はてなキーワード: 志摩とは
○朝食:なし
○昼食:ごちゃにチキンカレー(麻薬が入ってるんじゃないか? ってぐらい美味い)
○調子
昼まで寝て、カレーを食べに出かけて、来週の食材を買い出しに行って。
○賭ケグルイ1〜7
○賭ケグルイ双1〜4
○賭ケグルイ(仮)1
本編2巻の猫語のシーンをツイッターか何かで見かけて興味があって購入。
女の子が色々な漫画独自のギャンブルで勝負をするかなりシリアスな漫画。
こういう独自ゲームを扱う漫画は、それこそ嘘食いもライアーゲームも好きなので、これも楽しく読めた。
このキャラは普通の人と勝利への価値観が違いすぎるせいで、ゲームがしっちゃかめっちゃかになっていくのが堪らなく面白い。
巻末の広告によると、生志摩さんのスピンオフもあるらしいので、そちらも楽しみにしていよう。
○桜Trick1〜7
4巻ぐらいまでは紙の本で読んでたんだけど、色々あって読めてなかったので、これを機に電子書籍で買い直した。
人が人を好きになる様っていうのは、読んででいて楽しくてほんわかしてとても好き。
中でも、恋人同士でありながら手を繋ぐのすらドタバタ騒ぎになる、るなと玲のカップルは微笑ましくてよかった。
○ルーツビア
最近流行りのグルメ漫画なんだけど食材とか調理よりも、それらに向かう食べる人自身の意思を描く系漫画。
(なんか言葉がうまくみつからないけど、孤独のグルメみたいなやつ)
よくわかる、チェーン店いいよね。
僕が人生で一番面白いと思った漫画「クロスボーンガンダムゴースト」と、
二番目に面白いと思った漫画「クロノアイズ・グランサー」を書いた漫画家長谷川裕一の代表作。
代表作なんだけど、まだ読んでなかったのです。
とにかくすごかった。
もちろん「面白かった!」んだけど、それ以上に、もう作者の強烈な熱意にあてられてクラクラする。
9巻408Pの
何事も一足飛びには変わりません」
のくだり。
どうして強烈に今を生きることを肯定し、全体を俯瞰し上から支配することを、こんなにも強い熱量をもって語る同じ作者が、
志摩市の海女の萌えキャラ騒動は個人的には全く興味がなかったので全然経緯とか追ってないんだけど、そういえば新潟県粟島の「泡姫ちゃん」ってゆるキャラが騒ぎになったよね。
一瞬ネットで大騒ぎになったけどすぐに下火になっちゃったから、検索するとその時の記事ばかりが出てくる。ちょうど2年前だったんですね。
もともと自治体の公式キャラじゃないから新潟県や粟島のサイトには載っていないし、温泉施設の公式サイトも無いようなので、まだ現役なのかどうかも分からない。
便りがないのは元気な証拠っていうけど、少なくとも表向き変な団体に目をつけられたりした気配もなさそうではあるけど。
誰か知ってる人いないかな。
横だけど、太秦萌の初期案は、自分の目には萌え絵に写るし、これが公式キャラとされるのは正直キモいと感じる
リファイン後はキモさが綺麗に一掃されていて、公式キャラとしての抵抗も少ない
(ただし 、萌え絵ではなくてもアニメ絵ではあり、アピール方向が限定されてるなーというのはまだ感じる
今時アニメ絵がわからんという人は、40代以下なら少ないだろうから、限定と言っても大したことは無いけどね)
ここの言語化は本当に難しいが、強いて言うなら「俺の嫁」感というか… 目つきとか表情なんかが、エロゲの女の子のそれに近いというか…
原因の一つは、絵の作者の技量が足りていなくて、そういうテンプレ的な表現しかできないという部分にもあると思う
蒼志摩メグも最近のポスターを見たら、乳袋が目立たなくなっているのに加えて、表情や動きなどにテンプレ萌えエロ絵感がなくなって、健康的な感じになっていた
あの路線で行くならそこまで悪くないように思う
逆に言うと、蒼志摩メグを太秦萌えに比べて性的と感じるのって、萌えエロの文脈に結構詳しい人だけかもしれないとも思うんだよね
そういう方面に馴染みのない市職員なんかは、あの絵の性的アピールポイントが素で分からない可能性あるんじゃないか
それとも、あまり萌え絵のことを知らない人も、蒼志摩メグは性的だと感じるのだろうか…そのへん、オタクじゃない人に聞いてみたい
蛇足だけど、太秦萌という名前はかなりコテコテの萌えキャラっぽいので、あんまり良くなかったなーと思った
今更変えようもないだろうけど
碧志摩メグについて、公認として認定した志摩市の行政の方たちや、何が悪いんだあんなの秋葉にあふれてる絵だろうと言ってる人達に、どうやればこの違和感が伝わるのか考えてみた。
君に届け!
例えば『裸祭り』。
全国的にいろんな地域で行われていてニュースでも流れるので志摩市行政の方もご存じだと思います。
男性(氏子)がふんどし一枚の裸で行う勇壮な祭りで、神事でもあります。
「うちの町おこしをしたいなあ…」とある日その町の行政担当者が考えます。売りとしては『裸祭』だろうと、そこらへんは課内でも一致。
「結構観光客も来るし盛り上がるイベントなんで、これをうまく使ってPRしよう!」と決定するわけです。
課内ミーティングでいろんな意見がでます。近郊からだけじゃなく全国から。さらにいうと、今はやっぱりグローバル。世界中から観光客を呼びたいね。とか。
このあたり、どこの行政も同じようなことを考えてるんじゃないでしょうか。 多分碧志摩メグを募集したり公認した志摩市行政担当の方も同じような考えがあったように勝手ながら推測しています。で、志摩市の行政担当者の方は、キャラクターを決めてポスターなどに掲載しPRしよう、という方向に落ち着いたんではないでしょうか。で、そのキャラクターを選ぶ際の選び方に、私は違和感を感じるわけです。
その違和感について、裸祭のある町の行政担当者の場合で説明させていただきます。
碧志摩メグに関して私が主に感じる違和感というのは、この裸祭の例で言いますと、その町の行政担当者が町おこしのために裸祭のアピールをすることにして、世界的に有名なゲイ専門誌にPR広告を打った、というようなものと同じではないかと思うのです。
効果は、どうなんでしょう?まあ仮説なので、効果はあるとしてこの件についての裸祭町行政担当者の言い分を聞きますと。
「男性(ノンケ)の裸を性的な目で見る方々にとっては、裸祭はそりゃー生でみたいでしょう。だって男がふんどし一枚でたくさん目の前にいる祭りですよ!? 自分も男だから、女の人が裸で押し合いへし合いする祭りがあると言われればかなり興味を持つので、ゲイの人達の気持ちもわかります。しかも全世界のそういった嗜好の方を対象にすればかなりの数がこの町に呼べます。当然観光客としてお金を落としてくれるわけです」
「ただちょっと裸祭を性的な目で見たり、ふんどしお尻ばかりを写真をとったり、氏子(ふんどし一枚の男性)にたいしてナンパをしたりにやにやとからかいの言葉をかけたりするようなことがあっても、町おこしのためですから!氏子の方も我慢してくれると思うんですよね」
「まあからかいの言葉といっても、『いいからだ!』『写真とらせてクダサイ』『いいヒップだねえ』とかそんなもんですよ、多分……まあ海外のゲイのかたですので、当然体格もよくガチムチ系も数多くいると思います。嫌がらせの暴言を吐く人もいる……かもしれませんが、まあそこは町おこしのためなんで氏子には我慢と自衛してもらうってことで。これ、どうですか!?いいアイディアでしょう?」
……って裸祭町の行政担当が言ったとして、志摩市行政担当の方は違和感を感じないでしょうか?たとえば……
(1)「いやいや……いくら全世界にPRできて観光客がお金おとしてくれるっていってもね、あれは祭りであって性的に誰かを楽しませるために裸でいるわけじゃないでしょう?」
(海女さんも同じですよね)
(2)「しかもあれは、神事ですよ。真面目に皆やってるんです。そんな本質を知ろうともしない裸目当ての冷やかしをされると、祭り自体の価値がさがります」 (おっしゃるとおりです。海女さんも楽な仕事ではなく伝統としての価値もあります。PRに使いたいのなら行政がまずその価値を理解して大事にしてください)
(3)「それに祭りに参加してる裸の男性(氏子)だって嫌でしょう。自分は男好きでもなんでもないのに、勝手に知らない男からそう言う目で見られて、不愉快だし失礼ですよ」
(まさにそれです。海女さんに対してとても失礼ですね)
(4)「あとね、別にそんな裸祭を性的な目で楽しむ人だけにターゲットを絞ってPRする必要がどこにあるんですか?あの勇壮な祭りは、ノンケの男性だってお年寄りだって楽しめますし、子どもも女性も、性的な視点からではなく楽しめる祭りですよ。なのに、性的な目で楽しむ人だけにPRしていると、他の層は面白くないでしょう。裸祭を見に行こうかと思ったとしても、でもゲイの人向けの祭りだしやめておこうかってなりませんかね」
(海女さんの碧志摩メグもそうですね。私は女ですが、なぜ私に対して海女という仕事をPRする価値がないと志摩市行政が思ったのか、さみしいし不愉快です)
どうでしょうか。性別を反対にしてみたら、男性諸氏にも少し感覚がわかりませんか?
でも萌え絵というのは基本的に対異性の恋愛感情や性欲を刺激する目的に特化して作られたものです。
(大きな目、上目づかい、長い髪、細い腰に大きな胸。媚びるような表情)
私は女ですが、(大きな目、上目づかい、長い髪、細い腰に大きな胸。媚びるような表情)←この辺のことを女にされても特に何も感じません。なぜ意味もなくそんな恰好表情をしているのかと逆に気味悪く思います。
ストーリー性のないイラストなら特にそうです。 碧志摩メグの場合は、対男性に対して性的にアピールしているわけです。
女性子どもは無視ですか……とも思います(裸祭町の例でいうと(4)に該当します)
海女さんも不愉快だろうなと思います。(裸祭町の例でいうと(1)(3)に該当します)
そして海女という職業に対する価値を、媚びるだけの仕事であると貶める恐れがあると言う意味では(2)が一番罪深いんではないでしょうか。
裸祭の意味が、単なる男の裸が無料でたくさん見れるそういう嗜好の人にとって嬉しいイベントに成り下がることについて、何とも思いませんか?
そういう嗜好の方が、この祭りに興味を惹かれるのはわかります。
ですので、そう言った風俗やそう言った雑誌で存分にご覧になればいいんじゃないでしょうか。
わざわざそれを目的としていない裸祭でそれを実行するのではなく。
普通の話しですよね?
海女さんも同じです。
萌え絵を見て恋愛感情や性欲を刺激されるのは当然で全然いいんです。男性向けとして他の層に対して配慮された特別の場所であれば。
でも志摩市の公認というのは、そういう場所ではないですよね。にも関わらずそれを志摩市が音頭取って煽ってるのが問題なんです。
萌え絵も悪くありません。
それを見て、かわいいと思ったり恋愛感情や性欲を刺激された方も悪くありません。
なんだよ女は無視かよと不愉快に思った人も、特に悪くないでしょう。
萌え絵は私も好きです。ギャルゲーもストーリーがいいものならしますしアニメもみます。ですが、行政が、海女という職業のPRとして公式認定するにはあまりにも偏りすぎています。 子どもにも説明しづらいですね、あれでは。
秋葉原のギャルゲーの絵としてはかわいいしいいんじゃないでしょうか。特に文句は無いです。「こんな海女いねーよww」とは思うと思いますが、萌え絵が好きな男性からお金をとるという目的にはかなっているので。ただ、コンビニや学校など子どもや女性の命着く床に堂々と置くのは控えてほしいですが。
やはりTPOやPRの意味、そして自分達の立ち位置や公共性について考えずに適当に町おこしをしようと考えた安易な志摩市行政が一番ダメダメなんではないでしょうか。
今回の騒動でPRできたかもしれませんが、正直マイナス方向のPRですよね。
海女さんまでも本人の意向を気にせず組織のために利用する、男社会のずうずうしさ、女の意見を尊重する気がないのががとりわけ目立つ案件で、観光客のほとんどを占める女性の反感をかったのは言うまでもありません。
結局は男性からは仕事の内容とかそう言うのは関係なしに、ああいう風に性的に見られてるんだなあという認識がひろまっちゃったので。
やり直しは恥ずかしいことではありません。
ぜひ認識不足を謝罪の上、再考し素晴らしい志摩市海女さんのPRを検討してください。
※もちはもちや。志摩市行政担当者さんは、予算獲得の方面にがんばり、PRの目的、ターゲット、方法、マネタイズの仕方などについては、専門家をその金で雇った方が良いと思います。
※裸祭=男の裸を誰にアピールするのか、という問いについて、どう答えますか?
女の裸のアピール先は男性なので、多くの人は普通ひっくり返して、男の裸のアピール先は女性と思われるかもしれません。
ですが、私は違うと思っています。
女性は特に興味もない男の裸を見たいとは思わない人が多いです。
女から見て、興味のない男からの性的な視線に対する不快感を男性に理解してもらうには、
男(ノンケ)から見て、ガチムチのゲイ(タチ)からの性的な視線について想像した時の不快感が、近いのではないかと思います。
体力や力が自分より上回るタチの存在から、ネコとして性的な目で見られている、という構図から考えると上記が近いと思ってます。
碧志摩メグは特定個人や特定職業の人たちと双方向的な結びつきがあると目されるという前提がまずあり、特定個人(志摩市の海女さん)や特定職業(志摩市の海女さん)の人からの「多数の異論」が出た段階で碧志摩メグには問題があるということになるのだろうけど、「ただ女性である」という表現の仕方をされたキャラクターの場合は特定個人とも特定職業とも結びつかないし、海女さんのケースとはやや異なると思う。
「多数の異論」と書いてはみたけれど、考えてみればクレームを入れた海女さんが志摩市の海女さんの多数派なのか少数派なのかわからない。もし少数派に過ぎないのならそれはそれで問題だったかも。
http://anond.hatelabo.jp/20150830192115
http://anond.hatelabo.jp/20150830192002
https://twitter.com/poipoiyudati1/status/636865780240375809
女の色気をアピールするのがダメって、お前ホモか!?(歓喜) <市公認の萌えキャラに志摩の海女軍団が怒りの抗議!「女性の性的な部分を強調したとしか…児童ポルノ法にも抵触しかねない」?>
АнамезонСудноはАСである @AerospaceCadet 8月14日
お前の思考のがおぞましいわホモ野郎。フェミワナビーはマジ死ね地獄に堕ちて業火に焼かれろ。子々孫々はは七代祟られろ。
|海女モチーフの萌えキャラが「おぞましい」理由 - BIGLOBEニュース
https://twitter.com/AerospaceCadet/status/632116441722916864
一部の三重県志摩市「キャラの裾がはだけ足を露出していてイヤらしく、海女の文化やイメージを損なう」
俺ら「うるせえホモ」
嫌いなもの・受け付けないものをはっきり嫌いと言われたらしょうがない。だが、やれ児童ポルノやれ二次元ポルノと言われたので「筋違いな言葉を使って批判する連中が住みづらい世の中を作ってるんじゃ!」と反撃
いや、すごい好きなわけではなくけど「よくできてるキャラが全く筋違いな理由付けで非難されるのは変だし、便乗してるライターは表現規制も繊細な問題に土足で踏み入ってるのもちょっと…」と思い、書いた次第。「萌え系が嫌」ならそれ以上は不要では
あとは、デマを垂れ流している人達を黙認しちゃうと「不快感をダシにして何を言ってもいい」みたいな空気ができちゃうんですよね…。不快な人、受け入れられない人がいるのと、それを規制すべきかどうかは別問題なのに混同しようとするアホがもうね…
戦うべき時に戦っておけば、「そっちは反論や炎上がめんどくさいから関わらない」という風に予備知識がない人が避けてくれることもありますからね…。あるいはちゃんと勉強していい記事を書く人に変わることもありますし…。
kanose おぞましいって言葉に反論するなら、安易に低俗呼ばわりするのはいいのかよ。そもそも規制しろなんて言ってないのに勝手に読み取るな死ね
「観光PRに萌えキャラは使ってほしくない。若い子は良くても、我々の世代には違和感がある」というならまだしも、やれ児童ポルノだ、やれゾーニングすべきおぞましい表現だと言い出したから「この人ら野放しにしておくとやばい」と介入したまで。軽々しくアレはポルノだ性的だという人見るといらつく
いやさ、フェミとか老人達のオタク批判の根底にあるものって言ってることと自分達の本音が違うのに、それをやれ社会で規制しろ、ゾーニングしろという話になるから「あ、コレは戦わないとこっちの権利がどんどん狭まるから、あっちをつぶしに行かなきゃ」という話になるわけでして…。
この場合はそれが半分。でも、元にあるのは高齢者が大半の三重県志摩市という田舎が最近の若者文化とうまがあわなかっただけ。それをライター達が悪意のある形で利用としたので、僕が「あーあー違う違う。君ら、言ってることおかしい」と介入したまで
いやさ、碧志摩メグはご当地キャラの中ではクオリティ高いほうだと思うけどなぁ…。微妙にイラスト特有の透け要素・艦これブームのご時世に若干注目を浴びてる和のテイスト、LINEのスタンプ用にデフォルメしたキャラも作ったり、ツイッターアカウントでの告知もやったり…かなり高度だと思うけど?
いやさ、三重県志摩市は萌えキャラ導入だけでガミガミ言われてるんだけど、大学生ぐらいの年齢がごっそり抜けて、60代以上の分布だけが多い地域だもの…。人口も減り、学校もここ数年で幾つか廃校になって、衰退路線まっただ中。…どうぞ勝手に高齢者だけで煮詰まってくださいとしか言いようがない
kanose すごく繊細な問題に土足で踏み入ってるのもちょっと、て。あんた毎回そうやって土足で踏み入って他人から突っ込まれたらどんだけ逆ギレしてきたと思ってんだ。マジアホか。いろんなものを低俗やら常識がないだのいっておいてこれか。死ねばいいのに
反対運動があるようだけどおおむね、女性の性的アピールがけしからん
という内容らしい
しかし公式ページのプロフィールにはこの子が女性であるとはどこにも書いてない。
海女を目指しているとは書いてあるが、男性が海女を目指したって構わないわけだ。女性しかなれないなら性転換すればいいし。
自分も男性向け女性向けどっぷりたしなむオタクだが、碧志摩メグのキャラクターデザインは失敗だと思ってる。
モデルが志摩の海女という時点で「特定された職業」なので、当事者にとってはほぼ個人が特定されているのも同じだ。
しかも、海女という職業自体、性差別的な扱いを受けてきたという経緯がある。碧志摩メグ擁護派のなかには「海女なんて今まで散々エロい目で見られてきたくせに」と心ない言葉を向ける者もいること自体、この問題が職業と性的な差別を内包していることをあらわしてしまっている。
碧志摩メグは伊勢志摩サミットで海外にもアピールするためにつくられた「クールジャパン戦略」のキャラクターであり、完全に「公」の目的のために作られている。
つまり、萌えやオタク文化に親和的でない海外の人間の目にも触れることが前提となっている。
「もよおすヤツはもよおすのよ(多分ハルヒ)」
あらゆる表現から性的な視線を除くことはできない。それが真実だとしても、だからすべてを野放しにしていいとはならないだろう。大概はどこかで線を引いて、場所や状況に見合った基準を定めることが求められる。
ましてや行政の、特定の職業を指した、世界に発信するための、公認キャラクターだ。オタクのみに愛されればそれでいいというわけではないだろう。その「どこまで許容されるか」の適切さを見誤り、調整を怠ったのは落ち度だ。自分が普段は萌えキャラ好きのオタクだからといって、擁護してやろうという気にはならない。
もよおしたらダメなのかな?
誰もそんなこと問題にしてない。内心ですませるのなら自由だ。その自由に対していちいち他者の承認を求める必要はない。
ただ、あなた自身が「もよおされる」対象として扱われることになってもかまわないというタイプの人間であっても、他人はそうではないし、そうである義務もない。「もよおされること」が不快だ、嫌だと思えばそれを訴える権利がある。
それは人によるとしかいえない。感じ方もそれぞれだろう。
性的な目で見られるということに、暴力性を想像できないあなたは幸福なのだろう。
今回は海女という当事者がいるのだから、彼女たちだ。実在当事者が自分たちをイメージした図に対してNOと言ったことが重要視されている。
大使でなくても芸能人でも一般人でも男でも女でも、「性的な目」は他人に対しておおっぴらに向けていいものではないだろう。普通に失礼だとは思わないのだろうか。性的なものを感じたとしても、内心にとどめたり、相手が不快にならない程度の表現にするなど、気をつけるのがマナーのはず。
そういう為のキャラクターとして良い仕事しそうなのに、一部の大人の価値観で卑猥に見えるだからダメ、としてしまうのはすごく勿体無いと思うんだ。
良い仕事を期待されて創造されたキャラクターだというのに、「一部の大人」ではなく、当事者の海女にとっては受け入れ難いデザインになってしまったのが残念なんだ。
逆に言えば、若い子に受け入れられるなら、一部の海女が傷つくことはかまわないのか? 誰かの苦しみや悲しみの上に成り立っているかもしれないものを、「自分は気にしないから」と受け入れてしまうことに抵抗はないのか? 自分たちが楽しければ、得をすれば、「あなたたちにとっては気にならないかもしれないけれど、私たちにとっては耐え難い屈辱です」という訴えを無視していいのか?
反対している人たちの中には、「自分はこのキャラクターは不快ではないし、それに傷つけられることもないけれど、でも、当事者である人たちが嫌だと言っていることを、公共の利益のためといって踏みにじってもいいのだろうか?」と思ったから反対している人も多数いる。
ずーっと引っかかってた。
オタク文化にどっぷりで、成人向けも男性向け女性向けどちらも嗜む私には碧志摩メグちゃんはごく普通にかわいいと感じるわけだけど、
現場の海女さん達の声に敬意を持って耳を傾け、時にはすり合わせていく必要はあるかも知れないけど、例のキャラクターは特定個人をモデルにしたわけではなく、あくまで職業、もしくは「伊勢志摩」をイメージして生まれたキャラであろうから絶対に取り下げなければならない必要まではやはり感じない。
指摘されている点に関しても、
はたまたデフォルメ3等身キャラでも、動物キャラであったとしても、
「もよおすヤツはもよおすのよ(多分ハルヒ)」。
ていうか、もよおしたらダメなのかな?
女性的な美に限らず男性的な美でも、美しい、かわいいと感じる心と性的だと感じる心は繋がっているものじゃないのかなあ
エッチな感じがするからダメです!って言ってそれを受け入れてしまったら「かわいい」と「卑猥」の境界線は誰が決めるの?
○○観光大使です!って性別問わず芸能人がアピールしたとして、大使になったとたんちょっとでも性的な目を向けてはいけなくなるのかな?
今の十代二十代っていわゆるオタクの子以外もほんとうに自然にオタク的なものを楽しんでいるからこそ、その世代が興味をひくキャラクターを生み出してそこにアピールしていくことの意義って小さくはない。そんなアピールがあってもいいのではないか。
未来を担う若い子が地元に愛着が湧いて地域に貢献したり、伊勢志摩の存在を知ったりする。
そういう為のキャラクターとして良い仕事しそうなのに、一部の大人の価値観で卑猥に見えるだからダメ、としてしまうのはすごく勿体無いと思うんだ。
他は知らんが志摩時緒は女で間違いないと思う。
■その1。
久しぶりに会った友達から、『ツグナヒ』を猛烈に薦められた。「最強の妹ゲーっすよ!」と言われたんだけど、筆者はひねくれているので、同じメーカーの『Treating2U』をプレイしてみることにしました。まあ、巷の評価がかなり二分しているゲームだったので、結構、気になっていたのもあるんですが。
……まず、プレイしていて気になったのは、ストーリー重視型のゲームが陥りやすい罠なんだけども、ほのぼのとした雰囲気、ハートフルな人情ものを志向するあまりに、美しい描写にこだわりすぎて、物語の勢いが一本調子になってしまっていることだ。テンポの良い会話のおかげで、キャラクターの個性は際立っているのだけど、骨格となるストーリーが相対的に弱く、物語のバランスを崩してしまった。会話が上手く流れている時は気にならないのだが、会話の回転が狂うと、途端に物語は停滞してしまう。
しかも、この作品の場合は、その停滞が主に、Hシーンで起こっているのだ。物語の方向性として、杏菜シナリオを除けば、女の子が心をさらけ出し、伊之助がそれを受け容れる構図になっているのだが、心のキャッチボールが表層だけで流れてしまっているところもあった。キャッチボールには、力任せに投げる速球もあるだろうし、わざとコースを外して投げることだってある。けれども、会話の回転が狂うことを避けようとしたのか、Hシーンでも、他のシーンと同じように、ボールを投げてしまっている感じがした。Hシーンを物語の転回点として位置づけるならば、女の子たちは伊之助に向かって、あえてビーンボールを投げるべきだったし、伊之助もそれを望むべきだったろう。Hシーンに限って言えば、伊之助はもっとお節介であっても、良かったのかも……。
しかし、登場人物たちとの交流や恋愛描写に関しては、非常に上手い部類に属すると思う。この作品を評価している人は、おそらく、この部分が特化されていることを評価しているのだろう。だけども、転回点で互いの深層にもっと踏み込んでいたら、最後の[Treating2U]は、更に効果的になったと思うのだ。はじけるような笑顔の向こう側を見たいよ……某人気ドラマの主題歌じゃないけども、良い歌には、物語を凝縮して、感情を呼び起こす力があるのだから、思い切って、もっと歌の力に頼ってしまうのも、一つのやり方だったかも知れない。
あと、ゲームとしての自由度が低いのも気になった。これは、伊之助のキャラクターイメージが際立っていることの弊害だと思う。ストーリーに没入するためには、プレイヤーが【堤 伊之助】を演じるという段階を踏まなければならないし、まあ、それ自体はいいとしても、その敷居は若干高いような気がした。媒介となる選択肢で方向性が似たものが多く、プレイヤーがストーリーに介入できる場所も少ない。それが、キャラクターの幅を、良くも悪くも制限してしまっているし、個人的なことを言えば、ストーリーは楽しかったけど、伊之助の生活を俯瞰的に観ている感じは拭えなかった。
■その2。
この点については、最初からノベルとして割り切ってしまえば、問題はなかったと思う。しかし、このゲームは、基本的にAVGのシステムで作られているので、その辺の違和感が最後まで気になってしまった。
全体としては、ストレートな物語を志向しているはずなのに、細部でボタンの掛け違いが起きているので、一つの作品として考えると、どうもバランスが良くない。この辺が、評価が二分している理由なんだと思う。
冒頭から苦言ばかり書いてしまったけれど、長所と短所の差が極端だということは、当然、長所もズバ抜けている。ただ、その長所が分かりづらいという欠点があった。どちらかと言えば、[泣き]系のゲームでありながら、それを売りにしなかったというのは、個人的には好感を持ったけど、広告や紹介記事を見て、作品コンセプトが絞れてないな、と思ったのも確かだった。
また、[エロゲーの主人公]に関しては、以前、『夜勤病棟』をレビューした際にも触れたのだが、伊之助のキャラクターが、女の子たちの存在を霞ませる程に強烈だったのは、鬼畜系ではない、この作品ではマイナスに働いてしまった気もする。
また、伊之助はニヒリズムとは無縁のキャラクターだ。これも、最近のエロゲーでは異色と言えるだろう。しかし、そんな伊之助にも、ニヒリズムの影が忍び寄るシナリオがある。
先に書いた通り、杏菜シナリオは、他のシナリオとは異なる構造を持っている。受け容れる存在としての伊之助は、このシナリオでは病気のために成立せず、杏菜にその役割を肩代わりさせる。そして、霞夜シナリオでの主題がそのまま反転して、伊之助に選択を強いるのだ。
霞夜シナリオを先にプレイした場合、この選択肢に直面することで、今度は生きることを強要される側の苦しみを味わうことになる。そして、ニヒリズムを持たない伊之助の格好良さ=完璧さも、無自覚なナルシズムの上に成り立っていて、一歩間違えれば、愛シナリオでの志摩先生と同じ過ちを犯しかねない、不安定な人間であることを悟るのだ。
その選択肢から分岐する伊之助シナリオは、己の美学を優先した結果、杏菜を伊之助の幻影に縛り付ける結末となる。伊之助に拒絶された杏菜は、受け容れる存在としての役割を全うできず、それゆえに、伊之助を理解することが出来ない。
看護婦としての職業意識で、心の眼鏡を曇らせ、ロマンティックな美学に殉じようとする伊之助を、曇った眼鏡を通して傍観することで、達成されない役割を続けていた杏菜は、伊之助シナリオの最後で、既に舞台から消えた伊之助に、幸せだったか、と問う。だが、己の美学に殉じることができた伊之助は幸せだったはずであり、そういう意味では、バッドエンドではないが……。
しかし、諦観と怨嗟が交錯した、杏菜の問いが、既に消えてしまった伊之助=プレイヤー自身に向けられることで、もう一つの選択肢である、杏菜シナリオでのエンディングが、強い印象を持ったのは確かだろう。
[生を肯定すること]をテーマに据え、病院を舞台に選んだのは、正しいと思う。だけども、同時に死も肯定しなければ、生も浮かび上がってこないような気がする……。また、杏菜&伊之助シナリオ以外では、死の予兆はあるが、全体的に、死は隠蔽されている傾向が強い。このことが、一本調子という印象を感じた、大きな原因になっている。
総合的な感想としては、全体的に素質は高いが、細かい駆け引きでの、経験不足は否めない。しかし、長所を殺さず、短所を克服できれば、次回作以降、大きく伸びる可能性を感じた作品だったのも確かだ。
■忍び寄る総括。
個人的意見。えっ、紅葉とラブラブにはなれんのですか? そうですか……がく。このゲーム、脇役な方々がいい味出しているんだけども、後半の分岐後は、影が薄くなってしまうのが残念かも。もっとも、舞台の病院から次々と消えていく寂しさは、祭りの終わりを感じさせて、それはそれでいい感じなんだけど。という訳で、今回は珍しくゲームレビューしてたような気が。ダメですか……そうですか。でもって、今回は連載一周年なのでした。
コネ、学歴ロンダリングその他諸々の理由があるが、新聞社やテレビ局に入るには
そのステータスを得るには当然ながらそれ相応の資格を必要とする。
その中で勝ち上がってきた人達は皆何がしかの縁繋がりで入社出来た事に感謝する。
しかしながら、そこから焙り出されたいわゆる負け組の新卒はどうにかして滑り止めの会社に入社する。
そんな中起こった労働問題や社会問題に対して、新聞社やテレビ局は何を考えたか上の人間には譲歩をし、
総理大臣経験者などを見ても下の大学出身者は皆無であるし、殆ど全ての人が家族に名士とか大地主、貴族、政治家が存在する所を見ると
敷かれたレールをただ歩んできただけなのだ。
なので、弱者たる労働者階級の人に比べてメンタルがとても弱く、下の人間を社会を混乱させるゴミ程度にしか見ていない。
さて、人生の勝ち組は新聞社やテレビ局に勤めており、負け組ないし弱者はそこでは非正規社員である。
この差で更に格差社会の強者となっている差別構造が形成され、遂には弱者いじめが激化するのは自然の流れであろう。
先日開かれた遠隔操作ウイルスの裁判に立った片山祐輔被告は、そうした社会の構造から生まれた被害者なのである。
彼のように明らかに弱者であるものを何の証拠もないのにメディアなどでは連日彼を犯人扱いして報道を過熱させているのである。
一方、チノパンこと千野志摩が犯した不倫の末に自動車運転過失致死、人によっては殺人罪とみなされる事件では、証拠があるにもかかわらず大手メディアは相次いで口をつぐみ、
また特定秘密保護法に反対としながらも他方でこういった権力を持つ人間への批判は鳴りを潜める事態となっている。
すなわちメディアというものは、弱者を切り捨てに強者を守る事を第一としている、ということである。
これは、前述の人生の勝ち組であるメディア人達が揃って強者であることからも伺えるのである。
新聞社やテレビ局に入った人間は正社員であればすべからくすべての人間が人生の勝ち組であるが、そうした人間が今度は人生の負け組を叩く始末となっている構造である。
メディアは弱者を救済せよと口では煽るものの、今回の遠隔操作事件やチノパンの事件、またオノヨーコや安倍昭恵夫人も知り、海外メディアが報道しているのに日本ではその存在自体を抹消されてしまった吉松育美ストーカー事件でも分かるようにメディアというものは長い物に巻かれる、都合の悪い事は「報道しない自由」による報道しない、非常に偏った思想信条を持ったジャーナリスト集団なのである。
弱者救済が見せかけであることは、新聞社およびテレビ局社員の条件を見ても明らかなのである。
いじめがなくならないのはこうしたいじめっ子が社会構造のトップに立っているためである。