はてなキーワード: 高まるとは
たまに飲みに誘われて、わーいとホクホク付いて行って美味しいものを食わせてもらうおっさんが数人いるのだが、
それらのおっさんは、飲みに誘ってくる時には、(^_^;)こんな感じの顔文字やサブい長文は一切送ってこない。というか顔文字絵文字長文自体ない。
他に予定があったり面倒くさくて断っても根にもたれたりしないし、フォローなんだか恨み節なんだか分からないLINEが来たりすることもない。
一緒に飲んでいても、ほぼ下らない話や馬鹿話で楽しいし、逆にこちらに相談事などがあるときにはきちんと聞いて建設的な助言をいただいたりできるし
相談につけこんで雰囲気系の会話に持ちこもうというような空気が発せられることもない。
もちろん、支払はおっさんだし、飲みが終わった後にLINEやメールがしつこく来ることもない。
あと、そもそも声を掛けられる頻度も、せいぜい年に数度だ。そして、用件が無い時にLINEやメールが来ることもない。
おっさんが異性の部下を飲みに誘ったり、LINEやキモメールを送ってくること自体が、悪いわけじゃないんだ。
個々のオッサンの中に、気持ちが悪いのがいる、下心が尿漏れしているのがいるという、個別事象のレポートなのだ。
「おっさん」という存在が悪いわけじゃない。「気持ち悪いおっさん(特定個)は、大変にうっとおしい」という事実がそこにあるだけ。
誰もが筆を執った世界では筆を執ったというだけでは誰も褒めてくれない。
だけど筆を執らないその他大勢がいる世界なら筆を執ったというだけの段階でも褒めてくれる人はいる。
直接褒めるやつはいなくてもライバル意識ぐらいなら燃やしてもらえる。
そしてちょっと上手くなってくればそれだけでその他大勢に認めてもらえる。
ほんのちょっとでいい。
上を見れば無数にすら思える怪物が沢山いるが、それでもこの世界にある表現されるのを待っている物の増えるペースに比べればまだまだ人数が足りない。
生産するオタクの数が表現待ちをしている概念の数よりも少ないこの時代だからこそ生産オタクのモチベが高まる。
誰もが生産しない事が、結果として多くの人の生産活動の価値を高め支えているのですよ。
生産できないオタクは食物繊維の一番下にいるバクテリアのようなものです。
本当に、無くてはならんのですよ。
仲が良くても、友人として信用していても、深夜に家まで送ってもらったら、やっぱり「遅いから泊まっていく?(疲れて眠いから断って欲しいけど・・・)」みたいことをいわなければならない流れになると思うし、もし、それで相手が「いいの?」みたいになって部屋にあがってきたらセックスになる可能性もかなり高まる。だから、友人のままでいたいなら送ってもらわないのが基本。ましてや、まだ信用度が低い友人程度ならダッシュで逃げる。
結局、学校って「デパートの最上階の食堂」で、勉強ってそこで出る「定食」あるいは「お子様ランチ」なんだよな。
近代のはじめにはきらびやかに見えたシステムだけど、ニーズが多様化した現代には合わない。平成の初めごろから、一部の高校で選択制を大きく取り入れた制度なんかもはじまっているが、カフェテリア式に変えたところでめちゃくちゃ満足度が高まるわけでもないし、どうせ専門店にはかなわない。
ただ、「それでも潰れてない食堂」ってのもあるわけで、学校的な場所のニーズがゼロになることもまた考えづらい。教育バウチャーをつかった諸外国の制度もそれほどうまく機能しているとは言い難いようだし、何より日本に合うか?というのも未知数。とりあえず受験産業は色めき立つだろうけど、塾が現在の学校の機能を100%負おうとすると、現在でも学生をブラックに使い捨ててる受験産業の現場がどうなるか、想像するだに恐ろしい。多発する問題に、国は対応できるだろうか?
とりあえず、現在の「学校」が、国家にとっていちばん「安くて無難な教育制度」としてそれなりにできあがっているのは間違いないので、「学校に代わるシステム」の構築はできても「学校がなくなる」状況に至るには、まだ100年以上かかるだろう。もっとも、教師の仕事のかなりの部分がAIに置き換わるのはそれより早いだろうが。
重大な責任を心に留め、公平・公正な審理を尽くしていきたいです。職務上の文書の量が膨大で、あらゆる分野にわたることに強い印象を受け、難しさを日々感じています。
最終審として、公平・公正な裁判を通じて納得のいく判断を下すことが期待されており、そのことが身近な司法ということにつながると思います。
まだ、関与してから日が浅いので、件数は限られていますが、どの案件も関係者にとって重大な結論を出しているのだという意味で重みがあり、心に残ります。
任命された側ですので、個人的な考えを申し述べるべきではないと思います。
国会が発議し、国民投票で決まる話ですので、最高裁の一員として考えを申し上げることは差し控えます。
憲法9条を巡る議論が活発化していることは承知しています。最高裁の一員としてこの議論に加わるのは適当でないと思います。
9月27日に参院選に関する大法廷判決に際して個別の意見を申し述べました。私の基本的な考え方は、そこにあるとおりです。
注:16年参院選の「1票の格差」訴訟で違憲状態の個別意見(17年9月)
原発訴訟についても、個別事例に即して判断していくべきものと考えます。
裁判員の方々は、真摯(しんし)に役割を果たしておられると承知しています。分かりやすく公正・迅速な刑事裁判、国民の司法参加という意味で良い制度だということの理解を更に広げていくことが必要かと思います。
冤罪(えんざい)はあってはならないことであり、裁判の段階においては先入観にとらわれず、証拠に基づいた裁判をしていくということだと思います。
死刑は、刑罰として究極の選択であり、そのあり方については国際的な潮流も踏まえながら、国民の皆様、その代表である国会において議論が深められるべきものだと考えます。
今の段階では、具体的な話を述べるのは尚早ですが、所期の目的に沿って刑事司法プロセスへ信頼が高まる一助となることを期待しています。
グローバル化につれて国際ルールも変化していきます。そうした国際潮流の展開を的確につかむだけでなく、自ら潮流を作っていくとの気構えが必要だろうと思います。
裁判に限らず、電子化は賛否の問題ではなく必然です。世代間ギャップへの配慮も必要ですが、日本標準、世界標準に乗り遅れないようにすることが必要でしょう。
うれしかったのは、サッカー日本代表のワールドカップ(W杯)本大会出場決定です。腹立たしいというか心配なのは、北朝鮮をめぐる情勢です。
娯楽としてはサッカー観戦と音楽が好きです。尊敬に値する先達ばかりで、特に一人挙げることは難しいです。日頃の心構えとしているのは「一期一会」という言葉です。
「外交官の一生」(石射猪太郎)。先輩から勧められた戦前の知中派外交官の回想録で、内政・軍事と外交の交わる難局における身の処し方につき考えさせられました。
製品の大量生産時代がとうに過ぎ(機械が担い)、社会の価値観やニーズは多様化しており、大集団で授業や指導をするのは小学までにしてほしいもの。
井の中の蛙にならぬよう、それから自分と他人のことを知るために、集団で過ごす時代自体はかならず要るとは思うけど。
中学、せめて高校以降は、教員さんの人数を増やして、かわりに給与も普通にして、せいぜい10人くらいの学級にしてほしいもんだ。上級生が下級生の面倒をみる構成にすれば、それ自体教育になるし、上級生も役立っている自尊心が高まるし、生徒どうし(保護者どうし、保護者対保護者)で課題に向き合うことになり、教育者も多少ラクになるのでは?この方針は一部の保育園でもう取り組まれていることで。
うちの職場の飲み会はめんどくさい。長のつく肩書きの人が4人いて、その中で部下たちに人気があるのは一人だけなので、結局その人を中心に飲むことになるんだけど、人気のない3人のうち、1人は「内心は誘って欲しいけど、でも人気のある人の周りだけ盛り上がって自分が相手にされないのはイヤ」なので、なるべくその人に飲み会のあることを悟られないようにしないといけない。
ということでメールやらLINEやらでこそこそと飲み会の話が取り交わされ、バラバラに職場を出た後、会場に集まってなんとか飲むことになる。ちなみに自分は公式飲み会とかイベントの打ち上げとかだと声かけてもらえるけど、若手や有志だけの会だと、明らかに飲み会やる雰囲気なのに、会場とか教えてもらえないという微妙な立場だ。
人気のない人たちが嫌われる理由はよく分かるし、別に無理してその人たちを誘ってもお互い楽しくないだろうから別にいいんだけど、飲み会でその人たちの悪口を言っている時間が長すぎて私は疲れる。ただでさえアルコール得意じゃないからずっとソフトドリンクだし、いちおう正社員でちょっとした肩書きはついてるから人気のある上司の次ぐらいの金額を払わないといけない。要するに財布要員じゃん。
…ということで昨日も飲み会みたいだったけど、会場とか知らないし、若手だけの飲み会の可能性も高かったので気付かないふりして家に帰った。何だかんだいって人の悪口は盛り上がるとか、共通の敵を作った方がその他の人々の結束が高まる…というのは分からなくもないけど、わざわざ嫌いな人間のこと思い出して話のネタにして「ムカつくんだよね~」とか3時間も4時間も語り続ける方もどうかと思う。構ってちゃんの嫌われ上司の下で苦労している若い子たちが多少愚痴るぐらいはしょうがないと思うけど、人気ナンバーワンで職場内の実権はかなり握っている上司みずから嫌われている連中のことを小馬鹿にした感じで率先して悪口言ってるのがどうもね…。
基本的に愚痴とか悪口をこそこそと飲み会とかで言うのは、職場とかで相手に対して公に逆らえない子たちのすることであって、自分が実権握ってて本社とのパイプが強くて、嫌われている連中よりよっぽど立場が強い人のすることじゃないと思うのだ。時間配分的に愚痴や悪口の時間は全体の2~3割にとどめていただけるとありがたい。なんで嫌われている人たちを呼ばないようにさんざん手を尽くしておいて、結局彼らの悪口を酒のつまみにして飲むのかと思う。嫌いな人のことは極力考えずに済むようにする方がよっぽどストレス解消にいいと思うんだけど。
元々アルコールに弱いし、遅く帰って寝不足になると露骨に翌日の仕事に響くので、楽しくない飲み会で時間とお金を浪費したくない。行っても歓迎されなさそうならなおさらだ。寂しくないといえば嘘になるけど、毎回同じ店で同じようなメンバーで飲んで、延々と人の愚痴や悪口を聞かされて3時間も4時間も浪費するのはイヤだ。せめて2時間ぐらいでサクっと終われよと思う。飲みニュケーションが基本的に苦手なので、対人関係の面で損してるとは思うけど、やっぱりめんどくさいものはめんどくさいのだ。
あんまり映画は観に行かないがたまに娯楽として観に行くタイプの人かな
いつも思っているのだがそういう人たちって、なるべく面白いとかオススメっていう言葉を頼って作品を決めるよりも、客観的にストーリーや雰囲気をラストまで書いてある感想を探してしっかり読んでからその作品が自分に合うかどうか検討しておくほうが楽しい体験を得られる可能性が高まるようになると思う
作品の楽しみ方を瞬時に理解して身を委ねる感覚が冴えてるならその必要はないのだが、それは多くの人にとっては映画をしこたまみないと磨かれない感覚だと思うし、映画好きや評論家の人たちでもその感覚を持ってないみたいにみえる人もいる
たいていのつまらない映画体験談は作品にその原因を探されがちだけれど、実際にはほぼ自分が作品に対峙する下準備が足りてなくて乗り切れてなかったという点に問題があるようにみえる
映画をしこたまみて作品のいろんなタイプに対しての経験値を蓄積してる人は準備しなくてもたいていの作品を乗りこなすことができるし、絶対にこれは乗り切れないだろうという作品を確実に避けられる
でもそういう人じゃない場合、つまらないとか合わないと感じる要素をみつけたら無視できずにそこで楽しい体験をおしまいにしてしまうし、乗り切れない作品をその場の嗅覚で回避することもとても難しい
日本では技術を秘匿しないとものが売れないと思ってる。だから食い物にしろ雑貨にしろ「プロにしか作り方がわからない」ものを「どうでしょうわからないでしょうだから買うしかない」と売りつけようとする。
一方で、世界的に売れてるものは、どうせ工場でしか作れないようなものですら妙に作り方を丁寧に説明して、客にその内部構造までしっかりイメージさせた上で、さあこの素晴らしい工程に金を出そう、とやる。ような、傾向があるように感じられる。たぶん。
というようなことを最近思っていたのだが、ふとこれは西洋の科学と江戸の算学道場との違いそのままだなと思った。
消費者の気質もあるだろうからどっちが正解とも言わないが、少なくとも自分はyoutubeでそういう海外のコマーシャルだったり広報番組だったりを見てる方が物欲というか生活を変えたい気分みたいなものが高まるなあ。日本ではそういう人間向けの広報が少ないのが残念だ。
「Nexus 5X&6P」のAndroid OSサポート終了 「Pixel 2」日本投入なくアプリ開発者が困惑
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1710/06/news108.html
まず、一口にAndroidと言ってもメーカーや機種によっていろいろなカスタマイズが入っていることを思い出してほしい。
NexusやPixelはリファレンス実装として認識されているので、そいつらで動けば大体の端末で動く(事が多い)。
XperiaやGalaxyはメーカーにより色々手が入っているので、そいらに基づいて開発してしまうと、そいつらだけでたまたまうまくいくけど他の端末では動作しないような実装をしてしまう危険性が高まる。
なので、NexusあるいはPixelで実装を進め、XperiaやGalaxyで互換性テストをする、という開発体制が一般的だ。
Pixelが手に入らないと、こういう開発方法が使えないので死ねる。
https://developers.google.com/android/images
Pixelがあれば、7.1.0から8.0.0(とそれ以降)までのOSイメージが焼ける。
Nexus5Xなら6.0.0から8.0.0(ここで打ち止め)。
「このAPI Levelで問題が発生してるんだけど」みたいなときに、特定のOSイメージを焼いて検証や開発ができる。
Pixelが手に入らないと、各API Levelに対応する端末を手元に確保しておかないとならなくなって死ねる。
正式に新しいAndroid OSが配信される数ヶ月前から、NexusやPixel限定でOSのPreview releaseが入手できる。
新しいAndroid OSで導入されるAPIや変更点をサポートするには、どうしてもPreview releaseを使わないといけない。
Preview releaseが手に入れば、新しいOSの配信と同時に最新APIを使ったアプリが配信できるが、手に入らないのなら最新版が手元のデバイスに降ってくるのを待ち(数カ月かかる)、それから開発して、配信することになる。
数ヶ月は遅れが生じるし、どう考えても死ねる。
でも、実機とエミュレータで違う挙動を示すことは割りとよくあるし、エミュレータでしか動作実証してないものをリリースするのは無謀すぎる。
技適取ってないので違法。電波を出さなければいいけど、電源入れたらセットアップ画面の時点ですぐにWiFiが有効になるのでそれも無理。
技適取ってない端末に対して外国人観光客向けの例外規定はあるけど、開発機として使うならそれは適用されない。
違法な端末を使って業務として開発を行うのはいかにもまずい。不満分子が法務省に密告したらどうなるんだ。
iOS使おう。
けものフレンズプロジェクトA(製作委員会)とヤオヨロズの間で2期制作の契約がまとまらなかった。
製作委員会の説明:事前の情報共有を申し入れた。ヤオヨロズから制作の辞退があった。
ヤオヨロズが沈黙を守ってる理由は案外大したことではないんじゃないかという妄想を書きます。
そういう明かしてしまえばがっかりされるような、条件折り合わずという普通の話ではないか。
どっちが悪いというのではなく、期限までに話がまとまらず交渉が終了したというだけ。
これをヤオヨロズ側から発信すればヤオヨロズを叩くファンも出るし、
ヤオヨロズ自身が外圧によって交渉再開を有利に運ぶ狙いがあればそういう手もあるが、
それをしないということはヤオヨロズにとってもこれは終わった話で蒸し返してほしくないのだろう。
だからたつき監督を通して、たつき版2期は無くなったという事実だけを伝えた。
あとはせいぜい福Pが口を滑らせるのを期待するくらい。
最近、Twitterを見ていると、#香害#化学物質過敏症のタグでオススメの商品が
紹介されていることが増えてきた。
けれど、残念なことに、健康な人や化学物質過敏症でも軽度の人が勧める商品は
症状の重い人には不向きな商品が多い。
購入してから、泣きを見ないように
(成分表がない製品は論外)
ラベンダー精油やベルガモット精油やヒノキ精油などがしっかり入っていたりするのだ。
すがすがしい気分のためのラベンダー精油は、海外ではアレルギー報告が非常に多い成分。
石鹸で全部済ませる人もいるけど、これも合う合わないがある。
こういうリスクと、どうつき合っていくかも考えないといけない。
やはり最終的には個々の状況や反応具合に合わせて、自分で選んでいくしかないと思う。
ちなみに我が家は洗濯はセスキ洗剤・クエン酸・過炭酸ナトリウム(酸素系漂白剤)をメインに使っています。
以上のことを踏まえて、香害で悩んでいる人や化学物質過敏症の人は商品を選ぶと安全性が高まると思う。
また、商品を勧める人は必ず成分チェックをしてから勧めて欲しい。
安易なオススメは人を苦しめる可能性があることを知って欲しい。
患者から見てみると、本当に酷い製品が紹介されていることが増えたので、
ちょっと慌てて書いてみました。
どうか、少しでも泣きを見る人が減りますように…。