はてなキーワード: ペドフィリアとは
いまを遡ること20年ほど前、私がおむつを履いていたくらい幼かったころの話、
おじさんと私との関係はまあいろいろあって、ここで説明するのは割愛しますが
とにかくおじさんは、とある事情から一時的にうちに身を寄せていた人で、我が家の誰とも血縁関係はなく、全くの他人でした。
私が長じてから親に聞いた話では、当時おじさんは居候の費用を払う余裕がなかったため
家事をしたり私の面倒をみたりすることでその対価としていたそうです。
当時我が家は父だけでなく母も外で働いていたので、保育園で補うことができない時間はおじさんが格好のベビーシッターだったのでしょう。
私にもおぼろげながらおじさんと一緒に幼児番組をみたり公園に連れていってもらったりした記憶があります。
しかし如何せん遠い昔の話なので、印象的な出来事以外のことはあまり覚えていません。
長じてからの私は、赤の他人のおじさんとの共同生活、というぼんやりとした記憶を、なんとなく面白く感じていました。
話はがらりと変わりますが、私は中学校に上がる前からパソコンを買い与えられ、ネットサーフィンのうまみにどっぷりハマりました。
その年齢の子供の興味のあることといったらもちろん性に関することです。私も多分に漏れずネットに性教育を施されたようなものです。
2chような、男性の(あるいは露悪的になりすぎているほどの)本音が聞ける場所にも頻繁に入り浸っていたので、
レイプやロリコンなどといった一般的にはよろしくない性的嗜好も、ある種の冗談として何の抵抗もなく受け流すことができます。
彼等は、YesロリコンNoタッチ(YesレイプNo実行という文句があるかどうか知りませんが)を尊守する愉快な紳士だということを、私は知っています。
数年前、「おむつかぶれ」で検索すると幼児の陰部の画像が大量にヒットするという事実がVIPかどこかで面白おかしく紹介されていて、
これはやばいだろwwアグネス来るぞwwと私も草を生やして喜んでみたのですが
その、おむつにかぶれた幼児たちの尻や、小さな小さな局部の写真を見ているうち、
なにか今まで忘れていたものがいっぺんに頭の中に思い出されるような、思い出してはいけないような、思い当たってはいけないような、そんな恐ろしい気持ちに襲われました。
今まで海馬のどこに刻み込まれていたのか不思議なくらい膨大な量の記憶が、いっぺんに頭の中で再現されました。
父も母もいないとき、おむつを変えてくれるのはおじさんの役目でした。
おじさんはいつも、「カユイカユイになったら困るからね」と、私の陰部をおしりふきシートで拭いてくれました。
おじさんは指をつかって、私の陰部のすみずみまでシートをさすり込みながらマッサージしてくれました。
おじさんは「ここにアカが溜まると病気になるから」といって、ある決まった場所を特に念入りにさすりました。
それがどこなのかはよくわかりませんでしたが、おじさんの暖かくて太い指でそこをさすられると、
なんだか居心地が悪いような、でもなぜか落ち着くような、奇妙な感じがありました。
その感覚が不思議で、なんとなく面白かったので、私はおじさんの手がそのあたりにゆくと大人しくさすられるのを待つようになったようです。
「そんなに触られたいんか。ほんまはあかんねんけどな。ここはママやパパにはナイショのところやで。触り過ぎたら病気になるから、ママに言うたら怒られるからな」
そういってひとしきり秘密のマッサージを続け、最後はおじさんが「もうおしまい」と言って、おむつをペリペリと閉じて終わります。
あの感覚が終わってホッとするような、でも名残惜しいような、もやもやする感じが残ったことを覚えています。
一連の記憶を一気に思い出した私は、ドラマのようにすぐさま洗面所に駆け込んで吐くというようなことはしませんでした。
ただうっすらと体温が下がったような、背中に寒気が這い上がってくるような、不快な感じがしただけでした。
私はそれまで、フィクション上のレイプやロリコンといった嗜好は、「実際の被害者がいないから、悲しむ人が居ないから」よしと考えていました。
おじさんのしたことは、客観的に見ればペドフィリアに類されるような、幼児に対する性的いたずらでしたが、
実際の被害者であった当時の私は全く悲しんではいませんでしたし、拒否もしていませんでした。
おじさんの指の動きがなにを意図しているのか知る由もなかったからです。
即時的には悲しむ被害者がいない性的虐待というのもあるのですね。
不発弾のような性的虐待、あるいは地雷のような性的虐待というものがありうるなら、おじさんの所業はまさにそれだったと思います。
おむつかぶれの一件が刺激となって、それまで眠っていた爆弾が起爆し、おじさんとのナイショの記憶の破片が私の脳内に突き刺さりました。
やりどころのない、そして消えることのない、熾火のような静かな怒りと悲しみが、あの時以来私に刻み込まれているようです。
もし私が一生あの記憶を甦らせることがなければ、私は傷つかずに済み、おじさんのしたことも永遠にナイショのままだったのに。
おじさんがいまどこで何をしているのか私は知りません。
両親に聞けばわかるかもしれませんが、聞きたくありません。
いくら居候で家族同然とはいえ、父親でない男性に愛娘のおむつを変えさせて何の警戒もしていなかった両親に恨みも覚えています。
とりとめもないですが、以上吐き出しでした
ひとつ前のTBが指摘しているように「精神病」としてのペドフィリアは社会情勢と関係なく以前から存在しているが、商業主義による「性的対象の低年齢化」は確かに戦後日本独特の社会現象だった。「幼い」「成熟していない」ことが性的アイコンとして『メインストリームで』もてはやされるようになったのは日本における「アイドル」という概念の誕生と時を同一にしている。テレビの中の「成熟していない」少女に欲望を向けることに慣れた男たちが現実世界においてもその欲望を露わにしていく過程を「焼畑農業」と呼ぶことはさして間違いではないし、そこから戦後日本社会の病理を読みとることも可能だがそんなことは宮台先生あたりに任せておこう。サブカルチャーにおける「戦闘美少女」の誕生とその一つの達成点としての冲方丁と桜庭一樹に関しても、ここでは言及しない。
重要なのは「焼き払われた」少女性をどうとらえるかだ。男性の欲望がより低年齢へと向かい、彼女らが「私は女であり、女は売り物である」という自覚を低年齢で持つことが社会的に/倫理的に悪なのかどうかという判断はここには示されていない。もちろん女児に性的欲望を向けることをためらわない男性/そのような男性が存在する社会は危険である。だがそのような現実を自覚したうえで、彼女らにどう「武装」を施すかが、母親としての責任でもある。ジェンダーに関する教育はそのあとでいい。もちろん元増田が自分の中の「焼き払われた」少女性を自分の娘に肩代わりさせたいのだ、というなら止めはしないが。
あなたがペドフィリアの定義を曖昧に思っているのと同じように、
自分が中学生のときに、同級生の女子に対して性欲を抱いた記憶があるので、
多分今でも女子中学生を性欲の対象とすることはできなくはないと思う。
女子高生とかは余裕で性欲の対象になるな。恋愛対象にはならんと思うが。
大人の女性も好き、というか女子大生以上30歳未満が本来のストライクゾーンなので、
http://anond.hatelabo.jp/20110718220502
私はペド痴漢やペドレイパーに変なことされたわけでもないのに、ペドフィリアだと知ると引いてしまう。理屈を抜きにして即時恋愛対象から外れる。
出産に立ち会って、妻の膣から赤子の頭部が出てくる様子をモロに見てしまってから妻相手では勃たなくなったという話を聞いたんだけど、それに近いものかもしれない。
石原慎太郎が漫画の表現の自由をつぶそうとしてる!ってさわいでる件の事。
俺も漫画好きだし、漫画家の人のコメントとか見て「けしからん」って思ってたし
今もそう思ってる。
たぶん俺以外にも、こういう人がたくさんいると思うので。
今回の規制って、つまるところ子供の裸とかを禁止するって話だと考えてて
つまり、しずかちゃんの入浴シーンとか、おじゃまユーレイくんとか(例えが古くてゴメン)
ああいうのを取り締まろうとしてるんだと思ってた。
子供の時はこれで興奮したりしたけど、こんなので人格が歪むやつもいないだろうし
まったく馬鹿げた話だと・・・。
でも、この前友人の家で見た漫画がとんでもなかったんだよ!
こんなのばかり収録した単行本が、商業ルートで売ってるんだよ!
同人誌じゃなくてだよ。
ありえなくないですか・・・?
追記:
ただ、外面が良くても内面が駄目な場合は商品価値がガクっと下がるので、きちんと調教しなければならない。
そうやって世界では毎日のように商品としての子供が産み出され、商品価値を高めるための調教が施されているんだろうなぁ。
思ったが、可愛い子供を売るビジネス(買った後は何をしてもいい)ってかなり儲かるんじゃないだろうか。
それなりに外面が良い女とそれなりに外面が良い男をセックスさせまくって子供を何人も産ませ、商品にする。結局子供なんてセックスすればいくらでも生まれてくるんだろうし、バリエーションを増やすため個性的な男女を雇って子供を産ませまくればさらに良いかも。
売られた子供は大きくなるので、もう飽きたという顧客からは買い取る。商品価値がなくなった子供は、殺すかどこかに労働力として売り飛ばす。
人気が出るのはそういうのよりも短期間のレンタルだろう。可愛い子供といっても結局は飽きるものだし、面倒な事が起きないようあえて期間を限定したほうが気持ちの整理もつく。
特にペドフィリアはある程度弄べば飽きが来るのも早いので、そういった種類の人間には3日などの超短期レンタル。もちろん、レンタル期間が短いほど割高になるので、ペドの連中からたっぷり搾り取れる。
英語圏の顧客が多くなりそうだから、子供に教える言葉は基本的に英語がいいだろう。
子供と実際に触れ合うのはコストがかかりすぎる、ビデオや写真で満足出来るならそれでいいという人間も多い。
チャイルドポルノというのは素人がただ闇雲に作っても面白くないものだ。
出演する子供の特徴、相手の人間の特徴、それらを顧客の好みに合わせて作るのがいい。
たとえば自分が太っていれば男優も太っている方がリアリティがあると考える人間もいるだろうし逆にやせているほうがいいと思う人間もいるだろう、男児ポルノでいえば相手役が男か女かも結構重要だ。さらには子供の性格、声、鬼畜ものかソフト系か、シチュエーションについてなど、バリエーションは無限に作れる。
子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋d…って、デスラー総統の中の人の真似じゃなくってですね。
僕自身が子供は嫌いって話なんだけど、何故か?と聞かれると、どう答えて良いのかわからない。
喧しいから?所構わずバタバタと駆け回っているのが鬱陶しいから?弱っちいクセに残酷で卑怯だから?
身内の子供じゃないから可愛くないのは当たり前と言われれば、そうかとも思うのだけど…。
確かに、妹夫婦のところの姪っ子は可愛い。やましい気持ちなど一切無しで。
では、僕には男兄弟はいないが、兄もしくは弟の子供だったら姪っ子のように可愛がれるのだろうか?
軽く想像してみたんだけど、答えは可愛がれないかも知れないと思った。
もしかしたら、男は自分以外の男の中出しSEXの産物である子供は可愛くないのではないだろうか?
保護欲もわかないだろうし、気に入らないという思いもあるのではないのだろうか?
男が(内縁の)妻の連れ子を虐待(殺害)した事件が、今年何回起こったか。
そして、話が変わって援助交際で中高生を買うのは、殆どがただのロリコン。もしくはロリもいけるクチの人。
では、自分の娘のような年齢の子を好き好んで買うのは?
もし、その男に自分と歳の変わらない男の子(娘)を汚す事に喜びを感じるというのがあったら?
自分が欲し得られなかった物を、他人が持っていて、それを汚したり壊したりする事が快感で憂さ晴らしをしていたら?
なんて事を考えてみた。
「ほう」
「みんな『首筋フェチ~』とか『うなじフェチやね』とか言ってて、僕の方にも順番が回ってきたので」
「はい」
「『あ、僕はヒエロフィリア(Hierophilia.宗教的なシンボルなど、聖なるものに性的興奮を感じる性的嗜好)ですぅ~』って言って『何? ヒエロフィリアって』って言われたので説明したらガチ引きされまして」
「当たり前だ」
「いや、でもそういう話じゃなかったんですか! みんなフェティシズムについて話していたのではないですか! それなのに、ひどい! あんまりだ…」
「まぁ以後気をつけることやね」
「気をつけるって、何を?」
何を。
その答えを、僕は今でも聞けずにいる。
■参考文献~まだまだあるぞ! フェティシズム一覧
エキシビジョニズム(露出狂)
アルトカルシフィリア:ハイヒールなどの靴で踏まれることに性的興奮を感じる性的嗜好
オートアサシノフィリア:自分が殺されることに性的興奮を覚える性的嗜好、自殺願望や自傷行為とは別物
クリスマフィリア:浣腸行為を見ることで性的興奮を感じる性的嗜好。
タナトフィリア:死を連想させるものに性的興奮を感じる、ネクロフィリアとは別もの
私の目からはね。
三次元の女子小学生に欲情している男の存在が、怖くないんだろうか。
そりゃ、自分が成人男性である限り、そういう男から狙われることはないかもしれない。
でも将来、幼い愛娘がそういった連中の毒牙にかかる可能性もある。
私が「ロリコン」とか「ペドフィリア」といった言葉を聞いたときに
脊髄反射的に嫌悪・憎悪の気持ちが沸いて来るのはそういった理由から。
小4のときにロリコンの痴漢にあった私怨もあるけど、それはもう割り切った…と思う。
それより、(まだ居ないけど)娘がそういう目に遭わされるかも…っていう予期不安が大きい。
もちろん姪っ子や甥っ子が狙われることもすごく嫌だ。
でも一般男性は「俺もJK好きだし、JS好きってのもそれの延長みたいなもんだわなw」って
明るく、簡単に、寛容に。むしろ仲間意識を持って受け入れているように見える。
気のせいならいいんですが。
ガラス窓の向こうの中庭では音楽系のサークルが一昔前の音楽を演奏していた。
僕は何とはなしにそちらに耳を傾けつつ、次の言葉を発した。
「別にマゾだとか被支配欲とか破滅願望って訳じゃないんだ」
「むしろ、誰かが僕を支配しなければならないという状態に縛られてる状態が欲しいんだ」
「こんなにどうしようもない僕なんかを、ね」
ここまで話して、日替わりラーメンの新作「麻婆ラーメン」に口を付けた。
麺を何口か啜り「これは罰ゲームに使えるな」と呟いた。
「谷倉に食わそうぜ。最近後半組の瑞希さんと仲良いしな」
対して、向かいの席に座った芦原は定食Aのステーキを切り分けながら相槌を打った。
「今度の必修のレポートが終わったらまたやろうか。北森も呼んでさ」
良いなそれ、と言いつつ芦原の視線は配膳に固定されている。
いつもの事だと流して、左で菓子パンを手にこっちを見ている凪川を見た。
「話を戻すとさ、支配されてるのに支配してるって言う矛盾みたいのが良いと思うんだ」
芦原がニヤニヤして横やりを入れた。
「このロリコンが。お前が捕まったらネットで晒し者にしてやる」
はいはい、と流して話を続けた。
「この矛盾はね、結局相手も隷属してるってのが素敵なんだよ」
「犬の散歩で言うなら、縄の付いてる部分こそ違えど、飼い主と犬は繋がってるって事でしょ」
「けど、飼い主は自分から縄を離せる」
凪川は眉根を詰めて言った。
「都合の良い対象として扱われたいのか?」
「いいや、違うよ」
「もし、飼い主も自分で縄を離せなかったらどうする?」
「僕は、その状態が欲しいんだ」
「形としては支配されてる、けどそれは惰性に過ぎない」
「いつ支配され返されるか分からない。それでも支配し続けなければならない、離れられない」
「奴隷となった相手の従順な姿に安心しつつも、時折絶望に浸って欲しいのさ」
凪川は渋い顔をしてこちらを見ている。
場違いだと思いつつ、こいつに倒錯的な性体験をさせたいと思ってしまった。
顔に出ないように取り直しつつ、言い返して反応を見ることにした。
「死にたいと四六時中言っているよりは良いだろ。性的エネルギーは活動の活動源だ」
「方向性が道徳的ではないのは良いのか」
「0°がまともだとして、720°でも傍目には分からなければ良いのさ」
「道徳的であるかどうかは過程じゃなくて結果にあると思うよ」
「その結果が支配関係なら180°だろ。それに、俺らに言ったら過程が分かってるから意味ないだろ」
「依存してるから良いのさ。愛を受け止めておくれ」
「フルメタルジャケットの方だ、良かったな」
「痛いのが好きなら、そうとはっきり言えば良いのに」
「どう解釈すればそうなる変態バイペドフィリア。地獄に落ちろ」
今日も厳しいな、少々古いがツンデレ的愛情表現かね……とにやりとした。
凪川の目にあるはっきりとした嫌悪については、今は深く考えたくない。
芦原は黒檀色の瞳を探る様に向けている。
「…………良いんだ、今さえ楽しければ。どうせ刹那的にしか生きられないし、受け止められないから」
「あっそ、好きにすれば」
「ごめん」
それから3限開始までは何事もなくいつもの日常が戻って、4限に解散した。
銀朱に染まる最寄りのバス停で降り、鍵束でドアを開放する。
その日 友人が一人死んだ。
午前6時、その報せが映ったディスプレイを見つめていた。
7月の初めに、人が死んだ。
読んで頂きありがとうございました。
ちなみに、ペドフィリアの定義は「幼児・小児(一般に13歳以下)を対象とした性愛・性的嗜好」なのであって、別段その人が年上に興奮しても定義からは外れないよ。
幼児・小児を対象とした欲情を感じなくなったときに、定義から外れんの。
だから、中学生(13歳)と援助交際する奴はペドに分類される、それ以外をどれだけ食っていても。
しかしながら、小児性愛者のうちには、成人の性的パートナーを愛好し続けながらも適切な接触を得るのに慢性的に挫折しているため、習慣的にその代理として小児に向かう者が含まれている。思春期以前の自分の子供を性的にからかう者は、時に他の子供たちにも同様な近づき方をするが、いずれの場合も彼らの行動は小児性愛を示唆するものである。
~ wikipedia参照 ~
よく知った友達がペドフィリアだったとしても受け入れられるけど、
見えない、知らないペドの人はちょっと怖いと思ってしまうな。
わたし幼少時に痴漢に何度かあったこともあるし。
ペドフィリアなんて少数だろう?
まとめて近づかないってのは別に問題なかろう?
俺個人で言えば子持ちだしな。気味が悪い。
よっぽど昔からの知り合いであれば、
ペドフィリア的な行動をしている人間はまとめて近づかないようにするのは、
正しい判断だと思うわけ。
なんか統計で、ペドフィリアこそ子供に危害を加えないものである。
といったものがでれば、即考えは逆になるよ。
ミスリードのくだりは、
そういう言い方すると上記の少数である部分が見えなくなるだろう?
それだとミスリードになるよって言ってるの。
でもわざとだからいいのかって思いなおしたのよ。
それほどまでにペドフィリアが多いと?
安易な極論はただのミスリードだ。