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はてなキーワード: 通夜とは

2022-09-05

株はまあタンス預金ぶち込んで日経平均を上げてくれっつー話なので低所得者別にどーでもいいのであるよな

まあ賢い年寄りは米株なんで日経はお通夜のままなんですけど、、、ぴえん

2022-08-30

anond:20220830221456

パンケーキはBNBと一蓮托生。

BNBは「カウンターパーティーリスク」と聞いていくつかのお通夜パターンをすぐに思いつく人なら、そのリスクを許容できる範囲自己責任にて。

2022-08-26

お前らは、いくらぐらい包む?

そんなに親しいわけでもないか

5000円ぐらいでと思ったけど

やっぱり国葬って、ちゃんとした所でやるんだろうし

それなりに包まないとかっこ悪いよね

頑張って30,000?

50,000はちょっと無理

30,000だと香典返しどんなもんだろ

いろんな金額の人がいるかカタログギフトだろうなあ

そういえば香典袋は御仏前になる?御霊前?

あーめんどくさい

通夜だけ出てヨシにすればよかったわ

当日って香典だけ置いて帰ってよいかなあ

礼服ウエストきつきつになってたんだよなあ

暑そうだなあ

やだなあ

2022-08-19

好きだったヤクザのおじちゃん

祖父田舎じゃ規模のでかい建設会社創業者叔父と叔母の婿がそこの社長、父は地方銀行員って感じの家庭で育った。小さなから祖父の家に行くとよくヤクザさんが来てた。ヤクザって言っても三次団体の小さな組。祖父満州から引き揚げて建設会社を起こす前に、土地を失った地主たちのために元の小作人から無理矢理小作料を取り立てる仕事をして稼いでおり、その時からの付き合いらしい。

親分さんと祖父は県会議員や地元選挙区議員後援会の人、県庁職員や父の上司銀行の人を連れてきては両脇から肩を組んで酒を飲ませ、色々困らせていた。

俺が好きだったおじちゃんはそこのヤクザだった。小さな頃はよく祖父叔父親分さんにからかわれて泣かされていたんだけど、そのおじちゃんは物静かで「これ食べるかい?」と刺身なんかを食べさせてくれた。話し方とかも子供扱いしてこなかったので好きだった。そのおじちゃんの「親分どうも」という挨拶と独特のおじぎが好きで小さなからよく真似していた。祖父親分さんは笑っていたが、父や母は良い顔をしなかった。大人になってから知ったが賭場開帳や強盗殺人未遂前科があったそうで、そりゃ両親的には子供が懐くのは嫌だったのだろう。

俺が中学受験のために母と上京するタイミングで組が解散した。親分さんが高齢になったのと、ヤクザへの締め付けが厳しくなり始めたタイミングだった。

それ以来おじちゃん親分さんから譲ってもらった喫茶店雀荘をやりながら独りで暮らしていた。奥さん子供はいるけど何年も会っていなかったらしい。

大学に入った最初夏休み帰省した際にその雀荘地元友達と行った。アルバイトのお姉さんだけがいて「店長来ないんだよね」と言っていた。心配になってお姉さんとアパートに行くと、そこで亡くなっていた。着替え中に脳梗塞で亡くなったようで、服を脱ぎかけたまま倒れていた。

通夜お葬式には行けなかった。両親からダメだと言われたし、その頃は祖父叔父や父から強く言われてヤクザとの関わりを絶っていたから。葬式のあった夜はとても悲しい気分で過ごした。それから雀荘で両親には内緒でこっそりお別れ会をした。祖父、俺、友達バイトのお姉さん、元親分さん、元組員さん、おじちゃん恋人だったスナックママなどが集まった。それからしばらくして親分さんも祖父も亡くなった。

最近地元繁華街覚醒剤を巡る半グレ乱闘騒ぎが起こったそう。祖父親分さんに「そろそろ引退して解散しろ」と言った際に親分さんが「この辺でシャブ売り出すやつが出てくるぞ」と言っていたが、その通りになったんだなと複雑な気分になった。

2022-08-16

人生唯一の心霊体験

五山送り火ニュースを見ると、高校時代の友人を思い出す。

今日誕生日だった彼女は同じクラスで、ラルクが好きでナマモノ創作をするタイプでなければオタクだった私とおよそ接点がなさそうな部類のオタクに優しいギャルだった。

 

数ヶ月して何かの折に誕生日の話になったのか「まあ、1個上なんやけど」と言われ大人っぽいなあと思っていたことに合点がいって「あ!そうなん!?」と返したのは覚えているけど理由を覚えていない。聞かない方がいいのかもと聞いていないのかもしれない。

 

そんな感じで同じクラスオタクグループに混ざって遊んだり、同じバスで一緒に帰ったり。家が近かったので遊びにいったりもしてたな。

私は近所の本屋バイトをしていたのだけど、高3の夏休み彼女もやってきて一緒に棚卸しをしたのを覚えている。一緒のシフトになった記憶がないので2店舗で分けられてたかもしれない。この頃からよく連絡がくるな、と思っていた気がする。

 

夏休みが明けて学校が始まり、元の生活になり、専門学校進学なのをいいことに特に勉強に力を入れることもなくのほほんと過ごし、高校卒業とともに本屋バイトも辞め、デザイン系の専門学校に通うことになる。

 

専門学校に通って数ヶ月、もう何月だったか記憶から消してしまっているのだけど、朝早く彼女携帯電話から着信があり、珍しいと思い電話にでると彼女のお母さんからだった。

病院屋上から飛び降り、亡くなったと告げられた。

大泣きしながら階下に降りて母がびっくりしていたのを覚えている。

 

その後、お通夜場所時間を他の元クラスメイトのオタクたちに連絡をしようとメールを打っていると、再度彼女携帯電話から着信があったので何か伝え忘れがあったのかと電話をとる。

返事はなく、よく聞くとパソコンキーボードを打ち込んでいる音がずっと聞こえている。

昔のパソコンによくあるカチャカチャよく響くやつ。

彼女小説を書くタイプオタクだったので

(ああ、これは他のメンバーは呼ぶなってことだな)と思い

「わかった、やめとくわ」

とだけ言って電話を切った。

 

通夜の会場でこのことを彼女のお母さんに伝え、こちらには着信が2件、彼女携帯には発信が1件なのを確認すると棺の横で、お母さんは泣き崩れてしまった。

どうやら彼女はよく私の話をしていたらしく、連絡先にあったので電話をくれたそうだ。

 

心が弱かった彼女は度々入院していたそうで、私が思っていた以上に彼女の中で私の比重が大きかったことに気付いたのだけど、高校生のひよっこに抱えられるものでもなかっただろうなと今でも思う。

 

亡くなった年月日も、お墓の場所もわからないままだけど、高校生の時に登録した連絡先はそのまま残り、ガラケーに代わりGoogleカレンダー誕生日の通知をしてくれる。

ちょうど20年経った気がする今でも、五山送り火ニュースを見ながら、彼女誕生日彼女のことを思い出しています

 

 

 

 

連絡しようとしていたオタクたちには何年かあとに集まった時、自死の部分は言わずに亡くなったことと、この心霊体験だけ伝えました。

2022-08-14

子供が生まれ

もうすぐ産まれそうなんだけど、

こうやって徹夜していると

ばあちゃんが死んだとき

通夜徹夜したのを思い出した。

まれるのも死ぬのも徹夜なことに、

死が生で書き変わっていく気がしたよ

2022-08-05

殺された直後から疑惑が次々と噴出し批判一色になる政治家

こんな奴戦後どころか戦前にもおらんかったやろ

普通現職の政治家が殺されたら党派性超えて通夜ムードやで

2022-07-31

大きな鍋の中でぐずぐず煮えているものはなにか

シーンは葬式の直前である

自宅で葬式を挙げる時は弔問客に料理提供する習慣がある(通夜振る舞い)

通夜振る舞いはもともと精進料理一般的で魚や肉はあまり食べなかった(豆や野菜が中心)

答えはミネストローネのような気がする

2022-07-20

国葬

過去の実績から2億程度の国費負担

国民一人当たり1.5円~3円程度

反対派が同日にデモや、大安倍展とかのイベントをたくさん企画してくれることを期待

そういや山本太郎通夜とか葬儀に行ったんだろうか?

2022-07-15

父を見送った

大好きな父が亡くなった

60歳代は早すぎる

今は何もかもが惜しい

ここ2ヶ月は毎日、父の様子を見るために家から電車を3回乗り継いで坂を登って実家に通っていた

在宅緩和ケアだったから、もう良くなることはなかった

容態が悪くなるにつれ、夜は泊まり込んで寝ずに父の様子を見ることもあった

話したかたことを話し、ベッドから起き上がりたい父の手を取り、トイレの付き添いをし、点滴をロックし、唯一口にできる水を何度も汲んで取り替えて渡した

ペットボトルから直で飲めていた水は、ストロー付きになり、コップになり、吸口になった

起き上がれなくなってからは排泄の手伝いをした

毎日帰り際に「また明日」と言って手を握ったら握り返してくれた

息を引き取る直前も手を強く握り返してくれた

通夜告別式葬儀初七日も全部終わって今は自分の家にいる

二ヶ月間放置した家の中を片付けなければ

毎日用事や様子を記録するためのメモ帳

衣替えをしようとして中途半端にたたまれている冬服

父と家族写真ラミネートするために買ったフィルムと、出しっぱなしの父のラミネーター

プリンタで出力したらインクにじみが出てしまった家族写真

いつ夜の番になってもいいように買った旅行用の携帯石鹸オールインワンジェルと常用薬を入れたケース

父が書いた様々なメモ

昔の話がしたくて引っ張り出した数冊の日記帳

ガジェット好きの父からもらったUSBケーブルタブレットポータブルスピーカー、大きなハードディスクポータブルフロッピードライブ

硬いところに当たって痛む体が少しでも楽になるように貸した柔らかめの枕

寝転んだままでも時間がわかるように貸したフック付きのアナログ時計

疲れ果てて帰ってきて捨てる体力すらなかった日の、空っぽジンジャーエールペットボトル

突然出てくる涙を拭くためのハンドタオル

実家に通うようになってからそのままのカレンダー

父が眠っている時の暇つぶしに作っていた小物の手芸道具

口が乾くから買ってきてほしいと頼まれものハッカが入っていて使えなかった口腔ジェル

湯灌の時に切ってもらった遺髪

喪服と黒カバン数珠と靴

まだまだある

片付けなければ、片付けなければと思うのに、今は片付けるどころか時間が経つのも惜しい

自分の体が代謝していくのが惜しい

父が生きていた時の体から、父が亡くなって以降の体になっていくのが惜しい

父が生きていた日々からどんどん遠ざかっていく

前を向いて進まなくてはとよく言うけど、時計が進んで父がいた時間から遠ざかっていくのが寂しい

父の情報がもう二度と更新されないことが悲しい

カレンダー7月にならない

辛い

2022-07-12

鳩山由紀夫菅直人価値

人は死んだ時に生前の本当の評価が分かるという。

世界中から、それこそプーチンですらも死を悼み、断交以来最高位となる台湾総裁の弔問があったり

ブリンケン国務長官が急遽来日する等、世界外交日程を変えてまで、その死を惜しま

世界で多くの国の人々にも死を惜しまれて、報道のされ方一つでメディア批判を呼ぶほど話題になり、

外国の地で彼の為に用意されたメッセージボードが一杯になるほどの思いが寄せられ、

最後の地となった現場日本国民からの献花が絶えず、通夜へ各界の著名人の弔問が絶えず

大勲位叙勲をもっても評しきれないほどの功績に人々は思いをいたしている。

そんな安倍の死は、生前価値の大きさを今さらながらに思い知らせてくれる。

同じく首相経験者だが、鳩山由紀夫菅直人が死んだ時、どれほどの人が惜しむだろう。

安倍政治生命をかけて守り抜いた安倍夫人が「晋ちゃん、晋ちゃん」とその名を呼ぶほど、彼らの夫人は悲しんでくれるだろうか。

最低でも県外を称賛した人々や、脱原発賛同した人々は献花の為に列をなすだろうか。

彼らの演説会場のように、誰も足を止めない、気にも留めない、すっからかんでなければいいな。

2022-07-11

はてサ界隈が閑散としてきたな

本当に選挙終わった瞬間お通夜で笑うんだが

2022-07-09

【謎】安倍さん、なぜかすぐに通夜葬儀の日程が決まってしまう…

今日亡くなったばかりなのに早すぎるやろ

2022-07-08

anond:20220708222354

お通夜状態じゃなくまさにお通夜だが、それはさておき、こういうケースは過去歴史的には自民に同情票が集まってすごい追い風になるケースが多いんだよね。

歴史的勝利になるし、弔い合戦とかそういう情緒的なもの日本は昔からいからな。

2022-07-06

二次創作をするタイプオタク。長年連れ添ったツイ垢を消すか迷っている。

今日まで残していた理由は2つ。

・一度完結した作品の再始動を信じて待っていた。

・この垢でしか繋がっていない鍵垢の動向を追えなくなるのが惜しい。

後者は完全にもったいないお化け

前者については作品完結後の数年間、公式から細々とした供給が続いていたこともあり結構マジで信じていた。

ただ今年に入って、公式企画ひとつコケた。

これが成功したらもうこれ実質続編じゃんというかなり大きめの企画目標注文数達成したら祭り!みたいなやつ。

しか目標の半分ちょっとしかまらなかった。

当然企画は中止。そして恐らくここで公式作品を凍結する方向へ舵をきった。

しばらく後、週1でツイートしていた公式垢が沈黙

今まで毎年祝われていた作品中の記念日も初めて何もない日になった。

界隈はお通夜。というほどでもなく、残念がりつつみん平常運転

自分もなんとなくその様子を受け入れていて、その熱量のなさに「もうこのアカウントいらないんじゃね」となった。

いまはとりあえず鍵垢にしてログアウトして、あのタイムライン距離を置いている。

ログインする必要がないと気付いたら消してしまおうと思う。

2022-07-01

まだ選挙期間中なのにリベラルがお通夜ムードで笑う

衆院選の時の枝野みたいにもっと前向きになろうよ

2022-06-25

30男の婚活状況

自分スペック

30前半、年収450万ぐらい、身長170ちょい、普通~やや太めぐらいの体型、顔面は中の中と思いたい、バツイチ

求めてるスペック

28~40前半、年収は300~同程度、容姿は極端に太ってたりしなければまぁ、趣味があって欲しい、子供あんまり欲しくない

・1戦目

男性20代~30代前半、女性30代~40代前半、歳上好きさんの婚活パーティーみたいなヤツに参加。

いざ顔合わせしたら、45~49歳が7割、一番若くても41歳とかだった(もっと上に見えたけど)、男性側は始まる前から通夜空気28歳の男の子とか終始帰りたそうだった。

最終的に45歳の自称総合職モテ美女(?)とマッチング、そのまま軽く飲んだ後どうする?ってなって流れでホテルへ。

Lineで軽くやりとりするが、次に相手の行きたいというお店が超高級店かつ奢れという感じだったので、やんわりお断りしてフェードアウト

・2戦目

同じ開催元の30代前半同世代婚活パーティーに参加。

女性レベルは1戦目より格段に上がったが、男側も年収1千万越えや商社勤務など、とても自分じゃ敵わないような人らばかり。

全体的に和気あいあいと話しつつも自分は諦めムードだったが、何故か参加してた24歳のわりと可愛い子とマッチング、連絡先を交換して解散

可愛いけど自分が求めてる相手とは違うんだよなと思いつつも後日食事へ、結構楽しく話も弾んだが途中でムードが変わって「ルームシェアしてた子が失踪して家賃が払えない」という一言からお金が欲しいという話に。

ここで理解した自分低賃金なのでパパ活は無理とお断りして、その日は終了。

ただ、その後も月に2~3回は飯に行っている(奢らされている、彼氏はいるらしい)

婚活パーティー主催にやんわりと年齢設定が守られていないという愚痴と、自分年収じゃ無理かなという弱音を吐いたが、若い人が来て嫌がる人はいないとか、別に年収確認出来る書類の提出は求めていないので皆盛っていると悪びれもなく返され、以後は参加を止めることに。

かにパパ活女子に何でもっと年収高い人を狙わなかったの?と聞いた時に、キモいし話が面白くないし年収1千万あんなヨレヨレのシャツを着ないと言っていたので、流石だと思った。

3戦目

マッチングアプリで会う約束をした34歳、デザイナー

待ち合わせしてまずはカフェで話すことに、ルックス普通で事前に見ていた写真とも大きく違いは無かった。

ただ話していく内に、デザイナー自称で絵を描くのが好きなフリーター(バックレ歴多数)、主な収入はたまにシフトを入れるデリヘルということが分かる。

この時点でもだいぶキツかったが、自分テンションが下がっているのがバレたら描いてるという絵を見せられ、等身の狂ったアニメ調の女の子油絵を5万で買えと迫られた為にコーヒー代として5千円を置いて逃げた。

4戦目

こちらもマッチングアプリでアポした41歳、事務職

実際に来たのは写真の3倍大きな、無職

食べるのが好きなのは良いことだから、と思っていたが、奢りを良いことに水族館で食べまくられ、貧民は泣く。

話の内容が霊が見えるとか、神の声を聞いて将来が占えるなどのスピリチュアルな感じで(自分そっち系が苦手)、また実家から追い出されそうになっているので早々に結婚したいと言われ、自分収入が低いので共働きじゃないと厳しいと話してお断りして解散平和

戦いはまだ始まったばかりだ…!

2022-06-18

会社の同僚が自死した

 会社の同僚が、先週の金曜日未明に亡くなった。通夜葬儀は土日で終わっていたらしい。そのことを、週明けの月曜日部署内の全体発信メールで知らされた。

 死因については明らかにされておらず、今後も公表される様子はない。職場では「彼は仕事のことが原因で、以前から欠勤しがちだった」「一人では捌けない量の仕事を詰め込まれていたらしい」「死因はどうも自死らしい」と噂になっている。

 そして今現在、私の中に、様々な感情思考さざなみのように押し寄せてきている。

人でなしの自分

 亡くなった同僚と私は、所属チームが別なのだが、その同僚が急にいなくなったために、彼のチームの業務が逼迫した状態になっているらしい。昨日、その穴埋めとして、彼のチームをサポートしてもらえないか上司から相談された。

 現在の私は、自分のチームの業務で手一杯であり、むしろこちらが助けてもらいたいくらいなのに、その上に他チームのサポートに入ってしまったら、どう考えても私も潰れてしまうのは目に見えている。

 ふと、「このクソ忙しい時に、何も死ぬことはないのに…少しは空気読めよ」とか、亡くなった同僚に対して、憤りの感情が芽生えてきて、そんな酷いことを考えている自分に対して激しく幻滅してしまう。私は最低の人間だ。

助けになれなかった自分

 ここ半年ほど、その同僚から仕事のやり方についてたまに質問を受けていたのだが、その都度、説明したり資料を渡したりして、自分なりにサポートしてきたつもりだった。

 その同僚も、1を説明したら10くらいまで理解できるくらいの深い理解力のある人だったので、それで特に何も問題はないと思っていた。

 しかし、もう一歩踏み込んで、その同僚の悩んでいることに寄り添って、彼の業務負担が減るように、何か積極的に動くことが私にできたのではないかと思っている。その気持ちは、激しい後悔となって今の私を苦しめている。

この世界に嫌気がさしてきた自分

 私がやっている仕事は、病院消防などの仕事と違って、どんなに重大なミスを犯しても、最悪人が死んだりするようなことは起こらないので、そこがいいところだなと以前から常々思っていた。

 でも、こうやって亡くなる人が、ごく稀に発生することがある。そして、それが発生した後でも、何事もなかったかのように平常運転業務遂行を周囲からは求められる。

 実は二十年前にも、同じ仕事で、同僚が自死で亡くなるという経験を私はしている。こういうことはどんな職種のどんな職場であっても定期的に起こりうる、取り立てて珍しいことでもないのかなという気持ちが湧いてくる。

 もしそうだとしたら、こんなことが起こりうるこの世界はクソだと思うし、心底嫌気がさしてくる。働き方改革だのなんだのと言っても、本質は全く変わっていないってことを痛感させられる。

 今、これを読んでいる人で、過去に同僚を自死で亡くした経験のある人は、その時にどんなことを思ったり考えたりしたのか、教えて欲しい。

2022-06-14

人が死んだ後の手続き(抜けてるかも)

病院高齢者が死んだ場合

病院で死亡診断書をもらう

精算や遺留品の引き取りはまた後かな。

葬儀屋に連絡

直葬でも遺体の運搬なり保管は依頼せねばならない。

保険会社へ連絡

いつすべきなんだろうか(ちゃん生命保険へ加入していたという例には遭遇したことがない)

役所へ行く

死亡診断書の左側を記入して死亡届として出す。火葬場の予約を取って葬儀屋へ伝える。

都会では葬儀屋がやってくれるらしいが、田舎親族が行く。

安置と火葬

通夜葬式をしたいのならする親族を呼んだり来客の相手スーパーめんどい。会場を手配したり料理屋を手配したりもめんどい葬儀屋丸投げでもいいのかね)。

死んでから24時待って火葬、骨上げ。

役所へ行く(2回目)

健康保険証を返還する(死んでるのはわかってるのに返還届が要る。高額療養費の申請などが必要なら一緒に。特に国保食事代は言わないと返してくれない)。

葬祭費をもらう申請をする(相続人代表だと名乗り出るだとか後から文句を言わないと制約するだとかちゃんと葬儀執行したんだとかたくさん書類を書く)。

介護保険証を返す(差し出すだけだが保険料の還付があるかも(後述))。

支給年金申請の準備をする(戸籍(除籍)謄本とか住民票をもらう)。

固定資産税などの納税管理人と今後の納付方法を届け出る(固定資産税は届け出ないと自治体勝手身辺調査して親族に納付書が送り付けられる。登記の名義自体法務局手続きを踏まないと変更できない)。税関係は滞納などあったらどうなるんだろうか…

介護保険料・後期高齢国保)などの還付先口座を申し出る(介護保険はたいてい誰でもいいが、後期高齢親族範囲が厳しく決まっている)。

水道名義変更や支払い口座など必要ならこの機会に変更を。

公共料金など

電気ガス電話ネット必要なら名義変更と支払方法の変更を。

支給年金請求

役所で準備はしてくれるが、請求自体自分でする。年金機構へ郵送か年金事務所へ(出向くのは現実的じゃないな)。

葬儀屋の支払い

直葬でも17万くらいしてなかったかな。内容によって違うだろうけど。

ていうかさ

役所関係のうんぬん、めんどくさすぎやろ。マイナンバーでどないかならんのか。

追記)できれば死ぬ直前に

家の中の現金をかき集め、預金を調べつくして、親族なり誰かの口座へこっそり移しておければ理想か。

死んでから銀行口座を動かすのはスーパーめんどい役所で生まれから死ぬまでの戸籍を用意しろって言われたりする。故人が気軽に本籍を移動しまくっていたりしたらもう悲惨。あちこち役所へ行って全部追いかけていかないといけない)。

2022-06-10

河田くんの思い出

引っ越し断捨離してたら、河田くん(仮名)のことを思い出した。

ただ、なんだったんだろうと言うだけの話だけど、寝る前に書こうと思う。


小学校同級生だった河田くんは、背が小さくて痩せていて、少し外斜視の目がエキゾチック男の子だった。

ちびまる子ちゃん野口さんみたいな雰囲気で、無表情かニヤッと笑っているかの2つしかたことがなかった。

河田くんは女の子が苦手で、かといって男の子友達も多くなく、よくひとりでいた。

私は彼のことが気になってよくちょっかいをかけていたし、私の母と彼の母がPTAで親しかたこともそれに拍車をかけていた。

川沿いにある薬局の2階にあるお家にも行ったことがあった。

河田くんは4人兄弟長男で、狭い和室にぎゅうぎゅうに置かれた2つの2段ベッドの右下1段が彼の唯一パーソナルスペースのようだった。

枕元に派手な色のカエルぬいぐるみ星新一小説が置かれていた。

カエルの首を掴んで「こいつかわいいだろ」と言っていたのを覚えてる、その小さなベッドの上は河田くんのお城に思えた。

なんだか私だけは特別存在だと全く誰も羨んでいないのに優越感を感じた。


でも、河田くんと私はそれからたいした友達にもならずにクラス替えやら成長期を挟み疎遠になったまま小学校卒業した。

河田くんは女の子が苦手だから男子校に進むんだとお母さんに聞いた。

川沿いの薬局は駅を挟んで反対方向で、わざわざ見に行くこともなかった。

話に登ることも思い出すことも滅多になかった。

次に聞いた河田くんの近況は、亡くなったというお知らせだった。


それは母から聞いた。

亡くなった理由は分からなかった。

葬儀は2人で行くことになった。

葬儀場には同級生らしい学ランの子たちが沢山いて、並んでいる間チラホラ小学校同級生も見かけたけど、どれも河田くんじゃなくて河田くんのお母さんと付き合いのあったような顔だった。

棺の中の河田くんの傍にはあのぬいぐるみカエルが寄り添っていて、一度だけ行ったお家のことを思い出して、なんだか目の焦点がうまく合わなくなった。


お葬式のあと、お食事をしていって下さいと言われて、嫌だったけど母が「こういうのは礼儀から」っていうから案内された席に着いた。

油っぽくて味のしない天ぷらを食べてると、隣で河田くんの高校同級生と思われる男の子が何人かで話していた。

「どうする?明日

告別式?は12時に終わるんでしょ?さすがに一旦帰るよ」

思い出話じゃなかった…と思って意識天ぷらに戻そうとした瞬間、信じられない言葉が聞こえた。

今日こんなキツいのに、明日はサカタの通夜とかキツすぎるわ」


え?と声に出てしまったと思う。

箸を持ったまま彼らの話を聞き入ってたけど、私の知りたかったようなことは、もうとっくに話し尽くしたみたいだった。

明日彼らはもう1人同級生を見送ること。

彼らはサカタくんとほとんど話したことがないこと。

結局、河田くんは自殺だったということ。

わかったことはそれだけだった。

声をかけようかとも思ったけど、そんな野次馬みたいなこと亡くなった2人に失礼なんじゃないかと思って声が出なかった。盗み聞きしてるくせに。

それに、訃報を聞いたようにいつかお母さんが誰かから真相を聞いて、私に教えてくれるかもしれないとも思った。

結局すこしの天ぷらだけ食べて、最後河田くんのお顔をみて家に帰った。

なんで河田くんはあんなに弟思いだったのに、とか、誰にも相談できなかったのかな、とか、河田くんとサカタくんは友達だったのかな、とか、答えの出ないことをぐるぐる考えてうまく眠れなかった。


結局今日に至るまで、お母さんが「そういえば…」ってその話をしてくれるなんて都合のいいことは起きなかった。

何もわからないしわかることもないまま、高校卒業して就職もして今引っ越ししようとしてる。

私は河田くんのことを何も知らない。これから新しく知ることもないと思う。

あの部屋の小さな河田くんの世界の記憶けが鮮明で、お別れのこともフワッとしか思い出せない。

私が知っている12歳の河田くんは、5年間でどう変わっていったんだろう。

なんかまとまらなくなっちゃったけど、もっと河田くんと話してみたかった。

川沿いのお家も薬局今はもうない

2022-06-07

葬儀派遣される女性スタッフ仕事をしていた

だいたいの現場私たち名前ではなく「レディさん」とか「スタッフさん」とか呼ばれる

遺体のお迎えから火葬後までずっと関わっていく葬儀社と違い、私たちがご遺族と一緒にいる時間通夜告別あわせて8時間くらいだ

開式前に初めて故人と遺族に会い、どういう方だったか最後までわからない時もある

初めて派遣された葬儀会社の、初めて会う担当者から、初めて会う遺族のことを開口一番「めんどくさい人たちです」とだけ言われる時もある


もちろん勉強していたり資格を持っている人もいるけど、私たち役所手続きお金、お墓についてのことをほとんど知らない

わかるのは葬儀中のことだけだ

私たち説明書だったり自動ドアだったりコート掛けだったり案内看板だったりした

真夏日でも氷点下でもスーツ1枚で外に立ち、背筋を伸ばし指先を揃え、薄い笑顔で案内した


鞄にはなんでも入っていた

絆創膏裁縫セット、やけどの薬、頭痛薬や生理用品、新しいストッキング安全ピン

数珠袱紗数珠が散らばった時に使うジップロックお客様の靴の底が剥がれた(よくある)時のための黒い折りたたみスリッパ

夏には塩分タブレットや凍ったペットボトルも入れていたし、冬の通勤時に巻くストールは、どうしても寒がるお客様の膝にかけられるよう真っ黒な大判のものだった

とにかく「大丈夫ですよ」というためにあらゆるものを鞄に入れていた

普通の人は滅多に葬儀には行かないけど、その全てが忘れられない大事な日だと思う

そういう日に余計なノイズを入れてほしくないと思って、年々荷物は増えてしまった

導線がわからないとか焼香のマナー心配とか忘れ物をしたと悶々としている時間とか、

またはお茶を入れたり片付けをしたりタクシーを呼んだりする手間とか、

短い別れの時にそんなことを考えている時間無駄だと思ったし、その時間を少しでも削るために働いていると思った


仕事に行く途中、新人さんが話してくれた言葉をよく覚えている

「毎朝仕事に行く主人を見送る時、私は今まで靴を履いている主人の背中をただ見つめてたんですが、最近になって主人の鞄がそこに置かれてることに気付いたんです。

ずっと同じ景色を見てきたのに、その時初めて鞄に意識がいって、自然に「あ、持たなきゃ」と思いました。

靴を履き終わった主人に「がんばって」と手渡したら「ありがとう」と言われて、なんだかこの仕事を始めてよかったと思いました」


そんなこと、当たり前にできる人もたくさんいると思うけど、美しい気付きだと思った

誰の記憶の中にも私たちはいないけど、私たちの中にはそういう新しい気づきが生まれて、次の葬儀がよりよくなることは嬉しいことだと感じた

その少し後、私は家族の都合で地方に引っ越すことになり、派遣仕事は辞めることになった

毎日早朝からとんでもなく重い荷物を持って2つの県を跨いで移動したりハード仕事だったけど、葬儀時間はいま思い返しても好きな時間だったと思う

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