はてなキーワード: 結婚式場とは
懺悔させてください。
快適すぎて、今までの自分は一体なんだったんだと思うほどです。
adblockというのは、インターネットのページ上の広告バナーをどういうわけか非表示にしてくれるふしぎな機能です。
存在は今までも知っていましたが、
『無料でサービスを利用させていただく以上、広告費で運営しているサイトの広告を非表示にするなんて私には出来ない!』というポリシーを貫いていました。
さっきまでは。
スマートフォンでページを閲覧していて、スクロールして次のページに飛ぶリンクをタップしようとした時に
急に半透明のバナーが降りてきてちょうどリンク位置に重なってタップしてしまい、
『あいつたまにウザいけど、本当はいいやつだからな…』と、まるで腐れ縁の友人を懐かしむようにそこまで腹を立てないようにしていました。
さっきまではな。
ある意味、意地になっていたのでしょう。
『個人的にどうしても受け入れられない内容の広告バナー』が表示されました。
『友人に恋人を取られた経験がある人間にNTR系エロ漫画の広告が』
『結婚相手の両親との折り合いが上手くいってない人間に真っ最中の人間に嫁VS姑イジメ漫画の広告が』
『バナーに映っている女が自分の家族にとても似ているアダルトサイトの広告が』
もう、絶対に許せない。
いやな事を思い出してしまった。
これから先ずっと、同じバナーがいつ出るかいつ出るかと怯えながらネットサーフィンをしなくてはならないのか?
自分で言うのもなんですが、堪忍袋の緒が切れた、というのはきっとこういうことをいうのでしょう。
ガラケー時代の漫画の広告バナーなんて台詞ちょっととキャラの目と鼻が写るくらいで大して気にならなかったのに、
昔はあのちっちゃい中に情報を収めるのにどれだけ苦労したことか。
それが今の広告バナーなんだあれ、ほとんど正方形に近いじゃん!
そして人の目を引きつけるためにエロ漫画なら最中、いじめ漫画ならいじめ現場のシーンを抜き出して見せ付けてくる。
苦手な人からしたら、心の準備なしに『グロ画像』を見せ付けられているようなものです。
(どうしようもなく苦手なものを『地雷』と表現する人たちも居るようですが)
それと同じです。
◇◇◇
色々と書きましたが、adblockを導入した今はびっくりするくらい快適です。
それでも、良心的な広告のみをこれからもずっと掲載し、広告費で運営しているサイトさんに申し訳ない気持ちはあります。
ただ『広告うぜ~~!!!見えないようにしてやろ!!』という気持ちではなく、
『精神的苦痛を与えられる心配がないのなら共存していきたいのに、残念だなあ』という気持ちがまだあるからです。
それでもこの現状が変わらない以上はadblockを解除する気にもなりません。
いきなり精神的苦痛を味わわされる恐れを考えたら当然と言えるでしょう。
広告自体が悪いのではなくこのシステムがまだ未熟なんだろうと思います。
しかし、
私は情弱なので詳しいことはわかりませんが、
明らかに検索ワードからそれにマッチするものを出してくるタイプの広告もありますよね?
結婚式場へのアクセスを調べただけでブライダル系の広告が出るようになったりした経験があります。
そういう事が出来るなら、
『エロ漫画バナーなら全然OK!ただイジメ漫画系は勘弁!』とか
『少女マンガやエッセイ漫画のバナーならどんどん表示して欲しい!でもBLはちょっと…』等、
閲覧側が最初から細かく設定できたらいいのに…と常々思っています。
(現在も広告についている×印を押すと報告できる、等のアレもありますがあれはほとんど気休め程度)
広告提供側はadblockをどうにかかいくぐるタイプの広告表示方法の開発じゃなく、
閲覧者にマッチした条件の広告のみを提供するようにするシステムを整えたほうが絶対に利益上がると思うんですよね。
私自身は広告を毛嫌いしているわけではなく、むしろ内容がマッチしていれば全然ウェルカム派なんです。
(大昔無料レンタルサーバーでホームページを自作する際にそういった『広告』との深い付き合いがあったこともあり……)
私が興味あるもののみの広告が表示されるようになればadblockも解除するしリンク先に積極的に飛んでみるようになるだろうと思っています。
どうにかならないのでしょうか。
私は…いや、私以外の他の多くの人もきっと共存を望んでいるはずなのに。
ああ、広告の神様ごめんなさい。私はadblockを導入してしまいました。どうかお許しください。
週末祝日だけおこづかい稼ぎに都内某所の結婚式場でブライダル写真を撮っている。
正直まったくおいしい仕事ではない。
新しい機材の実験の場として割り切ってる
ほぼ1日拘束&データ処理で1日潰れて25,000円。
お客様はアルバムに20万近く払うけど、カメラマンにはこんなもん。どこもこんなもんらしい。
当然モチベーションはかなり低い。最低限必要とされるクオリティの写真を撮っておしまい。最低限とはいっても、しっかりしたものはちゃんと納品する。
現場で一緒になるカメラマン(ビデオ含む)に話を聞く限り、たぶんみんなこんな感じなんじゃないかな?
そんな意識低い系ブライダルカメラマンでも、がぜんヤル気を出す日もある。
それはご祝儀をいただいた時。
多い人だと1万。少ない人でも3000円ぐらい。
これが非常に効果的なんです。最低限のクオリティと言わずちゃんと撮るよ。
データ処理のときも露出とホワイトバランスだけでいいや、、なんて言わずにクラリティや焼き込み、キーストーンなどなど、フォトショも動員して綺麗にレタッチするよ。
アルバムの値段にも松竹梅あるけど、あれはあんまり関係ない(ページ数は変わるけど)。大事なのは当日撮るカメラマンのやる気。
これから結婚式あげる人は当日にカメラマンにいくらか包むと良いよ。マジでオススメ。
自分が結婚式やった時は包まなかった。プロなんだから関係ないよしっかりやってくれるよ、と思ってたから。けどお金のチカラはスゴイ。数千円で人は変わってしまうのよ。
これから結婚式やる人、結婚式以外もあらゆるサービス業に言えるかもだけど、いくらか包むという行為はすごいよ。
あ、横柄な態度のやな奴はもちろん最低限のクオリティだから。ニコニコしてても気をつけてね
追記
http://anond.hatelabo.jp/20170415172647#tb
コメントありがとうございます。あなたはアルバム制作費としての20万がどう使われどんな人々に渡っていくのかを一度考えると良いかもしれません。
追記2
http://anond.hatelabo.jp/20170415172926
どれも一緒だと思う方はまずはご自分で「綺麗だな〜」と思う景色なりなんなりを写真に撮って人にお見せすると良いと思います。
追記3
ブライダルカメラマンは大体1日2万円が相場らしいので、まだ良い方なのかもしれません。1.5万とかもあるらしいです。
機材は当然自前なのでもし壊れたらすぐに赤字です。最低5万は無いとやりたくない
http://anond.hatelabo.jp/20170426074045
両増田の意見は重々わかるのですが、やはりブライダルに関しては現場に慣れている人かちゃんと学校でブライダル業界を専攻していた人に任せるべきだと思います。
この方はご友人という立場で参列されたかと思いますが、それでは良い写真を撮るのは難しいかったのではないかと。
多くの式場はカメラマンの持ち込みを歓迎していません。持ち込み料払って中に入っても、撮れる場所、機会は式場カメラマンとは比べ物になりません。挙式中撮影禁止だったりしますし(式場カメラマン除く)
推測にはなりますが、満足に撮れるのは恐らく披露宴中だけじゃないですかね。
あとブライダル写真専門の学校があるのですか?知りませんでした。確かにそうやって特化した人の方が良いかもしれません。
カメラマン持ち込み禁止が諸悪の根源なような気がしてきました。
ホテルは値上げ、古いビルなんかは取り壊して新しいホテル、もしくはマンションに。駅西の方には外資系のホテルを建設中。
駅周辺だけじゃなく、金沢市の繁華街()にも新しいホテルが建ってきている。
ホテルはまだわかるんだよ。観光客は国内外からも多いし、まだ需要あるんじゃないかなって。
古いところも多いし、きれいなホテルできるのはいいと思うんだけど。
それと同じくらい増えたのがブライダルジュエリーのお店。婚約指輪とか結婚指輪とか扱っているお店が本当に増えた。
次に結婚式場。数年前までお店が出ていってた商店街に小さな結婚式場って作ってみたり、LoFTが入った商業施設の上にもある。
なんでそんなにブライダル関係に力を入れているのかさっぱりわかりません。
そんなに需要あるのかな?
同性愛がキモいというのは、本当に申し訳ないが、感情としてはある。
ただ、キモいから排斥してよいとなると自分に返ってくるから、それは言いたくない。
以下、ちょっと頭の中を整理させてほしい。
これはおそらく正しい。少なくとも、偽装結婚して子供までもうけるケースもあったみたいだから、
その分は間違いなく減ってしまうだろう。
そして、それの何が悪いんだと思う。
今の少子化は様々な要素があって起きたことだが、世間体の強制力が弱まったことが一因として挙げられる。
その強制力を復活させるべきという論も時々見かけるが、今更無理だろう。
今や皇族も恋愛結婚されている(少なくとも、建前上そういうことになっている)のだ。もうどうしようもない。
個人的には、世間体というのは総じてクソだと思うので、それに縛られた結婚は不幸の始まりと考えている。
故に、なくなるならそれに越したことはないし、そのせいで少子化になろうが知ったこっちゃねえのである。
世間体の排除を異性愛には認めて、同性愛には認めないというのは理屈が通らない。
だからこの点に関しては堂々とすればいいと思う。
おっしゃる通り、ペドの場合は片方に責任能力がないから、そこにつけ込むのは問題外だ。
けど、例えば近親婚。これもLGBTの人らが一緒にすんなってうるさそうだけどさ。
現代の感覚だとやはりキモいと思われるが、制度上禁止されているのはそれだけじゃなくて、
生まれてくる子供に障害が出やすいという実際的な問題があるからだろう。
だから関係を結ぶこと自体は法的に禁じられてないけど、公のサポートは基本的に得られない。
民間の経済活動だと、同性カップルだろうが金を落としてくれればそれでいいから、
テーマパークでやるのは、周りの目もあることだから、もう少しハードルが上がってしまうが。
あと、病院に入院した時に困るというのがあったが、これはむしろ認めない方がデメリットが大きいだろう。
ただ、それらを認めるのと、公の承認やサポートを与えるのは別だと考えたい。
現在、老若男女様々な愛のカタチがある中で、成年の異性愛(それも全ての異性愛ではなく限られた)
子供の有無に関わらず優遇しているのは、それでも高い蓋然性でもって子供が生まれてくるからだ。
同性愛には今のところそれがない。
何の責任も負わず、ただただアヘアヘしてるだけの輩に、優遇策まで与えたくねえというのが本音だ。
そういうのにありつけてないからひがみで言ってるのは認める。
そして、子持ちの家庭は異性愛と同性愛、実子養子の区別なく優遇し、代わりに今ある優遇策は
結婚しているだけでは得られないようにする、というのが落としどころとしては妥当だと思う。
たぶん将来的にはそういう方向に進んでいくんじゃないだろうか。
美容に無頓着な人生を送ってきたけど、今回結婚式にむけて初めて本気だした。
だいたいこんなことをやった。
あと、わたしはやらなかったけど、やればよかったと思うこと
長くなってしまったけど、以上。
どれか単発で効果があったものではなく複合的に効果があったものが多いと思うので、なにが一番効果あった!とかは特にないです。
けど、いろいろ試して、改善されたなーと思うことで、当日自信を持ってニコニコ写真にも写れたし、綺麗だよーと言われ素直にありがとうと言えたので、良かったと思います。
もう読み飽きたネタなのかも知れないけど書く。
色々調べて考えているんですが、書いちゃいます。
式場施設や料理で、「ここじゃなきゃやだ! いくらでも払うから!!」とは
どの式場でも共通して算出できる来客単価だ。
来客単価を踏まえて、何に予算を割くかは後で決めれば良い。
で、結局なにが言いたいかというと、
有名ドコロの結婚式場(都内)は、来客単価が平均ご祝儀価格の3万円を余裕でオーバーする。
倍の6万円なんてもザラだ。
できるだけ還元したい。
自分としては「これで家具の足しにでも!」なんて思っていたが、
おそらくこれまで本人たちに届いたことはなかったのだ。
(今まで参加した結婚式は、豪華な会場で贅沢な料理ばかりだったので)
赤字が嫌なら、色々とランクダウンすればいいじゃないか!って話なんだが
それはおもてなしではないよね。
1流どころのレストランと同等の1万5千円のコース料理、3千円ほどの引き出物。
2万楽しんでもらって、1万いただく。これが理想だが、もちろん施設代は色々かかるよね。
じゃぁ、レストランウェディングでもやれよ!って思う人もいるだろうけど、
あれも意外なことに高いんだ。
書いてて、なんか分かってきた。
俺は結婚式にお金を掛けるのがアホらしいと思っているだけなんだろうな。
それだけの話なんだけど、なんかやるせない。
50人でご祝儀150万円、総予算250万円でもいいと思っている。
それでも全然足りなかったりもする。
色々調べたけど、なんだかんだで総予算300万円が多い。
その年代なら、参列者は両親だけとか、両家親族だけとかの小ぢんまりした式を開く人いっぱいいるよ。
20代→職場の同僚や上司や友達まで呼んで大々的な式を開く(金は親が支援してくれる)
30代→両家親族のみ
40代→両親のみ
50代→参列者なし
いろいろ式を見てると、世代別に、このような式を挙げる人が多い印象を受ける。
もっとも最近は晩婚化が進んでるせいか、30代初めでも友達大勢呼んで式挙げる人も多いけどね。
とはいえ、別に30代の人が仮に両家親族のみ呼んで式を挙げてもおかしいと人に言われることはないよ。
それに、一般的なイメージで言えば30代と言ったら仕事ばっかりで、疎遠にならない程度にでも友達と遊び歩いてる人なんてそうはいないと思うよ。周りもそう見る。
なのでポエムを書こうと思う。
「らしい」というのは伝聞であるけど、彼女と結構長く続いているのは知っていたから、驚くほどの話でもない。少なくとも、理屈の上では。理屈を上回る衝撃を受けたのは、僕らの年齢よりも境遇と、自分の認識の甘さにあった。
今年で24歳になる学年。高校、大学をつつがなく出て、そのまま就職すれば2年目になる学年だ。心や金に余裕のある人間はそろそろ結婚しはじめる頃合いである。大学時代は結婚式場でアルバイトしていたから、なんとなく分かる。現に大学の同期で気が早い奴は既に結婚しているし、会社の同期でも修士卒の既婚者はいる。世間一般では結婚という契約は恋愛の帰結として受け入れられている。それが実在することに疑いを抱いている者などほとんどいないだろう。ごく一部の例外を除けば、若者にとって異性というものは周りにたくさん居るものであろうし、そこで惚れたなんだの話は日常茶飯事であっただろう。
だが、男子校出身者のなかでも最上級に拗らせた連中にとってはそうではない。
結婚という言葉が遠い異国のお伽話のように、現実感を欠いて聞こえるのだ。サンタクロースが自分の生活圏にいないのと認めるのと同じくらいの自然さで、恋愛や結婚が自分の生活圏に重ならないことを認めている。だから最底辺非モテの僕でも劣等感を感じることなく結婚式場でアルバイトができた。むしろ非日常と割り切って、楽ですらあった。僕らは中学・高校を男子校というホモソーシャルで過ごし、大学でも女と無縁の道を歩んできた純粋培養・最上級の拗らせエリートである。卒業して5年経っても律儀に定期的に集まって盃を酌み交わしながらAVやアニメの話に花を咲かせるような奴等だ。そんな僕らの生活には、女性の影はほとんどない。あったとしても、それは夕陽を浴びて長くなった影が微かに見える程度のものでしかない。時たま話す機会はあるけど、遊んだりする機会はほとんどない。僕なんて四半期に一度会話の機会があればマシなレベルだ。ゆえに彼女など、望むべくもなかった。人を好きになる機会は与えられないし、それを見つける方法も思いもよらない。自活能力を欠いていることは「詰み」であると理解できる程度には頭が回る集団である。誰もが軽い諦めを抱えながら、半年に一度くらいは集まって、盃を酌み交わしていた。
その集団のなかで一人、美大に進んだ男がいる。彼の名前を仮にYとしよう。Yは少し頼りなさげで、オドオドしているところのある男だ。男性的な強さで女性に好かれるタイプではない。けれど、彼は自分の世界を持っていて、それを武器に美大で頑張っている。そういう面を見て、Yの婚約者はYを好きになったのかもしれない。なにせ、Yに告白した位なのだ。少なくとも、彼女にとってはそれくらいの魅力がYにはあったのだ。
告白された話を盃を酌み交わしながら聞いて、人生にはそんなこともあるのかと思うと同時に、そんなことは自分には起こりえないだろう、という確信があった。恋愛というものに対して、あまりにも現実感がなかった。男が女を好きになって、女が男を好きになる。そんな関係性が実在することが、信じられなかった。だから、嫉妬より先に驚きが湧いた。自分たちの世界に、恋愛という概念が侵入してきた驚きである。メッシが突然水戸ホーリーホックに移籍してくるような衝撃である。(ホーリーホックサポの人、ごめんなさい)
そこで「自分にも恋愛可能性が出てきた」と考えるほど、僕は楽観的に脳味噌ができていない。けれど、「いつかは彼も別れて、そしてまたみんなで酒を飲める」と、そう考えていた。生温いホモソーシャルの温度感をいつまでも続けて、朽ちていく哀しみを紛らわすことができると、儚い希望を抱いていた。
Yの婚約が、その希望を無慈悲に打ち砕いた。このままでは僕だけが取り残されて、独りで朽ちていく人生になるだろうという確信が湧いた。それを選択として引き受けるのは良いだろう。結婚を選ばず、ひたすら自分のために生きる生き方は否定しない。だが、僕はそれを積極的に選択していない。漫然と諦めに身を浸した結果として、意図せず消極的に選びつつある。いや、既に確定しているのかもしれない。
恋愛経験豊富な知人は「とりあえず一人落として自信つけろ」と言う。その「とりあえず」がとてつもなく遠い。何が分からない分からないのだ。スタートラインに立って何度か走ればそれなりに分かるのかもしれないけど、まずスタートラインがどこにあるのか分からない。スタートラインに立っていいのか、そもそも立つ気があるのか、それすら分からなくなってきた。
それを学ぶのがモラトリアム期間なのだろうということを今更ながらに知って、失ったものの大きさに泣いた。23の、とある夜のことである。