はてなキーワード: 結婚式場とは
市内のシティホテルに泊まった。
一泊5万円弱。
普通のビジネスホテルに泊まれば、1万円前後で泊まれたかもしれない。
でも、ビジネスホテルじゃ味気ないし、たまの旅行だし、まあいいかと奮発して。
上には上があるし、もっと高級なホテルなら一ケタ違う金額になるだろう。
でも、自分にすれば、十分に高額。高級。
そもそもシティホテルの金額って何に対する金額なんだろう。
でも、ホテルって基本はただ泊まるだけ。
そこをあえてシティホテルでこの値段。
ただ泊まるだけで。
結果、とても残念な思いをした。
部屋はまあ高級感はあるが、内装は古い。
椅子もソファも浴室も、いいもの使ってるのだろうけど、微妙に古びてる。
ソファなんて、一部、布がほつれてる。
掃除も行き届いてなかった。
天井近くのサッシの上には埃が積もっていた。
シティホテルに泊まる人たちって、どういう思いで泊まるんだろう?
そういう完璧なサービスを求めるなら、少なくとも10万20万のホテルに泊まるべき?
なんか、わからなくなった。
結婚式場推奨の変なテカテカしたタキシードを5万も出して借りるくらいなら、ちゃんとしたテーラーでオーダーして作った方が良いよ、という話。
セミオーダーなら10万で作れる。
借りるより5万高くなるけど、テーラーでタキシードを作ると、式の後スーツに仕立て直してもらえるから、結果的にずっと使えてかなり経済的。
なにより、自分の体にフィットしたスーツってスタイル良く見えるし、着ていて気持ちが良いのよ(夫談)。
ラインが美しいと、写真映えがするから、嫁のドレスも引き立つわけで。ホントいいことずくめ。
結婚式用のタキシードを仕立ててくれるようなテーラーなら、中に着るベストのレンタルもしてくれるよ。
ウチの場合はベスト&タイのレンタルとシャツのセミオーダーも付いてトータル10万だった。式の後の仕立て直しは無料。ちなみに都内ね。
仕立て直したスーツは、人様の結婚式はもちろん、ここぞというときの商談に着て行ったりしてる。
作ってから5年経つけど、今だに綺麗なシルエットのまま。
http://point.recruit.co.jp/doc/campaign/cm/20140206/
このCMをソチ五輪にぶつけるリクルートさんの感覚に違和感を感じてしまいました。
ぱっと見、既成概念にとらわれない自由な生き方をすすめる感動的な内容に思えるCMです。
このCMが流れるまで、私は、スノーボード・ハーフパイプ競技のNo.1になることを夢見て、努力し続けて国の代表として五輪に出ているアスリートたちの活躍を見ていました。
華やかなステージに立つ一流選手と今の自分をぼんやり比べつつ、自分より何十歳も若い選手を尊敬のまなざしで見ていたのです。
そこへもってきて「だれかと比べなくていいんですよ、あなたの人生もすばらしいんですよ」と優しい目線を装いつつ上から語ってくるこの長尺CM(2分)が放送されたのです。
人それぞれ多様な価値観があり、その人に見合ったゴールがあるべきだという理想はわかります。
ですが、誰かに決められたゴールに向かって通しナンバーのゼッケンつけてルールに縛られて競い合うなんて古い、もっと自由であるべき!ゴールは人の数だけある!どこを走ったっていい、自分だけの道がある!などというメッセージを流して、最後には「リクルートポイント、はじまる。」「まだ、ここにない、出会い。リクルート」ですよ…。
クォリティの高い撮影や池松壮亮氏の見事な演技、ナレーションにもかかわらず、私には素晴らしいはずの「ぼくらの人生」がとてつもなく安く扱われているように感じてしまいました。
マラソンという競技に人生をかけ取り組んでいる選手たちは、このCMを見てどう思うのでしょうか?
冬季オリンピックにマラソンはありませんし、人生をマラソンに例えることが多いからマラソンを使ったのでしょうが、どうにもうなってしまいます。
リクルートさんが高い制作費と出稿料をかけて「競争ばかりの狭い世界から飛び出して、人生楽しみましょう」という広告をうつのは、リクナビ進学や受験サプリで良い学校に入って、TOWN WORKでバイトを探して、リクナビで就職して、とらばーゆして、ケイコとマナブで自分磨きして、SUUMOで住むところを決めて、ゼクシィで結婚式場を決めて、赤すぐでマタニティ用品を買って、じゃらんで旅行先の宿を決めて、じゃらんゴルフでゴルフ場予約して、HOT PEPPERグルメで居酒屋予約して、ポンパレでお得にお買い物しましょう(ほかにもいっぱいありますが)と伝えたいからです。
それを言いたいがために、決められたゴールに向かって愚直に努力するという価値観を否定するのはいかがなものでしょうか。
人生がマラソンに例えられることが多いのは、厳しいルールがあることや優勝者や完走者が偉いという価値観があるからではないでしょう。スタート時点でははるか遠く、目には見えないゴールを目指し、自分の力を信じて、レース全体のペース配分を考えつつも自分なりのペースで最後まで走り続けることが、長い人生を全うすることに似ているからだと思います。
オレ結婚式場でバイトしてるけど、何でこんなわけのわからんこと未だにしてるのか理解できないもん
これってバブルの名残でしょ?
キリスト教でないので神に対して誓いたくない、両親への手紙は、わざわざみんなの前で読む必要はなく親に直接言えばいい、
色直しもキャンドルサービスも金の無駄・・・偏屈同志の二人の意見はぴったりであった。
2)なるべく中間搾取されずに、払った金額ができるだけ招待客にいきわたるようにしたい。=コスパを高くしたい。
1.大前提として、夫婦として妥協できる持ち出し金額を決めた。結婚式が終わってからが長い二人三脚のはじまり。
したがってお金は極力出したくはなかったが、かといって皆に遠方から来ていただいているのにも関わらずプラスにしたい
(持ち出しをしない)という観念もなかった。それは失礼だと思った。
2.必ず呼ばなければいけない親戚をリストアップ、期待されるお祝儀を計算した。
3.人数、新郎側新婦側のバランスを考えて招待する友人をリストアップし、一人当たり3万円(夫婦の場合5万円)のお祝儀と勘定。
それとなく周りに声をかけて、参加意思を確認。
なお、ケチケチと算盤をたたいて、予算以上の金額を払いたくなかったということではない。
むしろ終わった結果がこれより多少ずれていても良いと考えていて、
とりあえず予算の大枠を決めないと、業者と話したときに方針がすぐぶれてしまうことが容易に予想できたからだ。
(尚、精確には2次会の参加徴収費×期待人数も予算に含まれる。)
ゼクシィやネットなどで情報を集めると、一つの現実が浮かび上がった。
”結婚式場を使うと、人数が数十人規模でも数百万は必ずかかる” ※スマ婚は不明
これは、結婚式場でも たくさん人を雇っており、豪華な建物や機材の減価償却があり、
毎日目標売上を決まった時間枠内で達成しなければいけないためだと思う。
支払を小さくすべて内容をなんとか質素にするならば、単価が高くなる。
ケーキを持ち込む際、カメラマンを知り合いに頼む場合、自前のドレスを使う場合、、全て持ち込み料を数万円ずつとられる模様。
逆にオプションをつければつけるほど、単価が下がりお得に見えるようにできているが、全体のボリュームは無論膨らむ。
・招待状、メニュー、メッセージカード、席次表、すべて込みで10数万円
一部金額うろ覚え。とにかく驚いた。
予想と現実の乖離が大きく、安くてよい式場があれば・・という、私達の淡い期待は見事に打ち砕かれた。
ここは畳部屋でキャパが小さいので、必然と呼ぶ人数は40人までに絞られた。
なぜ料亭にしたかというと、かかるのは料理代と酒代だけで、会場代(≒原価償却代)がいらないからだった。
庭も雅で、貸切のため他グループの喧噪に神経を使うこともないだろうと思ったからだ。
さらに、老舗だけに金屏風と赤絨毯を持っているのでタダで使わせていただけるとのこと。
加えて、入場退場の際に女将さんが唄を歌っていただけるとのこと、、私たちは、ラッキーだった。
しかし、会場が小さいせいか ごく稀にしか依頼は来ないらしい。
披露宴の内容がイベントに欠けることは確定したので、せめて招待客には舌鼓を打っていただこうと、
料理の予算を一人2万円に決定。酒代別途。親族で地元伝来の舞を踊れる方がいたので、依頼。
ドレスはいらないものの、あまりしょぼい恰好も場にふさわしくないだろうということで
新婦は和装で、動けて、食事ができて、且つ値段が休めな引き振袖に決定。新郎もあわせて袴に。衣装替えはなし。
地元のブライダル衣装屋を2件回り、相見積をとったが合わせて22万。
田舎ではライバルが少ないため、これ以上下がらない様子だった。柄もいまいちで、種類も少なく、使い古している感じ。
着物がたくさんあって競争が激しいところに行けば、相場はもっと安いんじゃないか??
と思いつき、着物のメッカであろう京都に照準をあて、ネットでオンラインレンタルできるところを探した。
3件ほど目星をつけ、嫁さんに1日かけてもらい実際に赴いてもらった。
着物制作工房とレンタルが一緒になっているところがあり、仕上がったばかりの新品があった。
デザインも気に入った上、値段も安かったので即決。
二人合わせて12万円程度にまで圧縮できた。
さらに、地元で着付けの美容院も2件巡って相見積をとり、印象がよいところに決定。
新郎の希望で新婦は文金高島田に。かつらだけで8万円。これはどうしようもなかった。
田舎ならではという感じで、酒が入ってからは新郎側も新婦側も ひざ歩きで畳の会場を回って、
皆がわらわらと適当にまじりあい、酒を注ぎあい、終始ガハガハやっていた。
人数も多くなかったため、夫婦も一人一人としっかり会話ができた。
重いかつらを外すために、途中で新婦は一度退場。髪だけ整えてまた戻った。
途中、長老がどこから持ち出したか、カラオケを歌いだしてやんややんやのハプニング(?)も。
(あれは可笑しかった。)
最後は新郎新婦側で盃をかわし、参加御礼のスピーチをし、集合写真を撮ってお開き。
出口でお見送りと引き出物を手渡し。なんと5時間半も同じ部屋でやっていた。
・招待状、メッセージカード、席次表はすべて自作。印刷業者に見積もりをとったが、
数千枚刷らないと、うまみはない。コンビニのレーザー印刷は高級紙には対応していないので注意が必要。
kinkosなどを利用するのが良いかと思う。
模様が入っている結婚式用の封筒などは高いので、安い無地のものを買い、
消しゴムはんこで鶴や亀などを作ってアクセントに。案外いい感じになった。
席次表は、ドタキャンで何回も作り変える可能性があったため、前日に実家でプリントアウトして作った。
切手など含め、総計で2万円くらいだった。
・招待客が40名と少なかったため、全員個別のプレゼントを用意。楽天を活用した。
嫁さんが昔お菓子を作る職に就いていたので、お菓子詰め合わせも入れた。
年配の親族は何をあげていいかよくわからなかったので、お菓子と共に1~2万円のギフトカタログを送った。
・宿泊客の宿代は全額夫婦で負担。ここでも2件ほどホテルに交渉。
・二次会はバーで、何もなしでただ皆で飲むだけ。途中で適当に分散するよう席を移ってもらい、
あとは参加者たちの化学反応に任せた。参加者は負担2000円で残りは夫婦支払。
フリーオーダで、それでも8万くらいで収まった。
・親族がカメラマンだったため、撮影をやってもらえた。お礼として3万円包んだ。
・簡単な司会進行は友人に頼んだ。A4一枚にまとめて、何回か打合せをした。
こちらもお礼を包んだ。
一括で請求してもらって後日支払をした。
・着付け、ヘアメイクの方にお礼を包み、控室での食事を出した。
・高齢で膝の悪い方もおられたため、和室用の小さい椅子?を用意した。
1次会40名、2次会15名。
準備期間の移動費など全て含めた支出が150万で収入が151万。
予想外に多く包んでくださった方が若干名いたため、ほぼトントンになったが、
そうでなければ思惑通りに持ち出し35万ほどに収まっていた。
仔細まで管理し、当初の予定どおり できるだけ招待客に分配することができたと思う。
1)参加者をたくさん呼びたい場合、それはもう選択肢がどんどん狭まっていく。
究極的には式場しかなくなる。
私たちとしては 公民館でもイベントスペースでもどこでも ワイワイとみんなでご飯を食べれて、
夫婦の顔をお披露目できればそれでよかったのだが、やはり色々考えるとそうはいかなかった。
まず、何かイベントがないと、空気がもたない。日本人はパーティー形式になれていない。
(知らない人としゃべらない) 若者だけならいけるかもしれない。
台湾なんかは家の前の道路の一部を貸し切ってパーティーするらしいです。
2)私たちのやり方は嫁さんが無職で時間があったためにできたと思う。
共働きだったらそこまで時間を捻出できなかったんじゃないだろうか。
私は出張で不在がちだったので、手と足を使った準備は殆ど嫁さんが。感謝。
3)後日、写真をコンビニでプリントアウト、L判アルバムにして家族に送った。
会場となった料亭からは無料招待券をいただいたので、その内にお礼がてら訪れて
こちらにもアルバムを渡す予定だ。これからの営業に使っていただければと思う。
4)試算表を作って、項目を全て羅列したのが 予算管理にとてもよかったように思う。
項目を炙り出そうとすると、内容もおのずと煮詰められていくので。
5)私たちは田舎で丁度良い料亭があったが、都会にはあまりないのではないか。
都会では会場の選択肢が少なくて、結局そういう式場しかないような気がする。
6) 円卓方式じゃなく、和室だったからこそ 行き来しやすく雰囲気が容易くこなれて、
当初、漠然とこんな結婚式、いいなあ~と思っていたのは、宇宙工学研究者の小野雅裕さん。
http://onomasahiro.net/tsurezure/852
当然同じものにはならず、計画に時間はかかったし喧嘩もしたが、
僕たちにとって とても満足のいく結婚式になった。
見知らぬ誰かの参考になれば。
一体何人呼んだんだ…。
分不相応にお高いホテルでやったんじゃないだろうな?
大体はホテルより専門の結婚式場のが安い。また招待客が少ないのに高い部屋借りても赤が出る。
バブルじゃないんだから、今時そんな高い結婚披露宴をやるのは庶民失格と言うか。
(名士ならその額は仕方ないと諦める筈)
式場が進める余計なオプションを断り、ちゃんと吟味すればご祝儀でトントンにまでは持っていけるはずだが?
アルバム作成と撮影は外部の安い業者に頼んで、たまに式場内などどうしても許可されない場所はあるが、その時はその部分だけの撮影だけ式場側に頼む。
どうしても撮影はプロでなきゃって言うんでなければ頼まなきゃいいし、撮影だけプロカメラマンにお願いしてアルバムは自分で作ってもいい。
ブーケも外注できるし、ドレスだって持込して持ち込み料金払った方が安い場合も多い。
招待状も式次第も名前カードも自分でプリントすればインクと紙代だけだぞ。
そういう、自分たちで安く上げる工夫したんだろうか?
要らないもの、どうしても金をかけてもやりたいものの選別や、それに見合ったコストかどうかの調査。
ちなみ、こういう「節約のコツ」みたいなのもゼクシィには載ってる。
少なくとも昔は載ってた。
そもそも金の掛かる披露宴はやらないという選択肢もあるのだぞ?
結婚式だけなら高くても数十万で済む。
http://anond.hatelabo.jp/20121113224421
いよいよ日本の経済史を変える大イベント、「紙幣・硬貨廃止法」が施行される。
「SUICA」に入金しなければならない。
製造が停止され、その法定通用力が失効する。
例えば、預金や株等を除いて、現金が157万3,467円ある人は、
1名1枚しかないと不便なので、最大10枚まで発行される。
受け付けられる。
さらに、公衆電話ならぬ、「公衆SUICA」なるものも、全国の
街角にお目見えする。
「じゃあ1名当たり5,000円集めますね」というシーンにおいて、
なので、そういうときのために、公衆SUICAで清算するのである。
結婚式場、葬儀場に公衆SUICAが設けられたのは言うまでもない。
全国の全事業所、及び個人で商売をする人に、SUICA端末が配布された。
八百屋で買い物してもSUICA支払、肩こりマッサージ受けても
SUICA支払、ソープランドの支払すらSUICA支払になる。
なので、
「国民は税務申告手続が一切不要になり、国税庁も職員を大幅カットできます」が
導入推進の最大理由だが、国税庁のリストラには疑問視の声も大きい。
なお、SUICAによる資金移動には、「対価情報」が必要になる。
八百屋で買い物した場合、「50円 白菜」という情報が国税庁へ。
「350円 女子大生禁断の部屋 1泊2日レンタル」の情報が国税庁へ。
国税庁は「物価調査機能も兼ねることになるので、経済運営上も非常にプラス」と
説明しているが、市民グループは「購入履歴情報というプライバシーを国家が握るのか?」と
猛反発している。
明細情報を入力しなくても有効は有効だが、それは「贈与」の扱いになる。
「甥の●●ちゃんへお年玉 1万円」も贈与。
で、贈与税が課されるのは言うまでもない。
実はウラでSUICA導入に反対したのは政治家だ、とも言われる。
「政治献金、ましてワイロがガラス貼りになっては、とても政治活動ができない」
まあ頭のいい政治家のことだ、献金じゃなくて、「対価を付けて」渡すように
なるのかもしれない。
「SUICA履歴 A建設会社からB代議士へ3,000万円 絵画購入費として」
その絵画というのは、A建設会社の社長の孫が、幼稚園で書いた絵だったりする。
このシステムのプラットフォームは「SUICA」「エディ」「ID」「デビットカード」
結局勝ち残ったのはSUICAであった。
ケータイのようなアイテムが要らない、SUICAカードだけがあればいい、というのが
勝ち残った理由、とされているが、ウラの理由は様々に憶測されている。
SUICAシステム採用と引き換えに、2037年に大事故を起こし瀕死の日本航空を
「SUICA共同体」として子会社化して引き取るように、SUICAの盟主、
JR東日本に交換条件として呑ませた、というのが真相とされるが、本当なのかどうか。
言ってることはもっともだし分かる。けど、やっぱり、「家」制度という、一段根深いところで解決が難しい問題だよなー
結婚式場の表記も、相変わらず「○○家×○○家」のままか?多分そうだよな。葬式の表記も、相変わらず「○○家」だし、そういう「庶民感情」レベルで続いていることを制度的に変えようとすると、なかなか難しいな。ただ、増田のように「不自然、不便」を感じる人が増えるほど、社会は変わるとは思う。
個人的には「夫婦は同姓」主義者ですら、こういう↓問題にさらされてるという現実を踏まえて、社会は変化せざるを得ないと思うのだけどね。
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2004/09/post_27.html
http://anond.hatelabo.jp/20090621154203
若さなんかじゃない、美人じゃなければ価値が無いんだ!若くたって美人以外は無理なんだよ(ああ、でも若さと煽る事で少子化対策を計ってるのか・・・?)
逆に男は、↓経済力とかあるけど、その前提として見苦しくない容姿(※ただしイケメンに限る、は正しい)だと思う
【話題】 結婚に不可欠なものは? 圧倒的得票数で1位に選ばれたのは「相手の経済力」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1325399987/
圧倒的得票数で1位に選ばれたのは《相手の経済力》でした。「ゼクシィ結婚トレンド調査2011」によると
結婚式にかかった費用の首都圏平均額は356万7千円なのだそう。
2位には《きっかけ》が選ばれました。「結婚はタイミング」とよく言われるように、長く付き合うほどに
《きっかけ》が掴めなくなってしまって…という人も多いかもしれません。結婚式場選びの口コミサイト
「みんなのウェディング」によると「大学卒業を機に」「交際5年目の記念日に」など“人生の節目”を《きっかけ》に
3位には《自分の経済力》がランク・イン。恋人はいるのに、“経済力”と“きっかけ”がないがために、
なかなか結婚に踏み切れない…という人も多いのかも!?
http://news.livedoor.com/article/detail/6161875/
投票数:22187票
↓これ、ちょっとおもしろかった
49 :名無しさん@12周年:2012/01/01(日) 15:53:35.37 ID:nKrq6oqC0
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男が生産し女が消費。
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マスゴミが女に聞こえの良いフェミ、男叩き開始。本能に基づきビッチ賛歌。
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男、叩きのめされて結婚しなくなる。
男、男が求める女性像と女が目指そうとする女性像に埋められぬ隔たりを感じ出す。
でも女はそれが理解できない。とりあえず"童貞""おたく"のレッテルを貼っておく。
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今更ながら男と女をくっつける作戦開始。全ては女の消費を取り戻す為。
されど女、女からの歩み寄りは拒否。結婚しない男を叩くことで結婚を煽る。
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逆効果。
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http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110801/yome
上の2つのエントリーなどで、有名ブログ「中国嫁日記」が差別的かどうかという話題が妙な盛り上がりを見せているようで。とはいえ、この手の議論の常として、互いに感情論を飛ばしあうだけの、ぐだぐだな結末になっているようですが。
少なくとも今回の議論に限り、ここまでぐだぐだになった原因は問題提起側、すなわち「嫁などという性差別的な言葉を使うとは何事か!」と言い出した側にあります。なにしろ、嫁という言葉を再三再四あげつらっておきながら、なぜ「嫁」という文字の使用に問題があるのか一度も説明していないのですから。
たったこれだけの「自分の感覚」をよりどころに、あれだけの長文を書き上げ挙句社会まで語ってしまうと言うのは、その壮大な構成力に賞賛を贈らせて頂くより他にありません。その果て、このブログ主さんは
しかしそれにしても、前述のTogetterの ものの役に立たなさはどうしたことでしょうか。「これが差別なんて、なにを考えているのか」という自身の感覚の披瀝や、「こういう人は他人を差別するために機先を制して自分が差別と言っているだけ」という主張に熱心な人が多いのですが、 …(途中略)… だいたい未来にむけて記録すべき思考の痕跡とも思えません。「当時」の大衆の程度を知る材料にはなりますかね。
と嘆いておられるのですが、そりゃ「嫁なんて言葉はけしからん!」という「自身の感覚の披瀝」に過ぎないtwitterに対して、客観的かつ論理的な反論を要求するのは無茶というものでしょう。自分が見えていない人間とはよくよく怖いもの無しのようです。
しかし折角なので、ここではその無茶への挑戦をしてみたいと思います。上のエントリーの中国嫁けしからん!嫁は差別!精神が疲れる!という切なる悲鳴に対して、どこまで客観的な「反論」をなし得るのでしょうか。単純化のために、ここでは内容については一切議論せず、「中国嫁日記」というネーミングの是非だけを考えましょう。
さて、客観的と言うからには、ここで「俺は嫁って別に差別的じゃないと思うけど」と張り合ってみても意味がないのは明らかです。ここで必要なのは中立的な第三者の視点であり、そして私の手元にはこれ以上は望み得ないくらいに客観的な視点があります。広辞苑と新漢語林。要するに辞書です。
広辞苑によると、嫁は
(1) 息子の妻
(3) 結婚の相手としての女。嫁した女。妻。
(4) 「嫁が君」(ネズミ)の略
とあります。二番目の意味から、まず中国嫁日記の嫁の使用法が間違ってはいないことが分かります。まだ新婚さんみたいですから。さらに漢語林を引くと、
とあります。恐らく、嫁という字が一部の人たちから忌み嫌われる理由の一部がここにあります。家の従属物的な意味合いを感じ取って、それが性差別であるという論法のようです。とりあえず事の是非は置いておいて、代替語についても調べておきましょう。
妻: かんざしに手をやり、髪を整え飾る女性のさまから、つまの意味を表す。
奥: 貴人の妻の称。貴人の居室。大切にすること。など多数の意味を持つ。室も同義。
婦: 女+帚。帚はほうきの意味。ほうきを持つ女性、家事に服する人の意味を表す。転じて、一家の主婦。一家の切り盛りをする女性。または子の妻。
細君: 細は小さい、かぼそいことを示す字。愚妻などと同じ謙譲表現。ただし、最近は細にこまやかという意味もあるせいか、他人の妻をいう語に用いられることが多い。
他にも連れ合いとか家内とかありますが、もう十分でしょう。妻というのはなかなかに色っぽい文字で、言葉自体には結婚関係を表す意味合いがないのが嫁との違いです。ちなみに、夫も大人が冠を付けている様をしめすだけの文字なので、夫妻という言葉は男女という言葉と解字上はあまり差がありません。一方で生活感が溢れまくっているのが婦の字で、家政婦や助産婦など、女性が多く働く職業にこの文字が使われるのも、事の是非はさておき自然と言えるでしょう。
奥・室は、元々家の神を祀る場所を意味したこともあって実にエレガントな言葉で、自分の配偶者を「奥さん」と呼称する人もいるようです。しかし、元は貴人の妻を表す表現である以上、日本語表現としては非常に据わりが悪い。そもそも、定義から言えば自分が貴人と言うことになってしまいます。配偶者は実に中立的ですが、3文字を費やした挙句に性別も分からないというのは、法律用語としては便利でも本のタイトルとしては問題外です。
こうしてみると、本のタイトルとして使い物になりそうなのは嫁か妻かの2択と言うことになりそうです。この2つの文字が決定的に違うのは、嫁には「移動する」という概念が強く存在する点です。生家から夫の家へと。だからこそ、嫁に来る、嫁に行く、という表現はあっても、妻に来る、という表現はあり得ません。責任転嫁に嫁の字を当てるのも同じ理由からでしょう。中国嫁日記というのは、中国からやってきた奥さんが異文化の日本で楽しんだり悪戦苦闘したり、旦那さんと新婚生活をエンジョイするのを描く日記です。ならば、単純に中国人の配偶者であることしか意味しない中国妻よりも、「中国から来た嫁の日記」とするほうが遥かに適切でしょう。
もちろん、このように語を連ねずとも、常識的な日本語感覚を持つ人にとっては、中国嫁日記の方が据わりが良いというのは直感的に明らかなのですけれども。
さて、問題の差別性の有無についてですが、今回の騒動でひとつ明らかとなったのは、「嫁という言葉は差別的である」と思う人とそうでない人が両方存在すると言うことです。どちらかといえば、差別的と感じない人の方が多いようにも見えます。ここからは私個人の主観になりますが、嫁が嫁ぐ「家」の概念が過去数十年で大きく変わったためであるように思います。昔は女性の嫁ぐ先は夫の実家であり、夫の親兄弟との同居を意味しました。ここでの家は正に「夫の家」であり、「妻の家」にはなりえません。ついでに、義理の親兄弟の世話まで任されることも多かったわけで、妻にとってはなかなかにストレスのたまる環境であったことでしょう。この状況下で「嫁」という言葉にネガティブな意味合いが生まれるのは無理からぬ事かも知れません。
しかし、核家族化の定着すると、花嫁が嫁ぐ「家」には夫と妻の二人しかいません。この「家」を夫の家、と考えるのには無理があります - この「家」はふたりだけのものなのですから。多くの日本人にとって、この「家」に嫁として嫁ぐこと自体は、特にネガティブな意味を持たなくなって来ているように思います。もちろん、女性であるが故のディスアドバンテージがこれで消えたわけではないでしょう。しかし、それはもはや「嫁」であることのディスアドバンテージではなくなってしまったのです。
こう考えると、嫁にやたらと苦痛やら疲労やらを感じてしまう人たちは、非常に古い「家」の概念の持ち主なのかも知れません。運悪く嫁がこき使われる大家族に生まれてしまったとか、時代遅れのフェミニズムの教科書(そんなものがあるのかは知りませんが)にかぶれてしまったとか、そもそも核家族化が進む前に生まれたお年寄りであるとか。どちらにせよ、嫁の字を見ただけで辛い思いをするというのは、同情に値する境遇であることは間違いありません。嫁でこれなのですから、女に帚の婦を見た日には心臓発作でも起こしかねない。全国津々浦々の結婚式場で「新婦入場です」のアナウンスがかかるたびに、その言葉の差別性をこんこんと説き起こし説伏する。その果てにしか彼らの心の平穏はあり得ないのです。彼らフェミニストの想像を絶する試練の日々を、私は涙と共に見守りたいと思います。
トラックバックも落ち着いたので、後学のためにまとめておきます。
最初の考えとしてあったのは、
・デキ婚は言われているほど、社会的には寛容にはなっていない。
・寛容派のあなたも、本当はそう思ってないでしょ?
って事。
別に時代錯誤な「婚前交渉」批判をする気はないし好きにやれと思うけど
作る気じゃなかったのに出来ちゃったから結婚、はただの無計画のアホだよな。
そこは無理に肯定なんかせずにいつまでもきちんと非難すべき部分だと思う。
だらしないことやってんじゃねえよという。
という、非寛容な意見がある一方で、
寛容にはなってると思うぞ。
俺は、魔法使いになって結構経つが。
世間様は魔法使いへの風当たりも和らげてくれてるしな。
30代も半ばになってしまった最近では「不妊ではない事が結婚前に証明されて良かったね。結婚後に子供ができないと悩まなくて済むね。」と思うようになった。
という、寛容派、寛容を実感している人がいる事が分かった。
また、次のような意見もあった。
これが、意味するのは個人として受け入れられるかどうかは、別にして社会自体がデキ婚を許容できる仕組みに変化していると言う事だと思う。
自分が考えたかった事とは違うが、逆に社会が受け入れていない例は
結婚するなら良いと思うけど
と言うものもあり、それに対して
と言う人もいる。
個人的な意見としては、野生動物でもエサの多い時期に出産するようにしてんだから、計画性のない出産に対して対処できない社会が異常だとは思わない。
計画性のない出産の方が、異常とは言わないが、問題があると思う。
・寛容派、非寛容派がいて社会のシステムはデキ婚に対して順応しつつある。
という、至極妥当な考えに至りました。
15年前に知り合って
その後、去年まで6年近くつきあった彼と、結婚するか3年以上迷ったすえに
おもいきって結婚することに決めたのが1年前。
指輪も二人で買いに行ったけど、いろいろあってやっぱり結婚しないことに
決めたのがその直後。
もうすぐ1年たつけどまだ傷が痛いことに気が付いた今夜なのです。
彼は何も悪くなかった。
すばらしいひとだった。
ほぼ一緒に暮らしている状態だったから
それでもあきることなんて全然なくて、本当に毎日が楽しくてしあわせだった。
口喧嘩することはあっても、本気でけんかしたことは
ほぼなかったんじゃないかな。仲良しで大好きで、ずっとずっと一緒にいたかった。
そしていつでも私の一番の理解者でした。
(これは付き合いはじめる前から)
でも彼はすばらしいひとだったけれど
彼の家族に大きな問題がたくさんたくさんあって
経済的にも人間的にも、本当に想定外の問題がたくさんたくさんあって…。
「いろいろもんだいはあるけど
彼の事が大好きだったからなんとか一緒に乗り切ろう!
きっと乗り切れるはず!」と思ってついには結婚を決意したけど
「本当にそれでだいじょうぶなの?納得できるの?」と
質問され、そのとき決心がぐらぐらゆれてしまったのです。
問題には目をつぶってなんとか結婚を決めてしまおうと
思っていた気持ちがみやぶられた的なかんじ。
「子供が大好きなのに、彼の親をささえるために子供をあきらめるなんて本当にできるの?」
「もし子供ができたとしても、子供を良い学校に行かせてあげたり、
自分がやってあげたいとおもうことをたくさんあきらめなくてはいけないけど
本当にその覚悟があるの?本当にそれで納得できるの?」
「大好きな彼のためならともかく、彼自身もあまり好きではない
彼の家族のために、自分の稼いだお金のほとんどを渡すことが本当にできるの?」
かせげる良い仕事についたのに、彼の親をささえるためには
自分たちの家を買う事もおそらく無理だと思われるけど、本当にそれで
幸せだと思えるの?」
彼のことは本当に本当に大好きだったけど
彼の家庭はまるで沈んで行く船のようで
私はその船に乗る勇気がなかった。
で、まようような結婚ならやめたほうがいいと思ったのでした。
彼本人には一点の非もないだけに、私から別れを切り出すのは
本当につらかったけど、やっぱり彼とは結婚できなかった。
私の気持ちを知った彼が
あなたには絶対しあわせになってほしいから
早く僕のことは忘れて、新しいすてきなひとをみつけて
と優しく言ってくれたとき、文字通り胸がはりさけるかと思った。
結婚のとりやめを申し出たのは私の方だったから
思ったんだけど、正直彼のほうが収入が多かったのと
「いいよ。それは僕がなんとかするから。
彼の言葉にあまえてしまいました。
ない袖はふれないとはいえ、この点については
今でもとても後悔しています。
…
それから彼の家から荷物をひきはらい
なんとか新しい家をみつけ、オンにもオフにも彼が
いない生活をはじめた私が、ちゃんと生活を立て直して
精神的にも落ち着きをとりもどすまでには
だいぶ長くかかった。
その間、友達にもだいぶ迷惑をかけた気がする。
精神的にもかなりおかしい状態だったから。
おまけに仕事もぱっとしない状態だったからなにかと辛かった。
そのかわり、新しい趣味やつながりをどんどん開拓することに
没頭して、ようやく最近になって、彼のいない生活にも慣れて来た。
…
ふたりともとても大好きなひとたちだし
素直にとても嬉しかった。
でも同時に、何ヶ月もかけてようやくフタをした
傷がズキズキ痛み出して、お祝いムードにわく界隈の
みんなには何もうちあけることができないまま
家でひとりでポロポロ泣いた。
この数ヶ月の間に、素敵な出会いがたくさんあって
支えてくれる友人も、没頭できるあたらしい趣味も
たくさんできたし、実はさみしい夜には
だっこしたり、いいこいいこしたり、
ぎゅっと抱きしめて優しくチューをしてくれる優しいひとにも
出会う事ができたのだけれど
それでも心の奥の傷がズキズキ痛むのね。
なんでだ??なんなんでしょう。
彼のいない生活には慣れたはずなのに。
あたらしい好きな人もできたのに。
なんだか涙がとまらないのです。
今月末には久しぶりに彼と会います。
職場の同僚は誰も二人がつきあっていた事を知らないから
そういう意味では気が楽なんだけれど。
でも私が去った後で、彼は二人でみつけて暮らしていた家を
ひきはらい、彼もまた新しい町で生活の立て直しを
はかろうとがんばっていることを人づてに聞いているだけに
なんともいえない気持ちが押し寄せて
当日会った時に涙がこぼれたりしそうな気がして
なんだか心配。
きっと彼もそういうかんじでくると思うから
私も「なんともないよ。元気にがんばってる。あなたがおくりだしてくれたおかげで」
っていうかんじにしないといけないと思うのです。
こんなヘビーな話、
明るく楽しいお付き合いだけでつながっている
新しいお友達には話せないし
いまそばにいてくれている新しい彼にも
詳しくは話せないことだから
あなたが聞いてくれて本当によかったよ。
ありがとう、増田。
そこでは成立したカップルの追跡調査やアンケートなどを行なっていた。
紹介し斡旋するのは私たちだが、実際に相手と会い、交際すると当人たちが判断して以降、当事者間で起きるトラブルを含めこちらは関知しない。
ただ、関係がどういう結論に至ったか、平たく言えば結婚まで話が進んだかどうかという(私たちにとっての)実績を確認するため、その時に提携した結婚式場の紹介をしてバックマージンを得るための追跡調査だが、場合によってはトラブルの相談や、責任追及の言葉を貰うことがあり、その過程で彼らの間で起こったトラブルを知ることがある。
私が辞める前に担当した中で怪しいと思ったカップルがやはりトラブルになっていた。
怪しいと思ったものと、そう感じなかったものも。
トラブルが起きるまで気付かないケースはあっても、怪しいと思ったものは過去外れた事がない。
多分、スタッフ全員似たような感じだと思う。
当たって嬉しいものなど欠片もなく、ただ後味が悪いだけであったり、女性側が相談所も責任を追及するケースを想定して気が重くなったりするだけなのも同じだろう。
今回たまたま耳にする事になったトラブルの内容は、男性がある暴力を振るった、というもの。
本来なら、辞めた私にそんな情報を流すのは守秘義務違反などになるのだろうけども、引き継ぐときにトラブルになるかもしれないと念を押していた(紹介して以降、こちらから関係に干渉はできないため、避けることはできない)からだと思う。
こういう言い方はなんだが、相手の女性に向けての単純な暴力沙汰ならば珍しくもない。
しかし、私が怪しいと念を押していたのは「相手の女性に娘がいることを望んだり、いることを知って目の色を変えた男性」と、その人との交際を選んだ女性のカップル。
当たって欲しくない予想が現実になっていた。
どういう予想なのかはあえて言わない。
辞める前にもこのケースは何度も見聞きしてきたので今更だったが、やっぱりいたたまれない。
自分がそうなる経緯にかかわっていると思うと尚更。
だから辞めたのだけれども。
実数がどれほどかは知らない。
一つだけはっきりとしているのは、今回聞いた話を含め、私が担当したカップル、そうでないカップルに関するこの手のトラブルは、知っている範囲だけでもそろそろ片手の指では足りない。
いたずらレベルから暴行レベルまで、程度は違うものの、私が知らないものを含めると間違いなく両手で余る。
予想がほぼ間違いなく当たるからと言って、まだ何もしていない人に対してアクションを起こせたわけでもなく、というのは言い逃れになるのだろうか。
逆に、被害者が出た現在、今の私に何かできる事があるわけでもない。
目と耳を塞ぎたいから辞めたのだし。
この手の話をすると、反応は大体三通りに分かれる。
一つ目は、信じない人。
最初から都市伝説や作り話と切り捨てていて、稲川淳二の怖い話のように楽しむ人もいれば、デマを流すな俺は信じない、と耳を塞いでまるで話した私が悪いかのような反応をする人もいる。
それはそれでいいと思う。
自分が当事者にならない限り何の関係もない他人のことなんだから。
一つ目と違って疑いなく信じる人。
言い方は悪いけれど、これについても私としてはどうでもいいと思う。
怒るだけ怒ってあとは記憶の彼方、何か思い出す事があったときに再び怒る、という反応でも、話を聞いて自分で調査をしたり、何かしら活動をするというものでも。
逃げただけの私よりはずっとマシな人間だと思う。
三つ目は、私に対し義憤に駆られる人。
大体の言い分が「子供が欲しいだけだと何故考えられないんだ」「レッテルを貼るな」といったもの。
私からすれば、現場と現実を知らない人間が知った風な口をきくな、としか言えないのだけど。
結婚相手と子供を作るというごく当たり前のことを最初から脇に置いて、娘がいることを前提とする、いることを知ったら目の色を変える人間の不自然さを考えられない人は不思議で仕方がないが、色んな人間がいるのだから、中にはそういう人もいるだろう。
当人たちを目の前に、その様子を見て同じ台詞が言えるか試してみたい気はしなくもないけれども。
(ちなみに、機能的に子供が作れない人というのもまた、やりとりの中で結婚相談所のスタッフはほぼ分かる。殆どの人が子供を作る機能について特に疑問など持っていない人とそうでない人の違い。最初から明言していて、相談する人もいる)
そういえば、3つ目に類するものとして、この前書いた内容に対するコメントで「ステップファミリー」についてのものを見た。
私は結婚相談所に来る人間の話をしているのに、この人たちは話を拡大させるのだなと思ったが、その人たちの言う「ステップファミリー」はほぼ間違いなく結婚相談所とは関係のない人たちだろう。
反例の体験談を上げている人もそうだった。
彼らは「私たち寄り」の考えと言える。
恐らく「子連れ再婚」「義父」という共通の属性があるために反応し、恐らく「レッテルを貼るな」ということを言いたいのだろうが、私が「結婚相談所でそういう要求、要望を出す人間」についての話をしているのに対し、その話を拡大して「ステップファミリー」という話に摩り替えている。
そうすることで、自分たちのやっていることを私も正当化していた。
正しくは、そう自分に言い聞かせていた。
そうでなければ、女性側に娘がいることを望んだり、それを聞いて積極性を増す男性の話を進めたりはできなかった。
結局は逃げたけれども。
レッテル貼りをしているのは自分自身であるということに彼らは気付くだろうか。
安易に全体化して語る人間はあっという間に論点を「全体化された正論」で拡散させ、現実・事実から目をそむけて自分の言説に満足しているだけの人間になってしまうから気をつけて欲しいと心から願う。
自分で伴侶となる人を見つける人たちと結婚相談所に登録している人の間には間違いなく大きな壁がある。
もちろん、結婚相談所にはまともな人も登録している。
けれど、大多数が欲と妥協の渦巻く、その渦を作る人間の一人と思って間違いないと思う。
渦に巻かれるのが当人だけならまだしも、子供が飲まれていく様は、もう二度と見聞きしたくないと改めて強く思った。
まだ30ぐらいなら、一度、大ヤケドして生死の境目までいってみるものいいんじゃないか。
立ち直るのに10年かかるとしてもまだ40だし。
失業者の増大や、晩婚化、未婚率の上昇といった、20~30代の若年層に関連する社会問題の大半って、ある企業が引き起こしている気がする。
その名は「リクルート」。
自分が輝ける働き方だとか、私らしい結婚式とか言った理想像を、「リクナビ」だとか「ゼクシィ」といったメディアで増幅させまくったあげく、
まず、就職について。
バブル期と比べても、20代の人口は減っているのに、ホワイトカラーの仕事への応募数は増えていて、
合同説明会なんかの就職イベントは毎年参加人数が過去最高を更新。
みんな、ブラック企業でばばを引きたくないばかりに、大手の優良企業のイスを必死で取り合う。
そのくせ、ニッチできらりと光るような隠れ優良企業は、日の目を浴びずに人員不足というミスマッチ。
不況のくせに、結婚式費用は右肩上がりで、結婚式場はドカドカ建設されている。
そういえば、80年代に結婚した両親に、結婚式の平均費用が300万だというとすごく驚かれたな。
年収が低下傾向にある現代、この費用を貯金するのは用意じゃなくて、
俺の周りでもお金が貯まらないから結婚に踏み切れないって言うカップルは結構多い。
で。
若者たちは、夢をつかめないまま老いてゆく。十分な蓄えができないうちに。
こうあるべきと言う理想像と現実の落差が、社会の閉塞感を生み出している。