はてなキーワード: スナップ写真とは
自分の地元の話で、東京とか都会のエリアでは違ってるかもしれない。
・ポイント稼ぎで会う気ないのにメールのやり取りをやる女もいるけどマレ。サクラではないと思う。
・「大阪から出張できてます」とよその土地からきて援助募集は業者
・掲示板でなくてプロフィール検索で登録したばかりの女の子を探す
・写真のクオリティーが高いのは業者(スナップ写真風の女の子にあったら業者だったこともあるけど
・素人っぽい女の子に「こういう条件で会わない?」とメールを送っても無視か怒られるか
・たまに「どうして私なんですか?」と興味を示してくることあるから、そういう女のことは辛抱強くメールのやり取り(一通50円でけっこう金がかかる)
・最近パパ活で、体の関係なしでお小遣いくださいというのがいるけど、そういうのは多少確立が高め
こんな時間に二度寝できなくなったので、頭の中のガラクタ整理しよ。
こないだ家でクリスマス会の最中、CS番組で大林宣彦版「転校生」がやってて、懐かしくてつい見てしまったのだが、まだあどけない少女の小林聡美があけすけもなく、成長途中のおっぱいを丸出し、スッポンポンになってて驚いた。こんなに脱いでたっけか……。
それでふと思ったのが、若い頃にさっさとヌードを披露してすべてをさらけ出してる女のひとって、実はかなり強い存在なのではなかろうか?(熟女ヌードについては、ここでは敢えて除外する。脱いで以降の未来を生きる時間が短いから)
裸一貫って言葉でないけど、どんなに容姿が美しくて自信があっても裸体を人様にさらす決意、度胸や覚悟を決めるのは並大抵ではないだろうし、それを若いうちにやってのけてるのが素晴らしいというか。そんな点でいうと、AV女優なんかも尊敬してしまうのだが。
その流れで連想したのが、宮沢りえの「サンタフェ」。当時中学校のクラスの中で回し読みして衝撃を受けた世代なので、彼女はかなりメンタル強いのかなーと思ってたのが、つい先日のSNS誹謗中傷疲れのニュースだったので、あなたはあんなに美しい裸体を見せてくれたのだから、こんなつまらんことで折れてしまうワケないだろう! と激励したい気持ちになった。
心も体も許したひとりの異性に見せる裸と、ファインダー越し=万人に見せる裸とでは、比較もできないし意味も違うだろうが、裸自体よりも、裸を見せるまでのプロセスや意志などのパーソナル面が、裸=外観でない魂自体が美しく輝いているというか、とても興味深い。
今の時代はスマホでこっそりセルフヌードを撮ったり撮られたりしてる女のひとも、おそらく少なくないのだろうが、できればうんと若い頃に、裸体の記録を撮っておいて、そっとどこかにしまっておいてほしい。いつか年老いた自分や誰かに見せるためでもなく、撮るだけ撮っていてほしい。若い時分の私にはそれができなかった、思いつかなかったのが、今では少し後悔している。スナップ写真程度でしか分からないけど、昔はもっとシャープな体つきだったのかな……と、すっかり入らなくなった20年前のジーンズを試しに穿いてみたら、案の定太ももでつっかえて、若さゆえの眩さと危うさに気づく。
はてこがとうとう手当たり次第私が尊敬するクリエイターの名前をあげて名誉毀損をドウドウとしだしたので腹が立つ。
手当たり次第で営業妨害されたクリエイターさんたち(もう何人たまった?)で、
はてこ被害者の会でもつくって、思いっきりふんだくってやればいいのに。
相変わらず空気よめないっていうか、一番大事なクリエイターマインドがもてない人間だから非クリエータ職にとばされたんだよ。
人間を人間として尊重するのと同様に、表現を表現として尊重すること。
基本中の基本。
まだ発注されてもいないし出来ても居ない表現を、作者が○○だからってうけいれない表明。
それを差別による営業妨害、ヘイトといわずしてなんというんだろう。
自分が表現の住み分け、かき分けをできないから他人もできないはずだと思う浅はかさ。
一つひとつの完成した表現物をみて、表現としての目的(TPO)に合致しているかを判断する。
技量が足りてない(臭み抜きができてない)ならそこで発注やめますになるかもしれない、そういうとこで仕事してる人たちがプロでしょ。
いって良いことの判断も出来ない人間が絵を書く職業がつづけたかったとか馬鹿げてる。
スナップ写真でも取ってればいいよ。半径5mのブログでも容量超えて炎上させる人間なんだから。
魂のこもってない絵、炎上したいだけの文なんかマジいらねえ。
言い訳もいらねえ。マジいらねえ。はてこほんとウェブから消えてほしい。
他人のヘイトを理由に自分がヘイトをまきちらしていいとおもってるの
マジ、あの先生この声優に好意もってるこっちがものすごく傷つくんですけど。
自分は次あの人の本出てたらもう予算きつくても買うわ。はてこのかわりにお布施するわ。気の毒すぎる。
ほんと他人の好意をうっかり無にするのは20文字のツイートで足りて楽だろうなあ!
親ごさんにならったそっくりの無神経行動をウェブで再生産してほんとご満足なんでしょうね!
こっちくんな。
あと、こうやっていちいち軌道修正とかしてやる義理とかホントにないので、もうはてこふくむはてなごと切り捨てますあとよろしく
もう10数年前のことになるが、新橋のとあるゲイバーで、ママから成宮寛貴とのツーショット写真を見せられたことがある。
新橋にゲイバー?と思う人もいるかもしれないが、あそこは案外ゲイバーが点在している地域だ。
新宿二丁目とは異なるのは、普通の飲食店街の中にゲイバーが店を構えていることで、バーやクラブがいくつも入っている雑居ビルに、突然「会員制」の札が下がっている店があると、そこがゲイバーだったりする。
一度だけ、酔っ払ったサラリーマンの二人組みが間違えて入ってきて、その瞬間、女性が一人もいない店内の、通常とは異なる雰囲気に何かを察したのか、慌てるように出て行くのに出くわしたことがあるが、お互いなんとなく気まずい思いをするので気をつけてほしいと思う。
すっかり足が遠のいてしまったので最近の事情はよく知らないが、当時の新橋の店はおおむね、あまり派手さはなく、どちらかというとスーツを着たリーマンのゲイが静かに飲んでいることが多かった。
ゲイの世界にも、いわゆる二丁目的な騒ぎかたは苦手で、昼間は普通にスーツ着て会社員をしている人も多いのである。
客の大半は終電までには帰るような感じで、土日は休みの店も多く、新橋の店子(みせこ=ゲイバーで働いている子)は「ゲイバー界の公務員」などと言われていたものだ。
その店は、そんな新橋の中でも若くてイケメンのママと店子がいてちょっとこじゃれた雰囲気のカラオケもない落ち着いた店で、自分はたびたび通っているうちにママと親しくなった。
そして、自分以外に客のいなかったある日、ママが「ちょっと面白いもの見せてあげる」といって、その写真を見せてくれたのである。
成宮寛貴が一時期、新宿二丁目で活動していたことは、後に本人がインタビューに答えるかたちで公に認めることになるのだが、当時、一般にはまだ「噂」ということにされていたように思う。
だが、同時期に2丁目で働いていた人にとっては有名な話で、とびきりの美少年でしかも10代だった彼が、いかにも社会的地位がありそうな男性と闊歩している姿を見た人は多いらしい。
「新宿2丁目で遊んでいたかたせ梨乃に見出され、やがて17歳で宮本亜門に見出されて舞台デビュー」というのは公に流布されている彼のサクセスストーリーだが、宮本亜門との関係にあれやこれやと噂を口にする人も多くいた、
さすがにママはなぜその写真を撮ったのか、二人はどういう関係だったのかは詳細に教えてはくれなかったが、成宮寛貴は「お金のためにやむなく2丁目にいたノンケ」ではなく、ゲイか、少なくともバイセクシャルであることは太鼓判を押していた。
そして、当時の二丁目で、ひときわ輝いていたらしい。
ごくごく普通のスナップ写真でも、明らかに「キラキラした美少年」であることは充分に伝わってきたのを覚えている。
ママ自身、いわゆる「売り専」の出身のそこそこのイケメンで若くして店を任されているので、いろいろなことを噂されている身ではあったのだが。
一時期、自分は個人的に「成宮寛貴はカミングアウトしたらいいのに」と思っていた。
いつの間にか、日本のテレビにはLGBTのタレントが普通に出演するようになり、いろんな偏見もだいぶ薄れてきたとは思うが、やはりテレビに出てくるのはバラエティー的に使い勝手のよい「オネエ」や「女装」の人たちがメインで、彼のように「フツーに女性がかっこいいと思うようなイケメン、だけどゲイ」という立ち居地の人はほとんどいない。
実際、ゲイの人といっても皆がテレビ的に分かりやすい派手なキャラクターを持っていたりするわけではない。
ファッションセンスも含めて、見かけはごくごく普通の人たちもたくさんいる。
成宮寛貴みたいな人がカミングアウトしたうえで芸能界に一定の位置を占めていたら、また世の中のLGBTに対するスタンスも変わるんじゃないかなあ?と、期待していたのである。
(余談ながら最近、さらっとカズレーザーという芸人さんが、まったくオネエをウリにしているわけでもなくさらっとバイセクシャルをカミングアウトしていて、なんだか隔世の感があった)
まあ、そんなのは他人の手前勝手な思いなのであって、当人は「触れられたくない部分」を隠し通すためと称して、引退してしまったのだけれど。
いや、実際のところ何がどうして引退することになったのか、報道以上のことは何もわからないが、もし仮に、一部で言われているような「本当は薬物報道の問題が直接の原因なのだけれど、そこには触れずにセクシャリティの問題を持ち出した」のであれば、正直、あまり気分のいいものではない。
例の写真週刊誌の一報が出た当初は、成宮寛貴を擁護するような意見がマスコミにもネットにも予想以上に多かったように思う。
それは、彼がやはり人気者だったこととか、報道の経緯が「友人が週刊誌に金で情報で売った」からとか、FRIDAYがやたらと世間から嫌われているとか、そろそろみんな週刊誌の報道合戦(合戦というか、戦っているのは文春だけという説もあるが)に嫌気が差してきたとか、いろいろな要因があろうが、彼が「近年の芸能界では珍しいほどの苦労人である」というのも、その大きな理由の一つだったのではないかと思う。
母子家庭に育ち、14歳で母も失い、弟のために高校進学をあきらめ、さまざまな仕事を経験しながらオーディションで主役をつかんだのをきっかけに成功し、弟を大学にも進学させた、というのがワイドショーなどで喧伝されている彼の「美談」である。
しかし、別に彼の苦労を否定するつもりは毛頭ないけれど、これって考えてみれば「美談」で片付けていい話なのだろうか?
両親をなくした兄弟は兄が高校進学をあきらめて働かなければ、弟を大学に行かせることができない、というのは、大層な福祉の貧困の話ではないのか。
ワイドショーは無論、そんな切り込み方はしないが。
まして彼は新宿2丁目のバーで働いていた、らしい。
体を売っていた、という噂も絶えない。
男性が男性に体を売っても日本の売春防止法では罪にならないが、たとえ「体を売る」という行為がなくても18歳に満たない子が酒食を伴う接待を業にしていたのである。
法律に詳しくないが、これって明らかに児童福祉法違反ではないのだろうが?
これは別に性別もセクシャリティとも関係のない話であって、いくら家族の学費を稼ぐためと入っても仮に16~7の女の子がキャバクラで働いていたらやはり問題だろう。
まして売春行為に走っていたとしたら、「美談」で片付けてよいわけがない。
薬物は論外だけど、それを別にしても、彼の人生にはなんだかあまりにも複雑なものが絡み付いていて、いわゆる「芸能界」のど真ん中で活躍するには、その闇はちょっと深すぎたのかもしれない。
このエロ将棋本で重罰を受けたのが、江戸の秋元康、蔦屋重三郎。
で、エロパロに懲りた蔦屋重三郎は、女郎の顔のアップを売り出すことに。
こっちのほうがよっぽど風紀を乱しそうな印象を受けるかもしれないが、お上公認の風俗街があった時代。
今みたいにネットで嬢の顔写真なんかみれないわけで、そうなるとお上も
「うんうん、写真指名くらいできないと大変だろうしね。まあ、許すか」
ってな具合で風俗嬢の顔のアップを売り出してスマッシュヒットを出した絵師が喜多川歌麿。
調子に乗った蔦屋重三郎と喜多川歌麿は、風俗嬢じゃなくて一般の店の看板娘の顔アップも同じように売り出す。
「やっぱ素人はたまんねえな。はぁはぁ」
と風俗嬢のブロマイドをみたあとに一般人のスナップ写真をみたら、エロいことが出来る気がしてなんもエロくないのに欲情。
「風俗情報誌の出版許可を与えたつもりなのに、なにこいつ一般人を風俗情報誌に載せてんの?」
ってな感じ。
僕がからかったら、百万人がチョコレートは体重を減らすのだと勘違いした。その手法。
I Fooled Millions Into Thinking Chocolate Helps Weight Loss. Here's How.(John Bohannon)
(訳注:増田の新たな可能性。さあ英語ブクマ勢よ!添削し、正しい文を提示するのだ!)
「チョコレートで痩せる!」 こんな見出しが踊った。ドイツ人研究者チームが、毎日チョコバーを食べると低炭水化物ダイエットよりも10%も早く体重が落ちることを発見した。その記事は、ヨーロッパ最大の日刊紙のトップページを飾った。ジャーマンウイングス9525便墜落事故続報の真下にだ。それからそれは、インターネットの遥か彼方まで飛び火した。20を超える国と、半ダースもの言語に翻訳されてニュースになった。ワイドショーでも話題となった。それは最新のシェイプ6月号((訳注:つまり北米版「Tarzan」な))特集として、艶やかな印刷で現れた。(「何故あなたはチョコレートを毎日食べなければならないか」p128)研究では、チョコレートは体重減を加速させるだけでなく、コレステロールレベルを健康値にし、幸福度を増大させる効果があることも発見された。Bild(ドイツの新聞)の記事は、研究の筆頭著者であるIDH(the Institute of Diet and Health)リサーチ・ディレクターJohannes Bohannon博士の談話を引用した:「この手法の優れた点は……チョコレートはどこでも買える」
僕がJohannes Bohannon博士だ。まあ、実は本当の名前はジョンだし、僕はジャーナリストだ。僕は博士号はちゃんと持ってる。でもバクテリアの分子生物学ので、ヒトのじゃない。The Institute of Diet and Health((訳注:どう訳しても馬鹿っぽい……))?ウェブサイト以外には何も無いよ。
ささいな点を除けば、研究は100パーセント本物だ。同僚と僕は、ちゃんと実在するドイツ人被験者を雇った。僕たちは実際に臨床試験をしたし、被験者には色んなダイエット法を無作為に割り当てた。それに、統計的に有意な効果がチョコレートにはあるって報告は、実際のデータに基づいている。それは、実際の所、ダイエットの実地調査としては公平で典型的な研究だった。ひらたく言うと:それはヒドイ科学だった。 結果には意味が無いし、世界中の百万もの人々がメディアでがなり立てた健康の手法は、まったくもって根拠が無い。
僕らは、いかにしてやったか。
僕は、去年の12月にピーター・オネケンって名前のドイツのテレビリポーターに呼ばれた。彼と協力者のダイアナ・レーブルは、クズ科学ダイエット産業のドキュメンタリー番組に取り組んでいた。彼らは、ダイエットブームの背後にあるダメ科学入りのニュースが、どれほど簡単に作り出せるかのデモンストレーションを手伝って欲しいと言ってきた。そして、オネケンはとんでもないスタイルを望んだ:それを使って、ダイエット研究とメディア企業の腐敗を明らかにする。
呼び出し自体はそれほど驚かなかった。去年、僕は載せるのにお金を取る学会誌(オープンアクセスジャーナル)への囮作戦をやったからだ。アカデミック出版ビジネスの中で急成長中の、儲かる新しい分野だ。そういった出版社のうち何社が約束通り厳格なピア・レビューをするのか見つけるために、僕はバカバカしい欠点だらけの論文を送って、いくつ拒絶されるかカウントした。(答え:半分よりちょい少ない)
オネケンとレーブルは、全て揃えた:被験者を雇う為の数千ユーロ、研究する為のドイツ人の医者、それにこっちに都合の良いデータをこねくりまわす為の統計学者。オネケンは、僕の学会誌に対する囮と風刺の結果を聞いていたし、僕がどうやって出版させれば良いか知っていると考えていた。 唯一の問題は時間だった:この番組がドイツとフランスのTVで放映されるのが、晩春の予定だった(これは来週初放映)、だから実にたったの2,3ヶ月しかなかった。
どこかで出版できるか?たぶん。でも、その後は?僕はこれは正直失敗すると思った。僕ら科学ジャーナリストは、一般人よりは賢いだろうとの自負が有る。結局のところ、僕らは難解な科学の研究について、十分に説明できる程度には理解しておく必要があるわけだ。そして、科学的な素養を持たない記者でも、ほんのちょっとでもこのネタの為に裏取りしたら?本物の栄養学者でなくても、ちょっとした科学的素養を持つ誰かが相手なら? 彼らは、その研究がどんなにオカシクてモロいか気がつく。言うまでもないけど、ググってもJohannes Bohannonの名前も、彼の研究も、全然出てこなかった。ヘルス・サイエンスの記者連中は、ワンマイル先からでもこのごまかしを嗅ぎつけると思った。でも、できるだけ悲観的には聞こえないように、僕は言った。「これがどうなるか、、まあ見てみようよ」
オネケンとレーブルは、迅速だった。彼らはフェイスブックを使って、3週間のダイエットで誰にでも150ユーロを出すと言ってフランクフルトの被験者を募集した。ドキュメンタリー番組だってことはクリアに説明したけど、それ以上の詳細は伏せた。 寒い1月の朝、5人の男性と11人の女性が現れた。19歳~67歳だった。
この悪ふざけにノッた一般開業医、ギュンター・フランクが臨床試験を実施した。オネケンは、疑似科学ダイエットをこき下ろしたフランクの本を読んで、彼を推した。ダイエットサプリとしてビターチョコレートでテストしようというのは、彼のアイデアだ。なんで?と聞いたら、フランクは「自然食品」狂信者は気にいるだろうって言った。「ビターチョコレートは、マズイ。だから、体に良いハズだ」彼は言ったもんだ。「宗教に似てるのさ」
アンケートと血液テストで、被験者が摂食障害や糖尿病やその他の病気で無いことを確認した後、フランクは被験者たちを3つのグループに無作為に割り当てた。1つ目のグループには低炭水化物ダイエットを割り当てた。次のには、同じ低炭水化物ダイエットに加えて、毎日1.5オンス(42グラム)のダークチョコレートを。そして、残りのコントロールグループには、今のダイエット法を全く変えないように指示した。彼らは21日間、毎朝体重を測って、最後にアンケートと血液テストを行った。
オネケンは、ゴリゴリ数字を弄る為に友人で金融アナリストのアレックス・ドロステハールに頼った。週末に1樽ビールを差し入れた後……ビンゴ!低炭水化物ダイエットグループは5ポンド減量して、コントロールグループ(何もしてないグループ)の平均体重は、上下動ゼロになった。じゃあ、低炭水化物ダイエット&チョコレート組は?彼らは10パーセント早く痩せてた。かてて加えて、統計的に有意な差異として、チョコレートグループだけはコレステロール値と幸福度調査の値が良くなっていた。
何考えてるか判るよ。
この研究でチョコレートグループの体重減が早いのを見せたかったんじゃ-信頼しちゃダメじゃない?科学的じゃないんじゃない?
ここに、ダーティーでちょっとした科学の秘密がある:もし少人数に対して大量の物事を測定するなら、キミは「統計的な有意差」って結果をほぼ間違いなく手にすることができる。 この研究では、18種類も測った-体重、コレステロール値、ナトリウム値、血中タンパク値、睡眠品質、幸福感、ナドナド-たったの15人から。 (一人は落とした)この研究は、偽陽性のレシピで設計された。
計測対象を、くじ引きのクジだと考えて欲しい。クジはそれぞれ「有意な」結果を出すチャンスがあって、ストーリーを紡いで、メディアに売り込むための可能性を持ってる。もっとクジを買えば、たぶんもっと当たりやすくなった。上手くいくかは判らなかった-大見出しを賑わしたのは、チョコレートが眠りの質を良くするだったかも知れないし、血圧を下げるだったかも知れない-でも、最低ひとつは「統計的に有意な」結果が得られる可能性はかなり高いと判ってた。
ある結果が小さなp値を意味する、というフレーズを良く聞くかもしれない。このpと言う文字には言霊としての力があるんだが……まあ、ただのデータのSN比(信号対雑音比)という単位だ。 「有意」であるため閾値(カットオフ値)は、普通0.05だ。それは、5%の確率でその結果がランダムな影響かもしれないってことだ。 たくさんクジを買えば、偽陽性のチャンスを得る可能性は上がる。どれだけクジを買えば良い?
測定項目が18個あれば、p < 0.05となる「有意な」結果を得られるチャンスが60%を超えた。(測定項目は独立していなかったので、もっと高かったかも)このゲームは、僕らに有利に組み立てられた。
これをp-ハッキングと呼ぶ-0.05未満のpを出すために、実験手法とデータをこねくりまわす-そして、これは大きな問題だ。ほとんどの科学者は誠実だが、無意識にこれをやってる。彼らは結果が思い通りじゃなかったら、自分たちがしくじったと思い、「上手くいく」まで繰り返し実験をし、「異常値」を落とす。
ただ、p-ハッキングを避けようと注意したとしても、僕らの研究は(不幸なことに)被験者が少なく、コントロール出来ない要因に大きく影響を受けた。ひとつ例を挙げる:ある女性の体重は、月経サイクルで5ポンド(2.27キロ)も変動したが、これは低炭水化物ダイエットグループとチョコレートグループとの差よりもずっと大きい。これが、大量の人を対象にし、年齢や性別をバランスよくグループに取り入れる必要がある理由だ。(僕らは気にしなかった)
キミは、僕らの結果を解釈するのと同じくらい、紅茶を飲み終わった後のお茶っ葉の形を読んだほうが良い。(訳注:ハリポタにも出てくるが、茶殻を読む占いってのが有る)チョコレートは、体重減加速器かもしれないし、もしくはその反対かもしれない。キミは、ノンチョコレート低炭水化物ダイエットグループも、何もしてないグループも、同じくらい信用してはいけない。何もしてないグループの人達が何を食べたか、誰が知ってるんだ?僕らは聞かなかったけど。
幸運な事に、科学者達はこの問題に賢く対応している。いくつかの学会誌は、科学者たちのより良い習慣となるよう、p値の有意性をテストする段階にある。それに、もはや誰も研究対象の被験者を30人以下にはしない。りっぱな学会誌の編集者は、ピア・レビュアーに送る前に、即座に拒絶する。だけど、評判よりもお金のことを気にする学会誌も多い。
僕らの科学的なブレークスルーを、世界とシェアするタイミングだった。すぐに出版させなきゃいけなかったけど、ダメ科学だし、僕らはピア・レビューを完全にスキップする必要があった。 都合良く、手元にニセ学会誌のリストがあった。(これは僕のリスト、こっちは別のリスト)ちょっとタイトなスケジュールだったから、僕らは同時に論文を出した-「減量加速器としての高カカオ・チョコレート」-20の学会誌に。そして、幸運を祈りながら待った。
僕らの論文は、複数の学会誌に24時間以内に受け入れられた(アクセプトされた)。言うまでもないけど、僕らはピア・レビューに全く直面しなかった。熱烈なアプローチをしてきた、医学国際アーカイブ(the International Archives of Medicine)誌に、最終的には決めた。そこは、巨大出版社BioMedCentralによって運営されてるけど、最近オーナーが変わったばかりだった。出版社の新しいCEOであるカルロス・バスケスは、僕らの出した「傑出した原稿」をちょうど600ユーロで「我々の素晴らしい学会誌に直接掲載しよう」とJohannesにメールしてきた。(訳注:忘れてる頃だろうが、Johannes Bohannon博士はジョンの偽名だ)
アーカイブの編集者は「ジャーナルに提出されたすべての記事は、過酷な方法でレビューされる」と主張してたけど、僕らの論文はオネケンのクレジットカード決済が通ってから2週間以内に出版された。一文字も変更されなかったよ。
論文以外でも、ちょっと仕掛ける時間はあった。僕は、科学的なPRの仕事をしてる友達の友達を呼んだ。彼女は僕を通じて、見出しに載せるためのいくつか卑怯なトリックを使った。毎日僕が触れてるモノの別の側面を聞いて、ゾッとした。
コツは、信じられないほど怠惰なジャーナリズムを利用することだ。もしキミが正しく情報を紙面に反映できるなら、キミ自身がメディアに記事を書くのとほとんど同じくらい、中身を理解してるってことだ。事実、多くの記者たちが(文字通りの意味で)僕らのテキストをコピペしかしなかった。
僕のでっち上げたプレス・リリースをちょっと見て。全部入りだ。記者の専門語で:セクシーな導入部、判りやすくざっぱなグラフ、いくつかパンチの聞いた引用文、そして意外なオチ。さらに、すでに主要なポイントは詰め込んであるので、科学的な論文を読む必要が全く無い。 僕は正確さに特に注意した。記者連中を騙すというよりむしろ、論文についての完全に典型的なプレス・リリースで釣ることがゴールだったからだ。(当然、被験者の数や、グループ間の体重の差がすごく小さいことは書かなかった)
でも、良いプレス・リリースだけじゃ不十分だ。記者連中は、見出しに載せるなにか可愛い「アート」に飢えてる。
だから、オネケンとレーブルは、フリーランスのアーティストに依頼して、チョコレートと体重減少についてアコースティック・バラードとラップを作成させて、いくつかプロモーション・ビデオ・クリップを作った。(ほとんどどんなことでもインターネット上でやってもらえるってことが判るだろう)
オネケンはドイツ語のプレス・リリースを書き、ドイツの地方メディアに直接出した。記事の「専門的な」裏付けは、とても魅力的だ。たとえそれが嘘でも。そして、ドイツ語のプレスリリース爆撃はオーストリアでネットサービスから出て、イギリスでもニュースワイアー(訳注:海外にあるオンラインニュース配信サービス)の外に出た。品質管理なぞ無かった。それは記者連中に託されていた。
僕は、世界中で爆釣れしている中、自慢と嫌悪が混ざり合ったなんとも言えない気持ちになっていた。
餌に喰いついたと気がつく前に、デカイ魚を釣り上げていることすらあった。Bild(新聞社)は、急にこの記事を書いた-「チョコレートを食べてもスリムなまま!」-全然こっちに連絡無く。すぐに、デイリー・スター紙、アイリッシュ・エギザミナー紙、コスモポリタンのドイツ語版サイト、インド版のTimes紙、ドイツ版とインド版のハフィントン・ポスト、それにテキサスのテレビニュースとオーストラリアの朝のトークショー、に気がついた。
記者連中は、とんと僕にコンタクトしてこなかったけど、してきても投げやりな質問だけだった。「なぜチョコレートで減量が加速すると思いますか?読者に何かアドバイスは?」ほぼ誰からも被験者数については聞かれなかったし、誰も数は報道しなかった。誰一人として、他の研究者に聞いていなかった。他の研究者の引用は、無かった。
これらの刊行物は、大量の聴衆を操るけど、必ずしもジャーナリズムの美徳の鑑ってワケじゃない。だから、新しい見出しのためにちょっとしたデジタル撒き餌でも簡単に食いつくのは、別に驚くことじゃない。ベージビューを収穫して、次に行くだけ。でも、(恐らくは)厳格な地方局でも、同じように研究の穴を見つけることは出来なかった。
僕らの研究を伝えるシェイプ・マガジンの記事では-6月号の128ページを見てね-校正係(fact-checker)を雇っていたけど、でも他と同じようにやる気が無かった。校正は全部含めても、2,3の文の正しさと、僕の名前の綴りの確認だけ。校正範囲は、減量を促すチョコレートのカカオ含有量(81%)、2つのブランドの特定だけだった(食料品店とアマゾンで買える)。
いくつかは銃弾を避けた。ある男性向け健康情報誌の記者は、Eメールでそれほど厳密では無い質問をいくつかしてきた。彼女は、9月号の記事を予定していると言ってたので、僕らはその記事がどうなるかは全く判らない。
じゃあ、最も期待はずれだったのは?誰一人として、チョコレートミュージックビデオを使ってくれなかった。その代わり、みんなどことなくポルノチックなチョコレートを食べる女性のイメージを使った。たぶん、この音楽に僕らの生活の真実ってやつがにじみ出ているからだろう:
なんで気にする必要がある?必死に信用できる情報を求める人達は、ズラッと並んだダイエットガイダンスに戸惑ってる-塩は悪い、塩は良い、タンパク質は良い、タンパク質は悪い、脂質は悪い、脂質は良い-まるで天気みたいに変わる。
でも、科学は明らかにするよね、ね?今は、肥満を疫病のように言ってて、トップクラスの科学者達に資金が注入されてる。いずれ原因と治療法をクリアに答えてくれて、雑音は止む。
もしくは、そうじゃないかも。
公平に見て、十分な資金を持ち本当の減量科学の研究をしているところでは、混乱してて、結論を出せていない。非営利の栄養学推進機関(the Nutrition Science Initiative)共同設立者で外科医のピーター・アティアは嘆いている。例えば、女性の健康促進(the Women’s Health Initiative)-その種の調査で最大のものの一つ-で、ダイエットと健康についていくつかが明確になった。アティアは 「その結果は、混乱するものでした」と言う。「彼らは、10億ドルを費やしても、低脂肪ダイエットが良いか悪いか証明できなかった」アティアの非営利団体は、基本的な質問の答えを探すために、1.9億ドルを調達しようとしている。でも、肥満の科学に注意を向けるのはひどく難しい。彼は言う「あまりにも雑音が多すぎる」
キミは、僕みたいなのに感謝することが出来る。僕らジャーナリストは、日々のニュースという獣を養う必要があって、ダイエット科学は打ち出の小槌だ。読者は、赤ワインの効能やフルクトースの危険性について、十分な記事を読めない。一般的な関心事というだけでなく-それは、1日に最低3回は必要という決定に関連している-それは科学だ!僕らは、どんな報告でも、家から出る必要は無い。僕らは、メールボックスに届いた科学的なプレス・リリースを、デイリーニュースという小川にちょっと浸す。そして、ストックしといたスナップ写真を貼り付けたら、完成。
ダイエット科学の唯一の問題は、それが科学であるってことだ。キミは、科学の論文の読み方を知っている必要がある-さらにいえば、本当はやってみる必要もある。とても長い間、人々はゴシップみたいにこのインチキと同じプレスリリースに飛びついては流行を作ってきた。願わくば、この小さな実験が、記者連中や読者を、もっと疑り深くしてくれますように。
もしも、どれだけの被験者を対象としたか明らかにしない研究、「統計的に優位」と言うにも関わらずどれだけ影響が大きいか言わない大胆なダイエット法が発表されたら、キミは「なぜ?」と思うはずだ。でも、大抵の場合、僕ら(訳注:忘れた頃だろうが、科学ジャーナリスト)はやらない。 残念だけど、ジャーナリストは事実上、相互評価(ピア・レビュー)のシステムで動いてるからだ。そして、僕らが失敗すれば、世界はジャンクサイエンスで溢れかえる。
この悲喜劇にも、希望の光はあった。記者連中が僕らの「発見」を吐き出している間、多くの読者が思慮深く、疑い深かった。オンラインのコメントで、彼らは記者連中が聞くべきであった質問をポストした。
「なぜ、各個人のカロリーを計測していない?」ボディービルフォーラムで読者が質問した。「このドメイン(IDHのウェブサイトのモノ)は、3月に登録されてて、大量のブログやニュースは、この研究以外には触れていない(ググれ)。これは誰かが背後に居るぞ」ドイツの主要なオンラインマガジンの内の一つ、FOCAS Onlineの読者が言った。
また、先見性のある読者が、4月4日のデイリー・エクスプレスの記事にこうコメントした。「栄養学は毎日がエイプリルフール」。
更新:the International Archives of Medicineのウェブサイトからは取り除かれちゃったけど、ココで読めるよ。
(訳注:修正済みのためCorrectionは訳さず。あと、何箇所か言い回しが怪しいので、適宜修正するよ)
http://www.ashinari.com/2013/10/12-383185.php?category=266
いくら無料とはいえ、このクオリティはひどいでしょ。素人のスナップ写真以下だし、どこからどう見ても実写版のび太。2013年2月以降素材を更新してないし、最近はサイトが頻繁に落ちる。運営してるのかしてないのかはっきりしてくれ。
2013流行語素材を無料ダウンロード - PIXTA(ピクスタ)
代表が体を張る姿勢は求める。ただ、素材販売サイトがこんなクオリティでいいの? 倍返し、今でしょ、お・も・て・な・しの衣装は使い回し。髪型と小道具を変えただけ。背景が同じ、影が入ってるから素材として使いにくい。私もカメラマンとして登録してるけど、無料とはいえこんな低クオリティの素材をだしてサイトのイメージが下がらないか疑問。少なくとも、私はがっかりした。
それじゃわからないよ。
適当にhttp://scrapture.org/streetsnap/スナップ写真か何かから最低ラインと思う奴をピックアップしてくれ。
じゃあ視点を変えて、「撮りたいもののためにはどんな性能が欲しいか」でも書いてみるか。
デジ一眼にはデジ一眼の良さが、コンデジにはコンデジの良さがある。道具は良い写真を補佐するけど、結局モノを言うのは自分の腕だ。
ただ、明確に目的があるなら、そのために最適な性能というものはある。全部を一台で賄うのは無理だ(デジ一眼はそれに近いことをやってるけど、代わりにレンズを何本も持つことになる)。目的を絞って、必要なら目的別に機種そのものを変えるのもひとつの手。
風景といっても様々だけど、一般的には「広い範囲を切り取る」ことになると思う。
観光地なんかで記念写真撮ろうとして、背景の収まりが悪くて苦労したことはないか?特に建物の前で撮ると、画面に入り切らなくて困る。離れればいいんだけど、そんなに距離を取れない場所だってあるわけで。
こういう時には広角レンズが欲しい。
レンズの倍率はmmで表されてる。ズームレンズなんかだと28-135mmとか、そんな風に。この数字が小さいほど広角に写る。普通のスナップ写真、例えば写るンですなんかは35mmあたり。28だとやや広角ぐらい、21ぐらいになると結構広角。14とかになるともうかなり広角。
広い範囲を無理矢理収める分、広角レンズは端が歪む。球の表面に写真を貼り付けたような、そんな風に直線が曲がる。だから正確な形は把握できなくなるんだけど、これはこれで味わい深い。歪みの面白さを利用して、わざと広角を使うことだってある。
広角の極端になったものが魚眼レンズ。全周魚眼にもなるとレンズ面から180度、つまり真横まで全部写る。
魚眼となると普段使いには不便だし、ほぼ一眼一択になっちゃうけど、単に「広い範囲を写したい」だけなら実はレンズに拘る必要もない。撮影画像を繋げてパノラマを作ってしまえばいいのだ。写真加工ソフトがあれば自力で作れるし、最近では写真を自動で繋いでパノラマにしてくれるソフトまである。またカメラ側にもスウィングパノラマなんて名前で、「前の画像の端に合わせて次の1枚を撮る→終わったらカメラが自動で合成」なんて機能もあったりする。やろうと思えば360度ぐるりと見回す画像が作れたりして面白い。
さて、なにも風景のすべてが広範囲というわけでもない。時には近付けない距離のものを大きく撮りたいこともある。そういう時は勿論、望遠レンズだ。
望遠は大雑把に言えば「画面の一部を切り取る効果」だ。Photoshopなんかで写真を切り取り処理したことはないか?不要な部分が消えて写真の中心が変われば、印象は随分変わる。望遠は、それを撮影段階でやっているようなものだ。そう考えれば、これはまあなくてもやって行ける。でも切り取った分だけ画素数は減るから。大きくかつ微細な画像を使いたいなら、やっぱり望遠が便利。
望遠には他にも用途があるんだけど、それは後述。
雑貨や植物、昆虫のようなサイズの小さい静物を大きく撮るには、普通マクロを使う。大雑把に言えば、カメラに凄く近いところにピントを合わせるレンズだ。コンデジでもリコーやソニーなんかはマクロに強くて、レンズ前1cmまで近付くことができる。最近の薄型機には「スーパーマクロ」とか「拡大鏡モード」などと呼ばれる機能を備えたものがあって、この辺になると接写どころか10倍ルーペ並みの解像力を持つ。布の繊維一本が確認できるレベル。
勿論一眼レフにもマクロレンズはあるし、大型のコンデジなら外付けのコンバージョンレンズでマクロを使えるものもある。
ただ、この手のマクロはカメラと撮影者が対象に超接近するので、被写体に影が落ち易いという欠点がある。そんな時は望遠を使って離れた場所から撮影するのもいい。要は細部を大きく撮れればいいわけで、意外に望遠で1mぐらいから撮った方が綺麗に見えることもあるものだ。
このふたつは割と似てる。動きが早いこと、近寄れないこと。だから撮り方も割と近い。基本はズームと高速シャッター。
シャッタースピードを早くするのはブレを抑えるためだ。動きが早いから一瞬で撮影しないと手足とかブレてなんだか判らない。また望遠で狙うということはカメラの僅かな動きでも視点が大きく動くということだから、手ブレが強くなる。それを抑えるためにも高速シャッターは重要。
シャッタースピード優先モードがあって設定した速さで撮影できる機種が欲しい。
人物や花なんかは日常的にかなり撮影頻度の高い被写体だけど、綺麗に撮るのって結構難しい。なんだかパっとしなくてガッカリした経験も多いだろう。
実は、撮影にはコツがある。被写体以外をなるべくボカして撮るのだ。
低価格なカメラは単焦点のものが多い。写るンですなんか典型的だけど、80cm〜無限遠にピントが合うようになっている。こういうので撮ると、被写体にも背景にもバッチリピントが合うので、被写体が背景に沈んでしまう。
これを絞りを開放して望遠側で撮ると、前景や背景が大きくボケて被写体近辺だけにピントが合うので主題だけが浮かび上がって効果的。
これをやるには、それなりに強い望遠レンズと絞り開放可能な設定、あとなるべく大きなCCDが必要になる。この点ではやっぱり一眼レフが強いけど、一部の超望遠系コンデジでも勿論可能だ。
なお被写体が小さい場合、例えば料理写真なんかの場合もボカシは有効で、雑誌なんかで美味しそうな料理写真を見ると結構一部にだけピントが合ってて前後が大きくボケてるものがある。これは望遠よりマクロの出番。拡大鏡モードで奥行きを強調する感じにケーキの写真なんか撮るとかなり美味しそうに見える。蛇足ながら料理は逆光気味に斜め奥方向から光を当てるのが基本。手前に影が出すぎないように白い紙なんか立てて柔らかく反射させると更にいい。
日常の風景って意外にフォトジェニックで、普段見慣れた場所でも時間や天気、向きが変わると新鮮味を増す。そういうのは普段から撮るつもりで見ていないと仲々気付かない。そのためには普段からカメラを持ち歩くのが一番いい。
最近はケータイのカメラがかなりパワーアップしてるから、それである程度賄える部分もある。それならそれでいい。でも撮影までにあんまり時間がかかったり、画質が気に入らないようだったら薄型コンデジでも用意した方が幸せになれると思う。沈胴ズーム式(電源入れるとレンズがニューっと出てくる)じゃなくて屈曲光学式{レンズが飛び出さない望遠。ズーム部分が横向きに入ってて、プリズムで反射させて向きを変えてる)だと起動も早いからチャンスを逃さない。
余談ながら、実はこの部分ではiPhone最強。撮る→その場で加工→そのままアップロードして公開、まで一台でできてかなり幸せ。画質はチープだけど割り切ればそんなに気にならない。
不細工のタイプにもよるけど、自分の場合は笑うと気味悪がられる。本人はニコニコしてるつもりなんだけど、「ニヤニヤしてる」「ニタニタしてる」と表現される。確かにスナップ写真を見るとニヤニヤニタニタしていて、その表現は妥当だと思う。
おそらく、鏡を見て、自分の顔がよく見える筋肉の動きなんかを研究する意欲が、人様より足りてなかったんだと思う。多分思春期の女子が黙ってても自主的に通る道だから、改まってノウハウとして言及されてそれが自分のところに届くようなことはなく、でもそういう類のことは言及を耳にしない限り気付けない鈍い子だったものだから(今思うと発達障害か何かだったのかもしれない)、思春期と呼ばれる年代の頃はほとんど鏡を見なかった。見たくない、とかじゃなく、見る気が沸き起こらなかった。ついでに言うと、鏡を見ても自分が不細工であることに気付けなかった。何でこんな写真写り悪いんだろう、ご先祖様の供養が足りないのかな、とか思ってた。カメラのせいでもご先祖様のせいでもなく自分が不細工なんだと気付いた後も、顔のパーツとかを他人と比較しても違いが分からなかったりして、何故不細工なんだろうと途方に暮れていた。
先日、いわゆる「自分撮り」をする機会があって、その時に試行錯誤して分かったことには、現在の自分の顔は無表情の時が一番見ていて不快感が少ない。人に写真撮られる時って大体楽しい時だから、おおむね笑顔の気色悪い写真になる。証明写真とか撮る時にもほのかに感じたけど、ようやく実感した。自己催眠かかってる可能性も無いとは言い切れないけど、親から貰った顔パーツ自体はそこまで壊滅的ではない。ばっちりそこらにいる普通の顔だ。改めて思い起こしてみると、失礼ながら内心自分の仲間だと思ってた人達の顔パーツも、そこまで突飛じゃなかった。自分と同じ笑い方をする人を、自分の仲間だと感じた節がある。
最近になって、ようやく遅めの思春期(と思しきもの)が到来して、一人部屋の鏡の前ではにかんでみたりあご引いてみたり、そういうこっぱずかしいこともするようになった。ノウハウとして顔面体操なんてのも知ったから、遅ればせながらも顔面の筋肉が覚醒し始めた。でもまだ年季が入ってなくて全然サマになってないから、メンタル・外見ともに不細工状態は変わらぬまま。そもそも不細工である原因が分からないこと自体が不満・不安だったのであって、不細工であること自体は他の自称不細工増田達も暗に言ってるように、ステータスとして自分の中に根付いてるから、無理にがんばったり急いだりして他の人のような普通さに近づく気はあまり無い。ただ、せっかく分かったんだし、ゆっくり変えていこうとは思ってる。
笑った方が可愛い女の子というのは、幼い頃から親に笑い方の作法を仕込まれたか、もしくはしかるべき時期に鏡を見て独自研究した故に笑って可愛くなれるんだと思ってる。何らかの理由で「心から湧き出たままの笑顔と対人用のサインとしての笑顔は違う」ということに気付けなかった人が、自分のようなタイプの不細工になっていくんだと思う。
もう一つ付け加えると、このタイプの不細工は少なくないと思ってる。こうしてわざわざストレートに書くような人は少なめかもしれないけど、自分の顔面パーツの普通さに未自覚な人、醜形恐怖もどきの気持ちを持っていて、普通だと自覚したくない人なんかも含めると、結構な割合になると思う。ただ、ソースが自分の人生だから、ただの類友の可能性もある。
「笑った方が可愛い」という言葉に対して不細工は違和感を感じるってエントリを書きたかったんだけど、これただの自叙伝じゃんじゃんじょん。
いくらなんでも自意識過剰すぎでしょ。
ネット上にスナップ写真をアップされたことで仮に日本の1億人に見られる「可能性」があるとして、
99.9999%の人にとってなんら意味を持たないんじゃないの。
さらに件の写真のような単なるスナップショットで仮に本人が特定されたとして、
何らかの悪影響が想定されるわけ?
地下鉄の写真で顔バレして困るなんて、どんだけやましい思いで地下鉄乗ってんだよw
って話にならない?
akibablogで笑い顔マークで顔隠している理由は想像できるよ。
なんと言っても大手サイトだし、あそこにいる自分を知り合いに見られたくないって気持ちは、アリだとは思うから。