ。
立憲の人達なんかむしろ前原に感謝するぐらいまであっていいだろ。
どうも前原叩きには武田勝頼や石田三成を悪く言うような理不尽さを感じる。
歴史の敗者はこうやってめちゃくちゃ言われるようになるんだな。
まずは、外の世界から隔離した場所を造り、そこへ人間達を住まわせます。
飲むだけで空腹が満たされ、若さを保ち、健康でいられる”湖”をつくりました。
その水は、人間だけでなく、植物を潤し、空気もきれいにします。
身体にかけるだけで、汚れが取れ、傷が治り、とても良い香りに包まれます。
しかし、何ヶ月か過ぎると、人間達は不満を持つようになりました。
神様は、人間から男女の種別を無くし、その原因を取り除きます。
そして子孫を残せない代わりに、永遠の命を与えました。
調べてみると、綺麗な者が醜い者を虐げていました。
https://anond.hatelabo.jp/20171022210553
少し追記する
人間の英知とは、自身で出来ることの増加ではなく、環境を変えることへの志向から生まれた
例はいくらでもある
利便性と効率の追求によって、職人は消え、仕事は消え、人は人と仕事をしなくなる
人は欲求阻止体験を抱え込むことから解放されつつある。しかし苦悩場面を体験しないで済むということは当然その時発動される自我の防衛・工夫などの鍛錬をしないことに通じる。
人は言葉を使って考えることで世界を内的に再構成すると言われるが、欲求満足や快感が保証される社会では、個人はそうした作業負担を免れる。人格はその構成を拡散させたままでも生存できる方向に向かっており、人は欲求とその満足というパターンを得ているうちは良いが、そうでない時には著しく脆弱な反応を見せる、「考えない」存在になっていくことが懸念されるのである。
事実、対人関係だけはこうした欲求一満足という即物性を欠いている(人をモノ化した際には成立するが)。
現代人に残された難物がコフートの言うように周囲の人間との関係性に悩むことであるかもしれず、またそれも情報機器の助けによって容易に自己完結的な引きこもりへの道が用意されていると言えよう。
この「人をモノ化した際には成立する」というのが、今の日本で行われつつあるのではないだろうか
「現代のオタクは少女をどこまで「破壊」すれば安心するのだろうか」で書いたように
キャラクターとはそもそも、人間性を破壊しモノ化した対象を指す
また、現代における現実の人間関係がそもそも、葛藤回避的である印象もある
お互いに不快な思いをさせないよう、生ぬるい表面的な関係とやり取りに終始する傾向にあるのではないだろうか
その反動としての「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」や「とらドラ!」の存在が持て囃される一方で
彼らの世界には葛藤はなく、それを表現した作品への希求はなく、ただただ苦痛な体験をアニメ媒体を通して追体験させられているように感じられるのではないだろうか
そこにきて「Re:ゼロから始める異世界生活」において主人公が陥るような自己肥大と自己嫌悪といった葛藤に直面化させられると
「主人公が気持ち悪い」「かっこ悪い、見てて苦痛」という感想しか持ちにくく、自分と相対化してみることができなくなる
ネットにおいて「自分がその段階を通過していないから、スバルに対して"ああ、自分もこういう時期あったな"とみることができない」という指摘がしばしばみられるが
「人の繋がりは大切だ」
「失敗を恐れないで」
「自分に正直に生きよう」
「仲間がいるから強くなれる」
なに?
脳みそ空っぽにして萌え萌えアニメで現実逃避して、よ~しおじさん明日も頑張るぞいってなりたいだけなのに。
いきなりメタルダーやBaby stepsみたいな事を言われても困るんですよ。
学校(職場)や日常生活でもちょっと孤立してる気がするけど、これからも現実から逃げて楽しい時間を過ごすためにしかたなく明日も現実で頑張るぞいって思ってから寝たいだけなのにさ。
布団に入る前に脳をリセットしておかないと起きた後で反動がキツいぞって事?
確かにちょっと懐かしくて優しい夢を見ているときに目覚ましの音で起きると「どうして自分の人生はこんなことになったんだろう……」って頭抱えそうになるけどさ。
そうならないための予防接種なの?
そこまで気を回してくれなくていいよ。
ただ甘やかしてくれるだけでいいよ。
俺達なんかに優しくしないでいいよ。
その方が逆に安心できるんだよ。
カラオケでリライトしまくった世代にとってナンバーガールの名前は「あの伝説のバンドね」という印象だろう。
この世代で楽器を持ったことがある奴なら、聴いたことはなくても名前は知っているはずという存在だ。
当時は飾り気のない、そこらへんのお兄さんが楽器を構えているようなバンドが人気を集めていた。
今考えるとそれはAIR JAM世代やモンパチ、HYといった沖縄出身バンドの躍進でインディーズレーベルの存在感が増したことや、
ヴィジュアル系ブームに代表されるオーバープロデュース気味だった90年代からの反動があったんだろうと思う。
ELLEGARDENやバンプ、ベボベはまだしも、アジカンやフジファブリックの志村は飾り気のないというラインを超えて、モッサい予備校生にしか見えない出で立ちだった。
思えば一世を風靡したオレンジレンジも全身スウェットでMステに出たりしていたな。
というのが中高生にとってのカウンターカルチャーになっていた。
アジカンやくるりはメガネロックという雑な括りでメディアに取り上げられることもあった。
当時はバンドのフロントマンが公務員のような銀縁眼鏡をかけているというだけでも斬新に映ったのだ。
そのメガネロックのはしりとして紹介されていたのが、僕がナンバーガール、通称ナンバガを知るきっかけなのである。
当時既にYouTubeやWikiが浸透していたので、聞きなれないバンド名を見聞きしたら僕はすぐにググっていた。
ヒットしたサイトからアーティスト写真と簡単なプロフィールを見るところでは、
華奢な女性がギター、アンガールズ風のきのこ頭がドラムらしい。かっこいいと思った。
僕が思い出す限りではWikiを見ると
「eastern youthやbloodthirsty buchersらと並び、ピクシーズなどに代表されるオルタナティブロックを日本でいち早く取り入れた」とか
「向井のシャウトは『喉を切り裂いたようだ』と評された」とか、
「くるり、スーパーカー、中村一義と共に97年世代と呼ばれた」など、
よく知らないアーティスト名ばかりでいまいちピンとこなかったが伝説ぽいフレーズのオンパレードで胸が高まった。
そしてつべで「透明少女」「Omoide in my head」の動画を見てみたのだがその時はあまり良いと思えなかった。
理由は単純で「School Girl Bye Bye」「School Girl Distotional addict」収録の曲はどれも構造が複雑なのである。
AメロBメロサビというポップスに慣れきった中学生にとって「透明少女」はアブノーマル過ぎた。
ボーカルにまで楽器用マイクを使い、福岡にある馴染みの貸しスタジオで録ったローファイな音もとっつきづらかったのかもしれない。
終始キメキメな「U-REI」
無闇矢鱈にソリッドな「鉄風、鋭くなって」
アルバム「SAPPUKEI」は特に何回も何回も聴いたお気に入りである。
無論他のアルバムもZAZENもToddleもVolaもよく聴いたが。
イントロがいい。
すごくいい。ギターの響き?専門的なことはわからないけど、そこはかとないエモを感じる。演奏から滲み出る哀愁というか、明るさというよりはがむしゃらさ。
それは向井の「俺押さえ」と、ジャムセッションをする上での向井とギターのひさ子のコンビネーションによるところだ。
ナンバガにおいて向井はローポジでコードをカッティングしていることが多いが、
理論上ではジャズで用いられるセブンスコードと似た響きを持つこれらのフォームは「俺押さえ」と呼ばれている。
その「俺押さえ」にジャムセッションを重ねていく過程で、ひさ子がギターの音を補完すべくハイポジで弾きまくるわけだが、
何せ向井オリジナルのコードに絶対音感があるわけでもないひさ子が勘で合わせていくので結果的に分数コードになっているときもある。
複雑でごちゃつきながらも何故かスムーズに聞こえる、そんな奥行きのある響きを作り出せる。
つまりナンバガはバッキング主体で深いディストーショントーンという疾走感あるオルタナのスタイルにのっとりながら、
なんとなくわかる。
BLUE ENCOUNTや04 Limited Sazabysとか
Mrs. Green Appleとか何かみてくれいいもんな。
確かにかっこいいんだけど。
すごい。すごいぞナンバーガール。
この時代に改めてナンバガを褒めちぎられているの、すごくテンション上がった。
現役高校生だとするならば、一昔前の、
とりあえずこれだけは守れ。
それすら守ってない奴はもう絵をネットに上げるな人に見せるなってのだけ言います。
1ー線は思い切って
2ー輪郭はハッキリと
3ー自信がなくても堂々と
この3つです。
一言にまとめると「常にハッキリとした太い線を引くように心がける」です。
上達が遅い人はこれが出来てません。
弱々しいタッチでシャッシャッシャッと細い線を何度も引いて「パっと見上手く見える気がする輪郭のボンヤリとした絵」を量産するのはやめましょう。
やたらウッスラと背景を描いて「本気を出したらここに凄い背景を後から加える気だったのです」みたいなオーラを出すのもやめましょう。
はっきり堂々と完成させるべきです。
パソコンで書いてる人は線の太さを思い切って2回り太くしましょう。
背景や小道具を書くなら下手なりにハッキリと書きましょう。
ふわわ~と描いて読み手が好意的に解釈してくれるの期待するような態度は駄目です。
それでは上手くもなれませんし、見てる人からいい評価も受けられません。
確かに、弱い線を何本も重ねるやり方の場合、書き終わった後には少しだけいい絵に見えます。
しかし、次の日に見ると魔法が解けてしまいその反動で余計にダメージを受けます。
圧倒的に良いのです。
さあ、今すぐペンの太さを上げましょう。
2、3年前から夫は日本株を中心に株式投資を始め、最近は「株主優待タダ取り」もやっている。
週に1~2回は、自分ではなく、夫に2歳の子どもの保育園のお迎えを頼んでいるが、
毎回、帰宅時に就寝できる状態になく、結局、子どもの就寝時刻は23時近くになってしまう。
ひどい日は22時から入浴していた。理由をきくと、一緒に録画した幼児番組を見ていたという。
今週、9月14日はさらにひどく、散らかった部屋と干しっぱなしの洗濯物を見て
「遅すぎる」と怒ると、「今日しかできない優待タダ取りが最優先」だと反論した。
確かに自分がお迎えを担当した日も、たいてい22時過ぎになる。
そもそも19時近くまで預けているため、夜の時間が絶対的に足りないのだ。
とはいえ、自分の場合、翌日の保育園の準備、食洗機にかける食器の予洗い・本洗い、
子どもの入浴や歯磨きを手伝えという。もちろん、寝かしつけもしない。
わずか数時間前に子どもと一緒に食事を済ませたにも関わらず、たいてい毎日、夜食を作って食べている。
食器洗いの回数と量は2倍。いったい、自分は、いつ入浴や食事をすればいいのだ?
結局、一刻でも早く子どもを寝かし、自分も寝るためには、食事を削るしかなかった。
帰宅時の電車内でゼリーなどをつまんで小腹を満たし、寝る前に一口で食べ終えるスイーツを食べる。
だが、だんだん就寝時刻がずれこみ、それすら食べる時間がなくなってきた。
その反動で、早朝に起床し、朝食だか夜食だかわからない時間帯に、
1日分をまとめて食べてしまう。
保育園の先生にも、まだ幼いうちは遅くとも22時には寝かして欲しいと、アドバイスを受けた。
毎日、小言を言い続けるのも疲れてきた。
性格の不一致、価値観の違いは、「子ども」の存在で明確になる。
「夫が子どもを早く寝かせようとしない」
「子どもや夫と一緒に食事を摂ろうとすると落ち着かない。特に夫が隣にいるとほとんど食べられない」
文字に書き出すと、愚かな悩みだ。カウンセリングでは解決しないとわかっている。
「他人」を変えることはできない。