はてなキーワード: 管理とは
https://www.zeldadungeon.net/diversity-in-zelda-what-if-zelda-was-black/
米UCLAロースクールを卒業した海外サイトZelda Dungeonのアレクシス・S・アンダーソン記者が、「『ゼルダの伝説』のゼルダ姫を黒人にすべき」と力説している。
・35年の歴史の中でゼルダ姫は変わらず白人でした。これでは黒人女性が伝説になれることを示せず、残念なことです
・アメリカの黒人女性は、劣っていて尊敬に値しないと絶えず言われ攻撃されています。そこでゼルダ姫を黒人化すれば、黒人女性が単なるマイナーキャラや敵対者ではなく、重要な英雄的人物であるというメッセージを送ることができるでしょう
・ゼルダ姫とリンクが白人として描かれる『ゼルダの伝説』は、白人だけが世界を正しく管理し守っていく存在であるということを示唆しているのです
・『ゼルダの伝説』シリーズは主要キャラの人種をほとんど説明なしでも変えることができます
・メディアではこれまで何度も、有色人種やLGBTQ+の人々が腹黒く不道徳な侵略者として描かれてきました。黒人キャラが前向きな役割を習慣的に与えられるようになれば、社会にある固定観念を払拭し、人々が自己像を高めるのにとても良い影響を与えるはずです
・ゼルダ姫の黒人化は、黒人が華麗で大胆な英雄であることの確固たる証拠になります。任天堂が社会から抑圧されてきた人々やゲーム業界でなおざりにされてきたコミュニティへの支援を表明する一手になるでしょう
たまたまTwitterで見た#株式会社日本政府が気になったので検索したら、下記のブログ記事を見つけた。
https://note.com/mg185/n/n9a424cc8c49e
https://vybzscope.com/2018/03/28/post-7237/
国税庁の法人番号公表サイトに、内閣府(日本政府)が法人登録されていて、
さらにアメリカの証券取引委員会にも、なぜか日本政府が株式会社として登録されているというもの。
まず、国税庁の法人番号公表サイトに法人登録されている件については、
2015年10月から始まった法人番号制度により、行政機関や地方公共団体も含めた国の機関に法人格を持たせてナンバー管理しているようだ。
だからあくまでも営利法人としてではなく公法人として登録しているらしい。そこまでは理解できる。
だが、アメリカの証券取引委員会に日本政府が株式会社のように登録されているのは理解できない。
これはアメリカから見ると日本政府は営利企業とみなしているということなのだろうか?そしたら大変だ。日本政府はアメリカの株主のために存在することになってしまう。
陰謀論の類か何かなんだろうと思いたいものの、日本が一般企業と並んでアメリカの株式市場に登場する意味がわからない。
知っている人いたら教えて。
そうだね〜
部外者だから編集の戦略的なところは分からないけれども、蠱毒みたいにその中から生き残る「強い作品」のみが生き残ればいいと考えているのか、それとも作家同士の競争を煽ることで、切磋琢磨が起こりクオリティの高い作品が生まれることを期待しているのか。
消費者としては供給量が多い状態が嬉しいので、雑誌の紙面のように全体分量が限られていることがネックになっているように感じられるよ。
編集的な管理コストが高くなってしまうのは想像できるけど、WEB媒体で制限なく作品が出てくる状態になってきているのかな?という今日この頃。
#大人っておもちゃ買うの というタグが流行った時、私はむきになった主張した。
私の若い頃は「何でもかんでも機械化」と嘆くおじさんがいっぱいいました。
そのころの左翼は正にメカオンチ右翼を先導した銃や車のオタクに対する迫害をしていた。連中の言う真正保守ってそういう事なのです。
あの時代は平和とエコの名の下に「男の子ってやぁね、鉄砲と自動車の話題でイキリまくり」が横行していたのです。
「自動車を買ったり管理したりするのは男性」というイメージはエコ界隈が作ったのです。真正保守は「車に頼るとは何事だ!!」
ゲームのせいで自動車が売れないという与太話が許されるのなら「今の時代すべてのおもちゃはデジタル」と言い切ってもバチがあたりませんよね?
ある朝目を覚ますと、広くて清潔で明るくて、大きな窓から青い海が見える、リゾートホテルの一室のようなところにいる
その部屋の光景を目にした途端に、「ああ、俺はもう何にも苦しまなくていいのだ!」と、本能的に理解してしまう
腹の底から喜びが湧き出て、よっしゃああ、なんて言いながら、小躍りしてみる キングサイズのベッドの上で飛び跳ねる
その部屋はすべてが俺の理想のまま
地上30階くらいにあって、広いバルコニーがあって、ひと部屋ぶんの広さがある浴室を備えている
タブレットであらゆる食べ物を注文できて、あらゆる娯楽が揃っている
映画館だったり、ちょっとした植物園だったり、デカいIKEAのような施設だったり、とにかくそういったあれこれが詰め込まれていて、そのすべてが俺のためだけにある
管理は謎の見えない力によって行われていて、俺以外の人間の姿はない
建物の外はそこそこ広い島
海があり、街のようなものがあり、山があり、別荘があり、森があり、岬があり、灯台がある
すべてが俺のためにあって、なにもかもが快適
そういう場所に、ある朝目覚めたらいるんだ
そういうことを最近はよく考えている
寝る前はいつも祈っている 朝起きるときには忘れているから、がっかりしながら起きるってことにはならないのが、ひとつの救いだ
ビザは上陸地の日本で本省が管理する発行番号と照合するから不可能だ。
人口密集地に政府が管理しているスーパーが沢山あって、その土地代や経費を同じ系列の田舎のスーパーに負担させているなら搾取だろうが
実際はスーパーは政府が管理してるわけでもなく、田舎のスーパーは土地代や経費が少ないから安いだろ
だから君の例えは不適切で分かりにくい。故に「例えになってないよ」と言った増田は具体的な指摘をしなかった瑕疵はあるものの、正当性は相対的に高い
例え増田は謝った方が良いと思う
MMT/ケインズでインフレにするだけでは確かに不足だ。例えば、原住民への教育だとか、原住民が新しい商売をする前に色々調べ物をする間に金を出してやることが必要だ。
インフレには供給由来インフレというのもあるからな。例えばオイルショックのように資源が足りなくなったとか、産業が弱まり経常赤字化して外貨借金が増えて輸入ができなくなるとかだ。
だけど、新自由主義は政府の緊縮では基礎萌芽研究投資をしなくなり、大規模経済危機後に企業が保身化して金を貯め込むことと、不景気を温存することにより設備研究投資をしなくなることとで、むしろ産業劣化からの輸入困難なインフレに導く。
現にケインズ主義の末の1990年頃には京セラやソニーや日本電産のようなメガベンチャーを生み、多くの産業で世界トップシェアを誇り、トップ1%引用論文を多く出し、一人あたりGDPが世界2位にまで至った。
だが、1990年バブル崩壊と、同時に起きた新自由主義化で不景気30年と基礎萌芽研究投資の崩壊、保身化で設備研究投資不足が起き時折貿易赤字が出るほど産業衰退してしまった。
「政府がすべて管理したほうが良い」のマルクス主義は失敗だったが「政府が何もしないほうが良い」の新自由主義もこれまた誤りだ。まず金融、財政、税制で経済をマイルドインフレに調整した上で、政府が何をして何をしないというのは永久に人類の課題だろう。
だが、今はコロナで経済が猛烈にしぼんでるから、財政出動を多くしたほうが良い。特にコロナを早く収めることと、食い詰める企業、個人の救済をすることな。今食い詰め度合がひどいと、コロナが去ったあとに金を貯め込む意志が強くなるから。
それから、「借金の返済は資金市場への資金の供給」なので、コロナ後の反動の一員ともなるので、程々政策金融も返済免除=給付への切り替えをしたほうが良い。
ああ、あと企業がリスクを取れる前の科学投資は重要な。そもそも、探して、見つけたやつをしばき倒せば起業が増えメガベンチャーが生まれるんだって幻想はいいかげんにしろと言いたい。
例えば「嫌いな奴の家の床下に放射能を仕込んでガンにして殺す」とかできると思うんだけど、聞いたことがない
もしくは「嫌いな同僚にこっそり放射線を照射して白血病にして殺す」とか。昔は管理が杜撰でX線検査の技師とか死んでたらしいしいけそうじゃん。
でもなんでか聞いたことがない。
新自由主義は、その前のケインズ主義が1970年代のオイルショックや、一部の国の経常赤字化で「インフレだけど不況」という現象で詰まったことの反発で生まれた。
インフレは需要が多く、供給が少ない状態で起きる。やや需要が多く、ややインフレが望ましい。そのために、金融、財政、税制を駆使する。だけど、資源がなくなるなど供給由来インフレにはどうすることもできない。
ケインズ主義は自由主義に比べて政府が大きくなる。たしかに非効率になることもあろう。それが故に適切な投資がされずに供給が減り、インフレだけど不況なんて現象になるのではと。
それが故に新自由主義が起きた。
そもそもケインズ主義自体、1930年世界恐慌に「政府が何もしないほうが望ましい」という自由主義が詰まったことにより生まれた。なお、同時にマルクス主義の「政府がすべて管理したほうが良い」も主導権を握った。
新自由主義は金融だけ取り入れたが、日本に限定しても1990年バブル崩壊を経たら、30年経っても不況を続けている。更に、時折貿易赤字が出るほどにまで産業が弱まってしまった。むしろ供給を弱めた。
理由は、一度大規模経済危機を迎えたら企業が保身に入り、金をためこみ、設備研究投資をしなくなり、資金余剰に移るから。そして、資金余剰下の企業に対してのフリーハンドの減税は、むしろ貯め込まれて余計に景気を落とすから。
また、新自由主義は政府の関与を嫌うが、商売になる前の科学は企業にはリスクが高く政府しか金を出せないから。
最も、ケインズ主義が供給由来インフレでうまく行かないんじゃないかというのを踏まえて、政府の基礎萌芽研究投資と、企業の設備研究投資を起こすことにより、供給も意識したケインズ主義である必要がある。
なお、オイルショック後、日本はサンシャイン計画として、蓄電池や新エネルギーや原子力推進をしてて、昔は世界一位だった。かつ、厚い経常黒字を出していた。日本においてのケインズ主義は失敗じゃなかったんだよね。
https://anond.hatelabo.jp/20210212190921
https://anond.hatelabo.jp/20210212214154
これらの問いに対して、人類が歩んできた歴史の視点からの回答が無いので、記しておきます。
お前らって本という物体に対してだけ異常に過保護じゃない?それにしてもお前らの「本を大事にしろ!本を傷つけるな!」的な反応は過敏で異常だよ。宗教なの?
それは「図書館」っていうシステムが原因だと思う。なんで本だけ特別視されて、自治体が無料で貸出しなくてはいけないのか本当に謎。
これは人類が、本そして情報を手に入れる為に、血みどろの歴史を歩んできたから。
その歴史の教訓によって培われた共通認識を ”宗教” と呼ぶならば、そうかもしれないが。とりあえずは、なぜこうなったのかを紐解いてみましょう。
古来、文字や書物(パピルスや木簡など)は特権階級の軍人や貴族や宗教家のものでした。なぜ特権階級が独占していたかというと、文字を記す為のパピルスや木簡の製造コストが高かった事や、地図や軍事情報など機密に関する内容が記されていたなどが理由です。庶民の識字率も低く、市民が文字を使うとしても帳簿や資産管理としての利用が長年続きます。
しかし15世紀にグーテンベルクの活版印刷機の発明により状況が激変します。書物が大量複製できるようになり、庶民に知識が行き渡るのです。
これまでの世界において、知識や文化とは、口伝や継承によって高いコストをかけて伝承されていく特権階級のものだったのが、複製された本を手に入れることでも誰でも知にアクセスできる時代が到来しました。
当時の特権階級の宗教家達の心情を記した言葉が残されています。
教皇は知識と印刷術を廃止しなければならない。さもなくば、印刷術が最終的には教皇を廃位に追い込むことになろう。
From the Days of Great Dedications - John Fox's Book of Martyrs
印刷術による本の普及により、知が民衆化した。それにより特権階級だったカトリック教会の力が弱まる。
そしてゆくゆくは18世紀にヨーロッパ市民革命に繋がり、ついに貴族の統治する時代が終焉し、民主主義が産声を上がった。
それまで特権階級が保存していた、価値ある美術品や博物品は、市民の手により Museum として共有される事になりました。(英語の Museum が博物館と美術館の両方の意味を備えるのは、貴族から奪った貴重品をいっしょくたに展示した為、美術品や史物の区別をつけなかった事が定着したからとも言われている) 一方、図書館は革命時代より一足はやくに制度化が進んでいたため、 Library という名前で普及していく事になります。
概ね図書館および本という存在が、市民の地道な活動により普及し、普及した成果がさらなる民衆の活動を促した。という見方ができるといえます。
日本図書館協会の「図書館について - 図書館を支える理念」を引用します。これこそが、図書と書籍の歴史を端的にあらわしています。
図書館は、それを生み出す社会の特徴や条件を色濃く反映してきました。戦時下では国家の思想を広める役割を果たすこともありましたし、一方では社会的マイノリティーの権利を守るために働くこともありました。社会の変化の中で、図書館はさまざまな状況におかれてきましたが、いくつもの波にもまれながら、いかなる状況の下でも、すべての人たちに情報を提供するのが「図書館の自由」(Intellectual freedom of libraries)なのだという理念を獲得するに至ります。アメリカでは「図書館の権利宣言」(Library bill of rights、1948年採択)、日本では「図書館の自由に関する宣言」(1954年採択)です。これはあらゆる種類の図書館が守るべき自律的規範として、広く支持を得てきました。また、この原則を守るための専門職の行動規範として、「図書館員の倫理綱領」(Code of ethics for librarians)があります。
私のシンプルな記述だと物足りず不満に思う人もいると思います。興味がある人の為に、図書館の歴史と近代ヨーロッパの歩みについての書籍を紹介するので、それで理解を深めてください(と逃げさせて頂く)
書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで
まあ総括して言える事は、本が重要だと長い歴史の中で認められてきた為、今の扱いの重さに至ってるって事ですね。
同じ理屈で、他の疑問にも答えられる。
米とかもそういう節がある気がする(平均的な食品の大事にされ方を遥かに超越して大事にされてる)けど、どういう心情からそれが発生するわけ?
お米は長らく税として徴収されてきた歴史がある。つまりお金と同じ価値でした。
宗教なの?
同じ理屈で返すなら、あなたの財布に入っている一万円札。これはただの紙切れなはずですが、破いて捨てないのはどうしてですか。社会的・歴史的に一万円札の価値と通念が形成されてるから、大切に扱うわけでしょう。ただの紙切れなのに。
本も、米も、お金も、同じことです。
図書館基準で考えるなら、体育館の施設利用自体も無料にしてほしい。図書館は法律がそうだからというのは理解している。それなら体育館もそうすればいいのにってこと。オリンピック的な勢いでそうならないかなぁ。運動する人のことも考えてほしい。
図書館にも有料のものも多くありますが、まあ置いておくとして。この理屈は分からなくはありません。
しかし図書館と同じように、社会に必要とされる意味合いが重くなるなら、きっと体育館も無料になるでしょう。
実は歴史の上でも先例が多数あります。オリンピック繋がりでスパルタの例を紹介しましょう。
古代オリンピック発祥の地にも近い、ギリシアのスパルタ。7歳になった子供はスパルタ国家の寮で生活し、毎日運動がさせられます。費用はもちろんスパルタ国家が全部負担してくれます。無料です。立派な運動教育のすえ、子供は屈強な戦士としてスパルタ国を守る存在となりました。めでたしめでたし。
これはスパルタ教育という言葉で現代にも伝わっていますね。大げさな例を出しましたが、このように社会に必要とされ価値が認められれば、無料になる例には事欠かないと言えます。
日本も高齢化社会が進んでいますし、健康寿命を気にした予算投入も珍しくありません。スパルタ国ほどオーバーな例はないにしても、無料になるところは今後増えると思いますよ。社会に必要とされていますから。
見積台帳、受注台帳、案件台帳、訪問管理表、工程表、在庫表、発注管理表、日報、車両点検表、コロナ用体温管理表、来客管理表、タスク管理表etc.etc.
俺は逆やな。
図書館も有料化して、著作権者への還元と、元増田で言う「大事」にすべき本の管理費用に充てるべきやと思う。
本は大事にすべきと言う人なら、その管理費用を徴収しても問題は出ないはず。
大事と思わん人からも税金で徴収するから、図書館なんて無駄!と言われるんや。
まるまる税金で運営するから、民間に委託されたりカフェとくっついたりして費用の削減や利用者の増加を必要とされて、図書館が図書管理に集中できない環境を作ってるんやと思う。
女子が・・・というのはアリ得るが基本女子の残業は認めてないし
帰る前にいつも居室を確認して、鍵を締めているんだが
どうやったら、超過残業で居室内に深夜に自殺が起きるのか教えてくれ警備
さすがにちょっとわかかったというのはあるが
エンジニアになった立派な経歴の女の人のnoteとか最近よくみるけど、人生順風満帆やん〜うらやまし〜勝ち組の自慢話つまみに飲むストゼロうめぇ〜〜〜な〜〜〜〜
リーマンショックで就職なくてたまたま滑り込んだシステム会社で6年働いてパワハラと過労で半年休職からの退職して、そっからずっと事務系の派遣で細々と食い繋いできて、コロナ直前に運良く大手の営業事務で正社員採用してもらえて、コロナ禍の在宅勤務のサポートでインターネット繋がらないとかリモートPCの調子が悪いとかなんかそんな雑用に毎日付き合ってたら、社内のシステム部門に異動を打診されて、いわゆる社内SEの下っ端になった
やってるのはえらいおじさんたちのリモート会議の設営(自分で設定できないからお客さんとリモート会議する時だけ会社に来る人がかなりいる)と、あとはこんな状況で入社&退社する人用のPCの設定とか、パスワード間違えすぎちゃってロックかかった人の対応とか、PC関連の備品の管理くらい
他の人はなんかもっと高尚なことしてるっぽいから雑用と事務仕事やってくれる人が来てラッキー!って雰囲気でこの先も大した仕事任されることもなさそう
年収三百万無いのにそんなにいろいろ任されたくもないし良いけどさ〜
なんかもうそもそもの気持ち的にもバリバリ第一線で働くキラキラIT女子☆ミみたいなノリに持っていけない。
学生時代に夢小説のサイトを作ってJavaScriptとかなに〜わからんけどCookieよりJavaScriptのやつの方がなんかカッコよさそう〜CGIの設置わからん〜〜動かん〜〜とかやったり、フレームじゃなくてIフレームなんていうのがあるんだな〜おしゃれ〜とか、当時流行ってたCSSのサンプルコードを眺めたりいじったりしてた頃みたいに、新しい技術の話とかも楽しいとか面白いとか全然思わない
多分もう10年もしないうちに親の介護で仕事辞めて実家に戻って親の年金とコンビニのバイトかなんかで暮らす路線が確定しちゃってるもんなー
そもそもの適正とか、キラキラしい経歴とか、もっと若いうちから理解ある彼くんとか夫くんとかがいたらまた違ったのかもしれないけど、「でもそうはならなかったんだよ」ってやつなんだよな〜
最悪仕事辞めてもしっかり退職金も年金ももらえる元公務員の両親と親の持ち家があって良かったな〜と思って細々とやっていきましょうね
揺り返しは来るだろうけど多少は前進するんじゃねーの。