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はてなキーワード: 理想主義者とは

2014-10-04

ガンディーやキング牧師偽善者・お花畑といって叩く人などいないように、

多くの日本人あくまで雲の上の人として持ち上げる場合に限っては、理想主義者であっても構わないのだと思う。

しかし身近な同時代日本人理想を語るのは許せないから叩く。

2014-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20140520212737

面白い趣味の人だなあ。

親が共産党員自分共産党支持だから共産党関係の人は子どもの頃から何人か知っている。

純粋な人、長期的な日本未来について考えている人、理想主義原理主義的な人が多い。

・とはいえ、支持者の中でも、人によって考え方も属性もさまざま。

この部分は「ああ、たしかにそうだよねえ」って思う。母親の友人(共産支持)とか本当に普通のおばちゃんたち。近所の保守的なおばちゃんや公明支持のおばちゃんたちと全然見分けが付かない。でも、活動を支えている人たちは地味に理想主義っぽいところがある印象。

自民党のケースは経験がないからからないけど、地道な理想主義者もいるのじゃないかなあ。

 

自民党の支持者に「短期的な自分利益を重視する人が多い」などということだけれど、仮にそうだとして、それは政権党万年野党という立場の違いによるスクリーニング効果じゃないかなあと思う。

そもそも、共産党選挙事務所主体的に関わるぐらいのことは損得勘定抜きでしかやれないというか。得する方向がみじんも見えない。

これは別に共産党左派からということじゃなくて、たぶん民族主義右翼とかの政治運動でも、街宣などの商売を除く純粋な部分はそうだと思う。自分の持ち出しで運動を支えるタイプの人たちね。

2014-01-28

理想現実

成人とアラサーの間で学士入学大学生彼氏無しでオタク腐女子。付け加えれば処女

スペックだけ書いたら「わーお素晴らしい事故物件だね!」と自画自賛できる状況。

考えてみれば母親は私の年齢の時点で既に父親と同棲状態にあり、数年後には私が産まれている頃だ。

周囲の社会人の友人たちはそれぞれ婚活に手を付け始めたり同棲したりと、着実に「結婚」の二文字へと歩みだしている。

今の状況を整理して、「世の中にはこんな面倒くさいやつもいるんから未婚女性の皆さん安心してね」というエールにしたいと思う。


予め言っておけば、私は喪女ではない。

初めての彼氏中学生の時に出来た。

頭の回転も早く、オタクとしてもジャンル被りをしていたために会話は弾み非常に有意義時間を過ごしていたと思う。

その当時の私といえば某週刊漫画誌に連載していた超人しか居ないテニスマンガの有名カップリング同人を描き始めた頃で、男が絡み合っている絵を描いては友人たちとニヤニヤして楽しんでいた。

そんな時でも彼氏はいたのだ。今思えば不思議でならないが、田舎の小さいコミュニティに男女がいればこういうことも起きたのかもしれない。

別れたのは別々の高校に進学することが主な原因で友人にもそう説明したが、実はもっと大きな理由があった。

お互い高校にも受かり(このずっと前から別々の高校に行くことはお互い知っていた。お互いの学力レベル的に地元男女共学は余りにも下過ぎたためだ)、これでしばらく穏やかにデートできるねーと校内のとある場所で2人っきりで話した。

その時、まあ簡単にいえばセックスしないかと言われたのだ。

私は断り、更に相手を殴り、そしてそのまま家路についた。

卒業も迫った時に初めてのセックス少女漫画だとよくある話だ。少女向けエロ漫画だともっと日常茶飯事だろう。

別に私もそういうエロ漫画を読んだことがなかったということでもないし、そもそも男が男の尻に突っ込んでいる絵を描いてあまつさえ売っていた人間だ。

何で殴りまでして逃げたのかというと、私にとってセックスというもの二次元であり、美しい人達がするものであると固く信じていたからだ。そして責任を持った大人がするものだ、ということも頭に叩きこまれていた。

前者は恐らく少女漫画が原因だと思う。当時は小学生向け雑誌ですら(ガッツリ行為は抜きの)ベッドシーンが描かれていたのだ。そして時代的にBL美少年たちがお互いを求め合うのが大多数。

そんな綺羅びやかな世界を見続けた後に風呂に入る。鏡に写るのは長くもない太い足と、がっちりした肩と、くびれはあるが出っ張りも目立つ腹と、凡庸かつ確実に美しくもない顔。

唯一漫画と同じなのは胸だけだった。それだけは未だに人並み以上にはあるのだが、それも私の現状の悪化の一因となる。

とにかく、美しい世界で繰り広げられる行為自分に照らし合わせることがどうしても私には出来なかった。喘ぎ声だってあんな可愛いものではなく怪物の鳴き声のようだろうきっと。苦悶の表情は相手を萎えさせるだろう確実に。

そんな人間セックスなんてものをしていいのだろうか?おまけに相手は大好きな人だ。そんな人にそんな姿を見られて嬉しい訳がない。

これが断った理由だ。

後者母親から教育が原因だ。

そもそも当時から今まで、私は自分彼氏がいたという話を一度もしたことがない。

というのも、中学、いや小学校高学年ぐらいか。それぐらいからこういう話を私に言い聞かせ続けた。

恋愛大学生になったらしなさい。人生を決めるのは大学なんだから、それまでは男にうつつを抜かしていたら、その時は幸せかもしれないけど将来幸せになれない」

(「じゃあオタク趣味はどうなんだよ」、と思う方もいるかもしれないが、母はその昔某星座守護に持つバトル漫画BL本を出しておられたお方で、「オタクは家に籠もるからよろしい。いつでも勉強できる」という考えだった)

ということで初めての彼氏が出来たという嬉しさを自宅に帰るたびに忘れることが日課となった。

そして昔から性教育も、モロな話をする訳ではないが学校で話が出た頃から教えてくれていた。

女の子の身体は大切にしなきゃいけない」「妊娠リスクを頭に入れておかなきゃいけない」「一番大変な目に合うのは女の子から、相手はちゃんとした人を選びなさい」

極真っ当だ。今でもその通りだと思っている。

からこそ、私は彼氏を殴った。

私は高校生になる前の、未来が拓けるところまで辿り着いていない「大切な身体」。

お互いまだ若く、「リスク」を受け入れられる環境ではない。

そんな私を「大変な目に合わせる」のか、この男は。

彼が私にいつものようにキスをし、それで終わるのかと思いきや教室で押し倒した時の一瞬でこの考えが頭の中を駆け巡った。

次の日、彼は私に殴った理由を尋ね、上記の回答をすると「こんな面倒な奴とは思わなかった。別に1回ぐらいいいだろ」と言ったので今度は引っ叩き、そのまま別れた。


ここからしばらく私の人生彼氏は登場しない。何故なら女子高に行ってしまたからだ。

次に現れるのは最初の、現役での大学進学の時である

初めて自分用のパソコンを買ってもらい、案の定ずぶずぶと深みに嵌った私は案の定とある掲示板オフ板に嵌ってしまう。

オフに来るようなのは大体男ばっかりだったが、萌えアニメにもブヒブヒ(当時は萌豚なんて言葉も無かったが)言うような両刀に育ってしまったために、むしろ普段つるむ腐女子たちの時と同じぐらい楽しく会話ができた。

私が出入りしていたのは新規歓迎なオフスレメンバーの流動も多く、知り合った人が顔を見せなくなったりなんてことは日常茶飯事だった。

それでもやはり数名のベテランもおり、そういう人と一緒の時は盛り上げ方も上手く楽しい時間を過ごせた。

そんなベテランが居た時のオフで知り合ったのが次の彼氏だ。

最初経験で気軽に男に近付いてはいけない、そして2chで何度か手痛い失敗をした経験からネットで知り合った人間個人情報を気安く教えてはいけない、とオフ初心者の割にはガードが固めではあったと思う。

なので勿論最初はただ楽しく話をするだけの相手止まりだった。

しかしその後、活動時間が似ていたのか何度かオフで遭遇し、そのたびに会話が盛り上がり、遂にメアド交換もし、直接会うことも多くなっていった。

同い年で大学も近い。講義後に待ち合わせてお互いの大学学食で一緒に御飯、なんていうリア充のようなことだってした。

何度目かのデート(もうそういうものだっただろう)で、「これ」と小箱を渡された。

開けると指輪。そして小さな紙に“結婚を前提にお付き合いしてください”の手書きの文字。

こんな映画みたいなことが自分に起きるのか、とその時は思わず泣いてしまったのを覚えている。

最初ネットで知り合い、「あのアニメエロ同人、あのジャンルとあのジャンルの有名サークルが出すらしいから手分けして並ぼうぜ!」と3日目を一緒に戦い抜き、

「お前のBLを受け入れるから代わりに百合を受け入れろ」と互いに譲歩し合い、

「ああ、この人とだったらたとえ老人になっても今期のアニメはどれがブヒれるか語り合え続けるだろうなあ」といつしか思うようになっていた。

ここまで見ればハッピーエンドだ。勿論そうは終わらない。

またしても私の頭が邪魔をした。


いいだろう。彼を生涯の伴侶としよう。私は幸せに一生を過ごすのだ。

…本当に?

薄々目を瞑っては来たのだが、彼と私は趣味以外が全くと言っていいほど噛み合っていなかった。

彼は喫煙者。私は嫌煙者。

バイトで溜まったお金フィギュアゲームになり、依存レベルではないが幾らかは馬に消えた。対する私は大のギャンブル嫌い。

ドラマ映画も糞、アニメが至高の文化」と公言する彼に対し、そこそこドラマ映画も見る私。

記念日に一緒にちょっと高い店で食事をすると、彼はいつも肘をつきナイフフォークの順番を気にせず使い、店員にはタメ口で話す。有難いことに食事のマナーは教えこまれて育ったために、それがいつも気になって仕方なかった。

そこでまた頭の中で考えが巡る。

「私は大切なこの体を、趣味時間を一緒に過ごすのが楽しいはいえ、それ以外何にも私と合っちゃいない人に預けてもいいのだろうか?」

「この先彼からホテルなり何なり誘われた際に、処女を捧げてもいいのだろうか?」

やはり頭に浮かぶのは性の問題だ。

その頃から既にネット上では処女が一番、それ以外はビッチで貶すべきである」という不文律が出来上がっていた。

その考えと今までの教育合致したために私の頭は両者を受け入れ組み合わせ、「結婚する相手じゃなきゃセックスしちゃいけない。もし別れでもしたら次に付き合ってくれる男性が居なくなってしまう」と考えるようになった。

その条件ならば彼はしても良い相手になる。だが上記の不満点を考えれば、彼とこれから先一緒に暮らすことなど到底出来ない。

何となく一緒に遊びには行くけど、という曖昧関係のままだったためにお互い手を繋ぐぐらいのことしかしていなかったのがある意味では幸いだった。

一度悪い結末を脳内で描けばもう元には戻れない。

私は一気に冷め、数日後指輪を返し「ちょっとこれ以上は無理」と別れを告げた。

理由を訊かれたが誤魔化した。本当にいい人なのだ趣味以外の部分を除けば。だから傷つけるようなことは言いたくなかった。


この2回の経験で私は、いかに自分が面倒くさく、幼少の教育人生の根幹に染み付いて離れず、そして妥協ができない理想主義者であることを思い知った。

この世に完璧王子様なんて居ない。そんなことは少女革命ウテナでとうの昔に学んでいる。

それでも私は出来るだけ理想的な人と添い遂げることを夢見てしまう。

でもきっと本当は、駄目なところすら受け入れるというのが本当の恋愛というものであり、結婚というものなんだろう。

実際私だって他の人から見れば完璧ではないのだ。そんなことは毎日風呂場で鏡を見るたびに思い知っている。

そんな私が誰かを否定できるような立場にいるはずもないのだ、最初から

それにネット世界意見を全て鵜呑みにしているのも悪いのだろう。

世の中の人間が全て非処女を嫌うわけでもないのだろうきっと。再婚する人だっているんだから

だとしても少なくとも非処女ビッチと蔑む人は確かに存在し、そして私は他人から蔑まれる側に自ら望んで行きたいと思うほどマゾでもない訳だ。

それを知ってしまうと更に私は守りを固めなければいけない、と思ってしまう。

この後も数人、現実世界ネット世界出会った男性と付き合いもしたが、凝り固まった私の頭のフィルターに全員引っかかっては消えていった。

成長してそれなりに化粧も覚えたり社会に出たりするも、結局顔は未だに凡庸で身体も残念。ただし胸だけはあったためにそれに引っかかる男性の多いことも知ることが出来た。

こうして更に私の脳内メモ記述が増える。「胸が目立たない服を着た時に残念そうな顔をした男からは即刻逃げろ」。


そして、今だ。

振り返ってみれば、もう今更どうしたらいいのか逆に分からなくなってしまった。

私はただ、この先ずっと一緒にいても良い人となら付き合いたいし結婚したいし、処女じゃなくなってもいい。

しろビッチにでもならなければこの理想主義も治りはしないのではないか。

こんな重たい考えの人間なんて誰だってお断りだろう。私だってこんな自分が嫌だ。

誰かの素敵な伴侶になれる人を私なんかの相手で時間を使わせるよりは、私が一人で生きていったほうが世の中のためにはなりそうである

幸せなことにオタクとして、腐女子としてはずっと楽しい毎日を過ごして来られている。知り合えた友人も多いし、有明に本を出す側になってもう長くなってきた。

自分を大切にして幸せに生きる」、ということだったら私はちゃんとやり遂げられている。だから、このままでいいのかもしれない。

「年を取ったらどうするの」とか、「病気の時はどうするの」とか、一人でいることに限界が生じる未来は確実に来るだろう。

その時までに私が理想を諦めるか、理想がやってくるか、今はまだ結論を保留にしておきたい。

2013-10-14

テスト書きすぎ問題

テスト有益である理由をいくつも挙げ、必要以上の時間を割きすぎる問題は絶対にある。なんでもやり過ぎは禁物であり、理想主義者が「この辺までテスト書くのが理想」と納得するまでやってたら、実際時間がいくらあっても足りない。

いつまでもテストを書いていて、製品ができ上がらないのは本末転倒で最悪だろ?個人的にだけど、そういうプロジェクト実際に知ってる。

2013-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20130929171934

コウするな!アアするな!って事情も聞かずに頭ごなしに彼女たちを否定してきませんでしたか

元増田自身、親からあらゆることについて強制されて育ちませんでしたか

思い当たる節はあります。親が理想主義者であったのは確かです。

交際相手の長所短所も「何故そうするのかな?」って、興味を持って

それとなく事情や訳を聞いて、掘り下げていって理解し合って行ってはいかがでしょう?

本当に好きな人の事って、すごく興味が湧くんだけどなぁ。

そうですね…。その通りだと思います。でもひょっとしたら私は「本当に好きな人」自体がなかなか現れないのかもしれないですね…。どういう人が「本当に好きな人」なのかわからないのです。惚れっぽいのですけど、その気持ちが深まらない感じですね…。

2013-06-13

障害児を産むのが恐い

10代の頃まで、私は負け組だった。

家は貧乏。成績も悪い。母は醜く太っていて、私もそんな母に似てやはりデブだった。

高校1年生の時、初恋の相手にこっぴどく振られた。そこで奮起した。

まずはダイエット。徒歩だと片道1時間の通学路をバスを使わずに走って登下校することにした。昼食も抜いた。

おかげで定期代と昼食代が浮いた。そのお金で服や化粧品を買った。

勉強も頑張った。苦手教科はバイトしたお金予備校に行った。

そんなわけで、かつてデブ・ブス・バカだった私は、中の上くらいの容姿と、中の上くらいの国立大学生という地位を手に入れた。

今ではそれなりの企業就職し、結婚約束した彼氏もいる。

早く結婚はしたい。ただ、子どもを産むのは恐い。

もしも産まれたのが障害児だったら、今までの努力が全て無駄になってしまうからだ。

せっかく苦労して手に入れた幸せ、絶対に壊したくない。

私の弟は障害者だ。

弟のことは、もちろん家族として好きではあるけれど、同時に恨んでもいる。

弟が健常者なら、母は仕事をやめなかっただろうし、仕事をやめなければうちは貧乏ではなかっただろうし、母も食事や身なりに気を使っていただろう(若い頃の母の写真を見たことがあるが、今の姿から想像もできないほど痩せていて綺麗だった)。

好きな人の子どもは欲しい。子だくさんのあたたかい家庭を築いてみたい。

でも、どうしても障害者が産まれてしまう可能性を考えると決心がつかない。

障害者が産まれた場合、施設に永久に預けて親権放棄できる制度が出来ないだろうか?と本気で考えてしまう。

こんなことを言うと理想主義者に批判されるだろうけど、障害児は周りを不幸にする。これが現実だ。

家族から自由と金自尊心を奪う。

産まれてすぐに判明すれば、籍を入れずに赤ちゃんポストを利用すればいいだろうけど、知的障害などで数年後に発覚した場合はどうしてもない。

障害児と縁を切れる法律を作って欲しい。そうすれば、3、4人産んでもいい(幸い今の会社は、産休育休制度が整っている)。少子化だって少しは解決するんじゃないだろうか。

2013-01-26

イケダハヤト氏の文章を不快に感じる人がなぜいるのかまじめに考えた

イケダハヤト氏の文章がなぜ不快なのかをまじめに考えた - GoTheDistance」

http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20130126/1359170899

このブロガーさんは、日本の腐りきった SI 業界で頑張っている人なので、あまりこういう流行ものネタには手を出してほしくないな、と思いつつも。

私は、イケダハヤト氏を少しも不快に思わないばかりか、むしろ彼の社会の新しいトレンドを見抜く異常なセンスのよさに感嘆しているのだが。

からいままで、彼に絡む人たちの気持ちが理解できなかった。

だが上の文章を読んで少し理解できた気がする。

イケダさんは、現場にいるベテランたちから嫌われているのだろう。

現場ベテランは、イケダさんを「サラリーマン生活も満足につとまらず、いまは家に引きこもってブログを書いているだけの若造」と頭から決めてかかっているのだろう。

イケダさんが何を言っても「現場じゃそんなことはない」「そんな話は非現実的だ」とすぐにケチをつけたくなるのだろう。

確かに現場経験重要だ。だけどそれは至上のものなのか?

日本人伝統的に、理念より経験重要視してきた。大学教育より OJT が重視されてきたのもその現れだ。そういう意味イケダハヤトさんは、まさに理念のものであり、唾棄すべき対象ということになるのかもしれない。

しかし、それで本当にいいのだろうか?20年前に日本が名実ともに先進国の地位を確立したあとに、経済成長が止まってしまったのは、日本人現場経験を超えた理念世界について、真面目に考えることを怠ったからじゃないかな。日本人には欧米の真似はできても、それを超えることができない。本質論を語れないからだ。イケダさんのブログはいろいろヒントになる話があると思うけどね。

最近、イケダさんをからかっていた Y 氏は、日頃から名誉毀損的な言動を繰り返しているのだが、誰も彼を咎めようとはしないのは不思議ものだ。Y氏は自虐的でおどけた立ち位置を取っているから許されているのだろうね。日本だど「俺、バカっすから〜」と頭の良さげなところを見せない人間が好かれる。一方でイケダさんは、神経質ぽく見えるルックスとあいまって、賢しげにしている可愛くないやつという認識で叩かれたりするんだろうね。

イケダさんには頑張ってもらいたいものだ。ただ、本当に嫌になったら、外国移住してもいいかも。日本理想主義者には生きづらい国だ。こうしてきちんと理念を語れる若者たちを追放し、日本ますます老人だらけのしなびた国へと衰えていくのだろう。自業自得ではあるが。

2012-11-13

オタクってある意味現実主義者から

http://anond.hatelabo.jp/20121113174819

理想高い萌えキャラとかを愛してる姿から一見理想主義者のように思われがちだが

そのへんの女にちょっとでも優しくされるとすぐころっと好きになっちゃうのがオタク

オタクって一回現実見せられてるんだよ。虐げられ蔑まれ、そうしてオタクになっていった人が多い

そういうオタクからみた左翼って(海外左翼は知らないけど)日本のそれは理想主義に見えると思う

オタクからするとちょっとって思う所あるよね。政治リア充って感じ

2012-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20121022000540

まあ、ぬるぬるアニメだけ見れればいい連中が理想主義者なわけがない、っていうのはみんな言ってることだよね。

http://anond.hatelabo.jp/20121022000540

アニメ好きな人って基本的に理想主義者じゃないの?

これがまず違うよね

話はちょっとズレるんだけどさ、アニメ好きな人というか虚構消費系のオタクの人って、そうじゃない人よりも、「虚構と現実の区別」にうるさい気がするんだよね

で、「現実世界理想性の対局にあるものであり、理想は主に虚構世界に求めるもの」というような基本姿勢があるように思える

なので、政治立場はさておいて、虚構オタクには現実主義的というか現状追認的な人が多い感じがするね

ラーメン好きな保守右翼って意味わからん

http://anond.hatelabo.jp/20121022000540

ラーメン好きな人って基本的に理想主義者じゃないの?

というかある程度理想主義者からラーメン好きになったんじゃないの?

なんたらかんたら

保守右翼って原理主義的には現実コストパフォーマンス主義者っしょ?

現実主義者が一杯\850のラーメン楽しめるの?

アニメ好きな保守右翼って意味わからん

アニメ好きな人って基本的に理想主義者じゃないの?

というかある程度理想主義者からアニメ好きになったんじゃないの?

んで理想主義者リベラル左翼じゃん

保守右翼って原理主義的には現実主義者っしょ?

現実主義者アニメ楽しめるの?


Twitter酷使様的発言してる奴にアニメアイコンが多いのがまったく理解できないわ

どうやって自身に内在する一種の矛盾を処理してるのよ?

2012-07-03

別に東海という名称は確かに朝鮮半島から見て東にあるわけだし、それはそれでローカルな問題としては構わないと思う。ただ、それがグローバル世界の共通認識を変えるに値する問題かと言うと、北海とかインド洋とかですらそうなってないんだから日本海ふぜいが世界中の手と頭を煩わせるに値するわけがないよね。

という話はもう既にいろんな人が言ってるんだけど、歴史的にもあの辺の人々はかなり重度の理想主義者で、現実がどうこう、歴史がどうこうって話を聞いてくれる感じの人々じゃない。だからもっと彼らの議論に添った形で「世界中東海と呼ばしめるのは不可能だ」という結論に至らせてあげないとダメだと思うんだ。

でも結局理想ありきで、それが実現されていない世界のほうが間違ってるっていう解釈をしちゃうから相手をする意味が無い。

全く面倒なお隣さんだ。

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ

村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。

靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。

私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」

シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」

終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。

1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)

1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)

近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」

オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。

オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」

はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。

バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。

「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」

その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。

アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」

地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である

「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」

執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。

この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。

そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。

走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。

数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。

蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

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2011-08-22

異性の好みを探る簡単な方法カローラ編)

これは私の長年の統計学経験論なのだが(つまりいい加減てことですね)

異性の好みや接し方を簡単に推測する方法がある。

それは、

「どんなカローラが好き?」

って聞いてみることだ。

補足1

カローラ」と「異性のパートナー」というのは重要な共通点がある。それは、いずれも「人生のある時期、思い出を共有した同志である」ということだ。こういう同志に対して情がわくか否か、薄情になれるか否か、が共通するというのは、ある意味科学的にも真理なのかもしれないと思う。トヨタ自動車にとってのカローラも同じである。今はプリウスが後釜におさまっている。

好きなカローラは?と聞いて「アクシオ」「フィールダー」(但しラグゼールとGTとZエアロツアラーを除く)を挙げる人は、かなり保守派だ。

堅実派、浮気しない人、安定した職業についた人を好む傾向がある。

また平均的な異性を好む。必ずしも美人(イケメン)である必要はない。逆に派手な異性は苦手。

 

ラグゼール」あるいは「ビレットバージョン」「シンプレア」「セレス・マリノ」等豪華グレードや4ドアクーペ特別仕様車で挙げる人は、

基本的にブランド志向なので、他人から見て自分恋人がどのように見えるかをとても気にする。

男性なら高収入医師弁護士などの職業が優先事項。ルックスは良いに越したことはないがそれよりも財力と権力(役職とか)

女性ならモデル体型で背丈があり、彫りの深い顔立ちが有利。

 

「アクシオGT」「Zエアロツアラー」「ルミオン」を挙げる人は、

女性なら体育会系のがっしりした男性を好む。自分より背の低い男性は基本NGマッチョOK

男性ならバストの大きさをとても気にする。基本的に巨乳好きというか貧乳は許せないタイプである

「シエロ」とか「AE111の後期GTで6MT、スーパーストラット移植も考えたけど車高調のラインナップないからやっぱマクファーソンのままがいいよね」とか「TE37型といってもホイールじゃなくてカローラレビンの型式のほうね。TE27もいいけどやっぱサンナナがたまらんわぁ」とか「100系スパシオが好きで20バルブエンジンとC160ミッションに積み替えてサーキット走ってます。他にミニバンとして使う用にもう一台同じ色のスパシオがガレージにあります」とか「20バルブもいいけどAE92後期ヘッドの方が自分でいじるにはいいよね。ボディは71セダンが最高だね」みたいな一般人はあまり知らないような特定の固有の型式を挙げる人。こういう人はあまり特定の傾向がなく、好きな異性タイプピンポイントである。たとえば女優のAは大好きだが(顔の似ている)Bは生理的ダメ、とか言うことがよくあるのでその微妙な違いが他人にはよくわからない場合もある。ただし好きなものはとことん好き、という人である

 

また、特に男性場合、車の扱い方と女性の扱い方はとても良く似ている。

新車にこだわる人、これは処女にこだわる。中古ばかり乗っている人はその点はおおらかである

ただし中古といえどAE86の低走行車を血眼になって探して小さな傷ひとつまでリペアして新品で手に入るパーツは交換しまくってピカピカにしちゃう偏執狂は処女厨である可能性がある。特に3ドアパンダトレノ前期にワタナベと角フォグ入れてるようなヲタには特に注意が必要だ。

ひとつカローラに長く長く乗る人。これはパートナーの異性をとても大事にする。基本浮気はしない。女性場合は重すぎることも。

頻繁にあれこれとカローラを乗り換える人。こういう人は異性も簡単に乗り換えるし浮気が多いので要注意である。きっといまごろプリウスに乗ってるタイプ

カローラを洗車ばかりしてる人や、内外装に飾り付けをたくさんする人は、ある意味独占欲が強いのだろう。暴力傾向があるのでこれも要注意。パートナーをとても大事に(誰にもちょっかいを出させない、縛る)するが、ひとたび浮気でも疑われると暴力沙汰になりたいへんな思いをする。

補足2

レビトレやFX乗るのは基本的に走り屋である。普段あまり構ってくれないが夜はスゴい。しかシビックシルビア選ばないあたり少しひねくれもの

カリブが好きというのはできるだけ新車に近い年式で最後のAE系でワゴンを選びたいというちょっとオサレな拘り派。サブカル女、サブカル男がぴったりである

TRD2000という人はめぐり合えるはずも無い王子様を夢見る理想主義者。憧れるのは分かるが足元を見よう。

ヴォルツはリア充ちんこもげろまんこふさがれ。

アレックスランクスはふつうのひと。(ただしTRD Sports Mは変態なので除く)

TE27は古風な考えの人が多いがレビンJは例外でちょっとハズしてるタイプが好き。例えば少しだけぽっちゃりしてたり顔の一部に特徴のあるファニーフェイスとか。

AE100系USDMはDQN

Will VSが好きな人YUKIのファンか変質者か宇宙人。きっと悪い人ではない。たぶん男ならアーガイルニーソのみを身に着けた女性が好きだろう。

ZZT231やAA63やAT170、AT210、AW11などカローラ選べばいいのにシャーシ違いを選んじゃう人は眼鏡萌え

 

 

※ これは下記のエントリパロディです

http://anond.hatelabo.jp/20110816191339

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