はてなキーワード: ゾーニングとは
必要に応じてゾーニングをするべきっていうのはほぼすべての人が同意すると思う。
ただ、現実に、アダルトショップに「突撃」して、「こんないかがわしいものが売ってる!」って言いだす人たちがいるんだから、自主規制だけじゃどうにもならないんだ。
だからゾーニングが必要として、どういう基準で、どういう風にゾーニングすればいいのか議論が必要なんだ。
そもそも、ポリコレが本来の流れからそれて「他人を殴る道具」にしかなってないから批判が集まるのであって、
本来の意味通り、人権を重視しようね。くらいなら誰も批判しない。
そして、ゾーニングが必要というならそれを「ポリコレ論者が決める」んじゃなくて、ちゃんと定義を決めて法律を作って規制してくれ。
(もちろんその決定に不服があれば裁判所に行くこともあるだろう)
ところがそういう手続きを踏まずに「私が嫌いなものはアウト、私が好きなものはセーフ」としか言わないから反発を食らうし、当然同じ論理でBLも殴られる。
そもそも、ポリコレが本来の流れからそれて「他人を殴る道具」にしかなってないから批判が集まるのであって、
本来の意味通り、人権を重視しようね。くらいなら誰も批判しない。
そして、ゾーニングが必要というならそれを「ポリコレ論者が決める」んじゃなくて、ちゃんと定義を決めて法律を作って規制してくれ。
(もちろんその決定に不服があれば裁判所に行くこともあるだろう)
ところがそういう手続きを踏まずに「私が嫌いなものはアウト、私が好きなものはセーフ」としか言わないから反発を食らうし、当然同じ論理でBLも殴られる。
気になるところ
・元ツイ主がゲイであり、ロールモデルをBLとして提供されたという被害意識
・元ツイ主は「日出処の天子直撃世代」を主張しており、現在のBLは読んでいない点
・仲間意識を示しているのは「腐」ではなく「ゲイ」のコミュニティである点
考えたこと
→消費する腐女子? 消費されるキャラクターや二次創作であれば版権? それとも現実の男性同性愛者?
→あるし、あるべきだ
→そうではない
→そうではない
→ゾーニングの観点からいえばそうであるが腐女子の定義が曖昧である以上誰でも読むことができる
・架空の恋愛や性行為について、現実世界に当事者は存在するのか?
→難しいけど、あるとしても性別による性的指向の合致ばかりがその軸とされるべきかは不明
・ていうかなんで腐女子が発生するんだ?
→分からん
→人によるっぽい
・腐女子って治る?
ツイ主は、ぶっちゃけ腐女子に対しては敵対的な態度であるし、彼にはそうする理由があるが、彼が攻撃したかった腐女子と実際いまツイッターでBL創作をしている腐女子は別人である。腐女子個人は彼個人が敵対的な態度であり、自分たちの表現の自由を毀損しようとしていることを理由に反論する権利がある。
それはネットフェミ個人と男性向けの「エロ」を消費する男性個人にも同じことが言える。
個人的な願望
あのツイートが今後のBLに影響を与えるかという話になるなら、とにかく与えるべきでない。それでもBL自体は変化していくはずである。
変化は現在のBLに続く過去の男性同性愛を描いた作品に被害者意識のあるゲイ男性や過去にBLを読んでいた人を含む、BLを読まない人によってではなく、進行形でBLを読み、書く“当事者”によってなされるし、そうあるべきだ。
同人女は等しくえらくねーよ!正当化すんな!っていう全方位に向けたお気持ちなので良い人もいるんだけど…みたいなのは省きますが、同人女じゃないと女オタク生きにくいなって思う個人の私怨です。(ここでは見る側作る側を問わず夢女子・腐女子・男女CP厨を同人女と定義します)
オタク女のコミュニティではこの3つのどこかに属してる前提で話が進むのでめちゃくちゃストレスです。そのため「好きな漫画?鬼滅の刃!流行ってるよね〜」みたいなファッションオタクとしてお茶を濁したり、オタクであることを隠すようになったんですけど、Twitterがあまりにも同人女のるつぼ。検索すれば何かしらの二次創作がヒットするの、全然森とタタラ場で暮らせてなくないですか?こっちは公式アカウント見たいだけなのにちょっとリプライを遡ると「〇〇くん幼女すぎ」みたいなえぐめのツイートが目に入るのめちゃくちゃ嫌なんですよね。性別知らずにゲームしてるのかな。
他にもやりたい放題してるので、同人女は他人の作品の二次創作で承認欲求を満たすために鍵パカのアカウントを使ってるのかと邪推してしまいます。本当に何で鍵かけないんだろう。
嫌なら見るなってゾーニングされてることが前提の発言じゃないんですか?
三者三様に嫌いなんですけど腐女子が特に苦手です。高校で私がオタクって分かった時に当然のようにその作品のBLの話をされて、さらには馬×男のCPについて話されたトラウマがあるんですけど、ジャブとしては重すぎるでしょ。初手から人外てなんなん?
・腐女子
男キャラ同士で妄想してる人と話してるとすべての展開がCP妄想に終着したり、キャラの会話を燃料とか言われたりで話が合わないんですよね。
中でも嫌なタイプが配慮したつもり腐女子とマウント腐女子です。
前者は腐女子の配慮って腐女子同士のことしか考えてないのかなって感じるあれです。
度々Twitter上で議論になる腐女子の自衛問題あるじゃないですか。例えば赤くんと黄色くんっていう苗字のCPに対して「赤くんと黄色くん最高!(画像の添付)」に赤黄とか黄赤ってつけろ、とかどんなシチュエーションか明記しろ、みたいな。
じゃあ腐女子じゃない人が自衛するためにCP名に赤を使うなよ!っていうのはあんまり言われてなくないですか?
どんなに公式名称で呼ばないとかの配慮をしてるつもりでも漢字一字の苗字や名前のキャラをCP名にしてる時点で無意味ですよね。
マウント腐女子は顔カプって言って作中で交流の少ないキャラをCPにしてる人をディスる腐女子のことです。確かに顔カプも理解に苦しみますが己を振り返ってみた時に笑える立場でしょうか?信頼関係が描かれているから、交流が多いからといって別にそのキャラ同士は恋愛関係ではないことがほとんどです。
この手の腐女子は厄介なことに多くが関係性厨を自称しています。しかしキャラ同士の関係性を重んじるなら原作以上の関係を望まないと思います。
親友なのが良いよね、ライバルなのが良いよね、みたいな話をしてるのにそこでCPに発展させられてもついていけません。
あと現実の性的指向の問題と混同する人多くないですか?今あなたのことは呼んでないんですが…
それとクラスメイト同士のBL小説みたいなのをメールで送られたことがあって、それも鳥肌ものなんですけどわりと対象の男子が寛容で「こういうのが好きなんだろ?」て腐女子相手に面白がってやるノリあるじゃないですか。キショ・キショ・キショ!需要ないわ!
・夢女子
いわゆる乙女ゲームを通っていないのでキャラと恋愛する感覚がよく分からないのもあるんですけど、夢女子と腐女子兼任してる友人に見せられた夢小説がまったくピンと来なかったんですよね。
そもそも俺TUEEE的な傾向のものが苦手なのでキャラのセリフや立場を乗っ取って無双する話にいまいち魅力を感じません。
・男女CP厨
自分の所属は一番ここが近いと思います。ただ明確に矢印が出てたり成立してるCPを応援してるのであって、原作にA男←B女の描写があるのにC男とB女をカプらせたりするのは違くないですか?パズルすな
上記の理由から同人女が苦手なんですけど、だからって他者の嗜好は変えられないのでブロックに勤しむしかないんですよね。この三つ巴でぶつかり合って消滅しないかな(カロリー0)
的外れな反応があって驚きました。タイトルは「死んでくれ同人女 人の目に触れないまま」とかの方が良かったですか?私は性別問わず作中で明確に恋愛関係になってない二人の二次創作CPが嫌いなので(作品の主題から逸れてると思う)、人を勝手に天邪鬼みたいにしないでください!
男は界隈に入りづらくて厳しいんすよ
アカウント作ってもなかなか女子と接することができないし、いいねしたりするくらいなんですワ
んでポイピクでリスト限定っつって制限かけて推しエッチ絵を投稿するわけですわ
これは涙目なんですよね
増田のテーマが深く、ブコメ100文字では返答しきれないと思ったのでこちらに書く
基本的に自分の意見を垂れ流すのだが、増田の苦悩を解消する一助になれば幸いだ。
まず一見して気になった部分がここ
「人をカテゴリで捉えるな」というコメントも多かった。それから、「リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ」という文章を書いてくれた増田もあった。
正しいとは思う。ただ、実際に遣るとなると、難しい、というか、無理な気がしている。
社会問題を考える上でよく知らない人間について考える必要があるのはわかる。
ただ、それは情報の質と量にどうしても限界があるからそうなってるんであって、
人をカテゴリで捉えることは偏見・差別に繋がるためあるべき姿ではない
例えば入れ墨入れてる人間を銭湯に入れないのは入れ墨がヤクザのマークなので安心して入浴できないからだがこれは差別だ
しかし普段の生活でそこまで吟味する時間もないので、あるべき姿ではないものの一律風呂出入り禁止にしてる
これが「入れ墨の人」ではなく「俺の良く知ってる山田」が「俺と山田以外いない野湯」に入るなら問題ないはずだ
こういう高い解像度の情報が手に入る状況で人をカテゴリで捉えるのはよくない
そういう前提の中で増田は社会問題を前に自分を内省しているわけだが、増田自身については増田が一番解像度が高いのに
なぜか増田は「男」「リベラル」「ミソジニー」など見知らぬ他人を探るための仮面を被って喋るのだ。そこが一番の違和感だ
ゾーニング、しかし「公」とはどこまで?ネットも?民間の組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳の女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムはアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマや俳優やほぼ全てのテレビ番組や女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?
こうした論点が思いつくにもかかわらずそこから考えないのは増田が「男」というカテゴリに入ってしまっているからだろうか
もし増田が女であればこれらの問題の議論に参加できるというのなら、内省の間だけでもそのカテゴリは外した方がいい。そこは誰もいない野湯なんだし
「もし増田が女であれば」の仮定を考える上で補助線となる別の増田が、最近ホッテントリに上ってきた
https://anond.hatelabo.jp/20151204005556
こっちの増田(以降女増田)ははてブに出会うまでなぜか女叩きのまとめサイトを自傷行為のように読みあさっていた
自分からするとなぜわざわざ自ら選んでそんなところを見に行く?と疑問に思うだろうけど、俺から見ると増田も同じに見える
理屈としてわかるのは内面を吐露して反省するといいフィードバックを得るなどの経験を積んだのだろうと思う。
増田のブコメにも増田の苦悩した状態を好意的に見る者も散見された
ところでこれを女増田に置きかえて見てほしいのだが、
女叩きに苦しみ、自分は叩かれるような対象なのだろうかと苦悩する姿を誠実な態度だと賞賛する人間をどう思うか
人だから悩む時期もあるだろうが、それが正しい状態だと言う意見は残酷だと俺は思う
脱するヒントも女増田の方に書いてある。はてブでバランスを取ったそうだ。
はてブもいい加減治安の悪い場所だが、マサカリが飛び交う分偏った意見に固まらないっていういい特性は持ってると思う。
ネトウヨやミソジニーに偏らず、増田が言うところのリベラルやフェミニズムの間違った部分に異を唱えるようなアカウントもいっぱいある
俺は知らないけど他のサービスにもそういうクラスタはあるんだろう。探してみてくれ
「リベラルならラディカルフェミニズムじゃなくリベラルフェミニズムの方に向くべきでは?」というコメントに対する返答も先程とほぼ同様、
このコメントを書いたのは俺だからこのブコメで言いたかったことを補足させてほしい
増田は「現実」というキーワードを用いて「表現の自由 vs 弱者の保護」のような対立構造を肯定してるけど
でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身がリベラルの問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。
実際にはそれらは対立構造になく、ちゃんと自由主義を標榜しながら女性や弱者の保護を訴える思想もあるということを示したかった。
こうした男性の悩みにも射程範囲を広げるフェミニズムは、よく「男性も男性の役割を降りて自由になるべき」という意見を出す
役割から降りた後の責任を取らない意見だと否定されがちだけど、俺はこの意見は好きだ。自由主義の精神をよく現わしていると思う
性役割は結局男性も女性も幸せにしないという思想から発生してるのだけど、この思想は増田も共有できるはずだ
ところで増田を見ると、「男」の役割に完全に嵌りこんでいるように見える。
それは結局のところ増田が初心に思っていた男女の平等の精神に反しているのではないだろうか
ゾーニングすべき。
年齢みたいな雑なゾーニングじゃなくて、モラルに反する芸術作品なんかと同じように
「このコンテンツは、現在主流の人権意識や歴史観から外れた内容、さまざまな立場から激しく議論されているテーマについての内容を含みます。ご自身の信条等によっては著しく不快と感じることもあることをご了承ください」
といった注意書きを表示して了承しなければ見ることができないようにする。
↑を書いた後、予想以上の量のコメントを貰ってびっくりした。量も驚いたが、内容も、人によって結構違う内容や態度だったりで、何故か、その事に少し救われた(妙な話だが、敵対的な態度の人も居る事が、むしろ嬉しかった)
で、増田でたまに見るブコメ等への返事の追記をやるべきかどうか悩んでいる内に日が過ぎてしまった、ひとまずここに書いておこうと思う。
まず、「SNSをやめたほうがいい」「フェミニズムから一旦離れた方が良い」という意見が有ったが、離れるつもりは無い。
何故なのか?と言うのは自分でも良く分からない。単純に意地になって居るのかもしれない。
ただ、一つ思うのは、「終わったものボックス」に入れられるのは嫌だな、という事だ。
私が例えばSNSから離れたり、カウンセリングを受けたりしたら、私の懊悩は「じゃあ解決したね、よかったよかった」になってしまう、そうはなりたくない。(そもそも、カウンセリングはそんなに万能ではないとも思う。どちらかと言うと、他人の問題を「お終い」にしてしまう為の道具として、便利に使われている印象がある)
それに、基本的に私はリベラルもフェミニズムも正しいと思っている。
いくつか疑問に思う部分が有ったとしても、やはり離れる訳にはいかない。
また、離れても無駄だとも思う。既に私はフェミニズム的な視点や捉え方や規範を他者から学び、内面化している。
SNSから離れようが、既にそのコピーのフェミニストは自分の中にいて、その声からは逃れることは出来ないし、すべきでも無い。
「人をカテゴリで捉えるな」というコメントも多かった。それから、「リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ」という文章を書いてくれた増田もあった。
正しいとは思う。ただ、実際に遣るとなると、難しい、というか、無理な気がしている。
社会問題を扱う限り、会った事も無い人の被害や加害を考えなければならない(そうでなければ、それは「社会」に対する思考ではない)、会った事の無い人について考える時に、「女性」や「男性」や「フェミニスト」や「リベラル」のようなカテゴリは非常に有用だし、それ無しで考えるのは不可能じゃないかと思う。
また、現実の話もある。例えばある女性やフェミニストの方の主張に疑問を感じたり、リベラリズムに反すると思った場合、それを男性の私が指摘したり疑問を言葉にするのは、正直言って、難しい。
この雰囲気をどう伝えれば良いのか分からない、兎に角、難しい。それによって私がセクシストであり、差別主義者だと言われてしまうのでは無いかという恐れが常に有る。
これは私に限った事ではなく、私の周囲の人も、女性に限らず、社会的弱者や当事者の方の言う事に疑問を呈す場合は、かなり慎重に行う。社会の非対称性を考えれば当然の事だとも思う。例え多少おかしな部分があったとしても、それを強者である男性が、当事者の口を塞ぐというのは、有ってはならない、と思う。
それから、リベラリズムについては、説明がし辛い。昔は自分も所謂「自由を貴ぶ」という意味でのリベラリストのつもりだったが、今は、(大雑把な表現だが)「弱者を守る」という意味でのリベラルである。今の日本でリベラルと名乗る人の大半は後者だと思う。
ただ、彼の言う事は本質を突いている気がする。恐らく、自分は今後者のつもりだが、後者に成り切れておらず、前者の部分が残ってしまっているのだ。
前者の意味でのリベラルは、現在の日本ではむしろ所謂「ネトウヨ」や「ミソジニー男性」(と、後者のリベラルが見做している人達)と相性が良い。
気付いた人は多分居ると思うが、前回の増田で私が書いたフェミニズムへの疑問(ゾーニングの公の範囲や、BL等の免罪等)は、上記の様な、リベラル、フェミニズムの敵対者が良く主張している事に非常に似ている。そのもののものもある。
恐らく、つまり、私はリベラルを自認しているが、私の中にはネトウヨ的な部分や、ミソジニーも有るのだと思う。
だから私は、恐らく正確には、前者と後者、両方のリベラルであり、だから、その矛盾に引き裂かれているんだと思う。
「ネトウヨ」や「ミソジニー男性」といった言葉の選択には怒る人も居るかもしれない、ただ、これは便宜的な呼称だと思って欲しい。
少なくとも現在の日本では、後者の意味でのリベラルやフェミニズムの問題点を指摘できるのは、彼らだけだろう、といより、問題点を指摘すれば「ネトウヨ」「ミソジニー」と呼ばれる事に成る。
だから、私のフェミニズムへの疑問は、「ネトウヨ」「ミソジニー」という事に成らざるを得ない。
ここでまた、「またカテゴリで考えている」と言われるだろう、でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身がリベラルの問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。
リベラルやフェミニズムへの疑問や矛盾に悩む私に「SNSから離れた方が良い」と言葉を掛けてくれる人は一杯居た。けれども、「そのような矛盾をこれから解消しよう」と言ってくれる人は一人も居なかった。
(いや、こう言う言い方は不当かもしれない。そもそも、リベラル側の人は、そのような矛盾が有るとは思っていないのだろう。だからその解消を求める事自体がお門違いなのだ)
これまで書いた事について、正直な所、後ろめたさというか、これでいいのだろうか、という迷いが有る。
リベラルやフェミニズムに矛盾や問題点がある、なんて事を書いて、いいのか・・・分からない、それ自体間違っている気もするし、「間違っている」と言われる気もする。
ただ、まぁいい、もうこうなったらいっそ、(滅茶苦茶長くなるだろうが)思った事全部書いてしまおう。
「リベラルならラディカルフェミニズムじゃなくリベラルフェミニズムの方に向くべきでは?」というコメントに対する返答も先程とほぼ同様、
リベラルフェミニズムは前者のリベラル(つまり自由を優先する方)と相性が良く、後者のリベラル(弱者を優先する方)はラディカルフェミニズムと相性が良い(相性がと言うより、仲が良い、と言った方が正確かもしれない)
自分は後者が主軸なので、ラディカルフェミニズムと協調する事に成る、そうすると必然的に表現の自由等より、弱者を守る事を優先する事に成り、女性を消費するようなコンテンツを肯定できない→オタクである自分自身と不調をきたす、という事に成る。
まぁ、日本ではラディカルフェミニズムが支配的で、リベラルフェミニズムはあまり広まっていないという事情も有るとは思う。(アカデミズムでリベラルフェミニストの有名な人って例えば誰が居るんだろうか)
訂正と謝罪をするべき事が有る。
増田で↓のように書いた。
学生時代の苦しみは、一体何だったんだろうか?あの時の加害者の中には女性もいる。彼女は弱者で、自分は強者である。
キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人がフェミニストとして、男性を糾弾する。
俺は一体何なんだろうか?
これについて、「キラキラしてない、パッとしない女性もいると思い出してほしい」「美人の苦しみを矮小化している」という批判があった。宇野ゆうか氏の下記のページもそれに当たるだろう。
https://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2020/06/28/134939
これについては謝罪すべきだと思うのだが、うまく出来る自信が無い、何故かと言うと、↑の部分は指摘された様な意図で書いた訳ではないのだが、
「そういうつもりでは無かった」「誤解を与えてしまった」という謝罪は、正しい謝罪では無い、と言うのは常識になっている。では、他のどのような謝り方が正しいのか、考えてみたが、上手く答えが出なかった。
ただ、それも難しい。この部分は、正直に言うと、自分でも何が言いたいのか分からない、「俺は一体何なんだろうか?」という漠然とした疑問が主題だからだ。
ただ、いくつか明言できることは有る。まず一つは、「キラキラしてない、パッとしない女性もいる」という事は、自分も勿論分かっている。この文は「女性やフェミニストはみんな、キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人である」という意味では無いし、そう意図しても居ない(ただ、そう読み取れる余地を残してしまった事はやはり自分の落ち度だと思う)
女性の中に、「キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人」が居る、と言う事を念頭に置いて書いていた。(「女性はみんな~である」と「女性の中に~な人も居る」の違い)
また、「キラキラした人、美しい女性はみんな、充実した人生を送っている」という意味でも書いていない。キラキラした、美しい人にもそれぞれ固有の苦しみは有るし、そもそも女性差別は制度的な差別を含むから、社会的な美醜に関わらず多くの場合被害は受ける。外見からその人の人生を推し量ることはできない(だから、宇野ゆうか氏の書いた事は正しいと思う(正しいとか、何目線で言ってるんだという話だけど・・・・))
従って、「キラキラした、美しい、充実した人生を送る人が男性を糾弾するのは間違っている」と言いたい訳でも無い。そういった人も女性差別には遭うのだから、糾弾するのは正当な権利だ。
ただ、分からない、この感じをどう表現すれば良いのか、この「何なんだろうか?」と言う、分からない感じ、分からないと言う事を、どういう言葉で表現すれば伝わるのか。
ミクロに、カテゴリに頼らず個人個人で幸福度を比べれば、私より幸福な人生を送っている女性は居る、それは確かだと思う、けれど、それで女性差別の糾弾をしなくていい事には当然ならないし、私は糾弾を続ける。ただ・・・ダメだ、分からない、どう言えば良いのか、つまり、名前が無い、と言えば良いのだろうか、女性が人生で被る苦しみの一部は女性差別に起因する、では、私の苦しみは?男性差別?それも違う、分からない、どう言えば良いのか、言葉にできない・・・・・
ただ、そんな私の言語化能力の拙さとは関係無く、訂正と謝罪はするべきだろう。
件の文章は「キラキラしていない、パッとしない女性は居ない」と言う意味や、「キラキラした人、美しい女性は苦しみを抱えていない」という意味では無く、書いた時の事を思い出す限り、「キラキラした、美しい女性」の中でも特に幸せな人を念頭に置いて書いた(だから、美人であり、かつ苦しんでいる人はここでは対象に含めて居ないので、安心して欲しい(安心して欲しい、というのも変か・・・・・))、しかし、にも拘らず、そのような解釈の余地を残してしまう拙い書き方でした。申し訳ございません。
これで上手く出来ているのか、分からない。もっと適切な謝り方が有るんだと思う。
色々書いたけど、(まだ、思っている事は全然書き切れて居ない気がするけど)改めて言っておく、疑問を感じることはあるけど、それでも、自分は「リベラル男性」を続ける。
リベラルやフェミニズムに疑問を感じた事を表に出すことは出来ないし、だから、なるべく考えない様にする。納得してなくても、納得してるふりをする、でも、リベラルである事は続ける。
自由を何より優先するという意味では無く、弱者を守る事を優先するという意味で、リベラルである事を続ける。
それに開き直るつもりは無い、「弱者を守る事を優先する」という事は、他の何かと衝突した時、そちらの優先度を下げるという事に成る。それは時には不当な加害になる事も、暴力性を持つ事も、自由の制限に繋がる事も、他者を抑圧する事も傷付ける事も、どれもあり得る。それに、そもそも自分の中の「弱者」の基準が正しい保証は無い。「弱者を守っている」つもりで、別の弱者を気付かずに足蹴にしている事も当然あり得る。
だから、私は、正しいとはとても言えない。むしろ、客観的に見れば悪である可能性も有る。
でも、兎も角、自分の見える範囲を見て、考えられる範囲を考えた結果、やっぱり自分はリベラルである事を選ぶ。ただ、それが正しいと盲信する事だけは絶対にしない様にしたい。
長く書いた。流石にこれは読まれないと思うけど、まぁ、構わない、謝罪部分だけは然るべき人に届けばと思うが、それも望む事しか出来ない。
最後に、この文章を前回の増田と分けた理由は、単純に馬鹿な程長くなってしまったと言うのも有るけど、それだけじゃなく、「本当に元の増田が書いたか分からない」ようにするのも良いのではないか、と思ったからだ。
この文章はもしかしたら、元の増田とは別人が、彼を装って書いただけかもしれない、そうだった場合、読んだ人の感想は変わるだろうか?
まぁ、そもそも、こんな長い文章読む人は居ないと思うけど、もし居たら、なるべくどちらとも決め付けずに読んで欲しい。本物か、偽物か、平等に考えてどちらか判断できる根拠をあなたは持っていないはずだ、だから本物でも、偽物でも、どちらでもあり得るように読み、考えて欲しい。
(最後に、前回の増田の様に沢山のコメントを貰えたのは初めてだったので、痛々しいと思いつつ、ブコメを見るだけじゃなく、ツイッターでも検索してしまった。
そしたら(もしかしたら検索の仕方とか過去ログの有効期限のせいかもしれないけど)最初にこの増田の事をツイートしたのが、おねロリキメセク天皇で笑った。ちょっと、嬉しかった)
https://news.yahoo.co.jp/articles/bcb4d22d8a35537e2e1d19cfb1d1d62943f7b322
しかしただでさえ黒人デモの一件ではあれでコロナを拡散させて黒人や反差別界隈に対して逆に世間はこの反差別界隈の人達に対してイメージの悪化をし続けているのに未だあの人達は何を勘違いしているのか、暴走し続けて、またポリコレ棒でアニメ界隈を殴り掛かっているのね。
それとツイッターで話題になって、問題視されたからか、黒塗りの表現が問題だとか言い訳し出しているのも最高にダサい。
しかしマジで今後黒人を彷彿とさせる表現やキャラクター自体が嫌悪されて、一切登場する事がなくなりそうだな(笑)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab58feafd19e90d71f3e6ee9dc894bacb77ceb51
これに関しても逆に白人の方々に対する職業選択の自由を奪う結果を招いているよね。
これを見ていても反差別やリベラルのあの手の方々は自身の権利や自由は殊更主張する癖に他者に対しては異常なまでに不寛容で他者の権利に関しては異常なまでに抑圧する事に執着するよね。
また近いうちにサウスパークでこの辺もネタにされそうだよなと見ていて思うわ(笑)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73447
まず初めにフェミニスト自体、当時キリスト系団体や与党等と一緒に児童ポルノ禁止法や都条例でネット規制や表現規制を声高に喚き散らし、推し進めたりしていた事。
そしてその後もリベラル系の野党と手を組んだりして、ゾーニングと称してコンビニの販売規制を推し進める様な動きや表現の抑圧をする行動ばかりしていた事。
何よりそれが行き過ぎて寄りによって最近では増長しすぎた結果、赤十字やJAの営業にも妨害をして、弊害をもたらした事。
これ等の事実の積み重ねがあるからこそ、フェミニストと称される方々が世間から問題視され始め、事実上反社会的集団と認識されつつあるのにいざ自身の風向きが悪くなるや否や急に誤解だとか被害者面をし始めるのは本当の意味でどうかと思うよ。
またコロナ禍においても世間が大変なのにこの人達はJAの一件や岡村氏の一件で大暴れをして、逆に世間から嫌われる様な行動ばかりし続けたのだから、フェミさん達が世間から毛嫌いされるのは残念でもないし当然であるとしか言いようがないのだけどね。
ここ最近漫画家や一部のオタクの方々は勘違いして、著作権でDL違法化拡大等を棒に先鋭化して、一般人やネット住人に対して殴り掛かって、嫌われ出す兆候が出始めているけどもこの人達フェミニストや反差別界隈は安定して、先鋭化し続けて、自身の権利や自由を盾に一般人を棒で殴り続けているのだから呆れ果てるよね。
そもそもフェミさんに多い腐フェミに対してはオタクよりも真の意味で腐女子の方々の方が実害受けていた分より敵視していたりするからね。
腐フェミの行動のせいで腐女子の方々が大迷惑をしていたのは事実だから。
何にしてもこのコロナ禍の一件以降フェミニストや人権ゴロと称される様な反差別界隈の人達はより空気の読めない行動ばかりし続け、世間からより問題視されているし、彼ら自身も先鋭化し続けて、順調に崩壊し始めているよなと思う。
フェミニストと一緒にしてほしくないと思ってる。
大学までは、たまに痴漢に遭うくらいで女性だからと差別された経験は記憶にない。
でも就職してから、女性として生きることの面倒さを感じ、フェミニズムには共感できるようになってきた。
フェミニズムに興味があったから、色々記事を読んだりしてたけどすごく疲れてしまう。
ラブライブ!とかの女の子がいっぱい出るアニメのファンであり、腐女子もやってるから、表現規制関連は全く納得できない。
もちろんゾーニングについては納得できるけど。