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はてなキーワード: 社会秩序とは

2019-02-26

anond:20190226194856

なんでLGBTを味方につけたがるの?

LGBTの中にもペドはいるよ?少年好きのホモオッサンとか、小学生少女欲情する中年オンナとか。

でもLGBTペドは違うから、そういう欲求を持つ人は同じLGBTとして肯定してない。

LGBTと違ってロリ差別されているとか言うけどさ、そこに至るまでどれくらいのLGBTペドフィリアを除く)人たちが世の中に肯定的に認めてもらうための議論をしてきたと思ってんの?

そんなに差別されたくないなら、「今ロリコンを認めても社会秩序は混乱しませんよ」って世間が納得する理屈を主張しなよ。

2019-01-10

anond:20190110132851

それ結局トランス側がおとなしくしている限りはしょうがいから許容しますよってだけの話であって

ゲイパレードしてるLGBTに向かって「ああやって公共の場で騒いだりしなけりゃ嫌ったりしないのに」って言ってるのと大して変わらないと思うんだけど

だいたい、社会運動なんてものは得てして既存社会秩序に対してラディカルな形を取るものであって、そういう過激運動だって自分関係いからって今までずっと許容してきたんじゃないんですかねえ、クソフェミの皆さんは?

2018-12-09

anond:20181208093836

法で裁くのは社会秩序のためであって、きちんと運用することに意味がある

被告反省するかどうかとかは目的ではない

2018-10-20

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

2018-09-25

anond:20180924111816

反論は、すでに

「生きづらさを抱える人たちが、自分らしく生きられるようにするための福祉行政全般否定していると受け止められかねない」(橋本岳自民党厚生労働部会長)

という公式コメントに尽きている。

同性愛者が子供を作らないことは誰も否定していないが(とはいえ養子を育てたり、そういう仕事についたり、そもそも社会人として税金を納めていることで、杉田議員の言う意味での社会的再生産にも十分に寄与しているわけだが)、それに対して。「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題し、「社会は『常識』を見失うな」と主張することは、LGBTは「常識外」の存在であるという旧来の見方を堅持し引き続きLGBTに日陰者である「生きづらさ」を引き受けさせろという主張にしかならない。端的に言って「差別されてきたお前らは今後も差別されておけ。そしたら私(たち)は幸せ。」という主張である。「のび太のくせに生意気だぞ」のジャイアン理論、と言えばわかりやすいだろうか。そこに「理」はあるだろうか?

フランス民主革命が起こったとき封建制という社会秩序が崩壊する」と憤激した人もいた。アメリカ黒人解放されるとき奴隷制という社会秩序が崩壊する」と反対する人もいた。いずれもわかりやすジャイアン理論である。だがそれらの改革社会『全体』の利はどうであったか。「生まれ」に関係なく権利保障された民主主義社会人種にとらわれず社会的活躍できる社会が実現されたことは、人類全体にとっては確実に「利」があった。ジャイアン的に「オレサマのかんがえるむかしのさいこのしかいちつじょ」を守るのが政治のつとめではない。それは単なるノスタルジー、あるいは既得権益擁護だ。社会全体に利がないという意味で言えば、それは社会悪ですらある。政治あくま現実立脚理想を実現する行いでなければならない。


では、なぜあなたの視界に杉田議員への「反論」が入ってこないか。その理由を併せて述べておこう。「理論反論」というのは、議論する双方が誠実に事実立脚して行うという信頼関係の上にしか成り立たないのである感情の上に議論は成り立たない。

「これまでの社会にはこういう問題があるでしょ?」「だから、こういう新しい社会にしたら社会全体に利があるよね」という話をしているのに「私はこういう社会がいいんだもん」「社会全体に利があるとか分かんないもん」などと発言しているも同然な(杉田議員の「論」とやらを要約すれば、こういう事に過ぎない)人に対して直接「反論」を行うことはそもそも意味がない。それどころか逆上した相手が「再反論」という形でますます妄言をまき散らすキッカケにしかならないので、まっとうな人ほど「反論」をしない。私だって杉田議員にこんな話を説明する役目など引き受けたくない。

私が今回説明したのは、相手あなたからであるあなた問題構造理解しようとしているからだ。その信頼感がなければ、自分の貴重な時間を割いたりしない。

結局のところ、杉田議員の「論」的な何かは、信仰告白に過ぎず「論」ではない。もう少し正確に言えば、ある信仰の下に生きることにした人々の支持を狙ったあざとい政治立場とりますよ、という宣言と言ってもよい。ああい下品文章を書き散らしてまで議員椅子にしがみつくことが、彼女が本当に実現したい何かにつながっているのか、それは私にはよく分からないが、私はそういうやり方はきわめて本末転倒だと考える。あの「論」の中身を彼女自身が信じている可能性? それはほぼゼロだ。いかにも叩かれそうなことを考えている政治家はたくさんいるが、そういう場合しろ隠して耳障りのいいことを言う。スキャンダラスなやり方を平気で選ぶのは、彼女自身別にそれを信じてない(しかしある種の人々にはヒットすると知っていてそのための手段としてやっている)からだろうと私は推測する。

2018-08-23

anond:20180820215858

そういう「根源的なところでは罪にはならないんじゃない?」という考え方はあるけど、

「そうは言っても社会秩序とか公序良俗としてはよろしくないよね」という社会性の観点から法律規制してるって面があったはず。詳しい人よろ。

 

 

さらに違う言い方すると、「よくないことだから法で規制されている」ことと、「法で規制されているんだからよくない」ことの二種類の「よくないこと」があって、このケースは後者だ、とでも思っておけばいい。

2018-07-15

anond:20180715103823

いやー、恐ろしいね

死刑反対派の非寛容さ。

見てくださいよ、この死刑反対派の醜いコメントたちを。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yaserucola.com/entry/shot_dead

こんな態度で「人道的な立場から死刑廃止を語るんだからおっそろしいよね。

「ズレてる」だの「比較すべきでない」だの「ナンセンス」だの言っておけば論破したつもりになってんだろうね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/367396222/comment/grdgs

死刑と射殺を同一視するなんて普通にキチガイだろ

grdgsgrdgsのコメント2018/07/15 08:47

いね

なんの反論にもなってないね

記事の人の書いてた

https://www.yaserucola.com/entry/shot_dead

だけど、弁護士界の長レベルの超エリート達が

「『死刑廃止国では現場犯人を射殺している』というのはデマだ!そんなこと言ってるやつは低能!」

感情的になって反論するのでは前に進まない。

死刑廃止派の方々は

死刑廃止国は犯人を射殺している事実は確かにある」

と素直に受け止めて、廃止運動を進めて欲しい。

言葉を何も理解できてないんだね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/367396222/comment/fu-wa

武器を持って抵抗の意思を示している犯人警官や周囲の人々の安全のために射殺するのと、武器を持たず無抵抗状態人間処刑することを比較するのは、まったくのナンセンスだよ。

fu-wafu-waコメント2018/07/15 12:44


なんで現場判断無謬と思ってるんだろうね?

冤罪による死刑が起こりえるから死刑に反対」だったら、「現場誤判断による射殺も起こりえるから現場で射殺すべきでない」と等しく反対すべきだろうに。

「そうだね、現場での射殺もするべきでないね。」くらい言っとけば論理一貫性は保たれるのに、なんで死刑のほうに喰ってかかってくるのかわかんない。

現場射殺もダメっていう人道原理主義なら論理一貫性は認めるけど、頭はお花畑だよね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/367396222/comment/tteraka

射殺は本人による犯行蓋然性法益侵害の重大性・緊急性が認められる時しかできないのだから比較しても何の意味もねえだろ

tterakatterakaのコメント2018/07/15 14:26

同上。その「重大性・緊急性が認められる時」を誰がどうやって判断してんのって話だろうが。

現場が緊迫した状態で「とりあえずサクッと殺しとくか」って状況のほうがよっぽど冤罪が起こりえるだろ。

本当に、論点理解してないのはどっちだよ。

二階ブクマコメントも。

http://b.hatena.ne.jp/entry/367504186/comment/Zephyrosianus

正当防衛緊急避難としての犯罪者制圧による死亡と、刑罰としての死刑という理論構成実態も全く別の事を「国家による殺人」だから一緒だなんてクソ雑な非論理的思考は普通死刑廃止論者は想像もしないのでは?

ZephyrosianusZephyrosianusのコメント2018/07/15 09:50

「クソ雑な非論理的思考」とか、なんの反論にもなってないレッテル張りしておけば反論したつもりになってんのかな?

これが人道を解く立場人間が言う話し合いかね?

ヴィーガン肉屋襲撃よろしく原理主義的な信仰を感じるわ。

ダメなんだからダメ。お前らはバカなんだから従っとけ。」ってか。

トランプ大統領が生まれるわけだよ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/367504186/comment/tanukichi087

緊急避難正当防衛による殺人は、国家だけでなく個人にも許容されてる。それが成立は問題として、正当化理由のない死刑を同列に並べることはナンセンス

tanukichi087tanukichi087のコメント2018/07/15 13:16

これもとりあえず「ナンセンス」って言っとけば反論になると思ってるタイプ

殺人許容されてるって自分で言ってんじゃん!

緊急避難正当防衛殺人が認められて、国際ルールに基づいた戦争による殺人社会秩序を維持するための死刑がなんで認められないんだよ。

せめて全部反対しとけよ。

2018-06-27

無敵の人っていう考え方がもうすでになんか欺瞞じゃね

無敵の人」って言う言い方が、なんかこー、特異で異能個人がこの社会の中に存在してて、彼らが特殊で(社会的には決して褒められない)高い戦闘能力をもってるみたいなニュアンスで、問題矮小化してる気がしてしょうがない。だから彼ら個人断罪したりパージすれば問題解決するんですよーみたいな。

問題の中心はどっちかっていうと、被害者側におきたその瞬間にあらわれていて、「彼がトイレナイフを突き刺されたとき警察裁判所良識法律も(つまりはひっくるめて秩序が)被害者を1mmも守ってくれなかった」って、まさにそこがポイントでしょ。

まり無敵の人が強いわけじゃなくて、俺達が今まで強力で安定していると信じてきた、社会秩序みたいなものは、参加者合意形成された実はペラペラ脆弱ものだった――こっちのほうが本質でしょ。

秩序ってのは要するにオセロだの将棋だののルールに過ぎなくて、目の前に座った相手がそのゲームの対戦に同意している保証はまったくなくて、こっちが王手を指したら相手ボクシンググローブをはめたとかそういうのが現代社会では起きうるよって話でしょ。それは秩序というもの本質相手合意必要とする)に関わる問題で、解決もできなければ正解もない(無敵の人は別のゲーム参加者であって悪ではない)のが論点なわけで。

2018-05-17

anond:20180517125737

異性を獲得して好き放題ヤリたいというゲス欲望を叶えるための戦略として

男が進歩的リベラルな態度を取ることを選択するという入れ子構造がある

自分はここまで極端には捕らえていないけど。

社会秩序を維持する為か性犯罪者を罰する為か何か知らないけど。合意を得ていない性は被害者に対する屈辱であり、本人は大変な精神ダメージを受けるっていうストーリーが一方でありながら、実際結婚したら同じような事をするけど、それは屈辱でも何でも無い素晴らしい愛の形です。みたいなストーリーがあるというのも、大いなるフィクションだと思うんだよ。

ある種の進歩的意見として、公的性教育の無さと少子化を絡める議論があるけど。そんな訳無いだろうと。大部分の人は義務教育で金儲けの学習はしてないけど、殆ど自分でやっているんだし。少子化は別の主因があると考えるほうが自然だろうと。

2018-04-20

anond:20180420010300

???

ペドフィリアネクロフィリアには少なくとも「被害者」が存在します。

対象になった幼児死体損壊された家族たちです。

まり詳しくは知りませんが、露出狂フェティシズム性的暴行として刑法犯罪対象になっていますね。

また他の性癖でも、「ナルシズム(自己愛)」や「ディスモーフィリア奇形性愛)」「ジェロントフィリア(老人性愛)」などはそもそも性癖として社会的問題視されていません。

なぜかというと違法性がない(=社会秩序の維持に問題ない)からです。暴行などを伴わない限り、そうした性癖は全く自由に扱われています

anond:20180420005006

くそのとおりです。

研究により、同性のみが集団となる(軍隊男子校女子校のような閉鎖的空間)では同性愛だった人が、その場所から離れたら異性愛になるということも極当たり前にあります

そのあたりが法律に関連してくるのですが「ホモ排斥しろ」というのは特定人物を示しており、それは法律概論とは大きくはずれた行動になってきます

では「ホモセックス禁止しろ」「同性での恋愛感情禁止しろ」ということができるかどうかですが、これは近代法観点からとうてい認められることではありません。内心の自由侵害するからです。

そこで法律が出てくるのですが、すでに「強姦罪」や「傷害罪」はありますので仮に男性同性愛男性が(女性同士も)相手方危害を加えたのであれば罰則対象になります

逆に「ホモ排斥しろ」という理論で「人」そのもの排斥するという近代以前の行為になりますと、魔女狩り同様に無秩序社会状態を発生させることになります

少なくとも同性愛違法ではなく、当面の社会秩序の維持を阻害するものではないというところで差別されない立場になるべきという単純な話をしているのですが、なかなかうまく伝わりませんね。

anond:20180420002141

もっともですが、差別されているかどうかということの大きな根本にあるのが法律であるということから考えて適法違法かをはっきりさせることは非常に意味があると思います

例えば仮に同性婚合法化され、男性同士、女性同士がカップルとなり男女の夫婦と同じ生活を送るようになったところで何か社会的損失があるかということを考えれば「不快感」以外のことはまずないのではないでしょうか。

LGBTを他の性癖区別するのはまさにそこで、他の性癖の大部分は違法か非常に高いレベル倫理的問題があるのに対し、LGBTやその他の性別に起因するセクシャルマイノリティ社会秩序に何ら悪影響を与えることはありません。

社会秩序、というとおそらく公平性倫理観が絡んでくるので混乱を招くのかもしれませんが。

例えば「殺人罪廃止」ということになれば社会秩序は混乱しますよね。

そういった秩序維持にとって最低限度のライン罰則を伴う法律というふうに考えていただければ、LGBTなどの性別に由来した差別根拠がないということがわかっていただけるのではないかと思います

anond:20180420000536

そもそも必要から積極的に推奨していくべきとかそういうことを言いたいのではなく、

単純に社会秩序を少なくとも害するわけではなかろうから積極的構造的に差別とかしなくても良いのではってことでは

anond:20180420000511

現実社会秩序適法違法が一致してないとかそういう話ではないのか

本当にその不一致に問題意識を持ってるのなら、言っちゃ悪いがホモセックスがどうこうみたいな話からあえてはじめようとはしないでしょ。

個人的にはそもそもそれは社会秩序関係なかろうと思うし。

anond:20180420001637

それを言ったら男女のセックスも「社会秩序の維持」には全く意味がないですけどね。

やはり法律について詳しい勉強をされてきたことがない方のようですね。

刑法罰則を伴う法律は、それをすることにより社会的な損失がある行為について禁止をするもので、それをしたことにより積極的社会維持に役立つことについては全く定めていませんよ?

自身忌避感を持つということまでは否定しませんが。

anond:20180420000819

ホモに興味がない人に対して勝手な俺理論を喚く電波ホモが増えることで社会秩序劣化していく

これは個人の感想ですよね。

そもそもホモセックスであっても男女のセックスであっても、公共の場わいせつ絵画文書などが流れることはまた別の法律によって規制されています

あなた理論でいけば、違法性のないホモセックスをしている人に対して「勝手な俺理論を喚く電波な人増える」あなたのような人の方が社会秩序の維持には問題になりませんか?

まあもっとも極度なヘイトスピーチでなければどちらの言説も規制対象にはなりませんけど。

anond:20180420000705

法律有史以来一定のものではなく、時代要請により変化をしていくものです。

奴隷制度も身分階級制度もその時期には社会秩序の維持に必要として設定されていましたが、現在では不要ものとして撤廃されています

逆に言えばこれから社会秩序の維持をしていくために必要であれば法律が作られることになるので、現在では違法ではないが違法性が高いとされる事象ドラッグなど)については問題が新たになることで新しい法律が作られます

どうも法律について詳しく勉強されたことがない方のようなのでやや鬱陶しい説明になってしまいました。

もし立法歴史法律概論について熟知されていて、あえて未熟な議論を挑まれたということなら失礼しました。

anond:20180420000352

社会秩序のものの話ではなく

社会秩序の維持に必要かどうか、だったはずなんだが読めないのか

anond:20180420000142

勿論そういう話ではないんだろうけど、

社会秩序適法違法がそんなに簡単完全に一致関係にある形に立法されてたらいろいろと苦労しないんだがなあ……

anond:20180419235926

残念だけど違法適法化は私が決めているわけじゃないからね。

社会秩序の維持に必要かどうかということで決まっているってことでしょ。

仮にペドとかネクロフィリアとかが違法ではないということになっても、それはLGBTみたいに「性別差別されている」ということは全く種類が異なるからそれはそれでまた活動すればいいんじゃないの?

2018-03-11

anond:20180311222039

現在結婚には税制年金などの優遇があるため、同性婚を認めることで社会秩序乱れることを懸念するから

金銭的な優遇無しだったら反対ではない

2018-03-04

無心論をカミングアウトした若者テレビを退場させられた話

宗教社会の秩序となるような国に生まれなくて本当によかったと思うわ

正直、君が代国歌として維持しつつけるのもどうかと思ってたけど、天皇を中心据えた社会秩序ってかなり穏健で機能的なものだったんだな

これって誰かが気づいて信仰に基づく宗教社会秩序から排除してそうなったの?明治維新だっけ?歴史よく知らんからわからんけど。

もし、未来を見通して普遍的宗教戦争から切り離された国づくりをって画策した人や団体があったなら

銅像が立てられるべきだろ

一体誰がそれにあたるんだ?

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