会社の同僚が、先週の金曜日の未明に亡くなった。通夜や葬儀は土日で終わっていたらしい。そのことを、週明けの月曜日に部署内の全体発信メールで知らされた。
死因については明らかにされておらず、今後も公表される様子はない。職場では「彼は仕事のことが原因で、以前から欠勤しがちだった」「一人では捌けない量の仕事を詰め込まれていたらしい」「死因はどうも自死らしい」と噂になっている。
そして今現在、私の中に、様々な感情と思考がさざなみのように押し寄せてきている。
亡くなった同僚と私は、所属チームが別なのだが、その同僚が急にいなくなったために、彼のチームの業務が逼迫した状態になっているらしい。昨日、その穴埋めとして、彼のチームをサポートしてもらえないかと上司から相談された。
現在の私は、自分のチームの業務で手一杯であり、むしろこちらが助けてもらいたいくらいなのに、その上に他チームのサポートに入ってしまったら、どう考えても私も潰れてしまうのは目に見えている。
ふと、「このクソ忙しい時に、何も死ぬことはないのに…少しは空気読めよ」とか、亡くなった同僚に対して、憤りの感情が芽生えてきて、そんな酷いことを考えている自分に対して激しく幻滅してしまう。私は最低の人間だ。
ここ半年ほど、その同僚から、仕事のやり方についてたまに質問を受けていたのだが、その都度、説明したり資料を渡したりして、自分なりにサポートしてきたつもりだった。
その同僚も、1を説明したら10くらいまで理解できるくらいの深い理解力のある人だったので、それで特に何も問題はないと思っていた。
しかし、もう一歩踏み込んで、その同僚の悩んでいることに寄り添って、彼の業務の負担が減るように、何か積極的に動くことが私にできたのではないかと思っている。その気持ちは、激しい後悔となって今の私を苦しめている。
私がやっている仕事は、病院や消防などの仕事と違って、どんなに重大なミスを犯しても、最悪人が死んだりするようなことは起こらないので、そこがいいところだなと以前から常々思っていた。
でも、こうやって亡くなる人が、ごく稀に発生することがある。そして、それが発生した後でも、何事もなかったかのように平常運転で業務の遂行を周囲からは求められる。
実は二十年前にも、同じ仕事で、同僚が自死で亡くなるという経験を私はしている。こういうことはどんな職種のどんな職場であっても定期的に起こりうる、取り立てて珍しいことでもないのかなという気持ちが湧いてくる。
もしそうだとしたら、こんなことが起こりうるこの世界はクソだと思うし、心底嫌気がさしてくる。働き方改革だのなんだのと言っても、本質は全く変わっていないってことを痛感させられる。
今、これを読んでいる人で、過去に同僚を自死で亡くした経験のある人は、その時にどんなことを思ったり考えたりしたのか、教えて欲しい。
死ぬべきでない人が死ぬ時ほどこの世の無常を感じることはない 善性とか、良心とか、世間一般に「良いこと、良いもの」とされているものなど この大きな宇宙の前ではちり芥にすぎな...
一生罪を背負って生きろ
寝ろ。明日読み返せ
自死というのは全く他人事じゃないという事をある日突然、突きつけられます。新聞やニュースでしか見聞きしなかったことが、前ぶれなく自分の生活に起こります。沢山泣きいろいろ...