「たこつぼ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: たこつぼとは

2024-11-12

こしあん黄金頭を知らなかったという事実

たこつぼ化ってレベルじゃね〜ぞ

てっきりはてなーはてな〜同士で認知してるのかと思ったらそうでもないんか

https://blog.tinect.jp/?p=88176

あと200000で人は死ぬ云々の記事も教えろや

2023-07-17

anond:20230717124220

注意喚起

現在 Web3 をテーマに本を出版したり講演会を行う人物がいます。その人物は、特許やら社長であることを出汁に近づいてきて「ラインに入ってね!」と言っては、男はたこつぼ部屋に(若い)女はレイプ金持ちには脅しで出資させ、権力者にはペコペコしてきてツーショット写真を撮らせて、後日イベントで「わたくしはこんなに素晴らしいのです」などとフザケたことを言ってきますマジで注意してください。政治家大学教授顧問ですが、それは昔の話です。

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-03-21

松尾豊さん関係者、元東大海外在住者からみたNスペ「高度理系番組失望

https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/XLJ547N44X/

「“高度理系人材”を獲得せよ〜令和の金の卵 争奪戦〜」

こちらを見て、正直いって、25%ぐらいはいいこといっていたが75%が酷すぎたと思う。

【前提となる自分の背景】

 松尾豊さん研究室にも少し出入りしていた元東大理系

 海外エンジニアをしている

===(Nスペ目次)=====

===(Nスペ目次)=====

もう、10年何をしてきたのかという諦めの気分。いま目次を書いてみると、たしかに1時間

まとめるとこうなるのもやむ無しという気がしてきたが。結局 so whatが無いんよ。

自分が思うso what個人単位戦争をすればいいので「日本勝負するのは辞めよう」

未だに海外に行かない日本研究者層が歯石のように積もり積もって自分の首を締めていると思う。

so what提言しま

1 issue1 日本がどうなろうがしったこっちゃない。自分の半径5mを救おう(海外に出よう)▷この行動が却って日本を救う

特にドン引きしたのが、ネパール人材青田買い。何をしているかというと、「早めに内定を出して日本語教育をしている」

ということ。インド人エンジニアには見向きもされないから、更に安い国としてネパール選択し、その安物エンジニア供給

しようとしているようだが、はっきりってその見向きをされていないインド人にどれだけお金を払うかの方が大事

安いエンジニアは誰も要らない。

わざわざ日本語を勉強してこようみたいなモチベーションネパール人が使えるわけがない。SIer下請けしかこない。

私はカンボジア人エンジニア仕事をしていたが、当然英語だし、たしかコストは安いし、その割に国のトップみたいな

人材だが、その人がわざわざ日本しかできない人と働くとは思えない。

そういう楽をした内向きの戦い方が全ての元凶だろう。

自分さえどうとでもなればよいという考え方の方が実は日本を救うと思う。いま一時帰国して、この番組を見て

理系人材の扱いが自分卒業した12年前時点と1bitも変化していないことにショック。

日本若者がむしろ自分の内向き志向コロナ等で深めている気がしていることを憂慮する。

 2 issue 2 選択と集中大事 中国的な独裁的な形で【工学実学】に選択と集中しよう。ITだけでなく物性、生命科学工学全般

※もう挽回不能だが

松尾豊さんが言っていた「兵站がない」っていう言葉日本人はとても好きなんだけど、兵站って無限にないんすよ。

僕は国力を上げるにはもう中国化するしか無いと思う。権力への批判機構みたいなのが多少弱まろうが、兵站がない以上

選択と集中理系に投下するしかない。

ただし、理系においてはITのような【今トレンドである】ようなものAIのようなチャラチャラした学問ではなく

生命科学、物性、宇宙ITのすべての学問に戦力的集中を行う。

その代わり文系人材、F欄大学などは廃止する。申し訳ないが、これをやらない限り、日本全体が沈下する。

しかし、そしておそらくみんなそれでいいと思っている。なので、そりゃ無理よ。


阪大生命科学の人がオートファジーみたいな研究は芽が出ないか選択と集中を行われては困るというような

言い方をしていた、それは本当にそのとおり。しかし、選択と集中を行わないために選択と集中を行う必要がある。

シャープ選択と集中を進めた結果潰れたのではなくて、選択と集中をしても潰れる流れをせき止めれなかった。

そのぐらい選択と集中大事


文系教授ウクライナ情勢での解析の体たらくを見ていてもドン引きする。置きにいったコメント自分は専門外だから

すべてを拒否する、たこつぼ専門家意味ありますか?

小泉特任講師のように画像解析など普通にするべき理系アプローチも解析もできず、歴史というわかりにくい概念でけむにまくだけで、

この千載一遇研究結果を元にissueを提言するべきところで何もできていない。


はっきりいって文系という学問がそういう性質があるのはやむをえないがそういう置きに行くことをしていると、当然

なりふり構わない、中国などに勝てるわけがない。日本人全体が苦手なので、玉虫色にしたがって、その結果兵站

尽きる。当たり前のことである

2022-02-17

興味がない人たちのツイートミュートすると視野が狭まりたこつぼ化するときいて我慢して眺めていたが何も得られるものがない

2021-07-21

anond:20210721115141

やぁ、辛いね。ところで、人工知能の界隈にもこの手のヤバいつがいます。僕ちんは男だから数ヶ月たこつぼ部屋エンジニアで済んだけど、加害者過去ログを読むと、未成年女の子レイプにあったりして心が傷んだので、記載しておくね。

やり口は

エンジニアを志す「#駆け出しエンジニアとつながりたい」というハッシュタグを掲げているドリーマーに「サイバ〇エージェントに紹介してあげる」という名目DM等の連絡を無差別に送れるだけ送る。

DM に釣られたエンジニア志望の学生事務所にに連れ込み、弊社はすごい人工知能を作っています、私は海外大学卒です、現役の数学者です、インパクトファクターは XX です、というスライドを用いて「俺を崇高せよ!」と「私」を洗脳しようとする。そのスライドイラスト屋の画像を散りばめた、安くで仕上げた感のある残念極まりないのであった。

まりゴミ具合に、聞いている途中で帰ろうとしたら「タダ働きしたら、サイバーエ〇ジェントで働けるよ」という嘘で引き寄せられ、その甘言を真に受けた「私」は、数ヶ月もの間にポートフォリオ作成をする。そのポートフォリオはやがて取り上げられ、新たな奴隷の疑似餌(うちに来ると、こんなことできるよ)になることを当時の「私」は知らない。

そしてときが過ぎ、ある時が来ると、「きみ、来週から〇〇の客先常駐ね。履歴書を書いてきて。」と社長強要してくる。拒否しようものなら、「俺に恥をかかせるのか!業界に入れなくなるぞ!」と脅す。上級国民から派遣事業許可がないのに派遣をすることに法律はいらないのである

その間に、SNSナオンを探して「俺のユーチューブに出たら、仕事をあげるよ!」と未成年アイドルに声をかけまくる。その間、「私」はブラック企業酷使され、ガッポガッポである

ある日、「未成年女の子美人局されて、お父さんと示談してきました。ウ~ン、詐欺かな?」などと書きだす。

いい思いを続けていたが、有名な未成年地下アイドルに「一緒に温泉行きませんか?」と誘った結果、「ふざけるな!、最低でもウン十満もってこい!」「ベンチャー社長から相手してやったけど、セコすぎる〇〇クソ野郎!」「もう客だから相手してやったけど、勘違い中小企業広告の世話なんて二度と無料でしない!」と言われてショックだったらしく、「風俗に堕ちろ!」とシャウトしてブロックだ。

今度は政治家とか実業家につるみだす。おそらく「日本AIは遅れている」といういつものネタだろう。そんでもって、ブログに「上級国民と会ってきました」という記事を書く。

そんなこんなで海外仕入れ人工知能ネタ賞味期限切れになってきて、国内の有名大学にて真面目に人工知能習得した学生で溢れてしまい、ナンパがてらに「オレオレAI理論で、社会運動」を酒場で語るしか能のない、社会ゴミがニヤニヤしながら獲物を求めて SNS をみているのでした。

というわけで、ホームページWordPressテンプレートを使いまわすとか、古臭くて10単位ベンチャー企業を名乗っている会社社長の話は間違っても信じてはいけない。男はたこつぼ部屋、女はレイプ、そんな人工知能会社をやっている社長あなたDMを送ってくる日は今日かもよ?ご注意を!

2021-07-07

anond:20210707101410

執事などの文化最初に盗用したのが和製ソムリエだしそのソムリエさらなる盗用を許さないならたこつぼ化して滅びるだけだと思うよ

ところでGI表示についてどうおもう?wwww

日本シャンパンとかありえねーからwwwwぷぷぷ----っ

2018-03-12

けいおんSSをひさしるびに読んだ

あずにゃんむかつくよなーっていいながらりつ以外のメンバーあずにゃんいじめる話

けいおんである必要がないただの胸糞悪いいじめSSでまったく面白くなかった

でもまあたこつぼじゃねえけどぶっちゃけ天才肌の唯とか生意気あずさに対して他メンバーが内に秘めてるもの結構あるんじゃないかとは思うけどね

ごちうさココアかもめっちゃいじめられそうなタイプですんげー心配になってしまうわ

たまたま周りがいいやつってだけで現実世界にきたら即いじめられそうなやつばっかだよ萌えキャラはみんな

2018-02-07

大学公務員試験就職試験の為の予備校となっているのでは?

研究者養成機関というよりは。

医師薬剤師歯科医師国家資格受験するための予備校のようなものとなっている。

もういっそ大学入試試験高校学習範囲を逸脱したところから、出題しても良いのでは。

私立大学入試問題。いっそ、SPIで、いいんじゃないのかな。

  

東大京大も、文系なら司法試験弁理士理科系なら薬剤師試験とかを元に作っていけばいいんでは。  

たこつぼ的な、専門に特化した形ばかりは止めるのがいいよ。

  

2017-06-23

国民の声なんか眠たくって聞いてらんないぜ by 自眠党もとい自民党

最近の国政自民党員は、たこつぼ状態で、世間ずれしていること自体も本気で分からないように思える。

国民の声聴くのではなくて、騙してでもいいか自分たち国民をついてこさせるから無視しておいてOK、と考えているんだろうな。

忖度するマスコミ電通にいい思いをさせて、批判いたことをしようとするマスコミには怖い思いをさせて...とね。

都の議員連中なんか、もっとひどいな。週刊誌記事をいままで読んできた感じだと、党員こぞって内田某に忖度して党名にある民主主義なんてどこいった?ってふうだった。この1年で多少は変わるかと思っていたが、むしろ逆。

よくわかるのは、去年あたりからとくに、自分たちの過ちに「誰かがハメた」だの逆ギレ臆面もなく公言するようになったこと。「法律なんてしったこっちゃない、マスコミ抱き込んででも票をとっちまえさえすればよい」と地で考えるようになったのだろう。現総理は「対マスコミ勝利!」と調子に乗ってのぼせて久しい。

今まで自民党員にもいろいろ幅があって、けん制したり切磋琢磨したりしあっていたけど、この安全弁がなくなったんだね。

といったことをきれい文書化したい。が、要領よく書くことがまだまだスキル不足で oTZ

2011-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20111126215420

今はもう、彼女やら、せめて女友達の一人も作れないやつは、ネットなんかやったって楽しくない時代ですよ。

未婚者では恋人や異性の友人がいない方が多数派だからそんなことはないのでは?

ネットたこつぼ化しやすいから、あなたがそういうところばかりアクセスして、そう思い込んでるだけだと思う

2011-03-07

ソラノート炎上案件について、村上隆の檄を思い出した

若いのに狭いたこつぼ世界後生大事にちくちくやり続けてたり、言葉を発する側も学生運動の時と替わらず「反対の賛成」しか言わないしネット界の連携を担保に、仁義礼を欠いて生きて行くのが「パンク」だと嘯き、で、その先のヴィジョンは出せない。出せない事が若者の特権とこれ又居直る。

http://twitter.com/takashipom/status/27078714057

(強調は引用者による)

2010-03-10

メモ

・かつては縦割り、たこつぼ→意思決定をするにあたり、特定の専門分野にしか意見をきかなかった。

アセスメント→始まりはコンサルタントだった。クライアントの意向に沿わない結論をだせなかった。

梁山泊メリットデメリット

2009-12-15

恋愛テロリスト

 彼女との関係がぷっつりと途切れたのは、秋の連休のまっただ中で、それも告白をして欲しいという要望に応えた直後だった。告白に失敗したのだろうと言われれば、まったくのところその通りで、彼女のなにかに達していなかったことを突きつけられて、愕然とした。

 あなたはもう1人のわたしに浮気している、と彼女は言う。

 ぼくの告白が、彼女ではない部分に対してされているのだといい、電話を一方的に切り、電源を切り、それから逃げるように電話番号まで変えてしまう。それは疾風のようなはやわざで、のんきなぼくがあっと口を開けている間にすべてが済んでいた。

 嵐のような撤退劇。

 無音になった携帯電話をにぎった右手をあわてて放す。

 あちっ。

 友人には短大生の彼女とのやりとりがあることはばれている。

 社会人になってもう何年も経つのに、ついさっきまで高校生だった子を口説くなんて犯罪じゃないかと、友人は笑って言う。

「うるさいな、仕方ないだろ、なりゆきでこうなっちゃったんだから」

「惚れてるの?」

「うっさい」

「じゃあ、あれだ、きっとどこか問題がある子なんだ」

 問題じゃない、心の傷。

 そうぼくは反論するが、仲間内ではぼくはメンへラーハンターということになっていて、そういう子を見つけるとつい手を出してしまうことになっている。手を出すといってもなにか対価を求めるわけではなく、ただ単に話を聞いたり、問題を解決したり、足りないものを足したり、そういうことをする。

 さとしたり、なだめたり、たのしませたり、いっしょに哀しんだり。

 そうやって元気になっていく姿を見るのが、ぼくは好きなだけなのだと思う。

 だけど、その心の傷の周りには、地雷のようななにかが埋まっていることが多く、うっかりそれに触ると、大やけどをすることになる。

「それで、どんなの子なの? その短大生」

 興味半分に聞く友人に、ぴったりの言葉を探す。

テロリストかな、ひとことで言うと」

 彼女と出会ったのは叔父のささやか個展で、芸術短大生だとなのる彼女は、叔父の作品を見て端的に批評した。

 その剣幕に叔父もぼくもあぜんとしていたが、なにか切羽詰まったように批判する姿はそれでも心に残った。

「ひどくないですか? 最近日本アート界って」

「うーん、まあ、そういう見方もできるね、でも、あまり変わってないよ」

 叔父はぼろくそに言われたにもかかわらず平然と答える。

 あとで分かったことだが、彼女自分に主導権がないと極度に怯えるらしく、そのときもしきりにマシンガンのようにだめなところを語って帰って行った。

 彼女が帰ると、またもとの閑散とした個展に戻り、ぼくはほっと息をついて聞く。

「つらくないの? あんなに言われて」

 叔父はああとつぶやき、まばたきをして、答える。

「でたらめなんだ、あれ。たぶん彼女真剣に絵を描いたことがないんだよ」

 叔父の話を総合すると、彼女の話はたしかにうなずけるところもあるが、話の80%ぐらいが憶測で話されており、それを指摘しようにもあのマシンガントークの中では、それを断念せざる終えないとのことだった。

「きっと批評に熱中するあまり、絵と向き合うことを忘れているんだ。どんな絵にもいいところはあるのに」

 彼女のその批評は、周辺の個展でも繰り広げられたらしく、知り合いにそれとなく尋ねると、ああ、来たねと話が弾む。

「正直閉口したよ、いくら学校課題だからって」

「なんでも短大の有志であちこちの個展批評して回っているらしいね」

「まるで、ゲリラ活動というか、絵を見に来ているのか、相手をけなしたいだけなのか、ほんとさっぱり」

 そんな彼女の航跡を追い、話の断片を集めているうちに、次第に彼女の全貌が見え始める。

 家族の問題、あまり幸福ではない過去、つらい記憶

 まあ、よくある話。

 ぼくが追いかけてきた心の傷たちには、つらすぎることが多すぎる。

 そんなものたちに囲まれていると、自分の周りのいいところが見えなくなる。

 なにもかも世界がまるっきりだめなものに見えて、いっそ破壊してしまった方がいいのではないかと思えてくる。

 それは分かる。

 ぼくもテロリストだったことがあるから。

 ぼくのテロリストとしての最盛期はたぶん彼女と同じぐらいの時で、なんでも世界中破壊して回った。そうやって破壊していく自分がなにかかっこういい気がして、まるで、不良高校生のようにいきがって見せた。

 といってもそれは実際に破壊したわけではなくて、その世界本質を知りたくて、なにもかもをぶっ壊してみたという感じに近い。

 たとえて言うなら、ウェディングケーキ

 幸せ結婚式場に乗り込んで、その甘ったるいクリームに両手を突っ込んで、中になにがあるのかを掴んでみようとする。クリームだらけになって、気持ち悪さに眉をひそめ、それでもその真ん中に、鉄の心棒が入っているのを掴んで、ゲラゲラ笑う。

 しかしそれは醜悪なテロリストであるにすぎず、他の人が踏み込まないタブーを侵しているから他の人にできないことができていたにすぎない。

 たとえばプラスチック爆弾を使う、カラシニコフを使う、火炎瓶を使う。

 なぜ他の人が使わないかは明白で、それを使うことが、本来であればたいせつな守るべきものを破壊してしまうからだと、ぼくは気付かなかった。

 颯爽とした自由を感じていたつもりが、それは単なる自損行為だった。

 そうやって鋭さをむき出しにして、なにもかもを破壊して回って、悦に入っているうちに、自分を包み込んでいたすべてを破壊してしまったことに気付く。鋭い刃のほとんどは自分の心に向かって突き刺さり、自分自分の息の根を止めてしまうに至る。

 それがテロリストの末路。

 だから、彼女を止めたくて仕方なかったのだ。

 きみがそれを破壊しても、破壊された人はなんとも思わないよ?

 彼らは自分たちのやり方で、自分たちの幸せを作り上げ、作り方を知っているから、破壊されてもまたすぐに作り直してしまうよ?

 結局壊れるのは自分だけだし、そのネガティブだけに染まって生きるのは危険だよ?

 ぼくはもう耐性ができてしまったから、なにをしても心配がないのだよ?

 しかし、ぼくは思うのだ。

 あのテロリストだった頃のぼくにそれを言っても聞いただろうか、と。

 彼女とふたたび出会ったのは半年もたった後のことで、叔父が個展を開くというので、開口一番に手伝いに名乗りを上げた。

 案の定、彼女個展が開くなりやって来て、例のマシンガントークをはじめようとしたので、ぼくは止めた。

「ねえ、こうしませんか? その批評に、他の人の批評も加えませんか? 叔父の絵を、個展に来る人はどう見ているのかを聞いてみませんか? ここで静かにそれを見ませんか? 礼金は払うので」

「だって、小さなたこつぼのような、マニア集団なんでしょ?」

 叔父を見ると、にやっと笑う。

「はがきは二百枚は出したかな」

「じゃあ、来るのは五十人ぐらい」

 それは取るに足らないと彼女が考えているのは明らかだったが、そのたこつぼの正体を見ることには同意してくれた。

 それからというもの個展開催中の1週間は毎日のように顔を出し、そして普段の激しい様子は出すことなく、猫をかぶったようにその成り行きを彼女は見つめた。

 個展と言っても1日に数人来ればよいような閑散としたありさまで、叔父はそれをのほほんと受け止め、コーヒーを入れて、陽光を気持ちよさそうに浴びていた。3人に会話はほとんどなく、あってもちょっとした細々とした用事に必要な会話だけで、静かに漂うような時間だけが過ぎていった。

 たまに来るお客には叔父は丁寧に接し、一時間も二時間も親しげに話した。

「これじゃあ、たこつぼどころか、単なる仲良しサークルじゃない」

 珍しく彼女が言うので、ぼくはあきれて言う。

「まあ、そんなもん。ずっとそうだよ」

「え? でも、上手いよね? 少なくともいま売り出し中の××よりは」

 ぼくはぎょっとして彼女を見る。

 その純粋な瞳がぼくを射る。

(この子はいったいなにが分かってなくて、なにを知らないのだろう?)

 叔父がのんきに言った。

「上手い下手ぐらいはさすがに分かります、本業ではなくても、画家ですし」

「じゃあなんで?」

 叔父はのんびりとコーヒーをすすり、言う。

「これが気に入っているのです」

 結局のところ叔父の個展で売れたのは20万の絵がひとつで、老人ホームに入るおばあちゃんが冥土の土産にと買っていった。

 水曜日に来て、土曜日に買いに来た。

「夢に出てきちゃってねえ」

 などという。

 叔父はそれを快く譲り渡し、お金を貰って、ほっと息をついた。

「これがこの個展目的だったんですよ、画家冥利に尽きます」

 彼女がどのような感想を持って帰って行ったのかは、実のところいまでもぼくは知らない。しかし、叔父は彼女携帯電話を忘れていったことに気付いて、それをぼくに渡す。

 叔父は言う。

「それが目的だったんだろう?」

 正直そういうところをずばずばついてくる叔父は、苦手な部類に入った。

「うっさい」

 まだ、地下鉄駅には徒歩ではたどり着けない時間だった。

 
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