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2022-05-17

葬式通夜メンタルを鍛えるために行く

身近な人の葬式通夜は行くのが当たり前としても

同じ職場の同僚とかが亡くなったとき

仕事だけの関係だし行かなくてもいいでしょ」

って感じで行かない人が結構いるんだけど

そういう人ほどいざ身近な人に不幸があるとメンタル崩壊しているように思える

葬式通夜に行くたびに

自分もいつかはこうなる」

「あの人もいつかはこうなる」

という想像ができるし、そのイメージトレーニングメンタルを鍛えているように思う

2022-05-06

anond:20220506133112

しかけて「ご愁傷様でした」って言って

その後のご相伴で寿司を食いまくるのがマナーやで



通夜なんて死んで次の日だから招待なんてしない

2022-04-15

スレ阪神戦実況してたが

まさか巨人戦勝利で予祝最高ですわー!なんて盛り上がってたのが

矢野様のカルト信者サイコホラーインタビュー困惑しながらお通夜みたいな雰囲気になってて笑いましたわ!

笑えませんわ…

2022-03-17

https://anond.hatelabo.jp/20220316223934

通夜ムードきたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

おらお前ら余震があるぞ!余震震度7来るから1週間ずっとお通夜してろ!

こないだまで11周年番組やってただろ!

自粛しろ自粛しろバラエティ不謹慎だ!

2022-03-09

12年ぶりに親戚に会ってきた

34歳、引きこもり

久々に叔父、叔母、従兄弟などの親戚と会ってきた。

祖父通夜。ちなみに祖父とも12年ぶりの対面。

前日から久々すぎてめっちゃ不安だった。叔父さんに熱血漢タイプいるから、最悪殴られるんじゃないか心配してた。

でも行ってみたら誰からも話しかけられず。

っていうか他人扱いだった。触れちゃダメな人って認識だったのかもしれない。気を遣ってくれたのかもしれない。

正直、助かった。でも、居心地は最悪で終了後に秒で会場を出た。

次に会うのはいつになるのかね。

死ぬまで会わないかもしれないな。

久しぶりに人がいる場所に出向いて疲れたよ。寝る。

2022-03-08

anond:20220308105839

千葉テレビの『白黒アンジャッシュ』でも、渡部復帰回は笑いの要素ゼロで、児嶋が渡部をひたすら罵倒する“お通夜回”となった。

お笑い番組罵倒あかん

罵倒は瞬間的には気持ちいかもしれんけど、二度と見たいと思わなくなる。

2022-02-24

夢日記

漫画雑誌の連載作家になる。連載するのが決まった直後、自分漫画が連載するのに大きく関わったらしい人物火事死ぬ。その人物転売ヤーで夢の中でも評判が悪かったが、担当編集の友人ということもあり通夜へ。行くとき編集はいなかった。

何故か通夜会場の前を素通りするも、暗すぎて全く進めない場所に出てしまい引き返して通夜会場へ。他にも火事で亡くなった人がいるらしく合同通夜みたいな形だった。遺体通夜会場がある建物最上階に安置されているらしい。見に行く?と言われたが遠慮する。

遅れてきた編集。でも様子がおかしい。憔悴しきった様子でアイツが、アイツが、と言っていた。一人にすると危なそうと判断しとりあえず一緒にいることに。通夜会場でうだうだしているところで目が覚めた。

2022-01-25

このままVR進化して将来SAOみたいな事件が起きたら

なんて中々香ばしい馬鹿話して盛り上がった時に

「その頃には最速でも数十年は経ってるだろうし「うおおおおSAOみてぇだあぁ」って盛り上がってるオッサンユーザー10代がしらけた目で見てそうだな」

ってつい思いついて口に出したもんだから通夜みたいになった

2021-12-30

anond:20211229171051

人を侮辱してはいけないと主張するためには、こういった笑いものにしてもいいかって空気感と戦うことでもあるってことなんだと。

人を侮辱していい理由なんて一切ないと思うけど、このお通夜モードユーモアでって時に「まあいいか」ってなっちゃうのは理解できる。でもその「まあいいか」っていう気持ち集団にとって一番厄介な敵だと思うんだよね。

いじめ不祥事隠蔽工作、大体その場の空気感のまあいいかって感情じゃん。よくないかもって思うやつ結構いると思うのよ。ただその個々人の生きてく上で優先順位があって、正しいをなすことってのは別に高くないんだろうね。純粋に興味がない。余分なコストは払いたくない。

この当事者意識のまったくない、集団の中でなんとなくのうのう日々過ごしてるやつばっかの状態が本当嫌い。

さら個人が異議を唱えたりして逆にターゲットにされたりしちゃうケースもあって本当厄介。

やっかいすぎて手に余る

別にこのままでも、まあいいか

2021-12-29

anond:20211229171051

お笑いというもの解決不能悲惨について

通夜ムードにしないために茶化すものではないかと思う

この指摘自体には一定の正しさがあると思う

表現規制憎しの余り、差別的ネタ排除したら

お笑い物がいっさい成立しなくなってしまうとか極論を言う人がたまにいるけど

それじゃ古典落語とか、昭和中期のドリフ欽ちゃんは全部放送禁止か?

当時もある程度は差別的ネタもあったが

そうでない笑いもいくらでもあったと思うんだけどな

2021-11-12

anond:20211112022732

前、妊娠中に覚醒剤やって赤ちゃんごと中毒になって逮捕されたヤンママの話見たけど、そういう層とジェンダーのタワマン住みの大学教授って話が合わないだろうな。

飲み会とかで会った時、テーマ「女」でしばらくは会話できるけど、他の共通話題が何もないから会話が途絶えて、お通夜みたいな空気になりそう。

2021-11-11

まだ間に合う。22/7(ナナニジ)ファイナルライブを見よう!

今週末の日曜に、秋元康プロデュースする唯一の声優アイドルグループ22/7ナナブンノニジュウニ略称ナナニジ)の第一章)ファイナルライブがある。

https://nanabunnonijyuuni-mobile.com/s/n110/page/anniversary-live-2021

知名度こそそんなにないが、2.5次元アイドル界ではラブライブシリーズアイマスシリーズに次ぐCD売上を誇った22/7

アイドルコンテンツに広めの観測範囲を持っている人間からすれば歴史的ライブになることは間違いない。

東京ドーム伝説を作ったμ'sと比べるも良し、よくも悪くもファイナルライブという概念のないアイマスファン物見遊山に眺めるのも良しだ。


さて、22/7といえば今月来月に3人の声優の脱退予定が報じられている。この3人の引退ライブにもなるわけだが、昨年度末のリーダーの脱退、今月初めの最年少メンバーの無断欠席を理由とした契約解除と今22/7危機に曝されている。

最大11人いたメンバー(1人は交代)のうち主力5人(まあナナニジに主力じゃない子なんていないんだが)を失う事態に一部では「お通夜のようなライブになるのではないか」と囁かれてもいる。

内部対立で半分抜けるのならまだすっきりしていいんだが、ナナニジメンバーはこれまでメンバー間の絆、仲の良さをとにかく大切にしてきた。運営のほうがメンバー対立を煽ってたくらい。

メンバーファン感情がグチャグチャになる中、いったいどんなライブになるのか目が離せない!


22/7の曲なんてほとんど知らないという人でも大丈夫。今回のライブ披露曲は既に言及されている。全曲だ。

5年分の曲全部やるらしい。狂気じみている。

からからどれを聞いてもライブの予習になる。幸いコロナ禍でコールもない。

そしてここで聞く曲の大部分はおそらく最後披露になるだろう。

昼、夜に公演は全く違ったものになるだろうから両方見ることをオススメする。

配信で見る場合ファンクラブにわざわざ入る必要は必ずしもない。ファンクラブはショートアフター配信があるがチケット代が千円高い。

ファンクラブ料金のほうが高いとか流石秋元だ。理にはかなっているが。


YouTube過去ライブ公開もあるぞ!

https://nanabunnonijyuuni.com/s/n129/news/detail/10451?ima=2304

2021-11-04

人が死ぬ法要連チャンで続いて辛い

通夜告別式初七日四十九日一周忌三回忌→七回忌→十三回忌→… となる。

俺は仏教徒じゃないし、俺のときは何もしなくていいから、参加しなくていいかなぁ。時間も労力も金も飛んでいくよ。

2021-10-18

友達が死んだ

大学4年、今年の春、友達が死んだ。ガンだった。

明るくて賑やかでよく笑う子だった。通夜で見た棺の中で、大好きだったサッカーユニフォームを着せられて笑っていた。用事があって行けなかった葬式には500人を超える参列者が来ていたらしい。人望も厚い子だった。

彼と私は小中の9年間、一緒に過ごした。片田舎の小さな学校だったので、定期的にクラスも一緒になった。が、特に大した思い出もないまま卒業して、別々の高校大学に進んだ。成人式ですれ違うことも特に無く、会えなかったことを残念がるほど深い仲でもなかった。というか、成人式の私は彼の存在すら忘れ去っていた節まである。それくらい、私の中の彼の存在はとても薄かったのだ。

大学3年のインターンシップで、本当に偶然彼と再会した。「えっ久しぶり〜」「久しぶり〜、マジで卒業以来じゃね?」みたいな会話を交わした覚えがある。インターンメンバーは6人いたが、その中で顔見知りだった私たち特別喋るようになった。彼は特に変わっていなかった。変わっていたのは彼の体だけだった。

この頃既に病魔に侵されていた彼は、度々通院のためにインターンを休んでいた。ガンであることは全員最初に聞いていたが、あまりにも元気そうで「ズル休みレベルじゃん」なんて笑われていたが。病気してる人でイメージやすい「常に顔色が悪い」「途中でぶっ倒れる」といったことも一切ないまま、インターン期間を終えた。その期間で交換したインスタのストーリーには、いつも筋トレサッカー写真を載せていた。

そこから末永友情を築いたとか色恋に発展したとか、漫画ならありがちな展開になることも特になかった。お互いにインスタのストーリーでなんとなくの近況を知る。彼はちょくちょく手術や入院をしていた。医療に関してさっぱり学のない私は、その点滴が何を意味しているのか全くわからなかったが、ただ確かに彼の病気が進行していることをほんのり感じていた。

インターンから半年経った頃、彼が亡くなった。中学同級生のインスタで知った。せめて通夜くらい、と思って、卒業以来縁を切っていた地元人間10年振りくらいに連絡を取り、参列した。

会場の中には、彼の小中高大までの思い出の写真と一緒に、インターンで6人で撮った写真が並べられていた。それを見てワッと泣いた。インターンの楽しかった記憶が鮮明に思い出された。彼のお母様に、彼がインターンを頑張っていたこと、すごく頼りにしていたことを話した。お母様は泣きながら「あなたも頑張ってね」と肩を叩いてくださった。彼の友達親族も恩師らしき方々もみんな泣いていた。通夜に善し悪しがある訳では無いが、すごく良い式だったと思う。






さて、ここまでならまあ、割と無い話ではないのだろう。問題通夜最後だった。

「目を閉じると、故人様との楽しかった思い出が甦るようではないでしょうか」

司会の人の優しい声に促されるように、泣き腫らした目を閉じて、彼との楽しかたことを思い出す。インターンは勿論、せっかくだから小中まで遡って思い出してみるか。小中も何か…何か、こう、運動会とか文化祭とか、彼との思い出で楽しかたこと…





あれ、そういえば私、あいつに殴られてたな?




何故忘れていたのかわからない。多分記憶から抹消していた。私は確かに中1の1学期、彼に毎日のように頭を殴られていた時期があった。

その当時味方になって守ってくれる友人もいたし、先生もよく怒ってくれていたので、いじめというにはちょっと足りない気もするが。1学期の間で何故か完全に終わったし。そこからわざわざ関わろうとしなかったし。それでも確かに中学男子フルスイング女子の頭で受け止めていた時期が、あったのだ。

次に目を開けた時、号泣する周囲とは裏腹に、既に瞳はカラッカラに乾いていた。インターンにいた優しい彼も嘘ではないが、それ以前にやられていたことが、21の大人になった私から見てもまあ酷くて、とても泣ける気にはなれなかった。

前にそれほど関わりのなかった祖父が亡くなった時でさえ、亡くなってからしばらくは「あの年は運動会来てくれて嬉しかったなあ」「テストの点褒めてくれたな」なんて楽しかった思い出を思い出して偲んでいた。それが、ガッツリ9年間関わった彼の思い出は一切鮮やかなものではなくて、途端に故人との記憶として思い出すにはしのびなくなった。

1つ思い出すと、まあ芋づる式に出てくる出てくる。特別酷かったのが中1というだけで、基本いじめっ子だった彼はいじめられっ子気質のあった私に嫌なタイプちょっかいをかけて遊んでいた。靴に虫を入れられたり、帰り道小石を投げられたり。本当に、なんで忘れてたんだろうね。

彼が死んだ後、彼を思い出してもインターンの優しい彼ではなく、中1の時に真顔で私をぶん殴る彼の顔しか出てこない。彼は変わっていないと思っていたが、そんなことはない。記憶である程度美化された彼の姿と、大人になった彼の姿がたまたま一致しただけで、彼はものすごく変わったのだ。そのきっかけが病気なのかはさておき。




ここまで読んでくれた人で、人をいじめたことがある人。過去は、消えない。何をしても。

きっと10年近く前の話だから、中1にやられていた事もある程度私の中で脚色されているとは思う。それでも、いじめを受けていたという事実は変わらない。その内容がどうであれ、過去の傷は見えないようにしているだけで消えない。

あなたが死んだ時、一瞬でも「まあでも死んでいいタイプ人間だったんじゃない」と思われることを覚悟して欲しい。どれだけ今のあなたが善く生きていても、過去に深く傷つけた人はあなた悪事を忘れない。

まあ、故人に対してこんなことを思う私も、大概ひん曲がっているとは思うけどね。

尚内容が内容なのでところどころフェイクを入れている。齟齬があっても見逃して欲しい。








彼がもし生まれ変わったとして、願わくば、次は最初からあのインターン笑顔の、優しい子として生まれ、育ちますように。

2021-10-10

通夜の夜

しんどくて明日になってほしくない夜とかに、サブスクで作っている「つやのよるプレイリスト更新しながら、自分のお通夜の様子を思い浮かべてうっとりする。家族や親戚はもちろん、職場上司や、古い友人も駆けつけてくれるかな。そのときにはこの曲をかけよう、なんて具合に。実際は誰も来なくたってそれは関係ないのだ。死人に口なしとはいうけれど、目も耳も無いのだから

2021-10-03

10万円でなにができる?

おばあちゃんが亡くなった。

孫みんなにって、10万円ずつ封筒に入れて人数分用意してあったらしい。

通夜の日にその話を聞いて、封筒を受け取った。

この10万円を有意義に使いたい。

なにができるだろう。

2021-09-29

おい、さいとう・たかを さん、亡くなったぞ。

この状況で、G13呼べるかな。

ってか、来てくれんのかな。

そっちは無しでも、お通夜だけは顔出しとくとか、あんのかな。

2021-09-19

カスミ(スーパーマーケット)で怒られた

実家帰省してて、親と買い物に行ったんだ。

久し振りに一緒に買い物に行ったもんだから、柄にもなく買い物してる親の写真を撮ったりして、葬式で流すか!とか話してた。

そしたら店員のおばちゃんがすっとんできて、『店内撮影禁止です!まわりに人がいるんですよ!写ったらどうするんですか!』って絶叫し始めた。

すみませんすみませんって謝ってたら、『ネットに上げたりしないですよね?』って言われて、しないですよって答えた。

その後も上記と同じようなことを繰り返し言われて親と一緒に平謝り。

帰りの車はお通夜モードだった。

 

大の大人になって、ガチで怒られたことなんか滅多にないかちょっと凹んでしまった。

最近YouTuberとかバカッターの影響で厳しくなってるのかな、知らなかった。

自分はそちら側にいる認識はなかったんだが、店側から見ると同じってことよね。

親はもうあの店には行けないかもしれなくて(気持ち的に)申し訳なくなってる。

2021-09-09

母が死に、煙を好むようになった

去年の今頃、母が死んだ。末期の大腸がんだった。

未だに電話は苦手だ。去年の夏、うだるような暑さの中で急に父親から電話がかかってきたことを未だに思い出す。

「母がな、大腸がんらしい。」

頭が真っ白になった。何かにすがらねばならぬと思いぱっと思い浮かんだのが煙草だった。黄色アメスピを買った。

肺まで白煙を深く吸い込み、酩酊を感じながら、足元が深く、酷く崩れていくのを感じていた。

一本を深々と吸い切った後、もう一本と火をつけ、吐いた。

そこからは本当に早かった。

母は入院し数日後には抗がん剤治療が始まるといわれていたが、病状があまりにも進行しすぎていたためにできず、末期治療が始まった。

感染症流行っている時期ではあったが私は実家帰省し、父と妹とともにその日が来るのを待ち構えていた。

母はモルヒネを投与され、常に夢と現実のはざまを行き来していた。

そうして、その日は訪れた。

私が電話を受けてからちょうど一ヶ月後のことであった。

母の葬式を済ませ、通夜を行っている中、私は一人会場を抜け出しコンビニへと行った。

ふと目についたセブンスターを買い、一人隠れて火をつけた。

コンビニの横、ほのかに店の灯りが漏れる灰皿のそばゆっくりと吸ったセブンスターは、ほんのりと甘く、脳を痺れさせた。

それ以来、私は煙草を好むようになった。

「ヒトはどれだけまともに生きていようとも理不尽な死に方をする」

母の死後、私に付きまとうようになったこ刹那的感情はどうしても消えない。

煙草によってがんのリスクは跳ね上がり、より死に近づくのだろうなと思いつつも心を煙で埋めている。

そうして、今日も私はほのかに甘い煙に夜を溶かしている。

いつか私も、母と同じように急に死んでしまうのだろうかという当てのない空虚さを感じながら。

2021-09-08

anond:20210908080933

野球見ないからわかんないけど

勝った時は自分が騒がなくても誰か騒ぐし先陣きって騒ぐことでもない

負けた時はお通夜みたいになるから、なんか言っても周りの発言数が少くて悪目立ちする

って感じじゃないの?

2021-08-25

ねこさんの話

私の推しJTサンダーズ広島金子聖輝選手です。

ねこさんは明るくて楽しくて、苦しそうなところを見せたりしないのですが(顔に出ないとは言ってない)、悩んだり泣いたりすることもあって人間味がある努力家です。お調子者なところもあるけど、私たちをガッカリさせるようなことはしません。そういう信頼感がありますコートに入ればチームを明るく鼓舞するパワーがあるし、かねこさんのために頑張りたいと周りに思わせるような人です。昨季の終わりからスタメンを掴み、来季レギュラーに定着出来たらいいなあ、というところです。これからがとっても楽しみな選手なので、私が言うのは本当におこがましいですが、是非注目してもらえたら嬉しいです!

本題は以上です。以下私が沼落ちしたきっかけについて書きます。長すぎ。スペースで一席ぶってたら大迷惑だったと思うのでここで書いてよかった気がするね。

____________

私はバレーボールをしている。バレーボールをするにはまとまった人数ときちんとした場所、道具が必要で、社会人になって続けるのは難しいスポーツひとつだ。チームスポーツなのでひとり下手だと本当に肩身が狭い。私のバレーボール経験中学3年間の部活のみで運動音痴。このステータス社会人になってもバレーボールをしている者はいない。みんな最低でも中高6年、大学でも続けていたなんてザラで、社会人になってなおクラブチーム所属していた者もいる。では何故バレーボールをしているのか。それはひとえにチームの人数が足りないからに他ならない。メンバーは下手な私にも優しかったが、足を引っ張り迷惑をかけるのは本当に申し訳なく、私は救いを求めるようにYouTube指南動画を探し始めた。そこで出会ったのがご存知ビークイックのサントリー95年組の動画である。ビークイックの動画は大変わかりやすくどのプレイがどのようにすごいのかを解説してくれ、興味を持って観ることが出来た。特にゲーム形式動画でエグいコースバックアタックを打ち込む大宅選手は本当に素晴らしく、何度も繰り返し観ていた。そう、これが終了の合図です。

https://m.youtube.com/watch?v=XGmOHlhH104

ついに気づいてしまった。

アレ 大宅くんって…かわいい?!

オープニングで無表情で突っ立っている大宅くん、小野くんの腕毛をむしる大宅くん(なんで?)、今の入った(ボールイン)アピールする大宅くん、腕をブン!て振り回してガッツポーズする大宅くん、天井直撃して倒れ込む大宅くん、舐めプされて頭ナデナデされる大宅くん、余計なことしかせん大宅くん、突っ込まれニコニコ笑う大宅くん

エ?

めちゃくちゃかわいいんですけど?!

こうして無事大選手のかわいさに気がついた私は、選手に注目してバレーボールを観る楽しみを覚えた。近くで試合があれば足を運び、来季も機会があればサントリー観に行ってみようと思った。完

そう思ってたのに……

急に…急にかねこさんが来るから!!!!!

https://m.youtube.com/watch?v=XGmOHlhH104

突然大きな声を出してごめんなさい。本当に不意のことでパニックになってしまい、つい大声になってしまいました。

この時の私はかねこさんのことをよく知らなかった。良くも悪くも目立つので明るいお調子者がいる、くらいの認識はあったけど、それ以上も以下もなかった。だからこのインタビュー動画ちょっと見てみるか、くらいの軽い気持ちで観てしまった。

まって

おもてたんとちがう

全然ただのお調子者じゃないじゃん。すごい気遣い出来るじゃん。ふざけていいところとそうじゃないところ完全にわかってる。刹那的に生きているようで、ずっと先のことまで見据えてる。ていうか、ものすごいまじめでしょ。たくさん愛されて育ったでしょ。すごく育ちよさそう。素直の擬人化か?なのに、話したいこと、知って欲しいことと、そうじゃないことの線引きが明確。セルフプロデュースがうますぎる。それから目標をきちんと口に出来る強さ。明言することで心ないことを言う者もいるだろうに、ファンと共有させてくれる優しさ、誠実さ。この人を応援したい。応援したい!ああ!ニコニコ笑ってる。コント始めてる。いらっしゃいませ〜なんつってペコペコしちゃってる。かわいいかわいいかわいい!!!

知ってるか かわいいは終わりの始まり

こうしてはじまった20〜21シーズン、序盤かねこさんの出番はあんまりなかった。怪我人続出でチーム状況は苦しく、本来ポジションではないOP起用。コートに立つ姿を見られて私は嬉しかったけど本人はあんまり嬉しそうじゃなかった。迎えたサントリー戦。

https://m.youtube.com/watch?v=FBTsVWKW7g0&feature=youtu.be

この日、出だしコート内はドタバタ、大きく点差をつけられて、にしさんと衝突したくまくらさんは負傷、代わりにかねこさんがコートに入った。最悪の雰囲気の中、大きな声を出して一点一点を喜んで、コートの中を走り回ってガッツポーズして、みんなを集めて声かけて、どんどん雰囲気を明るくして、自分で打って点取って、2、3セット目をもぎ取った!結果的に負けてしまったんですけど……それでもストレート負けしてもおかしくなかったくらいお通夜みたいな雰囲気ゲームからチームを立て直し、ヤマコフさん(サントリー監督)にかねこくんの決定力にここまで苦しめられるとは、と言わしめた。相変わらず本人はあんまり嬉しくなさそう。それでもこうしてコート雰囲気を変えられる、って誰にでも出来ることではないし、そういう能力があることをアピール出来たと思う。ああ、本来ポジションで出場機会を得られたらどんなにいいだろう……

そして迎えた2021年2月21日公式ツイッターはいつも選手入場を動画で見せてくれるんだけど、いつもかねこさんはめちゃくちゃふざけてるのに、この日は様子がおかしかった。

https://twitter.com/thunders_jt/status/1363345167743291392?s=21

いや ガッチガチやないか どした?

https://m.youtube.com/watch?v=ZNjYTOiQmUo&feature=youtu.be

スタメンコールでふかつさんが呼ばれず皆がにわかにざわつき、代わりにかねこさんの名前コールされ、ガッチガチに緊張しているかねこさんの顔が映し出されたときJTファンは1人残らずかねこさんの父兄になった。手汗かいてドリっちゃってるのはかねこさんだけではなかった。生きとし生ける全てのJTファンは大量の手汗をかき、心は千々に乱れ、固唾を飲んで見守った。一度合田さんがパイプを見せに来てくれた以外、交代はなかった。ずっと苦しそうな顔をしてたけど、なんとかゲームを作って試合を終えた。そのかねこさんの試合後の様子はこち

https://twitter.com/thunders_jt/status/1363404350391902216?s=21

いや……ガッチガチやないかほんまに……ああ……

正直この試合リアルタイムで一回観たきり、二度と観ることが出来てないので、細部はあまり記憶にない。間違いがあったら申し訳ない。

そのあとチームは連敗が続き、かねこさんがスタメンになってから勝てない日が続いた。でも時々煮詰まった時にパイプやクイックを見せに来てくれる程度の交代しかなく、もうチームはかねこさんで行くと決めてるみたいだった。

https://m.youtube.com/watch?v=9mSEL0ymCVY&feature=youtu.be

3/6のFC東京戦。はじめてかねこさんがスタメンで勝つことが出来た。試合自体は危なげなく3-0で勝利。この時現地で観戦していて、記念すべき初勝利に立ち会えたこと、スタメンを掴んでからずっと苦しそうな顔をしていたので、すごく嬉しそうに笑ってるかねこさんを見て、本当に嬉しかたことをよく覚えてる。写真がすごく良いので見てほしい。

https://vbm.link/51651/

その後に出た初勝利の日の会見の記事

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/news.yahoo.co.jp/amp/articles/4a33cbb4e3ce0676ccd543732af6a9a926b1d187%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D

これ本当にすごくないか。おのくん、いや日本一ミドルブロッカー小野寺さんが、かねこで勝てて嬉しいと、はっきり言葉にしてくれている。いちばん身近で見ているチームメイトでありチームの中心である小野寺さんが、かねこさんの努力を認めて力になってあげたいって言っている。これからチームの中心になる選手として、助けてあげたいって言っている。小野寺さんよ?!ねえ!あの小野寺さん!!日本代表の!!みんな知ってますよね?!かねこさんはまだやっとスタメンを掴んだところだけど、こうして周りの人を動かす力がある。応援したい、助けてあげたい、一緒に頑張りたいと思わせる力が。普通そんなこと出来る人がいます!?いや、いません!!誠実で、努力家で、健気で、ひたむきなかねこさんだからみんながそう思うんです!!!ねこさんしかこんなこと絶対に出来ないんです!!!!!!

私本当にかねこさんのこと応援してよかった。これから応援したい。JT看板選手になって、いつか日本代表するセッターになるところを見届けたい。

これが私の沼落ちの記憶です。普段かわいいしか言いませんけど、かねこさんは本当にすごいんです。私が言うのもおこがましいのですが、JT戦を観る機会があれば、是非注目して見て下さい!こんなとこまで読んでる人いないと思うけど、読んでくれてありがと!愛してるぞ❤️‍🔥

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(後日追記:初スタメンの2/21の試合見直しました。交代はなく、一試合通してコートにいました。合田さんはリリサでした。1セット目こそガチガチに緊張していましたが、2セット目以降いいところもたくさんありました。当時緊張していたのは多分私の方で、きちんと見られていなかったんだと思います。本文は当時の気持ちの記録ということで、訂正せず残しておきます。)

祖母が死んだときのこと。そして懺悔と後悔の記憶

祖母が死んでからもう二年がたつ。

祖母の死に関連して、自分の感じた後悔と、自分気持ちに対する懺悔を、ただでさえ持ちの悪い僕の記憶が風化する前にどこかに残しておきたくてここに記す。

あれは僕が大学院入試を控えたコロナ以前の夏の日だった。

祖父が死んでから10年目のあの夏、言い換えればばあさんの一人暮らしが始まってから10年目の夏。ばあさんもも結構参ってしまっていたんだと思う。

からばあさんの家が近かったこともあって、何かあったらばあさんの家に遊びに行くほどのおばあちゃんっ子だった僕は大学に入って一人暮らしをしてからも暇を見つけてはばあさんに電話を掛けたりしていた。

そんな僕から見ても電話をするたびにばあさんがやつれていっている気がしていたのを今でもなんとなく覚えている。

そんな夏のある日に、いきなり親父から電話がかかってきたのを覚えている。

「ばあさんが危篤だ。なんとか帰ってこれないか?」

つい数日前にばあさんと電話をして、来週帰るからその時にあいさつに行くねなんて言っていた僕はその電話を聞いて信じられない思いだった。

その直後に教授とのミーティングの予定だったのだが、それをキャンセルしてすぐに帰省の準備を始めた。……はずだ。

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すごいね人間記憶ってのは大事なことに対してもすごく曖昧で、ここに帰省の準備を始めたって書いた瞬間に、帰省の準備を始めた記憶とその実感がわいてきてしまう。

出来る限り覚えている事実を元に書きたいけれど、あいまいな記憶をもとに手探りで書いていくからたぶん事実と違うこともたくさん書かれてしまうと思う。

なるべくあいまいな記憶をもとに書かれた文章には「はずだ」とか、注釈だったりをつけて対応していきたいと思うよ。

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そして帰るまでだったか帰ってからだったかのどこかで、父親から追加で連絡があったはずだ。

いつ連絡が来たか記憶すら定かではないし、どのような媒体で連絡をされたのかも定かでないけれど、知らされた内容だけは覚えている。

「ばあさんが死んだ。それは自然死ではなくて、自殺だった。そしてこのことは秘密にしておいてほしい。」

どうやら、ばあさんは自殺を試みて、無事死ぬことができたらしい。今の僕の価値観だと自分で死を試みるほどにこの世界から去りたくて、これを完遂できたのならそれはもう僕がとやかく言えることじゃないのかなという気もするけれど、この時の僕はまだそこまで割り切ることができていなくて純粋に悲しんでいたのだと思う。

僕の叔母(つまりは父の姉)の元にばあさんからまるで最後挨拶かのようなメールが届いたらしい.

それを見た叔母は父に連絡を取ってばあさんの家に行ったとのことだ。

そこでばあさんが首を吊っているのを見つけたという。

ばあさんをおろした時はまだ、ばあさんの体は温かかったらしい。

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あぁ、たぶんこの話を聞いたのはまだ実家に帰る飛行機に乗る前だ。飛行機の中でどうしようもなく自分に問いかけていた覚えがある。さっきと一緒でもう今の自分の中には飛行機の中で自分に問いかけていた記憶ができてしまっているけれど、たぶん飛行機に乗る前だ。

当時の人との連絡の記録を後で見返そうかなとも思うけれど、自分がそれで死んじゃわないか心配

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どうにかして実家に帰った後、ばあさんの家に遊びに行った。

ばあさんの家の机の上には遺書が置いてあって、そこには涙の跡もついていた。

この時、本当に涙の跡ってつくんだって思ったのを覚えている。

多分この涙の跡は叔母の涙の跡で祖母の涙の跡ではないのだけれど、それでも涙の跡のある遺書というのはなかなかに来るものがあった。

そのまま遺書を読み進めると、もう、一人でこの世界で生きていくのが辛かったらしい。

遺す人たちに対する謝罪のあたりで読んでいた僕まで泣いてしまった。

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遺書の内容は要確認。ほかにどんなことが書いてあったか確認しておきたい。

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遺書を読み終えた後はばあさんの遺体*が安置されていた祖母宅の近くの葬儀社に向かった。どうやら叔母がばあさんの近くに付き添ってくれていたようだった。

最初無意識のうちに死骸と書いていた。どうやらあれだけいとしく思っていた祖母でも、死んでしまえば等しく死骸であるみたい。

丁度、父の従姉妹たち(つまり祖母の姪)が到着したところみたいで、ばあさんを見てみんな泣いていた。僕が到着するのを見ると、みな僕がばあさんっ子だったのを知っていたみたいでせっかくだからと僕とばあさんを二人きりにしてくれていた。どうやら、泣かない僕を見て「他の人がいる状態では僕が泣くことができないだろうから」という思いやりかららしい。

ここからが僕の後悔と懺悔のキッカケが始まる.

せっかく最後にと僕と祖母を二人にしてくれたのに僕は全く泣けなかったのだ.

それどころか, その時の俺の心にあったのは, [首を吊った死体首には本当に縄の跡が残るのか]という好奇心だった.

せっかくの首を吊った死体と僕しかいない状態で, 僕が部屋から出てくるまでは誰も部屋に入ってこないと約束されている状況である. そんなの今後の人生で二度と来ないであろうチャンスじゃないかと.

そこで死体の様子をうかがうと, やすらかな顔をして化粧をされている. そして肝心の首は, 状況が状況だからかしっかりと隠されていた. ここをめくるだけで僕は僕の好奇心を達成できる.

ただ, どうしてもなけなしの倫理観邪魔をしてその覆いをとることはできなかった. やはり遺体を、それも僕が生前一番なついていたばあさんの遺体自分がいじることはできない……と。どうしても僕の記憶に残すばあさんとの最後の二人きりの思い出をそんな穢れた好奇心で汚すことはできない……と。

せめてもの抵抗にと最後祖母の頬を触った. ドライアイスに冷やされてとても冷たかった.

ただ, どうしても俺は, 祖母首に縄の跡が残っているかいないのかを確かめたいという好奇心を消すことはできなかった. あれだけ僕を愛して, かわいがってくれていた祖母に対して孫が抱く最後の望みが, その死にざまが残す跡を見せてくれという穢れた好奇心で本当にすまないとは思っている. ただ, 本当に僕はただ好奇心ケモノとしてここまでの時を過ごして来てしまたからか, どうしてもその欲望を消すことができないんだ.

このあとは、もう普通の人が死んだ後の風景だった。

ばあさんの眠る部屋を出て叔母にあいさつをして実家への帰路に就いた。このとき、泣くことができた?という質問に対して僕は苦笑を返すことしかできなかった。きっと叔母は僕が照れていたと思っているのだろうけれど、僕としては泣けてないんだよなぁという思いしかなかったわけだから

実家に帰った後は通夜葬式に関する準備をすすめ、親族として葬儀の受付などを行い、最後に棺に花を添えてばあさんを見送った。この時、火葬場に送り出されるばあさんをみて泣けて少しだけほっとした。

そして火葬場で焼かれた祖母が出てきたときに俺が思ったのは, やはり[もう, 祖母首に縄の跡が残っているかどうかを確かめることはできない]というおもいだった.

父と叔母に[祖母首に縄の跡が残っていたか]ということを聞くこともできない俺にはもう, これ以上事実を確かめるすべはない.

この後悔は一生ついて回るだろうし, 祖母の死骸を前にそんな穢れた好奇心が湧き出してきたということに対する懺悔も一生続くことだろう.

2021-08-24

母親が亡くなりました

これは過去記事から続いています

最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。


以前に語ったとおり、母親病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。

その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。


母親に関しての良い記憶殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレス負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブル枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力暴言は絶えず、幼いときから母親嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女スマホPCどころか自身ケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。


そんな母も亡くなりました。

一番最後家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身介護状態になってから父への依存マックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院生活が心を折るに充分だったに違いありません。

父はそれを後悔しているようです。

葬儀直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。

葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。


従来型のように通夜告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要儀式もありますから

しかしこれから葬儀直葬が主流になると確信しました。

高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。

なぜ喪主大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間お金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。

それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。

コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています

さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります

母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。

母親病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断のものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。

思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。

恐らく長いあい健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。

さら病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます

旅立ってからも人柄がわかってしまうのは苦々しいかぎりです。

自分家族崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せ家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者実家にお邪魔したときリビング家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。


今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続き簡単とのこと。いい時代ですね。

遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。

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