はてなキーワード: 大袈裟とは
東京生まれ東京育ち23区外で働いたことがなかった俺が、ド田舎にそびえたつホテルにリゾバで3か月働くことになった。
リゾバを始めた理由はのんびりしたかったから。某温泉街ということで、日中は働いて夜は温泉に浸かってゆったり過ごす。そんなイメージを持って飛び込んだ。
勤め先のホテルすぐ近くに社員寮があるらしく、そこで暮らしも楽しみだった。
派遣会社の担当者も「ここは離職率が低く、長く務める方が多いよ」と礼儀の"れ"の字も知らないような口調で推薦してきた。
癒しと多少の出会いを期待しつつ初日の面談を迎える。簡単過ぎる説明と名前を書くだけの書類への記入を終えて午後14時頃、これから住む寮に案内された。
真っ白な外観に等間隔に並ぶ窓、陽当たりが悪いせいで肌寒く薄暗い階段、廊下。渡されていた鍵で自室のドアを開けた。
軽い木のドアを引くと、3つの段ボールと畳の上に畳の敷物が敷かれた床に冷蔵庫、少し足が高いテーブルに置かれたテレビが部屋の隅っこに置かれていた。
その寂しい光景を目の当たりにした俺は「田舎だしな」と妙に納得してしまった。
3つの段ボールは俺が予め実家から送っていた荷物だ、PCや着替えが入っているので雑に開封しPCを床に設置した。
その後も使えるわけのないLANケーブルなどを引っ張り出しながら自分の部屋を作り上げた。
布団を敷いて、ここまでの道中で買ったいろはすを飲み切った。
部屋が完成した頃にはもう夕方で、陽が落ちる前に近場を散策しようと考えていた俺は急いで外に駆け出した。
都会では見られない山々、徒歩15分圏内にある滝をなんとなく見て部屋に戻った。
一日通してそれなりに歩いたので疲れが出始めた、このまま寝てしまう前に風呂で汗を流そうと黒いシャツとジーンズを素手で持ち従業員用の入り口から
このホテルご自慢の大浴場に向かい、意気揚々と服を脱ぎ少し重たい扉を大袈裟にガラッと開け、ひたひたと足音を鳴らしながら風呂場を見て回った。
露店風呂はお客専用とのことだが、サウナや"温泉ソムリエ"推薦の湯舟は従業員でも利用可能らしい。
俺は大の温泉、いや風呂好きだ。温泉でないと寛げないわけではない。
実家の縮こまって入る風呂もまた好きなのだ、お湯ならなんでも良いのだ。
しかし、やはり温泉街の温泉は格別だ。これまで旅行してきた各地で温泉街はなかったし、行きたいとは思っていたが何故か足が伸びなかった
そういった事情もあって、非日常からくる高揚感に包まれながら体を手早く洗い、ケロヨンの桶を懐かしみつつ"温泉ソムリエ"推薦の湯舟に浸かった。
少し長風呂をし過ぎたか足元がふらふらするので木のベンチに座りながら着替えを済ませて脱衣所を後にした。
自室に戻ったころには体力が尽き、眠りについた。ふり絞った気力ではスマホのアラームをAM7:00にセットするのがやっとだった。
その後は、その後は、その後は。
何もなかった。ここでの仕事など東京でしていたことより簡単だった、簡単すぎた。寮での交流なんてなかった、なかったはずだ。
出会いなんてもってのほかだった、女性なんてどいつもこいつも初老の翁達にちやほやされて喜んでいる者ばかりだった。
挨拶を返しもしない奴らなんかこっちから願い下げだ。「グレムリンみたいな顔しやがって」
寮のトイレが汚く、使う気になれなかった。掃除してもすぐ汚れて放置されるので近場のコンビニのトイレを借りていた。
「田舎だしな」と妙に納得していた俺に俺は憤って3か月の任期を終えた今無言で怒鳴った。
寮に集まっていた人間は俺と同じ東京やその他の地方から来ていた人間がほとんどであること。
それに気づかずこの土地やこの田舎独自の空気感に俺が合わないからどうしようもないんだと勘違いしていたこと。
「俺はどこでもうまく生きていけないなぁ」
『何者か』になりたくて、けれども何者にもなれなかった自分。政府が掲げる「女性が輝く社会」とは、大袈裟ではなく、自分自身の限界に挑戦し続ける、ギリギリ綱渡りの盛大なトライ&エラー。現在、30代後半〜40代の子持ち普通から普通以下の女性はみな、若くして死ねということだ。
3時に起床し、仕事を含め、自分の時間を確保できた日と、寝坊して5時に起床し、慌てて家事と仕事のごく一部だけ処理して出勤した日では、自身のなかでの満足度が違う。たとえ睡眠不足が積み重なって寿命が短くなっても、母親ではなく、仕事に打ち込み、成果を残せる自分らしい人生を生きたい。
流行りの朝活より早い、毎日朝3時に起床するべき理由は、好きなこと、主に仕事をやりたいからだ。ザワザワした職場は集中できず、気分転換以外の理由で家事のために身体を動かすと、以降は集中力が切れてしまう。
とはいえ、実際には睡眠が足らず、週に何度も通勤中の電車や歯科の治療中、夜の食事後などに寝落ちしている。氷河期世代の男女、特に女性は、働かない高齢者の年金を生み出すために燃え尽きようとしている。陰謀論は信じたくないが、日本人ではなく、日本語・日本文化だけ好む外国勢力が意図的に少子高齢化・賃金低下を仕向けているようにも思える。
https://togetter.com/li/1225465
を見て思い出したので懺悔も兼ねて。今はやってない。チビハゲデブの三重苦をかかえた俺の黒歴史である。(三重苦は今も治ってない)
今から数年前、35歳非正規雇用、職場では毎日のように上司に罵倒され深夜までのサービス残業で心身ともにすり減ってるある日、ぼーっと歩いてたら女性にぶつかった。
尻餅をついた彼女を見てビビりの俺は逃げた。通報とかされて急に警察に肩を叩かれたらどうしようとか思いながらも、ちょっとぶつかったたけで簡単に倒れる女性に大袈裟じゃね?という若干の不満と、なんというか征服感のようなものを感じてしまった。
気付いたら日々の鬱憤を晴らすかのように、わざと女性にぶつかるようになっていた。老人はやらなかった、大怪我して最悪死亡とかになったら怖かったので。ベビーカー持ちはよくやった、邪魔だからいいじゃんという考えもあったと思う。
そんな救いようのない日々を送る俺だったが、ある事件を切っ掛けにぶつかり屋をやめた。
二、三年前だったか当時の俺は歩行者だけでは飽きたらず、自転車にまでわざとぶつかるようになっていた。怪我はしたくないのでゆっくりめで走る自転車に横からぶつかるのである。もちろん女性が乗ってる自転車、うーん俺最悪だ。
いつものように深夜残業でへとへとの帰り道、前から自転車が緩い坂道をゆっくり登ってくるのが見えた。乗ってるのは小柄な20代くらいの女性で、しめたと思った俺は慣れた足捌きで横からぶつかった。
自転車は倒れはしなかったもののバランスを崩して、俺は爽快感とか征服感とかがごちゃごちゃになった良い気分でそのまま歩いて去ろうとした。
「お兄さんさぁ!!」
背後から聞こえてくるドスの効いた女の怒声に心臓が跳ねた。歩きながらも横目で後ろを見ると、先程ぶつかった女性がこちらを見ていた。
「今わざとぶつかったよね!?」
彼女は俺に言っている。そう確信してビビりの俺はパニック状態。逃げるために早足で歩き続ける。
「逃げんじゃねえよてめぇ!」
後ろから自転車が走ってくるのが分かった。俺は走って逃げる。後ろから怒鳴り声をあげながら追いかけてくる女性が怖くて怖くて、信号も無視して走り続けた。
数十分か小一時間くらい追いかけられたかもしれない、最後に「逃げるならこんなことすんじゃねえよバカ! みたいなことを言われて、彼女は去っていった。
走り続けて足がガクガクになった俺はその場にへたりこんで、泣いた。怖さ9割、情なさ1割である。
一意見として…
たしかに、ジャニーズの方があとだし、アニメのキンプリファンの方たちがおもしろくないと思う気持ちは分かります。
ほんと紛らわしいし…
でも、言葉をおかりするなら、アニメのキンプリが膾炙されてるのはアニメファンの中だけだったと思うので、これを切っ掛けにそれぞれのことを知ってくれて、興味を持ってくれる人が増えたら嬉しいと思います。
もちろん、いままでひっそりと楽しんできたのに、多くの目に晒され人気が出すぎるのを快く思わない方もいらっしゃると思いますが、相乗効果による利点もあるんじゃないでしょうか。
私は(大袈裟かもしれませんが、)不人気によるコンテンツの終了、もしくはグループの低迷の方が嫌です。。
どちらもほんと素晴らしいので!
はじめは友人含めて3~4人程度で遊んでいたが、俺はその子を狙っていたのでなんとか連絡先をゲットし、2人のデートもした。
数回デートし、詳しくは書かないが誰の目にも明らかな「OKサイン」を確認できたにもかかわらず、告白の結果は撃沈。
それも、一旦はOKしたが、翌日になってメールでただ一言「やっぱりあなたじゃない」と手のひら返し。
はじめから断ってくれよ。
さすがにそれはないだろうと電話すると、「(デートでいい感じだったからって)期待した?バカじゃないの?」的なことを言われ、奈落の底に一気に突き落とされた。
どうも、「自分がいかにモテる魅力ある女であるか」を確認するためのダシに俺を使いたかったようである。
自分の気持ちだけでなく、プライドまでもが著しく傷つけられた。
単にお断りされるだけならまだしも、なぜ普通に告白しただけでここまで貶められなければならないのか。
それまでにも相応の数の女子とかかわってきた(付き合ったというわけではないものも含む)ので、色々なタイプの女子がいることはわかっているつもりだったが、このタイプははじめてで、当時大学生でまだ世の中のことをよく知らなかった自分の心に「女子とはかくもおそろしい生き物だ」ということが刷り込まれてしまった。
はじめは自覚がなかったが、常にどこか女を信用できない、信用したくない自分がいることに気付いた。
その後、何人かお付き合いした人はいたが、すべてたまたま相手のほうからのアプローチで始まったものである。
どんなに気に入った人がいても、アタックするチャンスに恵まれても、またこうやって奈落の底に突き落とされるかも…と思うと恐怖でとても自分からアプローチするなんて考えられなかった。
そしてその思いは時がたつにつれて自然と「元々俺は女性から受け入れられる余地のない無価値で無能な男なのだ」というやさぐれた思考に変わり、現在に至る。
無論、なんとか払拭しようとあれこれ試し、多少改善されてはいるが、根本的にはこの出来事があり、大きくは変わっていない。
結果、30代になった今でも恋愛的な意味での成功体験がまったくなく、まともな経験値も稼げず、歳だけとって本当に無価値で無能な男に成り下がってしまった。
いざ気になる人ができても、過去の悪夢だけでなく年齢的な負い目も重なり、なおのこと自分からアプローチなんてできない。
しかしやはり気に入った人を自分の力でモノにしたい、モノにすることで自分にそれだけの価値と魅力がある男なのだという自信を取り戻したいという欲求は払拭できない。
なぜ自分だけがここまで苦しめられなければならないのかとさえ思うときがある。
(他の人たちが実際どうなのかはわからない、隣の芝は青く見えるだけで皆俺と大して変わらないのだろうか)
大袈裟に言えば、学生時代のあの日からずっと時間が止まったままであるかのようだ。
生きることが苦しい。
(他の要因もあるが微々たるもの)
想いを寄せてくれた女子はいたが、申し訳ないけれど自分から好きになった人に振り向いてもらえたのでなければ自分の欲求は満たされなかった。
自分が最も認めてほしいと願う人から認められたら、どんなに幸福なことだろうか。
その人が認めてくれさえすれば、世界中のすべての人間が敵になっても構わない。
俺はその人を生涯にわたってとことん愛し、相手からも愛され、魂と魂をぶつけ合うほどに激しく求め合い、幸福感に包まれながら最期を迎えたい。
恋愛がそんなに綺麗なものでも美しいものでもないということを、この少ない人生経験…いや、さらに少ない恋愛経験から弾き出して知っている。なんだかさみしい。男女共に好き合って付き合うなんて夢みたいに思える。本来そうであるはずなんだけど。
私には「ちょっとだけ、肩を貸して 。涙が乾くまで」 って関係もあったし、性欲のぶつけ合いがしたいだけの関係もあったし、お互いの見栄と計算が透けて見えた関係もあった。あの野郎ぶっ殺してやらなきゃ気が済まねぇと思ったこともあった。
運命の人を待ってるとかいう大袈裟なものじゃなくて…なんか普通に心から好きだと思えるような、リラックスして本音を語り合えて、何かと好みが合うような人と出合えるんじゃないかと。
ミスリードを指摘しておいて自分がミスリードしてるのはどうなのって感じなんだが、
縫い目の頂点がやや尖ったデザインなだけで、画像を拡大しても「乳首の膨らみ」は見えない。
もちろん透けてもいない。
詳しくはないが、おそらくこういう立体縫製的なつくりを想定しているんだろう。
https://stat.ameba.jp/user_images/20121127/22/csrpj/00/00/j/o0480064012306034828.jpg
よって「乳首の存在感が露わになっている」(どういう日本語だ)を理由とするのは間違ってる。
いちおう書いとくけど如月真弘の人間性には問題があるし大袈裟に騒ぎすぎなのには同意するし性的コンテンツ認定するのはTwitterの勝手だ。
確かにそうです。俳優だって人間なんだから素敵な人がいたら惹かれるに決まってます。
財木くんが今、色々な仕事ができているのは事務所やマネージャーさんや業界関係者の力はもちろん、財木くん自身の力もあるでしょう。
でも財木くんの為にお金を払ってくれるファンがいなければその仕事は成り立ちません。
若手俳優という財木くんの今の立場では、お金を払っているファンがいる以上、その人達に対して彼女がいても隠す努力をしないといけない、隠し通さなければならないのでは無いのでしょうか。
幻滅しました、ファンやめます!とかは別に悪いことだとは思わないんだけど、
自分がファンだから、こうあるべきだ!って考えには共感できない。
夢の国の住人がパレード終わると共に人前で頭を取ったりしないのと同じ、って説明が以前あったけど、
俳優、女優は夢の国の住人が頭を取らないのと同じレベルで、結婚しないこと、恋人がいないことが大前提な存在ではないから、少したとえとしては大袈裟に思える。
ファンからしたらそれが大前提なのかもしれないけど、どうしてそこまで上から目線にファンができるのかがやっぱり疑問。
詳しい人教えてください。
だいたい年に二三回はカラオケにいく機会があって、毎回決まってバンプ・オブ・チキンの『天体観測』を歌うんだけど、いつも画面を見ながらじゃないと歌えない。
バンプは一時期ハマったきりで最近はまったく聴いてないんだけど、十回二十回と歌っているのに(もっといえば一〇〇回は聴いているはずなのに)歌詞を覚えられないのはちょっと異常なんじゃないかと不安になっている。
ぜんぜん覚えられないわけじゃなくて、一部分があやふやになる。
〽(歌詞途中から)……ベルトに結んだラジオ雨はふらないらしい。***********はじめよう天体観測。……
ああもう、いま思い出してみてもこんな感じ。ひどい。
検索して歌詞を確認してみたら、ああ「二分後に君が来た。大袈裟な荷物しょって来た」だったなあ、そういえば、とは思う。歌詞が覚えられない、歌の流れのようなものに乗るのが苦手、みたいな症例があったりするのだろうかと思って調べてみたらアスペルガーだの学習障害だのが出てきて滅入る。
https://anond.hatelabo.jp/20180203125454
おはようございます。ガンダムと攻殻が同じに見える彼氏がいる元増田?です。
実は増田に投稿するのは初めてでして、思っていた以上に反応をいただき、有難い限りです。同意、批判、考察、助言、お叱り、励まし、独り言、全部読みました。
こんなふうに追記をするという行為がこの場所に相応しいものか正直よくわかっていないのですが、拙い愚痴に足を止めて心情を吐露してくださった皆さんへの、ささやかで独りよがりな感謝の意として、軽く流してください。
私が増田に件の記事を投稿したのは、これまで彼と一緒にいて、この類いの強いショックを感じたことがなく、そのこと自体に衝撃を受けてしまったといいますか、ともかく私が感じた自然な心を、なるべく嘘をつかないように残しておきたかったからです。この件について第三者がどう感じるのか、本音を聞いてみたいという打算も含んでいます。
おかげさまで、私が考えもしなかったご意見もいただき目から鱗です。何度もハッとさせられました。面白いネタもあってニヤけました。
「誰もが自分の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる」とは有名な哲学者の言葉ですが、まさにその通りだなあとしみじみ感じています。
あとはこれをどれだけ私の肥やしにできるか、でしょうか。できる限りがんばりたいです。
彼とは、今回書かせていただいた「物語」とは異なる部分で、たくさんのことを共有することができています。共に過ごした時間はもちろん、やっているスポーツだったり、必ず笑ってしまうお笑い芸人のネタだったり、好きなかき氷の味だったり、下らないことから大切なことまでたくさん。
共有できない部分もあります。私は堺雅人さんの演技がとても好きですが、彼は大袈裟に思えて好きではないそうです。彼は大塚製薬の商品パッケージ全般が洗練されていて美しく感じるとのことですが、私にとっては手元に無ければ詳細を思い描けない程度の些末事です。こちらも大小様々です。
私と彼にとって、感性の違いは、既に互いに認識していることです。当然のことです。
なのに、わかっていたはずなのに、この件に関して私はショックを受けた。それが意味するものが何なのか、明確な答えを私は持ち得ない。
だからこれは、彼の問題というより、まず私の問題なのだと思います。
件の記事ははごちゃごちゃした状態で書いてしまったので私の恣意的なフィルターがかかっています。ちょっと狙った狡いタイトルにしてしまいました。ここで私の罪悪感を軽くしておきたい。悪口書いちゃってごめんね。
ちなみに、答えはまだはっきりと出せていません。
わかっていたつもりなだけで、私が何もわかっていなかっただけなのか。彼と何かが違うということに、嫌な気持ちを抱いたのはなぜか。その気持ちの源泉はなにか。
この一件は、他のすべてを帳消しにするほど、私にとって大きなことなのか。私の中から生じた嫌な気持ちを、わたしはどう扱うべきなのか。どう扱うことができるのか。
また、もしかすると、彼にとっての大塚製薬パッケージは、私にとっての物語と同等の存在なのかもしれない。私が感じた気持ちと似たものを、彼も感じていたとしたら。
そして、この件を彼と共有すべきなのか。自分ですら折り合いがつけられていない気持ちを、正しく伝えることができるのか。そもそもなぜ伝えるのか、その必要はあるのか。私は私の問題について、彼に何かを求めているのか。だとしたら、何を求めているのか。
書くことで整理できると思っていたのですが、余計散らかってしまったような気もします。考えすぎと言われてしまえばそこまでですが。自分のことながら難儀なものです。
まあ、ガンダムと攻殻及びパトレイバーの違いと彼の認識について、ちょーっとがっかりしたのは事実なので、いつか興味を持ってもらえた暁には、渾身のパワポでプレゼンでもしようと思います。ボトムズも添えて。
時々自虐を挟んで同情誘ってるけど、それは謙虚に自己抑制をしてますよーと見せかけてる。
自分はやべぇ奴なんだと言い出す人って、そう本気では思ってなくて、己のことが可愛くて正確に客観視はできてないんだよね。
他の方が言ってるように感想送ればよかったとは言わない。感想は本人のモチベ上がる可能性はあるかもだけど、送ったところで相手の活動を強制するものではないし、ジャンルにそのまま留まるとは限らないから。
というか何を作るなんて自由だし、創作する上での目的なんて人それぞれなのが創作でしょうよ。
最大限に気持ち悪いのが、なんで他人が増田の思い通りじゃないといけないのかってところ。
人の自由を認めてあげない時点で酷い。
増田の創作におけるその固定観念、何を根拠にどこまで通用すると思ってるんだろうか。宗旨替えしちゃいけない法律なんかどこにもないのに、何様目線?
増田からAさんのためにしてあげたこと、何一つないんでしょ。徹頭徹尾、貰いっぱなしの受身のままでいたのに陰で文句を言える立場?
「好きになったものは一途だと自称する増田こそが地雷を理由にAさんを裏切った」の間違いでは?
Aさんがまるで自分のために作品を作ってくれてたみたいに、勘違いしてるところあるよね。
感情に訴えて、脳内片想いBLや百合に変換できる人達に対して綺麗で共感してもらいやすい文章を書いてるけど、あの人自分のためのA×B萌え製造機ではなくなったんだよ!悔しい!ってだけじゃない。
ROM専ならまだしも、同じ作り手の立場で描くCP変えたら即裏切り者扱いとかね。
けどそれを絶対悪と責めていいのが当然なら、誰も二次創作なんかしなくなるね。
嫌だもん、ずっと私好みの話を作り続けろなんて面倒くさいのが粘着してくるなんて。
創作者は同じものを生産し続けるメーカーなんかじゃない。思い思いのアートを紡いで作品作ってるんだよ。それをわきまえずに創作者を名乗らんでくれ。
ずっと好きなものは変わらないといいながら、もうAさんのことは好きか嫌いかわからんみたいなことを述べる矛盾はどうなのさ。
当人の作る作品好きだからカプ変わっても好き、までには至らなかったわけでしょ。
結局Aさんの作品よりカプ優先。条件付きの好意だからカプにだけ一途ってことだよね。
作る作品が地雷になった=増田にとって都合が悪くなった、だからこうやって文章公開して攻撃してOK。
これだけ都合よく使われる一途ったらない(笑)
この話がAさんに届いたとして、察しのいい人ならもしかして自分のことかと思うかもね。
Aさんではなく思い当たる人も、傷ついたでしょう。
実際Aさんのこと、傷つけてやりたいんでしょ?
悪意の意図が透けて意地汚い。
今までさんざん行動しなかったのに、遅きに失したところで遠回しに恨みつらみを吐くなんて陰湿極まりない。
つらいよーってドタバタ騒いでるけど、あなたは間違いなくつらいと話す他人の痛みは100年我慢できる。
愛憎とかタイトルでカッコつけたこと言ってるけど、Aさんはただの作品製造機であり、好きなのは一貫して萌えるA×Bだけ。
他人に供給源作ってもらえなくなった!!ヤダーー!!って話を大袈裟にしたまでのこと。
仮にもファンだったこと、自身も創作者を謳っておきながら、こんな安全なとこで自己愛に酔うってのが片腹痛い。
みんな優しい言葉コメントしてあげててめちゃくちゃ気を使ってて、ほんと聖人だと思った。
これに賛同したり許容して、中には私は過激な行為した、同じ考えだからメールしてとかくだらないことほざいてる人もいて笑うけどさ。
私が言いたいのは固定がダメ、雑食ぐらい許せってことではないよ。
初めて出来た恋人とラブホに行くようになったものの、入れるのはまだ怖かったのでオーラルで勘弁してもらっていた
しかしそのうち彼は我慢できなくなったらしく「先っぽだけ!先っぽだけ入れさせて!」と懇願された
本当にこの「先っぽだけ」という言葉を現実で言われると思わず、私はひどくショックを受けた
コントや週刊誌の創作猥談の中でのみ存在する(=笑いを誘うための)言葉だと思っていた
彼の「先っぽだけでも入れたい」という感情を嫌悪したわけではない
当初「俺はあなたがいいと言うまで待つよ」と言った彼が「先っぽだけ」という滑稽なフレーズを現実で口に出してしまうほどの変わりよう、哀れさ、しょうもなさにただただ驚愕し、言葉を失っただけだ
てか私が大袈裟なだけでみんな意外と言われてたりするの?「先っぽだけ」って
「自分は何年もウナギ食べるの我慢してたのに、みんなウナギ食べるのをやめてくれなかった」とか嘆いている奴、意味不明。
ツイッターの片隅で、口先で「私は食べません」アピールしたところで、どんな社会的影響力があると思ったのか。
心ある市民の草の根運動で、乱獲が止められると本気で思っていたのか。
テレビの報道はいつ見ても一貫していた。ウナギが少なくなっているのは中国のせい、黒潮のせい、異常気象のせい、たまたま遅れているだけ。いずれは完全養殖でなんとかなる。消費を控えるなんてとんでもない。さあ、土用の丑の日にはウナギを食べよう!
『だってスーパーに行けば売ってるし、店でも食べられるし、絶滅なんて嘘でしょ大袈裟に騒いでいるだけで。
絶滅しそうなものが売られているなんて、常識的に考えてありえない。だからウナギは食べてもいい。
誰かが買わなきゃ廃棄されるだけ、勿体ない。買わないなんてありえない。食べ物は大事にしないと。
店の人も商売だしね。誰も悪いことしてないのに、どうして非難されなきゃいけないの。』
そういう空気を変えるために、ツイッターでちょろっと「私はウナギ食べません」アピールしたからって何になるんだよ。
国が動かなきゃどうしようもねーんだって、それこそ何年も言われつづけてきただろ。
でも、国を相手に要求するってことは避けてきたんだろ。世論に訴えるような積極的な言論活動すらしてこなかっただろ。
資源保護は大事だけど、自然保護団体みたいなことはやりたくない、活動家や思想家には見られたくなかったんだろ。
権利団体や権力とぶつからずにこの問題が解決できたわけねーだろ。