はてなキーワード: 自意識とは
おれは自由意志や実存主義が人生唯一の確かなコンパスだと思っていて、構造主義というのがイマイチ好きではない。
人が生きるという事は事実の追求だけで片付く問題じゃないだろうし、そこを照らすのは論理ではなく何かしらの信仰だと思う。言葉は何でもいい。信念や納得、お気持ちとでも言い換えればいい。
内から発するプリミティブな価値なんてものはほんの些細なもので、大半は誰かの、なにかのコピーかもしれない。でも外から刷り込まれた、無自覚に規定された価値観とて、一度心に刻まれたのならそれはもうその人を成すその人自身のもんでしょって思う。
人生は、少なくともおれにとっては納得を追い求めて貫き続ける旅だと思う。目的とか考えずにボーッと生きたいと良いというのも、それはそれでそこには納得があるだろうし。前向きなものであれ後ろ向きであれ。
納得も意志もなくただあるようにあるだけのままであれば、それは本質的に石ころと変わりない。それを肯定して悟りの境地に至れるほどおれの心は強くない。
だから命はそのための手段というかステージに過ぎないと思う。もちろんそれが無きゃ何も始まらないけど、納得に従ってそこから降りるというのもまた一つ価値ある生き方(死に方だけど)だと思う。
人類全員がそういう考えで生きてる訳じゃないだろうけどおれにとってはそうなのだから、他人が自殺をしようが、同様におれにとっては何の問題にもならない。
まあ別に人殺そうとするのも良いと思うけど、当然それに抵抗するのも自由だし、現に人殺しへのそれなりのペナルティは多数決的に定められてる。
構造主義的な話としては、自殺も尊重されるべき自由意志のようでいて、実は無自覚に環境に追い込まれてるって可能性が問題になるのかもしれない。
でもさっきも書いたけど、一度内面化された価値観は過程がどうあれその人のもんだと思う。
了見の狭さ故にラディカルな方へ突っ走る人に対して、「まずは他にも視点を持ってみない?どれを選ぶかはあなたが後で決めれば良いし」みたいなスタンスならまあ分からんでもない。
けど暇を持て余して抽象的な考えを拗らせて死にたがる人ならともかく、もっと目先の切実な苦しみに耐えかねた人に言うのはどうなん?って思うよね。
今のアナタは自分の決意で死のうと決めたと思っているのだろうけど、実はそう思わされてるだけなんです。もうちょっと頑張ろうよ。
なんて疲れ切って余裕なんかないであろう人間に言うのも酷な話じゃないですか。
明るくなるかもしれないし暗いままかもしれない未来のために、頑張る気なんて中々湧きやしませんよ。
湧かないからこそ他人が止めてやる必要がある。酷なのを承知で、それでも生きて欲しいという願いを押し付けてでも止めるのが愛ってもんだ。
自殺を許せない人は概ねそういう事を言うんでしょう。
そういう優しさもあるだろうけど、放っといて死なせとくのも確かな優しさだと思うけどね。
無関心な相手だからそう言える、本当に人を愛した事がないサイコパス気取りの拗らせた厨二病野郎の妄言だとか言われるのがオチなんだろうけど。
その辺の事もちゃんと踏まえた上でおれは死なせてとけば?って思うけどね。
あと最近親ガチャってよく言われてるけど、あれも構造主義的な発想の問題提起なのかな。
人生のネタバレとか、そういう悲観に終止する決定論の方を志向する話はさておいて、その事実にどう取り組んでいくかって点で。
おれも格差の再生産とか親ガチャが無いものだとは思わないし、その是正に取り組むべきだって意見にはまあそうでしょうねえ、って思う。
現実はあるようにあるのだから、与えられた環境で自分で乗り越えるなり現状に甘んじるなり、好きにするしかないだろとも思う。
それらは別に二者択一でもなくて、目先の今を耐えつつ少しずつ構造と格闘していくというのがベストなんだろうね。
おれはラッキーな事に恵まれた環境で育ったからこそこんな抽象的な事を考える余裕があるんでしょう。つまりポジショントークなんだけど、それを言ったら環境に苦しんでる人の言い分もポジショントークだよねって話になる。
他人事じゃないんだし、ちょっとでも構造に抗う暇すら無いわけじゃないでしょ?と言われればごもっとも。
それはそれとしておれの人生はおれのものなので、そんなことはナン ノブ マイ ビジネス(夜に影を探すようなもの)です、って感じ。
社会を良くする事はイイ事なんだろうけど、それがおれに与えてくれる幸福は知れてる。
そんな気の長そうな話よりは自意識を拠点におれの人生をやっている方が魅力的。それならそっちにウェイトを置きたいよね。
子供とか作って「まとも」になれば考えも変わるんだろうけど、今んとこその予定もないからおれが死んだあとの事とかどうでもいい。次世代がどうなろうと知った事ではない。
こういう話をすると概ね素朴な相対主義とか冷笑とか厨二みたいな説教をかます人間がいるけれど、そこにクリティカルな内容を伴っているのをおれは見たことがない。
今日はそんな事を考えていました。
高校入試が無いからラク出来ると騙されて一貫校の中学入試を受けた。
おもしろ/鬱屈受験録を期待する人は読まないほうがいいです。おれの内的な整理なんで。
元々進研ゼミか塾かの強制二択で前者を取ったのだけど、家にいてもテキストが視界に入るのが不快でたまらなかった。
いつだか、コレ説明不足だろって感じの算数の解説にイライラしてた。添えられたイラストのナントカ君のつっまんねーギャグが異常に癇に障った。きっかけは些細だけど、募る不快が爆発してテキストをクシャクシャにして投げた所を母に見られた。
で、なんか揉めてヤケになって塾に通うって言ったのを覚えてる。
渋々通ってる内に、なぜか入試を受ける運びになってたような気がする。
6年間のまとまったモラトリアムが手に入るなら、まぁ……って自分に言い聞かせた。PSPとモンハンの購入を禁止されたのも我慢した。というか当時は「ダメ」と言われて逆らうって発想が無かった。
そんな感じでマジメというか了見が狭かったんだけど、ある時学校で寺島君に誘われて掃除をサボるという体験をした。自分の人生にサボるという選択肢が現れた。
黙ってPSPを買うほどの勇気、というかその発想は未だ浮かばなかったけど、意を決して塾をサボってみた。
バレなかった。10km離れたイオンまでチャリこいでフードコートに居座ってエヴァ読んでた。実はバレてて初犯だから見逃されてたのかもしれない。
そんで調子こいてサボりまくっていたらバレて、嫌なら辞めろと言われた。
冗談じゃない。塾通いでドブに捨てた日々を今更無かった事にしろと?初めは強要されて、今更辞めて良いと言われたってアンタは私の時間を返してくれるのか?
なんてアンビバレンスな感情に苛まれて泣きながら「通わぜでぐだざい」って頭を下げた。
後日学校で○○塾サボったって本当?と複数人から訊かれた。金輪際母に大事な情報を伝えるのはやめとこって決めた。
まあそんな感じだったけど一応第一志望に受かって、晴れてまとまった6年間を手にした。
合格後になって実は土曜も授業があると知らされた。そんなとてつもない重大情報は真っ先に言えよカス。コイツらの味噌汁に農薬でも混ぜて殺してやろうかな、って本気で思った。
かなりマジで悩んだけど、まあ今更……という事で入学を決めた。
親の意向とは違って上昇志向なんて1ミリも無かったんで、勉強に励む気も毛頭なかった。
初めての定期テストでは当たり前に100点が取れる色刷りのやつに代わって、70とか40とか書かれたザラついたテスト用紙が返ってきた。
学校のテストで平均を割るなんて考えられない体験だった。まあ後の惨状に比べれば全然可愛いもんだったけど。
どこかにあったプライドがやや傷つきはしたけど、そこで悔しさをバネに、なんて気持ちはサラサラ湧かなかった。
目的を忘れちゃいけないからね。ダラけるために小学生時代の放課後を捨てたんだから。ってことでさほどは気にはしなかった。
こんな塾の続きをするために入学したんじゃないんだよおれはって事で、もう勉強は丸投げしようと決めた。授業中は寝るかゲームか買い与えられたばかりのスマホをいじるかだった。
唯一ちゃんと授業受けてた中一1学期に聞いたクリプトコッカスネオフォルマンスとか、バージェス動物群のピカイア、オパビニア、アノマロカリスみたいな単語だけ今でもよく覚えてる。
合格発表の時おれが「これでもう勉強しなくて済む!」って言ってた時にはヘラヘラしてた癖して、いざ入ってみれば成績にグチグチ言う両親を適当にいなしながら、モラトリアムに浸った。
考え事してる内に、自分なりに実存主義や相対主義に辿り着いたりもした。サルトルとかニーチェとかハイデガーを大学入って齧った時、コイツおれじゃんってマジでびっくりしたよね。
道徳の授業で教わるような規範はもうおれにとって意味を持たなかったし、晴れて購入を許可されたゲームが没収されても黙って新しいのをもう一機買うのに罪悪感は微塵もなかった。
歳相応に、というか同年代よりも遥かに時間をかけてアイデンティティとかにも悩んでみた。
こういうのは拗らせた10代の一過性の悩み、で片付けていいもんじゃないと今でも確信してる。厨二とかいわれるような心をすっかり忘れてしまったら人間お終いだと思う。
まあそんなんで順当に成績はカスだったけど、教室の空気を吸ってるだけでも無自覚に上昇志向というか、学歴厨じみた思考が植え付けられてくるんだよね。
高校にもなれば受験の話題が増えて、おれもそれに合わせていった。
こんなに勉強嫌いでも大学受験をする事だけは疑わないんだから恐ろしいもんだね。高卒は人生の落伍者ってかなり本気で思ってた。
最初は勉強もちゃんとやってれば楽しいはずだなんて自分に言い聞かせてみたけど、やっぱり苦痛だった。だから変に楽しもうと工夫なんかしようとしないで、入試の通過手段と割り切っていこうって決めた。
これはそのまま、賃金労働に自己実現だとかやりがいなんか求めず生活の糧と割り切って、軸足は趣味において生きようという人生方針へとスライドしていく。その「割り切り」は後の人生の後悔にも少し繋がってくるんだけど。
そんな感じでやっていって入試に臨んで、まあぼちぼちの結果といった所に落ち着いた。
終わってみれば後出しで後悔も湧いてくるものだけど、進路に関しする始まりは「ダラけたい」だったんだから、小学生の頃の自分への義理はそれなりに果たせたと思う。
大学入ってから、世界史とかロクに聞いてなかったからその辺文脈理解が必要な話にはやっぱり苦労したけど、一人で考え事してた時の内容は宗教学や哲学のレポートを書く時大変に活きてる。
教授から直々にメールで褒められた時はちょっと嬉しかった。大学の勉強は楽しい時もある。大抵ダルいけど。
放っとけばボーっとしてるかたまに好きな事に手を出すだけ、根が遊び人のボンクラだから、環境に下駄を履かされて助かってきた部分はあるんだろうなって思う。
でもアッパーミドルの王道を目指す生き方を非常に中途半端に内面化してしまって、好きにも「べき」にも振り切れないハンパなディレッタント崩れになってしまったよね。
思うままに生きた人生は暗澹たるものだったかもしれないし、もっと肩肘張らずに生きていられたかもしれない。考える意味のない可能性をつい思っちゃうね。
振り切れた生き方をする勇気なんて平凡な人間にはなかなかないし、そのバランスが課題なんだと思う。
たらればを言えばもっと「好き」に振り切れる期間が欲しかったかもしれない。
高校上がってから嫌々ながらも主体的に勉強を始めたと言ったけど、本当はもっと前からハンパな「べき」が心にあったんだよね。
6年のモラトリアム期間だって、何をするにも「こんな過ごし方でいいのか」って水を差してきた。
なんというか幼い白黒思考の潔癖状態の段階で、バランスなんか考えられない状態で相反する価値を抱えてしまって、それでどっちつかずになってしまった感じだな。
中庸って言葉にすればありきたりだけど、そこに実感や納得を乗せられたのはせめてもの学びか。
勉強から逃げて(そもそも最初から立ち向かおうする気なんかなかったんだけど)自意識を煮詰めた時間だけは無駄じゃなかったって、そこだけは確信を持って言える。
でも出口のないナイーブな悩みなんか適当な所で蓋をして、どこかで思考停止して目の前の生活をやってく生き方はある種の賢いものなんだろうなとも思う。
まあ人生なんて結果論でしか語れないだろうし。電源ボタンはあっても、セーブ機能やリセットボタンはないのだし。
ヨッピー自体はNewspicks、Abema的なマッチョ人間なのだが、彼が認められたいのはテキストサイト系から脈々と続いているナード文化圏なんでしょ。
ギャグとか文章とかが全く面白くなくてそっちでは全然評価されてない一方、評価されているのは身体を張って何かをしている系のガンバルマンみたいな記事ばかり。そりゃ自意識もおかしなことになるわな。
12:10少女漫画を理解する心の広い俺id:kou-qana 2023/06/21 ごめんなさい私も増田基準だと少女漫画好きを名乗れない女…古い白泉社ばっかりよ…白泉社以外で最近のは〜…ええとええと「君に届け」とあと〜「氷の城壁」くらい!自意識のモダモダ話が好きなんだよ〜〜!2023/06/21 12:10
非モテ男性がヤバいんじゃなくて、そこそこモテるくせに「俺は非モテだ」という自意識だけが暴走している男がヤバい。
「勇気を出してナンパをしても100人に1人くらいしか話を聞いてくれないから非モテ」
相続で成り行き上賃貸マンションの大家になり10年が経った、約100部屋を自主管理している大家増田は、気の置けない友人と馴染みの店で呑んでいた。
「俺はどこでミスっちまったんだろうなあ」
「やっぱり最後の「賃貸マンションに入れてはいけない客・タトゥー入ってる人編」が内容キツ過ぎたんじゃないですか?そもそも、なんでこんなシリーズを書き始めたんですか?」
「シリーズにするつもりはなかったんだよなあ。最初の「賃貸マンションに入れてはいけない客」は、いつものようにクソ客の入居審査を落としたばかりで、その勢いでヤケクソで書いたやつなんだよ。だから短いだろ?もう消しちゃったけどさ。」
「ふーん。今までに増田で日記を書いたことはなかったんですか?」
「ないない。良心に誓ってこれが初めてで処女作よ。だから、こんなん書いてもさ、バカが愚痴ってるよって扱いで誰も読まないと思ってた。事実、載せた後は気にも留めてなかった。その日の夜にはてなブックマーク開いたらめちゃくちゃビックリしたぜ。トップに載ってるんだもんよ。ひっくり返ったわ。」
「それで図に乗っちゃったんでしょ。高校デビューのヤンキーとやってること変わんないじゃないですか。」
「いや、それが実は最初はかなり戸惑った。だって内容は大家の汚ねえグチで、全然褒められたもんじゃねえだろ?俺的にはむしろ、ネバーマインドが売れすぎて逆に当惑するカート・コバーンの気分だった。今の俺ならカート・コバーンのイタコができると思った。」
「あんたやっぱり調子に乗ってるでしょ。そんなこと言ってるとまた怒られますよ。」
「大丈夫だろ誰も聞いてねえし。あ、すいません、ビールおかわりね。
ただ、コメントを見ると、意外に俺たちの仕事は誤解されてるのが気になった。そして、注目された今なら読んでくれた人との双方向性を担保できると思って、その誤解を解きたい欲が出ちまったんだよ。
それですぐに書いたのが「賃貸マンションに入れてはいけない客・Q and A編」だった。今思い返せばこの時は調子に乗ってたのかもな。」
「でも、そのあとも3、4本目と書いてるじゃないですか。客観的にはずっと調子に乗ってるウザイ奴に見えますよ。」
「いや、「Q and A」を書いた後は、明らかに中身を読んでなくて、火に油を注ぐだけのようなコメントも出始めてヤベエなと思い始めてた。まあ内容が内容なので自業自得だな。文体も挑発的だし。なので俺的にはその後に書いた「外国人と老人編」と「タトゥー入ってる人編」は完全に敗戦処理。」
「なんでアンタが被害者ぶってるんですか。敗戦処理っていう割にはクッソ長いし。どうせノリノリで書いてたんでしょ?」
「いや、これはマジでそんなことなくて、俺なりのケツの拭き方だった。実際に外国人と老人は賃貸マンション借りるのに苦労してる実態があるからさ。騒がしくしちまっただけに、現場から見た処方箋を示したいと思った。まあ、結論は全然ダメだったんだけどね。」
「そうなんですか?結構多くの人に読んでもらえてたじゃないですか。内心キャッキャしてたんでしょ?」
「そんなことはなくてさ。俺が全ての記事タイトルにいちいち「賃貸マンションに入れてはいけない客」という文言を入れていたのは、連続性があるので最初から読まないと議論の内容が追えませんよっていう配慮だったんだけど、多分これは最初から読んでくれてた人にしか伝わってなかった。
外国人と老人編のときは、なまじタイトルに外国人と老人なんて入ってるもんだから完全に逆効果で、タイトルだけ見て、悪い意味で真逆の誤解をする人が明らかに出始めた。
この頃の俺はうまく伝わらんなと思って正直焦ってた。読む人に過度な期待をしてたな。ビギナーゆえの未熟さが出たとも言える。で、一旦全部消した。」
「じゃあそこでやめときゃいいじゃないですか。そのまま消えときゃいいのにまた出てきて未練がましい。」
「そのつもりだったんだよ。それが、なんか最初に書いたやつでタトゥーを入れてる人について書いたのがバズってたのをそのタイミングで知ってさ。
最初に書いた記事は勢いだけで書いたから「タトゥーを入れてる客はハズレだ」としか書いてない。これじゃ言い逃げじゃん。なぜ賃貸マンションの大家である俺がそう思うのか、反論できる形で、きちんと理由を示さないと誠実な態度ではないと思ったんだわ。
それで、我ながらダセえなと思ったんだが、また出てきた。
だから「タトゥーを入れている人編」は論理展開を丁寧に書いた。そうすると、違う主張をする人にとっては俺に対する反論がしやすくなるんだ。ただデメリットもあって、必然的にくどくて長くなっちまうんだな。これが完全に裏目に出た。やり過ぎ感が出ちまった。」
「そんな意図わかる人いないでしょ。あんたが一番バカじゃないですか?」
「うるせえ!俺はこういう人間だ!
でもコメントで1人だけ論理に飛躍がありますよと指摘してくれた人がいたぜ。あ、この人はそういう読み方をしてくれていて、俺がやりたい事の意図が伝わってるなと思って嬉しかったなあ。
内心ではタトゥーを入れてる人や、そういう入居者を受け入れている大家の実証的かつ論理的な反論を期待していたんだが、これは残念ながら皆無だったな。まあ、俺のアプローチ方法が悪かったと言えばそれまでだ。
で、また変な方向に議論が傾いてきて、だんだんコメントを入れてくれた人同士で罵り合うみたいになっちまった。ダメだこりゃと思ってまた消した。」
「で、こんなとこでくだを巻いてるわけですね。」
「ま、そういうことだな。
今回のは、俺的には山でわかんねえように野グソをしたつもりだったのに、その野グソが見つかって大騒ぎになっちまったみたいなもんなんだな。」
「あんた例えが下品すぎますよ。全国の賃貸マンションの大家さんに謝った方がいいですって。」
「まあ聞けよ。責任を感じた俺は、自分で出したクソを片付けながら、「なぜクソをしたのか」「なぜこんな色なのか」を一生懸命釈明していてまわっていたつもりだった。だが、そもそも野グソすんなって話だ。だから見る人が見れば、俺はどんどん蟻地獄に落ちていってたわけだな。」
「まあ、言われてみればその通りですね。」
「lady_jokerさんという人がな、どっかのコメントで俺のやってることを指して無邪気だと批判してくれてた。これは冷静かつ的確な指摘だと思った。前述のように俺の自意識は全く異なっていて、それは俺が内心あたふたしてたからだ。でも、洞察力のある人には俺の姿はそう映っていたということだ。要するに、もう潮時だってことよ。」
「いやいや、みんなもう飽きてたと思いますよ。でもコメントとか見ながら楽しんでたってことじゃないですか」
「それはそうだな。多分コメントは全部読んだな。
他のブコメではどんなこと言ってるのかもだいぶ見たな。見たっていうより入居審査と同じ目でチェックしたな。そうするとさ。こっちではAと言ってるけど、あっちではBと言ってるとか、そういうアラが見えちまう奴もいて、面白かったな。」
「あんたそれ職業病でしょ。入居審査でSNSチェックやりすぎてるから。気味悪いですよ。」
「そうだなあ。体に染み付いちまってるなあ。
コメント見る限り俺の印象だと、知的にハイレベルな層がトップ2割、標準レベルが5割、もうちょっと国語を頑張りましょうが下位3割ってとこかな。パレートの法則ってのはガチだ。」
「いいじゃねえか誰も聞いてねえし。ん?あの店員、おかしくねえか!?今俺と目があったら、目をそらしたぞ!」
「そう言えば、さっきビール持ってきたときもニヤニヤしてたような気が…」
「絶対盗み聞きしてたに違いねえ!おい!お前が盗聴してるのはわかってるんだからな!!」
-
-
-
-
-
店長…。増田さん、一人でお店に来てるのにブツブツ誰かとしゃべってるみたいで怖いんですけど…。
症状が出てるな。いいか、絶対に増田さんに何か言われても否定も肯定もするなよ。すぐ保健所に連絡だ!
※そうかこういうのは二次創作に見えてしまうのか…。なかなか難しいもんですね…。
●ちょろっと時事ネタ書きました
はてブでさ、「この視点はなかった」から始まるコメントのやつよくあるじゃん。伝わるかな?伝わってる前提で続けるけど、キツくない?最近キツくない?僕だけ?
イケてる感あるコメントだと思うのよ、基本は。「気づかせてくれてありがとう」的な肯定、あるいは称賛や感謝が主題だし、ちょっと「(多様な視点を複数持つよう心がけるこの私ですら)この視点は〜」みたいな自意識もまじってるけど抑制的だし。
でも最近、はてブで話題になる記事で、上位コメに3つくらいあったりしない?「この視点はなかった」「この視点はなかった」「この視点はなかった」みたいに。そのせいで個人的にキツくなってきたんだよね。
ちょっとウエメセじゃん、認めてやんぜ感あるじゃん、だからおじさんおばさんが書いてるイメージなんだよね、それがワラワラ寄ってきて、したり顔で「この視点は〜」て絵面がさ、キツい。ザ⭐︎中高年限界集落!で感じ。また星付け合ってるのがさ、「ほう、あなたもこの視点がなかったのですか、かく言う私もそうでしてな、お互いまだまだですなワハハ(ウインクパチリ)」みたいな、知らんけど。
こういうデーモンに殺されて欲しいんだよね。
https://twitter.com/inunokagayaki/status/1371764681237430273
自意識や自己愛はデカければデカいほど良いと思うし、自己批判もいいけど自己弁護だって存分にすればいいと思う。
でもそれがルサンチマン的なものに向かってる人は好きではない。
自分にとって不快な他人の行いを実際に止める事はできなくて、でもそのままじゃ悔しいから負け惜しみを言う感じ。
自分なりの道徳をこさえてみて、それにそぐわない他者は劣っている。そうする事で自分で自分をマイ道徳的に高めて溜飲を下げる。
普通は(実際にそれが「普通」かどうかは……)こうあるべきなはずなのに、そんな事もわかんないの?バカなの?
ワタシは当然そんくらいの分別はついてるけどね。
そんな事も分からないなんてカワイイね♡お子ちゃまでちゅね~♡なんて毒づいてみるけど、現実に相手の行いや態度を変える事なんて出来やしない。
相変わらず自意識強そうだが
僕の知っている人で死を体験した人がいない。
どんなことだって、あらかじめ先人の知恵を調べて準備をするが、この世のすべてのアドバイスは死の際までしか教えてくれない。
宗教は教えてくれるが、あれは願望だ。当てにはならない。
だから、なるべく死を後回しにして、おそらく辛いと予想される死に方を回避するしかない。
でも、死後何がおきるかはわからない。もしかしたら死後の世界があったらどうしよう。その死後の世界は今よりも楽とは限らない。
生前の行いに関係なく地獄と呼ばれるようなところに行くかもしれない。
もしかしたら輪廻転生するかもしれない。記憶がなくなるなら別の人になることだからそれはそれで怖くないかもしれない。
人間は単なる生物で、僕の自意識は僕の体、脳に依存しているからだ。
停止するだけならばいいが、もしかしたら死の間際に主観時間は引き延ばされるのではないかという懸念がある。
それと同じように極限状態で脳の主観時間が引き延ばされて、極限まで引き延ばされて死の際を無限の時間に感じていつまでも死なないということもあり得る。
第三者から見れば、僕は死んでいるが、僕は死んでいる時間まで到達することができずずっとそこにとどまってしまうこともあるかもしれない。
死んだ昨日の僕は、無限に死なない時空で閉じ込められたり、地獄のような場所に転送されたりするかもしれない。
寝た後、知らない場所に行き苦行を強いられるかもしれない。
そして僕は「なんでこんなところに来たんだ?死んでしまったのか?家族にお別れを言いたかった」と思うが、別の僕はまた生まれて家族には無事な顔をみせていることをしらない。
当初は抱っこ紐やミルクや寝かしつけの解説系が多かったが、単なる子供自慢の動画が多くなった
結局は解説系にしても個人の主観や誤った情報にあふれているわけで、うちのこ可愛い系のほうがよほど共感できるとわかったからだ
ところで、世の中的には子供の成長動画やブログには反対派が多い
それは子供が自覚なく自身の動画を世界に発信してしまっているからで、いずれ自意識が芽生えればそういうものを嫌悪するだろうってことだ
たしかにそれは当てはまると思うから自分は子供の動画を上げていない
自分が赤ちゃんから幼児ころまでそういう動画をあげられていたら、むしろ今は良かったかもしれないと思っている
自分の子供の頃の記憶はとても曖昧で、覚えているのは小学生くらいからの奇妙奇天烈な行動ばかりだ
自分はそれ以前はどういう子供だったんだろう、どういう目線で見られていたんだろう、と子供ができてから思うようになった
母親はなくなったし当時の写真や動画、母子手帳などの資料は全部散逸している
父親は全然覚えていないので、自身の生い立ちを証言してくれる人やものがまるでない
友達らしいものもないし、あえていうなら保育園や小学校の先生くらいだろうか
生家は既に取り壊しているし、中学時代から住んでいる家はだいぶ片付けてしまった
そういう状態だから、子供の動画を見るたびに自分が被写体の立場だったらと思うとちょっとだけ羨ましい
少なくとも愛されていたんだなって