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2011-12-07

田舎葬式マジすごい

親戚に不幸があって、約一年ぶりに帰省したんだけどさ、田舎葬式マジすごい。

なにがって、とにかくデカい。

だいたい、220~250人くらい来てるの。

政治家かよ!って感じだが、故人は一介の農夫である

そういや、昔うちで葬式やったときもこれでもかってくらい人が来たが、そのときは驚きはしなかった。

びっくりしたのはセレモニーホールでやったせいかもしれない。

椅子の数でだいたい人の数がわかるし、故郷を離れてから出席したほかの葬式セレモニーホールだったんで、それらと比べることが出来るしで。

よくもまあ、ほぼみな通夜葬式皆勤賞だ。

平日だってのに。

始まる前に腹ごしらえして「気合入れていくぞー!エイエイオー!」じゃないけど、そんな感じのノリでみな戦闘モード

終わったら終わったで、祭りの後の打ち上げのような感じで。

それが、通夜の日と葬儀の日の2日にわたって続く。

なんなんだろうな、この壮大なムダは。

僧侶に払うお金が勿体ないって言うつもりはない。

最近、「坊主はボリすぎ」って意見ネットで散見されるけど、個人的にはそうは思わない。

むしろ、都会の葬式と同じ料金だったら割りに合わないと思う。

人が多けりゃ焼香の時間も長いし、部屋が大きければ声も上げないといけない。

読経だって大変だ。

今回なんか納棺前に「和尚さんどうぞどうぞ通夜が始まる前に「どうぞどうぞ」終わったあとに「どうぞどうぞ」、葬儀前にry,葬儀後にry

といろんな人にひっぱられ、飲まされ、とまあそんな感じだし。

なにより、200人以上いる前で説法だし。

まあ、それよりお金の問題じゃない。

どうせ故人が生前貯めた金だ。

どう使おうが構わないと思う。

なにが無駄って、平日だってのに、みんなそんなに暇なの?ってとこだ。

野菜もってけーれ、スーパーだとお金だして買わないとだけど、もってけばタダだべ。コメ用意してやるから、またけーってこい」

おいババァ、葬式の後の会話がそれかよ。

タダってあんた、ガソリン代いくら使ってきてると思ってんだ。

ちなみに、この地域では町内会草刈りのため息子(といってももうすっかり中年だが)が有給とって東京からやってくる、などということがザラである

町長、ちっぽけな一人の町人葬式に出たりしてないで仕事しろよ。平日だろ?

まったくもう、イライラする。

無神論者なんで、故人を偲ぶとかそういうのはどうでもいいけど、どうなんだろうなぁ、このドタバタ感。

でも逆に、忙しいくらいのほうが遺族は悲しみに沈まなくていいのかななんて思ったりする。

それでもなお、やだ。

いつか自分喪主になって切り盛りする日も来るのだろうか。

お願いだから自分の親には、葬式はしないでくれという遺書でも残して欲しい。

250人っていったら、一人と2分ずつ挨拶したって500分だろ?

死ねるわ。

2011-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20110304121157

笑った。つか、(コミュニケーションコストを含んで)結果出してるなら 出社ペースなんてどうでもいいし

コミュニケーションしていても、結果出せないなら、皆勤賞でもダメだろ。

2011-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20110204122233

問いの発し方が変




だって世界最強の男になることを諦めてるよね

NFLのNo.1QBになることも諦めてる

AKBオタク界のカリスマになることも諦めてるし

三味線人間国宝になるのも諦めてる

五体投地しながらエルサレムまで徒歩で旅することも諦めてるし

ラジオ体操皆勤も諦めてる



余さずリストに出来るか?こんなもん

2010-12-26

兄が涙ぐんだ。

 朝6時に出勤した兄が、夜の11時ごろに帰ってきた。

 会社は車で15分のところにある。終業時刻は10時半だったらしい

 ここ半年ほど、日をまたぐ事が多かったので、それを考えればこれでも十分早い帰宅時間だ。



 兄は某自動車会社の下請企業に勤めている。車の塗装などを請け負っているらしい不況あおりを食らって仕事は少ないはずでは、と思うかもしれないが、事情は少し違う。



 兄の勤めている会社は先にも述べたとおり、塗装屋である。つまり「塗らなきゃいけないもの」があれば、それは車でなくても良い。最近ではピアノだのテレビだの、そういうものを営業が駆けずり回って取ってくるらしい

 そうすると、今まで塗装機のマニュアルに無かったものをやらなくてはいけない。新しい試みなのでもちろん大変である



 結果、どうなったか

 仕事はたしかに増えたが、無理言って頼んでいるのだから足元見られて安い値段をふっかけられる。

 仕事はあるが、金は無い状態。



 兄の勤めている中小企業には、何人もの外国人がいる。東南アジアなどから来る研修生だ。不況と言えど、取り決めで彼らをやめさせる事はできないらしい。そうすると企業はまず「パートのおばちゃん」たちを切っていく。

 しかしこのおばちゃんたちこそ、経験経験を重ねた企業の底力だった。

 少なくなった人数で彼女らのいなくなった穴をしなければいけないのだが研修生たちで埋めることはできない。彼らはまじめらしいが、それでも無理なのだそうだ。技術力云々もあるが、なんといってもサービス残業のさせにくさがある。彼らを不法に酷に扱い、もしソレが明るみに出ると企業は最悪つぶれてしまう。



 結果、文句を言わぬ社畜である社員がひたすら働く。日も昇らないうちから、ひどいときにはその日が沈んでまた明けるまで働く。

 残業代はろくに出ない、有給たまりに溜まってて、体が辛いか休みたいと言っても休めない。休むと次の日大量の仕事をこなさなくてはいけない。

 上司社長親族ばかりで理不尽極まりない。

 自分は歳のせいでいからと休むのに、兄が休みたいと言うと甘えてると言って取り合ってくれない。

 社員だって人権がある。労基に訴えれば勝てるレベルだ。

 わかってる。わかっているけど、そんなことをすれば小さな会社はつぶれる。

 この不況だ。どんなにひどい企業でも、正社員という地位を捨てることはできない。



 兄が泣いた。

「どうしろってんだよ」と、わずかに笑いながら。



 兄は高校を出てすぐにそこへ勤め始めた。もともと環境が良く無いせいか後輩は入ってこない。兄は5年たった今も一番若い。

 上司仕事押し付けられても、逃げられない

 押し付けたクセに、お前の仕事は信用できないと言われる。

 どんなにがんばってても、お前みたい仕事では評価されない。と言われたらしい



 私が普段見ていても、たぶん兄は要領が悪いし融通は利かないタイプ人間だと思う。こだわりが強くて、人と円滑にコミュニケーションをとるのも苦手だろう。今風に言えばKYである。顔もかっこよくない。さえない。毛深い。ガンダムオタク最近萌えフィギュアにも手を伸ばし始めた。趣味アニメ鑑賞。

 けちで、漫画雑誌を買ってきても読ませてくれない。12個入りチョコを一粒もくれない。

 頭もたぶん悪い。小中高と、どんなに努力してもずっと底辺だった。

 あたまの回転が遅いから言いたい事が伝えられなくて、口喧嘩ができなくて、いつも物に当たる。たまに私も殴られる。



 兄は、社会人として、技術者としてはきっと使えない。優秀ではない。

 上司の言いたいことは、なんとなくわかる。



 兄にはできないことが多い。

 見下すとかではなく、それが兄の極限値だ。と私は思っている。

 本人は可能な限り精一杯やってる。

 兄が努力しているのを私は知ってる。



 兄は良い人間だと思う。

 家族誕生日ケーキを買ってくるのは兄だ。

 母が風で倒れたとき、一番心配して家事を行うのは兄だ。

 祖母の歩みが遅くなったとき、その手を引くのは兄だ。

 私にはくれないのに従兄弟にはお年玉を上げていた。

 友達はいなかったけど、小中高と皆勤賞だった。

 部活では、朝一番に剣道場にいて準備をしていた。

 どんなに辛そうでも、仕事をサボったり休んだりしない。



 だけどそれはお金にならないし会社のためにならない。

 そこを評価してくれる人間は、お金が絡む会社はいるはずもない。

 食堂のおばちゃんだけは、兄の辛さを知ってこっそり夜食を作ってくれるらしい



 いままで、私は兄の愚痴を聞いた事が無かった。

 いつも辛そうで、なんとなく茶化した様子の事情は聞いていたけど、弱音は初めて聞いた。



 そんな兄が涙ぐんだ。

 ショックだ。

 こんな不況下で仕事辞める奴は馬鹿だと思っていたけど、兄は少し休むべきだと思う。



 おにいちゃん、仕事もう辞めていいよ。

 私も来年から社会人だし、ちょっと休んでも大丈夫だよ。



 そう言ってあげたいけれど、私は妹で、兄にもプライドがある。

 言えるわけが無い。

 もどかしい

2010-11-01

皆、きまづくなりたくないから、やっている。

人を、部活の練習だとか仕事だとか、そーいうすべきことに縛りつけてるのって、

結局はしがらみなんだな、と思った。


私の所属しているサークルでは、定期的に、大会の運営等ののための会議がある。

色々事情があって、数カ月に一度のその会議は、全国各地の部の代表者が

日本全土のあちこちに集まらなくてはならなくて、時間的にも土日もフルに使わなくちゃで

結構真面目な会議だし、とてもヘビーなものだ。

その会議を尚更ヘビーにしているのは、恒例の毎度毎度の飲み会で、

金土日の夜に、大学生が飲みまくるのだから、それはそれは大騒ぎをする。

一回参加して、閉口した。

ほぼ皆勤の先輩に「なんでですか?」って聞いた。

その先輩は割と不真面目というか、テキトーな人だったので、余計に意外で。

そしたら、「会議常連メンバーの、他の大学のやつらと会いたいから」と言われた。


高校時代、私は某個人競技の部活を辞めようか悩んだことがある。

怪我をしたのだ。でも、やめなかった。

部活の友達と、友達でいたかったからだ。気まずくなりたくなかったからだ。

もちろん、その競技の魅力も無くはなかったのだけれど。

その先輩も、会議だとか、会議にまつわる雑務をきちんとしていたのは、

年に数度しか会えない友達と、心おきなく、後ろめたさなしで飲んで騒ぐためなのだろう。

きちんと運営をこなす達成感も、無くはないのだろうけれど。



「なんでまだ自分はこの競技を続けてるんだろう」って考えた時、

その競技の魅力というのは、あまり有効ではない。そんなに強い選手じゃないし。

勝つと嬉しい分だけ負けるのは嫌だし、練習自体は別に楽しくない。

ただ、部活の合間に皆とダラダラしたりするのが楽しくて、

あんなにしょっちゅう顔を出していたのだ。


思えば、結構ガチ部活上下関係厳しかったり、

先輩のおごりで一緒にご飯を食べる機会が多かったりするのは、

きっとそうやって、部活の人たちをシガラミで雁字搦めにする為なんだろう。

義理だとか、絆だとか、顔を覚えて後輩は先輩に借りを作って

練習から逃げづらくしているんじゃないだろうか。

勝手イメージだけど、義理人情が重んじられる世界って言うのは、

やっていることがキツそうな気がする。やくざとか。


会社とかでも、そーいう上下関係だとか、仲間意識を大切にする所って

もしかしてそれだけ、すべきことがキツいんじゃないだろうか。

濃い人間関係はちょっと古臭くて、もっとドライなのが流行りだけれど

それはそのぶん「効率化」とか「やりがいがある」とかいって、

キツさも減っているから、成り立っているんだろう。

すべきことのキツさと、人間関係の濃さは、比例しないと破綻する。

高校時代の部活では、年々部員数が(幽霊も含めると)減っていくのが悩みだったけれど、

練習出席のノルマをきつくするんじゃなくって、

もっと部員同士で仲良くならなきゃならなかったんじゃないだろうか。

ゆるい空気にして、馴れ合って。弊害もあるだろうけど。

空気を緩くしないで制度化すると、おごりだとか、挨拶しっかりしろ!ってなるんだろうな。

人はしがらみで縛られて、すべきことをしている。

良し悪しじゃなくて、ただの事実として、認識しておくといいかもしれない。

2010-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20100927160944

横だけど、皆勤手当という概念カルチャーショックを受けた。

まさかと思って調べてみると、有休を使ったら皆勤とみなされなくなったという事例が山ほど出てきた。

社畜手当」に名前を変えた方がいいんじゃないだろうか。

2010-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20100803180607

うちの会社仕事が出来る人ほど体調崩して休みがちで、

仕事ができない、やらない人間ほど早くから会社に来たりな皆勤賞だなぁ。


結局、仕事が出来る人に仕事が偏って、身体か精神が疲れていくのに

その横で身体に自身がある人間は、手一杯の人間仕事を受け入れようともしない、

ってのが問題なんだけどね。


下手すると、そういう健康人間自分仕事をダラダラやったり放置した挙句

できませんとか間に合いませんで自分よりも手一杯の人間押し付け

より状況を悪化させたりもするんだよな。


まあ、結局管理する側が無能なんだけどね。

2010-07-25

悪質な現実逃避

まただ。

一時期はきちんとやる気が出て行動できてきていたのにまたダメになってきた。特に今日日曜日だし。

切ない映画見たり、小説読んだり、自分の好きなグループ動画を見漁ったりしているとどうしても現実に目を向けるのが嫌になってしまう。ずっとそれに没頭したくなる。

実際に仮病使って会社休んだことも割とある。

そんなこんなで退職してしまってハローワーク通い。明日は事前に予約したセミナーに行かないといけないのに、今はすっかりドタキャンするつもりになっている。

映画小説動画見るのはやめたくない。やめたとしてもきっとそのうち他の現実逃避要因が出てきてすり替わるだけだ。

昔からこんな感じになることはよくあったけど、これって少し精神状態が不安定って事なんだろうか?それでも学生時代皆勤だったのにな


あーちくしょう

2010-07-19

サボり魔は一生そのままなのか?

私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。



幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。



ふつう精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。

少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。



私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。




私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅ジョイナス地下駐車場英語ブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。

ある日TV英語教室CMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。

しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。

そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系エリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。



それから数年の時が過ぎ私は小学校3年生になった。

ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。

何ここ何が起きるの?

幼いながらも恐怖した。

部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。

父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。


しかし、だ。

それは遅すぎた。

小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。

それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。

その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車ダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。



小学校5年の時に友人の誘いで公文に通い始めた。

初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。



それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。

公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。



義務教育が終わりを告げ私は高校生になった。

一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。

高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤卒業式の時に表彰されメダルを貰った。

なんというか極端だな・・・と。

しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。

高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。

図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休み放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。



この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。

しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。



高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。

私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。

地域ではマイナー予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。



予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストダイレクトアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。

今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。

それはとても苦痛だった。苦痛苦痛で仕方なかった。

苦痛の先にあるのは小学校からやらかしているサボリ、だ。

高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。



がんばった者とがんばらなかった者

努力した者と努力しなかった者

逃げなかった者と逃げた者



そんな二通りの人間審判が下される時がきた。

大学受験--



無論私はボロボロだった。無惨だった。

センター試験自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。

死を覚悟した。



一般入試が始まった。

私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学受験した。



結果。補欠合格

はは、引っかかちゃった。

当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。

でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。

だって・・・「努力したのかい?」



大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。



大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。

しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。



この教科を落とすと生物化学を受講できない



偏屈で有名だった生物化学教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。

何かが壊れた。



大学2年。目標生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理概念が入って手に負えなくなってきた。

大学苦痛になった瞬間だった。



苦痛になると訪れる甘い囁き

「逃げちまえよ」

それにあがらえる訳がなかった。



初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。



努力した者と努力しなかった者

その差は歴然と表れる。



次の年、私は留年ギリギリだった。

いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。

背中に火を付けられたような感じがした。

兎に角焦った。

焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした

屈辱的だった。変にプライドの高い私には凄まじく苦痛だった。



苦痛を感じると出てくる麻薬のような囁き。

「ニゲチャイナヨ」

でも逃げると今度は留年だ。



逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ



14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。



このあたりでだんだん精神的におかしくなってきた。

不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。



ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。

真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。



次の年の春。私は留年した。

その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と

ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。

がんばるから、がんばるから

この時はそれで何とかなった。



留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。

唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。



翌年、再び私は留年した。

二度目の父との対話。

今度はなかった。



こうして私は大学中退した。



そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。

ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社研究所に拾われた。

そこは農薬を作っている会社研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。



でも、せっかく化学バックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。

とっさだった。とっさに私はこう言った。

お金貯めて大学に復学したいんです!」

何でこう言ったのか今では判らない。

しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所助手採用してくれることになった。

運が良かった。



研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。

「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。

本気にしてがんばろうと思った。



でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。



入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。

ほぼ同じ歳で今年正社員入社。しかも京大大学院卒。

「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。

すんげぇイヤな奴だった。

京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。

正直あんまり関わりたくなかった。



ある日、通勤バスの中でふと考えた。

なんでだろうって。

殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退バイト。この差はなに?

それがずっとこびりついて離れなかった。

それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。

苦痛」だった。

とにかくとにかく苦痛だった。



また別の日、通勤バスに乗っていると不思議なことが起こった。

降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロゲロ」って告げてくる。

そして降りるべき停留所が来た。

降りられなかった。

こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。

その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。



それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。

さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。

最近休み多いけどどうしたの?」

怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと

「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」

と言われた。



その日早退し精神科を探した。

小さなクリニックで老医師がこう言った。

「そりゃウツだ」

そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。

ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。



それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。

休みが10日ほど続いたところで家に電話がいった。

「大切な話があるから明日は必ず来るように」



翌日。何とか私は出社した。

研究所入り口総務部長が待っていた。

そのまま会議室に連れて行かれた。

そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。

単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」

総務部長がそう言った。

そのときの私は妙に冷静でその言葉意味もきちんと理解した。

あぁ、クビか。

後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。




それからいくつかの会社を転々とした。

どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。

朝起きて家を出ることはできるけど電車バスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロゲロ」と

そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。

最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。

職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。



ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。

朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロゲロ」という囁きが頭を支配する。



精神科にはもう6年かかっている。

はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬睡眠薬まで貰って飲んでいる。

挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。



ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と

最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。



結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。

苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。

おそらくこれは正しい。

正しいことは判ったが対策がわからない。

生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?

そもそも私の病気は何だ?

鬱病適応障害?それともただの怠けでサボリなのか?



精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。



年々悪化しているこの「現象」

いったいこれは何なんだ?

どうしたら治るんだ?

どうしたら社会的な生活を送れるんだ?

だれか、教えてほしい

2010-06-24

この世で確実なのは、死と税金社会保険料だけである

標準報酬月額っていうのがありましてね。

サラリーマンなら名前くらいは聞いたことがあると思いますが、その仕組み自体を理解している人は、あんまりいないのではないかなぁ…と思ったり思わなかったり。

少なくとも、私はつい最近までさっぱりでございました。

標準報酬月額は社会保険料の算出元の金額です。

社会保険料とは、厚生年金保険料健康保険料の事。健保厚年っていうとプロっぽい。

給与明細を見れば、健康保険料と厚生年金保険料でかなりの金額が引かれているので、これだけの金額を支払っているのだから、仕組みくらい理解しないといかん!と。

そう思った訳です。

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一応、ここからの話は、私が調べた限りの事なので間違ってるかもしれません。

でもって、2009年現在法律で書いています。

なんせ、専門家じゃないし専門家が周りにいないので、正解かどうか確認することも…。

ただ、そこまで大きく間違ってないと思うんですが。

あ、一応、厚生年金は「支払った分が帰ってくる(はず)」なので、多く払えば、安定した老後が待っているはずです。たぶん。

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たとえば、標準報酬月額が30万だとしたら。

厚生年金保険料は18等級で46,050円。労使折半なので、自分の負担は23,025円

健康保険料は22等級で24,600円。労使折半なので、自分の負担は12,300円。

健康保険料は介護保険第2号被保険者に該当しない場合

※標準報酬毎の等級は社会保険庁Webサイトへ。

http://www.sia.go.jp/seido/iryo/iryo11.htm

なお、健康保険料は加入する保険組合で変わります。

上記金額は全国健康保険協会管掌健康保険料。大きなカイシャの保険組合は同じ等級であってもかなり安かったりします。トヨタなんか5,850円ですぜ。従業員負担額。全然違う!

まぁ、そんなわけで月々35,000円くらいが引かれていくわけです。この場合

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では、この標準報酬月額はどのように決まるのか?

それは、4月5月6月の固定的賃金と、非固定的賃金の平均額で決まります。

これが、いわゆる定時決定と言われるもの。

8月に確定し、9月分の保険料から適用され、10月給与より引かれます。一ヶ月遅れで。

じゃ、定時決定の材料になる、固定的賃金と非固定的賃金とは?

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固定的賃金とはなにか?

固定的賃金とは基本給や扶養手当、住宅手当、通勤手当都市手当、住宅手当など。

毎月定額で支払われるモノ。だから、固定的賃金

非固定的賃金とはなにか?

時間外手当(残業代)、各種勤務手当(夜勤手当等)、皆勤手当、精勤手当など。

支払われたり、支払われなかったり、金額が変動したりするモノ。だから、非固定的賃金

この固定的賃金と非固定的賃金4月5月6月の平均額が、標準報酬月額となるのです。

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私はここで「え?」と思いました。

通勤手当住宅手当が、固定的賃金として含まれているのです。

得に、通勤手当は非課税なのですが、標準報酬月額の算定には含まれます。

尚、通勤手当住宅手当はカイシャによっては半年に一度や四半期に一度、まとめて支払われると思いますが、これは自動的に月ごとに分割されて計算されます。ご安心を。

たとえば、柏から池袋に通い(定期代77,110円)、月々4万円の住宅手当を貰っている社員と、池袋実家があり、実家から通っている社員だと、標準報酬月額がどれくらい違うのか?

定期代は6ヶ月で割るので12,851円。家賃とあわせると月々約53,000円。

社会保険料の等級は2万円で1等級あがります。53,000円だと2等級ないし3等級違う。

1等級上がる毎に、健康保険料は約1,000円。厚生年金保険料は約1,500円。(注:大雑把)

標準報酬が30万と34万だと、4,710円(折半済み)変わってくるのです。

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非固定的賃金は、殆どの人が主に残業代を占めるでしょう。

4月から6月(実質は3月から5月)までは残業代抑えておけよ」なんていう事を言われたりしませんでしたか?先輩に。それは、この標準報酬月額の算定月だからなのです。

じゃ、年度末や年度初に忙しくて、それ以外が暇な人には凄い不利じゃん!と思うでしょう。

その通り、そういう人達には、もの凄い不利だったりするのです。この計算方法。

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大げさな例えではありますが、固定的賃金が20万円の人で。

3月から5月の超勤が20万円を越えていて、残りの月が0円の人と。

3月から5月の超勤が0円で、残りの月が20万円の人。

前者の人は、厚生年金38,375円と健康保険20,500円の58,875円を1年間。

後者の人は、厚生年金23,025円と社会保険12,300円の35,325円を1年間。

その差額は、23,550円。月給だけで、年間282,600円の差。後者の方が、年収は多いのに!

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そんな!

国の制度が、こんなにも不平等な訳ないじゃないか!

年末調整って、こう言うためにあるんじゃないの!?

残念ながら、年末調整社会保険料は全く以て無関係です。

沢山払った健康保険料と厚生年金保険料年末調整では帰ってきません。

社会保険料を何のために支払っているのか考えれば、当然ではありますが。

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でも、でも!

随時改定ってあるじゃん給与が変動したら、随時改定が発生するんじゃないの?

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随時改定とは、以下の両方の条件に当てはまった場合に発生します。

1. 固定的賃金に変動があったこと。

2. 固定的賃金の変動があった月以後引き続く3か月の間に受けた報酬(非固定的賃金を含みます。)の平均月額によって求めた標準報酬の等級と現在の標準報酬の等級との間に2等級以上の差が生じたこと。

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はいココ、テストにでるよー!この辺がもの凄く重要なんだよー!

ってなわけで、随時改定は固定的賃金の変動でしか発生しません。

非固定的賃金が100万円変わろうが、随時改定は発生しません。残念賞

固定的賃金の変動は昇給改定で基本給が変わったり、通勤経路が変わって通勤手当が変わったり、子供が生まれて扶養手当が増えたりしたら、随時改定のトリガになります。

2等級以上変動ということは、月々4万円の変動です。

昇給改定や、通勤経路、扶養手当くらいで4万円は普通変わりません。

固定的賃金のみで随時改定が発生するとしたらば、住宅援助金の新規付与くらいでしょう。

だがしかし!先ほどの条件を見てみてください。

「非固定的賃金を含みます」と書いてありますよね。つまり、残業代とかも関係してくる。

非固定的賃金の変動だけでは随時改定が発生しないのに、固定的賃金の変動の際に発生する標準報酬月額の再計算では、非固定的賃金が入ってくるのです。基本給が変われば、当然超勤の基礎額も変わってくるので、当然と言えば当然ですが。

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たとえば、11月通勤経路が変わって通勤手当が6,000円増えました。

一ヶ月あたり、1,000円です。当たり前ですが、それだけでは随時改定しません。

でも、12月がとても忙しくて1月給与で12万円の超勤が発生しました。

その人は標準報酬月額が30万円です。

11月給与12月給与は、両方とも30万でした。でも、1月は42万。超勤代込み。

標準報酬月額は「固定的賃金の変動があった月以後引き続く3か月の間に受けた報酬(非固定的賃金を含みます。)の平均月額」です。(30万+30 万+42万)/3ヶ月は、34万円。

30万円から34万円は2等級差。目出度く、標準報酬月額はUPとなるのです。

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なお、固定的賃金が増えた場合には随時改定計算するトリガとなりますが、固定的賃金が増えた場合には、非固定的賃金がいくら減ろうが随時改定は発生しません。

逆に、固定的賃金が減った場合にも随時改定計算するトリガとなりますが、固定的賃金が減った場合には、非固定的賃金がいくら増えようが随時改定は発生しません。

なので。

3月5月にスゲェ忙しい人が、6月昇給普通企業昇給改定4月なのですが、カイシャに因って色々です)によって随時改定のトリガが発生しても、減るのは非固定的賃金ばかりなので、残念ながら標準報酬月額は変わりません。

さらに言えば、6月昇給する人は5月7月の非固定的賃金に因って随時改定が発生する可能性があったりするので、さらに注意。とはいっても、さすがに3月7月の超勤を抑えるなんて言うことは、マトモに働いていれば、できないですよねぇ。

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給与からは所得税住民税厚生年金保険料健康保険料と色々引かれているのですが、その実の所を、私はあまり理解していませんでした。毎月見てるのは振り込み金額だけで。

「愛している」の反対語は「無関心」だそうで。

私は俗物ですから、オカネをそれなりに「愛している」訳で、そうだとしたら「無関心」でいるわけにはいかないのです。愛しているならそれなりに関心をもって、考えていかないと!

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厚生年金保険料2004年から2017年度にかけて、段階的に4.72%引き上げられます。

2004年度には13.58%だったものが、2017年度には18.3%に(労使折半だけど)。

毎年0.354%ずつ上がっていくと殆どの人は気がつかないと思いますが、ざっくりと計算してしまえば、年収500万の人は、2004年度に約 34万だったのが17年度には約46万という計算

物価スライド昇給改定があるので、たとえ話にしかならないんですけど。賞与は別だし。

厳密に言えば、厚生年金は絶対に払い損にはならないし(足りなければ国税から補填されるだけなので…その国税も、所得税とか消費税ですけど)、会社が未加入の場合を除いて払わない方法はないし(違反です)、労使折半なんだから、さくっと払った方が楽です。…たぶん?

ま、頭が悪いので、政治経済なんかの難しい話は理解できないってのもあるんですが。

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ただ、標準報酬月額の算定だけは解せない!

給与計算が手計算で行なわれていて、標準報酬月額の申請が書類で大なわれていた数十年前ならまだしも、今は殆どの会社で人事給与システムが構築されて、社会保険庁への標準報酬月額の申請までシームレスに行なわれているはずなのに、旧態依然の仕組みのまま!

システム化によって、月ごとに変動した支払額の算出だって可能なはなのに。

さらに、昔に比べて非固定的賃金の割合が増えて、月々の給与の変動が多くなっているので、4月から6月給与が1年間の社会保険料の基礎額になるのは、如何なモノかと!

一応、4月定期昇給とか給与改定(ベア)が行なわれるからっていう大義名分はあるけど、殆どの会社で忙しい時期って言ったら、そりゃ、年度末年度初に決まってるじゃんねぇ…。

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ま、長々と書きましたが。

毎月の支払い額が多くても将来年金いっぱい欲しい人は、3月から5月仕事頑張りましょう。

6月昇給とかある場合には、5月から7月にも頑張りましょう。もれなく上がります。

住宅援助金貰って、さらに遠い所んで通勤手当を上げれば、さらに増額!

将来不安でも、今遊ぶ金が欲しい人は、逆の行動を。

ついでに!

算定期間中に、福利厚生費とか申請すると、それも非固定的賃金に含まれてラッキー

私はそれを知らずに、7月に元気よく申請して、今泣いてます。嗚呼。

2010-05-24

InternetExplorer...鳥坂先輩(絶対勢力)

Firefox...Rくん(堕落)

Opera...さんご(皆勤賞モノの移植)

GoogleChrome...しいちゃん(陣営問わず八方美人)

Safari...まりい(一部で我がモノ顔)

w3m...あさの(目立たぬ少数派)

lynx...きしだ(同じく目立たぬ(ry

WorldWideWeb...間宮善三郎(戦前の生き物)

2010-03-03

全国の労働相談事例

全労連労働相談ホットライン」速報No.3

愛媛介護施設で働いていた女性職員3名が職場会議介護について改善提案をおこなったら、やる気がないといって懲戒解雇された。

愛媛住宅販売会社に営業で勤めていた女性が突然、会社から売り上げが減少しているので解雇すると予告された。マンションを買って来月入所予定になっているが、解雇されたらマンション代が支払われない。

愛知:12月末に解雇予告通知をもらい1月末に解雇ハローワークに届いた離職票懲戒解雇になっている。解雇と同時に住まいも放り出されている。

愛知:警備会社仕事中にケガ。労災申請をしたが、仕事を変えられて日給7000円だったのが、2000円に下げられた。会社が経費を差し引くのでとても生活できない。

大阪旅行者の添乗員をしていて、スペイン脳梗塞で倒れた。(2年ほど前)。会社労災申請したと言っていたが、やってないようだ。

大阪:11/30~就労、2/16~アルバイトになって時給が下がった。生活できないので辞めたいが辞めさせてもらえない。

石川旅館倒産3月分まで給料はもらった。「一時金が出る」との噂があるが、そのような金が出るのか?

石川:社内でリストラの噂がある。売上げ減が続いているのは事実。先にケガで3週間年休をとったのでターゲットになるのではないか?これからの対応を聞きたい。

北海道郵便局パート。6か月更新で2年雇用継続していたが、3/31付けで雇止めと言われた。理由は言わない。JP労組あるがあてにならない。

新潟介護職場で働いている。当初事業部部長採用されてが、昨年10月に転籍を通告されて給料5万円引き下げられた。移動先の事務長補佐となった。今後2月にまた事務長補佐を解き、給料をさらに5万円引き下げられると告げられ、やむなくそれを飲まざるを得なかった。しかしさらに3月からも給料を5万円引き下げると言われ、「それは受け入れられません」と返答したら、「解雇通告書」をつきつけられた。(3/1)

新潟:昨年1月6日から勤めているが、3日に1日は休みというシフトでの働き、有休ないと言われている。

新潟職場上司3人から囲まれて退職届を書けと強要され書かされた。

高知:市の臨時保育士。3/26の契約期間途中で「解雇通知」。理由は「職場での人の和をみだした」とのこと。

高知:夫の労働災害。2/16夫が愛媛県で民家の修理に携わっていて落下。脊髄損傷の大ケガで入院中。コルセットを自費で作れと言われた。労災扱いになっているかどうかあやしい

高知国家公務員現在休職中(3回目)。16~17年にかけて経験のない業務となり残業が80~100時間ほどとなりうつ病を発症。「分限免職」となると言われている。

香川食品会社給与の遅配が発生。

香川薬剤師薬局経営者土建業もしているが、土建業倒産し、従業員の昇給ボーナス(全額)カットされ給与も減額された。

愛媛解雇の相談が大半。大手の介護施設で働いていた女性職員3名が職場会議介護について改善提案をおこなったら、やる気がないといって懲戒解雇された。

愛媛住宅販売会社に営業で勤めていた女性が突然、会社から売り上げが減少しているので解雇すると予告された。マンションを買って来月入所予定になっているが、解雇されたらマンション代を支払えない。

山口:甥のことで相談。甥が鬱病退職、以後傷病手当で生活する予定。独身で心配、安い(2万円前後)住宅はないか。

山口NHKの朝のニュースを見て連絡あり、面談にて相談。契約社員(57才・女性)。職場課長よりパワハラを受ける。始業・就業時間管理がでたらめで、未払い賃金の請求をしたい。また雇用期間も1年間から一方的に2ヶ月間にされた。

福井年金定期便が届いたことによって、天引きされている厚生年金保険料が多いことに気づき会社に尋ねたところ、差額分を返すと言われ納得できない。何人かの同僚に聞いたら、同じような状況と分かった。警察行政に相談したが進展なし。

群馬:62歳。3Kなので職場替えを希望したら3月末で解雇という。

群馬:60歳で雇用継続を望むが今まで実績がない。大丈夫だろうか?

長野:10年1月末に退職。09年9月から賃金未払い。「払います」と言いながら払わない。

長野有給休暇が取れない。社長に話しても「景気が悪いのでダメ」と言われた。

長野老人福祉施設で、インフルエンザの罹患した職員が病欠したが、有給休暇で処理され、有給がなくなると無給で休む。これでよいのかと産業医からの相談。

長野保育園パート半年働いたが、園児が減るので人員削減と言われた。なんとかまらないか?

神奈川:大型運転手として、日給14000円で入社したのに、マイクロ運転だと言われ、日給を10000円にされた。

神奈川派遣で月給+皆勤手当をもらっているが、社会保険に加入したいなら、月給から1万円引くと言われた。が、賃金明細では別に社会保険関係で法令通りにひかれていた。

神奈川出産育児休暇で4月復帰しようとしたら、会社が大変だからやめてほしいと言われた。

京都仕事中に発作が起きて、労災認定受けられるか?名古屋の事業所時代に上司からのパワハラに起因しているのでは、発症は07年夏ごろ、10月頃に病院にかかった。パニック障害ストレス性血管攣縮性疾患と言われた

京都:整理解雇を2人が言われた。その相手の人が「1ヶ月前に解雇通告されたらどうしようもない」と言われたのでしかたなく「退職届」を出せと言われたので出した。

京都高齢者雇用助成給付金の申請用紙を渡されたが提出して良いか。年次有給休暇が取れない。就業規則は見せてくれない。

京都:歩合給になって、集金件数によって賃金が決められることになった。賃金が10万円→8万円→5万円と下げられ続けている。

京都:11年前の職場いじめられたことが原因で障害を持つようになった。恨みを晴らしたい。パート雇用でいつ解雇になるかも不安

http://www.labornetjp.org/labornet/news/2010/1267574500952staff01

2010-02-26

彼氏と別れたくない・・・・。

彼氏と別れそうだ。まだ完全に別れてないけど、ほぼ確定・・・。

なんか増田といると退屈な時間の方が増えたとか言われた・・・・・・。

失恋で傷心している人見るとナイーブすぎて馬鹿みたいって思ってたけど

いざ自分がなると何にも手がつかないよ・・・。

何にもしてないのに涙がポロポロ出てきて・・・・・。

午後からバイトなのに休み電話入れちゃった・・皆勤だったのに・・・・。

もう彼氏に抱きしめられたり、匂いかいだりとか一生ないと思うと・・・・・・。

あんだけ好き好き可愛いって言ってたのに嘘になっちゃったの・・・・?

ずっと一緒にいると思ってたのに・・・・初めての彼氏とこのまま結婚するんだなぁって嬉しかったのに・・・。

だいたいさぁ・・・・別れたくないよ・・・・・・。彼氏以上の男なんていないよ・・・。

2010-02-11

辞めた

今日アニメーターを辞めることにした。

正確には会社をバックレた。

責任とかモラルとか、もう、わかってるけど、いい。どうでもいい。叩け。

とにかく今ドアを出て会社に向かいまた1週間を始めたら俺は 

壊 れ る。

「うちの会社ノルマとかはないよ。基本給+枚数をこなせば作業手当として給料は上がる。」

なのに、基本給は実は「最低限の枚数をこなしたという前提」で設定されていたんだ。

作業枚数が、会社の設定した枚数に満たない場合、基本給がマイナスされていく。

募集要項にはこう書いてあったんだ。

基本給+住宅手当+皆勤手当で15万円。アニメ業界初任給としてはかなりの高額だ。

でもそんなうまい話はなかった。 

給料日、俺の手には諭吉が7人しかいなかった。

09:30 会社に行く準備をしていると、じんましんが出てくる。

09:50 家を出る。太陽光を浴びる唯一の時間

10:00 出勤。「おはようございます」の言葉が空しいほど皆無言。

12:00 机で黙々と昼食。食欲がないのでせんべい1枚をかじる。特に会話はない。

14:00 外は太陽が降り注いでいるが会社電気すらついていない。モニターでの色確認などのため。

18:00 夕方を過ぎると微熱が出てくる。時には38度越える。 

20:30 パンを食べる。

22:00 集中力限界だが手を動かさないと仕事が終わらない。

23:30 正直アニメとかどうでもよくなってきて帰る。俺今日誰ともしゃべってねえ。

09:30 じんましん。以下永久ループ

絵を描くのが好き?そうだっけ?

俺が描いてるのは絵じゃなくて線にしか思えない。

月10万そこらで10何時間も線だけ描いて、俺はいい歳して社会に何を貢献しているの?

50代の作画監督見てたら、あんな大人にはなりたくないとしか思えない。

俺こんなことするために生まれてきたんじゃねえよ。

他人様の現実逃避材料を生み出すために、うどんも食えないほど憔悴するなんて。

最低限の生きる権利を保障されながら金を稼ぎ、納税したい。

社会保険とか年金とかちゃんと払って、いつかは家庭を持って子孫も残して。

当たり前だと思ってたことすべてが、このままじゃ何ひとつ出来ない。

「人並み」の人生を生きるのってこんなに大変だったのかよ。

好きなことを仕事に?笑 やりがいを感じる仕事?笑

まじ馬鹿みてー

2010-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20100131153833

良くわからんが、合格発表の際に合格の番号だけ書き連ねて合計点の表示すらしない事実から察するに、内申点なりでゲタを履かせたりする例はままあるのではないかと思われる。

試験の結果が良くても、年の1/3遅刻または休んでるような奴と皆勤のやつを比べるなら後者だろう。

2009-09-23

10年前の自分の頭をなでてやりたい

今から10年位前、大学生、ひとり暗い部屋で、馬鹿騒ぎの深夜番組から、「おはようございます」とニュース携えたアナが爽やかに挨拶する夜明けまでずっと、光るテレビ画面をひたすら眺めていた自分

膝抱えて、ビクターラジカセスピッツ大宮サンセット聞いていた自分

自分タイムマシンかなんかであの時に帰れるなら、今でも当時の自分に何て声掛ければいいか分からんが、よしよし大丈夫大丈夫だとひたすら頭をなでてやりたい。

田舎から出てきて、妙にプライドだけ高くて、東京最高学府にぎりぎり滑り込んだはいいが、周りのあまりの賢さやリア充(当時こんな言葉はなかったが)の眩しさやオサレさに思いっきり打ちのめされる。

生来の引っ込み思案も手伝って溶け込めず、クラス仲間とも当然疎遠になった。

1年の終わり、ろくに出なかった第三外国語テストの口頭試問で、優しい外人先生に、心から心配そうに「あなた友達いないでしょう」と流暢な日本語で言われたのを今でも傷みたいに思い出したりする。

何とかしようと真面目系サークルに入っても皆勤なくせに和気藹々も出来ず、ゼミもしかり、真面目キャラのくせに勉強ができるでもない。まさに準ひきこもり(当時こんな言葉(ryだった。

んでもあのとき必死だったと思う。

悩んで悩んで自分何やりたいんだろうか、どうして友達できないんだろか、学校辞めようかでもせっかくこんないい所入ったんだしとも思うしうじうじ、でも行動もどう起こしていいのか分からない、授業に足を踏み入れればクラスメイトが散らばっててどの席座ったらいいのか分からない、食堂もどこ座っていいのか分からない、

卒論もお情け合格就職するにあたっても当然面接落ちまくり進路も決まらず、最後は学歴だけで採用してもらったようなもんだが、まあ職場人間関係にも恵まれたのか、今何とかこうやって生きていて、そう苦しくもなく、恋人は無論いないものの、中高大と合計して片手で足りるほどの友人と、たまに会ったりして今ではそれなりに心安い生活を送っている。

これくらいの年月生きてきて、ようやっと社会人として、いやそれ以前に人間として、他人とコミュニケートできる素地が育ってきたと思う、大学同窓会にもやっと出られるようになって、当たり障りない話して笑えるくらいになった。

そして今大学時代を思い返してみると、大半の暗い思い出の中で、痛痒かったり楽しかった瞬間も思い出せるっちゃあ思い出せる。今は無き新宿リキッドへ初めて連れてってもらったよなーとか、文化祭で皆で夜中じゅう寄ってたかって変な食べモノ作ってたよなーとか、ゼミ旅行で酒飲んで初めて記憶失ったよなーとか、もう卒業だってんで好きだった優しい先輩に告白してうん、とだけ言われて玉砕したよなー、とか。

ビタースウィートシンフォニーっていう、ヴァーヴのヒット曲タイトルがあるがまさにそういう感じ、90パーがビターで10パースウィート、昔は思い出したくもなかったが、苦さの中からスウィートのほう思い出せるぐらいには成長して、自分を卑下するには年を取りすぎたのかもしれんし、人生に耐性がついたのかもしれん。遅っ。

ネットでよく非コミュ大学辛いぜと泣きそうに笑っている人を見て、あの時膝を抱えて暗い部屋の隅っこでじっとしてた自分の姿とダブりまくって、ああ大学なんて人生の一部だ、あと10年も生きればなんとかなるなんとかなると頭をなでたくなってくる。

人生の輝かしい時期を棒に振ったと言われりゃその通りかもしれんが、うあああーと朝まで苦悩していた自分を思えば、今の時点からえらそうに後悔という言葉を当てるのも痛々しい程だから、せめて今の自分はあのときの自分を肯定してやりたいのだ。

2009-08-02

8年前

公務員試験に失敗しもう新卒募集もほぼなくなっていて、駆け込みでとある人材派遣会社正社員になった。

入社前に、まず研修として2週間派遣先工場で働きその後人材管理などを学んでいくという説明を受けた。

入社式には何百人も来ていて、大体男女半々くらいだった。

自分静岡にある工場配属になり、静岡にある会社借上げのアパートに同僚と3人で住むことになった。もちろん男のみ。

その工場に配属となった同期は50人くらい。女性はいない。

そして毎日12時間自動車工場で働いた 昼勤夜勤シフト制だった。ちなみに今でいう偽装請負だ。皆勤すると手取りで月16万くらいになる。

工場休みの時は事務所仕事を手伝いに行った 無給だが先輩によると「皆やっている これをやらないとずっと工場勤務のままだ」らしい

最初のうちは行っていたが、すぐに工場で疲れ果て行く気力が出なくなった 同期の知り合いは毎週行っていたがいつのまにかやめていた

アパートで一緒に暮らしていた同僚は他人のミス押し付けられ100万単位の損害を出したとされやめていった。

また、人がまったく定着せず一緒に住む人がころころ変わるので、人付き合いが苦手な自分には辛かった。朝起きると知らない人がいたりして嫌だった。

油のせいか上半身がぶくぶくふくれ、直ってもすぐ元通りになるので、やがてかゆみと痛みに我慢できなくなり半年でやめた。

若者はなぜ3年たたずに辞めるのか? かゆいからさ

やめた時、工場に配属となった同期は50人から6人になっていた。欠員はほぼ日替わりで入ってくるのだが。

やめた時ふと、入社式の時にいた女の人達はどうなっているのか?と思った。

そして2年後、ネット会社名で検索してみると、会社はつぶれていた。

その後の自分は、どうしてもまともに仕事を続けられず、ずっと転々としている。もう30近くなり、どうでもいいと思う。ここ半年は人と会話もしていない。いっそ加藤君のようにやれたらいいなと思うが、別に人が憎いというわけでもないので、練炭炊くのが精々だろうか。一回やったけど目張り甘くて失敗した。

2009-07-19

現代プロレタリア考察

一年後は正社員給料は18~19万』

このご時世に破格の条件の仕事を紹介されて無職自分が飛びつかないはずが無かった。


『では一度工場見学にいらして下さい。』と言われ気軽に指定された場所に赴くと現場責任者数名が現れ、事実上面接が行われた。


現場見学』はその日一度も行われず、持参した履歴書は無造作に机の上に並べられた。


同時に『面接』を受けた人も自分もの個人情報は丸見えだった。


夜勤あり、『社内で定められた認定試験』に合格するまでは試用期間内の為、賃金は異なる旨の説明を受けた。



数日後、会社から内定の連絡を貰う。


『では制服をお渡ししますので取りに来て下さい』と言われたので気軽に会社に取りに行くと『本日は入社の為の説明を受けて頂きます』との通達を受けた。



隣に居るのは一人の見知らぬ男性


面接を一緒に受けていた人は皆辞退していたので派遣会社経由の人間自分ひとりだ。


聞けば、ハローワークでこの求人を見つけてきたのだという。



またしても無造作に広げられる書類。


ダダモレの個人情報



年齢、家族構成、前職に至るまでが全て丸見えだった。



契約書にサインする。



『試用期間』ということで自分の基本給は12万円だった。


驚く自分担当者がただし、とフォローを入れる。



「あまりに少ないので吃驚されたかもしれませんが募集にあった『19万』というのは皆勤手当て、残業手当夜勤手当を含む金額です。試用期間中はこの金額ですが認定に受かりさえすれば給与はドンドン上がっていきますから。」


まずは三ヶ月ごとに契約更新され、一年後には晴れて正社員になれるという話だった。



二ヶ月以内に社内独自の認定資格試験合格出来なければ契約更新はないという。


ふと隣の男性の書類が目に飛び込んできた。



『15万8千円』



この差は何であろうか。



派遣会社からの紹介派遣ハローワーク経由での求人とでは待遇が違うのだろうか。



戸惑いながらも書類に印鑑を押す。


このご時世、雇ってもらえるだけでも有り難いと思わなければならない。



朝に行ってすぐ帰れるだろう、と思っていたのだが結局丸一日、社内の規則説明と現場の作業説明を受ける事となった。




隣の男性と少し話す。


試験、難しそうですね。



「ええ、一緒に頑張りましょうね。」



不安を抱えながらも新しい職場での生活がスタートした。



日本人より外国人が多い工場



親会社の敷地内に設置されている子会社



親会社子会社日本人外国人男性女性



目に見える分かりやすいヒエラルキーで支配された世界がそこにはあった。




認定資格を取得する為の勉強が始まった。



日系人外国人資格取得を目指して一緒に勉強する。



生活が掛かっているので、皆真剣そのものだ。





入社して早々、隣の男性は居眠りを繰り返していた。



一週間後の午後、男性は姿を消した。




自分より高い賃金だったろうにな、と思うとなんとも言えない気分になった。



二ヶ月間の紆余曲折の末、晴れて試験合格した自分



配属された先は今まで学習してきた事がまるで通用しない現場だった。



『座り仕事』、と聞いていたのに実際には立ち仕事である上、取り扱う製品の大きさも三倍以上の大きさだった。




これを朝八時から夜八時まで、夜勤の場合は夜八時から朝八時まで続けるのだという。




現場には椅子もない。



慣れない環境に体調を崩す。


しゃがみこんでいると注意を受けた。



現場ではしゃがまない方がいいよ。他の人間も座れないし、『あいつばっかりしゃがんでズルイ!』とか言われかねないからね。」



どのような体力で皆、この激務をこなすというのだろう。




休憩は15分のものが二回あるが、更衣室、休憩室までの移動時間が片道5分の為、実質は5分しか休めない。




到底、出来そうもない現場仕事絶望的な気分になる。




渡された給与明細を見つめる。



「総支給額12万と数十円」



皆勤手当て5千円なども含まれているらしかったが、各種保険天引き後の金額だ。


交通費一万円も含まれた12万数十円なので、その一万円を差し引けば純粋手取りは11万になる。


現場での緊張と絶望は極限に達し、体調も悪化の一途を辿った。



何度もトイレを往復した。



下痢止めの薬を服用しても一向に効かず、更に悪化するだけだった。



病院で処方された薬も効かなかった。



診察代と薬代で5千円以上掛かった。



新人教育担当する先輩が親身になって相談にのってくれるのは唯一の救いだった。



だが、この仕事をこなさなければ契約更新されないだろう。




これから先、どうやって生きていったらいいのかわからない。



プロレタリアという概念を歪曲させ、右に行った次は左へ向き、自らを聖女と名乗る人間に憤りを覚える。


只、綺麗な服で着飾ってちやほやされたいだけだろう。


旗を振って先頭を歩きたいだけなんだろう。


右も左もない、守るべき信念も持たない人なんだろう。



自己愛の塊としか思えない。



自分の手を自分で汚さず何がプロレタリアだと言うのだろう。

2009-03-10

会社飲み会旅行の出席率

皆勤賞って人は少ないのかな?

旅行なんかは費用もばかにならないし、行きたい人が行くって感じですか?

2008-10-29

捨てるからね

高校時代、監督にぶっ叩かれながら毎日真っ黒土塗れになって、必死にボールを追いかけ走り回った。

初心者なうえ適性も肩もなかった私だが、なんとか試合には出させて貰えたこと、

大きな怪我もなくほぼ皆勤を通したことが自慢だ。


高校入学直後、入部する旨を告げると母は喜んでくれた。

一式何万もする道具や練習着を買うのに、はいはいとお金を出してくれた。

それを無駄にすまいと、辛い時期があっても辞めようとは思わなかった。

最初は気恥ずかしかったけれど、両親は毎回試合の応援に駆けつけてくれた。

私の汗とグラウンドの養土がめり込んだ練習着を洗うのを手伝ってくれた。


買った時は目に痛いほど鮮やかだったミズノグローブは色褪せたが、愛おしい思いは変わらない。

久々に触ると黴臭くなっていたが、私なりに大切に保管していたつもりだった。


先日半年ぶりに実家に帰った時、母は家中を隈なく掃除していた。

私が自室で勉強しているとき、母に呼ばれたので駆けつけたところ、母の手には私のグローブ



「あんたのこのグローブ、もう捨てるからね」



確かにもう頻繁に触ることもなくなったし、ちょっと黴臭い。

キャッチボールをする相手だって、今では気軽に呼び出すこともできない。

でもそれ、どう見ても私の青春の象徴だよ。

少なくともゴミに出すなんて選択肢がないことぐらい、母だってわかってると思ってた。

言われた直後、自分の母がこんなことを言ったという事実に順応できず、しばしフリーズした。



「そうだよねぇもう使わないし汚いから捨てちゃってー」なんて、私が言うと思ったんだろうか。


結局必死に抵抗して反論して、捨てられることは免れたが

「あんたが大事にしてないのが悪いんでしょ」と言われて涙が溢れた。

大事にしてないなんて私がいつ言った?大事に大事に桐の箱に詰めておけばよかったの?

この時だけじゃないんだ。たまに普段の母とは思えない言動に遭遇して、それに順応できないこと。

基本礼儀正しいが親しみやすく、私たち家族を包んでくれる優しい母だけに。



( 追記 )

トラバブクマありがとうございました。見返す人はもういないと思うのですが、一応。

男女タグ付いてますが、男女じゃないのでそこだけ弁明しておきます。

2008-09-20

偏差値が高いほどいじめが少なくなるように思える理由

追記:先ほどから何回も投稿してスイマセン。匿名のは使い慣れないので


確かに勉強が一番だったらいじめるのに労力は使いたくないですよね。

通りすがりに「きもっ」とか「くさっ」とか言ったり、シカトしたりするなんてほんのちょっとのエネルギーでできます。

ですが、そのようなこともどうやら高偏差値学校ではあまりないようです。



外部性の有無、みたいなもんじゃないかな。目標があり、風通しがよければ、いじめシステム化しない。

http://d.hatena.ne.jp/REV/20080919/p1

外部性というか、将来ビジョンの共有が生徒の中でできているか、ってことでしょうね。それは逆に風通しは悪いのですが。

http://d.hatena.ne.jp/kazukan/20080919/1221796855


私が通った高校は私立で偏差値54でした。

公立高校なら「あそこはねぇ。すこしだらしないよね」とか言われるレベルだと思います。

もちろん共学です。確か全校生徒は千何百人いたと思います。いわゆる「高偏差値男子校女子校」ではありませんでした。

生徒は勉強より部活という感じの雰囲気で、実際一部の生徒は推薦等で入学したため偏差値30くらいでした。

けど、大したいじめはなかったように思えます。(気付かなかっただけかもしれませんが)

もちろん「いじられキャラ」はいましたが、いじめはなかったと思います。


それが当時から私は不思議だったのを思い出しました。

先ほど引用したように「勉強中心で将来のヴィジョンが共有できてる」とは思えません。

大学進学先も一番多い層が日東駒専大東亜帝国と呼ばれる中堅??中堅下位の大学でしたし、普通の中堅高校でしたから。



今思い出して「いじめが少ないのか(無いのか)」理由を考えると

1、生徒指導の教師が毎日服装髪型をチェック&あいさつ

2、部活は強かったのでそっちに忙しい

3、学校がつまらないので帰宅部はさっさと帰宅

この3つがあげられると思います。


1、に関してですが、これは全国のあまり偏差値の高くない私立高校日常的に行われてると思います。

たいして効果はないように思ってます。

しかし私の高校の生徒は一見チャラ男でも注意されると従っていました。

(まもらないと出席停止になるため←こんなことなのにこれをチャラ男が守るのが凄い)


2、これが最有力だと考えてます。インターハイレベル部活になると毎日練習は当たり前の世界でしたから

もちろんそれが楽しければストレス発散にもなりますし、「全国出場!」という共通のヴィジョンも見出せます。

(そのレベルに私は付いていけず途中でやめましたがw)


3、そのようにして部活をやめた私のような芯の弱い人間いじめられる、いじめることがなかったのは

学校がつまらなかった」もしくは「実は進学の維持が強く早く帰って勉強したかった」からだと思います。


というのも、不思議なのは授業が終わると部活に行かない生徒はそそくさと帰宅していました。

これは学校がつまらなかったからだと考えてました。しかしよく考えると卒業時に皆勤した生徒は1学年のうち4割を超えてました。

正勤も含めると7割の生徒が真面目に登校していたのです。

※正勤とは3年間で5日以内の欠席


そうするとつまらなかったのか学校が好き過ぎるのかよく分かりません。

チャラ男の話もそうですが、普通であれば『髪の毛は黒で女子はパーマダメ』とかだったらやめますよね。

(実際、年に3人ほど学校をやめる生徒もいましたが。)


「実は進学の意思が強かった」というのは、中堅の私立高校というのはどうしても公立上位の抑えとして選択されます。

ですから『もともとは能力の高いお坊ちゃま、お嬢様がしょうがなく通っていた』とも考えられると思います。

実際大手企業社長の息子がいたり、全体的にお金持ちの家が多いような印象はありました。

だから帰ったら予備校や塾に通っている人も少なからずいたようです。



よって私が考えるに

部活が大好きで学校生活が楽しい生徒・そそくさと帰宅する生徒・いじめっ子いじめる相手がいないのでやめるor帰る

先生もちょっと厳しい・もともと育ちのいい生徒』

この好循環が上手く作動していたからだと考えています。



つまりは『高偏差値学校大学合格、うちの学校スポーツマン全国大会出場、その他;大学合格

どちらもヴィジョンがあったからなんだと思いますがね。



難しいのはスポーツ全国大会レベルでも荒れている学校はかなりあるということです。

そういう高校スポーツをやっていない生徒に対してのケアがないことがほとんどです。

茨城県のある高校は、昔甲子園にも出場した高校ですが今では東大医学部合格者を出している高偏差値学校です。

いじめがあるかないかは分かりませんが)

この学校の育て方は凄いと思います。まずは名前を売って有名になって、とりあえず人をあつめて、出来る生徒を伸ばして難関大学合格させる。



私の通った高校はそこまでは考えてないようです…ケアーというケアーもないようですしw

チャンスだと思うのですが…



「うちの子はあまり賢くはないけれど、いじめに合わせたくない」というお父さんお母さん。

できれば高偏差値学校へ、無理なら、死に物狂いで評判をかき集めてください。

2008-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20080810023258

会社適当にサボっても、

しっかり数字さえ上げていればいいって?

営業じゃなくたって数値成果が命だよ

なにを当たり前のことを、、、


皆勤するだけで褒められるのは役所の下っ端だけ

2008-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20080622033714

反響が思ったよりあって(無視されるか、せいぜいブクマが3つくらいつく程度かと思っていた。無駄に長いし)今日は驚いた。

私はあんな事を書いたけれども、そこまで悲観的になっているわけでもない。今は。あくまで今は、だが。

高校生のときは一番酷くて、小中はほぼ皆勤だったにも関わらず、高校生時は積もり積もった何かがあったのか、突然鬱状態になり学校を休んでしまったことがあった。2ヶ月ほど。電車に乗り、学校が近づくにつれ逃げたしたい思いでいっぱいになり、途中下車して科学館などへ足を運び宇宙のでかさを目の当たりにすることにより「現実なんてこまっしゃくれたもんだぜ」「私の存在なんてちっぽけもいいとこだぜ。皆宇宙から見ればとるにたらないものよ」と現実逃避を決め込みまくったりした後、ついに学校へ行けなくなった。親は心配し、私を精神科へ連れて行った。鬱じゃないかと医者には診断されたものの個人的にはしっくりこなかった。ぶっちゃけ今でも鬱じゃなかったと思う。「何もできない」わけじゃなかったし。実際ネットとかやったり図書館行ったりしてたので、自分では単なる思春期によくある登校拒否ぶっちゃけいうと甘え、現実逃避、だと思っていた。しかし親は「本とかネットで調べたけど、鬱の人ほどそう思うらしいよ。とりあえず医者へ通いなさい。お母さんもついていくから」といい、仕方なく薬を飲んだり「最近気分はどうかな」と医者と軽く話したりしていた。しかし精神科病院はやはり考えられているのか、内科や外科と違って部屋の中がしゃれた喫茶店のようになっているのには驚いた。クラシックなど流れたり、いかにも病院椅子ですよ!といった感じの椅子ではなく木で出来た椅子が並べてあり、診察ルームではまた、アメリカ考古学者の部屋的な(意味不明だが)感じで後ろには木の本棚が並んでいた。少し話して薬をもらったり血液採取したりして終わるのだが、正直、たいした話もしていないし効果なんてあるのかどうか期待はしていなかった。何より自分が「てーか鬱じゃなくないか。医者も気使って鬱ってことにしてくれてるだけじゃね」と思っていた。その中年の優しげな女医さんと話していると気分は晴れたため病院へ行くのはそれなりに楽しみだったものの、親に無駄に労力をかけさせているようで悪い気もした。薬屋の人も「鬱は脳の風邪ですからね。薬を飲めばちゃんと治りますから大丈夫ですよ」とやけに医者と薬屋の人たちが優しかったのは幸いだと今では思う。

その成果かやはりもともと鬱ではなかったのか分からないが、2ヶ月ほどした時先生から「そろそろこないと、出席日数的に厳しくなってくる」と告げられ、「……じゃあ行くか」とあっさり復帰した。後に医者先生が言うところによると「登校拒否の子が2ヶ月ほどでしかもあっさり復帰というのは珍しいパターン」だそうだがやはりそれは私が鬱ではなかったからであるように思う。

で、そんなこともあったが今では案外平気だ。

恋愛結婚に関しては、ハナから期待も自分がそうするという想像すらもしてこなかった(諦めているとかいうより、本当に考えた事が自然となかった、という感じである。ほとんどの人が「石油王になる」ということを考えもしないような感じに)ため今でも考えていない。ほとんどの女性が仮に結婚することを当然のように考えているとするなら、私はその逆で、当然のように一人で生きるだろうと予測していたため、そのように動いている(つもりである)。大学もだから医学部にした。食いっぱぐれないためである(まあ医者だからといって食いっぱぐれないとは限らないのだけども)。最悪世界が崩壊しても、医者という技術を持っていたらその技術を売りにし生き延びれるのではないか…と人からすれば大げさな事を考えこうした。何の映画だったか忘れたが、強盗の親分が瀕死で、主人公か何かが医者で、「おい、そこのお前医者なんだろ。じゃあ親分を助けろ。親分を助けたらお前だけは逃がしてやる」的な事を言い、主人公は治した後も殺されない為「まだ様子を見ないと危ない。俺がいないとヤバい」的なことをいいなんとか切り抜けるという図が記憶にこびりついている。何故か。あの影響もあるかもしれない。「暴力知的技術で回避する」というところに私は大きな憧れを抱いたのだ。まぁ現実はそううまくいかないだろうが(ていうかそんな状況があまり無いだろうが)。

近頃は将来美容整形外科医になりたい気持ちもある。技術を磨き、私のような人をうまく変えられてあげたらばと思う。何か新しい技術が入ってきたとき自分で試すこともできる(実際それをしている医者はいるらしい)。元が酷いからこれ以上酷くなることはないので大丈夫だ。

私のこれからの希望としては、一人でもなんとかなる仕事につき、なんとか一人で暮らしていける生活を確立させ、時々ニ次元に浸り、そのままひっそりと死ぬといった感じである。一人で生きていけるよう、とりあえず今は家事を身に付けている。一人暮らしではないが、家族料理大学入ってから全て担当するようにしている。もう二年ほど経ったのでそろそろ脱初心者ができたと、料理は一通り自炊できるようになったと思う。甘いか。最近は「いかに早く・栄養バランスのよい料理をするか」を研究中である。

そして更に贅沢を言うなら、最期は長野の山奥で天気のよい日に川の近くで寝そべりながら眠るように逝きたい。これが出来れば最高だ。そしてそのまま山、ひいては地球と同化していきたい。なぜ長野の山奥かというと小さいころそこへ遠足だったか何だったかで行った際、陳腐だがその自然の素晴らしさに感動したからである。あれはキレイだった。昼ご飯を川沿いで食べたのだが、あまりに自然が美しく、寝そべっていると地面と山とどんどん一体になっていくような気がして感動して泣きそうになったものだった。川が本当に「光っている」。まあ単に太陽の光を反射しているといえばそうなのであるが、それにしても美しすぎるのではないか。こんなところで屍になれたらば、それはどんなに幸せな事かと思った。私の屍は鳥等の栄養分となり、残った分は雨が降ったときなんかに川に飲み込まれて細分化していき、土に流れ着いたり、川底へ沈み川底の土と同化したり、そうして山と一体化していくのだと考えると初めて「死んでもいいな」と思えた。それまでは死が怖かったのだが。まあ……実際には、燃やされ、葬式を開かれてしまうのかもしれないが……いや、待て。一人身だと葬式はどうなるのだろう?この辺もその内調べておかないとな。宇宙葬なんかもあこがれるところではあるが…宇宙にばらまかれた私の灰がどこかの星に着陸したらと思うとワクワクしてしまうな。私を構成していた原子から、他の星で何かが生まれたらと思うとゾクゾクする。というかそれはまるで「生まれ変わり」のようだ。

出来れば最期には井上陽水氷の世界などを聞いて死にたい音楽をあまり知らない私が唯一好きな歌手だ。傘がない、帰れない二人、紙飛行機など何度中学生時に聞いたか知れない(といっても、詳しいわけでは全くない。陽水オタからすれば失笑ものレベルである)。高校生のとき、一人で陽水ライブにも行った。陽水と席が近かった。嬉しかった。「ああ井上陽水って人は幻想ではないんだ。本当にいるんだ。今触れようとしたら、係員に止められるだろうけどもしかしたら触れられるかもしれないんだ。実体があるんだ。陽水もこの後何かを飲んだり食べたり、排泄したり、眠ったりするんだ。陽水って概念上の存在じゃなくて、実体が存在してたんだ。タンパク質脂肪カルシウムその他もろもろで出来た有機物という実体があったんだ」と当たり前の事をしみじみとかみ締めた。と同時に、その単なる一有機物であるはずのものが、井上陽水という名前を初めとした色々な概念がまとわりつき、下手をするとひょっとしてニ次元のものなのではないかと思わせるほどにイメージ化というか、偶像化したという事のギャップになぜかゾクゾクした。これだけ有名でファンも多く名曲も多い陽水だが、しかし同時に睡眠や排泄等を他の哺乳類と同様に行う、単なる人間、単なる有機物なのだ。その同時に成り立たないようでいて成り立ってしまっている、その二つを含めた「井上陽水」というものの(陽水に限った話ではないのだが)不思議さ、面白さに頭がクラクラした。それはCDなどを聞いているときには余り気がつかないけれど、ライブに行くと「実体」がそこに存在しているのに、観客は皆どちらかというと概念の「陽水」をそこに見ている、という不可思議さを目の当たりにできてしまう。実体のはずなのに、あの実体はあくまで概念陽水を伝える媒介物でしかない、主体のはずなのに、サブで終わってしまっているという本末転倒さというのか……自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきた。いまだ私の中で整理しきれていない感覚なのだ。


そういえば、女子の友達はいなかったのか、とかいてあった気がしたが、友達と知り合いの間のような子ならいた。しかし、私とつるんでいると可愛い子であっても一緒くたに「ブサイク死ねwwww」と罵られてしまうので、妙な距離は常にあいていた。それで女子を恨む気は全く無い。私が逆の立場であれば、私もそうしていたように思う。なかなか学生レベルで、「でも敢えて友達になるよ!」という勇気を出せる子は少ないだろう。しかもそれだけのリスクを介して得られるものは何かといえば、私という友達である。んな、リスクとリターンが全然つりあってないよって話だわな。寧ろ女子からのイジメは特になかっただけでありがたいことだ。まあ、「ブス視ねw」といってくる男子彼女とか、その周辺の子は、一緒にクスクス笑ったりはしていたが、その程度ならば中学時代でも既に「その程度の重力……」のベジータ感覚でいられた。それに如何せん下手にそんな男子と私なんぞのために対立して、殴られたりなどしたら洒落にならんし、まあクラスの女子が私を放っておいたのは本当仕方ないことだと思う。気の毒そうに見てくれる子もいたしそれで十分だ。


綺麗な女性を妬ましく思った事はあまりない。嘘だろといわれるかもしれないが、羨ましくも特にない(モテるという観点では、の話だが)。自分に持っていないものを持っている、という観点で「羨み」や「妬み」が生ずるとするならば、美人だけでなく私は際限なく誰かを妬まなければならない。何もその対象美人だけではない。金持ちや、運動神経のいい人、頭のいい人。キリがない。というかほとんど全ての人は私より何かは秀でているわけで、少しでも自分より上回ってるなら妬むという理屈だと、もうこっちの身体がもたない。妬むのも面倒になるのだ。

私は、恋愛をしたいけどできないというよりも(奥底ではそうなのかもしれないが、無意識レベルの事など意識では判断不可能なのでとりあえず意識レベルの話をする)、恋愛心などが生まれる前に、既に恋愛結婚なるものを「私の人生には関係の無いことだ」と学習してしまったため、美人女性モテたりしていても、関係があまりに無さ過ぎて、ピンとこないのである。妬むも何もないといった感じ。大食い選手権に出るような人を見て、その凄さに感心はしても、でも別にほとんどの人がああなりたいとか羨ましいとか思わないのとおそらく似ていると思う(思う人がいたら申し訳ないが)。「ブスとか言われないで済む」という点では、「美人」が羨ましいというよりも「そう言われないで済む人たち」が羨ましいので、その中には勿論美人は入っているが、かといって特別美人だけが羨ましいわけではない。


寧ろ私が一番羨ましいのは金持ち(の強いて言えば子供)である。金があれば何もせず暮らせるのだから。嫌な事を言ってくる男と会うこともなく環境の(自然的な意味で)いいところで本を読みふけって暮らす、そんなことが可能になるのだから。

美人じゃなくていい。それより金持ちになりたい。

私の今までの人生では男、というと前述した彼らしかいないので、美人になったとしても男にモテたところでしょうがない、嬉しくない、という気持ちにしかなれないのである。悪口等を言われない、という点では嬉しいが、モテても嬉しくはない。ま、ブスがこんな事を言ってるのだからお笑いだが。美人が変な男と付き合って、DV被害にあったなどと聞くと心が痛む。あんなに美しい人であるのに、せっかく歩いていても何の悪口も言われず、平穏に過ごせる人なのに、何故自ら火の中へ飛び込むようなマネをするのか……と勿体無く思ってしまう。まあ、しかし、他人の事。向こうには向こうの考えがあるのだろうし余計なお世話というものだろう。


そんなわけでモテない事に特に苦悩はしていないので(多分)、心配してくれた方には大丈夫ですと言っておきたい。

ただ罵倒等されなければそれでいい。何か辛い事があっても宇宙図鑑があるとどこかすっきりする。ま最初言ったとおり現実逃避なんだが。銀河だのなんだのの話をしていると、自分の悩みなどあまりにちっぽけで笑えてくるというもの。地球歴史などもいい。所詮ぽっと生まれたちいとばかり頭のいい哺乳類の、その中のほんの一部の時代の、更にその中のほんの一部の地域の人間たちがあれこれ騒いでるなど、地球にとってはカスに等しいものだ。地球がちょいとばかりプレートを動かしたりちょいとばかり温まってみたりするだけで人間など瞬殺なのだ。大体人間歴史という地球に比べたら大分コンパクトなそれであってもまだ私の苦悩などに比べるとでかい。なんだかんだいって、ブスというだけで殺されないだけでまだおそらくマシな時代なのだ。今の世の中不満足な事ばかりだけれども、それは理想の、あるべき世界を想定し、それに比べ不満足な部分ばかりを見ているからで、やはり過去に比べれば、現代というのはそこそこマシな部類に入るのであろう。ブスや未婚の女が冷たい視線を投げかけられるといっても、殺されたりはしない。殴られれば警察がある。私にも人権が与えられているし、こうして自由にネットで発言できる。だからといって「これで満足」ってわけじゃ全くないが、まだマシな方ではあるはずなのだ。ちょっと時代や国を間違えて生まれていたら、そもそも嬰児殺しにあっていたかもしれない。今その気になれば、車を走らせ、コンビニへ行って、じゃがりこサラダ味を買ってきて食べることができる。それだけでも全然マシではないか。車など庶民の乗るものではなかった時代も、そもそも発明されていない時代もあった。車は好きだからそれは嬉しい。最近ガソリン高いけど。


全くだらだらとした独り言で申し訳ない。こうして書いてみると、色々私にも思うところがあったのだなあと気付かされる。

2008-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20080421114702

ギャーギャー騒いで遊んで単位だけは要領よく取ってた奴と、遊びはそこそこに真面目に授業に出席して勉強してた奴とで、就活時に苦労するのは間違いなく後者日本企業は基本的に馬鹿だからね。

企業から見たら、要領の良さが利益につながるから努力家はいらない

・一匹狼すぎるのでチーム戦として戦力外

勉強に自信がある分だけガンコで融通が利かない

地頭が悪かったりするので応用力が低い

・未知の問題を解決する能力が低い

非モテ率が高く人前に出せない

マージンが少ないので危機的状況での踏ん張れない


そもそも、大学でまじめに出席して意味のある授業ってほとんど無いだろ

勉強したいなら教官の本を買って自習した方が早いし

それなのに皆勤しちゃう奴はセンスを疑われてもおかしくない

2007-11-07

学校なんて嫌いだ。大嫌いだ。

別にいじめを受けてる、とかじゃない。(昨年あったらしくってそのための話し合いの場を設けられたことがあったらしいけれど、その頃私は不登校で、おおまかなことさえも知らないしわざわざ聞こうとも思わない)


学校が嫌い」。小学生の頃はなんとも思ってなかった。つまんないな、と思うこともあったけれど、風邪とかひいてないのに休むということが悪いことだと思ってたから行った。よっぽど体調が悪い日じゃない限り行った。皆勤賞ももらったことがある。それなのに今、なんだろう。

中学生になって、ちょっと毎日毎日男子に小突かれて(傘で後ろからさされたり、なにもしてないのに悪口言ってきたり)、小学校の頃の友達は皆部活に精を出してて、同じ部活だったけれどいまひとつ夢中になれなくって、なんだか学校が嫌になってきて、ちょいと不潔だからって嫌われてる子と給食当番やったら「最悪コンビ」って面と向かって言われて、なんだかもう自信なくって嫌になって不登校になって。

今は三年生になったからまじめに学校には行っている。けれどとても窮屈だ。

クラスに居ても、時折雑菌扱いされるし、睨まれるし、いまいち喋りかけるのが怖くて話せないし、息苦しいし、給食配膳の時は並ぶだけ前に並んでる二人組の片方にたいてい顎でさされてもう片方に言ってその片方も振り向くし、係だからって箸を配れば嫌な顔されるし、相談学級(授業に追いつけない人用にあるクラス)に居ても、うるさい男子たちが居て、いまいち勉強が身に入らないし。

自分に自信がもてなくてこんな風に思うのかもしれない(帰り道、見ず知らずの小学生三人組に「ブタ野郎」って言われたのも結構心に響いた。別に私にやらなくってもいいのに。とりあえずは手を上げるのもかわいそうな話しだしと、歩きながら首を痛めない程度にずっと姿を見てたけど)。


こんなトコ嫌いだ。

そう言ってはねつけても、私はあと最低でも3年間は何らかの形でこういう所に居なきゃ、この世界じゃまともな職に就けないだろうってことはわかる。そこまで馬鹿じゃないし、まだやりたいことあるから簡単に自殺するつもりもないけど。



勉強は嫌いじゃない。学校は嫌いだ。人が怖い。男子が怖い。私はずっとこのまま生きていくんだろうか。

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