はてなキーワード: ブーメランとは
ブーメラン刺さってる刺さってる
ミリシタはランダムだけど無料で限定込み確定ガシャチケ。デレステは金払ったらセレチケ。
デレステは取り敢えず何でも金なんだね。正直ミリシタの闇鍋もあれだが、取り敢えず金払えってのはなぁって思いました。さすがサイゲ
(シタ1thの頃は色々とネガってだけど、3thで安心したわ。もう手抜きとか言う奴居ないだろw)みたいなの見かけた。
流石に周年だからコールはさておきMVも良いし、配布衣装も良いし、新機能きたし、これ見て手抜きと言える奴は感性が狂ってるか、何でも叩きたい奴だとは思う。ただな、小日向美穂のSSRの価値を落とした事は忘れてないぞ?今回の周年イベのオリメンにはなったけど、本来only oneという触れ込みだったSSR衣装の価値を無くした事は許せない。
何を今更と思うだろうけど、過去の失態は無くせるものじゃないぞ?
それに自分は取り敢えず運営に金を払う狂信者では無いので、非難するところは非難する。というかこのまま周年の印象で無かった事にされそうだから言ってる。
たしかに今回は凄いと思うが、今まで手抜きしてた事は忘れてない。
無料ガシャ
そして、ミリシタはこのタイミングで無料ガシャやるなよ?他所の周年に水差すような事はしないでね?(特大ブーメラン)
衣装の色変え
正直前回の手抜きSSRの失態を無かった事にする気に思える。
ほぼ同じ衣装だけど、色変えたら問題ない!って言い出すやつ絶対出てくるだろ。美穂のSSRの件が無かったら心から喜べたのに…
カバー曲
カバー曲実装ってのを見てバンドリが頭によぎった。グラブルの曲はカバーだっけ?
正直あのカバー曲があります!ってやつ、客寄せにはとても良いと思うけど、狡いなって思ってた。だからデレステがやるのかよってなった。だってデレマスはデレマスの曲だけで全然やっていけるじゃん。カバー曲で人を集めるバンドリみたいな事するなよ。ゆずの曲カバーよりも既存曲の実装が良かったです。
トレンド上位にずっといるとか普通に考えて凄い。とても宣伝になるから、流石サイゲって思った。きっとこの後色んなゲームにパクられそう
ツイッター見てて
新曲のMV、今までのMVに+してちゃんとダンスしてて良い!とか、衣装がカッコイイとかじゃなくて、無料ガシャ!とかRTキャンペーンでのリアル景品とかカバー曲などで流石デレステってなるのはちょっとないだろってなった。別に無料10連とかRTキャンペーンが嫌いなのではなくて、デレステはゲームなんだから、ゲーム面で評価しようよって思った。こういう人達の基準だとずっと無料10連してて、他人の人気を使うゲームが神ゲーになってしまうと思う。デレステはそんなゲームじゃなくてオリキャラとオリ曲の人気、デレステOnlyのゲーム機能(ミリシタからパクってるじゃん!とかいうのは取り敢えず置いとく)でここまで大きくなっているんだから、そこを評価してあげてよって思う。
最近気づいたお悩み
で、自意識過剰とはわかりつつも自分の発言も言っていいかすごく考えてしまう。
やってる側も楽しそうだな~と思うので
自分もそうしたいわけですよ。
何かを出せば時には反応がかえってきて、
「貴様は何を言っているんだ?」ってなることもまああるし(それを実際外に出し返すとかはおいといて)
自分の考えにもそういう反応されることはあるよね。時には。
そういうときにできるだけ「そうなんだろうな、貴様の中ではな」
ってできるだけその考えを切り離してその発言者にまでは恨み言をぶつけないようにしたいなって思う。
前置きが長くなったが何が悩みかっていうと
似たようなタイプに同族嫌悪してしまって、その人自体にめっちゃイラっとしてしまう。
わかるから、「おめーのそれもブーメランだっつーの言いたいこと言わせろや!!」
全肯定とかしてらんねーっつーの。
「パクチー好きなんだよね~」に対して
「えー私無理~~~~」つってそれを相手自体の否定に取られてちゃめんどくせえんだよ!
でも好きじゃないってばっさり言われていい気はしないのもまあわかるじゃん。
わかるゆえにじゃあどうすりゃええねんっていう!!!
こうなんか相手ののイラっとを誘発してしまいそう/してしまったときに
ことを収める次善の策があるのか、それが気になる。
だって自分は多分何言われてもイラっとしたらイライラ返しにしかならないもん。
その先には相手自体への否定しか待ってないのよ。そこまでしたいわけじゃないのに、得しないし。
普段発言に気を付けてるつもり故に相手の地雷踏むと繊細ヤクザみたいなこと言いそうになってそれはそれで自己嫌悪コース。
ツイッターのFF外からの殴り込みやブログとかのコメ欄みたいな赤の他人は「そうなんですね(笑)」と切り捨てりゃええけどな。
冒頭に脱線するがヤクザの様式についてマインドセットを準備したい。
金持ちが服装に金をかけないという話は自己啓発本やセミナー系の情報で見かける。
実際金のかかった服はあるだろうし平均以上であるかもしれない。
しかしよくわからない模様の布地で金のチェーンをして黒塗りの高級外車を乗り回さない。
金持ちであることをわざわざ毎回広告する必要がないし、外見と存在で金を稼いでいるわけではないためだ。
ではななぜヤクザは見た目で高級感を出すのか。それは高級感が目的ではなく「1番」であることを主張したいがためである。
実際の統計で数値的に1番というものではない。庶民や噂などを流布する層の一般が想像しうる「一番のもの」を選択する。
ここにタトゥー、入れ墨の問題もつながってくる。一旦派手の話はここまで。
二番目に、ヤクザというのは実際金があるからそういうものを買っているだけ、ではない。
商売の種類として見た目でするものであるから、広告業者が広告を出しているのとおなじ。
ラーメン屋の賄いがラーメンなのと同じ。一番をコレクションしている人間である必要のために持ち物が一番なだけなのである。
商売としては不人気商売、被差別商売、問題解決(非合法)、貸金業(非合法)などを行ったりするにあたり、問題解決に使うのが「1番」である。
1番高級な服を着て、1番高級純金アクセサリをして、1番高級外車に乗っている1番のおやっさんの言うことが、なぜ聞けないという交渉方法。
1番がものを言っているのだから黙れよ、1番の下には2番以降が控えているんですがそれらが何番かわからないあなたの上にのしかかってきますよ、困りませんか?という方法だ。
それはもちろん困らせに来るのだから困るだろう。
しかも1番と言われて実質なにかしら1番(実質の1位ではなく想像できる最上位の類のもの)を身についけている人間、ほぼ人物として1番であるという人間との交渉だ。
貸付金の取り立てや問題の和解、商売の風説などは実際に商品価値が高ければとか確実であれば法に則って正規の解決ができる、というものではない。
関係者の譲歩を引き出したりした結果、合意を得られた時点でのもので、合意の後の責任も果たせる範囲で強要されることはない。
強引に法的に取り立てたりすることはできるが法的回避方法がないわけでもない。
それを逃がさず大きな取り立てで強制的に回避できない方法で介入してくるとなると、それは太刀打ちできると判断される相手では物足りない。
「1番」がそれを執り行ってくるのだから、勝てないという精神的な屈服感を与える必要がある。
ここまでの「1番」や「高級」はイメージの問題で、その価値基準が一般市場に支えられているものだから庶民からの目線でそうみえるようにということである。
この話を私がしたところで、「私に」それがどうしたんだ、意味のない、という意見は寄せられるだろう。私もおなじ庶民なのでそう言われても仕方がない。
では実際にそういう格好をしている人に言えばいいじゃないか、と私が同じ庶民として進言すると、できるだろうか?
「アルマーニのスーツきて純金の喜平ぐるぐる巻いてでかいベンツ乗ってるけどなんなん?借金の取り立てを明らかに回りに迷惑がかかる方法でしてくるのは違法ってわかってんの?水商売とかくだらん仕事しやがって」
といえるかどうかである。言えないような仕組みのために、その仕事で幅をきかせるためにそのような恰好をしているのである。
ここで服は借りて着まわせばだれでもそのポストにつくことはできる。それよりも上の人としての価値(前述までの高級感)を上げるにはどうするか。
入れ墨である。体に特徴を持たせるのである。顔面の傷などもそうである。指がないといったものもそうである。
ここでまた話は脱線するが、僧侶は坊主である。なぜか。特徴をなくすためである。個人ではなく組織としての一部であるためである。
また、僧侶は結婚しない。社会的に生産をしない、継続をしない。するために自分の資産、持ち物を必要とする社会生活をしない。そのために自分の行動や行為は独善的なものをできるだけ排除してある。
僧侶が親切をしてくる、教えを説くのは独善的なものはできるだけ含まれていないという証明のためである。
何々をしなさい、という教えは僧侶が収益をあげ資産を築くためではない。個人として利益を得るためでもない。宗教は収益を与えるためではなく歴史の蓄積と人としての最善な選択への補助であることのためである。
この意味がもはや失われ自由化されているが、人がわざわざそのような立場に置かれる必要性もなくなっているためこの習慣が失われるとともに、人がそこに位置する意味と理解も失われている。
これとまったく逆が、超個性化である。ファッションで一番めだつ、はだかになってもだれかわかる特徴をもつ、莫大な財産を築くことである。
ただのマークではなくそこにメッセージを込めるというタトゥー、入れ墨がその立場を示すというだけであればファッションとなりえる。
海外でファッションになっているのは、人がどんな命を込めたメッセージでも、簡単に否定もできるし批判される側もその程度だと理解している。
個人がどれだけ大切に思って居ようが他人からしてみればゴミ同然なことが相互理解されているのだ。
なので大事だというものは相手にとっては大事なのだろうという理解もある。
主義主張を否定されると、日本では囲まれてボコられるという最終結果についてその順位と内容を吟味する必要がある。
外国人が入れ墨や個性の主張がなぜ自由なのかというと、最終的に銃撃戦で決着をつけることができるからだ。
入れ墨に問題があるか、入れている名前をバカにされたり、すてきだと言われたりする。その個人に踏み込んで問題がおきたとき最大の解決方法は殺し合いである。
最終的に相手を殺すことで決着するというのは対人の交渉でほぼ最大にして最終的に近い。これを緊急的にとはいえ選択できる状態、銃の携行があるということは、各個人の自由はかなりの広さで主張できて、相手もそれをまず認める方向になりえるし、ならざるを得ない。
その二番手である「かこんでボコる」ができるというのは組織力、どこに組織しているか、組織を指摘してくるかということである。
タトゥー、入れ墨を入れることができる、入れている、そういう側というなんとなくの組織感と、個人が特別な主張をしているという表現、これに銃を持たない入れ墨をしていない服装もふつうの人間が並んで立つと、どうなるだろうか。
どうもならなければ問題がないが、一旦会話が始まってしまったり交流したり、交渉が発生したときにどうなるかは考えないだろうか。
隣に立っている人間だとしても、一生なにも関係性は発生しないという安心感を持てるだろうか。
いま現時点でとなりにいる時点で因縁を感じざるを得ないしなんらかの問題が発生することを危惧されないだろうか。
そうなったとき、見た目やファッション、そしてタトゥー、入れ墨が個人の発言などに影響を及ぼしてくると想像される。
「おまえの一番愛するものに名前をきざんでもいないやつがそれ本当に大事といえるの?ちょっと貸してくれや」と交渉をされたとき
「命を賭してまもると決めてますんで」といえるだろうか。そしてまもるための最終手段を持っているだろうか。
持っていないという不安につけこんで、最大限安全な退路の選択をさせられ不利益を与えられる可能性が危惧されないだろうか。
「されない、どんな暴力にも屈さないし9条が守ってくれる」というならそれで守れるだろう。
しかし、実際ここで殴られた、引きはがされた、もっていかれたを解決できないかもしれないという不安が一瞬よぎったら、そこにあらゆる1番が押し掛けてくる。
たたみこんでくるように準備されているものと、突発的に不安な事象と遭遇する一般人、これで平等な交渉がなされるだろうかといえば不安ではないか。
だからタトゥー、入れ墨はダメなんだ、という現状はある。しかし私も完全否定はではないし、好みで選択すればとは思う。
それについてはその不平等な交渉の発生のために自分を飾るということが無ければという前提のもとにだ。
メメント、などである。忘れてしまうから体に刻んだなどである。
先般のりゅうちぇるについても、親が龍を背負っていたから自分はどうなった、というわけでもなく、龍をせおった父親はほかの父親の息子に対する愛よりふかかったのか、といえるわけではないはずである。
入れ墨をいれていない父親はよわいのでくじけておれるだろうが、芸能人になれた僕の父親はドラゴンの入れ墨をしていた、と言えるのか。
どうしてパパは僕を応援するために入れ墨をしてくれないの?などと子供が言い出したりするような言い回しでなければ、だ。
パパは弱くて忘れっぽいので、みんなとずっと一緒であることを忘れないために刻んだんだ、といえば、私も同情の念を抱かざるを得ない。
https://twitter.com/Miyki_Ono/status/1032259138384887813
まさにこれ、強くてパワーがあるのを嫉妬してるんでしょ、一番が怖いんでしょ、うらやましいんでしょ、という輩がでてくる。
こういった威力を感じて有用性を感じる人間が、ただ自分が満足するために体にほった名前ではない、人にみせて何かに使うため、少なくとも羨望や嫉妬を招くためにしているという前提を持つことが問題である。
それを交渉につかう、少なくとも現在SNSで自己の優位性主張のために利用しているという、この利用のために使われるべきものではないという事である。
それを使うから否定され敬遠さえるという事自体に気が付くべきだ。
個人の思いれだけの話である、という相互理解で入れ墨を見て、ほんとに守るべきと感じたならだれでも最終手段を持ち出せる、それが自由と平等の立場である、という環境だからこそ広くタトゥー、入れ墨が公に一般化している社会もある。
いまの日本では、より強い主張というものがあり、より多くの人間が威力としてあるぞという主張のために使われたり、それを手段として準備をするという優位性を感じて満足しようとする部分がある。
その差別性についての精神に、差別を指摘され差別されるべきところではある。結果として人には差があるという主張にブーメランで差別をされるべきという平等性がある。
なぜなら個人が暴力によって解決をするという手段がもとより否定されはく奪されているからである。銃や武器の携行の否定、復讐や実被害未然の防衛のための無力化攻撃の否定などである。
日本でタトゥー、入れ墨するなら、自分が弱いからという主張か、絶対に見せないという前提がなければむつかしいという現状くらいはわかったうえで
それでもなお入れざるを得ないという状況に自分が差し迫っているということでもなければ主張はできないだろう。
タトゥー、入れ墨をしているほかの人間もみな平等に自分の思いを主張しているわけではない。
隠していたり弱さゆえだったり、知らないところに入れている人間はいるだろう。それらを全員掘り起こして否定したいわけでもない。
主張をするなら、日本では反発をうける、その理由は前述のとおりで、それを超えて受け入れられ主張をしたいのではれば、方法としてなくはない、ということである。
子供になぜパパは一番じゃないの?最高はあらゆる高級品と体に印があって家族を愛してくれてるけど、うちにはなにがあるの?と聞かれて、答えるすべを庶民に残しているかということである。
テメーの頭にブーメランぶっ刺したままドヤ顔してんじゃねえぞカスが。
結局お前もお前が文句言ってる奴と何も変わらねえじゃねえかよ。
よく知らねえ業界に対して妙な偏見で見下したようもの言いしやがって。
想像力の足りてねえだけなら別にいいが、想像力が足りてねえやつが「想像力が足りてねえ奴はカスだな」なんて言ってんじゃねえぞゲロカスが。
お前だよ。
お前。
これを書いたお前だよ。
これ、何度説明しても、ユーザー側にすごく伝わりにくいんですよ。
どうも、システムに馴染みがないユーザーは、工業製品のように「同じようなシステム・同じような機能なら中身も同じ筈」と思ってしまうようなんです。
だから、「経験的には大体どれくらいで出来そう?」なんて聞かれたりする。
同じようなシステムを過去いじっていたからといって、それと同じような規模感、同じような開発手法でうまくいく保証はどこにもないのに、それを求められたりするんです。
お前に、工業製品の何がわかるってんだ?
“あの夏”、から一年。唐突ですが、どういう思いを抱いて彼らを応援しているのか、を自分語りとして綴ることにします。(お友達は一部既出ですが・・自分なりに整理をしました)いろんな巡り合わせだったり偶然を運命を呼ぶことにしたわたしは、森田美勇人(Love-tune/Travis Japan)出の美勇人担なのだな、と思います。
2016年出会いの春、それはLove-tuneが結成された季節です。少クラやガムシャラ、そして兄ガチャに嵐バック。2014年頃からあらちかを筆頭に、まがいなりにもTravis Japanを意識していた人間としては、みゅうとくんが公式にグループを兼任することも、顕嵐くんがいつのまにかそこでマイクを持っていたことも、待って待って…と思うばかりだった。
だけど顕嵐くんが、輝くべき場所で輝けるのならそれは素敵だよとなぜか腑に落ちていて。目線を合わせずに背中を委ねる宮近くんとはもう長い付き合いだったこと、骨折しながら青山劇場に通ってTravis Japanで居てくれたこと、「やっとA・RA・SHIを歌えました」と言ってくれたこと、グループの顔として存在しようとしてくれたこと。だいすきな顕嵐くんがいくつもあるけれど、アイドル“阿部顕嵐”としての最善の道を邁進しようとする生き様が、彼らしいなんてふうに思った。“あらちか”が隣同士でなくなってしまうのにはどこかズキッとして、終わりを迎える日を「宮近ももってけドロボー!」なんてまだまだ傷心を誤魔化すように、それっぽく野次をとばしてみたりした。2016年を振り返る際に、意思を持ってトラジャへ合いの手を入れる顕嵐くんが瞬間咎められる姿に、心のめそめそは止まらなかったけれど、それぞれのファンとの関係を大事にする彼らの優しさだったんだろうなあ、と思う。(銀河劇場でコンテを狂舞する顕嵐くんを、博品館でShall we dance?する宮近くんを、同時に観れちゃうんだ あらちかはず〜っとドリームだよ!)
そんな事実が対比として、8人になったTravis Japanを引っ張ろうとさらに踊りだしたみんなのみゅうとくんに、どうしてもTravis Japanでいてほしくて、青山劇場とさよならをして終わりかにみえたTravis Japanが、兄組・弟組別から改めてグループとして動きだしたTravis Japanに、そのままのグループでいてほしくて、そんな勝手な願掛けでブーメランな呪いをかけはじめた。
両方の登場場面で現れた出ずっぱりな少クラの美勇人くん、嵐についたら翌日はえびバック、ドリボに出たら幕間で稽古、次はえび座で…、DIGITAL BOYSのセンターで笑って、アイランドゲストガチャも最もバック選抜される名実休みのなかった美勇人くん。木星から金星へ、その場でジャケットを羽織ってTravis JapanからLove-tuneへ変幻する美勇人くんにハートは奪われたし、仮面ライダーって実在するんだ、と思った。精神的な切迫を考え出すとキリがなかったのに、呼ばれるうちが華、なんてやっとのお休みもダンス留学なんてしちゃう。誰よりアイドルをして、歌って奏でて踊りまくる美勇人くんがいて、もう充分すぎるほど君を見つめていたし、たくさんの衣装を着まわす姿を思わず数え「今はどっち?」と離れて行きそうな彼への、典型的な重い女な執着心を抱き“リア恋枠”を称したのは、心の奥底でこうなる「いつか」を恐れて、1mmも責任や傷を負わないよう距離を図っていたのだろう。「いつか」来る「いつか」を知ってしまったとき、自分を最大限傷つけないよう「担当」と呼ばない逃げ道に立って、大好きなのにすべてを100%に応援できない、身勝手な自分を肯定していた。それでも、2つの顔を邁進する美勇人くんのやさしさや強さが憎いくらい眩しくって憎むことなんて滅相もなくて、ほんとうはずっと、「いってきます」を言うと「いってらっしゃい」を「ただいま」に「おかえり」を返してくれる、Love-tuneというTravis Japanという君だけの特等席はあたたかすぎるほど輝きに満ちていたのに。
2017年ジャニーズJr.祭り、会いにいったTravis Japanは7人になっていた。アイランドで氷のような張り詰めた美麗さを纏った宮近くんはだからだったと合点してしまうことが切なくて、“兄組”という4人の青春が尊大だったし、僅か数ヶ月前「やる気スイッチは Travis Japan」だとメンバーの顔を振り返っては破顔するキングオブTravis Japanな最年長が、今「なんで?」とついつい息巻いた。それでも彼は過去を否定することなく夢を夢のままにせず歩みだしたし、親友たちは今でも存在をたくさん生かしてくれるのに、今も昔も変わらず己を武器にするところ本当に拡輝でヒロキだね〜。舞台の上で、今も踊る姿を演じる姿を大きな笑顔をみつけられること、希望でしかないよ。
他ユニットと肩を並べたこのステージで、魅せようと一体に燃え盛るTravis Japanは7人でも最高に情熱的だった。唯一オリ曲を持っていないのが切なくて虚しくてたまらなかったけれど、「本物のアーティスト」になるべく温存された玉虫衣装を纏ってソークレ・スパノバを踊る彼らのため心臓は動いたし、『山の手線外回り』を選曲して、大阪では2番の「御堂筋線」を歌う姿はなんの誇張もなく天才的で愛くるしかった。
Love-tuneでありTravis Japanである森田美勇人は、キレッキレのNaFで世界観に引き込んだと思ったら、マスピではセンターをぶっちぎって腰を回すし、パリマニで花道を闊歩してCha-Cha-Chaで低音ラップする人一倍な出演に膝から崩れ落ちてしまう。そんなふうにTravis Japanへの信奉と美勇人くんへの好きが目の前に打ち寄せる。ついつい神経質になる私を宥めるかのように、トラジャのジャケットのうえにらぶのジャケットを羽織ったり、らぶのジャケットのうえにトラジャのそれを羽織ったり、同じくらいの交互にする美勇人くんはとてもやさしくて。横アリラスト開演前、早売りとして流れてきた「どちらも100%」「最後の一人になってもTravis Japan」の言葉と、そう言ってくれた事実、今となっては真偽は分からないけれど、心のやらかいところお陰で君に染まっていて、ただ単純に嬉しくて愛しくて天日干ししたお布団みたいにあったかかった。
「ジャニーズJr.なのに」と卑下せず、「ジャニーズJr.だから」努力を選んだ。ベースもラップもダンスも、誰よりカッコいい美勇人くん。両グループのまんなかを歩いては、どちらでも0番になれた美勇人くん。ほんとうに最後まで、どちらも100%だった、美勇人くん。衣装を変える度、曲が変わる度、変身する美勇人くんは、ほんとうのみんなのスーパーヒーローで、仮面ライダーだった。ジャニーズ銀座では、森田美勇人(Love-tune)と森田美勇人(Travis Japan)のフォトセットが別々に発売されたこと。グレちゃってたくせに、「もりたさんきょうだいでまわしてる」なんてひらがなで言うこと。出演公演数を知っても、昔の方が、なんて何食わない顔をすること。トラジャを引っ張って、らぶを底上げして、全部を抱きながらアイドルで居てくれて、本当にほんとうに凄い美勇人くん。トラジャが冬の帝劇に呼ばれたこと、ついにオリジナルの衣装やオリジナルの曲をもらったこと。多分、あと寸前のところで、影に覆われてしまわなかったのは、舞台班だったはずが、毎週の少クラにコンサートに、やっとおんなじ土俵に立てたのは、美勇人くんが、Love-tuneでTravis Japanでいてくれたおかげなのかな、と。そういう、守り抜き方をしてくれたんだ、と思いたくて。美化しすぎだと怒られてしまいそうだけど、もう大丈夫なところまで、守ってくれたんだ、と思えて。
あの夏、つまりはキントレトラジャ単独公演。美勇人くんのために悪戯っ子みたいに踊った弟組、美勇人くんのために揺れる最後の“白”、涙を包み隠すような如恵留くんの『時を刻もう』。雨が降り続けた六本木で、“今さら「なんで?」ってなんて言わないよ”なんて、まさになしめちゃんの『雨』。「最後はこれしかないだろー!」なSupernova。“明日になれば全てが嘘だとしても i wanna rock your world” 。泣いちゃった宮近くんと、「そのままでいてくれーー!」なうみちゃん。あんなに泣きじゃくったのは最初で最後の夜だったし、すべてのエネルギーが注がれた救世主は、それでも逞しく踊り続けるから、強くて儚くてそして美しかった。「お仕事がんばって!」と笑っていうアイドルないつも通りすぎる美勇人くんは6人へ拍手をしたし、体力の限界まで踊りきるTravis Japanはただ格好よくて前しか向いていない、宇宙で一番熱いグループだった。6人の『夢のハリウッド』をお披露目したのに「オリジナル曲」と言わず、命の限り7人だったジャニーズJr.アイドル・森田美勇人くんとTravis Japanと“あの夏”、がずるすぎるくらいに愛しくて愛しくて大大だーいすきなんだ!『夢のハリウッド』は間違いなく、7人のTravis Japanが掴み取った曲だったし、今も7人のための曲だね。
翌日からの、Love-tune・Travis Japan合同公演に当たり前のように森田美勇人(Love-tune/Travis Japan)でいたことが当たり前だけどカッコよすぎて、やり抜いたオーラスのCan do! Can go!でEXシアターを一周する姿は、やっぱりファンのためにしか生きていなかった。帰路にて不意に、「あっちの立場じゃなくてよかった」と聞こえてしまったことが悲しくて、そしてひどく羨ましかった。嫌いになれればどんなに楽か、なんて思ってしまうけれど、みゅうとくんは最後の最後まで一途に筋を通し続けちゃうから、誰よりファンのためのそんな生き方だから、嫌いになれるわけなんてないよ〜〜。
立ち会うことになった『Love-tune Live 2017』、後ろのカッコの中身が減ってしまってもキラキラに輝いて「好きなんだよ」「泣かないで」と恋させてくれる罪なアイドル・森田美勇人くんが、たしかに泣けるくらい好きだった。デザインしたネイビーとホワイトのTシャツを、半分ずつに繋いで着こなすみゅうとくんは、誰のことも置いていかない100%アイドルでさー!
Love-tuneは、完璧すぎるからずるい。熱を呼応させる高い求心力も、まんなかで指揮する最小最年長を含め、もはや二次元的バランスな個性も、魂から魂へ奏でる音色も。なのに努力できる才能、幸せを作る力と信念と、思わず恋する運命共同体な笑顔。バンドだけじゃないダンスだけじゃない、7人じゃなきゃLove-tuneじゃないLove-tuneに、ときめかないわけがないし、勝ち負けではないと言いながら私自身が完敗だった。出会う順番やこんな欠点のなさにも理由をつけて、「私なんか応援しなくたって完成されているじゃん」と卑屈になったり、当たり前ながら当たり前に「ファン」する方に引け目を感じて縮こまったり、羨んでしまう自分がどうしても存在してしまったけど、そんなどうしようもない気持ちも、好きを表す賞賛のひとつにしていいのかな、なんて。
そんな頂点で、アクセントになればとなにより踊って奏でる素晴らしいみゅうとくんは、お茶目に熱い愛を沸かすし、使命を果たしてくれたみゅうとくんによって、どこかで「言ってはいけないこと」と決め込んでいた無意識は解放され、言っていい言葉になった。「Love-tuneが好き」を、わたしも言うことができる!Travis Japanで魅せる美しい美勇人くんも、Love-tuneで魂をぶつける勇ましい美勇人くんも、ほんとうのほんとうは、ちゃんと大好きだった。それ以上にも歴史のある人だけど、語らずにも区切りをつけて、今をありったけ生きてくれている今の美勇人くんを、「好き」だと言っていたい。
Love-tune Liveから約一週間後の『ABC座 ジャニーズ伝説2017』。日生劇場客席には、みゅうとくんが見学にいた。ステージにいるTravis Japanは5人になっていた。アグレッシブなダンスとお顔を一目見れば、“気になる存在”になってしまう最年少。笑いをとりにいく姿勢も、軽快にMCを回すキーマンだったのも、突然いなくなったのも、こっちが「オマエのそーいうとこ嫌い」だもう!!!(大嘘)夢ハリの増えたパートを自分のものにする宮近くんやうみちゃん、Travis Japanのまっすぐな瞳を見ては、涙が溢れてしまうばかりだったけど、“5人でも大丈夫”なことを高らかに宣言するように、透明な空気を纏いピカピカと輝きを魅せるそこはまさにハリウッドだった。見せ場のアドリブ、ここぞとばかりなのえしめを呼んでひっちゃかめっちゃかするうみちゃんはよくぞやってくれただし、ショータイムで完璧に美勇人くんへ指差しウィンク・指の隙間から時を超え5starsする宮近くんは客席一番後ろへ目配せをして、楽しそうに嬉しそうにこれでもかと“Dance for you”するTravis Japanがたまらなく愛おしかった。
命が減っても不死鳥のように生き続け、魂を磨き上げるTravis Japanは、真っ先に火を灯したい至高のエンターティナーだ。悔しい悲しい切ないでドロドロになってしまうのに、一瞬でその汗と笑顔に魅了されてしまうから、嬉しくて楽しくて最高の「生きる」をもらってしまう。わんぱくどろんこはちゃめちゃなのに、パフォーマンスとなるとキリッとお澄ましをして曲の世界へ誘う青年たち。どうしようもなく愛おしくなるし、彼らのパフォーマンスになにより心が揺れ動いて、ドクドクと血は巡り、体温が何度だって上がる。誰もわるくなくってどうしようもできなくって、それでもちゃんと、彼らは幸せを描いていた。
「報われてほしい」と言われることも少なくないけれど、過去もずっと今もずっと、“誰も歩いたことない道を歩く”Travis Japanは、出会った私はしあわせだったんだよ〜。Love-tuneの美勇人くんを、100%好きだと言い切れない自分が負い目のままだったけど、美勇人くんを好きなTravis Japanを、Travis Japanを好きな美勇人くんを、まだずっと、好きでいいんだ、と幸せの渦に巻き込まれているようで。
そうして美勇人くんの誕生日に更新されたジャニーズWebボイスは、数ヶ月前に私もリクエストした、ちゃんとTravis Japanだった証をプレゼントしてくれたみたいなあの一言だった。
それからというもの、季節はすぐにめぐり巡ってしまうけれど、思えばしあわせなことしかなかった。何かが幕を開ける始まりの度、いつかまた、戻ってくれるんじゃないか…また誰かを失ってしまうんじゃないか…と淡い期待や不安を抱いてしまうはずが、Travis Japanは、一生一緒の最強シンメを迎えて7人になった。大事な記憶や脆さに蓋をしながら、ファンに確認をしながら、颯爽と次のステージにいるらしい。もう彼の戻れる場所はなくて、探すのはやめようと誓った晩秋。自分の場所は自分でつかみ取れ、帝国劇場でTravis Payneの構成・振付を高らかに踊りつづけた新春。Endless SHOCKカンパニーの一員、豹変したように踊るこの2人がメンバーだなんて恐ろしい程だとまるで裏切られた立春。横アリのドリームステージ、「オレたちの第2幕」。7人の新生Travis Japanの汗と笑顔しあわせの鐘に涙・始まり始まりの春。初めての7人でのツアー、双眼鏡の中でISNを踊る宮近くんがやっぱり宝石みたい、電光石火3年前を思い出した初夏。
今までのわたしは結局自分のしあわせしか考えていなかったけれど、ジャニーズJr.祭り2018を通して、ちょっとはみゅうとくんのしあわせを考えられる大人になったんじゃないかなぁ。みゅうとくんを抱きしめ迎えてくれるLove-tuneがいることが嬉しくて嬉しくて、マジパネェ謙太郎さんがとなりにいるなんてめちゃくちゃ心強くて。見学席へみゅーと!みゅーと!とピーチクパーチクするトラジャは変わらずでなんだか懐かしくなって、YouTubeに連載にセルフィーに…。彼らにとっても私にとっても“初めて”を大事に育むれっきとしたグループなトラジャがもうとびきりな非日常を運んでくれているし、代わり映えしない毎日から救ってくれるのはLove-tuneなんだよ。長い長い春休みだけど、わたしがTravis Japanを好きなこと、Love-tuneを好きでいられること、みゅうとくんがアイドルを生きた最高の証で、大事なギフトだって思います。
こうも好きだと、1週間後には誰かトラジャの担当となる可能性が大いにあってしまうけれど・・(笑)今度は私が信じる番、天下無敵な最強スーパーアイドル美勇人くんがステージで輝ける日、心の底から願って信じて待ってます!!!ダンスもバンドも中途半端でいたくないという美勇人くん、どうかたくさんの努力と才能、大輪の笑顔を咲かすことができますように。平成最後のこの夏、Travis Japanが世界で一番熱く平和に夢へと駆け抜けられますように。諸君と最高で最強なドキドキわくわくを今年、これでもかと両手に抱えられたらなあと思うよ。
Travis Japanだった9人も、8人も、7人も、6人も、5人も。そして、Travis Japanが、森田美勇人くんが、大大大好きだ!世界中の愛を届けられるように、踊りつづけるDancerでね。上書きするわけではないけれど、長かった“あの夏”をついに終えれる気がしている。今年は、どんな夏がどんな君たちが待っているんだろう。絶対に絶対、楽しもう!ね〜〜!(賛成〜〜!)