はてなキーワード: シャリとは
私は30歳、レズビアン 、都内在住の公務員だ。学生の頃から自分のセクシャリテイを自覚していたので、安定職についた。貯金もしているし、老後に備えたリスクヘッジは常に考えている。
彼女はバイセクシャルで、いつか、男性と恋愛をするんだろうなという予感がしている。これは、的外れではないと思う。そう思わざるを得ないくらい、女同士の恋愛とは不安定なものだ。
婚姻もできない。法にも守られていない。好きになっても、男性の影に常に怯えている。
私は、常に孤独を抱えている。ここで、独身男性はもっと〜とか、モテない人は〜みたいな不幸比べをするつもりはない。それぞれが、それぞれの孤独を抱えているのだと思う。
私は、寂しい。相談できる相手も限られている。好奇の眼に晒されること、否定されることが怖くて、ろくにセクシャリテイの話をすることもできない。出会いも非常に限られている。
ああ、レズビアンじゃなければよかったな。男の人を好きになれればよかったな。婚姻できればよかったな。でも、その道を選ぶことは、どうしてもできないんだ。
これは、叩かれる言葉かもしれない。発言することが怖い。それでも言いたいんだ。
理解してくれなくていい。それでも、あんまり、私を、私たちを、否定しないで欲しい。いじめないで欲しい。笑わないで欲しい。私はただ、女しか、好きになれないだけなんです。そしてそれは、選択できない、どうしようもないことなんです。
ヴィクトリアシークレットというブランドがある。
下着のブランドらしい。ティーバックが多いようで、黒のレースやヒョウ柄などセクシーなものが多いようだ。
この下着を妻がこの数日で何枚も買っている。局留めで。
妻は28歳、専業主婦になり、5年ほど経つ。子供は幼稚園に通っている。僕は出張でほぼ家にいることがない。
妻は自己顕示欲が強い。インスタグラムには友達に知らせていない趣味のアカウントがある。首から下を写したファッション用のアカウント。以前は顔出しをしていたが、以前喧嘩した際に顔出しはすべて消した。妻の情報管理能力では自宅バレ必須だったからだ。
しかし、そのアカウントは作り直したわけでもないので、以前からのフォロワーは大体の家の位置を知っているだろう。なぜ災害時、避難所からインスタを更新するのか。
タバコを吸い始めたなと思えばタバコを吸う自分をパシャリ。ジャケットを買ったなと思えば玄関の外でパシャリ。これはご新規さんにもバレそうだ。
そんな妻が下着を買い出した。局留めで。
何を考えていると思う?僕は考えたくない。
泉里香とほぼ同じプロポーションで顔もフォロワーがたっぷりつくぐらいには可愛らしい顔をしている。どうか、自身へのご褒美であってくれ。
あるコンテンツを、あるきっかけで嫌いになり、自分はこういうのが苦手だったのか、と驚き、気づくことがある。
反応しすぎじゃない?と、理性ではわかるが、生理的に受け付けないと、シャッターがピシャリとしまってしまうのだ。
たとえば、スライサーでサラダを作っているときに、指を切る描写があり、そのあと、サラダを食べている描写がある。
そもそもスライサーで指を切るという絵や映像が寒気がするほど苦手なんだけれど、そのサラダを平然と食べていることに、無理と受け付けなくなってしまう。
リアルではあることかもしれないが、漫画でわざわざ見たくない。
漫画のメインはほのぼの日常ラブストーリーなんだけれど、ラブに入る前にこれ以上見ていられず引き返してしまう。
また、アイドル系のアニメで、最初は7人雇うと言っていたのに、やっぱりそこから選抜するといい、競わせ、さらに試験を受けさせ、みんないいから合格!という茶番をする事務所にものすごく反感を持ってしまう。
くわえてマネージャーが仕事ができないのを高校生のメンバーがフォローしている。印象は最悪だ。まともな社会人として恥ずかしくないのか。
持病持ちでも活動したいメンバーをフォローすると請負ったのに、マネージャーがまたもフォローできてなくて、あまりにも味方側の事務所のやり方が受け入れられなくて、見れなくなってしまった。
いずれも見る前は、自分がこういうことをそんなに苦手だということを知らなかった。
今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代の伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。
最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民の搾取が問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。
まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。
1. 職業選択の自由アハハン
2. バイト探しが週二回
この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定の仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルートは賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。
これまでは、一つの会社に新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料も年功序列、会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしまう単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種の共同体として機能していた。バブルでお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。
会社で運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働が問題視され始めた時期でもある。
まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇で退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生だから、テレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。
タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいうアクセサリーのゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーのシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。
この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニストの女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性が彼氏とデートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。
この頃は女子高生がブルセラショップなる店で自分のパンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際とかに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランド物しか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観は蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。
新築マンションも棟の単位で10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。
今若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。
さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体は自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブルが崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。
この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。
いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアルに社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社も社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由を謳歌していた人々」だ。
彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由に職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。
バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用に企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業もお金を出すので、この頃はバイトは結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから、結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話、インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。
同時に問題になったのは銀行の不良債権だ。バブルのときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行も土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本の不良債権問題は銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行も債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。
返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者もお金を返せない。債務者は破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義の世界であれば、この辺は銀行の自己責任で倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本に銀行は一行も残らなくなってしまう可能性が高い。
銀行は金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行や証券会社は倒産してしまった。
このときに銀行は「もうこれで銀行は倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行を国営化するようなものだからだ。今後銀行が倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。
とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行は自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。
ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブルが崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。
おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金と先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。
この辺は都市伝説だが、あるときにユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本がアメリカの重要なものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。
さて、このリストラが吹き荒れたことで企業は正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用を企業がひどく渋ったことによる。使い捨てのバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民のメンタリティは社員になってなんぼ、というのが強かった。
更にこの頃になるとITも一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代に突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときにプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるときに適当な会社で仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。
時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期に仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDとEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事はEXCELカタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。
この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから一日500円くらいは渋々許す(収入の殆どは旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金は子供の習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入の100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。
この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性が社会に還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定の業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。
そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。
デフレスパイラルに入り、企業はお金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラは絶対にできないと言われているが、実はできる。
こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナの竹中平蔵に対するバッシングが最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。
小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている
びっくりするくらいブクマされてんのね。
よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。
はっきりいうと自分の記憶と印象だけで書いている文章だから、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。
女性の権利向上を目指すフェミニズムなんだけど、これって本当は女性がどう変わるかじゃなくて男性がどう変わっていくかの問題なんだよね。女性に変化が必要ないというわけじゃないんだけど、男性がより変化をする、もうちょっと言うと判断材料から「女性」を外すという作業が必要になる。
なんだけど、今の日本で見えているフェミニズムって、「社会的弱者である女性が自分たちが差別を受けていることを根拠に男性を見下してぶん殴って差別することを正当化する」ものに成り下がっている。
当然しっかりとフェミニズムを普及したい女性、受け入れていくべく頑張っている男性というのもいるんだろうが、それ以上に、こういう人たちの声がとにかくでかい。
特にはてなやツイッター界隈ではこういった声がものすごい。もう変化を促すとかじゃない。変化するか死ぬか選べくらいの強烈さだ。当然これに対するアンチもやられる前にやれと言わんばかりに先鋭化していく。
フェミニズム事態がフェミニズムを定義することを徹底的に避けているという側面もあるので、「それはフェミニズムじゃない」とピシャリということもできない。一人1フェミニズムが問題じゃないという人たちははっきりいうとフェミニズムなんてどうでもいい、自分たちの思想を広める道具がほしいというだけでしか無いんだろうとすら感じてしまうくらいにフェミニズムが定義されないこの状況はやばい。なんでこれについて誰も何も言わないのか、というか、立ち上がってもすぐに立ち消えるんだろうか。なんか定義しちゃいけない理由でもあるんだろうか。
ミナ・ロイという女性が100年くらい前にフェミニズム宣言という本を書いたようなんだが、これ読んだ人っているんだろうか?今のフェミニズムとはもう何もかも違うようなので、なんの参考にもならんかな。
最近99%のためのフェミニズム宣言とか言う本が出て、本当の敵は資本主義だとか言ってて、これまでフルボッコにしてきた女性や男性の屍はもう草むしてしまうくらいに急に敵が定義されたような帯になっているんだが、一体何が起きているんだろうとも思う。まぁ、全体的に優生思想の持ち主や、左翼のおもちゃにされてるようにしか見えなくなってしまい、なんとも悲しいと思っている。
昔、新渡戸稲造がフリーメイソン会員でどうこうっていう都市伝説があったじゃん。
うろ覚えだけど、確か旧五千円札地球(太平洋)にこじつけて、地球上で太平洋の真裏にあるのはエジプトだ、紙幣裏面の同じ位置には目玉(っぽい)模様がある、ピラミッド+目玉マーク、つまりフリーメイソンの暗示なんだ!ってやつだったか。
これは黒歴史で、小学校高学年くらいの時、それをうっかり親に披露して叱られたことがある。
「『われ太平洋の橋とならん』。新渡戸稲造の有名な言葉だ。だから(紙幣の地球は)太平洋なんだ。そのくらい知っとけ。」って父親にピシャリと言われた。
もちろん新渡戸稲造の名言なんて知らないまま鵜呑みにしてた。ゆとり教育だったし学校でも習ってなかったと思う。あんまり正面から否定されてムカついたけど、なにぶん正論なので刃向かう気は起きなくて、ひたすらばつが悪かった。以降その手の言説とはなんとなく距離をとるようになって、いつしか半信半疑で愉しむものということで消化できるようになった。
あれに近い陰謀論を本気で信じることがどれだけタチが悪いか、世界中で身をもって実感してるのが今なんだろうな。
父親は地元の名士を侮辱するうさんくさい言説が蔓延ってることに腹が立っただろうし、我が子がそれを真に受けてるのを見てヤバいとも思ったんだろう。
自分だってまたいつ変な話を信じ込みそうになるかわからないけど、ちゃんと知識で叱ってくれる親のもとに生まれて運が良かったとしみじみ思う。
シャリが金で出来てそう。
米の上に魚の死体が乗ってるだけなのに国民食みたいな顔してるのがウザすぎる
そもそも食う頻度かなり低いんだよな そのわりに海外では日本食=スシみたいになってて、料理要素があるゲームやるとたいていSushiがでてくる
でもそのSushiの見た目が軍艦巻きなのがウケるんですよね わかられてないぞ、寿司!
寿司らしい寿司、握り寿司はRaw-fishが乗ったDisgustingな食い物で、食うに値しない それが世界基準なんだよな
米の上に生魚を乗せただけのものを料理と言い張る時点でおしまいなのに、さらにそれをベルトに乗せて回転させる 意味がわからない
そういう奇怪な店がひとつだけあるっていうならわからなくもないが、むしろ庶民の寿司つったら回ってるもの、みたいな風潮すらある
回転するのがスタンダードな食い物ってなんなんだよ 本当に異常なんだよな 気持ち悪い狂った国の最悪伝統料理
いやいやいや 米の上に生魚乗せるのに伝統も何もないな
ステーキを伝統料理と言わないのはあまりに原始的だから 寿司もサルですら考えつくような粗雑な料理なので伝統の名を冠する資格なし
あれ本当に異常で、米の上に物が乗ってたら寿司だっていうんなら米を食うときにかなりの頻度で寿司状態が発生していることになる 不快!
ですからシャリを地面に置いた時点で地球全体がネタになり、地球に属するところの我々自身もその瞬間寿司の一部になってしまう
これまでシャリが地面に触れたことが何度あったか 我々は何度寿司にされたのか という話になってきて、到底受け入れ難い
寿司にならないためには寿司を否定するしかない 寿司と俺のレーゾンデートルをかけた戦いが始まる
でも寿司は雑魚だから俺が勝つに決まってんだよな 逆にどうやって寿司に負けるのか?という話になってくる
くら寿司で二名で予約を入れた。一歳の子供とディナータイムにくら寿司に行って、子供には食べさせる必要がない時間だったから(うちは大人と子供のご飯のタイミングがバラバラ)2000円分母親である私が一人で食べた。タイミングによって一歳の子供にはくら寿司の茶碗蒸しや卵焼きを食べさせたりすることもある。
お会計のときに店員の態度がおかしかった。「二名様でお間違いないですよね?」と聞かれた。
gotoeatで乳児は予約の数に入らないが、幼児は人数に入れられる。店員にはうちの子はくら寿司のメニューが食べられないような乳児に思われて、確認のために聞かれたのかなーと思った
お金を払うときに全額gotoイートのポイントで払うためにQRコードを出したら店員に「全額これで払うんですか!?」と言われた。
ここは店員に共感できなかった。gotoイートのQRコード見せて払う態度出してるのに「全額払うんですか?」って聞いてどうする。私のほうがびっくりしたわ。そこは感情を殺して淡々と仕事をするべきだろう。
くら寿司の店員は私に嫉妬したんだと思う。嫉妬じゃなくて困惑や軽蔑かもしれないけど。
一歳児の母親という立場を利用して2000円分も一人でタダで食べるなんてズルいと。私が店員ならそう思う。くら寿司でgotoeatしようとしたらぼっちだとできないんだよ。不平等だと思う。
くら寿司の若い店員さんが私に嫉妬するのはわかるけどプロとして感情は出さずに仕事は淡々としてほしい。他の店員はいつも普通に会計してくれてるのに。
くら寿司はボックス席に通してもらったらベビーカー置きやすいし、オムツ交換台もあるし、行きやすくて助かる。ファミレスの雰囲気あるよね。金曜日の夜も旦那と一緒に三人で食べに行く予定
うちの子がくら寿司のメニューを食べれそうに見えなくて困惑して、私に嫉妬か軽蔑かしたのかわからないけど普通にお会計はしてほしい…店員の立場や気持ちを考えたら申し訳ないけど
普段は100円皿を食べることが多いけどgotoeatのおかげで普段は食べてない200円皿とか特上うなぎ丼とか食べれておいしくて楽しい。シャリコーラ、こんな場合でもなければ頼まない商品なんだけど、おいしかった。ランチメニューの天丼と海鮮丼が食べてみたいからまたくら寿司に行かせてください。
毎日250mくらいの低山に出来るだけ走って登る。舗装された道ではないし傾斜もかなりあるので、運動強度はそこそこありそう。その山にいくまでの数キロもウォーミングアップ兼ねて走るか歩く。
行く時持ってくのは大粒ラムネ(3日くらいで空にする)と水。
食事制限は白飯を少なめに、タンパク質を多めにするくらい。間食や甘い飲み物は一切なし。どうしても腹が減ったらお湯で溶いたとろろ昆布でごまかす。晩飯を18時くらいと早めにすると昼をかなり軽くできる。その場合、夜更かしすると空腹がきついので筋トレして無理やり疲れさせると寝つきやすくなる。
中年女
一週間で 65→61
2kgは水っていうから2kgは誤差かもしれない。
白飯を少なめにする以外の糖質制限はやってないので、糖質はかなりとってるはず。例えばハンバーグとかキャベツでも糖質は含まれてるので。
正直不健康かもしれない勢いで落ちてるのでびびってる。
山登るときは運動不足なのもあって息は絶え絶え毎日足はガクガクだが気合いで登ってる。どうしてもキツければ休んでまた走って、休んで、走って、なんちゃってインターバルトレーニング。
低山だからシャリバテとかしようがないし、見えるところにピークあるのにギブアップは馬鹿馬鹿しいし登ったら降りるしかないので何がなんでも頂上行って降りるしかなくなるので根性無しの自分でも出来てる。そして低いとはいえ達成感があるのが良い。
ゲーム感があるというのかな?
同じコースをプレイしてるプレイヤーがいるので「こなくそ、負けんわああああくそがああああ!」ってなる。おじいちゃんおばあちゃんがほいほい登ってるの見てギブアップできるわけがない。
低いとはいえ山なので、すれ違う人みな「こんにちは」してくのが自宅勤務で引きこもり気味だった生活にいいスパイスになっているようにも思う。
これが街中ジョギングだと、頂上みたいなものはないし達成感もメリハリもないのできついと「今日はここまでのコースにしよう」なってしまって全く追い込まれなかった。
運動強度があればいいので、階段10階分登り降りなんかでも同じくらい痩せそうだけど、精神が先にやられそう。毎日変わる自然の中を歩いたり走ったりするというのはかなり精神的に追い風になるのがわかった。
ガチの山だと毎日登るのは無理だし普段着ではいけないし、シャリバテ防止の為に沢山食べるからダイエットに向かない。登山で痩せるのは本当は多分すごく危ないが、低山だとリスクがないので運動強度の強さというメリットだけ享受できるように思う。