学校で進化論をはじめて学んだとき、死ぬのが怖くなりませんでしたか?私は考え始めると止まらなくなました。そして今もその恐怖から逃げられずにいます。
進化論によれば、我々の感覚は進化のメカニズムによって調整されてきたといいます。我々に痛覚があるのは痛覚がないよりも生存に有利だったからだし、セックスが気持ちいいのはそうでない場合より生殖に有利だったからです。他のあらゆる感覚も、神の見えざる手によって、利己的な遺伝子に都合がよい塩梅に調整されています。
ですが命が消えていくその瞬間の感覚はどうでしょう?死にゆく個体がなにを感じていようと遺伝子の戦略には興味のない話。関係式は成り立たず、解は不定です。つまり、死は人間にとってとんでもない苦痛を伴うものである可能性がある。
私たちを安心させる話として、死の淵から帰還した人たちが語る臨死体験があります。死に際に脳はありったけの脳内麻薬を放出するから、人はみな幸福に包まれて死んでいく、恐れる必要はないのだと。
けれど、私の友人であった薬物常習者が語ったところによると、強烈なドラッグほどその切れ際にくる反動はキツいものなのだそうです。涅槃に登るほどの多幸感からのジェットコースターの苦しみ。それはいかほどのものだったでしょう。
脳内麻薬の効果が切れ、人の魂が肉体から離れようとするその瞬間、肉を少しずつ剥がれるような肉体の苦痛と、家族をいちどに失うような精神の苦痛を、永遠のものとして感じ続けるとしたら。有史以来、この世に生まれ落ちた生命がみな、煉獄の火に焼かれ続けて死んでいったのだとしたら。その全ての苦しみを背負える魔法少女など存在しないのです。
きっと運動と野菜と瞑想だけが私を救うのでしょう。でもそれはただの気分で
誰か私を安心させてくれませんか。
死者の声に耳を傾けなさい それと死に顔を見てみなさい 神より
瞑想理解してるなら黙って瞑想しとき。仰臥禅(寝っ転がって呼吸と体内の感覚だけに集中する)もいいよ。 「正しいこと」を担保する主体が、昔は誰か正しいことをいう人が正しいと...
心配しなくても お前の魂はもうない
なぜ安心する必要があるんだ? 安心したい、という気持ちに我々を誘導する利己的遺伝子のためかね?