はてなキーワード: 突っ込みとは
当方のスペックは大して高くもないどちらかといえば低めの人間である、とだけご理解いただければ良いかと。
きちんと纏まっていないので、読みづらさがあると思う。
小学生・中学生ぐらいまでは自分の性質のようなものを特に自覚していなかったと思う。割合のんびり平々凡々に生きてきた。
高校生ごろから創作の分野に片足を突っ込み始め、現在に至るまでまあまあそこそこのオタクではないかという立ち位置にいる。
サイトを立ち上げ、ピクシブを利用し、ツイッターも始めて、ふいに、昔から感じていた違和感のようなものの正体に気がついた。
あれ……? 私、他人に興味なさすぎ……?
齢30を少し過ぎたあたりで、ようやく気がついた。というより、分かった事がある。
何を言っているのかとお思いだろうが、私からすればかなりの衝撃だったのでそのまま文面通り受け取って欲しい。
他者への興味が薄いという性質らしきものを私が持っているのでは? と気がついた。
それだけの話なのだ。
とは言っても、道端で困っているお年寄りなど、見知らぬ人でもそういった人がいれば声を掛けるし、声を掛けられれば応答する。可能であるなら対応もする。
しかし、私が私という人格を持って誰かと相対するとき、また関わるとき、名無しの誰かとしての働きと同程度はこなす事は出来ても、
それ以上には決して至らないという事に気がついた。
ツイッターはオタク・非オタク問わず多くの人々が利用するSNSで、同じ作品を好きな人達がつながり、交流をする事もできる。
残念ながら、私はそれを上手く活用する事が出来なかったが、誰かの生み出した作品を楽しませて貰っている。ありがたい場所である。
そんな中で、私を気づきに至らせるものがあった。特定の同人作家に対する執着を描いた漫画がRTで回ってきた後の、界隈の反応だ。
作品に描かれた執着や感情に同意を示す感想を呟く人々がそこにいた。その反応に、私は驚いていた。
作品を生み出した人がどのような性格で、性別で、何に興味を持っているのか。そういった所に一切興味がわかない。
一人間として交流を持ちたいとか、関わりたいだとか、認められたいだとか、そういった風には全く思った事がなかったのである。
薄々なんとなく気付いてはいたが、そうではない人たちの多さに驚いた。
ここまで読んで、もしかしたら見下しと捉えられる方もいるかもしれないが、決してそうではない。
そういう風に、他者にリソースを裂く余力のある人の多さに打ちのめされたといっても良いかもしれない。
私は私の作品を生み出すので精一杯だ。
誰かを褒めたり、語りに同意したり、そういった事に割り当てられるリソースがなく、ただ眺めている事しかできない。
社会に向いていないんだな、と改めて思った次第だ。
「ウソップが主人公のワンピース」を求めてる増田に勧めたいのはプリティーリズム・レインボーライブ。
少し前の女児向けアニメだけど、女児アニメに抵抗がなければ是非見てみてほしい。(抵抗があっても騙されたと思って見てみてほしい)
プリティーリズム・レインボーライブは、女児向けのキラキラ・オシャレでコーティングされた、スポ根青春群像劇だ。
メインキャラは7人の中学生女子と、それを取り巻く3人の高校生男子、3人の大人の男性、1人の少し年上の女性。
この14人が、「プリズムショー」という架空のスポーツを通して、互いに影響し合い、家族や様々に纏わる因縁を解決し、成長していく物語だ。
主人公の「彩瀬なる」は、プリズムショーのどしろうとの中学生。中学校の職業体験でプリズムショーに纏わる店に関わったことでプリズムショーに触れ、プリズムショーや音楽を志す同級生や、プリズムショーのエリート選手養成機関に通う生徒たち、その中でもトップエリートの「蓮城寺べる」らと出会い、プリズムショーを通して成長していく。
ネタバレになるが、作中で、主人公のなるは恋をする。しかし、その恋は実らず、意中の男子は友達の女子と付き合ってしまう。
また、物語のクライマックスはプリズムショーの王者を決める四年に一度の大会なのだが、そこでもなるは結果を残すことはできない。
なるは陽気でお気楽な人物だ。終始、周りの人物に関わり、事態を引っ掻き回したり後押ししたりしている。そんななるが起爆剤になったり、ならなかったりしてさまざまな登場人物が関わり合い、物語は進展していく。
作中では、女児向けアニメにも関わらず、裏切り、ネグレクト、毒親、交通事故遺族の問題など、終始ヘヴィなテーマが繰り広げられる。そんな事態に、時には明るく首を突っ込み、時には友人たちのために奔走するのが主人公のなるなのだ。
あとは騙されたと思って見てみてほしい。
以下は別のところに投げようとしてやめた文章を直したものなので脱線している部分もあるが許してほしい。
ワイはリバや逆カプは基本的に生産も消費も無理なROM時々二次創作小説を書いてる腐女子。歴は15年以上。
ここからはワイ個人の話をしてるのを留意して読んでほしいのだが、なんで左右or左or右固定派がリバ逆カプが無理かというと
これにより自分の中のキャラの解釈がぶっ壊れるからと思われる。
固定派の中でも攻めと受けは、お互いに対して何かしら思ってることがあるわけだ(これをカブ解釈やキャラ解釈と言っている気がする)
これがリバ逆カプの場合、わかりやすい露骨な例をあげると、元受けが元攻めにチンコを突っ込みたいと思うにいたるための解釈を固定派は追加しなければならなくなる。
このチンコを突っ込むために必要な解釈がそれまでしていた解釈と整合性が奇跡レベルに取れない限りはワイは許容できない(原作の読み込みや進行とともに整合性が取れてしまって最終的に逆カプや受けが攻めになってるカップリングに落ち着いたことも大昔にはある)
エンジニア風に言うと、綿密なシステムの要件定義して実装もしたのに突然の仕様変更要求されて反発を覚える、という感じだろうか。
カップリングの左右が腐女子によって異なるのは、極端に言うと、年上は攻めvs年下は攻め、恵体は受けvs細身は受け、のような個人の性癖の結果みたいなところもある。
もちろん実際カップリング左右の決定までは見た目の属性プラス原作での言動などを踏まえるからもう少し複雑。
原作で表現された攻めと受け、ふたりのキャラクターそれぞれに対してフォーカスあててる場所が腐女子ごとに違うから、左右なり右なり左の固定派としては信じがたいカップリングが存在し、同カプでも解釈地雷ということがあるのだと思う。
逆カプほどのキャラクターの解釈変更をする必要がないので、ABとCB両方行ける、という人はそこそこいるという印象。けれどABとCBが両方行けると言っても、同一空間で一妻多夫状態の場合を許容できるかどうかは別れたりする。複雑。腐女子は一人一派。
だから逆に攻め受けのキャラ解釈が同じないし許容範囲ならリバ逆カプを許容するという腐女子も存在する。というかリバ逆カプが平気と言ってる人の多くはこのへんの腐女子では? と私は思っていたのだが元増田を読んで自信がなくなった。
性表現があるリバ逆カプも平気な腐女子はよくわからん。どっちでも行ける攻め受け解釈採用してるか、独立してる突っ込む突っ込まないという2つの解釈を臨機応変に切り替えてるのかね。……と思っていたのだが元増田を見るとキャラ解釈が全部違うそうなので、はい。
まず元も子もない話なのだが基本的にエロ要素がある方が閲覧数が伸びる。腐向けに限らないが。
そして推しカプというか二次創作全てはセックスの有無に関わらず、オタクのオナニー(比喩)のためのオカズだ。セックスやエロがあるほうが抜ける。
あとは腐向けがセックス前提なのではなく、セックスを前提としない作品を腐向けとは呼ばない、と言う可能性はある。ブロマンスとかキャラ単体タグとかA+B表記とか。
AB・BA・ABAの作品内におけるキャラクター解釈の傾向を書き連ねたが、「BAで多用されるキャラ解釈でセックスの時はAが攻め」の場合、カップリングタグはどちらをつけるべきなのだろう。
これも経験に基づいた話でなんの裏付けもないのだが、そういう作品にはたいていキャプションやワンクッションのページに注意書きがついている。
本番はA×Bですがそれ以外はB×Aにも見えるかもしれません、とか。何でも許せる方向け、心の広い方向け、というやつ。(この場合タグはABは必須でBAは界隈の傾向と内容踏まえた個人判断かなと思う)
カプ要素がなかったとしても(作者はAB派の腐女子)と注意書きをする人たちもいる。
素晴らしき腐女子の注意書き文化。ものによっては注意書きがないと叩かれるまである(実際に見た)
注意書きが書いてさえあれば注意書きを読んでない方が悪いので、なにか思うところがあるなら書いとくほうが安全。レンジに猫を入れないでくださいと同じ理屈。
特殊なプレイとかもそう。スカトロなんかは当然として、例えば攻めから受けへのフェラはR-18ついてれば個人的に注意書きなしでいいと思うが、注意書き必要不必要のアンケートをとっているツイートを見たことがあるので書いとくほうが後々面倒が起こることがない。
「男らしさ」「女らしさ」に抵抗はないタイプだが「男のロマン」については「使いたいけど使いにくい」と感じている
それは私が「男のロマン」を男が専有するのが許せないからではなく、「女なのに男のロマンなどということばを使って(女からでも男からでもまたはその他からでも)変な突っ込みを入れられやしないだろうか」と他人の目を気にしてしまってのことだ
男のロマンを楽しんだからといって私の性別を男や女でない性別に変えられたりしたくはないし、女の私が楽しんだからといってその男のロマンを女のロマンに変えられたくはないと思っている
それなのに、揶揄や他人の思想から望まない変化を強要されることを恐れているわけだ
冒頭で「男らしさ」「女らしさ」に抵抗はないと書いたが、その実、抵抗がないどころか世の中が変わっても残ってほしいことばだと思っている
現実に即していなくとも「なんとなくそんな感じ」という意味を含んだことばとして残してほしいと思う
「ますらをぶり」「たをやめぶり」が近い例だろうか
多少言い方がかわっても、とにかく表現の上では「男らしさ」「女らしさ」という概念が残ってほしいと思っている
わたしは、十数年前の覇権ジャンル、今ではあの作品懐かしいよね、と言われるような作品の絵描きをやってきた。
たまにイベントに出たりオフ会をしたりして、顔見知りが出来たり、気が合う人とだけ付き合って、
そんな私が、久々に旬ジャンルにハマった。
軽い気持ちで漫画を書き、Twitterに投稿すると、いいね数が前ジャンルとは比べ物にならないくらいついた。フォロワーもぶわっと増えた。(ありがたい)
覇権ジャンルの力はすごいなあ、でもこれは実力ではなくてジャンルの力だからなあ、と冷静な自分がいた。
ずっと小さな世界でちまちまと絵を描いていた自分は、よく知らない多勢から褒められるより、
知り合いの好きなフォロワーから反応を貰う方がとっても嬉しい事に気づいた。
Twitterは絵の上手下手というよりも、交流のうまさ・旬ジャンルかどうかがいいね数に直結する所がある。
もちろん、例外もあるけれど。
数時間かけて丁寧に描いた絵より、五分で書いた突っ込みどころのある漫画の方が正直伸びる。
絵を描くツイッタラーは、コンテンツと化しているんじゃないかなあ。
そう思うと、なんだか虚しくなってしまって、見たことない数のいいねを貰っても、むしろ寒々しく感じてしまうようになってしまった。
あと、マシュマロが流行っていたから始めてみたけれど、割とすぐ辞めた。
正直、友達からいいねって言われたらそれだけで十分だし、匿名でどこの誰だか分からない人から貰う感想が嬉しくなかった。
そういうコミュニケーションが取れないから、オタクとして生きづらいのかなと感じてしまう。
「最初から傾向はあったけれど、ランキング制がその方向性を決定付けたといえる。この星形シールは小宇宙戦争における勲章であり、権威の象徴なのだろう」
俺は栞に何かを書くことも、シールを貼って評価することも、あくまで“本来の目的”に付加価値をつけただけと思っていた。
だが違う、“逆”だったんだ。
彼らにとって大事なものは栞にこそあって、その対価としてシールが存在していた。
本はそのための土台に過ぎない。
食玩のように“本来の目的”は菓子ではなく、おまけの玩具の方にあった。
本のために栞があるのではなく、栞のために本があったんだ。
「あんな星屑のために権力闘争ごっことはな。ナンセンスって言葉はこのために生まれたんだろう」
タケモトさんの露悪的な言動も、事ここに至っては適切に思えた。
「はー……」
自分の「せめて理解しよう」という生半可な歩み寄りは、まったくもって甘かった。
同じ空間にいる同じ人間のはずなのに、異世界に見たこともない生き物が佇んでいるように見える。
むしろ近くで見れば見るほど、その認識は強固になっていくようだった。
彼らは優雅にコーヒーを飲みながら読書を嗜んでいるように見えて、その実は泥水をすすりながら栞と睨めっこしていたんだ。
その有り様は思っていたよりも複雑で、多様で、繊細で、滑稽だった。
様々な感情がない交ぜになり、咀嚼は困難を極め、飲み込むなんて以ての外。
本に張り巡らされた紋様だけの栞と、そこに降り注ぐ流星雨。
「きっしょ……」
一日に二回も“きっしょ”なんて言ったのは初めてだ。
しかし俺のボキャブラリーでは、それ以上に妥当な表現が分からなかった。
「おい、テメー!」
俺が本についた栞を眺めていると、突如として謎の怒号が店内に響いた。
「テメーだったのか!」
店内にいた一人の男が、そう言いながらズンズンこちらに近づいてくる。
「やっと見つけたぞ! ボブ!」
男は俺を指差した。
ボブ……って、まさか俺のことを言っているのか?
「ここで会ったが百年目! 恨みを晴らしてくれる!」
男の様子からして、ただ事じゃないのは確かだ。
しかし俺には全く身に覚えがなかった。
「あの、何に怒っているか分かりませんし、あなたと俺は今日が初対面でしょう。それに俺の名前はボブじゃないんですけど……」
この時、たまたま俺が持っていた栞はボブの物だったらしい。
それで俺がボブだと勘違いしたようだ。
「いや、俺はボブじゃないですよ」
「散々、おれの書くことにケチつけやがって……そのせいで周りまで追従してバカにしてくる。それもこれもテメーのせいだ!」
というか仮に俺がボブだったとして、逆恨みもいいところだ。
所詮このブックカフェ内で起きた小競り合いだし、今まで面識もなかった相手だろうに、なぜここまで怒り狂えるのだろうか。
俺の冷めた視線が男を逆なでしたらしいが、多分どう対応しても無駄だったろう。
完全にノイローゼだ。
「おれをここまで追い詰めた、テメーが悪いんだ!」
男は叫びながら、こちらに向かって猛スピードで突っ込んでくる。
その行動に対し、俺は驚きや恐怖よりも諦念に近い感情が湧きあがった。
俺は溜め息を吐きながら、受身を取る準備をする。
「マスダ、危ない!」
しかし吹っ飛ばされたのは男の方だった。
センセイが間に割って入り、男を天高く放り投げたのである。
投げられた男は勢いよく本棚に突っ込み、崩れ落ちた本に埋もれてしまった。
静観を決め込んでいた他の客も、これにはザワつく。
「センセイ、助けてくれて感謝しますけど、ちょっとやりすぎたんじゃ……」
「相手が武器を持っている可能性も考えたら受け止めるのは危険だった。これがベターだよ」
私のツイッターアカウントのTLにも例によってその「おけけパワー中島」の元ネタの漫画がどんぶらこと流れてきた。読んだ。
そして、
各登場人物への感情移入よりも先に、この「おけけパワー中島」というネーミングの素晴らしさに、雷を撃たれるような衝撃を受けてしまった。
私は「綾城」や「おけけパワー中島」なんかよりもずっと、漫画の作者・真田氏に強く嫉妬しそうになった。「おけけパワー中島」が出てくる引き出しがあるのがすごい。天才だ。
おけけパワー中島は恐らく、最初からおけけパワー中島ではなかったはずである。
はじめは「中島」とか「中島〇〇」のような名前であった可能性が高いと思う。
そこから例えば「#リプもらった名前で1日過ごす」と言うツイッタータグを実施したり、
あるいは普段の言動の中で「おけけパワー」と発言する事があり、いつの間にかそれが友人間で定着してしまって、現在に至るのではないかと推測できるのだ。
作中で描かれている中島の知人・綾城は品のある大人しげな性格だったので、おけけパワーとあだ名をつけるのに悪乗りするタイプではなさそうである。
という事は、中島をおけけパワーと呼び、それを定着させるに至るに関わった人間は、綾城の他に複数存在する友人である。
これは作中で綾城が「中島さんの新刊も楽しみにしている」と言った事にも裏付けられているが、名前からも伺う事が出来る。
そもそも、おけけパワーとは何か?
おけけとは、恐らく「毛」を丁寧に呼んだ呼び方ではないだろうか。
では「毛」とはどこの毛か。パワーという単語が関わるぐらい中島にとって力強い存在であるとしたら、
仮に「おけけ=陰毛」であるとするなら、中島はR-18系の創作をしている可能性が高い。
あるいは、中島の推しが胸毛がボーボーの男性であった場合は胸毛かもしれないが、その場合もエロシーンで胸毛を喜々として描く中島の姿が目に浮かんでくる。
このように作中描写としての情報量も多いが、メタ的に考えたときにも「おけけパワー中島」の効果はすさまじい。
これは作中で中島に嫉妬する人間の視点でも、漫画を読んでいる我々の視点でも。
ふざけているのかと腹を立てたくなるフレーズであり、
寝る時にふと布団の上で字面を思い出してしまうフレーズであり、
それまで考えている事を一度忘れてしまいそうな集中を削ぐフレーズであり、
おけけパワー中島とはどのような人間なのか真剣に考えてしまいたくなるような哲学的なフレーズでもあり、
これを見てふと思ったことを書く
それはタイトルにも掲げたんだけど、いわゆる「女性向けジャンル」で「解説動画」と称した実質的なバッシング動画を見たことがないな、ということ(ちなみに誤解のないように書いておくと、私は男オタクです。女オタク(という言葉は蔑称っぽいニュアンスを感じるからあんまり使いたくないけど)を擁護する義理はないし、そういうモチベーションの元で書かれた文章ではない、ということに留意してほしい)
何のことかわからない、という人は
https://www.nicovideo.jp/watch/sm34681332
けもフレ2が炎上した時とか、オルフェンズとか、Vtuberの叩き動画とか、あとは「クソ漫画」を叩くやつとか、「なろう小説」を叩くやつとか、まあバリエーションはいろいろあるけど、目に入るのはどれも基本的に「男性向け」コンテンツで、女性向けコンテンツ(刀剣乱舞とかあんスタとか...)でこういうタイプの動画を見たことがないんだよね。
こういう動画は、どれも「〇〇という作品が炎上しているよ。私なりにその理由を分析してみたよ。それは〜〜という構造的問題を抱えているからだよ」という作りになっていて、その過程で暴言や中傷が大量に挟まったり、他の漫画のミーム化しているコマを引っ張ってきて「面白さ」を演出したりする。
そして、「〜が問題」の部分では、大抵の場合判で押したように「作品の構造上キャラクターに愛着が持てる作りになっていない」みたいなことが言われる(しかもしばしばそんなに的を得ていない)。
更に言うと暴言も、大抵はふたばだか5chだかからのコピペとかで、そうでないものも一定のバリエーションの範囲内。
つまり、フォーマットが定まっていて、一度要領を掴んでみれば比較的量産が容易(だから、この手の動画を量産する「動画主」がニコ動とかyoutubeとかには存在する。「クソラノベレビュー」「クソ漫画レビュー」「打ち切り漫画レビュー」とかで検索してほしい)。
また、一応「構造的問題」を剔出する「解説」という形式をとっているから、作品の口触りの悪さは消費者側の問題ではなくて作り手が悪いということが「論理的に」導き出される。
要は頭を使わずにマウンティングと罵詈雑言を罪悪感なく、しかもお腹いっぱい摂取できる美味しい動画。ニコニコとかを見てると、動画主が作品を「論破」しているシーンで「ロジハラやめろ」というコメントがついたりする。この「ロジハラ」なる言葉は「ツイフェミ」叩きの文脈で出てきた、オタクの間で流通してるジャーゴンらしい(ロジカル・ハラスメントの略。初出をわざわざ漁る気はないが、頭のよくない「フェミ」が論破されて「発狂」しているイメージを伴って用いられている)。ここから、「蓮舫を麻生が論破wwwww」みたいな動画と同じノリで見られていることが分かる。
これは宇多丸がラジオで言ってたことだけど、「批判がそれ自体コンテンツとして受容されてしまい、元の作品をまともに見ない人たちが一定数いる。だから僕は酷評をあんまりしなくなった」。この手の動画はそういう人たちに受容されているんだと思う。
正直なところ、女オタク界隈が羨ましい。自分なりの「解釈」を実存をかけてぶつけ合っている人たちが羨ましい。男オタクの界隈にそういう熱量はない。
男オタクの界隈では、「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」という決まり文句で(対立の火種となる)解釈は潰される。「感情的になることは恥ずかしい」という劣化版ストア派みたいなメンタリティーで生きてる奴が大半。そうやって溜まりに溜まった鬱憤を晴らすのにも「理性的」建前がほしい(けど深く考えて自分の実存に関わるレベルにまで首を突っ込みたくない)から「解説動画」に没頭する。
という頭悪いムーブは実にかっこ悪いと思うわけですが、頭の悪い人達は一体何故この破廉恥ムーブをかましてしまうのかという事は検討に値する。
まずこの「6億手」という表記が良くない。「“6置く手”とちゃんうんやで、6億なんやで。」という突っ込みがノイズになりかねない。
ここは具体的に「6億通り」「6億パターン」「6億局面」とすべきだと思う。
将棋において「○手先を読む」というのは数学の「組合せの問題」である事を凡人は理解していないのだ。
「一手先は三通り」「二手先は九通り」「三手先は二十七通り」という数を感覚的にも理解している人はおそらく凡人では無い。
「何億手ゆうても、所詮その手の殆どは『王を一つ先に進めてはまた戻す』みたいな無意味な糞手ばっかりなんやろ?」みたいな奴は放置しておくしかしょうがない。
イケメンのヤリチンやオラついてるヤリチンが種付おじさんにわからせさせられてメス堕ちする作品が男性向け表現のあるBLなのか『男受け』なのか意見が分かれるが
murishinai
そういう視点からの指摘からの突っ込みにも価値はあると思うけど、それで被害者が救われるわけでもないので、ただただ「性犯罪は絶対許さない」「性犯罪者は全員死ね」って言うのが精一杯なはてブライフを送ってる
本題から外れて面倒な事になりそうだけど、上記みたいな事について、被害者と言うか加害者への加害性について、思うから書くんだけど
被害者ってどの程度加害者に介入出来る権利があるんだろうな。(そもそも当人は被害者でないのかもしれないけど、机上の話として)
レイプでも痴漢でもいじめでも何でもいいけど、被害者と加害者がいて、被害者が加害者を刺し殺したとするじゃん。それは許容されるのか?
他にも例えば被害者が免職を迫るだとか、引っ越しを求めるだとか、それってどの程度の加害行為をしたら求めて良い訳?
加害者も人間であって、職とか住処とか自分で人生を決める権利はある訳じゃん。それに対して被害者はどこまで入り込んで良いんだろうな。
俺は、いじめとかレイプとか痴漢とかハラスメントとか、裁かれるべきだとは思ってるし、現状の法律ではおっついてないところがあるって言うのも分かる。
「ドラえもん、のび太の小宇宙戦争」(以下リトルスターウォーズと呼ぶ)は大長編作品の中でも屈指の名作だと思っていた(旧鉄人兵団には劣るが)。軍事独裁政権に立ち向かうというテーマがまず良いし、何より主題歌「少年期」は名曲中の名曲だ。雲の王国もそうだが、主題歌が良いと名作に思えてくる。
今でも好きか嫌いかで言えば好きなのだが、ただ真面目に観てみると突っ込みどころが多すぎてイライラするのである。
ピリカ星人より地球人のほうが圧倒的に強いのだからパピくんはもっとのび太たちを頼ればよかったし、ドラコルルがまったく地球人に対し慎重にならずスネ夫たちを襲撃するのも不自然だ。あの襲撃の流れで出来杉くんがフェードアウトするのも不自然だし、何より体のサイズというメリットを自分から手放す意味が分からない。ピシアの探査球への警戒も足りないし、わざわざ挑発するのも相手を嘗めすぎている。いや嘗め切っても全く構わない相手ではあるが、そのせいで殺される寸前にまで行ったのだから弁護の余地はない。
スモールライト奪われた段階ですぐドラミちゃんに連絡しろよとか、ビッグライトなり使えよとか利用すべきカードを切らないのはドラえもんだから仕方ないとしても、あまりにも墓穴を掘りすぎている。
自由同盟の地下組織に行く際が最たるもので、まずのび太のような足手まといを連れていくのが失敗の元だし、ロコロコ以外にもっとマシな案内役いないのかとも思うし、のび太を見捨てなかったせいでアジトを突き止められたうえ、見られた可能性があるのにそれを組織の人々に告げずピシアに急襲されるにいたっては戦犯以外の何物でもない。
使うべき道具を使わないのは大長編では仕方ないとしてもそれ以前の利敵行為ばかりやっているので見ていてイライラする。それでもストーリー展開とテーマ性と主題歌が良いから名作には変わりないが、これほどドラえもんたちが失点ばかり積み重ねた作品も無い。