当方のスペックは大して高くもないどちらかといえば低めの人間である、とだけご理解いただければ良いかと。
きちんと纏まっていないので、読みづらさがあると思う。
小学生・中学生ぐらいまでは自分の性質のようなものを特に自覚していなかったと思う。割合のんびり平々凡々に生きてきた。
高校生ごろから創作の分野に片足を突っ込み始め、現在に至るまでまあまあそこそこのオタクではないかという立ち位置にいる。
サイトを立ち上げ、ピクシブを利用し、ツイッターも始めて、ふいに、昔から感じていた違和感のようなものの正体に気がついた。
あれ……? 私、他人に興味なさすぎ……?
齢30を少し過ぎたあたりで、ようやく気がついた。というより、分かった事がある。
何を言っているのかとお思いだろうが、私からすればかなりの衝撃だったのでそのまま文面通り受け取って欲しい。
他者への興味が薄いという性質らしきものを私が持っているのでは? と気がついた。
それだけの話なのだ。
とは言っても、道端で困っているお年寄りなど、見知らぬ人でもそういった人がいれば声を掛けるし、声を掛けられれば応答する。可能であるなら対応もする。
しかし、私が私という人格を持って誰かと相対するとき、また関わるとき、名無しの誰かとしての働きと同程度はこなす事は出来ても、
それ以上には決して至らないという事に気がついた。
ツイッターはオタク・非オタク問わず多くの人々が利用するSNSで、同じ作品を好きな人達がつながり、交流をする事もできる。
残念ながら、私はそれを上手く活用する事が出来なかったが、誰かの生み出した作品を楽しませて貰っている。ありがたい場所である。
そんな中で、私を気づきに至らせるものがあった。特定の同人作家に対する執着を描いた漫画がRTで回ってきた後の、界隈の反応だ。
作品に描かれた執着や感情に同意を示す感想を呟く人々がそこにいた。その反応に、私は驚いていた。
作品を生み出した人がどのような性格で、性別で、何に興味を持っているのか。そういった所に一切興味がわかない。
一人間として交流を持ちたいとか、関わりたいだとか、認められたいだとか、そういった風には全く思った事がなかったのである。
薄々なんとなく気付いてはいたが、そうではない人たちの多さに驚いた。
ここまで読んで、もしかしたら見下しと捉えられる方もいるかもしれないが、決してそうではない。
そういう風に、他者にリソースを裂く余力のある人の多さに打ちのめされたといっても良いかもしれない。
私は私の作品を生み出すので精一杯だ。
誰かを褒めたり、語りに同意したり、そういった事に割り当てられるリソースがなく、ただ眺めている事しかできない。
社会に向いていないんだな、と改めて思った次第だ。
❅🐉💩
びっくりするくらい他人に興味があるようだから安心していいぞ マジョリティ側だ
興味はあっても行動に移せないのが問題だったりするます