自分も男性向け女性向けどっぷりたしなむオタクだが、碧志摩メグのキャラクターデザインは失敗だと思ってる。
モデルが志摩の海女という時点で「特定された職業」なので、当事者にとってはほぼ個人が特定されているのも同じだ。
しかも、海女という職業自体、性差別的な扱いを受けてきたという経緯がある。碧志摩メグ擁護派のなかには「海女なんて今まで散々エロい目で見られてきたくせに」と心ない言葉を向ける者もいること自体、この問題が職業と性的な差別を内包していることをあらわしてしまっている。
碧志摩メグは伊勢志摩サミットで海外にもアピールするためにつくられた「クールジャパン戦略」のキャラクターであり、完全に「公」の目的のために作られている。
つまり、萌えやオタク文化に親和的でない海外の人間の目にも触れることが前提となっている。
「もよおすヤツはもよおすのよ(多分ハルヒ)」
あらゆる表現から性的な視線を除くことはできない。それが真実だとしても、だからすべてを野放しにしていいとはならないだろう。大概はどこかで線を引いて、場所や状況に見合った基準を定めることが求められる。
ましてや行政の、特定の職業を指した、世界に発信するための、公認キャラクターだ。オタクのみに愛されればそれでいいというわけではないだろう。その「どこまで許容されるか」の適切さを見誤り、調整を怠ったのは落ち度だ。自分が普段は萌えキャラ好きのオタクだからといって、擁護してやろうという気にはならない。
もよおしたらダメなのかな?
誰もそんなこと問題にしてない。内心ですませるのなら自由だ。その自由に対していちいち他者の承認を求める必要はない。
ただ、あなた自身が「もよおされる」対象として扱われることになってもかまわないというタイプの人間であっても、他人はそうではないし、そうである義務もない。「もよおされること」が不快だ、嫌だと思えばそれを訴える権利がある。
それは人によるとしかいえない。感じ方もそれぞれだろう。
性的な目で見られるということに、暴力性を想像できないあなたは幸福なのだろう。
今回は海女という当事者がいるのだから、彼女たちだ。実在当事者が自分たちをイメージした図に対してNOと言ったことが重要視されている。
大使でなくても芸能人でも一般人でも男でも女でも、「性的な目」は他人に対しておおっぴらに向けていいものではないだろう。普通に失礼だとは思わないのだろうか。性的なものを感じたとしても、内心にとどめたり、相手が不快にならない程度の表現にするなど、気をつけるのがマナーのはず。
そういう為のキャラクターとして良い仕事しそうなのに、一部の大人の価値観で卑猥に見えるだからダメ、としてしまうのはすごく勿体無いと思うんだ。
良い仕事を期待されて創造されたキャラクターだというのに、「一部の大人」ではなく、当事者の海女にとっては受け入れ難いデザインになってしまったのが残念なんだ。
逆に言えば、若い子に受け入れられるなら、一部の海女が傷つくことはかまわないのか? 誰かの苦しみや悲しみの上に成り立っているかもしれないものを、「自分は気にしないから」と受け入れてしまうことに抵抗はないのか? 自分たちが楽しければ、得をすれば、「あなたたちにとっては気にならないかもしれないけれど、私たちにとっては耐え難い屈辱です」という訴えを無視していいのか?
反対している人たちの中には、「自分はこのキャラクターは不快ではないし、それに傷つけられることもないけれど、でも、当事者である人たちが嫌だと言っていることを、公共の利益のためといって踏みにじってもいいのだろうか?」と思ったから反対している人も多数いる。
ずーっと引っかかってた。 オタク文化にどっぷりで、成人向けも男性向け女性向けどちらも嗜む私には碧志摩メグちゃんはごく普通にかわいいと感じるわけだけど、 さてこれはダメなこ...
自分も男性向け女性向けどっぷりたしなむオタクだが、碧志摩メグのキャラクターデザインは失敗だと思ってる。 特定個人をモデルにしたわけではなく、あくまで職業 個人はダメだ...
個人はダメだが職業ならいいという倫理観がわからない そーかなー。個人はダメ、職業ももちろんダメってことはないでしょう。たとえばお役所の人が公共的な何かの企画でオタク系...
騒いでるのは、インチキふぇみだけらしいが。。 現場の海女さんの写真のほうがはるかにエッチくさくて、笑っちゃったw