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はてなキーワード: 仏教とは

2024-02-04

anond:20240204165626

そもそも仏教は、教えを疑いなさい というところから始まるので。

100人仏教徒が居たら、100人結論があってもおかしくはない。

2024-01-29

anond:20240129115527

その気持ちはよくわかるけど本を読むときは一旦その思惑とか捨てて読んで取り組んでくれ

これは大事なことだから無意味精神論と誤解して聞き流したりしないように

君の好む言い方をすると一番コスパのいい提案をしてる

 

俺が一番愚かだと思うのは世に氾濫するマインドフルネス

あれ作った人たちは仏教瞑想有用エッセンスだけ効率的にかじり取ったつもりで

重要なことをごっそり取りこぼしてるので彼等の目的にとっても非効率になっている

  

仏教概念一通り勉強しろとか本数十冊読めとか言わないから、勧めた本一冊二冊は全部読んでそのまま取り込んで、仏教瞑想メソッド勝手に改変せず書いてる通りに取り組んでほしい

  

他の本を読んでチャンポンにしたりもしないように

俺は一時期までの瞑想の本殆ど全部チェックしてるけど結局勧めた本以外要らないというのが結論

2024-01-27

教育ゴロが何言っても無駄

NHK未来教育について議論しているのを見たが、その議論をしている人々は、教育に対する狂気的な親と同じような考えを持っている。

彼らに何を任せても無駄だと思う。もし私がタイムスリップして子供の頃に戻ったとしても、ハッカー精神を貫き、自己責任論を早いうちから獲得したいと思う。

ハッカー画家」という本では、学校は成長するまでの子供を収容する刑務所であると述べている。

世の中の真実とは、意思決定において自分自身しか責任をとれないということだ。大学受験をするもしないも、何を学ぶかも自己責任だ。

インターネットを早いうちから使えれば、賢い子供ならそこから加速度的に学習するだろう。強いていうなら、IT系企業で働く大人子供ネットリテラシーを教えると良い。

小中高で習うような学習内容はいつでも再学習可能なので、落ちこぼれて悔やむ必要はない。

高学歴しか雇わないJTCが社会構造支配しているという問題を、教育問題すり替えるのは愚かだろう。

それも自己責任だ。JTCで雇われようと考える必要はない。

もし大人が教えなければならないとしたら、それは基本的倫理についてだ。

クソフルエンサーを目指したり、バズ狙いで稼いだりすることがなぜナルシスト的で自己破滅させ、他者迷惑をかけるのか。

現代における倫理をまともに教えられる大人こそ、教育者としてふさわしいと言えるだろう。

難しい話ではない。そのような倫理はすでに旧約聖書に記されている。新約聖書ではない、旧約聖書である

仏教や禅からも学べることはあるが、坊主のように浮世離れしたところで生きていくことはできない。

倫理には実用性が必要であり、聖書には現代に通ずるものがある。タイパが重要というなら、ソロモン王の箴言だけでも読んでおいた方が良い。

日中韓教育ママ倫理教育を疎かにし、インテリ気取りで受験のためのコンテンツを詰め込もうとするが、それは教育ではなく、妖怪製造工場だ。

かに知識重要であるしか知識競争傲慢さを生む。自分を賢いとみなす者が幅を利かせる地獄である

2024-01-24

Xのインプレゾンビが消えてくようなのでお蔵入りしたポスト放出する

国際ジョークとして放出するにも危険だし、良い感じに短くするのも難しくてやめたやつを適当に放流。

以下、本文。

インプレゾンビにキレたイーロン・マスクは、X社CEOリンダ・ヤッカリーノに命じ、Xに下のような挑発文を表示させた

キリスト教圏には「欲望に溺れて泡銭にすがり、人命のみならず己の魂すら売る強欲な者たちに、神の審判は訪れる!

金儲けのために真理を踏みにじり、他者を欺くことで得られる幻惑の富は、最終的には喪失絶望に変わる。悔い改め、誠実なる生き方を求めよ。さもなくば、いずれ正義の光によって全ては照らし出されるだろう」と

イスラム教圏には

「金の虜になりし者よ。汝らは預言者の教えを忘れ、隣人の財産を欲し、金の雄牛を崇めるのか?

欲望かられ、正義と慈悲を忘れることで得られる富は、終わりには心の荒廃と罪深さに導く。悔い改め、純粋なる信仰に立ち返れ!」と

「財富の追求に没頭する者たちよ、ユダヤ神聖なる教えを見失い、英語数学肋骨とした偽の泥人形に奪わせた富は、結局は虚偽と空しさに満ちている。

神の教えに沿った正義と慈悲こそが、真の豊かさの源なのだ…」と

儒教圏には「仁義を欠き、父祖の苦労を忘れた者たちよ。彼等が必死勉強して得た知恵を、血も涙もない金儲けをするキョンシーに変えることが汝らの文化なのか?

真の富は仁と礼によって築かれ、誠実な商売をする事こそが真なる価値だ。金儲けのために己の文化冒涜することなく誠心誠意をもって生きるべきだ」と

仏教圏には「煩悩に囚われ、機械依存欲望に従い、悟りを得ずして未法の世を築くことが汝らの望みなのか?

仏陀の教えに従わず無常の理を知りながらにして迷信ドグマを広め、悟りを果たさぬ機械によって金儲けを図ることは真に愚かな行為だ。

正しい手段生計を立て、慈悲深く善行を積むことこそが、涅槃に至る豊かなる心と真の福徳であると悟れ」と

ヒンドゥー教圏には「神々や信仰への敬意を無視し、機械を新たなヴァルナ奴隷として利用し、人を欺いて金を得る行為は、完全なる神への冒涜である

人の尊厳軽蔑し、偽りの崇拝を追求することで手に入る富は真の宝ではなく、心の浄化から遠ざかるものである

神々が授けた文化智慧と慈悲の尊さを理解せず、機械を踊らせるために利用するなど、自ら輪廻に捉われんとする無益努力である」と

ブードゥー教圏には「貴方方には同情する。

今や映画のみならず、インターネットにも間違ったゾンビ蔓延っている.......」と書かせた

このように全宗教を敵に回したXは公式アカウントからイーロン・マスクのみならず関係者全員のアカウントを完全に炎上させ、ユーザーほとんどが脱退し、その跡地には熱心なブードゥー教徒と日本のクソ無宗教ネタツイッタラーしか残らなかったという

2024-01-19

anond:20240118234905

仏教の話が皆無だなぁ。学会員さんが信じてるのは学会池田大作なのが伝わるというか。

真面目に教学すると、僧侶を捨てたって事実を前にどうしようも無くなるもの

そして僧侶が居ないから、経文読む意味も、題目あげる意味も伝わらない。

御書を読める人は居なくなり、法は失われる。悲しい事だよ。

2024-01-18

anond:20240118221654

人が他者に持つべき心は慈悲であって愛(執着)ではないということは、とうの昔に仏教が説いた

2024-01-17

「死んだら無になる」って誰が言いだしたんだろう、と思い調べ始めたが……思ったよりも大変だなこれ

近代日本人死生観』という論文……国士舘大学講演会資料?……に以下のような記述がある

一九〇一年、死を宣告された政治思想家の中江兆民は、間近に迫った自己の死を強く意識しながら、『一年有半』、『続一年有半』を著しました。そこでは身体(駆殻)こそがすべてで、精神などというもの実在を想定する必要はない、死とともに個人存在は終わるのだというさっぱりとした考えがけれんみなく提示されています

へぇ~、明治のころにはもう最近日本人がしばしば言いがちな「死んだら無になる」って考えを持った人がいたんだなあ

じゃあこの「死んだら無になる」って考えはどの時代までさかのぼることが出来るんだ?

というわけで、まずは「無神論歴史」で調べてみた

しかしこの路線頓挫する

「神」の存在否定しても「霊魂」の存在否定しない考え方もあるようなのだ

無神論だと範囲が広すぎる

一応、仏教には「断見」という概念存在する

断見 - Wikipedia

断見(だんけん)とは、因果法則無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ[1]。反対語は常見(じょうけん)。

まさしく「死んだら無」の考え方

しかし、この仏教の断見という考え方が現在日本の「死んだら無」という考え方に直接つながっているわけではおそらくないだろう

なお、前述の『近代日本人死生観』ではこのような見解

こうした考え方が広がっていく背景には、近代科学が前提とする唯物論的な世界観の影響があるのは確かです。しかしまた、現世を尊ぶ儒教神道、また霊魂実在ということを否定する仏教伝統が影響を及ぼしていると見ることもできます

じゃあ唯物論について調べるか……と思ったがここで調査打ち切り

哲学に関して調べるための前提知識があまりに不足していた

なんか唯物論西欧での歴史をざっくり眺めてると、神の存在否定していないように見えるんだよな……ここらへんキリスト教の知見が足りないのかもしれない

そしてなぜか途中から共産主義の話になる、わけわからんくなってしまった

キリスト教歴史について書かれた初学者向けの本を先に読むべきかもしれない

もともと私は幕末明治日本人宗教観を調べていたのだが、面白そうなテーマがあってつい脱線してしまった

2002年刊行の『死と唯物論』という本が面白そうなのだがすぐには入手できなさそうだ

日記

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Wikipediaの「無神論歴史」のページの記述関係ありそうなところをピックアップしておくか

「チャールヴァーカ」の項

パーリ経典によれば、紀元前6世紀アジタ・ケーサカンバリン仏教徒と議論をして「身体が滅びるとともに、賢者愚者も等しく滅する。彼らが死後も存在するということはない」といったことを既に説いている[3]。

現世利益を謳うと「死んだら無」の思想になる傾向が見える

江戸時代日本の「浮き世」の考え方(=現世利益)ととても相性がいい

しか日本には先祖崇拝and葬式仏教がある

「死んだら無」とはすなわち祖先もまた無になったということになるので受け入れ難いか

そういえば日本でも儒教で「無鬼論」というのがあったはず

これも「死んだら無」の論理だったが先祖を敬うことは推奨する思想になっていたのが上手いところ

流行りはしなかったようだが

エピクロス主義」の項

ルクレティウスは「神は存在しない[22]」と宣言した。エピクロス主義者は死後の世界存在否定した[23]。

エピクロスは「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」という語録も残しているようだ。原子論的(唯物論的だ)な考えから導き出された思想

西洋啓蒙時代まではキリスト教の影響が大きすぎて無神論の考え方は全然育たなかったみたいだ

ざっと見た感じ現世利益唯物論の合わせ技で生まれる発想みたいね

誰が言い出したんだという話からはズレるが、現代日本で「死んだら無」って言ってる人は漫画の影響とかありそうな気もする、知らんけど

デスノートとかそういう死生観作品だったような気がする

豆腐に代わるメシがなさすぎて困っている

豆腐である。あの「風立ちぬ」で本庄堀越二郎に向かって「たまには肉豆腐でも食え」と言ってはガツガツと食べていた肉豆腐である定食で食べてもウマいが居酒屋で酒とともに味わうのもたまらない。そもそも日本人大豆タンパク質を取ってきた。平安時代には仏教とともにインドから乳牛や乳製品も入ってきてて貴族たちはチーズヨーグルトを食べていたと聞くが、武士たちは大豆を食べ続けたという。肉豆腐もその旨さは肉にはない。肉の味が染み込んだ豆腐が旨いのである豆腐だけではない、一緒に入れたしらたきやえのきに染み込んだ味もたまらない。とにかく肉豆腐がうまくてたまらない。この1ヶ月でもう3回くらい作ってる気がする。

うちではこのクックパッドにあった無水調理レシピを使わせてもらってる。実際にはこの倍量を一気に作ってるが、好評すぎて翌日にはだいたいなくなってしまう。

https://cookpad.com/recipe/6857584

うまいだけの話ならたまに作ればいいだけである。肉豆腐有用性は味だけにとどまらない。ホットクックに材料を放り込んで煮ておけば簡単に作れてしまう。大量に作っても保温しておいたり温め直しをしたりして1〜2日平気で食べ続けられる。メインのおかずとしてもすばらしいが酒のツマミとしてもすばらしい。なんならご飯にかけてタマゴでも落とせば肉豆腐丼の完成だ。朝から夜まで肉豆腐で大満足である。つまり土曜に仕込んでおけば日曜日は一切料理しなくても平気ということである。あゝすばらしき完全休養日。

なんなら温め直さずご飯と一緒に炊き込んでしまうのもアリだ。

最近ハマってるメスティンで炊き込んで、蒸らし時間生卵を落としておけば10〜15分後にはいい感じの半熟卵になる。とろりとした黄身にからめて豆腐や肉を食べると、あまりの旨さに朝からテンションが上がる。

問題は、ここまで有用料理が他にないことである

  • ホットクックでほったらかし調理できる
  • そのままホットクックで温め直してもおいしい
  • おかずにもつまみにもなる
  • 野菜キノコ類も一緒に取れる
  • 冬場に食べても体が温まる
  • 夏場に食べてもおいしい
  • たくさん作って日曜日を完全休養日にできる

うまいからといって毎週のように作っててはさすがに飽きも来る。こういう条件を兼ね備えた料理があと3〜4種類は欲しい。ホットクックが便利すぎるのがいかんのだが、まあ慣れてしまったものは元には戻れない。

こうした料理、他になにかないものだろうか……

2024-01-16

anond:20240116173207

それは苦しいね

空気を読むには非言語コミュニケーションが大切なのかも知れない

あと仏教八正道正語(傷つける言葉を使わない)がある

2024-01-15

世界遺産シルクロード展に行き、疲れた

福岡アジア美術館世界遺産シルクロード展に行ってきた

月曜日だったので人も少なく、わりとゆったり見れた

入口にドーンと今回の展示の関係者として池田大作言葉が飾ってあった

最初は意外に思ったが、長年シルクロード文化には興味を持っていたみたいなことが書いてあり、シルクロード仏教伝来の道でもあるし、仏教由来の宗教家としては関係性が深いものなのかと納得した

また最近亡くなった宗教家コネマネーのおかげの展示なのかと思うと複雑な気持ちになったが、シルクロード神秘から新興宗教までと幅広い展示なんだなと思うことにした

展示の一歩目から金持ちの好事家のおっさんコレクションを見に来たみたいな気持ちにもなり興がそがれたが、もともと古来の名品なんて好事家のおっさんの蔵リレーみたいなところありそうだし、そんなもんなんだろう

展示内容としてはもともとのシルクロード地域的な広さ、飾られた品の制作年代の広さ、関係する文化圏の多さも相まって、出土品や名品を見ながらなんとなくの歴史を追うだけでも大分理解が難しく、これ予習してから来るべきだったなと反省した

ただ、紀元前2世紀から唐代(8世紀くらい)までのシルクロード(6500kmくらいあるらしい。日本国土は3500kmだそう)関連品なので、もうこれより広いカテゴリの展示ってあるのかなとも思った

序盤で頭がついていかなくなったので、キラキラデザインを楽しむ方向で見ることにした

老齢の御夫婦トルコ石で飾られた金の器を見て「見てみ、金ぴかやー」と言っていて、みんなそんなレベルなのかもしれんとなんか安心した

デザインとして気になったものとしては後漢時代の『車馬儀仗隊』

青銅製の杖持った人と馬と荷車のフィギュアセットみたいな感じ

三列くらいに並んでいて、一番後ろの二頭の馬が荷車を引いていたんだけど、明らかに左右で荷車のクオリティが違っていた

向かって左の荷車は板も薄く、引き縄も細く、板同士の溶接部分も最低限で繊細に作られているのに対し、右の荷車は板も太いし、縄も太く反り方も少なく、溶接部もぼってりと盛られていた

そっか設計図とかきっちりしたものがあるわけでもないし、一個ずつがハンドメイドからよく見たら大分見た目が変わるんだなと思った

ただ左の荷車はその細い設計のせいか、荷車の後ろの板部分と馬のしっぽ辺りを釣り糸で結び強度アップしており、大量生産をするなら右の荷車を元に設計図を起こす方がいいのだろう

あとは『妙法蓮華経化城喩品 断簡』の文字が細いところと太いところのギャップが激しく、全体的に平体みたいにつぶれていて、あんまり見ない感じの書体だなと思った

こういう古書由来のフォントってあるのだろうかと思いつつ、漢字だけだし、日本だとあんまりフォントに起こしても使えねえなと思って見ていた

なんか最後日中友好の証として送られてきたらしいラクダはく製が二頭飾られていて、本当に何を見に来たのかわからん気持ちになった

わりと情報量につかれた後、川端通商店街を歩き、櫛田神社に行った

お参りをした後、振り返るといつの間にか拝殿への列に中国人韓国人らしき観光客20人くらい並んでいた

もう頭が疲れていて、アジア―!くらいしか思わんかった

2024-01-10

anond:20240110181052

仏教のいう四苦は生老病死、苦の初めが生きるなので千年以上前から人類はそれに気が付いてたよ

2024-01-09

龍を守護獣としている戦国武将ってぱっと思いつかないんだよな

一応「越後の龍」がいるが……

上杉謙信が崇拝していたのは毘沙門天であって龍ではない(本当に?要調査

龍造寺だって龍を信仰しているわけではない(本当に?要調査

幼名が「龍王丸」の武将もいるけれど、別に成人後に龍アッピールしてるわけでもない

元寇神風も龍の気配がない

神風神道由来の概念

一方で、龍も風雨を操るとされるから「龍が風を起こした」と書かれた文献がひとつくらいあってもいいだろうに

元寇で吹いた強風が龍の仕業ではなく神風とされたのは何故なのか

いや、書いておいてなんだがなんとなく想像はつくがね……

龍は中国……特に中国皇帝のシンボルなので、日本側が龍に助けられたとすると都合が悪かったのだろう

元側の兵士の鎧に龍の意匠が描かれているのも傍証

ここらへんの話は「神国思想」について調べるのがよさそうか

だいたい昔の日本において龍は寺院……つまり仏教と紐づくものなんだ

龍の字を冠する寺院が何と多い事か

(前述の龍造寺氏は龍造寺村という地名由来でそう名乗っただけらしい)

仏教には「龍王」がいるから、これを守護神とした僧兵かいたのかな

じゃあ「僧兵 龍」でぐぐってみよう

……

《龍鐘の僧兵/Dragon Bell Monk》というMTGカードがひっかかって調べるのが大変そうなので今日はここで終わり

日記

---

龍はあくま瑞獣であって、信仰対象は仏になった?

蛇/龍信仰では人の姿を取らない相手信仰対象としていたが、時代が下るにつれて龍の属性を持った仏を信仰対象とするようにした……といったところか

不動明王と龍には関係があるようだ

不動明王信仰していた戦国武将ならたくさんいるだろう

『龍の世界』(講談社学術文庫)

『龍の起源』(角川ソフィア文庫)

上記二冊をkindleで入手し読書

もともとは幻想生物はいつまで実在が信じられていたかを調べるために読んでいたのだが、どんどん興味の対象が発散していく

2024-01-08

仏壇火事と老人をめぐる問題

実家仏壇を80代の母が管理してるのだけど、消火器への抵抗感がすごい。

家屋自体地区半世紀の木造で耐火もへったくれもないので火事になるとアウト。

なのに、おれが買ってきた消火器屋根裏部屋とか倉庫の置くとかに仕舞おうとする。

いやいや、火災時に誰でも対応できるように目立つ場所に置くもんでしょ、1階で火事が起きてから屋根裏に取りに行くとか無理でしょ、

などと説明してもゴチャゴチャと言って、帰省する都度消火器しまい込まれている。

トータルで、仏壇ってろうそくや線香を使うのに可燃性だし、高確率で老人が管理してて火災リスクが高い。

仏教界とか仏具界はなんらかのアクションを起こしてくれないか

自己消火性仏壇とかスプリンクラー付き仏壇とか。

2024-01-06

anond:20240106132630

独り身で都会に住んでると共同体感覚を失いやすいので正月お盆に会う程度の割り切った親戚付き合いならいいよなって思うけどね。

もちろん依存ズブズブのウェットな関係はやだけど。

あと仏教もいわゆる檀家制度仏教にはまるで興味がないけど仏教自体は、心に平穏を与えるためのメソッド程度な意味で役立つもんだと思ってる。

2024-01-05

異世界ジャガイモとか仏教由来の言葉は許してもいいけどフェンリル種族名)だけは許さないよ 俺は

それは北欧神話におけるロキの息子の一人だよ

2024-01-03

anond:20240103130226

これぞ上座部ジェンダー仏教

男どもはこういう時に日頃の行動を反省するがいいよ

2024-01-02

anond:20240102133217

さらに遡れば戦前革新右翼だってそうだし

幕末維新テロリストだってそうだし

政治じゃない仏教宗派の抗争にもこういう連中が関わってるし

つの時代にもいるんじゃね?基本は性格だろうね

2023-12-30

anond:20231230110802

人間健康とき健康のことを意識していないよね。

健康から健康のことを考えるんだよ。

第一人間病気老化そして死を免れることはできない。仏教ですよ仏教

2023-12-29

anond:20231228235607

いいえ、間違いです。

醍醐味五味の一つですが、この場合五味仏教五味であり、

  1. 乳味
  2. 酪味
  3. 生酥味(しょうそみ)
  4. 熟酥味
  5. 醍醐味

の5つとなります

よって嘘増罪により地獄行き確定ですゾ!!!!!

2023-12-27

クリスマス終わったね(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

あれ!旦那に襲われないまま

終わったけどw

はぁ?いいんて、

我が家仏教から

正月暑い夜なんて!

って、ボコボコに凹みながら

昨日、旦那

はいじけたから寝るって言って

9時に寝ましたw

なんせ、旦那も私も40代なので

日中疲れると、

夜のパワーが下半身に行かないわけで

昨日はお仕事頑張ってくれた

旦那感謝です♡

で、これから登校拒否軍団

通知表宿題もらいに行ってきます

(о´∀`о)🎵

本日旦那

2023-12-26

anond:20231224205347

自分は「宗教は『まだ必要である」という立場をとる。

非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。

日本人宗教観について

日本人宗教批判は主にオウム神理教創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教やばい」となり、それが「宗教的なものやばい」となっているのではないか。たしか新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会問題がある。

日本人全体で、なんとなく「宗教やばい」というゆるやかな共通認識があると思う。

そこから宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間けが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。

ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力権威金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブ意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教ネガティブな部分についてのものが多いと思われる。

また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか

アイドル文化について

宗教的なものやばいの1つの例でいえば、ガチドルオタキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りから理解不能なのであるアイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。

アイドル推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドル状態を維持可能状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドル存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。

宗教のはじまりについて

宗教のはじまりアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないもの発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。

日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分主観による)。「科学的な権威ありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。

そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。

自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。

宗教果たしてきた役割について

宗教必要かどうかは置いておいて、その発生過程宗教果たしてきた役割は、歴史学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たか宗教とき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である現在の今の自分にとって宗教全然必要でないと感じていたとしても、その自分存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなもの人類の中で大きな役目を持つようになったのか。

真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しか宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。

科学であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか

宗教は実際に無くせるか

また「宗教必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。

実際にとりあえず「宗教必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。

ありとあらゆる宗教的なもの不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。

宗教宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである

科学万能論についての批判

宗教科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。

まり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。

いったいなぜ、科学であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか

そして、自分にとって宗教必要いからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。

科学万能論者の傾向とその批判

それから自分は、ロジカルシンキング科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分ロジカルシンキングのもの科学思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。

彼らは科学論理というアカデミック権威おこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的人間宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。

Vimについて

Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である

もちろんあなたVimを導入しないという選択をとることもできる。

おわりに

こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である生臭坊主と言われる。

自分は、そうした既製品宗教や、新興宗教教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。

宗教おもしろい。とりわけ理系哲学文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。

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