今回の騒動で批判派は口々に、議論に混乱をもたらす、と言っているが。
議論をスムーズに終わらせたいのなら、必要なのは事前の根回しだ。
熱心な水面下のロビー活動を通じて密かに賛同者を集めることで、自分たちの要求が通りやすくなる。
名声を得たオピニオンリーダーはフォロワーの期待を受け、彼らの信じる主義主張を先導する。
配下の信者はリーダーを後押しして力となる。代わりにリーダーは彼らを背負う重圧を負う。有形無形の守るべきものを囲う。
リーダーは自分と党派のイメージに気を配らなくてはいけない。対人論法の犠牲にならないように潔白に振る舞うのだ。
ここでは誠実さが信頼の土台になる。その先にあるのが、党派の勝利だ。
まったく逆を行うとどうなるか。
二つの仮面を着け外ししながら、クルクルと主張を変える。恥をかき棄てて、人々にどう思われるかなど気にせずに、軽薄短小に振る舞う。マッチポンプをフル稼働させて界隈をアジテートする。議論のエネルギーを供給し続ける。
論者は、頼られなくなるだろう。代わりに、論の内容が重要視されるようになる。誰についてるか、味方が何人かなどが説得力にならないから、主張の本質で勝負するしかなくなる。
正反対の二つの視点から物事を見ることで、片方からでは見えなかった何かが浮かび上がってくる。相手の話の妥当な部分を受け入れ、自分の説の弱い部分にアッサリ見切りをつける。そうして議論は深まるだろう。
激しい論戦の末に生き残った理屈は、人間にも時代性にも独立になる。あらゆる視座をくぐり抜けてきた理屈は、高い説明可能性を備える。老人にも子どもにも説明できるものになっているはずだ。
検証可能性が唯一、正しさを支える。