はてなキーワード: 謙遜とは
この日記の書き始めは、2022年の3月23日。私の増田歴は2年ほどになる。基本はROM専だ。
週末にはてなブログランキングを見る派なのだが、その一番下に増田部門があるだろう。
『弱者男性』というのは要するに、男としての権利や義務や果たすとか、オスとしての欲求を満たせずに苦しんでいる男性のことらしい。特に、お金とモテの問題が多いようだ。
どれだけお金がある人でも、どれだけモテる人でも悩みはある。自分の思いを果たせずに苦しむことには変わりない。自由は、苦しいのだ。
私は、30代後半になる男だ。これまでずっと、道路や、公園や、箸などの大型建築物を創る仕事に打ち込んできた。あなたが都内暮らしであれば、私が設計した橋梁を使ったことがあるかもしれない。
年に数えるほどしか増田には投稿しないが、退屈にならないように綴ってみる。
以下、当時の日記を加筆修正したものになる。逆時系列にしている。
2022/3/18
職場の窓口にお客さんが来た。女の人だ。見た目は25,6才ほどか。
カウンターに座るように案内をして、その子の説明を聞いていた。
五分も経つと、向こうの説明が粗方終わった。話の最後で、こちらの資料をサービスで何点か手渡した。
別れ際、その子が割と遠方から来ているのを知った。職務経験が浅い印象があったので、「質問はありますか?また来ることがあっても困るでしょう」と話を振った。
その子が顔を上げた。すると、次の瞬間だった。コロナウイルス対策のプラ製の衝立越しに、その子と目が合った。瞼の上の、ふわりとした茶色いパーマが特徴的だった。
「しまった」と感じた。
話の最中、その子の姿を見ないようにしていた。私はずっと、カウンターにある資料に目線をやっていたのだ。
・・・私と目が合った途端に、その子の瞳が大きくなった。茶色い瞳孔をふわっと見開いて、両手の掌をテーブルの端にちょこんと乗せて、こちらに身を乗り出してくる。目を逸らすのも失礼なので、ちょっとの間だけその子の瞳を見ていた。
その後、私は少しばかり視線を落としたはずだ。
「確認ですが、このフェンスのところには町内会の倉庫が置かれるんでしたっけ」
「はい、そうです!」
マスク越しでもわかる、その子の綻んだ顔に目を背けるようにして私は、カウンターの端にあるスタンプ台に視線を移した。
帰り際、その子が名刺を置いていった。会社名と、その子の氏名と、会社の電話番号と、メールアドレスと、上から鉛筆書きで携帯電話の番号が書いてあった。「会社にいない時はこちらに」とのことだ。
接客が終わって私は、名刺ホルダーの一番目立たないところにそれを突っ込んだ。
2021/12/21
給湯室までコーヒーのお湯を汲みに行こうと席を立ち、廊下に出たところで、細身で背が高い子が正面から歩いてきた。いつも髪をお団子みたいにまとめている。
今年入ってきた新人の子で、私と同じ高専の出だった。片手に厚生地のハンカチのようなもの(あれはなんて言うんだろう。ハンカチとタオルの中間みたいなやつだ)を持っていた。
その子は、私とすれ違おうとする時に、「ばぁっ!」と言いながら両手を広げ、私の方に躍り出てきた。私がのけ反るのと同じタイミングで、小走りで後ろ壁まで下がって、にやにやしながらその子の職場の方へと早歩きしていった。
「しまった、対応を間違えた」と思ったのは、その年の6月頃だ。
その子は私の部署で余った事務用品をもらいに来ていた。あの時私は、縦横5000×5000ほどの段ボール(中に大量の事務用品あり)を抱えて、その子に渡そうとしていた。
「○○さん。開いてるよ」
小さい声で、その子のスカートのファスナーが開いて、横から灰色の下着が見えているのを指摘した。
その子は、「あ……」とだけ呟いて、カチンコチンコチンに固まった。私がそそくさと自席の方に戻って座りかけたところで、その子が段ボールを床にガタンと落としたのを聞いた。
どうやら、片方の手だけでファスナーを元に戻すことには成功していた。その子のところまで行って、段ボールを持ち上げて、「ゆっくり運ぼうね」と声をかけた。
今思えば失敗だった。その子は、あれから廊下で私とすれ違う時、たまに凄く嫌そうな表情になる。廊下の端の方に寄って、小走りで駆け抜けるのだ。その度に、申し訳ない、ごめんなさいという気持ちになる。
2021/9/30
よく行く近所のコンビニに、高校生~大学生ほどの女子店員がいる。ハキハキした明るい接客をするし、どんなお客にも物怖じしないし、チャッチャとした勢いで在庫ケースを開けてアイスや冷凍食品を突っ込んでいく。将来有望な子だと感じていた。
ある夜だった。コンビニによっては、お客さんがレジの画面で決済手段を選んだり、現金をキャッシャーに入れたりするだろう。
私の目の前に並んでいたお爺さんだったが、どうやら初めてのようで画面操作に苦戦していた。その子はカウンター越しに指で指示をするのだが、なかなか難しい様子だった。その子の身長は低い。レジから身を乗り出すも、うまくお爺さんに指示ができていない。
でもなんとか、最後の画面までは行っている。私は近づいて、「ここを押すんですよ」とお爺さんにジェスチャーで示した。無事に決済処理が終わった。
私の番がくると、「ありがとうございました」とその子が言った。「○△さんは優しいんだね」と声をかけた。「そんなことないです!」と全力で謙遜をする。
その際、彼女の変化に気が付いたのと、心の中で「やめておけ!」という声がしたのは同時だった。喉の方が早かった。
「今日は、なにか顔が違う?」
家に帰って、ようやくコトバが浮かんできた。あれはチークだ。女性の瞳の下がうっすらと赤くなっているやつだ。
いつだったか、直属の上司が女性社員に対して、「その赤いのは何だ?」と声をかけると、その人が、「これチークです」と返して、さらに上司が「チンコ?」と問い返し、微妙な雰囲気になったのを思い出した。
その子は、私の問いかけにレジの前で飛び上がって、「えー、どこが違いますかっ?」と元気いっぱいに質問を返してきた。物凄い勢いで身を乗り出している。「わからないけど、なにか違う気がする」と答えたはずだ。
以後、その子にレジを受けてもらう時、話しかけてくるようになった。二週間に一度くらいか。
「昨日の朝、自転車で走ってましたね」
「すっかり寒くなりましたね」
「私、来月から薬学部の研修に行くんです。しばらく会えません」
去年のクリスマスを過ぎた頃だったか。その子と話をしなくなったのは。
急に暗い表情になって、私と世間話をすることはなくなった。
できるだけそのレジを避けるようにしたのだが、たまにどうしようもない時があって、その度にまた暗い面持ちを見ることになる。
こういうことがある度に、「間違えた」と感じる。
上に述べた内容は、人によっては嫌味に聞こえると思う。もし、あなたが異性にモテたい人間で、かつモテないのだとしたら、イライラとする内容であるに違いない。
私と目が合った異性愛者の女性は、私に異性としてのアプローチを求めるようになる。目が合わない場合ですらそうだ。
昨年の6月。他組織から依頼があって、コロナワクチンの接種協力の仕事をした時だった。文化ホールの2階席が待機場所だったのだが、覇権会社から来ている女の人は、周りが空いている状態でも私の隣付近に座ろうとした。
○ 私
△ それ以外の主に男性
△ ●●● △
● ○●△
△ ● ● △
オセロだったらと思うと恐ろしくなる。黒が集まっているし、左右には正体不明の駒がある。△がみんなルークで、かつ私の味方であることを祈りたい。
派遣会社の女の人は、昼食を食べている時、チラチラと私の胸板を見ていた。上着を着替える時は特にそうだ。
「お前、さっき俺が着替えてる時チラチラ見てただろ」と言いたくなった。
それで、相手の方に視線を向けると、メジロのようにサッと首を回して向こうを見る。これに限らず、何もしておらずとも人からの視線を感じることが頻繁にある。
2017/9/上旬(〃)
この時までは、「できれば女性の目を見ない方がいい」が方針だった。この体験の後は、「絶対に見ない」と自らに誓った。
あれはまだ、前の会社にいた時だ。地元密着型の企業で、年に一度、会社敷地でお祭りをやるところだった。一般の人を100人ほど招いてワイワイと楽しんでもらうのだが、私は輪投げゲームの担当になった。
昼下がり、1階の広い室内のひと区画で長机に座って店番をしていると、6才くらいの女の子が前を通った。同じ部署の女上司の子どもだった。
その子は輪投げスペースを通り抜けて、私のいる机の前まで来た。それで、微笑みながらその子の顔を見たところ、きょとんとした顔になって、トコトコと母親のところに歩いて行った……数分後、その子は母親の手を引いて、またこっちに来た。輪投げゲームをやりたいという。
その時は普通にプレイしてもらった。帰り際に何かの景品、水鉄砲だったかを渡してあげた記憶がある。
その一ヵ月後だった。私と同僚が、女上司(母親)の会社の忘れ物を家に届けた時のことだ。
呼び鈴を鳴らして玄関口に入ると、女上司が出てきた。忘れ物を渡して、「ありがとうね」と言われたところで、例のあの子が奥の方から玄関に出てきて、私の方を見た。
すると、口をちょっと開けて、後ずさったかと思うと、一目散に後ろに駆けて行った。柱の後ろに隠れると、「いやだ、わたし、あの人に会いたくない!」と叫んだ。
一言一句、誤ってはいない。確かにその子は、慌てた声で、亀のような姿勢になって、そう叫んだのだ。「あんた!この子になにしたの!」と言われた私は、何もできなかった。
次の日から職場に居ることが苦痛になった。とにかく仕事がやりづらい。女上司との仲が悪循環的に悪くなっていった。
この日から半年後、私は転職を決意した。それから約三ヶ月間、耐えに耐え、今の会社に入ってからは、ずっと今の職場で技術関係の仕事をしている。
上のような諸々の現象に出会うことは正直よくある。年に十回以上は固いだろう。
その度に、過去にあった嫌なことを思い出して、「馬鹿なことをしてはいけない」「自分も他人も傷つけてはいけない」と自らを律する。
過去にあった嫌だったこと。思い出したくはないが、この機会だから思い出してみよう。
・地元の高専にいた時、アルバイト先のマクドナルドで、ある女の子と彼氏彼女的な雰囲気になったことがあった。が、今の私も、当時の私も奥手で、仲が進展することはなかった。雪が降る中、飲み会の帰りにその子を家まで送って行って、アパートのドアが開いたところで「今日はありがとう。じゃあね」と言うと、その子は私の顔を見上げて、多分十秒くらい経ったろうか。視線を部屋の中へと送ってその子は、またしばらく黙っていた。すると、突然早歩きで部屋に入って、ガチャンと扉と鍵を閉めた。しばらく立ち竦んでいると、その子の部屋の中で、また何か音がした気がした。私は振り返って、自宅に帰った。申し訳ないことをした、と今では思う。
・電車で移動する時。愛車(自転車)の修理が必要な時や、会社に遅れるリスクがある時は山手線で通勤する。席を確保してゆっくりしていると、いわゆるトナラーというのか、見知らぬ女の人が隣席に腰をかけることがある。40もつれの女性であることが多い。やがて、その女性がウトウトしたかと思うと、私の肩に顔を傾けてくる。逃げるのも申し訳ないので、大抵は我慢している。
・電車通勤時に会社近くの駅で降りるとき、「すいません……」と斜め後ろからオドオドとした、だが妙に勇気を振り絞った声がすることが稀にある。そこには大抵、中学生や高校生がいて、顔を伏せがちにして私の方に歩いてくる。それで、カバンから可愛らしい封筒を取り出して、「読んでください」と手紙を差し出す。『ごめんね。申し訳ない』。そう思いながら、「勇気がいったよね。ありがとう。読ませてもらう」と返す。手紙を受け取ると、手提げかばんに仕舞って、会社が終わって家に帰ると衣装ケースの奥に入れる。時間がある時に恐る恐る読んでいる。
私は幸せではない。普通の人が望む恋愛で幸せを感じられないからだ。
先日の、ある洋風居酒屋を貸し切っての飲み会の席だった。何十人もの社員が参加する、それなりの規模の酒席だ。幹事集団が、開催前の挨拶で「ソーシャルディスタンス」を連呼していたのを覚えている。
若い子が多かった。30代は私と男の後輩の2人だけだった。飲み会の開始直後を除いては、ずっと1人でメシを食べていた。二十分が経ったところで、後輩の男が、「増田さん。今いいですか」と満面の笑みで声をかけてきた。かつては同じ部署で、手取り足取り何年も仕事を教えてきた後輩だ。
要約すると、「あっちに先輩の席用意してますよ」とのこと。
彼の身長は170あるかないかで、体格は太い。着古した作業着で居酒屋に来ていたが、ちょっと汚れのある様がパリピ向けの店の雰囲気にそぐうと感じた。
笑顔はきれいだった。店内の薄暗いLEDに照らされて。少年的な感じのするスマイル。顔は色黒いのだけど、爽やかな感じが伝わってくる。
彼はいいやつだ。数年後には、いいお嫁さんをもらっているのだろう。
「女の子が2人待ってますよ。増田さんのために揃えたんです、褒めてください! △△さん(4階の職場で一番綺麗とされる女性社員)が来てますよ」
後輩はそんなことを言った。私は特別席へと案内を受けるようだ。
後輩は、うす暗い居酒屋のとある一区画の前まで来ると、「俺は男同士で飲みますわ。先輩は楽しんでください」と向こうのスペースに行った。目の前には後輩が説明したとおり、女性が2人、灰色調のソファに並んで座っていた。それともう1人(「ばぁっ!」の子)が2つ隣のソファでまごまごしている。私は対面に座せばいいようだ。
それで、女の子達(同じ階の後輩3人だった)を見た。一人はショートカットで、一人はセミロング?をポニーテールみたいにしていた。もう1人は、肩甲骨の下までの長い髪だった気がする。
雑談を小一時間した。私目線だとそれなりに盛り上がった。みんな大体同じだけ会話ができていたはずだ。退屈そうな素振りをしたこともあったが、気付かれていないと信じる。
この時も、やはり後悔がある。トイレで席を立った時、あの男の後輩を見つけた。少し酔っていたのもあり、声をかけみてた。
「女の子はいいや。後輩君と2人で話したいんだけど。どうかな」
と彼に告げたのだが、鎧袖一触とばかり、「ふざけないでくださいよ~!」と、私の背中を押して、あの子たちのいる席へと連れて行かれた……。
それからずっと、あの子達とお喋りをしていた。やがて、飲み会の締めの挨拶が始まったのに合わせて、私は特別席を立って遠くのスペースに移動した。挨拶が終わる頃、幹事達に1万円を渡して、誰にも声をかけずに帰った。
色々と勉強になる飲み会だった。またいつか、機会があれば行ってみたい、かもしれない。
自分という存在が嫌になる。私にも心があり、胸にときめきを感じる瞬間があり、その存在がほしい、手にしたい、一緒になりたいと願うことがある。
でも、手に入ることはない。手に入れようとする行為自体が罪になる。挑むこと、それ自体が罪なのだ。私にできるはずがない。できない。できないよ。私には。
増田につらつらと想いを書き綴ってはみたけれど、どうやら少しだけ気分が楽になった。つまらない日記になっていたら申し訳ないけど、できればそうでないことを祈っている。
そして自称することによるウロボロスを退治したいとも思っている。
私たちが否定的な弱者属性を自身の特徴であるとするとき、大抵は自身の行為によることが多い。
私は〇〇しかできないから弱者だ。私は○○だから弱者だというときに、○○は本人に依るだろう。
だから○○をしない、○○ではない状況であれば彼は弱者ではない。
しかし話はそう単純ではないだろう。
限界まで普遍的であるとはいえるが、いかなる想定を超えてまで普遍的であるとは言えないのだ。
つまりある文化や社会、グループにおいて弱者であるとされていても、別のグループでは弱者にはならない可能性は常にあるのだ。
これは自称であってもそうである。自称は他称によって得られるものだろう。
さらに現在のグループであっても、グループが何らかの変化によって、または破壊によって定義は変化する可能性もある。
そう考えると、他称されることとは一時的な承認であると言える。
一時的な承認であるが、自称となった(他称から自認へ)場合、承認者は自己である。
こうして彼はアイデンティティを獲得するわけだが。
弱者である場合(と私は仮定するのだが)、そういった自己承認はほぼ不可能なように思える。
それがどれだけマイナスなものでも、可能な限り事実であったとしてもだ。
どれだけのマゾヒストなら自身にとってネガティブなことを自分が承認できるのだろうか、ほぼ無意味だと思うだろうというのが一点と
弱者の自己否定性を考えれば、その自己承認がどれだけの意味を持っているのだろうかというのが二点目だ
私が思うに、弱者による自称は、自称っぽいがほぼ他称であるだろうということ。
そして自己承認をされなかった自称もどきは、ひどくもろいだろうということだ。
こうなってくると、アイデンティティを一時は獲得したもののすぐ壊れてしまい、彼のアイデンティティはすぐに無くなるだろう。
私はここまで考えると、"弱者であること"に類するの定義にはアイデンティティの獲得の失敗を含めておくべきだろうと思う。(獲得したとしても本当に短い時間だろう)
こうしておくと、かなり良いことがある。
なぜなら、自分が弱者である(弱者であるというアイデンティティ)と言うことが不可能だからだ。
弱者を自称することが無意味なのだから、自分が本当に弱者かどうかということを考えることは無意味だ。
もちろん他称としての弱者は残るので、結果は変わらないし、彼はアイデンティティを獲得できない。
偽物のアイデンティティを獲得してぬか喜びする必要はないし、取っては壊れ取っては壊れるというような賽の河原の石積みのようなことはしなくていい。
では弱者は何も言えなくなってしまうと思うだろうが、アイデンティティを獲得を失敗したと自称することはできる、私が言いたいのはまさにその点にある
私が思うに、もし弱者がいて、弱者と他称されていて、弱者が弱者と自認でき、そして自称が広く他者へ承認されている場合
そのケースはあり得ない、あったとしたら、もしそれを可能とすることができるのならそれは弱者ではない。
想定される弱者のケースとは、弱者と他称されていて、弱者は自分を弱者だと言えず、言えたとしてもほぼ他称の自称を言い、そしてその自称は自己または他者によって簡単に否定されるものだ。
まぁこういうと、否定されることによって弱者は完成するのだが、もし否定する人と弱者になりたい人が共犯的な関係を作り出してしまうこと、そしてそれを意図して行われてしまうともうよく分からないことになるだろう。
強者と他称されていて、強者が強者と自認でき、そして自称が広く他者へ承認されている場合
うん、これは強者だろう
強者と他称されていて、強者は自分を強者と言えず、言えたとしてもほぼ他称の自称を言い、そしてその自称は自己または他者によって簡単に否定される
うーん、微妙なところだが、強者のアイデンティティ獲得を失敗しているので弱者に近くなる
話を元に戻すと、強者の定義にはアイデンティティの獲得の失敗を含める必要はないだろう。
おそらく強者の自己否定性はそこまで高くないだろうと思からだ。他称されている点に注目すれば、彼を認める者は少なくともいるということだろうし。
それに他称は変わらないし、弱者であることと、強者であることに何も変わりはないのだ。
私が問題とする2点は回避できる。つまり自称弱者という不可思議な存在と、弱者によるいびつなアイデンティティの獲得の防止。
もう一つ解決しなければならないのは、謙遜による弱者性を自称することだ。これは文化と社会に密接に組み込まれていて、つまり彼らは弱者属性を体よく"使っている"わけだが
私は生きてきて努力をした記憶がない。これは嫌みでも謙遜でもない。
勉強なんて全くした記憶がないし、常に怠惰に生きてきた記憶しかない。
仕事も不真面目で出来損ない、間違いなく屑だ。
少なくとも塵カス程度には何かしなければ、偶然といえど、大学に受かることもなければ、仕事の結果を残すこともないのだ。
例えば、何か設計をした際の、「設計の動機」とか「設計に至った理由」などは答えられるが、設計をしていた時間の記憶がないのだ。
気がついたらキッチンに居たとか、ふと気がついたら出社していたことがないだろうか?
私は良くある。通学・通勤中の記憶がないけど学校・会社に来てた事が何度もある。少なくとも10代からだ。そのたび、「えっ夢遊病?事故起こさなくて良かった」とか思うのだ。
多くの事において私はこれが起こってる気がする。結果だけは覚えてるけど、途中がキングクリムゾンしてるのだ。
逆に何もしてないとき。サボってるときとか休憩してるときは記憶に残る。失敗したときなんかも覚えてる。
だから何か思い出そうとしても、自分が怠惰で屑だった記憶しか思い出せない。
だから自己評価はカスという評価しか下せない。常に最低評価を付けているのに、それなりの評価に修正されるのかがずっと理解できなかった。周りの人間は私なんかよりずっと努力してるのに、ちゃんと評価しろよと内心怒っていた。
https://getnavi.jp/book/227171/
このサイトに、
ちなみに、尊敬する人生の先輩は、いつも「愚妻」と称している。愚妻って、謙遜とはいえなんだか妻のことを悪く言っているようで、正直あまりいい気持ちがしなかった。だが、「愚」は自分のことを表しており、「愚かなる自分」の妻、という本来の意味を最近知り、これまた勝手に気恥ずかしい思いをした。なお、本書ではこのように紹介されている。
■妻の場合
相手側:奥様、ご令室
やはり、「愚妻」はマナー的にも◎だったようだ。さすがは先輩!
とあるのだが、まるで『ニッポンのおつきあいとしきたりの心得帖』に、「愚妻とは「“愚かなる自分”の妻」のこと」と書いてあるかのような「やはり」だ。
しかし、調べてみてもそんなことどこにも書いていない。
「愚妻とは「“愚かなる自分”の妻」のこと」の出典はどこにあるんだ?
まあ、そんなもの無いのだろうけど。
まず前提として、自分は優しくなけりゃ性格はひねくれてる部類の人間だということを分かった上で読んで欲しい。
「優しいね」と言われた時にいっつも決まって「別に優しくないよ」と思うんだけど、これは決して謙遜ではなくて本当の事。
基本、人に期待したり自分を出して争いになるのがイヤだから相手を受け入れるようにしているだけで、本来の優しいとは少しばかり離れている気がする。
し、そういった外に向ける自分を意図して演じているだけだから「優しい」という評価を貰ったときに素直に喜べず、本当の自分と相手に見られる自分とのギャップを更に感じて自己嫌悪になりそうになる
子ども時代や学生時代に関する記述はほとんど無くて、ほぼ不動産の取引や開発に関することばかり。
おかげであまり楽しめず、半分近くまで読んだところで止めることにした。
冒頭の第1章で、トランプの月~金の仕事のスケジュールが描かれているが、彼は毎日多くの人に電話したり、
取引をしたり、土地開発の進捗を管理したりと忙しい仕事人生を歩んでいる。
その章の終わりの金曜日の夕方、あるタレントがトランプタワーに挨拶に来るのだが、
そのタレントはトランプに対して、「金曜の午後に突然電話して会うことができるなんて、あなたは意外と暇なんでしょう」とからかう。
それに対してトランプ曰く、「そうなんですよ、正直、何もすることが無いんです」。
ダウト。スーパーのレジ打ちで何十回と特定の年下女性と会話するために並ぶのが見え透いている男性客、レジ仲間でやばい奴認定されてて当然。好きかもなんて気持ちになるわけない。そして褒め言葉を謙遜する高校生を嫌味と思うような世間知らずはスーパーでバイトしない。血管を煙がと実家の階段の件が書きたかっただけ。ダウト。
私は、もうすぐ専門学生ではなくなる。不景気でも、こんな私でも内定をくれる会社があって、春からは社会人になる。
その前に、どうしても増田で聞いておきたいことがある。
去年、私には気になる人がいた。私がレジに立っていると、ワイシャツの上に黒のベストを着た社会人の男性が来て、たまに話をしていた。いつも私のレジに並ぶ人だ。
「風が冷たいね」とか、「雨が多いね」とか、「今日は目の下がキラキラしてる」とか、「雰囲気かわったね」とか、他愛もない話ばかりだった。けど、その人は自信満々で、瞳の力が強くて、いつの間にか気になる人になっていた。
夕方~夜に働いている時、何十メートルか先のフロアにその人を見つけると、レジから身を乗り出して姿を追っていた。好きではないけど、少しは気になる、好きかもしれない、という感情だった。
半年が経った頃だ。
レジ数台が並んでいる手前で、その人を見た。立ち止まっている。こっちに来るんだと思って、一歩控えて待っていた。
すると、その人はさっと歩き出して、私がいるレジではなく、そのひとつ前に迷いなく入っていった。
初めてだった。私がいる時間帯で、私以外があの人を受けるのを見たことはない。
高校2年生には見えない見た目の子で、背が高くて、モデルみたいな感じがする。髪に特別なことはしていなくて、ただのポニーテールなんだけど、垢抜けた感じがする。不細工ではないと思う。
その男の人は、その子(高2ちゃんとする)と楽しげに話していた。確か、高2ちゃんが耳に開けているピアスの話をしていたと思う。マスク越しでも自信満々の笑顔だった。相変わらず目力が強い。
私はその時、同じレジの隣に立っていた新人の子にいったん任せる形で、忘れ物を取りに行く振りをしてサービスカウンターに向かった。
嫌な気持ちだった。こんなに嫌な気持ちになったことはない。胸の奥がむかむかする。心臓から流れ出た血がぶすぶすと煙になって、血管の中で燻っているみたいだった。嫌悪感だった。
次の時も、その次も、またさらに次の時も、あの人は高2ちゃんのレジに行った。それで、高2ちゃんと短い間お喋りをするのだ。あの子がいなくて、私とほかの人がレジ打ちをしている時だけ、私の方に来る。特に、話を振られることもなかった。前は、あんなに調子がよかったのに。
私の想いは裏切られてしまった。
去年のある日、インターネットを見ていたら、レジ打ちとお客さんでも恋愛が成立するみたいな記事がいくつかあって、期待していたこともある。もし名刺や手紙を渡されたら、何か理由を付けて連絡を取るといいらしい。
それがあの瞬間、あの人が高2ちゃんのレジに吸い込まれていった時、実家の古い急傾斜の階段を降りていたら1段飛ばしになって、つまずいて階段の角で尻もちをついた時の、あのやるせない、自分が情けない気持ちが込み上げてきた。
雑談の時でも、休憩室で一緒になった時でも、仕事の相談を受けた時でも、つい苦手な感情が込み上げてきて、ちょっと辛い対応をしてしまうことがあった。
その度にごめんね、と思っていたけど、そのうちほかのアルバイトの子も、高2ちゃんとのコミュニケーションが難しくなっていった。「背が高くて綺麗だね」「メイクは要らないよね」って本人に言っても、謙遜ばかりしていたから、多分みんな嫌味に思ったのだろう。
高2ちゃんは、去年のクリスマスの前に辞めた。あの人も、ちょうど同じ頃にスーパーに来なくなった。それで、私の感情もひとしきりついた。
同じレジ打ちの友達に相談してみたけど、みんな私と思いを共有してくれた。「そういう男ってマジでバカ」だと言ってくれる子や、美人とか美人じゃないとか気にしなくていいとか、ここでは書けないような悪口もあったけど、自分の考えは正しいのだとわかった。
増田の人に教えてほしい。
どうして、男の人は可愛い子の方に簡単にコロッと行ってしまうんだろう。私とあの社会人の人は、特にそういう関係ではなかったけど、もし仮に恋人同士でもそんなにコロッと相手を変えてしまうんだとしたら、ここまで不誠実なことはないと思う。男の人の感覚が信じられない。あの人は、私と何十回と話していたのに、高2ちゃんの方に行ってしまった。
理性的じゃないのはわかってる。自分の感情に腑に落ちないところがあるからこんなことを書いてるのもわかってる。でも、どうしても納得がいかない。
男の人は女の子の見た目ばかりに気を取られているし、何なら外見=中味と見なしている感すらあるんだけど、どうなんだろう。これから似たようなことがあった時、あのムカムカした思いをしなくていい方法はあるんだろうか。
3/15
私なんかのために時間を使っていただきありがとうございます。
読みにくい点があってすいません。高2ちゃんは大学生以上にしか見えない子で、たぶん社会人の人も気が付かなかったと思います。
あとは、社会人の人のベストですが、黒いセーターみたいなベストのことです。スーツの生地のやつではないです。
この日記を書いたのは、年明けにあのふたりが飲食店で一緒にいるのを見てからです。
忘れていた気持ちがよみがえってきて、耐えきれなくなりました。
重ねてすいません。ご意見本当にありがとうございました。
ごめんね。
俺アイツ見てて思うんだけど
発達障害っいうより致命的に怠惰でやる気がなく自発性がないから
相応しい地位に落ちて気が狂っただけで
はてなにも自分がクズであることは病気のせいって言い訳してるが
そういうところの差やぞとしか言いようがないよね
ネットで頭でっかちに世の中のつまらないオッサンや慎ましく生きてる女の人とかを夢がないとか笑うけど
お前ら普通のことすらできないし積み重ねてする気もないからそれ以下やんけっていうね
それが気に入らないから社会が憎い定型が憎いとネットで濃厚なエコチャン形成してさらに狂うんだろうけど
人に対して謙遜も謙譲も思いやりもないくせに社会や他人にそれを人一倍求めるって虫がいいにも程がないか?
せいぜいネットのおもちゃか女なら悪いホスト崩れや半グレの肉便器くらいしか使い道がないだろうそんなやつ
・めだま焼きと唐揚げ
・親子丼
あたりは、ユダヤ教の「親と子を一緒に食べてはいけない」という教えに反するらしい。
ハラルとか仏教とかそれぞれ違ってめんどくさいから全部食わないのがいちばんだよ。
ID非公開さん
2016/9/1 15:50
6回答
ユダヤ教において「子ヤギの肉を、その母の乳で煮てはならない」という戒律がありますが、“親子”の組み合わせ料理は、ユダヤ教徒は厳禁で 同じ親子の組み合わせ、親子丼やチーズバーガーすら厳
禁らしいです。
でも戒律は「子ヤギの肉を、その母の乳で煮てはならない」であって、あくまでも「子ヤギの肉」を「ヤギ乳で煮てはならない」であるから親子丼やチーズバーガーなら問題ないんじゃないでしょうかねぇ?どうも悪い方へ解釈してしまってるのですね。
宗教・1,114閲覧
cav********さん
2016/9/1 19:05
ユダヤ教では「肉と乳製品をいっしょにとること」を禁じています。チーズバーガーやクリームシチューに肉を入れることはもちろん、一回の食事で肉と乳製品をとることはできません。肉料理の食後のコーヒーにミルクを入れるなどもだめです。私がイスラエルを旅行した時、肉料理の後にデザートとしてアイスクリームが出ましたが、牛乳ではなく豆乳を使っているとのことでした。肉と乳製品を食べる間に、6時間だか8時間だか置かないとだめなのです。(胃の中で双方がいっしょにならないように。)もちろん、どこまで厳格に守るかは個人差があるようです。
親子丼は、卵であって乳製品ではないので大丈夫なのではないでしょうか。
まったくだな、鶏・卵白な親子丼、ヤギでないのに食いたくないのは とんでもない解釈!
お礼日時:2016/9/7 14:18
クリームシチュー 肉チーズバーガー親子丼クリームシチュー肉料理
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dol********さん
2016/9/2 8:10
違うよ。カシュルート(食物規定)では「肉」と「乳製品」を混ぜることが禁じられているんだよ。
で、卵も乳と同じように親鶏から出てきて、子を育てる成分を含むものだ。だから、中世ユダヤ人は卵の性質上、乳と同じだと考えた。ただし、まだ殻を形成していない段階ならば乳とは見なされない。ここは議論があって、絶対そうだというわけでもないよ。
いずれにせよ、卵の殻座の部分には血が混じっているので、その部分を取り除かねばコシェル(適正)にならない。
また、厳格な人は食後にコーヒーを飲むこともしない。うっかりコーヒーにミルクを入れて、胃の中で肉と乳が混ざることを防ぐためだ。
さらに、イスラエルのマクドナルドなんかは、ハンバーガーを売るカウンターと、アイスクリームを売るカウンターとが別々になっている。
あなたは「悪い方へ解釈」と言ってるが、それは「食物規定は悪いもの!」というキリスト教価値観の押し付けにすぎない。
こうした食文化全体として見れば、あなたが挙げた問題なんて取るに足りないことというか、むしろ「より安全な方へ」という解釈になっているんだよ。
なぜなら、神が与えた食物規定の真意は、人には分からない。だから、人がうっかり規定違反することがあるかもしれない。それゆえ、神が具体的に命じたことを範例として、食生活の一つ一つについて詳細に検討した結果なんだ。人の謙遜さの現れなんだよ。
めちゃくちゃ自己評価が低い
客観的には偏差値トップのエリート層だろうけど自分をバカでノロマで怠け者で努力も試みてるけどまともにできないグズだと思ってる
ごく普通の人か平均以下
全国試験で成績が上位一桁でも、こんなバカで努力もまともにできない自分よりも成績の低い人間ばっかりなんだ、人間って馬鹿ばっかなんだねレベル低っってびっくりしてるだけ
頭の回転が遅くて知能指数の低い上司になんでそんなに頭が回らないの!?知能低くない!?っていつもドン引きしてるけど、客観的にはおそらく自分の方が平均から離れている
頭が悪い自分じゃできないかもってつい謙遜してしまうけど大体同期よりずば抜けて成績がいいから嫌味なのかと相手が怒ってしまう
どうしたら自信を持てるんだ