はてなキーワード: ワナとは
(1)甲の起こしたある事象Aに対し、それを批判してA'にすべきではないかと論じる乙(A→A')がいたとき、
(2)乙の立場に一定の理解を示しながらも、行き過ぎた部分があるとして甲を擁護する丙があらわれるのだが、
(3)丙が指摘する「行き過ぎた部分」は乙の議論(A→A')を宣言なく無視して丙の設定したもの(A→B)を前提としていて、
(4)丙による議論のすり替え(A'→B)によって乙に対する不当な印象操作が行われている
表面上は乙に理解を示しつつ、議論の前提をすり替えてしまうことで、
(A→B)という過大な要求を突きつけた、という濡衣を着せる論法である。
丙にとっては、悪意なく陥ってしまいがちな思考のワナという場合もあるが、
乙にとっては、感情のレベルでは肯定されつつも議論としては前提すら認められない、という
過酷なダブルバインドの状態に陥れられる、極めて破壊的な人格攻撃にもなりうる。
「隠し藁人形論法」とでも呼ぶべきか。
東京から地元へUターンしてかえってきてびっくりしたことは、喫煙率の高さだ。
東京だと、学生時代に煙草を吸ってた人も30代になったころや、結婚するとどんどん煙草をやめていく。
30代、40代が、家庭を持ってるのにプカプカ吸ってるのが当たり前。
吸ってない自分がマイノリティーという状況に遭遇したのは人生初だ。臭くてつらい。
オランダに旅行したときにコーヒーショップ前ってマリワナくせーと思ったような感覚と同じく、田舎の集団に入ると、たばこくせーと思う。しかも臭いが体にまとわりつく。
田舎は、おそらくタバコを吸って嫌がられる機会が都会に比べて圧倒的に少ないから吸い続けるのだと思う。
さらには、村社会だから、友達や先輩が吸ってるから吸う、という言い訳をしているようにも思う。
もしくは、田舎は高卒が多いから、過去に属したコミュニティの問題もあるのかもしれない。
そんな田舎でも、最近、家族を気にしてアイコスに切り替える人が増えてきた。
これは有難い。臭いがだいぶマシだ。喫煙者に言わせるとアイコスは味が薄いらしいが、この際、全員アイコスにしてほしい。
なので、私は、アイコスは減税、たばこは増税にすればいいと思う。
煙が出るタイプのたばこは1つ2000円くらいにして、アイコスは300円くらいでどうか。
極端な増税は税収の問題がありそうだが、アイコスを減税すれば問題ないだろう。逆にアイコスが売れて経済効果がでるやもしれない。地デジに国が切り替えたように、アイコスに切り替えてほしい。地デジと違って、アイコスは継続的に売上げがあがるから、経済効果もある。
語呂もよい。繰り返そう。
冷静になったら、収集行為に熱中できる普通の人って殆どいないと思うんだよね。
ネトゲソシャゲ歴10年超で各地を転々としてきた私の意見では、
データをコレクションすることに異様な執着を見せる人たちは怖い。狂気だ。
私は自分の上達を感じ楽しむことが主軸になっているゲームが好きだ。
試行錯誤を重ねる苦味と、心身が鍛えられていく清涼感があるもの。
あまり考えなくても簡単な作業を続ければ確かなフィードバックが貰える。
その楽しみは確かに甘美だ。
でも、気づくと甘さ漬けにされて、甘さ中毒になる。
そうなると、甘さを求めて際限なく課金するようになる。
甘さの「上限」が引き上げられたり、
以前は甘かったものが渋く感じられるようになったりもする。
だから最近のソシャゲは、甘さ漬け路線がベースではあるけれど、
手応えを感じる苦味を混ぜたものが増えつつあると思っている。
そこに来たコレ。
傍から見ると薄くて甘いだけの水に見えるのだけれど。
プレイしている人はコクを感じているのだろうか。
元増田です。あんど、かなり私見に満ちたレスになるのでそこは最初に申し訳ないと言っておきます。
ところで本題とは離れるが、「興味を持て」というアドバイス。これ、小さい頃から折に触れて言われるけども。
「他人に興味を持て」っていうのと「好きになれ」ってのは別のことだよ。
最終的に結果として好きになるってことはあるし、そうなると情報収集がはかどるってのは事実なんだけど、好きになる必要はない。むしろ、好きになろうとすれば面倒くさい(よって嫌気がさす)ので、好きになろうとしないほうが結果はうまくいく。
「他人に興味を持て」ってのは「好きになれ」という意味であるという前提で増田は悩んでるみたいだけど、「興味を持て」は、文字通り「興味を持て」でそれだけの意味なんだ。好悪とは関係ない。感情というよりも、実は、かなり技術的問題だ。今回はその技術を私見べったりで説明してみたいと思う。
まず、一番最初にチェックすべきなのは、自分の心身の健康だ。興味を持つってのはエネルギーを使うので、新進が健康じゃないと実行できないし、途中で疲れる。健康は大事だ。健康的でそこそこ余裕のある生活を送るべきなんだけど、それはほかにもたくさん記事があると思うので、そっちに譲る。いえるのは、週一くらいで目的もなく散歩だの自転車お出かけだのできる程度は、キープすべきだと思う。
次にマインドセットだ。
相手の人格とか性格とか個人に興味なんて持たなくていい。それは価値が低いし応用範囲も狭い。そもそも、好きな相手だったら、ノウハウも何も必要なく、魂の命じるままに相手に詳しくなっていくでしょう? 「興味を持とう」ってのは相手や物事に関心が無い場合か、どちらかといえば嫌いや苦手なものばかりな時に使う技術だ。にもかかわらず、行為を出発点にするなら、増田のはまっているワナ同様身動きできなくなるだけだ。
重ねて言うけれど、相手の人格や性格は入り口として不適当だ。同様の理由として、相手の趣味や、好きな芸能番組や、そういうのも、全部不適当だ。
じゃあどういう風にすればいいのか? ってことだけど、別の切り口から興味を持つべきだ。「やっている仕事(学問でもいい)」「出身地」「家族構成」だ。この三つは汎用性があって、興味をもてるし、広がりがある。
この切り口の素晴らしいところは、相手の人格と(とりあえずは)切り離されているという点だ。最初のとっかかりとしてはフラットともいえる。
たとえば「Aさんが嫌い。だけど(社会生活や人間関係を考えると)興味を持ってみるべきだとおもう」という状況で、「Aさんは布団の販売員」だったとして「布団の販売員は嫌い!」とは、普通ならない。たとえAさんが嫌いでも、全国の布団の販売員全員が嫌いなんてことは、ふつうないだろう。
布団の販売員という仕事にはそれなりに興味深い部分や面白いところは見つけられるはずだ。自分のやってる仕事と全く重ならない新しい発見かもしれないし、業界や業種を超えて似たような苦労をするという教官かもしれないけれど、ちゃんと話を聞けば布団の販売員は面白い。
どんな仕事でも、この世に存在するってことは、それなりの需要があって、そこに人間を配置する意味がある。ベルトコンベアの上で倒れたドモホルンリンクルを治す工場員だって、意味があるし、聞いてみれば、それなりのエピソードがあるはずだ。自分の知らない仕事の話は、たいてい楽しいし興味深い。もちろん全部が全部楽しいわけじゃないけれど、どこかしら、小さな部分であれ、興味が持てる部分がある(ないとしたら掘り下げが甘いとこの段階では思っておこう)。
似たような発想で「出身地」もある。例えば増田が東京生まれの東京育ちだとして、新潟出身の人の地元話は、知らないことや知ってることがあるだろう。給食や修学旅行の先が全く別かもしれないし、田舎暮らしという面白い経験を持ってるかもしれない。
家族構成もそうだ。兄弟姉妹の有無や、祖父祖母との同居など、誰もが抱えつつもバリエーションがあって、新しい発見があるというポイントが重要だ。
Aさんが嫌いだとしても「行き遅れの妹が家でニートしてる人全員キライ」とは、ふつうならない。その部分に興味を持つことはできるはずだ。
一方で「趣味の話」や「コレクションの話」なんてものは、一般にはお勧めの話題のように思われているが、実は相手に興味を持とうという段階では役に立たない。語ってるほうは気持ちいいかもしれないが、こちらはそもそもAさんに興味がないわけで、そこで趣味の話をされても、よほど話し上手でもなければ楽しめない。自分がその趣味の知識がなくてもつまらないし、たとえ知識があったとしてもわかってるうんちく語りなんて楽しいものじゃない。必要なのは「理解は十分にできるが実地の部分は知らない好奇心を持てる話題」なのだ。なので、お勧めは「やっている仕事」「出身地」「家族構成」だ。誰でもその三つは持ってるし、話を聞いてる最中、自分の似た経験と比較して考えたり質問したりできる。
一般的な仕事の人間関係や、学生のサークル関係、ご近所づきあいなどにおいて「相手に興味をもってよく見てみろよ」なんていうアドバイスの射程距離は、上記のレベルの好奇心や興味で十分だ。個人にたいする好き嫌いなんて関係ない。完全に社交技術とかマインドセットの問題で、やり方わかってれば確実にできる。
でもその先にももちろん道は続いている。
たとえば「いまいちいけ好かないAさん」がいたとしても「新潟出身の話をしてるAさん」や「布団販売員の話をしてるAさん」は、さほど嫌いにならないで済むかもしれない。
興味を持てるとっかかりが入手できれば、新しいAさん像にたどり着けるかもしれないのだ。
これは重要な点だ。そもそも、人間、ない面でも外面でもそんな一枚岩でぶれない存在じゃない。挨拶するたびに中身が入れ替わるけど顔が同じだから同一人物判定してる程度の、もやもやあいまいな存在だ。Aさんは嫌いだとしても、その一部分くらいは好きになれる。嫌いなAさんっていうのは、「まだ接点をうまく探せていない」だけだ。嫌ってるAさんは、Aさんの一部でしかない。
Aさんが自慢たらたらでおっぱいをじろじろ見てくる髪の毛の薄いハゲであるってのも、それはそれで事実であるかもしれないからだ(架空の人物に対してひどいなすみません)。
でも、だからといって、その理由で「Aさんのすべてが完全に興味の持てない最悪の屑である」保証はない、むしろ、どこかしらは面白い何かも含んでるんだろうな――って思ってたほうが、精神衛生上もいいし、話しかけるときのストレスも下がって得だ。「得だからやる」程度でいいんだ。好きにならなきゃいけないとか、いい子でいなきゃいけないとか、誠実でなきゃいけないとか、そんなの後回しでいい。最初は技術オンリーの人間理解でかまわない。
好きになるとか友人になるとか、この段階から見れば、まだまだずーっと先の話でいい。
まとめ
・興味を持つと好きになるは違う
・好きにならないまま損得で興味を持ってよいしそのほうがいい
・仕事、出身地、家族構成、世代あたりを切り口に相手の部分部分に興味を持てばよい
・全体としては嫌いでも一向にかまわない
以上です。
西暦2×××年、簡単な注射によって男性も母乳ならぬ父乳の分泌が可能となった。それが実用化されて何十年目かのこと。
A社勤務のタナカさんは第二子を父乳育児中。出勤前と帰宅後の授乳はタナカさんの役目だという。
タナカさんの職場には父乳育児経験者が多く、経験者たちがサプリや本を差し入れてくれる。中にはおばあちゃんの知恵袋的に豆や雑穀を差し入れる人もいる。
職場でも有名な筋トレマニアのヤマザキさんは「授乳による筋肉の質の変化」を力説しにくる。確かに最近TARZANの父乳特集は大好評らしい。健康によくやせて筋肉の質も良くなり、しかもイクメンとして妻との仲も良好になるとかなんとか。マッチョな子育て中の人気俳優が胸筋を見せて我が子に授乳している号の売り上げは普段の倍近くだったという。
父乳界の先鞭かつカリスマと言われるのは数年前にスポーツドラマでブレイクした若手俳優。できちゃった婚を逆手にとって父乳育児を前面に出したブログ、食べ物やサプリのプロデュース、彼がイメージキャラクターを務めるフォトスタジオの「パパの授乳ポートレイト」プランが大人気だとか。
女性係長のオノさんは、旦那さんが自営で下戸なので、母乳を早々にやめて父乳オンリーに切り替えた。子供がパパにべったりなのよと愚痴りながらも嬉しそうだ。
もちろん上手くいくケースばかりじゃない。ナカノさんは奥さんに「なんか気持ち悪い」と言われて娘の父乳育児を諦めた。カワナさんは旦那さんに父乳を渋りまくられすっかり関係が冷めてしまったとこぼす。オノ係長も父乳オンリーにするときに、姑には色々と嫌味を言われたそうだ。健康や仕事や家族の反対なんかの理由で父乳を選べなかった人は「父乳をあげてこそ父親」という風潮に息苦しさを感じているという。
話をタナカさんに戻そう。タナカさんは第一子のときに営業部におり、残業と飲み会続きのため父乳にトライできなかった。だから今、念願の父乳育児ができて大変だけど幸せらしい。目下の悩みは上の子の赤ちゃんがえり。「下の子ちゃんはパパにもママにもおっぱいもらえてズルい!」と駄々をこねるんだそう。
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「…っていう世の中が来てもいいと思うんだよね。子供を男が産むのは臓器的に難しいけど乳はあるんだし」
という妄想会話を夫としていたのですが、わりと本気で実現すればいいのになあと思う。
そうなったら「父乳育児をめぐるモヤモヤ」が小町の人気トピになったり、彼が父乳イクメンかを見分ける方法みたいなまとめ記事が量産されたりするんだろうか。父乳ハラスメントが社会問題になったりとかね。
ちなみに夫は「そうなったらとりあえずお互いのおっぱい味見するよね」と満更でもなさそうであった。
参考までに少しだけスペックを。
独身。♀。テレビほとんど見ない。聴く音楽は古めの洋楽か偏ったJ-POP。SNSはロムるのみ。ジャニーズを毛嫌いしていた。好みのタイプの芸能人 そんなのない(芸能人にあまり興味ない)
経緯はここでは省くが
そして以下のような症状を少しずつ発症しつつ、およそ1ヶ月が経った。
・アイドル誌を買い始める。
・知らないうちに興味のなかったグループについても詳しくなっている。
自分の場合、ジャニーズ全体を結構毛嫌いしていた為予想だにしなかった自担発見と同時にジャニヲタになったことをワナワナと確信。戸惑いながらも目一杯アクセル踏んでジャニヲタ沼に突っ込もうと覚悟を決めた。そして人間ってこうも一瞬して嗜好が変わるものかと我ながら呆れ驚く。ただはっきりと言えることそれは「この沼、相当深そうだ」
「ねえ先生、ネットのひとたちっていつもケンカしてるけど不思議じゃない?」
「あらそう?なんでそう思ったの?」
「だってさ、ネットってひとくちにいうけど人は入れ替わってるじゃない?」
「そうね」
「なのにケンカしちゃうの?誰か気に入らない人がいるからケンカするんじゃなくって?相手は誰でもいいってこと?」
「うーん。あ、ほら、川に似てるんじゃないかな?」
「川?」
「川は流れていて、そこにある水は同じ水じゃなく常に新しい水が流れてくる。でもその川はキレイとか流れがよどんでるとか言われるでしょう?」
「じゃあ、その川がよどんでるっていうのがネットでケンカがいつもおきちゃって見えてることと同じなの?」
「そんな感じ」
「川がよどんでるっていうのはまがりくねってたりすると起きるよね? じゃあ流れてる水が悪いんじゃなくって、川がまがりくねってるのがよくないのかな?」
「そうかもね」
「大雨で濁流になっていちどぜんぶ流れちゃえば川はキレイになるよね?」
「そうね」
「ずっと流れないとよどんで腐った水になったりするんだね?」
「そうね」
「あのさ先生、思ったんだけどネットは川っていうより洗面所の水道の下についてるあのまがりくねったところじゃないかな?」
「どういうこと?」
「あれって蛇口を開くと水が流れるでしょう?水をとめるとあそこに水がたまって、あんまり水が流れないと水が汚れると思う」
「なるほどね」
「だからたまに水をながしてあげないといけないんだよ」
「そうなの?」
「あれはね、下水の臭いがあがってこないように溜まった水がフタの役目をするの」
「あ!そうか!」
「一度流れていった水はその先で腐っていやな臭いを発しているのかもねぇ。それをあの仕組みがフタになって防いでいるのね」
「もしかしたらね。うーん、でも」
「でも?」
「これってネットだけじゃなくって、世界ぜんぶがそうだと思うけどね」
「世界ぜんぶが流れがよどんで腐ったり、去っていった人たちのいやな臭いをあの水だまりでフタをしたりするってこと?」
「うん」
「そうだとしたら大変だね」
「そうね。それにね」
「うん」
「そう」
「かもしれないわね」
「ネットはまあわかるけどさ。世界がワナって、じゃあ誰がワナをしかけたの?」
「それはほらあいつじゃない?」
「あいつって?」
「神」
http://anond.hatelabo.jp/20140506144603
これだけのものを「ちゃんと」読めば、そりゃあなんとかなるでしょう。
しかし、何万円になるんだ。
事前に予習をするのに何を利用するか。
Wikipediaは難しすぎる。専門的すぎてすぐには理解できないし、
そもそも正しいのか誤っているのかの判断さえつかない。
ちょうどよいのではないかと考えている。
教科書としていいか悪いかを決するだけの度胸はないが、
音声を2倍速とか3倍速とか4倍速で聞けばあっという間に予習が終わる。
あとは、「高校数学とっておき勉強法」とか「計算力を強くする」とか
「ワナにはまらない微分積分」とか「数学ガールの秘密ノート」とか
「数学読本」とか「プログラマの数学」とか「チャート式」とか「Focus Gold」とか
「虚数の情緒」とか「分かりやすい教え方の技術」とか「博士の愛した数式」とか
「おはなし数学史」とか「はじめてであうすうがくの絵本」とか「数の悪魔」とか
「人はなぜ数学が嫌いになるのか」とか「数学でつまずくのはなぜか」とか
「算数・数学が得意になる本」とか「数学に恋したくなる話」とか
「数学を愛した人たち」とか「ハッピーになれる算数」とか「生き抜くための数学入門」などの
関係ありそうな本をちゃんと読んでおけば、なんとかなる気がする。
また、DVD「日常にひそむ数理曲線」や、NHK高校講座の動画も実にためになる。
関数グラフソフト「GRAPES」というのも理解を助けてくれる。
式がグラフになるのが単純に楽しいし、グラフを動かすこともできる。
化けの皮が剥がれるのではないかという懸念もあろう。
賢い子ほどこちらの言ったことを善意に解釈し勝手にどんどん進んでいく。
苦手な子の場合は、一緒に考えればいいのだ。
なんとかなるはずだ。
僕らの社会においてセックスは、金銭とはまったく別の、もうひとつの差異化システムなのだ。
そもそも金銭のシステムとセックスのシステム、それぞれの効果はきわめて厳密に相対応する。
経済自由主義にブレーキがかからないのと同様に、そしていくつかの類似した原因により、セックスの自由化は「絶対的貧困化」という現象を生む。
何割かの人間は毎日セックスする。何割かの人間は人生で五、六度セックスする。そして一度もセックスしない人間がいる。
何割かの人間は何十人もの女性とセックスする。何割かの人間は誰ともセックスしない。
解雇が禁止された経済システムにおいてなら、みんながまあなんとか自分の居場所を見つけられる。
不貞が禁止されたセックスシステムにおいてなら、みんながまあなんとかベッドでのパートナーを見つけられる。
完全に自由な経済システムになると、何割かの人間は大きな富を蓄積し、何割かの人間は失業と貧困から抜け出せない。
完全に自由なセックスシステムになると、何割かの人間は変化に富んだ刺激的な性生活を送り、何割かの人間はマスターベーションと孤独だけの毎日を送る。
同様に、セックスの自由化とは、すなわち闘争領域の拡大である。
「そうだとも。ずっと前から駄目なんだ。最初から駄目なんだよ。ラファエル、
自分はこういった物事に縁がないことを受け入れることだ。
いずれにせよ、手遅れなんだ。
いいかい、ラファエル、セックス面における敗北を君は若い頃から味わってきた。
十三歳から君につきまとってきた欲求不満は、この先も消えない傷跡になるだろう。
たとえ君がこの先、何人かの女性と関係を持てたとしても――はっきりいってそんなことはないと思うけど――それで満たされることはないだろう。
もはや、なにがあっても満たされることはない。
君はいつまでも青春時代の恋愛を知らない、いってみれば孤児だ。
君の傷は今でさえ痛い。痛みはどんどんひどくなる。
容赦のない、耐え難い苦しみがついには君の心を一杯にする。
君には救済も、解放もない。そういうことさ。」
-ミシェル・ウエルベック『闘争領域の拡大』(中村佳子訳、角川書店、P111-112,133)より
nenesan0102
男性には風俗があるけれども、もてない、とことんもてない男に縁がない女性には風俗すらないので、女の人のほうが切ないんじゃないかなと私は思っています。。。 2014/01/17
でしょうね。「もてない男」は可視化されてるけど「もてない女」はサバルタン。
dagama
hal9009
トラバにもありますが、性の再分配とか性の公共事業なんて明らかに人権侵害ですからね。
経済の自由化は倫理的に批判されますが、性の自由化は絶対善、だからこそラファエルは救われないのです。
wdnsdy
金は生きるために誰でも絶対にある程度は必要だけど、セックスの場合必要ない人はゼロでも全然普通に生きてられる(心の貧困も産まない)んだが、その点はどうなんよ? 2014/01/17
もちろんノンセクの人たちは異性愛が満たされないことで心が貧困になったりしないでしょう。
ここでは「強制的異性愛のワナに絡め取られた(上野千鶴子『発情装置』より)」あわれな人たちの話をしています。
plusqplusq
「強制的異性愛のワナ」から脱出すればいいじゃん。それができないなら自由恋愛市場にて満たされるよう動くしかない。 2014/01/17
上野千鶴子ほど聡明で自らのセクシュアリティに自覚的な人でさえ「ワナに絡め取られている」と認めるのですから、